最初に来ていた女 後編
ハンスがレインを連れてきたのは、コウシロウの店であった。
二階の個室が、秘密の話し合いにはうってつけなのだ。
すぐ下は厨房、上は急角度の屋根で、上からも下からも盗聴する事が難しい。
その部屋に行くには専用の廊下を歩く必要があり、床は歩くと鳥の鳴くような音が出る特殊な構造になっている。
部屋に近づこうとすれば、室内の人間にはすぐにわかるようになっているのだ。
四方の壁のうち、一方はドアがつけられ、他三方はガラス窓になっていた。
すべて分厚いカーテンがかけられているのだが、開ければ周囲を見渡す事が出来る。
窓側は見通しのいい通りになっているので、追跡者や襲撃を発見するのに都合がいい。
外見はごく普通の個室ではあるが、実は秘密の会話に実に都合のいい部屋なのだ。
「なぜこんな地方の街にこんな部屋が?」
「どんな街にも、こういう部屋の一つや二つ必要だ、という事だそうだ。食い物屋の主人としては用意しなければならないものなのだそうだが」
レインに問われ、ハンスはそう返す。
もっとも、本気でそれをそのまま信じているわけではない。
ハンスはコウシロウに、戦場にいた者特有の匂いの様なものを感じていた。
ケンイチ、キョウジ、ミツバからは、感じ取れなかったものである。
キョウジによれば、日本という国はここ数十年戦場にはなったことがないという。
コウシロウぐらいの年齢であれば、その時に徴兵されていたのではないか、という話ではあった。
だが、ハンスが感じたそれは、そんな昔のものではない。
ごくごく最近までそういった世界に身を置いていた気配を、ハンスはコウシロウから感じていたのだ。
それも、兵士の様な表だったものではなく、裏の、いわゆる暗殺者の様なものを。
もちろん、コウシロウに確認を取ったわけではない。
それでもハンスは、それを確信していた。
そういった匂いを嗅ぎつけ相手を選別できないようでは、貴族も騎士も勤まらない。
「まあ、それはいい。とりあえずお前がわざわざここに来た理由を聞かせてもらえるか」
「はっ。ですが、その、ソレは……」
至極言いにくそうに、レインはハンスの隣に座っている人物に目を向けた。
片手にスプーンを装備したソレは、至極真面目な顔で反対側の手に装備した山盛りチャーハンを食べている。
そう。
それというのは、ミツバの事である。
ハンスはちらりとミツバのほうを見ると、わずかに眉間にしわを寄せレインのほうへと視線を戻す。
「コレか。気にするな。害はない。それに、一応私の従者だ」
ハンスもなかなかの物言いだった。
ある意味、ミツバの扱い方がわかってきているといえるかも知れない。
実際、ミツバは一切気にした様子も無くチャーハンをむさぼっている。
レインはなんともいえない表情でそれを見ていたが、ハンスが気にするなというのであれば是非も無い。
「わかりました」
そういうと、レインは自分がここにきた理由について話し始めた。
本当はハンスの従者というおいしいポジションにいるというミツバの眉間に剣のひとつも突きたててやりたかったが、ぐっと我慢だ。
時々想いが暴走することもあるが、基本的にレインは我慢ができる女なのである。
まずレインが話し始めたのは、隣国が最近確立したという技術についてだった。
それは、魔獣を飼いならし、戦闘に参加させるためのものであるという。
この世界では、魔獣と呼ばれるような強力な獣は、人間が飼いならすことができないというのが常識であった。
熊や像などのような「猛獣」であるならともかく、「魔獣」は捕獲にすら多大な危険がつきまとう。
何しろ魔獣は、剣や槍をはじき、一瞬で人間をひき肉に変えるような文字通りの化け物なのだ。
捕まえて調教しようとすれば、いったいどれだけ犠牲が出るか知れたものではない。
にもかかわらず、隣国はそれを戦争で使えるレベルでの調教に成功したというのである。
戦場というのは、大きな音と生物の熱気の坩堝だ。
その中では人間でさえ、ともすれば正気を失ってしまう。
調教が甘かったり、特に臆病であれば、馬でさえ人間の制御を離れてしまうことがある。
そんな場所で、人間の言うことを聞き、敵を襲う魔獣を作ることに成功したのだというのだ。
魔獣というのは、強力な固体になればその討伐のためだけに軍が派遣されるような化け物である。
弱いものでさえ、戦いになれた兵士が動く必要がある相手なのだ。
それを戦争に、手ごまとして使えるようになったという。
もしそれが事実だとすれば、戦場は一変するだろう。
国同士のパワーバランスは、一気に崩壊することになる。
話を聞いたハンスは、眉間に深いしわを寄せてうなり声を上げた。
「魔獣の種類にも寄るが恐ろしい話だな。何が使われているかわかっているのか?」
「はい。大鳥、雷角、そして鎧熊です」
「なに?」
ハンスの表情が一気に変わった。
大鳥という魔獣は、人を乗せて飛ぶことができるほど巨大な鳥のことである。
これは、とある遠方の国が飼育するすべを持っており、小国ながら強い発言力を持つ原因にもなっている魔獣だ。
その移動力や偵察能力はすさまじいものではあるが、すでにひとつの国が飼育するすべを持っている魔獣である。
いつかどこかの国が、それを再現するだろうとは言われてきていた。
問題は残りの二匹である。
雷角とは、大型の四つ脚の獣で、額から伸びる一本の鋭い角が特徴の魔獣だ。
大きさは人と同じかそれ以下なのだが、体がとても重く、その割に突撃力に優れている。
何より恐ろしいのは、その角から発する魔法であった。
あまり連発はできないものの、指向性のある雷を放つ事ができるのだ。
人間十人分にもなるという体重から繰り出される、鋭い角を要しての体当たり。
そして、必殺といっていい雷の魔法。
