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イイね!
2011年08月04日
汚された英雄・ガンさん ~元祖「不死鳥伝説」Partⅲ~



*ハコスカGT-R50連勝の原動力、KPGC10のレプリカを操るガンさん(『スカイライン神話Ⅱ』より)

「ようやくにして消息をつきとめた黒沢元治氏は、小柄で、物腰の低い、柔和な表情をした人だった」 ――内藤さんはガンさんの印象を第2部の書き出しで、こう描写しています。これまでモータースポーツ界とは無縁だった内藤さんが、競馬の騎手がそうであるように、レーシングドライバーも小柄で軽量な方が有利 なことに、思いは及んでいなかったようです。 

インタビューのために、東京・九段下の「グランドパレスHOTEL」に一室をセットした。その辺のことは、内藤レポートには書かれていないが、こちら側は徳大寺有恒さん、当時、編集顧問を委嘱していた久保正明さん(元「オートスポーツ」編集長、その後「ドライバー」編集長として移籍)と、ぼくの3人が内藤さんをサポートしていた。

そこへガンさんは、赤いシビックを駆って、現れたのです。
名刺には、〈コンピュータ・オートマティック・ガス防災自動安全装置〉をシステム販売する会社のスーパーバイザーと刷り込まれてあった。 あの富士スピードウェイ30度バンクでの壮烈な競り合い事故の責任を、不当にも一人だけに押しつけられ、レース界から追放された男が目の前にいる。消息を絶って、すでに何年になるのだろう。モータースポーツひと筋に青春をかけ、燃焼させてきた男が失ったものは何か。あれからどう生きてきたのか。早速、質問をはじめた。

――ダンプカーの運転手をなさっていると思っていましたが、いま、どういうお仕事を。  
「そんな噂をされていたのですか。ぼくは初耳です。レース界から完全に足を洗い、すっかり遠のいてしまったので、いろんな噂がでたのでしょうね。自動車の世界とは、全く関係がない。ガス事故防災装置の販売店を開発する仕事をしています」
――レース界を追われてから、どういう仕事を遍歴されましたか。 
「あの事故以来、もう6年になりますが、はじめは故郷の日立市でカーショップを開いたんです。儲かるからやらないか、といわれ、銀行から借金して開業した。だけどレースひと筋できて、商売をやったこともない人間にうまくいくわけがない。 それで2000万円ぐらいの赤字を出して倒産しちゃった。まだ、その返済に追われているんです。 
そのつぎに、宝石の商売をやらないか、と誘われた。それでダイヤモンドの勉強をはじめたら、話をもちこんできた人が倒産してしまい、3か月ぐらいで立ち消えになった。まだ深みにはまらず、実害が出ずに助かったけど……」



朴訥(ぼくとつ) で、淡々とした語り口。茨城訛りが、ところどころで顔を出すのが、空気を妙にあたたかくする。輝ける栄光のレーシングドライバーの面影は、どこかに隠してしまったらしい。スポーツ選手。現役を退いたあとも、なんらかのかたちで、そのスポーツ界と関係をもつ。「過去の栄光の遺産」で生計を立てるのが慣例である。

自動車のレーシングドライバーこそ、過去の経験と技術を生かすのに、最適の人材ではないだろうか。それなのに、ガンさんのような実力者が、どうして自動車関連業界とまったく無縁の生活を送らねばならないのか、不思議であった。

――ドライブ・テクニックを教えたりする仕事を、なぜなさらないのですか。
「そういうことができたら素晴らしいでしょうね。だけど、そんな話は、夢の、また夢。クルマの世界で、レーシングドライバーを退いたあとに、うまい話はありません。まして、ぼくの場合は、選手生活の絶頂期に、自らの意思で、日産自動車のメーカー・チーム、ファクトリー・ドライバーを飛び出し、独立したから、なおさらです。あの事故の責任を、ぼくひとりだけが負わされたのも、いや、あの事故がおこったことさえ、実は、ぼくの絶頂期での独立と関係があるんです」


*1971年10月10日の「富士マスターズ250キロレース。
30度バンクで先頭をゆく黒沢車。追走するのが国光車(『スカイライン神話Ⅱ』より)


