FILE5 : 富士スピードウェイ30度バンク
〔撮影2013/4/1〕
もしこのレポを読んでくださる方の中で、このスイッチのプロローグを
まだ読まれていないという方がいらっしゃいましたら、
初めにそちらをサラッと読んでいただければ幸いと思います。
>>先ずはプロローグをどうぞ<<
そのプロローグを書いたのが今から約10年前。
自動車専門誌であるホリデーオートの記事を目にして衝撃を受けてしまいました。
ホリデーオートの記事には富士スピードウェイ伝説の30度バンクの事が書かれており、
バンク自体にも激しく興味を惹かれたのですが、さらに自分の中に潜んでいた
『廃モノ好き魂』をも呼び起こしたという、私自身の趣味嗜好を変える(と言うか呼び起こした)ターニングポイントとなりました。
(大袈裟か…)(笑)
記事を読んだ当時、このバンクがこの後どのような行く末を辿るのか全く知らなかったので、
もしも潰されてしまうなら一刻も早くこの眼で眺め、この足で踏みしめ、この脳裏に焼き付けたいと
半ば焦る位の気持ちで情報収集を行っておりました。
しかし、まだまだ幼い長男を車に乗せ、静岡まで廃コースを見に長距離ドライブに行きたい!と嘆願しても、
嫁さんは絶対に「いいよ」って言わないのは目に見えていましたし、もし行ったとしても改修工事に入っていて
現場までたどり着けなかったら逆に切なすぎる!(>д<)、と色々なリスクを考慮し、最終的には断念してしまいました。
そしてその想いが心に引っ掛かったまま10年が経過し、やっとその願いが叶うことになりました。
父が名古屋・静岡にいる兄姉や親戚に会うために、家族旅行をしようと言いだしたのが発端でした。
名古屋→静岡と移動し、帰りのルートを山梨経由にしたのですが、ママが『帰りに忍野八海が見たい!』というので、
それはどこなんだろう?と思って地図を眺めた時に気が付いてしまいました。
『ついでにFISCO(※)にも行けるじゃん(TДT)』
ということで、ひょうたんから駒みたいな感じで、富士スピードウェイへ行くことが決まりました。
※FISCO:Fuji International Speedway Co.,Ltd(富士スピードウェイ株式会社)の略称。(フィスコと読む)
しかし現在はトヨタの傘下になった為、略称はFSW(Fuji International Speedway)と呼ばれている。
前置きがうすら長くなりましたが、今こうしてやっと、スイッチの原点となったこの伝説の地に訪れる事ができました。
この坂を下った所にあるのがショートサーキットとそのピットの建物で、
そのさらに向こうの土手の上に、巨大な黒いカーペットのように横たわっているのが30度バンクです。
では30度バンクってなんじゃ?という方に、簡単に御説明おば。
(っと言っても私の説明もWEB上で拾ってきた受け売りなのであしからず)
富士スピードウェイは1966年(昭和41年)に開業しました。
当初はNASCARのレースを想定してオーバルコースの設計だったそうですが、
地形的にオーバルレイアウトを造る事が出来ず、ヨーロッパ式のロードコースに設計を変更したそうです。
30度バンクは当初の設計の名残なのでしょう。
上下2つの写真は1983年の航空写真と2007年の航空写真です。
メインストレートの中程にコントロールタワーやピットガレージ、メインスタンドが見えますが、
ココからスタートして基本は右方向に車が走っていきます。
1983年の写真ではストレートの終わりのすぐ手前で右に曲がってコースをショートカットしていくルートと
そのままその先の大きな右カーブで曲がっていくルートが写っています。
この手前の右に曲がるショートカットが現在の第1コーナーで、奥の大きな右カーブが
旧第1コーナーである30度バンクになります。
かつてはショートカットをしない6qコースとショートカット有りの4qコースと言うように
コースレイアウトを使い別けていたようです。
これが2007年になると、6qコースである旧コースの面影がほとんど無くなってしまっております。
少し向きは変わりますが、同じく1983年と2007年の航空写真です。
PCで閲覧されている方はマウスポインタを写真の上に置くと写真が切り替わります。
(スマホで閲覧の方は、写真をタップしてみてください)
富士スピードウェイと言えば、1971年(昭和46年)から1989年(平成元年)まで開催された
富士グランチャンピオンレース(富士GC)が有名ですが、じつは1973年と1974年の
2年連続で死亡事故が起きてしまっております。
そしてこの事故が切っ掛けで、30度バンクの安全性が懸念され、6qコースが封鎖されてしまいます。
従いましてこの1983年時点では既に、30度バンクが閉鎖され9年が経過している状態なのですが、
まぁこれくらいのスケール写真では物理的にどのように閉鎖されているのか?や
コース自体の荒れ方などがまったく判りませんね。
もしかすると閉鎖後9年位なら、いつか復活出来る日を夢見て、コース脇の下草刈り程度なら
行っていたかもしれません。(完全に想像ですが)
しかし、2000年にトヨタが富士スピードウェイを買収し、現在のF1を開催できるように
2003年から2005年に掛けてコース改修を行いました。
この時、本コースの他にいろいろな施設や他のコースも併設されました。
閉鎖されていた6qコース部分のうち、3分の2は整地され、他の施設に生まれ代わりましたが、