どれをとっても、十二分に脅威になる。
鎧熊は、鋼の鎧をまとった熊のような姿をした、大型の魔獣だ。
後ろ足二本で立ち上がったその身の丈は、3mを超える。
その体はひたすらに硬く、剣も槍も受け付けない。
ご丁寧なことに、目や耳などといった急所になりそうなところも硬い殻に覆われており、簡単には貫けなくなっている。
もちろん力も強く、その腕力は人一人をたやすく叩き潰すほどだ。
討伐隊が組まれても、その中に飛び込んで腕を振り回すだけで壊滅させることもある、魔獣の代表のような化け物である。
「ただ、まだ個体数は確保できていないとのことです。あちらが言っているのが十数匹。密偵に寄れば、三十匹程度ずつだそうです」
「三十か……。恐ろしいな。だが、魔術師を動員する戦場でならば、どうにかならん数ではない、か」
魔獣が剣や槍、弓矢を通さない体を持っていたとしても、人間にもそれを倒しきる力は持っているのだ。
そう、魔法である。
破壊力のある飛び道具系の魔法使いは、数も少なく育成も難しい。
それでも国家レベルでいえば、数百人単位でいるものである。
国の戦力を傾ける戦争においてであれば、まだどうにかできるレベルであるだろう。
だがそれは、「まだどうにかできる」ということでしかない。
途轍もない脅威であるということには、変わりないのだ。
「問題は、その魔獣が盗まれたらしい、ということです」
レインがいうには、隣国はせっかく育てたその魔獣を、盗まれたというのだ。
ご丁寧なことに、各種族数匹ずつを。
すでにその魔獣の管理を任されていた貴族のうち数名が、処分されたということらしい。
その貴族の名前を聞き、ハンスは深いため息をついた。
「なるほど売国奴を斬ったか。ついでに魔獣を使った実戦のテストでもするつもりか」
「さすがハンス様です」
ハンスの言葉に、レインはわずかだけうれしそうな声を出す。
その勘が鈍っていなかったことが、うれしかったのだ。
処分されたという貴族は、ハンス達の国に情報を売っている連中であったのである。
貧乏貴族でたいした情報も持っていないのだが、かき集めれば多少役に立つこともあるのだ。
普通ならば情報提供者の名前など知らないのだろうが、ハンスは元王宮勤めの大貴族の出身者である。
それらの売国奴を実家が利用して、ハンスが手柄を立てたこともあるので、いくらか名前も聞いたことがあったのだ。
そんな連中が、魔獣の管理などという大きな仕事を任されているというのが、先ずおかしい。
国家の一大事業であるだろうから、もっと位の高い貴族がつくはずである。
魔獣を盗まれたというのも実に怪しい話だ。
おそらく貴族の首を切る口実だろう。
そうすることに対する利点は、裏切り者の排除だけではない。
「盗まれた魔獣はどこぞの誰かが、勝手にどこかの国の村でも襲うのに使うのだろうな」
「どこで何を襲おうが、盗まれたものであるからあずかり知らぬ。そういうことでしょう」
どんなすばらしい新兵器でも、その正確な性能がわからなければ戦争で安心して使うことなど出来ない。
だが、実戦で使わなければ武器の性能などわからないものだ。
どの程度のことが出来るのか、どんな状態でなら正確に動くか、どの程度まで使えるか、どの程度の破壊力があるのか。
それを確かめていない開発したての武器など、兵士は怖くて戦場で使えないし、作戦を立てる側にしても不安で使わせることなど出来ない。
だからといって、実戦で使わなければ性能はわからない。
実験で人形などを相手に使えばある程度の事はわかるが、本当に必要な情報は実際の戦いの中でしかわからないのだ。
兵士や指揮官が欲しがる性能情報というのは、そう言う実戦の中で集めるしかないものなのである。
となれば、誰かが実際にその武器を使い、情報を集めるしかない。
戦争中であれば、そういったことは比較的簡単にすることが出来る。
適当な部隊に「実験部隊」と名前をつけて新兵器を持たせ、前線に送り込めばよいのだ。
しかし、隣国は現在それがしたくてもできない状況にあった。
戦争している相手がいないのだ。
戦おうにも戦う相手がいないのでは話にならない。
だが、テストは必要だ。
それをしなければ、どんなにすごい新兵器でも役にはたたない。
おそらく、隣国の魔獣もそんな状態であったのだろう。
どうにかしてテストはしたい。
しかし、相手がいない。
まさか新しい兵器のテストがしたいがために、戦争を起こすというわけにもいかないだろう。
そんな悩みを解決する策として、この世界でよく使われている方法がある。
新兵器を盗まれたことにして、それを使い他国の町や村を襲わせるのだ。
事前に盗まれたと公言し、周りの国々に注意喚起をしておけば、罪に問われることも無い。
確かに不始末ではあるが、頭を下げて僅かなお詫びをすれば終わる話である。
わざわざ戦争を吹っかけなくても兵器のテストが出来るし、場合によっては相手国の町や村から奪った金品で「お詫び」をすればよい。
武器の情報も集積できるし、実戦テストも出来る。
そしてあわよくば、ちょっとした小遣いまで手に入るのだ。
頭を下げて、多少立場を悪くするが、それを補えるだけの価値はある策であるといえるだろう。
勿論、やりすぎれば戦争の火種になってしまうので、ほどほどにしておくのが肝心ではあるだろうが。
「テストをするための盗難騒ぎをでっち上げるついでに、売国奴を吊るし上げ別件で首を切る。そして、それを言外の圧力にして、ついでにわが国で新兵器である魔獣を試そう。といったところか?」
「はい。ご丁寧に魔獣を盗んだ一団が我が国に向かったという情報も流してきました。王都のお偉方は、この件は下手につつきまわさず、そのように処理しよう、と、決定したようです」
