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地方騎士ハンスの受難 作者:アマラ

一章

三番目の少女

 辺境と呼ばれる地方の、小さな街。
 そこに、その街と周囲を守る、騎士が住んでいた。
 揉め事が起きればそれを仲裁し、事件が起こればそれを解決する。
 警察と裁判官と文官が一緒になったような、騎士とは名ばかりの地方公務員であった。
 彼、ハンス・スエラーは、あまり人に羨ましがられる事のないそんな仕事に、誇りと喜びを感じている。
 最近は少しゴタゴタがあったが、それでも街は落ち着きを取り戻していた。
 世界でも類を見ない魔獣の牧場が出来たり。
 回復魔法を町の人口ぶん連発してもケロッとしている魔法治療師がいたりするが、それでも街は平和である。

 ハンスは、公爵家の五男坊として生まれた。
 上に兄が四人、姉が六人いる。
 下にも、弟と妹が三人ずついた。
 おそらく、まだ増えるだろう。
 今年四十五になる父は、母と十人ほどの妾と、よろしくやっているようである。
 高い地位にある貴族の子供には、それなりの義務が付きまとう。
 上の兄たちは、公爵の地位を継ぐことと、領地の管理などを求められた。
 姉たちは、それを支え、他の家との結びつきを強くするため結婚することを求められている。
 五男という家を継ぐこともないであろうし、領地の管理にも関わることがないことがないであろうハンスに求められたのは、武力であった。
 戦場で名を上げ、武門においてスエラー公爵家の名を印象付けさせる。
 そのことにおいて、ハンスは実に優秀であった。
 軍学校を卒業し、王都騎士団に所属した彼は、盗賊討伐や国家間の小競り合いへと駆り出された。
 実家である公爵家が、ハンスに武勲を立てさせるために若いうちから現場へと送り込ませるよう仕向けたのだ。
 彼ほど家名のあるものであれば、本来その仕事は後方での指揮官であるだろう。
 だが、ハンスは本当の意味で、武人として優秀だったのだ。
 一人敵陣に切り込み、剣をふるい屍の山を積み上げる。
 飛び道具としての魔法こそ使えなかったハンスであるが、その分剣術においては化け物といっていいほどの実力を持っていた。
 ハンスが優れていた点の一つが、その速さである。
 文字通り風のごとく走り抜け、魔法使いが魔術を放つ前に切り捨てた。
 そんな事が出来る人間が、そうそういるわけがない。
 盗賊だろうが、国内の反乱分子であろうが、敵国の密偵であろうが。
 瞬きする間に接近し振るわれるハンスの剣からは、逃れる事が出来なかった。
 ハンスはいかんなくその才能を発揮し、文字通り「ハンス・スエラー」の名を轟かせたのである。
 そして、その名を決定的に印象付けたのが、数年前隣国との間に起きた戦争であった。
 両国の大軍が平原でにらみ合う中、ハンスは少数の兵だけを指揮して、特殊部隊として動いたのである。
 月も出ない暗闇の夜を狙い行動を開始した彼が狙ったのは、魔法部隊であった。
 暗闇の中であるうえ、普段は後方で戦略級の魔法を打つことだけに専念する魔術師が、ハンスたちにかなうはずがない。
 魔術師たちを一方的に嬲り殺したハンスは、次の行動に出ることにした。
 そのまま敵陣深く切り込み、一気に敵方の総大将の首を刈り取ったのである。
 敵陣が混乱する中、ハンスが指揮する部隊は、見事逃げ切って見せたのだ。
 もちろん、本当に孤立無援の状態で敵陣に切り込んだわけではない。
 公爵家が敵国の将の一部を買収し、手引きをしたのだ。
 しかし。
 だからと言ってそんな武功が立てられるわけがない。
 公爵家がおぜん立てしたのは、あくまで「魔法部隊に切り込む」までであった。
 ハンスは本来、そこで魔術師たちと激闘の末、戦死するはずであったのだ。
 だが、現実はまったく別のものになったのである。
 彼は死ぬどころか、敵の総司令官の首を持ち帰り、一気にその戦争を終結に導いたのだ。
 武勲を立てるのは、好い。
 家名が上がる最高の理由である。
 だが、あまりにも大きすぎる武勲は脅威である。
 ましてそれが、家を継ぐことのない五男坊のものであるならば。
 本家の危惧は、実に簡単なものである。
 名を上げ、実力もコネも持ったハンスが、家を乗っ取ろうとするのではないか。
 心配の種であるならば、摘んでしまうのが貴族の基本である。
 だが、ハンスの名は大きくなりすぎていたのだ。
 「魔術師殺し」「将狩り」「暗殺剣」
 彼を表す二つ名はいくつもある。
 殺すには惜しく、また、暗殺するには恐ろしく労力のかかる存在となったのだ。
 そこで、スエラー家はハンスを飼殺すことにした。
 息のかけられるギリギリの範囲で、最も遠い土地へと彼を追いやったのだ。
 スエラー家の名の威光も、ハンスの名も通用しない遠い土地へと。
 だが、それはハンスにとって、最も望むことでもあった。
 元々ハンスは、戦いに向いた男ではなかったのだ。
 剣を振ることや、戦いの流れを見ることには確かに才能があった。
 しかし、彼が剣をふるってきたのは、あくまで仲間のためであったのだ。
 敵将の首を取ったのも、戦いを終わらせたいという一心からの行動であった。
 戦いが好きなわけでは、一切ないのだ。
 彼の夢は、ごくごく小さなものである。
 どこか危険も争いもない片田舎で、のほほんとした騎士として過ごすのだ。
 魔術師を切ることもなく、敵陣を切り裂くのでもなく、ただ、何のためにいるのか分からないといわれるような騎士として。
 ときどき周囲を回って、お茶を飲んで、領民や農民と笑って、「今日もお暇そうですね」と嫌味を言われるような、騎士として。
 だからこの辺境に飛ばされたとき、ハンスは飛び上がるほどうれしかったのだ。
 これで兄たちも安堵できるだろうし、自身もこれ以上ないほど臨んだ場所に来れたのだ、と。



