2014-07-03
■[日記]「暇を持て余して」「鏡で」「「遊ぶ」」
「どうも。はてなの磁場が生んだブギーポップ・ファントム*1こと、srpgloveです。
「今回の世界の敵、もとい議題はこちらです。
ラノベでカギ括弧を重ねて使うのはズルなのか技法なのか - Togetterまとめ
「詳しくはリンク先を参照してもらいたいのですが、簡単に言うと、シナリオライターでありライトノベル作家である鏡裕之氏が、「この頃」のラノベにしばしば見られるという、複数人が同時に声を合わせた発言を「「「えっ!」」」のように、カギ括弧を重ねる形で表現する手法に苦言を呈した、という話です。
「その理由は、
ああいう表現は文章力を上げないので、やめた方がいいと思う。 括弧を重用しないで意図を実現するのが、プロの作家。
カギ括弧の力を借りて安易に表現するのではなく、地の文で3人の声が重なり合っているようにイメージさせる。 それがプロの仕事だし、文章力だと思う。 カギ括弧を重ねるのはズルをしているだけ。
ああいうズル表現に飛びついていると、文章力は伸びません。けれども、作家は年をとる。時代と感性がずれる。別の世界へのチャレンジを強いられる。でも、文章力がないとチャレンジができない可能性が高くなる。
作家の首を絞めるから、安易にやるべきではないし、安易にまねるべきではないという考えです。文字をばかでかくするのも以前現れましたが、今は……? あんなのは消え一発芸芸人みたいなものなので、作家に勧められることではありません。
書き手が面白い小説(結果的に緊密な硬)の小説を書こうとすると、文章力が必要となってしまうのです。かぎかっこを重ねるような文章力では、無理なのです。
だそうです。
「今まさに現役であるライトノベル作家によるライトノベル(作家)批判であり、あくまで作家の視点から作家にとっての影響を問題にしている点で、最近いくつかあった読者側から発生したラノベ議論とは一線を画しているとは言えます。一連の発言に説得力を感じる人も中にはいるでしょう。
「さて、ではその鏡氏自身は自作においてどんな文章表現を使用しているのでしょうか。実際に作品を読んで検証してみましょう。
「……というアプローチを考えていたのですが、チンタラしている隙にこちら
【続 カギ括弧議論】発端の鏡裕之氏「誤読している」と反論 - Togetterまとめ
に先を越されてしまいました。「「「ファック!」」」
「まあでも、せっかくなのでこちらでも独自にやっておこうと思います。サンプルは、たまたま手元にあった『ブラバスター〈1〉―BOIN SAGA』(青心社文庫)
- 作者: 鏡裕之
- 出版社/メーカー: 青心社
- 発売日: 2003/05
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淫魔に襲われた者は、言語を絶する快感と引き換えに、衰弱死してしまう。だが、ごく稀に衰弱することもなく快楽を享受し続ける者がいる。彼らは何らかの異能を有し、狙った異性を性的奴隷にする悪魔。彼らを取り締まる聖天使たちは、それを淫魔使いと呼んでいた―香神夢彦は筋金入りのオッパイ星人。しかも何故か、彼にさらわれた女性はいつも更なる快感をえようと息を弾ませ胸を押しつけてくる。そんな彼の元に、爆乳の淫魔リリスが棲みついて…。
といった感じのシリーズ一作目です。
「・フォントの変更
豊満な乳房は、男にとって永遠の欲望である。
(p.5)
一、世界の秩序と平和を守ること
一、他人に秘密を漏らさぬこと
一、決して殺人を犯さぬこと(p.127)
「冒頭のエピグラフと、作中の「聖協会手帳」に記されている「聖天使規則(《ROA》とルビ。ROA=Rules of Angels)」。この二ヶ所ではフォントが筆書系のものに変更されています。格式とか伝統といったものを演出したいのでしょう。
「さて、この意図を文章だけで表現することができるか?できますね。とりあえずエピグラフについては、適当な書名をでっち上げてそこからの引用ということにすれば、似たようなもっともらしさが出せるでしょう。「『おっぱいの歴史』(乳英社刊)より」とか。