「そうなるだろうな。魔獣の実験場に我が国を選んだのは、十中八九貴族を買収していたこちらへの牽制だろう。そのことを大義名分にして戦争を仕掛けられたくなければ、おとなしく実験に付き合え、か」
「中央の大貴族様方は大層お怒りでしたが。何しろ普段ご自分達がなされているようなことですから」
「どちらの面の皮も厚い。もっともそのぐらいでなければ国など動かせんのだろう。私にはついて行けん」
ハンス達の国は、前の戦の戦勝国である。
大国なのもあって、隣国にはずいぶんと嫌がらせめいた事をしてきた。
おそらく今回のことは、その意趣返しもかねているのだろう。
情報を売っていたものを吊るし上げ、新兵器を見せ付けつつ、その情報を収集する。
なかなかに気の利いた仕返しだと、ハンスは思った。
これを思いつき根回しをし、実行してのけたやつを賞賛したいところだ。
勿論、対象が自国でないのなら、ではあるが。
「それで、実験場に選ばれたのがこの街という事か」
「この街は隣国との国境沿いの町ではありますが、山と森に囲まれ簡単に近づくことはできず、大軍を差し向けることができません。ですので戦略的価値は皆無です」
「住んでいる身としてそういわれるといささか悲しくはあるな。だが、陸の孤島のようなその環境がこの街を守っているはずだ。なぜわざわざこんなところを選んだんだ? 通例どおりなら大街道沿いの村になるはずだろう」
大きな道沿いのほうが撤退もしやすく、兵器の運搬もしやすい。
情報を収集するという目的から考えても、こんな辺境を襲う必要は無いだろう。
状況を見た兵士を生きて生還させる必要を考えても、効果は薄いと思われる。
何しろ隣国にしてもハンスの国にしても、このあたりの山と森には手を焼いているのだ。
多数の魔獣が住み着いているため、下手に手を出すこともできない。
山と森を抜けてくる敵がいないのも、開拓村がほとんど無いのも、その魔獣の存在があるからである。
この街にしても、奇跡的に魔獣が少ない場所を見つけることができたからこそ、作ることができたのだ。
そこまで考えて、ハンスの頭の中であることがつながった。
そのせいか、ますます眉間のしわが深くなる。
「確か、ここから山を挟んだ隣国側の森では、大鳥と雷角、鎧熊がもっとも危険とされる魔獣だったな。連中はそこにいる魔獣を飼いならした、ということか?」
「はい。そのとおりです」
「であれば、今まで開くことができなかった森を切り開き、山のふもと近くに拠点を作ることもできる、か。むしろそういった場所のほうが魔獣の飼育もしやすい」
「お察しのとおり、斥候がそのような場所を発見しております。」
レインの言葉に、ハンスは深くため息をついた。
自分の守る街の近くの山の反対側に、敵国の軍事施設がある。
実にぞっとしない状況だ。
「山は険しい上に、魔獣も多い、一直線に乗り越えてこの街にこれるとは思えないが、気持ちが悪いのに変わりは無いな」
山は街とその周りにある農村を囲むように連なっているため、すぐさまどうこうなることはまず有り得ないだろう。
道を作るのしても、山をまたぐ軍隊が通れるものを作るなど年単位で時間がかかる国家事業だ。
「盗んだ場所の一番近くなる街を襲う、という筋書きか。それにしても山をひとつ越えるのは無理が無いか?」
「逃げた方向がたまたまそちらであったということにするようです。ですが、大鳥はともかく雷角と鎧熊に山を越えさせるのはかなり苦労しているようです」
「どうせ大鳥は情報収集をさせたら撤退をさせるのだろうが、それにしてもほかの魔獣が大変だろうに」
「確かにそうですが、ここはロックハンマー侯爵の所領でもあります。狙う価値は十二分にあるでしょう」
ロックハンマー侯爵家は、この国で二番目の勢力を誇る貴族の名門だ。
武闘派の名門ということもあり、抱えている兵士の練度もかなり高い。
実験相手にはちょうどいいだろう。
「ロックハンマー侯爵がここにいらっしゃるのは、それを迎え撃つため、か。確かにこの周囲一帯で拠点にできそうなのはこの街だけだからな。しかし、何でわざわざご本人がいらっしゃるんだ?」
「直接会ってお聞きしたのですが、はぐらかされました。あの方のお考えは、私にはお察しできません」
「まあ、仕方ないだろうな。あの方は貴族としても珍しいお考えをお持ちのお方だ。それで、お前のほうは中央の命令で遠話要員といったところか? お前がいればこういった伝令を出しにくい場所ならば戦いやすいし、何よりもすばやく中央へ情報が送れるからな」
「お察しのとおりです。団長に鍛え上げられら遠話魔法は、今も健在です」
「ずいぶん無理をさせたからな」
「おかげで、王都での仕事が楽で仕方がありません。体がなまるかと思っておりましたが、今回のことで勘を取り戻すことができそうです」
ほとんど表情を変えず軽口をたたきながら、レインは感動にもだえ転がりそうになっていた。
ハンス・スエラーは、やはり昔と少しも変わっていない。
状況を読む力も、知識も。
この方はこんな辺境で駐在所にこもっているような方ではない。
もっと大きな、国の中心でその手腕を振るうべき方なのだ。
「敵の到着予測と、ロックハンマー侯爵がいらっしゃるまでの時間は?」
「現在山を踏破しているところらしく、まだ十日前後かかるだろうとのことです。侯爵様がご到着されるのは、三日後の予定です。正確な情報が必要でしたら、護衛についている兵士に聞いてみますが」
そういうと、レインは自分のこめかみを指でつついた。
遠話を意味するジェスチャーだ。
ハンスは首を振ると、椅子から立ち上がる。
「いや、それだけわかれば十分だ。糧秣と兵士達の寝泊りする場所の確保が必要だな。さすがに宿屋にすべての兵士が泊まるのは無理だから、拠点設営準備をしているだろう?」