 そんな、戦争の英雄であり、物騒な異名を持つ歴戦の騎士であるハンスであったが。
 目の前で繰り広げられる奇妙な状況に、絶句したまま固まっていた。
 それも仕方ないだろう。
 三mを超えようかというオークが、年の頃は一二~一三かという少女に、ぼこぼこに殴られてるのだから。

「打つべし! 打つべし! 打つべし! 打つべし! 無駄ムダ無駄ムダむだムダァ!!」

「ご、ごめっ! ごめんなっ! ごめんなさいっ! ゆるしてっ!」

 涙目になって謝り倒しているオークだが、少女は一切聞く耳を持たない。
 容赦なく顔と、時々胸や肩を乱打し続けている。
 そのあまりの的確な攻撃に、元特殊部隊隊長であるハンスも戦慄を覚えた。
 周りを見渡してみると、そこはまさに地獄絵図といった有様である。
 おそらく少女に殴り倒されたであろうオークとゴブリンが、ぎりぎりで顔の原形をとどめる範囲で倒れているのだ。
 合計で軽く三十を超すそれら魔物たちがうめき声をあげながらのたうつ中、嬉々とした表情で巨大なオークに追い打ちをかける少女。
 それは、ハンスの中にある常識を完全に逸脱した光景であった。

「何が起こっているんだ……」

 ハンスのそんなつぶやきをよそに、オークをぼこぼこに殴った少女はゆっくりと立ち上がり、拳を天へと突き上げた。
 その表情は、何やら大きなことを成し遂げた乙女の表情である。

「うぉぉおおお!! 自分の拳が真っ赤に燃えるっす! 敵を倒せと悶えて叫ぶっすー! 1! 2! 3! ファイヤー!!」

 もしここに日本人の徳の高いオタクの方がいたとしたら、いろいろと突っ込みを入れるところだろう。
 だが、残念なことにそんな人はこの場にはいなかったのである。



 基本的にこの世界では、ゴブリンやオークは人種の一つとして考えらえていた。
 人種といっても、奴隷人種とかそんな認識であろう。
 何もしなきゃほっとかれるし、気が向いた時には奴隷狩りにあったりするのだ。
 とはいえ、彼らは基本的に人間よりも力が強い。
 なによりも体が丈夫だ。
 ゴブリンしてもオークにしても、新人の騎士であれば剣が通らないほど硬い。
 そんな彼らをぼっこぼこに殴り倒した少女は、大方の予想通り日本人であった。

「なんか日課のランニングしてたら、いつの間にか山にいたんすよ! それからこの村に降りてきて、おじちゃんとおばちゃんにご飯食べさせてもらってたら、突然この人たちが襲ってきたんす!」

 嫌な予感がしていたハンスの「にほんじんか」という問いに「そうっす!」と答えた後、少女はまくしたてるようにそう告げる。
 おおよそハンスの予想通りであったのだが、残念ながらそれを喜ぶ気力はなかった。
 ハンスが守っている街には、実はすでに二人の日本人が迷い込んでいた。
 一人は魔獣に対してのみ力を発揮する「魔獣使い」のケンイチ。
 もう一人は、回復魔法を自在に使いこなすキョウジである。
 二人ともすでに何か月もこの世界で暮らしており、既に生活の基盤を築き上げていた。
 どちらも突然山の中からあらわれ、厄介ごとを解決したり巻き起こしたりしているところを、ハンスに発見されている。
 そんな経験から、ハンスの中では「山から出てきた変な奴 = 日本人」という方程式が完成していたのだ。
 事実であるだけに何とも否定しづらいことである。
 とにかく日本人のことは日本人にということで、ハンスは一もニモなくケンイチ達にこちらに来るようにと連絡を取っていた。
 魔獣使いであるケンイチは、巨大なオオカミを馬代わりに使っているので異様に移動時間が短い。
 こっちから行くよりも、呼んだほうが早かったりするのである。
 ちなみに連絡には、これまたケンイチが手懐けた魔鳥と呼ばれる魔法を使う鳥を使っていたりする。

「おお? いまどき赤ジャージか? 気合入ってんな」

「僕の学校のジャージは真っ青でしたよ」

「おおう。それはそれで気合い満点だな」

「ああ! お二人は日本の方なんっすね?!」

 おそらく地球でも日本でしか通用しない会話に、少女はケンイチとキョウジが日本人であると紹介する前に感づいた。
 周りが金髪青眼などばかりであっただけに、少女自身ここが日本でないことは薄々気が付いていたようである。
 二人は、とりあえずといった様子でここが地球でないことを説明した。
 というか、自分がぼこぼこにした生物を見れば、わかるだろう、と。
 ちなみにゴブリンとオークの人たちは、縄で柱とかに結わえられている。

「確かにあんなビジュアルの人たち、オカルト特番でしか見たことないっす! 自分、一瞬アマゾンの謎の生物軍団に襲われたのかと思ったっす!」

「まあ。絶対にいないとも言い切れないかもしれないですけど……でもとりあえずこんなにわらわらはいないはずですよね?」

「そうっすよね! うちの裏山でも見たことないっす!」

 ミナギシ・ミツバを名乗った少女は、激しく首を縦に振りまくった。
 どうやら、とりあえずここが自分たちが暮らしていた国ではないということは、納得してくれたらしい。
 考えてみれば、そもそもケンイチとキョウジも日本にはいないという人を乗せて走る事が出来るサイズのオオカミに跨ってきたのだ。
 説得力は途轍もないことになっていたに違いない。

「ミツバの出身ってどこなん?」

「島根っす! 日本一どこにあるかわからない県っす! でも鳥取には負けないっす!!」

「おー。マジか。ガンバレな」

「うっすっ!」

「頑張るようなものなんですか?」

「キョウジ、おめぇー東京だからわっかんねぇーんだよ」

「地方自治体の戦いは苛烈っす!!」

「そ、そうなんだ……よくわかんないけど」

 ハンスは、ひとまず地球出身組でしばらく話をさせることにしていた。
 どことも知れない場所であろうとも、同郷の人間がいれば多少は安心するものだ。
 とりあえず緊張が解けるであろうころまで、ハンスは彼らを放っておくことにした。

