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  • 細谷雄一

集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定

7月1日、昨日になりますが(私はパリにいるのでまだ7月1日です)、安倍晋三政権で集団的自衛権の行使容認をめぐる閣議決定がありました。2006年に第一次安倍政権が成立してから実に8年が経っています。私は、2013年9月から、安保法制懇のメンバーに入りまして、今年の5月15日に安倍総理に提出された報告書作成にも多少は安保法制懇有識者委員としては関係しておりますし、報告書提出の際にも首相官邸で安倍総理の近くに座ってその重要な場面に居合わせることができました。

この問題をめぐるマスコミの報道、反対デモ、批判キャンペーンを見ていて、少々落胆しております。あまりにも、誤解が多く、あまりにも表層的な議論が多いからです。昨年11月には、特定秘密保護法案が成立しました。その際にも同様の誤解に基づく反対キャンペーンがあって、うんざりしました。特定秘密保護法案は、公務員や政治家を対象とするもので、先進国で最も秘密漏洩が激しい日本に対する他国からの批判に応えるものでした。日本はインテリジェンス機能が弱く、アメリカなどからの情報に依存せざるを得ません。しかしながら、あまりにも公務員や政治家による秘密漏洩が多く、アメリカ政府は重要なインテリジェンス情報などをあまり日本に提供したがりません。NSCを設立し、また朝鮮半島情勢が不安定化する中で、日米防衛ガイドラインでの日米防衛協力を強化する上では、そのような秘密漏洩の阻止は不可欠でした。マスコミがこれに批判していた本質的な理由は、基本的に、日本の政治報道が番記者による政治家からの秘密情報のリークに依拠しているからです。それによるスクープを得ることに夢中であり、この特定秘密保護法案でこれまでのように政治家がリークしてくれなくなる可能性を恐れているのです。番記者の情報収集に、国民の安全を考慮して本来あるべき一定の制約がかかるという問題が、なぜか日本の軍国主義化という議論になってしまい、戦前のような統制国家へ戻ってしまうという理解に苦しむ批判があふれていました。ある映画監督は、「これで映画が作れなくなる」と厳しく批判しましたが、いったい何を根拠にそう語っているのか全く理解できません。その映画監督はそう言って以降、本当に映画が作れなくなったのでしょうか?公務員や政治家の安全保障に関わる機密の漏洩を防ぐための法律改正が、なぜ映画制作と関係あるのでしょうか?国家の機密情報の漏洩を得なければ、映画はつくれないのでしょうか?

今回の集団的自衛権に関する問題も同様です。私自身、安全保障については多少勉強してきましたが、それだけでは不十分なので主要な憲法のテキストや、国際法のテキストや論文、英語での主要な集団的自衛権に関する研究書や研究論文をこれまでかなりの数にわたって読んできて、ようやく全体像がつかめてきました。これはとても複雑な問題で、なかなか容易には理解できないテーマです。今度もまた、誤解に基づく批判があふれています。

まず第一に、今回の解釈変更で試みている最も重要な課題は、朝鮮半島情勢が不安定化する中で、北朝鮮が韓国に攻撃をした場合に、在日米軍が韓国を防衛するために出動する際に日本が米軍に後方支援をすることにあると理解しています。これがまた、今回の日米防衛ガイドライン改定の大きな主眼です。アメリカ政府はそれゆえに、日本政府がこれまでの憲法解釈を変更することに大きな期待を寄せてきました(圧力はかけていないと思います)。

通常は、国連憲章第51条に書かれている集団的自衛権の解釈とは、武力攻撃を意味します。PKOの武器使用や、後方支援などは国際法上の常識として、集団的自衛権の行使には含まれません。つまりは、今回の政府の憲法解釈変更の主眼は、国連憲章51条が想定する集団的自衛権に基づく武力攻撃をするためではなく、本来は集団的自衛権のカテゴリーに入らないはずのPKOでの武器使用や後方支援に関するものです。本来は、「集団的自衛権」でないはずのものが、内閣法制局は国際法に無知な方が多く、安全保障研究の基礎もほとんど何も知らない方ばかりなので、とてつもない誤解をして、「集団的自衛権」というラベルを間違えて貼ってしまったのです。

本来は集団的自衛権のカテゴリーに入らないので、日本国憲法が禁止していないはずのものが、内閣法制局は安全保障の常識について無知のあまりにそれらを「武力行使との一体化」などという、国際的に存在しない奇妙な論理を構築して、集団的自衛権の一部に含めてそれらの活動を禁止してしまったのです。内閣法制局は、本来は異なる領域の安全保障上の活動を、集団的自衛権というラベルを貼って、それを「禁止」してしまったので、日本の安全保障活動に深刻な支障が生じているのです。禁止すべきでないものを、禁止してしまった。これが1997年の「武力行使との一体化」の議論です。