「はい。ロックハンマー侯爵様も専用の天幕にお泊りになられる予定です。ただ、食料はある程度こちらでも準備していただけると助かります。勿論、ある程度は持ってきていますが」
「侯爵の食道楽は有名だからな。この街の旨い物を食べて頂こう。勿論、兵士達にもな。戦の前の腹ごしらえは何より大事だ」
「私にも出来る事があればお手伝いさせてください」
「ああ、こき使わせてもらおう。まずは、これだな」
ハンスが指差したのは、自分の隣に座っていたミツバであった。
手に持っていたチャーハンの皿は、すっかりさらげられている。
そして、そのまま固まっていた。
不思議に思い、レインはミツバの顔を覗き込んだ。
そして、思わずといった様子でうめき声を上げる。
ミツバはチャーハンの乗っていた皿とスプーンをつかみ、椅子に座ったまま白目を向いて気絶していたのだ。
「こ、これは……」
「ミツバは難しい話を聞くと気絶するんだ。普段ならそうなる前に逃げ出すんだが、飯に夢中になっていると逃げるのを忘れるんだ。だが、ダメージが無いわけではない。ある一程度を超えると、こうして飯を食い続けながら気絶するわけだ」
「そんなバカな……」
表情を引きつらせながら、つぶやくレイン。
だが、それを否定するように、ミツバのスプーンを持った手が動いた。
すでに皿の上からなくなっているチャーハンにスプーンを突っ込み、口へと運ぶ。
白目をむいて、明らかに気絶しているのにもかかわらず、だ。
「な。大丈夫だっただろう? とりあえず、運ぶのを手伝って貰うのが最初の仕事だな」
どうやらミツバの扱いには、だいぶ慣れているらしい。
レインも表情を引きつらせながらも、コクリとうなずいた。
たとえ自らが最も苦手とするものの中にいたとしても、それが自分の意識を刈り取るほどのものだったとしても。
一切己を曲げず、貫き通す。
ミツバは最近珍しい骨のある女の子なのである。
本人が来ることは極稀であるとはいえ、ロックハンマー侯爵は紛れも無く街の領主である。
その人がわざわざ盗賊を成敗しに来て下さるとなれば、街は上へ下への大騒ぎだ。
まず、平坦な空き地に大量の人が投入された。
小石などを拾うためだ。
この街には、大量の兵士を止める宿泊施設など皆無である。
となれば、討伐にやってくる兵士達は空き地に天幕、つまるところテントを張って生活することになるのだ。
テントを張るとき、地面に石があると非常に寝心地が悪い。
彼らは事前にそれを取り除こうとしているのだ。
地味な仕事だが、快適な寝床は疲労を蓄積されないために非常に重要である。
勿論、食料の調達も行われた。
とはいえ侯爵が到着するまで、三日しかない。
採取だけで一週間もかかるような珍しい食品は、用意することが出来なかった。
となれば、手近なもので用意するしかない。
それぞれの農村の特産物が、大急ぎで街に集められた。
ハチミツ、栽培されたキノコ、新鮮な野菜。
とにかく様々なものが集められた。
これを運ぶのに駆り出されたのは、自衛隊の面々であった。
農村から街へとこれらの荷物を運ぶだけでも、大変な力仕事である。
農民は畑仕事などもあるので、運ぶだけにかかりきりになれないのだ。
その点自衛隊の面々ならば、運ぶことに集中できる。
それでも、運ばれる荷物の量はかなりの量で、自衛隊員たちはほぼ休み無しで走り回ることになった。
この忙しさは、当然ケンイチの牧場にも波及していた。
何せこの街の近くで安定して肉を生産しているのは、ケンイチの牧場しかないのだ。
まして魔獣の肉や乳、卵となれば、大変な珍品である。
この街では十数ヶ月で当然のように消費されるようになってはいたが、それはケンイチの能力があればこそだ。
普通は滅多に手に入るものではない。
きっと侯爵も喜ぶだろうと、大量に用意されることになったのである。
焼いて食べるような生肉は勿論、兵士達が食べるためのソーセージやヨーグルト、チーズから干し肉などの加工品まで。
あらゆるものが用意された。
生肉といっても、その日に解体してその日に食べればいいというものではない。
ある程度寝かせる熟成が必要なこともあり、牧場に直結している加工場は、不眠不休の大忙しだ。
一番張り切って働いているのは、ケンイチであった。
侯爵は現在、ハンスの直属の上司であると聞きつけたのが原因だ。
日ごろ世話になっているハンスに恥はかかせられないと、とてつもない情熱を持って食料の準備を始めたのである。
とはいえ、牧場内で用意できる肉には限界があった。
そこでケンイチは、驚くべき行動に出たのである。
普段牧場を守っている狼魔獣に、狩の指示を出したのだ。
狼型の魔獣は、普段は牧場の周りを警備したり、自衛隊の面々を載せて移動などだけを行っていた。
森で魔獣を狩ることもあったが、それはあくまで狼魔獣達が自分達が食べる分だけである。
しかし、狼達の狩猟能力は絶大だ。
単体でも強い彼らだが、集団での狩をする能力の高さもあいまって、このあたりの森ではかなり強い魔獣に分類されていた。
そこに自衛隊の面々も加えて、食肉調達狩猟部隊を結成、肉の調達のための狩りを決行したのである。
結果的に言えば、狩りは大成功だった。
大量の肉が確保され、加工へと回される事になったのである。
この二次効果として、周辺の魔獣の減少も見込まれていたのだが、そうはうまくいかないようであった。
そもそもこの街がある周りの森や山は、人間が住んでいる地域よりもよほど広いのだ。
現在開けている街は農村に魔獣が降りてくることはほとんど無いのだが、その周りの森は別である。
いくら大規模な狩を行ったとはいえ、回復はあっという間であるらしい。
