ご老人登場
ハンスの駐在している街は、それはそれは辺鄙なところにある。
周囲には山と森しかなく、他の街へと続く道は一本しか存在していない。
その道によらず別の土地に行こうと思えば、文字通り道なき道を進むことになるという辺鄙っぷりだ。
そんな土地の山の中に突然放り出された日本人三人が無事に人里にたどり着けたのは、ひとえになぜか手にしていた不思議な能力のおかげである。
ケンイチは、魔獣を従える事が出来る「魔獣使い」の能力。
キョウジは、どんな傷も病も癒せる「回復魔法」の能力。
ミツバは、人間の肉体の限界を超越した「超身体能力」。
そして、四人目の日本人、フジタ・コウシロウ老人も、やはり特殊な能力を持ってこの世界にやってきたのだという。
コウシロウ老人への説明と、今後の身の振り方を考えるため、ハンスはとりあえず日本出身者たちを呼び集めた。
四人目とも成れば、もはや対応も慣れたものである。
集まった日本出身者たちは、さっそくこの場所について説明を始めた。
といっても、主にしゃべっているのはキョウジである。
ほかの二人は、頭脳労働よりも肉体労働が得意なのだ。
「まあ、そんなわけで。ここは地球じゃないと思われるんですよ」
「はぁはぁ。なるほどねぇ。ファンタジー映画やなんかの世界に、迷い込んでしまったということですか」
コウシロウ老人へ対する説明は、思いのほかスムーズに進んでいた。
ジャンルを問わずよく映画を見ていたということで、剣と魔法の世界への理解も早かったのだ。
また、そこに迷い込んでしまうという話も映画には時たまある設定だそうで、特に違和感もなく受け入れられたのである。
「こういうのは最近のマンガや小説で多い話なので、あまりお年寄りの方にはなじみがないかと思ったんですが」
「はっはっは。人間の考えることなんて、大昔からあまり変わりませんよ。指輪を火山に捨てに行く話や、迷宮と竜と冒険者たちを描いたゲームやなんかも、それこそ私たちが働き盛りのころに出てきたものですからねぇ」
「なるほど。確かにその通りですね」
「それに、自衛隊の方々や、ケンイチ君の乗ってきた動物やなんかを見ればねぇ。納得するしかないよ」
「あははは」
コウシロウ老人の言葉に、キョウジはひきつった笑いを返すしかなかった。
自衛隊というのは、ミツバがこの街と周辺の村々を守るために組織した団体のことだ。
戦力を持つとハンスの立場が悪くなるということで、「あくまで自己防衛するためだけの団体」ということを強くアピールするために、名付けたものである。
あくまで外敵と戦うための集団であって、他の場所に進行する目的はない防衛のための集団だよ、という訳だ。
もっとも、元ネタである自衛隊が存在しない世界で、その言い分が通るかどうかはわからないが。
さて、ミツバの率いる自衛隊なのだが、その隊員は全員ゴブリンとオークであった。
彼らはハンスに助けられた者たちで、少しでも役に立ちたいと隊員に名乗りを上げたのだ。
コウシロウ老人がハンスのいる駐在所を訪れた時、自衛隊の面々は丁度その前に整列していたのである。
明らかに人間離れしていて、かつ地球には存在しないそのビジュアルは、コウシロウ老人にここが地球でないと理解させるに十分であった。
ケンイチが乗ってきた魔獣も、その理解に一役買っている。
なにせケンイチが乗ってきたのは、人間を背中に乗せて楽々走る事が出来る、角の生えたオオカミだったのだ。
地球にそんな生物がいれば、話題にならないはずがない。
その二つを見た後での、キョウジの説明である。
説得力はかなりのモノだっただろう。
「しっかしあれだなぁ。年配だとこーゆーのはついてけねぇーのかと思ったけどよぉ。コウシロウさんすげぇーなぁー」
「はっはっは。そうだねぇ。暇に飽かして、色々な映画を見たからねぇ」
「つまり、コウシロウさんは元祖オタクってことっすね! キョウジさんの大先輩っす!」
