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前日項目では網膜の移植について「普通の患者で臨床研究をする」という話を述べた。
→ iPS臨床研究が中止?
ここでは、「臨床研究」という言葉が使われているが、研究室の試験管やパソコンで行なわれるような研究ではなくて、人体によって行なわれる研究だ。どうせなら正直に「人体実験」と呼ぶ方がいいだろう。
で、どうせ人体実験をするのであれば、普通の一般人の体で人体実験をするよりは、死刑囚の体で人体実験をする方がいい……というのが、私の見解だ。
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「死刑囚で人体実験を」とえうのは、別に、目新しい話ではない。私も前に聞いたことがあるので、ググってみたところ、そういう見解はいろいろ見つかった。ただし、反対論が強い。次の理由で。
「死刑囚にも、生きている限りは、人権がある。その人権をないがしろにするのは、悪魔の所業だ」
というような理屈。
しかし、これは妥当ではない。
(1) 執行までに猶予期間がたっぷりある死刑囚を使うのであれば人権侵害であるが、執行の時期が来た死刑囚に限定して使うのであれば、問題はない。
(2) つまり、その時点における死刑囚には、次の二者択一となる。
・ 法に従って、死刑の執行
・ 人体実験を条件に、死刑の延期
このどちらかを死刑囚本人に選ばせる。
・ 死刑執行を選んだなら → 人体実験はない
・ 人体実験を選んだなら → 本人が了承済み
従って、どちらでも問題はない。
(3) 仮にこの新制度を許容しないとしたら、「人体実験よりも死刑執行の方が人道的だ」というふうになる。それは理論が破綻している。
(4) 人体実験を続けている限り、死刑囚はいつまでもずっと生き続けることができる。最終的には、寿命が来るだろうが、その場合には、死刑から無期懲役に減刑されたことになる。これは、「自分の体を社会貢献のために提供した」ということであるから、ご褒美が与えられてもいいだろう。
(5) ついでに死刑囚に対して、人体実験の最中にはごちそうを上げるといい。これもご褒美。
(6) 人体実験といっても、非人道的なことをやるわけではない。普通ならば一般の患者が受けるような「実証研究」であるのだから、ちっとも非人道的ではない。
(7) 仮にこの新制度を取らないとしたら、一般の患者が人体実験にさらされることになり、そっちの方が問題だろう。
(8) かといって、あらゆる人体実験を禁止すれば、iPS 細胞の移植のための研究が進まない。それは最悪だ。
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実を言うと、以上の問題のすべてをなくす、素晴らしい案もある。次のことだ。
「人体実験を、人体実験という言葉で呼ぶのをやめて、臨床研究と呼ぶ。このことで、人体実験を行いながら、人体実験を行っていることを隠蔽する」
これはまあ、真実の隠蔽であり、詐欺である。国民をだまして、「人体実験なんか行なわれていないんですよ」と言ってゴマ化す。こうやってゴマ化しながら、無知な患者を欺いて、網膜移植などの人体実験に参加させる。
真相:「患者にとってはたいしてメリットはない。ただし一定の危険はある。だから人体実験に参加してほしい」
虚偽:「患者にとっても素晴らしいメリットがありますよ。一方で危険はほとんどありませんよ。人体実験じゃなくて、ただの臨床研究です。最先端の医学を無料で受けられますよ。お得ですよ。大儲けできるようなものですよ。無償で大儲けできるチャンスです。だから、さあ、この承諾書にサインして下さい」
これはまあ、悪魔や詐欺師が契約書にサインさせ得るときの、常道だ。
で、こういう名案(悪魔的かつ詐欺師的な方法)がある。その名案が、現実には取られている。 (^^);
しかし、このような名案(悪魔的かつ詐欺師的な方法)は、医者にとっては好都合だろうが、国民にとっては好都合とは言えない。
そこで、「人体実験は人体実験であると正直に記す」という方針の上で、「人体実験は死刑囚に対して行う」という方針を、私としては呈示したい。
( ※ これを「非人道的」と呼んで、一般人に人体実験をやるなんて、ひどすぎるよね。そういう悪魔的な方法の方が、よほど非人間的だよね。悪魔は人間じゃないから当然だが。)
[ 付記1 ]
「健康な人間に対してやるのはけしからん」
と思う人もいるだろうが、別に、特に危険な移植実験ではないはずだ。……ここが重要である。
一般に、新薬の副作用を調べるというような実験であれば、副作用が予想されるので、毒物を飲ませるのと同様であり、たしかに非人道的である。
一方、iPS細胞の移植の場合には、患者自身の細胞を移植するだけだ。その場合には、特に危険性はないはずだ。
仮に、ここで危険性があるようであれば、「死刑囚にやるのはけしからん」と騒ぐ前に、「一般の患者にやるのはけしからん」と騒ぐべきだろう。たとえば、「網膜の移植実験はけしからん!」というふうに。
[ 付記2 ]
オマケで言うと、医学的にもメリットがある。
現状では、何らかの疾患のある患者に対して、移植実験をすることになっている。しかし、どうせなら、健康な患者に対して実験をする方がいい。
たとえば、肝臓の移植実験であれば、肝臓が病変している患者よりは、肝臓が健康である死刑囚に対して移植実験をする方がいい。その方が条件はいいから、実験としては適している。
普通の新薬の治験であれば、病人を対象とするべきだが、移植の実験であれば、被験者は健康である方が好ましいのだ。
[ 付記3 ]
本項は「高橋さんの網膜の臨床研究を中止せよ」という趣旨ではない。その件については特に何も論じていない。本項は、個別の臨床研究については言及せず、一般論の形で言及している。
ただ、本項の提案が生かされれば、本来ならば死刑執行されて死んでしまう人の命が、いくつか救われることになる。その方が人命救済の効果があるのだ。
医者、患者、死刑囚、という三人がすべて喜ぶ win-win みたいな関係になる。だからこそ、本項の提案は意味がある。
なお、死刑囚の被害者の遺族は、死刑延期に伴って不満になるかもしれないが、「死刑囚が社会貢献のために自分の体を提供している」と思えば、たぶん喜ぶことになりそうだ。この場合、4人(4方)がすべて喜ぶことになる。
最高のグッド・アイデアかもね。
[ 付記4 ]
「被験者である死刑囚にはメリットがないぞ。病気でもないのにモルモットにされて、メリットがない!」
という反論も来そうだ。だが、とんでもない。最大のメリットがある。それは、
「死刑の執行を延期されて、当分の間、生き続けることができる」
ということだ。つまり「死者」となる人を「生者」にする、という効果だ。これほどにも大きな効果のある新薬は、いまだかつて存在したことがない。
しいて言えば、フランケンシュタインぐらいかな。この場合は、死者をよみがえらせたことになる。 (^^);