「よって、ここでのフォント操作は「ズル」「安易」「一発芸」であることが明らかになりました。
「・叫び
「いや〜っ、やっ、やっ、やあああああああああああああああッ!」
(p.62)
「やぁぁっ、あっ、あぁぁぁぁぁぁっ!」
(p.120)
「やっ、やあっ! や、やめてぇっ、あああああああああぁぁぁン!」
(p.142)
「やぁぁぁっ! あああぁっ! あああっ! ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
(p.143)
「やっ、いやぁ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
(p.149)
「はあああああああああああああぁっ!」
(p.156)
「やはぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
(p.158)
「あああああああああぁぁぁっ! あ――っ、ああああああぁ――――――――――っ!」
(p.172)
「あああぁぁぁぁぁぁぁッ、あぁぁっ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
(p.238)
「ああぁぁぁぁッ……あぁッ……あああぁぁぁぁぁ――ッ!」
(p.239)
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
(p.248)
「叫んでますね。気持ちいいぐらい。あ、実際気持ちいいのか。これはしたり。あっはっはっは。
「これを地の文で表現するのは大して難しくもないでしょう。「悲鳴のような嬌声が長く尾を引いた」とでもしておけばよろしい。いちいち音を文字に引き写すような必要はありません。
「よって、母音の連続による叫び声の表現は「ズル」「安易」「一発芸」であることが証明されました。
「・ハートマーク
「お姉さんのムネ、おっきい(引用注:ここにハートマーク)」
(p.12)
「オフコ〜ス(ハートマーク)」
(p.15)
「やはぁぁぁ〜ん(ハート)
(p.52)」
「いっぱい出すです(ハート)」
(p.94)
「先生、胸おっきいね(ハート)」
(p.120)
「せ〜んせ(ハート)」
(p.134)
「先生のオッパイ、ほんっとおっきい(ハート)」
(p.139)
「せんせ(ハート)」
(p.140)
「いいですよね、ハートマーク。圧縮されたかわいやらしさを端的に表現してくれます。本作では、男(主人公)の台詞に添えられている場合が多いのが若干不愉快ですが……
「さて、そんなリリンの生み出した文化の極みたるハートマークですが、残念ながら我々はここにもメスを入れなければなりません。これを地の文で置き換えるとするなら。
「媚びを含んだ声で言った」
「こうでしょう。なんだか一気に身も蓋もない表現になった気もしますが、仕方ないのです。将来に向けた文章力の成長のためには目の前の作品のクオリティを落とすこともいとわない、それが「プロの仕事」というものなのです。ためらってはいけません。
「よって、ハートマークの使用も間違いなく「ズル」「安易」「一発芸」であるとここに断言します。
「さて。
「もしも作者、鏡裕之がこの文章を読んだたとしたら、上で行われた修正、と呼ぶのもおこがましい改変についてどう感じるでしょうか。なるほど全く理にかなった指摘だなと素直に受け入れる?そんなわけはない。十中八九「そんなことをしたら、せっかくの意図が台無しだ!」という怒りを覚えるはずです*2。何しろ、プロの作家が一度世に送り出した作品ですからね。そこには、隅々まで作者の「意図」が通っていると思った方がいい。たとえ意味内容としてはほぼ同一でも、全く同様の印象を別の表現で与えることなど、絶対に不可能です。少なくとも作家自身はそう考えていることでしょう。どんな細部にも意味があり、一文字たりとも自分の許可なく差し換えることまかりならん、と。それはまったく自然な感情だろうし、特に不都合がない限りは尊重されるべきだと思います。