「せんっ?! いや、僕は別にオタクってわけじゃないですよ?!」
ひとまず事情説明が終わった様子だったので、ハンスはとりあえず会話をぶった切ることにした。
この日本出身者たちは、放っておくと延々喋り倒してはしゃぎ倒すのだ。
とりあえず寄ると触ると飲みニケーションを図ろうとするのは、日本人の特徴なのかもしれない。
「んじゃま、とりあえず一杯やっかぁ。キョウジもミツバも未成年だったから、呑めなかったんだよなぁ」
「やめろ。その前に色々と聞かねばならないだろうが」
どこからともなく酒瓶を取り出したケンイチを静止しつつ、ハンスは眉間を指で押さえた。
ハンスもいける口ではあるのだが、今は勤務中なのである。
とりあえず状況説明が終わったので、次はコウシロウ老人に対しての質問だ。
とにかくどんな能力があるかだけでも確認しておかなければ、安心することはできない。
能力を確認するためには、自分にしか見えないという「ステータスウィンドウ」を開かなければならなかった。
他の三人は自力で見つけたらしいのだが、コウシロウ老人はどうやら発見していない様子である。
それでも、キョウジが説明するとすぐに扱いを覚え、内容を確認し始めた。
「いや、なんだかパソコンに似ていますねぇ。これはいよいよ、妙なことになったなぁ」
「コウシロウさん、パソコンつかってたんすか?」
「その年にしちゃ、めずらしーんじゃねぇっすか? 俺も実家の仕事で使ってたぐらいしかつかってねぇんだけど」
「ええ。実はこの年でも、現役で仕事をしていましてねぇ。帳簿やなんかを、パソコンでつけていたんですよ」
「すげぇーっす! 自分なんて学校の授業でやらされた課題も全然出来なかったっす!」
「それはダメなパターンなんじゃ……」
「何やってんだよミツバよぉ。俺なんてアレだぜぇ? 農業高校行くまで中学とかまともにいってねぇーぞ?」
「それもダメですよね?」
三人がそんなことを話している間に、コウシロウ老人はどんどんと頭の中のステータスウィンドウを操作していった。
そして、すぐに目的である「特殊能力」と書かれた項目を発見する。
書かれていた文字を確認し、コウシロウ老人は納得したような声を上げた。
「はぁはぁ。そういうことでしたか」
「ご老人、何という能力だったのですか?」
「どうやら、千里眼のようですねぇ。道理で目がよく見えるわけです」
「なんと。それは……」
コウシロウ老人の言葉を聞き、ハンスは思わず言葉を詰まらせた。
本物であるとわかっている千里眼ほど、恐ろしい能力も少ないだろう。
なにせ何の危険も冒すこともなく、ありとあらゆる情報を手に入れる事が出来るのだ。
戦争中であれば、敵の位置から、敵がとるであろう作戦。
糧秣の量や、敵の規模。
これはアドバンテージなどというレベルの話ではない。
運用如何では、常勝の軍隊を作り上げることもできる、凶悪な能力だ。
「ご老人、いったいどの程度の事が出来るのですか?」
「はい。とりあえず、壁の向こうを見ることはできるようですねぇ。この建物を透かして向こう側も、見る事が出来るようです。それと、上空から地面を見下ろすように見ることもできますねぇ」
「無茶苦茶じゃないですかそれっ! 僕ら三人の能力が霞みますよ?!」
ハンスと同じ結論にたどり着いたのか、キョウジが青ざめた顔で声を上げた。
ケンイチとミツバはいまいちピンと来ないのか、ただ単に「すっげー!」とだけ叫んではしゃいでいる。
「ハンスさん。流石に千里眼て、しかもいまコウシロウさんが言った通りだとしたら、大変なことになりませんか」
「ああ。本国の軍方が黙っていないだろう。情報が伝わって、それを向う方が信じれば、だが」
「あ、そうですね、確かに。この街からでは王城に情報なんていかないでしょうし。無暗に言いふらさなければ、行く危険もないんですよね。ド田舎ですから」
