2013/12/27
転職を重ねて得た知識と経験を生かす場としてKDDIを選ぶ
2007年に出向解除でヤフーに戻るとその半年後、森岡さんは新設されたパーソナルソリューション本部の企画部長に抜擢された。この部署は、コンテンツや機能を公開する「オープン化」を推進する部署。それまでのビジネスとは全く逆の方向のもので、実現には、まず社員の意識を変える必要があった。
「ゲリラ的にチラシを作って社内に貼ったり、キーマンをひとりずつ説得したり、意識改革のため本当にいろいろとしてみましたが、協力者を得るのがやはり一番難しかったですね」
気分停滞気味のところに、日本支社を立ち上げようとしていたFacebookから声がかかった。当時、日本のユーザーは80万人ほど。ユーザー数の成長だけに取り組む「グロースチーム」の一員として、当時、世界に6人しかいなかったビジネス・デベロップメント・マネジャーとなった。
当時を振り返り、「たぶんFacebook史上初の英語の話せない社員だった」と森岡さんは笑う。入社面接には同時通訳が付いたが、アメリカであった入社式からは通訳なし。上司へのリポート書きや英文契約書の読み込みなどで、英語と格闘する日々が始まった。
「実はヤフーに入る際は、ブラウザーの意味を知らず、エクセルは使えず、タッチタイピングもできませんでしたが、プロデューサーになりたくて、企画書をたくさん用意して面接に臨んだら、それが受けて採用されたんです。そのため入ってからが大変で、あんな辛い思いは二度としたくなかったのに、Facebookでは英語の壁です。会社から家庭教師を週2回で雇ってもらい、英語の勉強をしました。人生かかってましたから。おかげで世界中に友達ができましたよ」
グローバル企業に身を置いて森岡さんが痛感させられたのは、技術力が高いのに日本市場を取ることで満足する日本企業と、世界中を市場として考える外国企業の意識の差だった。
「日本企業は道を究めることは得意でも、まったく拡張性がなかったりします。対する海外の企業は、狡猾に戦略を立て、レイヤーを押さえにきています。海外でソニーやパナソニックがドメスティック企業扱いされたときは、すごく悔しくなって、ワールドワイドな視点を持ちつつ、日本から発信できるものを作りたいと強く思いました」
通信業界のことはまだ「さっぱり分からない」という森岡さんだが、自分のインターネットの知識や経験、Facebookで身をもって学んだ「グロース」という仕事の本質やシリコンバレーに広まる最新の考え方をこれから日本にきちんと伝えていきたいと考えている。
「日本に国際ルールを根付かせ、日本から世界を変えられるような、世界で通用するプラットフォームを作れたら面白いですよね。それができるのは通信キャリアしかないと思うんです。KDDIで世界に勝てるようなビジネスを構築し、日本だけでなく、全世界にインパクトを与えたい。これまでキャリアがしてこなかったことをしていきたいですね」
ここ7、8年、休日にはよく山奥で1日中サバイバル・ゲームを楽しんでいる森岡さん。その他、海や川でカヌーを漕いだり、カラオケでミュージカル曲を歌うのも大好きとか。インドアでもアウトドアでも、遊ぶときは存分に楽しみ、仕事への鋭気を養っているようだ。活躍の舞台をKDDIに移し、森岡さんは新たな挑戦に挑もうとしている。
休日には山奥でサバイバルゲームを楽しむ(真ん中が森岡さん)
アメリカ・ヨセミテで登山をしたことも
徳島では阿波踊りに参加
取材・文:豊田早苗 撮影:高橋正典
森岡 康一(もりおかこういち)
KDDI新規ビジネス推進本部
ビジネス統括部
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