「特産品もそんなにないし、目立つようなこともそんなにないっ! その上あんまり知名度もないっす! 島根の怒りは有頂天っすよ!」

「そうだそうだ! てめぇーらもっと生なキャラメルかえっつの!!」

 なんだかよくわからなかったが、とりあえずお国自慢になってきてるっぽかったので、ハンスはぼちぼち止めに入ることにした。
 そろそろ気絶していたゴブリンやオークが目を覚ましたというのもある。

「それで、そろそろゴブリンとオークがせめて来た時の事情を聴きたいんだが」

「うっす! 自分、おじちゃんとおばちゃんに貰ったパンを食べてたんす! そしたらこの人たちが、山から雄たけびをあげて駆け下りてきたんすよ! これはやばいなと思ったら、もう体が動いてたっす!」

「うん。女の子だからとか男だからとか抜きにして、今度から後先考えずに突っ込むのはやめようね危ないから」

「うっす! 次からきちんと防具を着ていくっす!」

「ちがうっ! しかし、よくゴブリンとオークに襲われて無事だったな。彼らも武器を持ってただろうに」

「え? 持ってなかったっすよ?」

「んん?」

 ゴブリンやオークは、武器を扱う器用さを持った種族だ。
 武器もなしに村を襲撃するというのは考えにくい、
 村人にも事情を聴いてみたのだが、これにも妙な点があった。
 山から突然ゴブリンとオークが雄たけびをあげてやってきたのだが、その次の瞬間にはミツバが殴り倒していたというのだ。
 ハンスの頭に、何やら嫌な予感がよぎる。
 いくら彼らが集団とはいえ、武器も持たずにやってくることは、ありえないと言っていい。
 どのぐらいありえないかといえば、たった一人素手で銀行強盗をするぐらいありえないのだ。
 ちなみにこの世界にも、銀行はあったりする。
 もちろん、ハンスが守るこの街には支店すらも存在しないわけだが。
 とりあえず、比較的意識がはっきりしていそうなゴブリンを選び、事情を聴きだすことにする。
 朦朧とした様子でありながらも、そのゴブリンはなんとか口を開く。
 内容を総合すると、次のようなものであった。

 彼らは、ゴブリンとオークによって作られる群の中で、「スカベンジャー」と呼ばれる者たちである。
 オオカミなどが倒した獲物の死体を失敬する、専門の群れなのであった。
 なぜ、そんなことをするのか。
 それは、彼らが皆怪我や病を持っていて、元の群れからはぐれた者たちであるからだ。
 彼らには健康な個体のように力を発揮することもできず、狩りをおこなうことなど出来なかったのである。
 だから仕方なく、残飯をあさるようなことをして生き残ってきたのだ。
 しかし、最近ではそれが出来なくなってしまっていた。
 放置される残飯の絶対数が減ってしまったのだ。
 理由はわからないが、有力な魔獣の群れが森からいなくなってしまったのだという。
 強力な群れは狩りも得意なことが多く、獲物をとっても特に栄養価が高いところだけを食べて肉を放置することが多い。
 そういった行動をとる群れがなくなってしまえば、放置される肉がなくなるのは当然なのだ。
 割を食ったのは、彼らの群れであった。
 食べ物が無くなってしまったに等しく、来る日も来る日も食べ物にありつけない日が続いたのだという。
 今まではなんとか木の実やキノコで食いつないできたが、それも限界だ。
 そこで、彼らはある手段に出ることにした。
 人里に下り、食べ物を分けてもらえないか相談してみることにしたのである。
 彼らゴブリンとオークは、人間に見つかれば奴隷にされてしまうかもしれない種族だ。
 襲い掛かれば、確かに村人には勝てるかもしれない。
 しかし、それは一時のことにすぎないのだ。
 討伐隊でも組まれれば、あっという間に殺されてしまう。
 何とかして穏便に、人間に食べ物を分けてもらうしかない。
 ほかのゴブリンやオークの群れにお願いしても、彼らは彼らで食うことに必死だ。
 よそに渡すほど食料などないのである。
 だからこそ、彼らは見限られ、スカベンジャーとして生きることになったのだから。
 たとえ相手が人間とはいえ、彼らは傷つき病を負った者たちだ。
 腕力や俊敏性、体力も、普通の人間よりは強い。
 だが、戦いを生業とするものを相手にするには、不安が残る。
 村の近くまで来た彼らだったが、そんな理由から中に入っていくことに躊躇していた。
 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
 そこで、全員で一斉に村に入ることにしたのだという。
 勢いをつけるために、雄たけびをあげて。

「そしたら、いきなりそこの娘さんに殴りかかられたんです。俺達もすぐに、あ、これは襲撃とかに間違われたな、って思ったんですけど、すぐに分かってもらえると思ったんですよ」

「そうそう。俺達、武器持ってないですし。丸腰ですし」

「でも、言い訳する隙もないぐらいの勢いでその娘さんが俺達を殴り倒して……」

「一番体が大きいオークのゴナックさんがパンチ一発で宙を舞ったとき、ああ、俺たち殺されるんだと思いました」

 むせび泣きながらそう証言するゴブリンとオーク達。
 彼らの言葉を否定する要素は、ないと言っていいだろう。
 本人たちの言葉通り、彼らの体には古傷があったり、病気でやせ細っているように見える。
 何より、ハンス自身そういう者たちが存在するというのを知っていた。
 むしろ被害者といった風情のゴブリンとオーク達を前に、村の衆とハンス、日本出身者たちは何とも言えない空気に包まれた。
 彼らの中の、リーダーらしきものが、必死の表情で言葉を発する。