「そうだな。それに、お前たちの件が伝わった様子もない。そもそもからして、お前たち日本人の能力は常識外だからな。私も目の前で見なければ信じなかった」
「日本人がみんなそういう能力があるわけじゃないんですけどね」
日本人についてあらぬ誤解を受けている気がする、キョウジであった。
その後、コウシロウ老人の千里眼の性能を確かめるため、いくつかのテストを行うこととなった。
封筒の中身を透視してみたり、遠くで起こった物事を確認したりなのである。
千里眼の名は伊達ではないらしく、コウシロウ老人はほとんどのことをやってのけた。
出来なかったのは、人間の思考を読むことぐらいである。
そのほかの透視や遠視は、ほぼ完ぺきにやってのけたのだ。
さらに、コウシロウ老人には読唇術の素養もあったらしい。
目で見るだけで相手の言っていることがわかるこの技術のおかげで、コウシロウ老人が拾う事が出来る情報量は飛躍的に上昇していた。
「ていうか、コウシロウさんリアルスキルが高すぎますよ。スパイでもやってたんですか」
「はっはっは。いえ、一時期耳を患いましてねぇ。今は平気なんですが、その時に身に着けたんです」
「な、なるほど。そういうことでしたか」
「商売をやっていますので、手話というわけにもいきませんでしたから」
「商売ですか。ご老人は何を生業にされていたのですか? ここで暮らさなければならない以上、以前なさっていたのと同じ仕事がいいでしょう」
「そうですねぇ。確かにその通りですね。というか、私はそれ以外手に職がないんですよ。ずっと料理人として食っていたものですから」
その言葉に、日本人三人の体が跳ね上がった。
ケンイチは手に持っていた酒瓶を投げ捨て、キョウジは椅子を弾き飛ばし、ミツバはテーブルを吹き飛ばす。
そのあまりの迫力に、歴戦の兵士であるハンスも本気で引いている。
「なぁ、コウシロウさん。まさかとは思うんだけど、みそとかしょうゆの作り方とか、しんねぇー?」
「手作りでいいんす! 代用品でもいいんす!」
「慎重に、慎重に答えてくださいね。こう、大昔に聞きかじったとかで構わないんですよ」
三人の表情は、まさに必死だった。
その様子を見て、ハンスは以前ケンイチが言っていた言葉を思い出した。
日本人はみそとしょうゆさえあればどこででも生きる事が出来る、というものである。
みそとしょうゆというのが何かわからなかったハンスだが、聞いてみるとそれは調味料であるということであった。
それを聞いて、ハンスは大いに納得したものである。
実やこのあたりにも、伝統的な調味料が存在しているのだ。
ハンスもこの街で暮らすようになって初めて知ったものなのだが、今ではそれなしの生活など考えられなかった。
複数の香草を練り合わせて発酵させたものなのだが、初めて食べた時は不気味な味に感じたものである。
しかし、一度味に慣れてしまえば、その独特の風味はハンスの心をわしづかみにしたのだ。
自分から好んだわけでもないのに、そういう食べ物から離れるのはつらいことだろう。
しかし、ここまで激しく反応するものなのだろうか。
ハンスは日本人三人を見て、ひきつった表情でそんなことを考えていた。
そう、ハンスはまだ日本人という生き物をよくわかっていなかったのだ。
自分たちの国にミサイルを撃ち込まれても「大変遺憾です」としか言わないのに、こと食い物になるとすさまじい執念を見せる生き物であるということを。
例えば食い物にちょっと寄生虫がいただけで経済制裁をかましたり。
ちょっと狂牛っぽい肉を送ってきただけで、普段は尻尾を振って腹を見せてい居る相手の喉笛に本気だしてかみついたりすることを。
日本人というのは、そんな他国から見たらキレる事柄の方向性を間違えちゃっている民族なのである。
詰め寄ってきた三人組に、コウシロウ老人はにこやかにほほ笑み、こう告げた。
