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「Just got home from a 16 month deployment to Afghanistan. I feel so out of place. All my friends are off at college and my fiancé broke up with me while I was gone.」
「I killed 3 enemy combatants in Afghanistan and I’m more distraught about the rabbit I just ran over.」
「Getting back from Afghanistan, you think I would feel good being home. It doesn’t feel right at all.」
「My man is deployed for a year and I’m pregnant.. I’ve never felt so alone. Some people don’t know how lucky they are and I get jealous when I see girls with their significant other, makes me want to fly my butt down to Afghanistan just to be with.」
「My boy friend is leaving for Afghanistan in December ..any advice on how to keep myself busy for 9 long months?」
「My son left for Afghanistan. Outwardly, I’m handling it. Inside, I’m terrified that I’ll never see him again…」
「I can’t stand being home. Not because I dislike my family, they just can’t understand what I dealt with in Afghanistan.」
「My husband came home from Afghanistan in November I still wake up sad and lonely feeling as if he’s still gone.」
「To my fiancé
Come home….I need you this morning more than Afghanistan does」
「My dad is leaving for Afghanistan. He’s already left for 2 years for Iraq before.」
「Just got home from Afghanistan and my wife, who I have a child with gives me divorce papers.
She been dating another Marine while I was gone.
Life sucks.」
「I’m having trouble adapting back to civilian life. I want my family to know what I went thru in Afghanistan.
But they just don’t understand, and even when they listen, I still can’t tell them everything. So there’s no point I guess. I just need to talk to my boys again.」
「I lost my virginity last night to a military man, who served in Afghanistan for a whole year…it got a little kinky.」
「Can’t sleep. My boyfriend has been deployed to Afghanistan, and I haven’t heard from him in weeks.
I’m scared.」
「As I was deployed in Afghanistan I killed over 50 people and 2 children. Doesn’t phase me.」
「Well, Active duty here I come. Fuck Afghanistan.」