これで少しはご理解いただけたと思うのですが、今回の与党協議の結果として合意されたものの多くは、本来の国際的な一般理解による「集団的自衛権」ではなく、通常はそこには含まれない法執行活動や後方支援活動を可能にするための法整備です。攻撃された国に、医療品や食料、水などを提供することを、「武力攻撃」としての国連憲章51条の集団的自衛権に含めている国などは世界中で日本以外に一カ国もなく、これは驚くべきほどの恥ずかしい内閣法制局の「誤解」と「無知」の結果なのです。ですので、私が国際会議などで、今回の日本政府による憲法解釈の変更による新しい安全保障活動について説明すると、「それは本来は、集団的自衛権の行使ではないのではないか?」という質問をいただく結果となり、「その通りです。本来は、集団的自衛権ではありません」と答えています。

もう一つ、集団的自衛権を行使できるようにしたいなら、憲法解釈の変更ではなく、憲法改正をするべきだ、という誤った理解があります。これも理解に苦しみます。京都大学の大石真教授の憲法学の教科書でも記されていますが、日本国憲法にはどこにも、「集団的自衛権の行使を禁ずる」とは書かれていません。もしもそのように書かれていたら、当然ながら憲法改正をしなければなりません。禁じられていないのに、なぜ憲法の条文を改正する必要があるのか。それでは、誰が禁止したのか。それは内閣法制局です。内閣法制局は、司法府ではなく、行政府の助言機関です。もしも司法府である最高裁が、集団的自衛権を禁ずる判決を出していたら、立憲主義の精神からもそれは憲法改正が必要となるかもしれませんが、最高裁は一度も集団的自衛権を禁ずる判決を出していません。1959年の砂川判決は、周知の通り、日本の自衛権行使を認める判決を出しました。そこでは、集団と個別とを分けていません。集団的自衛権の行使を容認したわけではありませんが、禁止したわけでもありません。

内閣法制局は、もともとは長官は政治任命で、政治的に与野党対立を緩和するためのものでした。つまりは、行政府の一部であるから当然でもありますが、きわめて政治色の強い組織だったのです。内閣法制局が集団的自衛権を禁ずる解釈を確立していくのは、1972年からです。これには理由があります。1966年に佐藤栄作政権で、予算を早期に妥結するためにも野党社会党と国対政治で妥協する必要があり、与党自民党は自衛隊の海外派兵を禁ずる提案をすることで、社会党の合意を得ます。このあたりは、立命館大学の村上友章さんの論文で詳しく書かれています。つまりは、内閣法制局が1972年以降に集団的自衛権の行使の禁止の解釈をつくる直接的な動機は、与野党の国対政治という政局的理由と、ベトナム戦争への参戦を恐れる世論の空気への配慮と、革新勢力の伸張という政界の動きへの符号などにもるものです。政局的、世論の動きを配慮してつくられた1970年代の内閣法制局の解釈を、その後40年以上死守することと、立憲主義を守ることは関連はありません。単なる行政府の一機関であるのにもかかわらず、あたかも自らが内閣総理大臣や最高裁長官を優越する地位にあるかと誤解をしている元内閣法制局長官の横柄さが、あまりにも目に余ります。

ましてや、内閣法制局は過去一度も、政府が憲法解釈の変更をできないと語ったことはありませんし、実際に何度も政府の憲法解釈は変更されてきました。現在の長官も、慎重に検討をして、合理的な理由がある場合は、憲法解釈の変更が可能だと述べています。なぜ、憲法解釈の変更が可能だと述べる現在の長官の言葉に耳を傾けずに、絶対に変えてはいけないと述べる元長官の判断を優先するのか。元長官はすでに退官しており、彼らの発言はなんら立憲主義とは関係ありません。ただの一民間人の意見表明です。退官した内閣法制局元長官が、政府の憲法解釈の決定権限を持つと考えることこそが、むしろ立憲主義の破壊であり、危険なことだと思います。

さらには、今回の閣議決定で、自衛隊が集団的自衛権の行使が可能になるわけではありません。そのためには、自衛隊法の改正をしなければならず、もしも国会での審議の結果としてそれが拒否されれば、内閣の意思として集団的自衛権の行使が可能だという解釈を表明しながらも、実際には自衛隊は行動できないことを意味します。また、自衛隊法を改正しても、そのときに国会がその行使の容認を拒否すれば、国会での承認が必要となっているので自衛隊は動けません。一内閣の意思で戦争ができるようになる、というのはあまりにも事実に反する理解です。今回の閣議は、単に内閣としての意思を示したものにすぎず、それだけでは自衛隊は行動できません。日本は「ポジティブリスト」方式ですので自衛隊法に書かれていないことは自衛隊は活動できないのです。