「ええ。みそもしょうゆも、自宅で作っていましたよ。いろいろとやってみるのが趣味でしてねぇ。自分で作った豆腐に自作のしょうゆをかけて食べるのも、なかなかオツなんですよ」
その言葉を聞いた三人のリアクションは、尋常ではなかった。
泣き、叫び、笑い、ある種阿鼻叫喚の地獄絵図である。
日本人たちの魂の叫びは、結局小一時間ほど続き、ハンスをドン引きさせまくったのであった。
コウシロウ老人がこの世界に来てから、数か月がたっていた。
日本で料理人として磨き上げたその腕は、やはりこの世界でも十二分に通用したらしい。
今ではすっかり街に溶け込み、彼が料理長を務める店は、人気店として有名になっていた。
小説などでありがちな、「この世界の料理のレベルが著しく低かった」というわけではない。
むしろ、日本出身者の三人が、食事に関しては満足するほどにレベルが高かったのだ。
にもかかわらず、そんな場所でコウシロウ老人がその名前を売ったのはほかでもない。
その腕前が尋常ではなく高かったからである。
小さな店をやっていたと本人は言っていたが、きっといくつもの有名店を渡り歩いてきたに違いないというのがケンイチ達の総合見解だった。
実際、コウシロウ老人の腕は並々ならぬものがあった。
この世界に来て数週間でこのあたりの伝統料理を習得しただけにとどまらず、ハンスからの聞き取りだけで王都ではやっていた料理を再現して見せたのだ。
もはやそれが特殊能力であったと言われても疑問にもつ者はいないだろう。
しかし、コウシロウ老人の料理に関するスキルの尋常ではない高さは、その長い人生が裏打ちする確かな技術なのである。
こちらの世界の貴族出身であるハンスも、コウシロウ老人の作る料理はかなり評価していた。
今は地方騎士をしているハンスだが、もともとは王都で騎士団を指揮していたエリート中のエリートだ。
かなりいいものを食べているはずなのにもかかわらず、コウシロウ老人の料理に思わず「こんなうまいものは食べたことがない」と漏らすほどであった。
さて、コウシロウ老人の店であるが、これはケンイチとキョウジの共同出資によって建てられていた。
というより、二人が金を出して無理やりコウシロウ老人に押し付けたのである。
理由は一つ。
みそとしょうゆを作ってもらうためだ。
そのために店一軒を作ると言い出した二人に、はじめコウシロウ老人は遠慮していた。
流石にそんなものを作ってもらうわけにはいかないというのだ。
それに、みそやしょうゆならば、どこかの店で雇ってもらいながらでも作ることはできる、と、コウシロウ老人は主張したのだ。
が。
先に異世界に来ていたケンイチとキョウジ、そしてミツバのみそとしょうゆに対する思いは、尋常ではなかったのである。
血の涙を流しそうな勢いでコウシロウ老人に取りすがると、血を吐きそうな勢いで絶叫したのだ。
「みそは、しょうゆは、そんなにあまいもんじゃないっ!!」
何がどう甘いのか甘くないのかいまいち分からなかったが、様子するに彼らは限界だったのだ。
みそとしょうゆのない生活に、もう耐えられなかったのである。
ハンスの従者として働いているミツバと違い、ケンイチとキョウジは既に一端の金額を稼ぎ出す働き手であった。
このあたり唯一の大牧場経営者と、同じく唯一の回復魔法の使い手だ。
はっきり言って、金は持っているのである。
それでも、手に入らないものはあった。
例えばみそとしょうゆである。
ケンイチとキョウジは泣きながら、とうとうとみそとしょうゆに対する熱い思いを語った。
「ミツバちゃんがですね。時々スイッチが入ったようにみそ汁とか卵かけごはんとかの話をしだすんですよ」
「あほなくせに、飯の描写だけは妙にうまくってよぉー。マジで腹減って腹減って仕方ねぇーのよぉー」
「普段はB言語(ブロント語)交じりなのに、突然よどみなくしゃべり始めるんですよ。レイプ目で。飯テロですよ」
血涙でも流しだしそうな、リアルな方の涙なら流している説得は一昼夜続いた。