「奴隷にされても、売りとばされても何でも構いませんっ! ですが、命だけは! 命だけはどうかお許しをっ!」

「す、すんませんしたーっ!!」

 いたたまれなくなった少女が、ついに地面に頭をたたきつけた。
 すさまじいまでに美しい、ジャンピング土下座であったという。



 ゴブリン達がおこぼれを失敬していた群れは、何とケンイチが掌握したオオカミ魔獣の群れであったことが判明した。
 ケンイチは群れが狩った肉を放置しているのを見て、「残すのはよくない」と全部食うように指示していたのだという。
 そうすることにより、狩りに割く時間を短縮し、牧場の手伝いをもっとさせるという目的もあったのだとか。
 ケンイチ自身まさかこんなことになるとは思わなかったと、ゴブリン達に深く謝罪をした。
 そして、その印にと、彼らを農場で住み込みで雇うことにしたのだ。
 ケンイチの農場は、魔獣の管理や移動をオオカミ魔獣に任せていた。
 数が多く、一人では管理しきれない部分もあったからである。
 だが、獣型であるオオカミ達には限界もあった。
 出産の手伝いや毛刈り、乳搾りなどは出来ないのだ。
 もっとも、それ以外の農舎への出入りや鳥型魔獣の卵の回収などは、すべてやっていたのだが。
 とにかく。
 ゴブリン達はこれで、食い扶持と寝床、そして仕事を手に入れたのだ。
 彼らが仕事をすることにより、オオカミ達には狩りをする余裕も出てくる。
 食べ物のほうはそれで問題もなくなるし、いいことづくめてある。
 彼らがまともに動き回ることが出来なかった原因である病や怪我も、これにより一挙に解決した。
 キョウジの回復魔法のおかげである。
 彼の魔法は、古傷だろうがこじらせた病だろうが関係なく一発で完治させたのだ。
 ゴブリン達は、咽び泣いて喜んだ。
 今まで生きてきた中で、こんなにやさしくされたことはない、と。
 とはいえ、ケンイチとキョウジには何かをしてあげた、という思いは一切ない。
 ケンイチにしてみれば、彼らの食べ物を奪ったのは自分だという気持ちがあった。
 雇い住処を用意したことは、それに対する多少のお詫びでしかないのだ。
 何より、彼らが仕事を手伝ってくれることで、牧場も今よりずっと大きくできるというのもある。
 今まで一人で作業をしてきたのに、一気に手が増えるのだ。
 魔獣の数を増やして、供給量を増やすことだってできる。
 肉や乳、卵は、まだまだ供給量不足なのだ。
 働き手が増えることは、もろ手を上げて喜べることなのである。
 キョウジにしても、治療経験は多いに越したことはないのだ。
 古傷なども治せるかどうか、試してみたくもあった。
 半分実験の様なものであったである。
 何より、二人の頭の中には共通する思いがあった。
 困っている人は助けるものである、と。
 この世界に来てすぐの自分たちが助けてもらったように、誰かが困っていたら手を差し伸べるのが当然だと思っているのだ。
 二人にしてみれば、当たり前のことを当たり前にしただけなのである。
 とはいえ、その当たり前のことが当たり前に行われないのが、世の中である。
 二人のこの感覚は、日本人特有のモノといえるのかもしれない。

 ゴブリン達は職場も寝床も見つけ、万々歳であったわけだが、問題はミツバであった。
 とりあえず、男所帯のケンイチの牧場に預けるわけにはいかないだろう。
 それでなくても、ゴブリン達は未だにミツバにビビッているのだ。
 かといって、こんな爆弾娘を関係のない農村に預けるわけにもいかない。
 何かの拍子に暴走した時に、抑える事が出来る人間がいないのだ。
 ちなみに、ミツバのステータスには「超身体能力」と書かれているのだという。
 岩を拳でカチ割り、軽く飛び跳ねただけで二階建ての屋根に飛び超え、飛んでいる矢を目で見て掴んだりするのだ。
 「超身体能力」の文字に偽りなしである。
 結局、ミツバはハンスがあずかることとなった。
 寝泊まりは、ハンスが使っているのと同じ宿屋である。
 この街に来て数年になるハンスだったが、いまだに宿屋暮らしであったりする。
 立場としては、ハンスの従者、という形に落ち着いた。
 元々、ハンスの様な騎士は、現地で誰かしら人を雇うことを推奨されている。
 今までそれをしなかったのは、ハンスがバリバリ仕事をこなしていたからだ。
 本来なら数人がかりでこなすはずの仕事を、たった一人でこなしてきたのである。
 その仕事の中には、大工の手伝いや、側溝の掃除なども含まれていた。
 とても騎士の仕事とは思えないものではあるのだが、地方騎士の公務員としての側面を考えれば仕方がないだろう。
 騎士とはいえ、こんな田舎ではあまり地位に意味はないのだ。
 住人たちの認識としては、いざというとき頼りになる肉体労働担当、程度なのである。
 とはいえ、ハンスにだって肉体労働以外に仕事がない訳でない。
 力仕事をミツバが肩代わりすれば、その分ハンスは他の仕事が出来るのだ。
 ミツバは自分の力を活かす事ができ、ハンスは書類仕事に集中できる。
 まさに、どちらも得をする関係といえるだろう。
 そんな仕事をしているうち、ミツバはどんどん街の人間に信頼されるようになっていった。
 元々の性格もあってか、あっという間になじんでいったのである。
 はじめはハンスの従者としてだけ扱われていたミツバであったが、いつの間にか名指しで仕事を頼まれることも増えていた。
 道を歩けば声をかけられたり、街中の人とあいさつを交わすようになっていたのだ。
 子供たちと遊んだり、八百屋のおばちゃんに果物を分けてもらったり、荷物を運んでいるじいちゃんを手伝ったり。
 まるでずっとここで暮らしていたかのように、ミツバは街に溶け込んでいったのである。



 ミツバが街にやってきて、数か月がたった。
 その生活の中で、ミツバの中にはある疑問が生まれていた。
 それはいつまでたっても解消されることはなく、むしろ日に日に大きくなっていく。
 ついにそれを抑えきれなくなったミツバは、ハンスのもとへと駆け込み、叫んだ。