野菜や肉、その他食料の準備が進められる中、街の集会場では会議が開かれていた。
集まっているのはハンスのほか、街の主だった顔役達である。
極稀にとはいえ、ロックハンマー侯爵は数年に一度はこの街にやってきていた。
視察のためである。
そのときの対応ならばある程度慣れている街の面々だったが、今回は事情がまるで違った。
どこかからやってくるという盗賊を、領主自ら倒すために兵隊を率いてやってくるというのだ。
陸の孤島である土地柄、この街には未だかつて軍と呼べるような規模の兵隊がやってきたことが無かった。
そのため、誰も何を用意したらいいかわからなかったのである。
そこで、こういう事柄に詳しそうなハンスに、色々聞いてみようということになったのだ。
ちなみに、ハンスは町の人々に対して、今回の件はあくまでただの強盗の襲撃であると説明していた。
新兵器がどうのこうのという事情は、あくまで国の事情で、極秘扱いなのだ。
集まった面子は、鍛冶屋、大工、雑貨屋、そして、コウシロウである。
そこでまず出されたのは、大量の矢と、土木工事、薬や包帯の発注であった。
矢は消耗品であるので、いくら用意しておいても邪魔になるということはまず無い。
いざというとき足りないよりも、作りすぎておいたほうが万倍安心である。
土木工事の内容は、主に整地であった。
テントを張るとき、地面がでこぼこでない様にして欲しいという内容だ。
普通は軍隊が自分達で勝手にする仕事なのだが、今回はことがことだけに時間が惜しいとハンスは考えたのである。
薬や包帯は、当然言うまでもなく戦闘のための準備だ。
怪我をするかもしれないのは、何も兵士だけではない。
襲われるのが町である以上、一般人に犠牲が出ないとも限らないのだ。
この街は小さいので、店は小さな商会がいくつかあるきりである。
何をするにも皆その店いくことになるので、商人たちはこれからの忙しさを考え真っ青になっていた。
ここで大儲けが出来るとほくそ笑む様な商売っ気の多い商人ならば、こんな辺境で商売なんてしていないのである。
そこまで話したところで、ハンスは彼らにもうひとつ、大きな仕事を依頼した。
それは、農民達の避難場所の建設である。
いぶかしむ彼らに、ハンスは僅かに表情を険しくして説明した。
「兵隊が駐留するのは、あくまでこの街です。周囲の村も警戒することになるとは思いますが、いつ敵が来るかわからない以上、危険であることは間違いありません。ですので、この街よりも国境、山寄りにある農村の方には、全員街に避難していただこうと思います」
「そんな……農村の衆に村を捨てろって言うんですか?!」
「いや、落ち着けバカ。避難だって言ってるだろ。盗賊さえ追っ払うなり殺すなりすれば、また安心して暮らせるんだ」
「そうそう。無理に村に残って死んじまったらどうしようもねぇだろバーカ」
「バカバカいうなっ! そうか。そうだよな、戦いに巻き込まれたらどうなるかわからないんだもんな……」
「申し訳ない。だが、畑や建物への被害は最小限になるはずです。そうなるよう、戦うことになっています。皆さんにお願いしたいのは、避難場所の設置です」
「農村の衆を迎え入れる場所か。なるほど。空き地を整備してるのはそのためでもあるんですかな」
「はい。この当たりの村は小さいものばかりですから、避難人数はせいぜい百に届くか届かないかでしょう。天幕、もしくはテントのようなものでかまわないので、大急ぎで作っていただきたいんです」
「わかった。任せてくれ。じゃあほかに俺達が聞かなくちゃいけないようなことがなけりゃ、もう行っていいか? 材料の準備もあるし」
「ああ、よろしく頼む。詳しい場所については、後でミツバに連絡させよう」
「ミツバちゃんか! あの子元気だからなぁ!」
笑いながら集会場を出て行く大工達を見送り、ハンスは小さくため息をついた。
一息つきたいところだが、仕事はまだまだ山積みだ。
「それから、これは料理が出来る方々にお願いしたいのですが、避難中の農民の方々に炊き出しを用意して頂きたいんです。ことが済むまで、朝夕の二回」
「おお、任せてくれ。と、いいたいところだが。その人数の料理となると、経験がないなぁ」
「大型のなべをかき集めれば準備は出来るだろうが、確かにそれだけの規模となるとな」
小さな街である。
祭りのときでさえ、そんなに大量に長期間食料を作るということは無いだろう。
ここで手を上げたのは、コウシロウであった。
「国では、ずっとコックをしていましてねぇ。炊き出しなども経験がありますし、お役に立てると思いますよ。勿論、材料さえあればですが」
「おお! そりゃ心強い!」
「そういえば、ニホンという国は大都会ばっかりだって言ってたな! コウシロウさんは従軍経験もあって、食事を大量に作るのにも慣れてるっていってたし!」
「では、コウシロウさん。そちらの舵取りはお願いできますか?」
「はいはい。老骨に鞭打ちましょう。困ったときはお互い様ですからねぇ」
「コウシロウさん、今は若くなってるじゃないですか」
「その面魂で老骨なんていわれたら、俺ら出がらしだぜ」
一人のコックの言葉に、どっと笑いが起こった。
魔法があるこの世界では、若返りや外見の変化は間々あることなのだ。
特にこの街のような辺境では、そのぐらいで驚いていては生きてはいけないのである。
この後こまごまとしたことをつめたところで、会議は解散となった。
皆がそれぞれの仕事場へと戻る中、ハンスはコウシロウを呼び止める。
「コウシロウさん。後でお話がありますので、店を借りていいでしょうか。ほかのニホン人の連中にも集まってもらう予定なんですが」
「はぁ。私達に話し、ですか」
「ええ。まあ、内容はおおよそお察しのとおりです」
