だんだんと30代になった実感がわいてきた。
あらためてスタートラインに立ったような気持ち。
例えば、結婚も35歳までに出来ればいいや!と。これが、いわゆる“肩の力が抜ける”というやつなのだろうか。
男女交際に厳しい両親は、昔から「良い人がいなければ結婚しなくていい」と言っていた。
世間体を気にしてどうでもいい人と結婚するよりは、親と同じ墓に入りたい。出来れば先に。しかし、せめて順番は守るべきなのだろう。もう、それだけのために生きている。
もともと長くは生きられない身体だったのだ。「頼んでもいないのに勝手に手術して」と言った私を赦す両親には、一生、頭が上がらない。
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18歳で上京した時、私は“完全無欠の幸福”な人生を送りたいと思っていた。
それは簡単に言えば、Facebookで幸福そうに見える暮らし。見栄えのする大学を出て、見栄えのする職業に就き、自分より見栄えの良い大学を出て見栄えの良い職業の男性と結婚し、子宝に恵まれ、友だちも沢山いて…といったような(当時はFacebookどころかインターネットもさほど普及していなかったが)。
コンプレックスの塊だったので、あらゆることで勝ちたいと思っていたし、若かったので、それが出来ると思っていた。
東京で暮らすことになると、あっという間にそのような野心は消え去った。
同じように地方から出てきた、同じくらいの学力の人たちとのんびりと過ごすうち、良くも悪くも、コンプレックスを刺激される機会が減ったのだと思う。ささやかなことで満足出来るようになっていたし、本当の幸福は肩書きなんかじゃないと思うようになった。
25歳の時、「結婚は、まあ、30歳になってから考えれば良いかな」なんて友だちに言うと、「30歳になった時の自分の顔、想像してみな?」とたしなめられた。皺やシミだらけになった顔を想像してみた。でも、もともと容姿だけで結婚したいと思われるほどの女ではないし、と思った。恋愛体質ではあったけれど、結婚願望はさほど無かった。いや、恋愛体質だからこそ、というべきか。
その後、震災があり、“もうこの人がいない人生なんて考えられない”と思うような恋人もいたので、“彼と”結婚したかったけれど、うまくいかなかった。
Facebookが流行し、18歳の時に思い描いていたような“完全無欠の幸福”が正しかったのでは?と思うことが増えた。恥ずかしい話、見栄えにこだわり抜かなかったことを何度も後悔した。今でも時々。
心が満たされない時、すがる肩書きが無いと生きていかれない、もともとそういう人間なのだ。そして、そういう“女”が、あの町を出て東京へ向かう。
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上京するのは、私なりに大変だった。6時から25時まで、一年間、起きている時間のほとんどを勉強した。私には2002年の記憶がほとんど無い。第一志望校しか受験せず、合格発表の日、無事に合格していることを知ると、深く深く、深く深く眠った。
17歳から18歳の美しい時期に、死ぬ思いで勉強して良かったと思ったのは、20代半ばだった。
当時恋をしていた彼は高卒のフリーターで、その彼が「学校に行きたい」と言った時だった。私は他の女の子みたいに、美味しい料理をふるまうことも出来ず性的魅力もなかったけれど、勉強なら教えることが出来たからだ。
既に私はいつだって結婚できる状態ではあったけれど、「学校を出たら結婚しよう」「30歳まで一緒にいたら結婚しよう」などといった彼の言葉で、待つしかなかった。それに、「もし仕事がつらかったら地元で待っていてね、絶対に迎えに行くから。僕が嘘をつくと思う?」と言われた時、どうしてもそれが嘘だと思えなかった(結果として嘘になったけれど、あの時の彼の表情と声色とぬくもりを思い出すたび、今でもまだ迎えに来てもらえるような気すらするのだ)。
結局、私は30歳になった時もし彼に捨てられたらどうしたらいいのか?と思うようになり、彼も彼で、定職に就くまで結婚出来ないという信念を優先した。
そうして私たちは30歳になった。
彼が幸せであれば良いと思う。心身ともに健康な女性と幸せになれば良いと思う。
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人は生きるために忘れるのだ、と言ったのは誰だったか。
確かに、悲しくつらい記憶や感情がその時のままずっと残っていたら、人間、70年も80年も生きていかれないだろう。
あの人のことが好きで好きでたまらないといった感情が、まるで嘘のように無くなることだってある。
でも、愛された時の幸福感や、何かを成し遂げた時の達成感は、何故だかずっとずっと残っている。
30代になって、あらためてスタートラインに立ったような気持ち、と冒頭で書いたけれど、さほど野心や希望は無い。
私の育った国では、女が大学に進学することは男と同じ時間軸で生きていくことと同義だったけれど、今や強制的に女の時間軸に戻されてしまった。
脳や身体能力は衰えていくし、女としてはいっそう粗野に扱われる機会も増えるだろう。
学歴や職歴は客観的に残る。けれど女として大事にされた過去は、客観的に残らない。
時々、「こんな風に優しくされたことないでしょう?」と言われるようになった。
きっとすぐに、風邪くらいでお見舞いに来てもらったり、単なる帰省で空港まで送ってもらったことがあるなんて思われなくなる。
それよりもっともっと大事にされたことなんて、既に信じてもらえないのだ。
もしもこの先、10代や20代の頃ほどの幸福感や達成感に浸る機会がなかったら?と思うとぞっとする。
「成功して初めて、その過程が“努力”と呼べるのよ」と言った10代の私が、今の私を笑っている。
「学やお金のない男の人とでも、幸せになれるわ」と言った20代の私を、今の私が笑っている。
この先、これまでの恋人ほど愛してくれない人のために、これまでの恋人にしてあげなかったようなことをする自分を想像するだけで苦しくなる。
彼と過ごした三軒茶屋で、にんじんの塔、キャロットタワーを眺めるたびに。
わりと良い思いをしてきた部類の人間だ、と自分でも思う。その分、何も無い暮らしに耐えられるのだろうか、と不安になる。
いっそ幸せな記憶が全て無くなれば、楽になるのに、と。
野心を持って田舎から飛び出した私が、一人でも、すがる肩書きが無くなっても東京で暮らし続けることを想像する。それこそが本当の東京の人間、っぽいなあとも思う。東京の人間になるのが目標?悲しいなあとも思う。
30代で独身であることを揶揄されるたび、私は自身の容姿や生殖能力への侮蔑より、彼以上に愛してくれる人と一緒になりたくないというプライドと、かつての彼の私への想いを踏みにじられた気分になる。
人は生きるために忘れるのだ、というけれど、私は生きるためにプライドを捨てる。
ああ、やっぱりまだ肩の力が抜けていない。
そして支離滅裂な文章だ。支離滅裂でこそ正解のような夜。
ええっと、Flipper's Guitarの“今してすぐ さあ早く ロボトミーにして僕を そして全ての煩悩停止して踊るのさ MIRROR MAN”という歌詞が好きです。「WINNIE-THE-POOH MUGCUP COLLECTION」という曲で、『ヘッド博士の世界塔』に収録されています。
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