「ハンス団長! なんでうちの騎士団にはかっこいい名前がないんすかっ!!」

「あんまり大声出すな。あと俺は団長じゃないし、うちは騎士団でもない。ただの地方詰所だ」

 そう。
 ミツバの疑問とは、何故ハンスが指揮するこの町の騎士団に名前がないのか、であった。
 街や農村に暮らす人々は、みなハンスのことを「駐在さん」や「騎士さん」「ハンスさん」などと呼んでいる。
 ハンスは騎士であり、彼のもっとも重要な仕事は街や農村を守ることであるはずだ。
 そして、何かを守る騎士が所属しているのは騎士団でなければならない。
 にもかかわらず、騎士団が存在していないとはどういうことか。
 ミツバにはまったく理解できなかった。
 ちなみに、これは別におかしなことではなかったりする。
 騎士団の定義というのは、意外と国ごとに違っていたりするからだ。
 ハンスの住む国において、騎士とは単騎で高い戦闘能力を持つ人間に贈られる称号である。
 魔法と剣を同時に使いこなす事が出来るとか、剣一本でドラゴンを退治できるとか。
 そういう人並み外れた武力を持った人間のことを指す言葉なのだ。
 そんな騎士たちに独自の権限を与え、特殊部隊の様な運用方法をされるのが、この国における騎士団という存在なのである。
 ハンスもそのことを説明すればよかったのだが、残念ながら彼は自身の国からあまり出たことがないタイプの人間であった。
 要するに、自分が思っているような騎士団以外のタイプの騎士団が存在していると、考えてすらいなかったのだ。
 ハンスに言わせれば、「どこにそんなに騎士がいるのか」といったところだろう。
 何より、そんな物騒なものを作る必要がないのである。
 だが、ミツバの感覚からいえば、騎士団というのは騎士がいて誰かを守っていればそれだけで名乗れるものであったのだ。
 現に街には、いくつもの騎士団を名乗る団体がいる。
 もっとも、作ったのも所属しているのも全員子供で、いわゆるごっこ遊びではあるのだが。
 とにかく、ミツバには何故ハンスが騎士団を作らないのか謎であった。
 騎士団という名前だけでもあれば、悪い奴が近づかないはずなのだと思っていた。
 まあ、実際ハンスが「騎士団」を名乗れば賊は近づかないだろう。
 辺境にふつうに暮らす人たちにならともかく、「魔術師殺し」の名は未だに荒事で生きる人間には恐怖の対象なのだ。
 だが、その影響はかなり大きなものになるだろう。
 おそらくハンスの実家が、放っては置かないはずである。
 ミツバは悩んだ末、知り合いたちに相談することにした。
 彼女がハンス以外で最も頼りにしているのは、同じ故郷を持つケンイチとキョウジの二人である。
 こうして、「第一回日本出身者会議」が開かれることとなったのだ。

 難航するかに思われた会議だったが、思いのほかさっくり話が進んでいた。
 治療師として街中を回り、さまざまな知識を蓄えたキョウジがいたからだ。
 彼はこの国の置ける騎士団の意味や、ハンスの過去、実家との関係まで把握していたのである。
 誰だって自分の家にまで来てくれる医者には、口は軽くなるものなのだ。
 今キョウジの頭には、様々な情報が詰まっている。
 誰が浮気をしているかなどといった超プライベートなものから、どの領地がきな臭いなどといったかなり危ないものまで。
 日本人三人組の中では、最もこの世界と国について知っていると言っていいだろう。
 ついでに言えば、誰よりもこの街に住み人々の個人的な弱みを握っている人間であるとも、言っていいだろう。

「そ、そんな……ハンスさんにそんな過去があったんすか!」

「ただの気のいいおにーちゃんにしかみえねぇーのになぁー! みかけによらねーわぁー!」

「まあ、当人が言わないってことは、あんまり触れてほしくないんだろうけど」

 しきりに感心するケンイチとミツバに、キョウジは苦笑を浮かべる。
 あまり人の秘密をしゃべるのは気が引けたのだが、今回はミツバを止めるためだ。
 ハンスも大目に見てくれるだろう。

「人に歴史ありってやつだぁーなぁー」

「でも、ハンスさんならわかるっす! この間護身術の稽古付けてもらったんすけど、自分全然敵わなかったっすもん!」

「ミツバちゃんが?! あんなすごい怪力なのに?!」

「全然手も足も出なかったっす!」

 超身体能力のミツバが敵わなかったのは、ハンスがそれ以上に優れた身体能力を持っていたから、というわけではない。
 これはひとえに、経験と技術の差であった。
 ハンスの持つ技は、そのほとんどが相手の力を利用するものである。
 柔術や甲冑術と呼ばれる技術が、この世界にも存在するのだ。
 ハンスはその使い手なのである。

「マジか。ハンスさんマジパねぇーな!」

「ほんと、すごいですよね。ハンスさんがいなかったら、僕、今頃治療師なんて出来てなかったですよ。もともと、ただの高校生ですし」

「俺もだなぁ。実家の酪農手伝ってただけだしよぉー。それが今じゃ、一国一城の主だもんやぁ」

「うっす! 自分も今みたいになことは出来なかったっす! 自分、身体使うことしかできないっすから!」

「そういえばミツバちゃんって、陸上部なんだっけ?」

「そうっす! 朝自主練で走ってたら、女の子が車道に飛び出して、車にひかれそうになってたんす! 自分はあわてて飛び出して、女の子を突き飛ばしたんすよ!」

「ええ?! 転生パターン?!」

「勢いよく突っ込んだから、自分も車にはひかれなかったんすけどね! 危ないところだったっす! それでほっとしてたら、いつの間にか山の中にいたんすよ!」

「紛らわしいっ!」

 サブカルチャーに毒されているキョウジには、なかなかアレな展開であった。
 もちろん、お約束ブレイク的な意味でである。

「じゃあ、騎士団は無理なんすねぇ」

「だろうねぇ。でも、自警団ぐらいはあってもいいんじゃないかなぁ、とは思ったけどね」

「じけーだん? んなもん騎士のハンスさんがいるんだからへーきなんじゃねぇーの?」

「それなんですよ。ハンスさん、このあたり一帯一人で見てるんですよね。それがそもそもおかしいんですよ。それで成り立ってること自体が」

「つまりすごいってことっすね!!」

「いや。いや。すごいとかじゃなくてね……。いくらこの辺が田舎街だからって、狭い訳じゃないじゃないですか。かなり広い範囲をハンスさん一人でカバーしてれば、当然休む時間もないですし」