「でもこれ、たぶん、多重カギ括弧を使っている作家達も同じなんじゃないでしょうか。複数の手法を比較検討した上で、とりあえずその時の自分にとってはベストであり代替不能な表現として、「「「」」」を敢えて選択しているのかも知れない。そう想像するのは、そんなに難しいことですか。
「どんなジャンルでも、作家には多かれ少なかれ信仰が必要なのだと思っている。狂気と言い換えてもいい。それは、世界に対する何らかの確信だ。現にこうしてある、或いはかくあるべき世界の姿への根拠のない断定。その具体的な中身に関わらず、これが基準として存在することによって、物語の内容にしても表現にしても強い一貫性が生まれる*3。逆に、これを一切持たなければ、無限の選択肢の前で立ちすくみ、恐らくは一文字目を書き出すことさえできないのではないだろうか*4。
「フォント弄りや「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」やハートマークは問題なくて、「「「え〜っ!?」」」は文章力の成長を妨げる「ズル」で「安易」な「一発芸」なので使うべきではない、という基準には、万人が共有できるような論理的な根拠があるようには思えない。しかし、この根拠の無さこそが作家の個性の源なのだろうし、その意味で鏡裕之は確かに作家に向いている。他のどんな作家も、必ず個人的な美学に基づく一人よがりなルールを抱えているはずだし、それが狂信である以上は自分のみならず他者にも適用され、内心でその存在を全否定している手法・作品の一つや二つ、あるいは作家の一人や二人はあるだろう。これは仕方がない。作家を作家として存在させ、我々読者が作品を消費するためには容認しなければならない必要悪だ*5。
「だが、自分の中にある狂信を、全世界から見ることができる形でネット上に公開し、あまつさえ、他者への批判の根拠とするのなら話は別だ。不特定多数の人間の無遠慮な手によって発言の内容を精査され、その正誤に対して評価を受けることになる。これは、鏡裕之が自分自身で選んだ道だ。今さら「誤読」だの「国語力」だのの問題にして拒否することはできない。わたしも、好き勝手にその主張を検証させてもらう。
「・鏡裕之の発言には、「カギ括弧の重ね書きを使うと作家の文章力が成長しない」「カギ括弧の重ね書きを使うような作家は文章力が低い」「カギ括弧の重ね書きはプロにあるまじき表現」という複数の主張が混在しているが、これらは本来すべて別の事柄だ。全てを同時に主張しているということもあり得るが、少なくとも、どれか一つから他の結論が自動的に導かれるという種類の話ではない。
たとえば、もしも「文章力の成長が期待できるが当座のクオリティは若干落ちる表現」と「文章力の成長には寄与しないが確実に一定の効果を上げる表現」の二つがあった時、「プロの作家」が選ぶべきはどちらだと鏡裕之は考えているのだろう。
「・鏡裕之は「この頃、ライトノベルで、」と話を始めているが、こんな証言が出てきたようだ。多重カギ括弧は20年以上前から存在していた?友野詳氏の回想録? - Togetterまとめ 少なくとも20年前にはカギ括弧を重ねて同時発言を表現する手法は存在したことになるし、20年は「この頃」と言うには少し長すぎる。
「・カギ括弧の多重使用が文章力の成長を阻害するという主張の根本には、「「「」」」を使うことによってその分地の文の執筆量が減少するという予想があると思われるが、べつに括弧がネストしてようが地の文は変わらない場合もある、むしろそちらの方が多いという意見も存在する。言われてみれば確かにその通りだ。単純な事実としての問題については、これだけでほぼケリが付いたと思っていいのではないだろうか。
「・鏡裕之が、自分はあくまで書き手の視点からカギ括弧の重ね書きが書き手に与える影響について語っていると強調しているので、こちらは純粋にわがままな読み手の視点で言わせてもらうが。仮に「カギ括弧を重ねるのはズル」「ズルをすると文章力がつかない」「年をとると別の世界へのチャレンジを強いられる」「文章力がないとチャレンジができない可能性が高い」が全て正しいとして、文章力を付けるために書くのは世に出して対価を要求する作品ではなく誰にも見せない習作にしてもらいたいと思う。想定される読者にとっては読みやすかったり面白みを感じたりする(だろう)手法があった時、「文章力の成長の妨げになるから」などという現在の読者の利益には全くならない理由でそれを否定する作家がいたら、正直わたしは信頼することができない。