「加害者」のレッテルを貼られ、ライセンス返上。食うや食わずの悪戦苦闘を強いられてきただけに、この際、いっておきたいことが山ほどあるのだろう。話はズバリと本論に入り、ガンさんの口調に、熱っぽさが加わる。が、理性は失っていない。日産自動車などの特定企業の批判や、個々の選手の非難は、慎重に避けたのが印象的だった、と内藤さんは特筆する。
「ファクトリー・ドライバーで実績があがらず、会社からお払い箱になる選手は、たくさんいますよ。でも、ノリにノッている時期に、自分の方から会社を飛び出し、独立したのは、後にも先にも、ぼく一人。いまから考えると、自分の読みが甘かった、というか、誤り、つまずきの第1歩だったんです」

●なぜ日産を捨ててまで……


*ドライタイヤを選択して、オールウェザーの国光車を振り切ったガンさん(『スカイライン神話Ⅱ』より)

寄らば大樹の、の逆を行き、なぜ独立したのか。ガンさんなりの動機と理由があった。
社会に新しい変革の波が押し寄せていた。日産自動車のように巨大組織のメーカーに所属していると、もはや、自由にレースに参加したり、納得するだけの練習走行さえもが、難しくなったからだ。

ドライバーは契約を交わしているだけで、社員ではない。だが、メカニックをはじめ、レース関係者はいずれも社員であり、労働組合員でもある。むやみに残業を強いることもできない。レース前にマシンが不調になれば、徹夜してでも整備しなければならないのに、労働協約によって、そういうムリがききにくい。まして、排ガス規制の強化で、メーカー各社は腕のある技術者を全員、排ガス対策にまわし、レース参加ヘの熱が急速に薄れていったのです。

オーバーヒート気味だった「日産対トヨタ」の対決ムードも60年代の後半までがヤマ場。1969年の日本グランプリでR382に乗った黒沢元治が優勝したのを最後に、翌70年の日本グランプリは、日産の、ついでトヨタのレース不参加声明によって、突然中止された。

これで、ファクトリー・ドライバーにとっては、目標や出番が、消えた。
そして、皮肉なことに、そのころから「富士グランチャンピオンレース」が、富士スピードウェイで開催されるようになったのです。出ようにも出られないファクトリー・ドライバーをしり目に、高原敬武や生沢徹、風戸裕など、プライベート・ドライバーの独壇場となり、覇を競いあった。
人気も沸騰した。それを指をくわえて、見ているわけにはいかなかった。
それで、あえてプライベート・ドライバーへの転身をはかる。

頼るべき大樹を自ら捨てたのだ。そして日本グランプリに替わる富士グラチャンに参加したのです。ここから、あの接触事故へ、時計の針が進んでいったのです。

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Posted at 2011/08/04 00:37:01
イイね!
この記事へのコメント
2011/08/04 07:51:40
当時、一番嫌いなドライバーがガンさん。
予選でトップの大好きな星野を決勝レースで撃沈、しかも同じエンジン、車体。
でも、この事故の詳しい経緯は不明のまま。
以来レースの衰退と共にレースも面白く無くなってしまいました。
中島、鈴木選手が星野一義を破ってF-1に行っても、応援はするも心の中は
’無限、ヤマハのエンジンを独占使用で星野に勝ったくせに、本当に速いのは星野じゃないか’。
でも僕の心の中では、ガンさんはその星野選手の上にいました。
今ではガンさんのコメントが楽しみでカーマガはビデオ、CDを含めみな買いました。
コメントへの返答
2011/08/04 08:04:34
ガンさんが、もっとも可愛がっている後輩が星野一義で、その能力の高さを、だれよりも認めています。

徳大寺有恒さんも、日本一のドライビング・スキルの持ち主を、星野にするか、ガンさんにするか、いつも迷っています。

それは、ぼくも同じ。

ああ、星さんに久しぶり、逢いたくなりましたよ。
2011/08/04 13:25:05
社会と経済においては、後付けでもでっち上げでも良いから何かしら「理由」を付けなければならない。

そして、この時の事故においても誰かが責任を取らなければ、誰かに責任を押しつけなければ始末がつかなかった。

しかし、“後”のことを考えれば大企業であるワークスと、その看板であるドライバーに責任を押し付ける訳にはいかない。結局、立場の弱い「個人」でありワークスの敵であった黒沢元治さんがスケープゴートにされた。

お話を聞いていると、そんな風にも「邪推」出来てしまいます。
コメントへの返答
2011/08/04 14:46:01
スケープゴートにされた「羊」が「虎」となって復活した例がどれくらい、あるのだろう?