「んだべなぁ。言われてみりゃ休んでるとこ見たことねぇぞ」

「うっす! 休みなんて実際ないっす! ここ数か月一日も休まず働いてるっす!」

「このままだと、ハンスさん過労死するんじゃないですかね? いくらミツバちゃんが来てから仕事減ったとはいえ」

 ケンイチとミツバは、キョウジの言葉に表情を凍りつかせた。
 はたして過労死というのは、大げさだろうか。
 人間というのは、自分の限界を超えて働き続けることのできる生物だ。
 そして、その疲労で死んでしまう生物でもある。
 二人の頭には、日本にいたころに見たニュースがぐるぐるとまわっていた。
 過労の末死亡する従業員や社員。
 はびこるブラック企業。
 ほくそ笑む雇い側。
 一般庶民を見下す官僚。
 汚い金にまみれる政治家。
 悪化していく地球環境。
 後半は全く過労死と関係なかったのだが、二人は同時に同じ結論に達した。

「「た、たいへんだー!!」」

「うをう?!」

「ハンスさんが! ハンスさんがしんじゃうっす!」

「おい、キョウジ! なんとかしろよ!」

「僕?! そんな無茶苦茶な」

「むちゃくちゃもぐちゃぐちゃもねぇー! ハンスさんがしんじまうんだぞ?!」

「そうっす! 考えるのはキョウジさんの仕事っす!」

「なんで?!」

 恐ろしい押し付けにあいながらも、キョウジは眉間にしわを寄せ考えた。
 何か言わないと二人に殴られたりしそうだったからだ。
 肉体強化系の異能を持つ二人に殴られたら、身体能力は一般人なキョウジなど一発でアウトである。

「普通に、従者をもっと雇うとかすればいいと思うんだけど。もしくはやっぱり、自警団を組むとか。村ごとに多少戦える人がいればいいんだし」

「雇うのにはお金かかるっすよ! 自警団を作るって言っても、やっぱり戦うのに慣れた人が一人はいないとお話にならないっす!」

「んだよ! 全然ダメじゃねぇーか! しっかり考えろよキョウジよぉ!!」

「そうっす! 考えるのはキョウジさんの仕事っす!」

「だっ?! ま、まあ。手がない訳じゃないんだけど。あんまり人にお勧めできるようなものじゃないんだよなぁ」

「いいから言ってみろや。んっからかんがえりゃいーって」

「そうっす! 男は勢いっす!」

 二人に促され、キョウジは渋々ながら口を開いた。
 その内容は、今は牧場で働いているゴブリン達に頼むというものであった。
 ゴブリン、オークといった種族は、人種として一応は認められている。
 とはいえ、人権の様なものは存在しなかった。
 あくまで奴隷専門の種族としてのみ、存在を認められているのだ。
 戦争の時などでは簡単な武器しか持たされず、突撃要員としてしか見なされない。
 兵力を表す時も、わざわざ「奴隷兵」などとして別に数値化されるほどである。
 ならば、それを逆手にとってしまえばいいというのが、キョウジの考えであった。
 ゴブリン達をいくら雇ったところで、書類上の「兵員数」は一切変動しないのである。
 ならばケンイチの牧場で働いているゴブリンのなかで、希望したものをハンスの元に転職させればいいのではないか、というのだ。
 現代日本に育ったものとして、種族差別はどうかと思わなくもないのだが、古来日本には「郷にいては郷に従え」という言葉もある。
 思うところもなくもないが、仕方がないだろう。

「給料面の問題も、なんならケンイチさんが貸し出してるってことにすればいいんですよね。お給料はケンイチさんもちで。街の治安を守っている騎士に道具や人員を貸し出すのは、割とある話だそうです」

「黒い! キョウジさん黒いっす! 極悪っす!」

「そうだなぁ。俺はハンスさんには返しきれねぇ借りがあるからよぉ。金のことは俺が持つとして、問題は実際に働く連中が何ていうかか。しっかし、悪辣だなキョウジ」

「アクラツっす! 鬼っす! 悪魔っす!」

「そこまでいう?! 言えっていうから言ったのに!」

 あまりのいわれように、半泣きになるキョウジ。
 さらに不満を口にしようとするが、言葉が続くことはなかった。
 突然ぶち破るように開け放たれたドアのほうに、意識が持って行かれたからだ。

「話は聞かせてもらいました!!」

 そこに並んでいたのは農場で働くゴブリン達であった。
 どうやら、三人の話を盗み聞きしていたらしい。

「俺達も、ハンスさんには恩があるんです」

 そういって、ゴブリン達はハンスにしてもらったことを話し始めた。
 奴隷種族とはいえ、ゴブリンやオークを見かけるのは、都会などがほとんどだ。
 彼らが働かされる場所が、いざ反乱などを起こした時鎮圧できる兵力がある場所に限られているからである。
 このあたりの町や村で、彼らが働いている姿を見ることはまずないのだ。
 無知からくる恐怖心で、はじめ人々はゴブリン達のことをとても怖がっていた。
 街に出て買い物をすることも出来ないし、農場に品物を受け取りに行くことさえ怖がる始末である。
 それを何とかしてくれたのが、ハンスであった。
 ゴブリン達が農場から出て人里に行くときには一緒に付き添い、農場に村人たちが入るときも立ち会ってくれた。
 ハンスという信頼できる騎士がいることで、人々はある程度安心出来たのだ。
 そしてハンスは、双方が理解しあえるようにと、間に立ってくれたのである。
 この世界のゴブリンやオークは、きちんとした理性と感情を持った生き物であった。
 お互いにきちんと話し合う事が出来れば、わかりあう事が出来るのだ。
 まして、この街に住む人々は、底抜けに明るく善良である。
 ゴブリンやオーク達も、とても穏やかで気持ちのいい連中であった。
 話し合いきっかけと、その場所さえあれば、誤解はあっという間に氷解していったのである。