ニコニコとしたコウシロウの顔が、僅かに真剣なものへと変わった。
だが、その表情はすぐに消え去り、いつもの笑顔に戻る。
「わかりました。少しよるところと、炊き出しの打ち合わせがありますので。それが終わってからになってしまいますが。よろしいですかねぇ?」
「かまいません」
「では、日が暮れるころにでもお越しください。食事でも用意しておきますからねぇ」
そういうと、コウシロウはぺこりと頭を下げた。
ハンスもそれに習い、軽く会釈を返す。
しばらく歩き去っていくコウシロウの背中を見つめていたハンスだったが、ひとつため息をつききびすを返した。
やることはまだまだ山のように残っているのだ。
炊き出しにかかわる料理人達の話し合いを終えたコウシロウは、街で一番の腕だといわれている鍛冶師の所へやってきていた。
頼んでいたものを引き取りにきたのである。
「こんにちは。例のやつ、完成したと聞いたんですが」
「おお。あんたか。上がってるぞ」
コウシロウを出迎えたのは、まるでビア樽のような体系をした男であった。
ドワーフ族のその人物こそが、コウシロウがある品物を発注した鍛冶師である。
鍛冶師はそれまで打っていた鉄の板を横に置くと、声を出しながら立ち上がった。
「どれ、奥においてあるから、ついて来い」
「おや。今しがたの打っていたのはいいんですか?」
「ありゃ急ぎの仕事じゃねぇよ。矢じりを作り終えたんで、包丁でもと思ってな」
「あっはっはっは。相変わらず仕事が速いですねぇ」
鍛冶師に案内されて向かったのは、奥の物置部屋のような場所であった。
近くにおいてあったランプに火をともすと、部屋が一気に明るくなる。
部屋の中央にテーブルが置かれてあり、そこには二つのものがおかれていた。
ひとつは、金属と木製のパーツが入り交じった、かなり地球のものに近い外見のクロスボウだ。
「前回のやつから、お前さんに言われた所を改造したもんだ。かなり仕上がってはいると思うぞ。注文どおり弓部分は金属の複合板製、滑車も取り付けてる。シンプルな構造になるように気をつけておるから、強度はかなりあるぞ」
言いながら鍛冶師はクロスボウを手に取ると、コウシロウへと手渡した。
慣れた手つきでそれを受け取ると、コウシロウは確かめるようにそれを構える。
「装填はすばやく出来るように、足掛け式にした。取っ手をつけての巻き上げ式は時間がかかるからな。もっとも、どっちもどっちじゃがな」
「いいえ。だいぶ楽になりそうですよ。滑車のおかげで、威力もだいぶ違うでしょうし」
「50までだったら、全身鎧の胴もぶち抜くぞ。あんたの腕なら200離れてても目を狙えるだろう。当てるだけなら300はかたい」
「いやいや。そこまでは無理ですよ」
「よく言うわい。わしも王都で武器職人をしていて引っ込んできた口だが、あんたの腕は異常じゃ。ニホンジンってのはみんなそうなのか? ケンイチといいミツバといい」
ぶつくさと文句を言う鍛冶師に、コウシロウは思わず苦笑をもらした。
人間の限界をかなり逸脱した「千里眼」という能力を身に着けたコウシロウから見ても、ケンイチとミツバ、そしてキョウジの能力は異常だ。
鍛冶師が思わずぼやくのも、大いに共感できる所である。
「いわゆるコンパウンドクロスボウだが。こんなに手の込んだものを作るより、弓の扱いを覚えたほうが早いんじゃないのか?」
「いやぁ。私はこの手のものをずっと使ってきていますからねぇ」
苦笑しながら頭をかくコウシロウに、鍛冶師はあきれたように鼻息を吐き出す。
鍛冶師に言わせれば、クロスボウは修練が早いだけで普通の弓より重く連射も利かない武器でしかないのだ。
勿論状況によっては十二分に性能を発揮することが出来るというのも、わかってはいるのだが。
「それで、銃のほうはどうですか?」
テーブルの上に置かれた、もう一つ。
金属の筒と引き金がつけられたそれは、一見して地球の銃のようであった。
いや。
ような、というのは誤りだろう。
実際それは、銃と同じ設計思想で造られた武器なのである。
「爆発力を持つ魔石の欠片を使って、鉄のつぶてを打ち出す、か。まあものにゃぁなったが、獣やら何やらならともかく、こいつぁクロスボウより扱いに困るぜ?」
そういいながら、鍛冶師は銃を手に取った。
この世界に限って言えば、銃というのは一撃必殺の武器にはなりえない。
魔力という力があるこの世界では、地球にはないある法則が存在している。
それは、「魔力を持つものは、同量かそれ以上の魔力を有するものでしか大きなダメージを与えられない」というものだ。
「鉄っつーのは、あんまし魔力を持ってねぇ。人間が持ってりゃそれが伝達して相手を切れるし、矢の先についてりゃ木の魔力が伝達して敵を貫ける」
「鉄自体だけだと、人の肌を貫くのも難しい、でしたっけねぇ。いやぁ、実際私も見てみなければ信じられませんでしたが」
少なくともこの世界では、たとえいくら高速で飛ばそうと、鉄の玉だけで人に怪我を負わせるのは難しいのだ。
せいぜい、人間が殴りつけたのと同じ程度の衝撃を与える程度なのである。
最初にその話を聞いたとき、コウシロウにはとても信じられなかった。
魔法の力が込められた、爆発する粉末は存在した。
それを使った、大砲のような兵器も存在する。
だが、小銃は存在しない。
自分で簡易的な銃を作り、自分を的にして実験して初めて、コウシロウはその理由を実感できたのである。
念のため呼ばれていたキョウジも、その結果には驚いていたものだ。
「あんたの腕があれば確かに打撃武器にはなるだろうが」
鍛冶師から銃を受け取り、コウシロウはゆっくりと構える。
そこから発せられる気配に、鍛冶師は思わず押し黙った。