ちなみに、会場は駐在所である。
そのウザさは相当なものであっただろうが、ハンスはギリギリ拳や剣を取らず、口で文句を言うだけに留めることに成功していた。
恐るべき忍耐力である。
まさに騎士の鑑といえるだろう。
結局、ケンイチとキョウジはコウシロウ老人を説得することに成功した。
彼に店を押し付け、みそとしょうゆの製造をしてもらう約束を取りつけたのである。
最初はコウシロウ老人もお金は少しずつ返すと言っていたのだが、ケンイチとキョウジは頑としてそのお金を受け取らなかった。
そんなお金があるなら、早くみそとしょうゆを作るんだ、というわけである。
とはいえ、いくら金があったところでみそとしょうゆは早くできるというものではない。
何せ発酵食品なのだ。
作るのには時間がかかるのである。
材料の大豆こそ、この世界でも栽培されていたものであったため何とかなった。
だが、時間ばかりはどうにもならないのである。
みそしょうゆ欠乏症で冷静な判断が出来ていないケンイチとキョウジは放っておいて、とりあえずお金はあとで返そうと思うと、コウシロウ老人は考えていた。
ハンスもそれがいいと、大いに賛同する。
彼らがやらかすととんでもないことになることを、ここ十数か月で学習しているハンスであった。
これといって問題もないように思われたコウシロウ老人だったが、彼の行動は波紋を呼び起こさずとも、彼自身が大いに波紋を呼ぶことになっていた。
端的に言おう。
コウシロウ老人は、日を追うごとに若返っていったのである。
最初の一週間で白かった頭髪が黒に代わり、曲がっていた背筋が伸びた。
店が駐在所の近くであったことから、毎日昼食を食べに行っていたハンスの驚きは、筆舌に尽くしがたい。
しかし、背筋は運動などで伸びることもあるというし、ストレスで白くなった髪が黒く変わることもある。
戦争経験もあるハンスであるから、一日で白髪に代わる兵士なども目にしたことはあった。
百歩譲ってそういうこともあるかもしれないと考えたのである。
何と言っても、相手はあの日本人なのだ。
常識の通用する相手ではない。
ハンスの中での日本人観がかなりアレなことになっているのだが、相手は異世界人であり、ハンスにとっては未知の相手なのだ。
仕方ないことだろう。
次の一週間で、コウシロウ老人の肌からシワと年齢によるシミが消えた。
流石にこれは異常であると、ハンスは強い危機感を感じていた。
だが、いったいどうすればいいのか、見当もつかない。
本人に「最近若返ってません?」と聞いていいものなのだろうか。
どうにもいい予感はしない話である。
出来るだけ直接聞くのは避けたかった。
百戦錬磨のハンスではあるが、根は慎重な男なのだ。
とりあえず、聞くならば同じ日本人がいいだろうと、ハンスは判断した。
同じ国の出身者であるから、その国の常識もわきまえているだろうと考えたのだ。
が、ケンイチとミツバは役に立たないだろうとハンスは思っていた。
ケンイチはしょっちゅう肉やらチーズやらをコウシロウ老人の店に搬入しているのだが、まったく異変に気が付いた様子がない。
ミツバも「安くて旨い」と毎日店に通っているのだが、一切気づいている気配はなかった。
ハンスは一度、ミツバに「コウシロウ老人に変わったところはなかったか?」と尋ねたことがあるのだが。
帰ってきた答えは「ああっ! わかったっす! 髪形が変わったんすね?!」というものだった。
もちろん髪型は多少変わっているだろう。
何せ髪の色も質も若返っているのだ。
一瞬年を食ったら若返るのが日本の常識なのかとも疑ったハンスであったが、すぐに大切なことを思い出した。
ケンイチとミツバは、致命的なアホであるのだ。
こういうことに関して役には立たないである。
髪形の変化に気が付いた私すげぇみたいな顔をしているミツバを前に、ハンスはキョウジに相談することを決めた。