「マジか。ハンスさんそんなことしてたのか」

「それだけじゃないんすよ」

 そんな理由からハンスと長く一緒にいたゴブリン達は、彼に様々なことを話したという。
 例えば、一緒にいた仲間が、死んでいったときの話である。
 彼らはもともと、傷ついたり病気を持ったりして部族から逸れた者たちだ。
 死亡率は、とても高かった。
 しかし、仲間が死んだとしても、丁重に弔ってやることはほとんどできなかったという。
 それも、無理からぬことだろう。
 ただ生きていくだけで、精いっぱいだったのだ。
 せめてもう少しだけ生きていてくれたら、立派な墓も立ててやれたのに。
 それは、ゴブリン達みんなが思っていることであった。
 ゴブリン達は、墓をとても重視する生死感を持っている。
 彼らの考え方では、魂を天の世界に送るには、生きているものの祈りが必要なのだ。
 山奥の一部の地域でしか産出されない、宝石ともいわれるような石材を使い墓を作り、それに死者の遺品などを入れ、祈る。
 そうすることで初めて、死んだ者たちは輪廻転生の輪に加わる事が出来るのだと考えられているのだ。
 だが、当然そんな墓を、彼らが用意出来るわけもなかった。
 それを聞いたハンスは、何と単身山の中に入り、その石材を持ってきてくれたのだという。

「ハンスさんは見回りの途中たまたま見つけたって言ってましたけど、そんなに簡単に見つかるもんじゃありません」

「なにせ、その墓を目当てにゴブリン族の村を襲う輩までいる始末ですから」

「なのにハンスさんは、お礼も受け取らずに俺たちにその石材をくれたんです」

「それで、牧場長たちには言わなくていいって。きっと余計な気を使うからって」

 ハンスが彼らにしたことは、それだけではなかった。
 ゴブリン達は、基本的に皆首飾りをしている。
 石に穴をあけ紐を通したそれは、自分がどの部族に所属するかを示すものだ。
 それは、自分がどこの何者であるかを示す、証明といえるものである。
 人間につかまり奴隷にされたゴブリンは、首飾りを奪われた瞬間に最初の涙を流すといわれるほど、重要なものなのだ。
 ケンイチの農場で暮らすゴブリン達は、皆首飾りをしていなかった。
 仕方がないことだろう。
 彼らはそれぞれ別々の部族から離れ、集まった者たちであるからだ。
 皆部族から離れるその時に、首飾りを外した者たちなのである。
 そんな彼らの前に、ハンスは袋いっぱいの石と、人数分のひもを持ってきたのだ。
 ひもは最上級の高度を誇る、蛾の魔蟲のマユから作ったものであった。
 最も力があるゴブリン氏族でも、めったに使えないものである。
 それを見ただけで驚いたゴブリン達であったが、袋に入ってた石を見て、さらに驚愕した。
 彼らが首飾りに使う石には、それぞれ意味が込められている。
 希望、怒り、川、山、平原。
 それらを決まった並びでひもに通すことで、彼らは自分たちの部族の印とするのだ。
 ハンスがそれを知っていたのかどうかは、わからない。
 しかし、彼が持ってきた石の大半は、「希望」を表す石だったのである。
 それはまさに、今の彼らの心を表す、最高の石だったのだ。

「俺たちが今している首飾りの石の並びには、新しい希望を得て日々を生きていくもの、という意味があります」

「ケンイチさんやハンスさんたちのおかげで、俺たちはこんなすごい首飾りが作れるようになったんです」

 その話を聞き、日本出身者三人は完全に崩壊していた。
 主に涙腺とかの意味でである。
 ミツバはなぜか夕日に向かって吠えながら滝のように涙を流していた。
 ケンイチは壁を殴りつけながら泣いている。
 キョウジは机に突っ伏し、身体を震わせて泣いているようだ。

「なんだよそれ! なんだよもーっ! その話マジなのかっ! いい人すぎるだろうハンスさん!」

「おかしいっす! 実在の人物のすることじゃないっす!」

「だから俺達、何人かだけでもハンスさんのために何かしたいんですよ」

「全員は流石に牧場があるから無理ですけど、それでも何かの役に立てればって、ずっと思ってたんです!」

「んだよもぉーよぉー! 牧場なんてどーだっていーんだよぉー! てめぇーら全員手伝いにいきゃーいいんだよ俺だってあの人にはマジでシャレになんねーぐれぇーせわんなってんだしよぉー!」

「いや、全員はまずいですよ」

「そうっす! みんなでハンスさんを手伝えばいいんすよ!」

「いやいや、農場がやばいだけじゃなくてですね? いくらゴブリンさん達でも一気に増えたらマズイんですって」

 確かに、いくら兵士の人数に数えられることのないゴブリン達とはいえ、一気に増えるのは具合が悪かった。
 武力であるには、違いがないからだ。
 突然軍備を増強しようものなら、どう取られるかわからない。
 理想としては、運搬のためや労働力のためなどの理由をつけて、少しずつ人数を増やしていく事だろう。
 だが、ケンイチもミツバもゴブリン達も、今すぐにでも飛び出していきそうな勢いである。

「そんなこと言ったって、早くしないとハンスさんがしんじゃうっす! 大事件っす!」

「今日明日で死にはしませんよ流石に?!」

「くっそ、でもそーか。軍備はマズイのか。貴族とかよっくわっかんねーけど、なんかねちっこそーだしなぁー、チクショウ!」

「軍備はダメ。軍備……ん? 軍備? そうだ、自分にいい考えがあるっす!」

「いや、なんかセリフ的にすごく信用できない」

 すごく嫌そうな顔をするキョウジの予感通り、ミツバのアイディアはかなりのごり押しであった。
 しかし、その場にはそのごり押しに反対する人間が、キョウジしかいなかったのである。
 ミツバの「いい考え」は可決されることになり、「第一回日本出身者会議」は無事終了したのであった。