「確か、魔力を持っているものは瞬間的な衝撃に、その形状を保とうと膜のような物を作る。それを破壊するには、破壊する側もある一定以上の魔力を持つ必要がある、でしたよねぇ」
「ああ。そうだが。まあ、専門家じゃないから詳しくは説明出来ないが」
「たとえばですが。無理やり魔力を詰め込んだ、とても硬い小さなものであれば、これで打ち出して相手を倒すことが出来ませんかねぇ?」
「確かに出来るかもしれんが。そんなもなぁ、金のかかる物ばかりだぞ。宝石だぁ魔石だぁ、そんなもんばっかりじゃぞ」
難しそうな顔をする鍛冶師に、コウシロウは考え込むようにあごに手を当てる。
そして、にっこりと笑顔を作った。
「いくつか用意していただけますか? どんな種類のものがあるか試してみたいので、なるべく種類も多くがいいですねぇ」
「出来なかぁないが、それで打つサイズなら一発で剣一本買えるぞ」
「命の値段と思えば、安いもんですよ」
そういうと、コウシロウはあっけらかんとした顔で笑う。
そんな様子を見て、鍛冶師はあきれたようなため息をつくのだった。
侯爵が来るための準備に忙しいとはいえ、夜になってしまえば作業は中断せざるを得なかった。
何しろ明りを確保する手段がほとんどないのだ。
都会であれば、魔力のこもった石などを使った街灯設備や、大掛かりな照明装置も準備できるだろう。
だが、地方都市であるこの街にそんなものはない。
そもそも普段は日が昇ったら起きだして、日が沈んだら寝るという生活をしているような街である。
街灯をつくろうとか、照明装置を購入しようとか、そういう発想自体が今までなかったのだ。
それぞれ忙しく働いていた日本出身者達も一息つけたのは、夜になってからだった。
そのことを予測していたのだろう。
ハンスが待ち合わせに指定した時間は、日が沈んでから少し経った頃だった。
「ったくこれが冬とかでなくてまじよかったなぁ。雪とか降ってたら狩りなんてできねぇーっつの」
「まあ、雪があったら相手も山を越えようとは思わないんじゃないですか? 雪山を行軍しながら越えるなんて自殺行為ですよ」
先に到着したケンイチとキョウジは、お茶をすすりながらだべっていた。
二人とも、方向性は違うが一日大忙しだった。
ケンイチは、肉の準備。
キョウジは、人の動きが激しくなれば当然出てくる、けが人への対応だ。
転んで膝を擦りむいた程度ならまだしも、はしごから落ちて骨を折ったりするものも出てきたりして、なかなか忙しかったのである。
「しっかしあれだな。回復魔法ってそんな使いまくってつかれねぇもんなんか?」
「さすがに大怪我だったり人数が多かったりすると疲れますけどね。たとえば動けなくなるほど疲れたーってことは、今まで一度もないですね。そういえば」
「はぁー。魔法ってそういうもんなのか? お前が特別なん?」
「一応調べてみたら魔力の量によって違うみたいですよ? 筋肉みたいなもんらしいですけど。法則はある程度見つけましたけど、聞きます?」
「聞かねぇ。わかんねぇし」
「ですよね」
キョウジの言葉に、二人は実に面白そうに笑いあった。
一見するとタイプの違う二人だが、この世界に来てからは二人三脚でやってきたのだ。
この世界に来た日本人の中で、もっとも長く一緒にいたのがこの二人である。
それぞれが生活の基盤である仕事を持つ時、協力し合いやってきた。
言ってみれば、相棒のような関係だ。
十数ヶ月程度の付き合いではあるが、その密度は日本での十数年にも匹敵するだろう。
二人がたわいもない話をしていると、どたどたと足音が聞こえてくる。
ドアをぶち破るような勢いで部屋に入ってきたのは、両手に料理の乗ったお盆を持ったミツバだ。
その後ろには、同じく料理を持ったコウシロウもいる。
「ごはん持ってきたっすー!」
「お待たせしました。お二人とも疲れたでしょう。精のつくものを用意しましたからねぇ」
コウシロウの言葉通り、皿に盛られたのはボリュームのある肉料理だった。
立ち上ってくる旨そうなにおいに、ケンイチとキョウジの表情が緩む。
「いやぁー、はらへってたんすよぉーマジで! つか、ハンスさん来たんすか?」
「ええ。下でお酒を選んでいますよ」
「あの人酒にはこだわるからなぁ」
「お酒って言うか、ワインですけどね。やっぱり貴族さんは違いますよね。僕はお酒飲めないですけど」
「自分はお酒飲みたいのに飲ませてくれないっす!」
「ミツバちゃんまだ未成年でしょ……」
「ここは日本じゃないからそんなのかんけーねぇーっす!!」
がやがやと騒いでいると、再び廊下を歩く音が聞こえてきた。
規則正しいメトロノームのようなその足音は、部屋にいる全員が聞き覚えのあるものだ。
だが、そこにもう一つ、足音がついてきている。
「すまん。遅くなった」
部屋に入ってきたのは、やはりハンスであった。
その後ろにいたもう一つの足音の主は、レインである。
「おお。おつかれっす」
「ハンス隊長! 自分も酒飲みたいっす!」
「お前は暴れそうだから駄目だ」
絡んでくるミツバをばっさり斬り捨て、ハンスは手にしていた酒瓶をテーブルの上に乗せる。
レインは部屋に入る瞬間、ほんの僅かだけためらうような仕草を見せた。
だが、それも一瞬のことで、すぐに何事もなかったように部屋へと足を踏み入れる。
「その方が、ハンスさんが時々言ってたレインさんですか?」
四人の日本出身者のうち、直接レインを見たことがないのはキョウジだけだった。
ハンスの後ろに立つレインを見て、キョウジは感心したような声を出しながらうなずく。
「ああ。件の元部下だ。もっとも、今ではレインのほうが上司だがな」
「地方左遷のつらいところっすねぇー」
「まあ、それを言うな。とりあえず紹介しておこう。ミツバは知っていると思うが、私の元部下で、今回の襲撃を対応するために王都から来た、レイン・ボルトだ」