見事に復活して見せた「不死鳥」の正体を、この稿では狙っています。
2011/08/04 17:17:41
また若輩者の自分としては、雑誌やベスモで自動車を辛口に切る大御所ガンさんのイメージが強かったので、伝え聞くだけでなかなか実感が湧かないというのが正直なところでした。

その後、今は亡きミスタースカイライン桜井眞一郎さんと久々に再会したガンさんが、おろおろと泣いていたシーンを見て、かつてのガンさんの中での葛藤と苦労がいかに壮絶なものだったのか、少しだけですが垣間見えたような気がしました。

それからしばらくしての77年年富士F1GPでもそうでしたが、なかなか日本でのモータースポーツ定着は難しい…考えさせられます。
コメントへの返答
2011/08/04 17:28:09
これから改めてガンさんの「ドライビング・メカニズム」と取り組むにあたって、谷底で苦闘したガンさんの姿を知ることで、また新しい発見があると思います。

ガンさんの「深い」部分が見えてきませんか。
2011/08/04 20:26:33
はじめまして

クルマ大好き人間なのですが、なぜかレースは人並み程度の関心しかありません。
でもニッサンR382やポルシェカレラ10は、子供の頃、ゼンマイプラモを作った記憶があります。
事故も、サーキットの狼でかじった程度で、詳しく知りませんでした。

ガンさんと70年代の日本のモーターシーン、大変興味があります。

続編に期待しています。
コメントへの返答
2011/08/04 22:13:43
新しい関心が生まれ、そこからさらに、もう一つ、先へ行く。このブログを引き受けてよかった、と思える、嬉しい瞬間です。
2011/08/04 21:43:35

黒井尚志の「レーサーの死」
中部博が2007年から2009年、17回にわたってRacing onで連載した「まだ振られないチェッカーフラッグ」

74年6月2日の事故を御存じない方は、
上記二作も合わせて眼を通してもらいたいです。
前者は書籍なので入手しやすいです。




コメントへの返答
2011/08/04 22:08:28
有難いアドバイスです。
多分、これからは単なる記憶ではなく、後世に伝えるための記録を刻んでおくべきでしょう。

光をいろんな角度から当ててみること、お薦めします。
2011/12/07 15:48:52
僕も現在の黒澤氏の御活躍を頼もしく思ってます。

YouTubeでガンさんのドライビングを見ていますが、年齢を感じさせない切れ味と迫力にいつもしびれています。特にステアリングを使うタイミングと切り込み量の適切さと、滑らかなアクセルワークは見ていて勉強になります。

一度、ガンさんにサーキットドライビングのレクチャーを受けてみたいです。
コメントへの返答
2011/12/07 22:57:56
近い将来、必ず機会をつくりますので、その時には、お知らせします。
2012/11/21 21:26:08
昨日から、色々と読ませていただき、この部分にきて当時この本を本屋でみつけ、あわてて読んで購入しました。いまでもこの本を持っています。この本を読んで、ガンさんの人生が狂ってしまったことやその当時私は、手紙を書いて、その時には、今はもう選手ではありませんがという言葉がありました。母親からいただいた手紙にも息子(ガンさん)は、OOに住まわれていることを教えていただき、お手紙を書いた記憶があります。
私もポテンザドライビングスクールへはがきを出しましたが、残念ながら当選できませんでした。
その後のベストモータリングやレーシングヒストリーのVHSやDVDでガンさんのドライビングを改めて映像でわかりやすく知ることができたり、ポルシェ公認のタイヤづくりなどを知り、うれしくなりました。

黒沢 元治選手のブリジストンのCM(フェアレディーZに乗って、横断歩道を止まってわたらせるシーンが頭に残っています。)が今でも自分の記憶に残っています。

これからも、正岡様のブログを楽しく読ませていただきます。
コメントへの返答
2012/11/21 22:03:12
たいへんこころが自然と温まってくるコメント、ありがとうございます。

ガンさん、まだ現役です。来年はスーパーGTの監督もやります。ドライビングの奥義を見つめた単行本も出します。

これからもよろしく。

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