「そんなわけで自衛隊を結成することになったっす、ハンス隊長!!」

「「「うをぉおおおお!!!」」」

 ハンスが常駐する詰所の前で、そんな雄叫びが上がった。
 発生源は、横一列に整列する十名のゴブリンと、六名のオーク。
 そして、ミツバである。
 ハンスは恐ろしいまでに困惑していた。
 朝起きて職場で仕事をしていたら、突然この状況になったからである。
 ゴブリンとオーク達は訓練された兵士の様な整然とした様子で、びっちりと直立不動で整列していた。

「た、隊? 隊って、言っただろう、騎士団なんて作らないって」

「大丈夫っす! 自衛隊はあくまで外からの脅威に対抗するための備えっすから、軍隊じゃないんす! だから軍拡とかもかんけーないんすよ! 自分、自衛隊に就職志望だったから間違いないっす!」

「言ってる意味が全く分からないんだが。別にそんなものいらないぞ?」

 事実として、このあたり一帯には脅威と呼べるようなものはほとんど存在していなかった。
 盗賊はハンスにビビッて逃げるし、時折人里に降りてくる魔獣もハンスが一人で撃退できるからだ。
 そもそも存在しない驚異の備えても、意味がないのである。
 盗賊や傭兵には、ハンスは半分「自然災害」の様なものとしてとらえられていた。
 好き好んで突っ込んでいくやつはいないのだ。
 魔獣なども、ケンイチが掌握しているオオカミ魔獣たちが、人里近くのものはみんな食べてしまうのである。
 このあたり一帯は、世界中を見回しても珍しいほど平和なのだ。

「なに言ってんすか! そんなこと言ってたら、ハンスさんしんじゃうんすよ?!」

「死ぬ?!」

 ミツバの言葉の意味は「このまま働き通しで休む暇もなかったら、ハンスは過労死する」という意味である。
 しかしハンスには「軍備を整えなかったら死ぬ」という意味に聞こえた。
 自分はいったいいつの間にそんな危険な立場になったのだろうか。
 最近では実家からのちょっかいもなくなり、穏やかな生活を送っているはずなのに。
 そんな疑問が、ハンスの頭の中を駆け巡る。

「そうっす! でももう安心っすよ! これからは自衛隊のみんなが力を合わせて、街と農村を守るっす! だからハンスさんは詰め所でどーんと構えていてほしいっす!」

 ミツバの言葉の意味は「自分たちが警備や循環の仕事をするから、ハンスはゆっくり休んでいてくれ」という意味である。
 もちろん、ハンスにはそういう意味には聞こえない。
 というか、意味が全く把握しきれなかった。
 いったいこの従者は何を言っているのか。
 ハンスの混乱は深まるばかりである。

「ハンス隊長のために、がんばるっすー!」

「「「うをぉおおおおお!!!」」」

 まるで突撃をかける寸前の兵士たちの様な雄叫びが、朝の街に響き渡る。
 混乱して硬直するハンスをよそに、ミツバたちのボルテージはマックス状態だ。
 そんな詰め所に近づいてくる、一人の老人の姿があった。
 にこやかな表情でミツバたちの横を通り過ぎ、ハンスのもとにやってくる。

「皆さんに聞いたら、あなたに相談するようにと言われまして。お聞きしたいことがあるのですが」

「あ、はい。何事ですか?」

 老人に話しかけられ、ようやくハンスは再起動する。
 だが、その服装を見た瞬間、すさまじい嫌な予感がハンスの体を駆け巡った。
 その老人が、今まで三回ほどしか見たことがない素晴らしくよくできた布で作られた服を着ていたからである。

「実は、散歩をしていましたら、気が付いたら山の中に迷い込んでしまったようでして。難儀しておるのです。静岡というところに戻りたいのですが、ここはどのあたりでしょうか?」

「あれ! おじいちゃんも日本人なんすか?!」

「おやおや。ずいぶん外人さんが多いと思ってはいたんだけど、ここは外国なのかい? それにしては、言葉が通じるようだけれど」

「自分のステータス欄に言語翻訳っていうのが付いてたから、きっとそのおかげっすよ!」

「ま、まてまてまて」

 ミツバと老人の会話に、ハンスは割って入っていった。
 どうしても確認しなければならないことがあるからだ。

「ご老人。もしやと思いますが、あなたの出身国は、にほん、というところではありませんか?」

「はい。その通りです。いや、そう聞かれるということは、ここは本当に海外なのですかな。これは参った。神隠しですかな」

「う、ぬぁ……」

 ハンスは思わずといった様子で、頭を抱えた。
 ただでさえ訳が分からない状況なのに、なぜここでさらに日本人が。
 だが、そのハンスの様子を見て、別のとらえ方をする者がいた。
 ミツバ達である。

「た、た、たいへんっす! ついにハンス隊長の疲労が有頂天に達したっす! 頭抱えてるからきっと脳溢血っす! キョウジさんをよんでくるっすよー!!」

「ちっがっ! 落ち着け!」

「すぐに呼んできます!」

「タンカだ! タンカもってこい!」

 ミツバ達の混乱は、街にも伝染していった。

「た、大変だ! ハンスさんが疲労で倒れたって!」

「なんだって?! いっつも仕事してると思ってたけど、ついにか! 急げ、薬と滋養があるものとあとなんか酒とかだっ!」

「店にあるもんあるだけもってこい!」

「いや、だから別に俺べつに何もっ!!」

 こうして、片田舎の地方にある街の一日は、今日も始まったのである。
 混乱が収まるのには、数時間の時を要した。
 何とか厄介ごとが片付いたと安堵したハンスであったが、彼の認識は甘いと言わざるを得ないだろう。
 何しろこれは、彼に降りかかる災難の、まだまだ序章に過ぎないのだから。
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