残りの3分の1は「30度バンクメモリアルパーク」として整備し、保存することになりました。
このような経緯を辿り、僅か8年しか使われなかった30度バンクは
その特異性や悲しい歴史を持った伝説のバンクとして、富士の裾野で静かに眠っております。
東ゲートから入場したsuginchi御一行は、ショートサーキットの前を通り、P9駐車場に車を駐めました。
ちなみに富士スピードウェイへの入場料ですが、有料イベントが行われていなければ、
大人ひとり1000円・中学生以下無料です。
(誰かがJAF会員だったり、ゴールド免許保有者であれば900円に割り引きされます)
前述で書いた歴史のことなど、全く知らない娘にとっては
向こうの30度バンクより、足下のつくしの方が興味があるようです(笑)
さて、いよいよ目の前にある、あのFISCOの30度バンクに登ってみます。
それにしてもこのアングルからの30度バンクが一番恐ろしく傾斜して見えますね。
初めてネットでこのアングルの写真を見たときに、車の走るコースとは信じがたいと思いましたが
今こうして肉眼で見てもその感じはそのままで、ほとんど黒い壁にしか見えませんね(汗)
バンクの有る土手の階段を上り、上がりきったところに植生しているこの木。
いやぁ〜思わず嬉しくてペタペタ触ってなでなでしてあげましたが、この木は私に衝撃を与えた
ホリデーオートの写真に写っていたあの木です。
当然このバンクが現役で使われた時にこの位置に有ろう訳がないですから、
1974年の廃止後に植生してきた事は間違いありません。
こんなに木が大きく育つ位、廃止から時間が経っているんですね。
って言ってる自分もそれくらい生きているんですけどね(笑)
バンクの中程まで登って、現第1コーナー側を眺めました。
今は現役コースとは完全に切り離され、メインスタンド側から
30度バンクを見にくる人の為のアクセス道が整備されています。
かつてはあのロングストレートから、バリバリにチューニングされたマシンが、
もの凄いスピードでこの30度バンクを駆け下りてきたんでしょうね。
なにかのレースかイベントでも行っているのでしょうか?現役コースの方からは
エンジン音やタイヤのスキール音がしきりに聞こえてきております。
しかしこのバンクでは「夏草や兵どもが夢の跡」みたいな雰囲気が漂い、
静かな昼下がりの空間が広がっております。
バンクの一番上まで上り、反対方向を眺めました。
この位置まで登り詰めるには、少々の体力と滑落しそうな恐怖を感じます。
かつての6qコースはこの写真に写っている先の所までで、ブッツっと終わっております。
その先はショートサーキットやトヨタ交通安全センターモビリタとして生まれ変わっております。
バンク外側の土手には、スタンド席が有ったはずなのですが、
すでに植物に覆い尽くされてハッキリとはここにあった!と判別できない状態になっています。
時間があればそこまで言って、当時のグラチャンを見ていた観客の目線で
30度バンクを眺めてみたかったのですが…次回訪れた時の宿題として残しておきます。
前の写真や、その前の写真ではイマイチこのバンク角度の凄さが伝わらない気がしますが、
この写真ならどーですか?結構な傾斜でしょ( ´Д`)
ほとんど滑り台みたいな角度ですが、お尻では先ず持って滑らないでしょう(笑)
でも、立ち上がると路面にある砂や細かな砂利の仕業でズルズルーっと滑り落ちそうで
冗談抜きに下りる時はある程度の高さまで手を付きながら下りました。
角度を感じて欲しい第2段。
路面をフラットになるように見るとこんな感じです。
まだまだバンクの傾斜を堪能していたかったのですが、この後のスケジュールもあるので、
スタンド席痕やこのバンクの最終地点に後ろ髪を引かれながら、バンクの入口だけ見に移動します。
流石にバンク頂点付近をそのまま移動するのはつらいので、バンクの下のフラットな所を歩きましたが、
このアングルから見上げるバンクも圧倒されますね。
路面というよりは、だらしなく施工された法面と言った方がしっくりくるかもしれません(笑)
現存するバンクの一番起点側の位置から撮影。
この辺りではガードレールの支柱の境界を越えて樹木がコース側に伸びておりました。
葉の茂る季節には近くの支柱は緑に隠れてしまいますね。
トヨタは30度バンクを全て壊さずにメモリアルパークとして残してくれましたが、
自然と時間は放っておけば、待った無しにその形跡と記憶を風化させてしまうでしょう。
モータリゼーションの大きな流れの中でこのサーキットは生まれ、そしてこのコースは封印されました。
モータースポーツは今でも当然、命の危機や怪我の危険とは隣り合わせではありますが、
このコースが使われていた時代は今よりもっと命がけでドライバー達がハンドルを握っていたのでしょう。
40年前、ここではエンジンが唸りを上げ、タイヤの擦れた臭いが漂い、大勢の観客が声援を上げていました。
そしてたて続けにドライバーの尊い命が失われ、このコースには静寂が訪れることとなりました。
この目の前に広がるこの場所でそんな歴史があったことを色々と回想しながら
しっかりと30度バンクの景色を眼に焼き付けました。
子供達が大人になった頃、このバンクはどのような姿を残しているのでしょう。
でもその前にはもう一回来よっと!
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