たいていの読者にとっては今目の前にある作品の面白さこそが重要なのであって、よっぽどのファンでもない限り作家の将来などどうでもいい。だから、作家もそんな無責任な読者に義理立てする必要はなく、自分の「成長」や将来の受け入れ先である「別の世界」(まあ一般文芸と思っていいだろう)から、「おっ、カギ括弧重ねて使ったりしてない『まとも』な文章だな!感心感心」と認められるための表現を優先することも自由だ、とも言えるが。
「・そもそもプロ作家が他作家の「成長」を心配しようなんておこがましいとは思わんかね……?というか、傲慢以前にずいぶん余裕だなと思う。「「「」」」なんか使ってる作家は文章力がないし成長できずにいずれ潰れていくと本気で信じているなら、むしろ自分を追い落とし得るライバルが減ることを諸手を挙げて歓迎するべきではないだろうか。ここは戦場だぞ!?*6」
「・せっかくなので、ついでにこちらも片付けておこう。
「「鮭が切り身とかwwwマジでwww」」という話 - 価値のない話
こういう技法は従来の技法から生まれた加工品のようなところがあると思う。だから加工品としてわかっていて消費するのであれば何も思わないけれど、魚の切り身が海を泳いでいると思い込むようにこの技法が全てだと思う若い人が心配だ。そもそも既に一般文芸と某ジャンルは乖離が進んでいて、某ジャンルのことを外の基準と照らし合わせることができない。
少なくともわたしの観測範囲では、「こういう表現“も”アリだよね?」という形での反論の方を圧倒的に多く見かけるので、「この技法が全てだと思う若い人」に対する心配にはまったく共感することができない。ラノベ(特有ではないにしろ)の表現についての話題が持ち上がるたびに、ラノベしか読まない・知らない・認めない読者の存在を想定したこのような発言が毎度毎度現れるのは不思議だ。
ちなみに、
最近の子供はスーパーで売っている魚の切り身を「魚」と認識するらしい。これは加工食品が身近にあふれすぎていて本来の魚の姿を見せていないからだ
誰もが一度は耳にしたことがあると思われる非常にポピュラーな噂だが、これはわたしが記憶している限りでは10年以上前から流れているものだ。人によっては30年以上前から存在しているとも言う。にも関わらず、これに由来する大きな社会的混乱が特段起こっているようには見えない以上、根拠のない都市伝説であるか、仮にそういう子供が実在するとしても成長の過程でほぼ矯正される程度の、些細な問題だと思っていいだろう。
真の問題はむしろ「『最近の子供はスーパーで売っている魚の切り身を「魚」と認識するらしい』という話に簡単に飛び付いてしまう大人」の方にある気がしてならない。人間は自分が信じたいものを信じるものなので、こういう人々にとっては何らかの理由で「最近の子供」が愚かな方が都合がいいのではないか。
「わたしは、鏡裕之氏の作品は小説を二冊しか読んでいませんが、その(世間的には色々言われることの多い)独特な文章は決して嫌いではありません。また、女性の胸部に対する恐ろしいまでの執着は、まさに「巨乳ゲーム&巨乳小説の第一人者」の呼び名にふさわしいものでしょう。繰り返しになりますが、こうした作家としての特徴が、氏の個人的な強いこだわりから生まれていることは間違いありません。それだけにその「信仰」が、今回のように作品ではなく、また他者を否定する形で噴出してしまったのは、非常に残念です。鏡氏が作家としての本道に立ち返ってくれることを願い、『ブラバスター〈1〉』あとがきからの引用で終わりの言葉に代えさせていただきます。
じ〜〜く・ぼいん!
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
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