「Afghanistan took my husband and send back a stranger. I hope one day I’ll get him back.」
いま、ざっと見ただけでも最近アメリカで流行っているアノニマスSNSにはアフガニスタンに派遣された兵士たちや、その家族、恋人、のなまなましい声が溢れていて、アメリカ政府が最も国民に聞かれたくない、兵士たちの「聴き取りにくい声」を聴き取るには良い場所である。
テキストが画像化されているので、グーグルの検索にもかからず、通常よりも、遙かにロープロファイルなところが都合がいいのかもしれません。
どの時代、どの戦場でも共通な、はてしない退屈、忘れた頃に突然起きる激しい戦闘、戦友の死、恋人からの手紙に書かれた別れの言葉、
「ごめんなさい。でも、もう、これ以上待てない。もう、これ以上の孤独には耐えられません」
妻からの浮気の告白、子供達からの奇妙に明るい表情に満ちたカード、世界そのものが遠くなってゆくような兵士特有の、現実感が不思議なほど剥がれおちた、なにもかもが現実でない感じ…
最も初めに目に飛び込むのは、兵士たちの、手でふれられそうなほど体温と脈動が感じられる言葉の数々(ちくしょー、おれはもう9ヶ月も女と「やって」ないんだぜ)だが、その上に、兵士も家族も、もう戦争にはうんざりしていること、なぜアメリカが他国の危機などほっておいて海外への派兵をやめないのか理解できない気持になっていること、たとえ頭で理解していても、「もう、ほんとうに、うんざりだ」と考えていることが痛いほどわかって、ウクライナにもイラクのISISの危機にも、外交上はマイナスでしかないのがわかりきっているのに、バラク・オバマが、なぜ真っ先に「地上軍は送り込まない」と述べたのか、簡単に想像がつく。
「良い戦争」であった、対ナチ・日本戦争から70年が経って、「突撃!」の命令でGIが塹壕や物陰からいっせいに飛び出していった太平洋戦争から、突撃と命じても3人にひとりは蹲ったままだったという朝鮮戦争を経て、部隊によっては誰1人立ち上がらなかったベトナム戦争にいきついたアメリカは、戦争自体を企業化して「合理化」したあと、イラク戦争の徒労感で、ふたたび巨大な「厭戦気分」に包まれている。
どこで何の紛争があっても出かけていって戦争をするなんて、やなこった、と思っている。
ベトナム戦争の骨髄を病みつくすような厭戦ではなくて、もう少し昂然とした、「他国のための戦場で自分の命を落とすなんてやってられるか」という「こんな戦争はムダだ」という調子なのは、いまでは誰でも、故意なのか、実際に誤判断だったのか、ジョージ・ブッシュがイラクを攻撃する口実にした「大量破壊兵器」が、ただの都合のいい幻にすぎなかったことを理解しているからでしょう。
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無人機が低空を飛んで標的を殺す時代になっても、歩兵は自分の二本の足で、険しい岩山を一列になって、森のなかを散開して、どこまでも広がる草原を狙撃兵たちに対して全身を露出させて移動する緊張に膝をふるわせながら、歩いてゆく。
機械の操作に忙しい操縦士たちや、戦車兵、無人機操縦者たちと異なって、歩兵は、もの思いにひたりながら疲れはてた身体をひきずって敵と出遭うまで歩いて行く。
歩兵としての戦闘がいかに「人間的な」行為であるかを初めて詳細に描写したのはアーニー・パイルだったが、給料に不平を述べ、恋人が自分のもとを去ってしまうのではないか、母親の病気はどうなっただろう、国を出るときには2歳だった息子は喘息なのだが、どうしているかなー、と心配しながら、というのは、つまり、「生活」そのものを雑嚢にしまいこんで肩に負って戦闘する歩兵たちの姿の写真を見、パイルの文章を読んで、初めてアメリカの人達は「戦争」というものをぼんやりと理解できるようになった。
MQ9 Reaper やF2戦闘機に象徴される高度で複雑なコンピュータ指令塔のような兵器がおおきな役割をはたすようになっても、戦争の主役はやはりいまでも歩兵で、「現代の戦争では徴兵された兵士など役に立たない」という70年間という気が遠くなるほど長いあいだ戦争がなかった日本では「常識」のように言われる言葉が、全然、真実からは遠いのは、アメリカ人たちが戦地から送ってくるSNSを見ていれば、一目瞭然、すぐに判ります。
まるで誰も引き受けたがらない戯曲の主役のように、しかし、現代でも戦闘の「主役」は歩兵である。
オバマ・アドミニストレーションが、まるで、そのことに気づかないかのようなふりをしているのは、これ以上、海外で地上戦を続ける姿勢を見せていけば、支持率はさらに低下して、諸外国にレームダック化したホワイトハウスを無視するチャンスをつくることになるからで、いまのていたらくでも、ほんとうは、言葉による恫喝だけで何もできないのは、プーチンが私服のロシア兵たちを送り込んでウクライナで引き起こした、しかもバカにしきったことにはたくさんのジャーナリストによって現実を取材されてしまったグルジア戦争とまったく同じ手を使った、「内戦」を見れば明らかであると思う。