やや長くなりましたが、今回の政府の決定は、与野党協議における公明党の強い要望をかなりのんで、相当程度に抑制的な内容となっており、本来の集団的自衛権の行使が想定する範囲の1割程度の範囲での行使容認にしか過ぎません。行使が可能だとしても、たとえば集団的自衛権が認められているNATO加盟国のベルギーや、ノルウェーなど、アメリカの戦争に参加して、戦争好きの国になったわけではありません。日本の内閣法制局の憲法解釈では、日本は個別的自衛権の範囲で核武装することが可能となっています。しかし、憲法解釈上可能だといっても、日本が核武装することは考えられません。別に憲法上の歯止めがなくとも、日本国民の意思として、あるいは行政府の意思としての非核三原則として、核武装をしない方針を維持しているからです。日本以外の世界中の国が、集団的自衛権の行使が可能なはずですが、世界中の国がすべてアメリカの戦争に参加しているわけではないのです。むしろ、遠征能力、前方展開能力、戦略輸送能力をもっている国はイギリスぐらいしかないので、コソボ戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の戦闘の局面ではほとんどイギリス以外の諸国は、軍事侵攻作成には参加していません。それ以外の国は、戦後のPKOや平和構築での役割を担うことが中心です。アメリカとともに高烈度の戦闘に参加する軍事能力をもたないのに、戦争に巻き込まれると語るのは、日本の軍事能力を間違って高く見積もる「うぬぼれ」にすぎません。遠征能力をもった高烈度の戦闘能力を身につけるためには、日本の防衛費を2倍から3倍にしないといけないはずです。だから、9.11テロの後にNATOが北大西洋条約第5条の集団的自衛権の行使を発動しても、アメリカはそれに対してNATOからの協力を受けることを拒否して、アメリカ上空の警戒監視活動のみをNATO加盟国に協力を要請しました。せっかくヨーロッパのNATO加盟国が、集団的自衛権の行使を申し出ているのに、アメリカ政府はそれを邪魔だとして、拒否したのです。それゆえヨーロッパ諸国には、一種の屈辱感や感情的な反発が生まれています。そのあたりは、拙著『倫理的な戦争』で詳しく書いております。

朝日新聞は世論調査で、「集団的自衛権の行使を容認すべきか」」と訊いていて、それに反対する意見が多いことを強調していますが、それが全面容認ということであれば、おそらくは私も反対します。政府が今回の決定で行っているのは、きわめて限定的で抑制的な部分容認です。あたかもアメリカやイギリスと同等の水準で、集団的自衛権の行使が全面容認されるかのように報道することは、事実の歪曲か無知か、悪意かのいずれかです。

日本の自衛隊のPKOに参加する隊員は、助けを求めに来た目の前でレイプされている現地の少女を助けてることも、武装集団に襲われて助けを求めるNGOボランティアの人を助けることも、現行の内閣法制局が判断した憲法解釈ではできません。憲法にはそれらの救助活動ができないなどとは書いていないのに、内閣法制局は勝手にそれらを「憲法上できない」と過剰な拡大解釈をして、禁止してしまったのです。すべての安全保障活動を、「個別的自衛権」か「それ以外か」に強引に二分してしまったために、そのような奇妙な論理と国際的に非常識な解釈が成立したのです。また侵略を受けて多くの犠牲者が出ている国に、医療品を提供することもできません。内閣法制局はそれもまた集団的自衛権のカテゴリーに、間違えて入れてしまったからです。いずれの場合も、日本が組織的に武力攻撃しているわけでもありませんし、戦争に参加しているわけでもありません。実は、1960年代半ばまでは、内閣法制局でさえも良識に基づいて、これらの活動は違憲だとはみなしていなかったのです。内閣法制局は、60年代末から70年代に、大きくそれまでの解釈を変更してしまったのです。

平和主義の精神は、今後も日本の安全保障の根幹に位置づけられるはずですし、そうするべきです。72年以降の硬直的な内閣法制局の憲法解釈を変更することで、上記のような場面で、より人道的な、そして国際協調主義的な対応が可能となるのです。これらを行わないことは、国際社会における利己主義であり、また人道主義への裏切りです。

これらをすべて無視して、今回の政府の抑制的な決定を見て、「これで立憲主義が死んだ」あるいは「これで日本は戦争のできる国になってしまう」」というのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。むしろ「死んだ」のは、現実の安全保障課題に真摯に向き合って、あるべき政策や法制度を考える姿勢や、苦しんでいる他国や、襲われ、レイプされ、助けを求める人々に手をさしのべるという当然ながらの国際社会における人道的な精神ではないでしょうか。他国を助けるな!自衛隊員以外の人命を救助するな!と高い声で叫ぶ姿は、みていてとても悲しくなります。なぜならば、日本は自国のみでは防衛できず、他国による助けを期待しているからです。「平和主義」という仮面をかぶったエゴイズムが確実に広がる姿をみて落胆せざるを得ません。はたして憲法に記されている国際協調主義の精神、苦しんでいる他国を支援するという倫理は、死んでしまったのでしょうか。

ASEAN加盟10カ国すべてが、今回の動きに賛意を示しており、多くの国はきわめて強く歓迎しています。韓国政府は、朝鮮半島への関与については、韓国の同意を要請していますが、反対の意見を示していません(アメリカへの配慮もあります)。強く批判したのは、世界で200カ国ほどある国の中で、中国一国です。その中国も、今回は驚くほど抑制的な対応でした。

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