たしか「ドヤ顔」といったはずの表情を決めているミツバに、キョウジを呼んでくるようにと指示を出す。
一発殴りたくなる表情ではあるが、ハンスはぐっと耐えた。
ドヤ顔というのは相手をイラつかせるためのものであり、イラついたら負けだとキョウジが言っていたからだ。
ハンスは意外に負けず嫌いな男だったのである。
キョウジは普段、街の周りに点在する農村を治療して回っているので、コウシロウ老人の店に顔を出すことはほとんどなかった。
店の料理を食べるときは、もっぱらテイクアウトなのである。
余談だが、働き手の多いこの街では、テイクアウトの店が意外に多い。
店でも食べられてテイクアウトにも手を出しているコウシロウ老人の店の出現で、街の食べ物屋は大戦国時代状態に陥っているのだが、それはまた別の話である。
兎も角、ハンスはキョウジを連れてコウシロウ老人の店にやってきた。
久しぶりに会うということで、キョウジも実にうれしそうな表情で店に入る。
「いやぁ、コウシロウサンのご飯、このお店で食べるの初めてかもしれませんよ」
キョウジは治療師なので、恐ろしく忙しいのだ。
金は出したものの、出来上がった店に顔を出すのも初めてだった。
すでに立っていた建物を買い取り内部を改装した店は、それでもかなり立派な門構えである。
店に入ると、若い店員らしき男性が声をかけてきた。
「ああ、ハンスさん。それと、キョウジくんも、いらっしゃい。いやぁ、確かキョウジくんははじめてお店に来てくれましたね」
にこやかな定員の言葉に、ハンスもキョウジも笑顔で会釈をする。
二人とも多くの人に会う商売なので、一瞬相手がだれかわからなくてもきちんと対応する癖がついているのだ。
頭の中で顔と名前を検索している二人の横に、よくよく見知った顔が現れた。
チャーハンをかっ込んでいるミツバだ。
驚いたことに、このあたりではコメも普通に食されていたのである。
まあ、異世界であるわけだから、何を作っていても不思議ではないのだろうが。
それはいいとして、ミツバは口いっぱいにチャーハンをほおばりながら二人に近づくと、驚いたような顔をした。
「珍しい組み合わせっすねっ! レアコンボっす!」
「コンボってなんですか」
「いや。久しぶりにキョウジと飯を食おうと思ってな」
「そーなんすか! じゃぁー、自分もお付き合いするっす! コウシロウさん! チャーハンおかわりおんしゃっす!」
「はいはい。すぐ用意しますよ。お二人も、よろしければどうぞ席へ。メニューも置いてありますから」
ミツバに返事をしながら、青年はにこやかに笑い、店の奥へと歩いて行った。
それを見たキョウジとハンスの頭に、同じ疑問が浮かぶ。
ミツバは今しがた、コウシロウさんといったはずである。
コウシロウといえば、コウシロウ老人のことだろう。
にもかかわらず、返事をしたのは「青年」であった。
「あの、ミツバちゃん。今あのお兄さんをコウシロウさんって言ってなかった?」
「お兄さん? コウシロウさんはおじいちゃんっすよ?」
キョウジの言葉に、ミツバは何をばかなことを言っているんだとでもいうような表情で返す。
なかなかイラッと来たキョウジだったが、ここ十数か月で彼の忍耐力は鍛え抜かれていた。
ぐっとこらえて、店の奥で顔だけ見えている青年のほうへと手を向けた。
「あの人は?」
「コウシロウさんっす!」
「お年寄り?」
「お年寄りっ……ん?」
元気よく答えようとしたミツバの言葉が、ぴたりと止まった。
ゆっくりとした動きで近くのテーブルにチャーハンの盛られた皿を置くと、ゆっくりと目をこする。
そして、再びコウシロウへと目を向けた。
「コウシロウさんが若返ってるっすー!!!」
「遅っ?!」
思わず突っ込みを入れるキョウジ。
やはりあの青年がコウシロウ老人ということで、間違えないらしい。
そのリアクションを見て、ハンスは確信を持って頷いた。
ああ、やはりミツバはあほなのだ、と。