安倍政権が憲法第9条を無視して、ある英語人の表現を使えば「バイパス」して、おおいそぎで派兵できる体制に持っていこうとしているのは、無論、いま想定していると公には述べている専守防衛完遂のための第一歩というのは、ただの政治上の「お話し」で、もちろん、日米安保条約という片務軍事同盟を双務同盟に実質を変更することによって、事実上の「アメリカ軍の部分としての日本国防軍」をつくろうとしているわけで、というよりもそんなことは、当の日本の「論客」たちを除いては、どこの国のどんな人間にとっても「あたりまえ」のことで、しかも、内心では安倍政権の強硬策を歓迎しているのは、イギリスにとってもフランスにとってもドイツにとっても、オーストラリアにとってもニュージーランドにとっても、韓国にとっても、悲惨な主役である「歩兵」に自国民を出したくないのは当然のことで、そこに勢いよく手を高々と挙げて「わたしが歩兵を提供しましょう」と言ってくれた安倍首相は、どこの国にとっても、とてもありがたい政治家なのである。
憲法第9条を「バイパス」することに決まった日、日本語の世界をひととおり歩いてまわると、案の定、「市民」を自称するひとびと、知識人やパチモン知識人、論客、ブロガーというような人達が、「民主主義内の手続きで決まったことだから大騒ぎするほどのことではない」と述べていて、やっぱり、という気持と、どこまでおめでたいのだろう、とタメイキが出るような気持の両方を味わったが、自国の国民の従順さ、従順であるためなら、ありとあらゆる理屈を動員して「政府の暴走に対してなにもしない」ことを自分に言い聞かせ、周囲の他人にも説き聞かせて、民主主義が失われたときには、自分は法廷で市民として堂々と政府とあらそってみせる、というような、愉快なお伽噺を、みなで頷きあいながら繰り返している自国民の「あつかいやすさ」を安倍政権は熟知しているから、諸外国が「それは嬉しいには違いないけど、ほんとですか?」とびっくりするような大サービスを同盟諸国に請け合えるのでしょう。
自由について語り、民主主義の真の意味について語り、60年反安保騒動への反省から生まれた思想を語りながら、なんのことはない、少し目を遠くにはなせば、日本の知識人がやっていることは、戦前の「知識人」と同じことであるように見える。
政府が自分達に対して向き合う姿勢をみせている思想の市場を、マーケティングして、「こういう感じにすれば『愛国者』がたくさん検査会に集まってくれるだろう」と決めた方針の注文どおり、けなげに政治用語のCDをまとめ買いして、安倍政権と握手するために、「経済政策はゆるせるが靖国参拝は疑問だ」という調子で政府をときどき批判してみせたりもしただけで、結局は「国民が自分の意志で決めた軍事国家」へ一歩を踏み出すのを助けただけだった。
戦争を時間の問題として待っている地域がイラクから東シナ海までつらなっているのに、自国民を死なせるわけにはいかない、と思い定めている国ばかりが並んでいるところに、安倍晋三が待望の英雄として手を挙げてくれたのだから、同盟諸国が日本の派兵を喜ばない理由はない。
実際に今日の午後あったニュージーランド人も、「将来、これでわれわれは兵士は一個中隊も出せばよくなった。アメリカの第三次イラク出兵は避けられそうもないからね」と相好を崩していた。
考えてみれば「世界の英雄」として肩で風を切って歩くことは安倍晋三の第1次政権のときからの夢で、これでやっと選挙を通じて圧倒的な支持を与えてくれた国民の力を借りて、年来の夢をはたす目処がついたことになる。
世界中、めでたしめでたしで、国際政治的には「すべてがスムースに進み出した」と言ってもよいくらいです。
日本が戦争をする国として国際社会に復帰した、というニューズを、クビをかしげながら見ていたのは、きっと赤くひびわれた岩山に腰を下ろして、コーヒーをすすりながら地平線を見渡していたアメリカ軍の兵士だけでしょう。
「こんなひどいところに来たいなんて、日本人って、ほんとにヘンな奴らだなー。でも、これで、次にまたイラクに行くときにはおれの代わりに日本人たちが行ってくれるだろう。ありがたい」と呟いていたかもしれません。
もっとも、彼より先にアメリカ合衆国の故郷の町に帰還した同僚は、
「I should’ve died in Afghanistan it’s fucking hard living this “normal” life.」
とSNSでつぶやいていたのだけれど。
戦場で勇敢に戦う歩兵になるよりも、自国の政府と戦う方が何倍もの勇気がいる。
友達でいられたかもしれない敵と見知らぬ他国の戦場で戦うか、突然目の前に現れた自国の圧政者と戦うかは、ただ国民ひとりひとりの良心にかかっているのだと思います。
特に40代や50代のひとびとは、「わたしはずっと人間として暮らしてきた」と胸を張っていえるかどうかの岐れ道にさしかかっている。
なんだか、祈るような気持です。