2013/12/27
転職を重ねて得た知識と経験を生かす場としてKDDIを選ぶ
Facebook Japan副代表として、パートナーシップ提携のための準備段階から約3年間にわたりKDDIと付き合い、2013年10月1日にKDDIに入社したばかりの森岡康一さん。「イヤな人がいないという点では、KDDIの印象はFacebookにいたころと一緒です。Tシャツ、短パンがダメなのにはなかなか慣れませんが(笑)」と語る。
森岡さんがFacebookに入社したのは、2010年7月。オープンしたての日本支社で、ほどなくしてKDDIとのパートナーシップ提携への協議が始まった。
「Facebook Japanは、日本人3名と本社から派遣されたアメリカ人のエンジニア3名で、マンションの1室でスタートしました。提携の話が出て、当時、KDDI新規事業統轄本部にいらした本郷郁子さんが毎日足繁く通ってくださいました。髙橋誠専務も、何度もいらしてくださいました。靴を脱がないといけない1LDKに、予想もしなかった黒塗りの車で来られて、最初はビビりましたよ」
そして、KDDIとFacebookは2011年に提携を発表。この3年間で、森岡さんはKDDI幹部と会う機会をたびたび得たほか、バルセロナで開催されるモバイルワールドコングレスで、一昨年は髙橋専務と、今年は田中孝司社長と食事をともにしたそうだが、「幹部の人と会っていても一度も嫌な思いをしなかった」。また、KDDI社員といると、企業理念について特に語り合わずとも会社のフィロソフィが感じられるため、KDDIには好印象をもっていたという。
2013年、Facebookが月間アクティブ・ユーザー2000万人を超す日本初のSNSとなると、目指してきた大きな目標を達成したことで、森岡さんは次のステージについて考え始めた。
「Facebookでの経験から、通信キャリアのもつパワーにはすごく興味をもっていました。モバイルインターネットが今後一層普及する中、通信業界に足を踏み入れ、業界をちゃんと知ることはとても大事ですし、そこでチャレンジしてみたいとも思いました」
そこに髙橋専務から転職の誘いがかかり、森岡さんは快諾。企業文化や人という点でも、KDDIへの転職に迷いを感じる理由はなかった。
森岡さんの転職は、今回が3回目になる。学生時代、ラグビーに熱中していた森岡さんの就職先第一志望はテレビ局。番組制作がしたかった。だが、時は就職超氷河期時代といわれた2000年。就職活動は思うように進まない。そのとき、就活仲間から、彼が内定を得た会社に誘われた。人材派遣や人材紹介を手掛けるベンチャー企業で、「面白い会社」だからと。そこでセミナーに参加してみた森岡さんだが、人材業界には興味がなく、面接では批判めいた発言を繰り返した。ところが、そこを気に入られて最終面接まで進み、合格。「批判し続ける人間を採ろうとする会社なら、自分も男気で行くしかない」と腹を括って入社。関西勤務の営業マンになった。
「当時はまだ転職が活発ではありませんでしたが、外資系企業が進出していた製薬業界は転職市場が活況だと小耳に挟み、調べてみると、社内に担当者がいなかったんです。それなら自分が担当して成績を上げようと、真っ先に手を挙げ、勝手にヘルスケアチームを作り、リーダーを名乗りました」
それから2年が経ち、仕事では成果を出していたものの、もの作りへの憧れを捨てきれずにいたある日、社内の転職データベースを探っていると、インターネット企業の「プロデューサー」募集が目に留まった。その肩書きに引かれて応募、転職したのが、ヤフーだ。同社は当時、「ヤフー求人」を立ち上げ、人材業界を知る威勢のいい若手を求めていた。求人担当の一社員を経て念願の「プロデューサー」になった森岡さんに、2004年、突如社命が下りた。提携協議中のリクルートと設立する合弁会社を「明日から作れ」というものだった。
「本当にその晩一晩で六本木ヒルズの会議室をなんとか2カ月分押さえ、簡易オフィスを設けることから始めました。リクルートとヤフーからそれぞれ3名ずつ出向し、立ち上げたのがインディバルというベンチャー企業です。この出向で、背水の陣を敷いて全員一丸となってフルコミットする会社や部署の〝立ち上げ〟にすっかりはまってしまいました」
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