そんなおアホさんが自分の従者であることに、一抹の不安を覚えるハンスであった。
その夜、コウシロウ老人の店で、「第二回日本出身者会議」が開かれることとなった。
今回は特別ゲストとして、ハンスも参加している。
議題はもちろん、コウシロウ老人が「コウシロウ老人」改め「コウシロウさん」へと変貌したことについてである。
「マジかっ! コウシロウさんマジで若くなってるじゃねーの! ぜんっぜん気が付かなかったわぁー!」
「そうっすよね! いつもあってるから気が付かなかったっす!」
「いや。おそらく普通は気が付くだろう」
ばっさりとケンイチとミツバを切り捨て、ハンスは眉間を指で押さえた。
どうやら二人と絡むと、ハンスはストレスで寿命がマッハらしい。
流石にコウシロウもおかしいとは思っていたらしく、深刻そうな顔をしている。
「いえ。気がついてはいたんですが、ここは異世界ですから。そういうものなのかと思っていましてねぇ」
そう思うのも、無理からぬことかもしれない。
彼が若返り始め原因は、どう考えても異世界に来たことに関連した事柄だろう。
当事者であるコウシロウも、心当たりはそれぐらいしかないという。
「しっかし、あんでわかがえったんだ?」
「いえ、ですから異世界に来たからじゃないかって話なんですけど」
「あんか特殊能力でもカンケーしれんじゃねぇーかってことだよ。老化ってそーそーまきもどることじゃねぇーべ?」
「老化。老化? あ、それかもしれない」
「ああん?」
キョウジの思い付きは、ゲーマーである彼独特のものであった。
すぐさまそれを証明するために、キョウジはコウシロウに「この世界に来て最初に見たステータスウィンドウ」を覚えている限り書き出してほしいと頼んだ。
つっかえつっかえながらも、コウシロウは比較的スムーズにステータスを書き出していった。
ちなみに、この世界はかなり文明が進んでおり、紙やなんかはこんな田舎町でも普通に普及していた。
何でも、魔法で動く機械で大量生産しているのだという。
キョウジがハンスに聞き取りをしたのだが、どうにも地球の歴史とは違った文明の進み方をしている様子であった。
まあ、世界が違えば動力も、それこそ人間も違うのだ。
文明の進み方もまったく異なってしかるべきだろう。
兎も角、コウシロウが書き上げたステータスを睨み付け、キョウジはやはりといった様子で頷いた。
「これですよ、これ。これが原因です!」
そういってキョウジが指をさしたのは、「状態」という項目であった。
コウシロウが書き出したその項目には、「老化」と書かれていたのだ。
「それがどうかしたのか?」
「おそらく、老化は状態異常としてステータスで分類されたんです。この世界に来たのが原因なのかなんなのかわかりませんけど」
「全然わからないっす! もっとわかりやすく説明するっす!!」
「ミツバちゃんの場合わかろうとする努力すら見えないんだけど……」
キョウジの推測は、こうであった。
日本出身者たちは、現在の状態をステータスウィンドウで確認する事が出来る。
ゲームでよくある毒状態やマヒ状態などといった具合だ。
これは、キョウジが体を張って調べたので間違えないらしい。
ちなみに、その状態異常は時間経過、もしくは、キョウジの「回復魔法」で直す事が出来るのだという。
かなり人間離れした話ではあるが、一トン以上ある岩を片手で粉砕するミツバや、素手で数mある魔獣をボコ殴りにするケンイチがいるので、今更である。
「つまり僕らの体は、普通の人間よりも状態異常に強くなってるんです。そして、おそらくコウシロウさんのステータスウィンドウは、老化している身体を状態異常に陥っているととらえたんです」
「だから、時間の経過で回復。つまり、若い健康な状態になったというのか? にわかには信じられん話だが……」
ハンスはうなり声をあげながら、ちらりとケンイチとミツバのほうに視線を向ける。