「はじめまして」
「彼女は特殊な魔法の使い手で、遠くにいる人間と会話を可能にする遠話という能力を持っている」
「ハンス様……?」
ハンスがこともなげに言った言葉に、レインは僅かに表情を変えた。
普段ほとんど動揺を見せない彼女が人前で顔色を変えるのは、とても珍しい。
それだけ、ハンスの言葉に驚いたのだ。
レインの能力は、とても特殊で国の軍事にかかわるものである。
何せ無線機などのないこの世界で、唯一といっていいタイムラグ無しでの通信を可能にする能力なのだ。
それだけに、その所有者は基本的には機密扱いになってる。
開示していいのは、同じ軍事関係者か、共闘関係にある相手だけだ。
一瞬だけハンスの行動に疑問を抱くレインだったが、はっと自分の行動を後悔する。
よりにもよって、ハンスの行動に疑問を抱くとは。
レインにとってそれは、太陽に向かってドロップキックを決めるような愚行である。
今夜は寝る前に最低でも一時間は正座で一人反省会をしなくて、と、レインは心の中で決意した。
そんなレインの言葉を、機密を漏らしたことに対する非難であるととったハンスは、僅かに苦笑をもらす。
もっとも、ハンス自身は非難されるのは当たり前だとは思っていたのだが。
「この四人は、それぞれお前と並ぶか、それ以上の特殊な能力を有している。今回の件では彼らにも力を貸してもらおうと思う。いわば協力者だ」
「協力者、ですか」
「そうだ。まず、ヨシダ・ケンイチ。彼は魔獣に対して絶大な力を発揮するとともに、それを使役する能力を有している。すでに複数の魔獣を飼いならし、支配下に置いている」
「うっす。確か詰め所で一回おあいしてたっすよねぇ」
言いながら、ケンイチは軽く手を上げて挨拶をする。
確かに、ケンイチはレインの印象に強く残っていた。
この世界には彼ほどがっちがちに決めたリーゼント頭は存在しないからだ。
だが、それ以上に彼が有している能力に、レインは大いに驚いた。
それはそうだろう。
魔獣を使役するという能力は、今回大問題になっていることに直結した、それこそ軍事バランスをひっくり返すようなものなのだ。
「ケンイチの能力は口で説明するより目で見たほうが早い。後で牧場に案内してくれ」
「いっすよ。狼どもも帰ってきてるっすし」
「次に、スドウ・キョウジ。回復魔法の使い手だ。その気になれば古傷だろうが欠損部位だろうが病だろうが毒だろうが消し去る、常識を逸脱した回復魔法力を有している。戦場に一人いれば、生存率は桁違いに上がる」
「いや、いいすぎですよ」
照れるように苦笑しながら、キョウジは頭をかいた。
これもレインにとっては、信じがたい話である。
病気やある程度の怪我ならばともかく、失った部位を回復したり、体に刻み込まれた傷を回復するなどというのは、もはや伝説の中で語られるような魔法だ。
そんなものが実在するなら、もはや軽い奇跡である。
「ミナギシ・ミツバは、お前も会っていたな。彼女は超身体能力とか言うものの使い手で、魔法で全力の強化を行った私でも遠く及ばない動体視力、体力、破壊力を持っている」
「その割には組み手でハンス隊長に勝ったことねぇーっす! 理不尽っす!」
「経験が足りんのだ」
レインはハンスに「お前」呼びされた事に歓喜し脳内で転げまわった後、「ハンス団長に勝てるわけないでしょこのガキっ!」とミツバを盛大に罵りまくった。
もちろん、それも脳内での話である。
ハンスの強化魔法は、文字通りこの国でも1、2を争うものだ。
それのハンスが遠く及ばないなど、にわかには信じられるものではない。
だが、レインにとってハンスの言葉は神託と同義だ。
レインは顔には一切出さず、驚愕を持ってミツバを見つめる。
「最後に、フジタ・コウシロウ氏。彼は千里眼の能力者だ。今回は索敵と、狙撃を依頼する予定だ」
「まあ、役に立つかどうかはわかりませんけれどねぇ」
困ったように笑うコウシロウに、レインはなんとなくお年寄りのような印象を受けた。
見た目はまだ若く、どうみてもケンイチと同じが少し上程度なのだが、仕草が若干お年寄りじみているのだ。
千里眼といえば、レインの能力と同じく軍事レベルの特殊能力である。
それを持っているならば、今回のような場合には恐ろしく有効なはずだ。
魔獣を使役する能力に、回復魔法、圧倒的な身体能力、そして、千里眼。
それが事実であれば、ここにいる四人だけでちょっとした軍事力になる。
「ここに、レイン。お前の力があれば、それなりの事はできるだろう。ここは私の街だ。好き勝手はさせん。隣国の連中には、早々にお帰り願おう」
確かに、ここにレインの遠話能力が加われば、それはもう脅威以外の何者でもないだろう。
国防に携わるレインとしては、そんな連中と戦うことなど考えるだけで恐ろしい。
まして、それを指揮するのは、十中八九ハンスということになるだろう。
国防の英雄にして、“魔術師殺し”の異名を持つ元騎士団長、ハンス・スエラーが、である。
そんな集団と戦うものがいるのであれば、レインには哀れみや同情しか感じることが出来ない。
「ハンス様。彼らは一体……」
「ニホンジンだ。まあ、私もよくはわからんのだが。詳しい話は、飯を食いながらでいいだろう」
そういうと、ハンスはワインを手に取り、コルク抜きを突き刺した。
こうして、散々ぱら苦労をかけさせられた世界に対する、ハンスのささやかな反撃は始まったのであった。
もっともそれが、ハンスにとってさらなる受難の種になるろうとは……。
このときはまだ、キョウジがうすうす感づいているぐらいであるのだった。

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