そして、何事か納得したようにうなずいた。
「そういうこともあるのだろうな」
「なんでいま俺らのほう向いてなっとくしたんだ?」
「よくわかんないっす!」
よくわからないことは考えない。
比較的幸せな思考回路をしているミツバだった。
「で、コウシロウさん。今のステータスウィンドウには、どう書かれていますか? そこに件の老化という文字がなければ、おそらく推測通りなんですが」
「ええと、ちょっとまってくださいねぇ。ああ、ここですね。ん? いや、あれ? 確かに書いてあったんですが。無くなっていますね」
コウシロウは眉をしかめ、首をひねった。
どうやら、本当にステータスウィンドウから「老化」の文字がなくなっていたらしい。
「今は、異常なしと書かれていますねぇ」
「やっぱり!」
キョウジはうれしそうに手を叩いた。
そして、すぐに表情をこわばらせる。
いくら若くなったとはいえ、身体の変化はそうそう受け入れられるものではないはずだ。
もしかしたら、コウシロウが少なからずショックを受けているかもしれないと思ったのである。
しかし、それは杞憂であったようだ。
「いやぁ、こちらに来てから驚くことばかりですよ。そういえば、腹にあった傷も治っていましたし。それも関係あるんですかねぇ」
「ああ、古傷も状態異常に含まれるのかもしれませんね。こっちの自衛隊の人たちの傷も、僕の回復魔法で治ってましたし」
「腹の傷か。ご老人もご苦労されたんですね」
「いえ。戦争から帰ってやんちゃをしていた時代に、鉄砲玉にハジかれましてねぇ」
「へ?」
突然コウシロウの口から出た言葉に、キョウジの動きが凍りついた。
戦争から帰って、というくだりは、コウシロウの年齢的におかしいことはないだろう。
問題はそのあとである。
「鉄砲玉、か。以前キョウジが言っていた、異世界の武器のことだったな」
「ええ。お世話になっていた親分さんといた時に、一発貰っちゃったんですよ。あとできっちり落とし前は付けたんですけれどねぇ。千里眼なんて能力をもらう前から、私目だけはよかったものですから」
「確か、遠距離武器だったな。弓やクロスボウのように、目の良さも関係するものなのか」
「そうですねぇ。昔は建物の上やなんかから、よく撃っていたものですよ。日本に居づらくなって、余所で傭兵なんかをしたりしてねぇ。そこで、料理を覚えたんですが。人生、何が役に立つかわかりませんねぇ」
「各地を転戦しながら、料理を、か。どおりで様々な国の食べ物を作る事が出来るわけだ」
懐かしそうに話すコウシロウに、ハンスはしきりに感心した様子で頷いていた。
情勢が安定しているとは言えないこの世界では、傭兵や戦争、内戦などは珍しいものではない。
ハンス自身のように個人の武力が高いこともあり、各地を渡り歩くものもよくいるのだ。
だが、地球ではそうでもない。
「や、ヤクザ……?! そして傭兵って……?!」
がくがくと震えながら、キョウジはコウシロウのほうへと顔を向けた。
それに対して何を思ったのか、コウシロウは柔和な笑顔を返す。
「すげーっす! コウシロウじぃちゃん、ヤクザで殺し屋だったんすね!」
「はっはっは」
興奮気味に言うミツバの言葉に、コウシロウは少し困ったように笑う。
だが、その言葉自体は一切否定しない。
どうやら、それに遠からずな人生を歩んでこられた様子である。
この数か月後。
ケンイチの魔獣使いとしての力が本当の意味で活躍したり。
キョウジの回復魔法のすさまじさが改めて実感されたり。
ミツバが実戦デビューしたり。
コウシロウのスナイパーとしての腕がいかんなく発揮されたり。
ハンスの「魔術師殺し」の異名が再び国中に響き渡ったり。
五人目の日本関係者が登場したりするわけだが。
それはまた別の話である。

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