なんか芸人みたいな題名になりましたみなさんおはこんばんちは
水曜日ですね。今日が終われば週の後半戦ですよ。
そして2014年ももう半分終わりましたね。これからはもう下半期突入でございますよ。クリスマスまであと半年を切ったのでございます。そこのフリーの貴方、相手探しに本気出したほうがいいですよ。え?カップル?カップルはクソして寝ろ!!!!
2014年になったと思ったらもう下半期ですよ。毎年こんなことを考えているような気がしますけどね。2014年の抱負を考えていた方、その後調子はどうですか?初詣の願掛け、叶っておりますでしょうか?
平成ももう26年目ですね。私は平成元年生まれなものですから、年号が変わる場面に立ち会ったことがないんですね。なので全くイメージが湧かないんです。なんだかずっと平成が続いていくような感じがしてね。
普通に生活していてもそうなんですよ。今がずっと続くような感じがしてしまってね。小学生とか中学生とかはそんなイメージが強いんでしょうけれど、結局「今」いる私ってそういった「今」の積み重なりでありますからね。そう考えてみると「今」という概念がとても不思議なものに思えてしまって、だってこうやって文字を打ってる「今」は既に「過去」なわけですよ。このブログを読んでくださっているということは私の「今」という「過去」を読んでくださってるということなんですね。
まぁまったく不可解なことなんですよね。私達は「今」を常に通りすぎているのに、「今」がずっと続くと思って生きているのですから。
普段から自分の存在が「過去」になると実感して生きている方ってどれくらいいらっしゃるのでしょうか?私は何人かの大切な人達が「過去」の存在へと化して行く様をみてきましたけど、自分が「過去」の存在になってしまった世界を想像するのってとても難しいんですよね。私を構成するに至っている何もかもが、私がいなくなったあとどうしているかなんて具体的にイメージできないわけです。当たり前だと言われてしまえばそうなんですけどね。
そんな感じでみんなが「今」を消費していると思うんですけれども、私が「過去」のものになってしまったときに、私を構成している一つの要素として考えられるのが年号だと思うんですよね。「平成」という時代に生まれ、生きた、私を証明するもの。それが私という存在を表す要素として後々残っていくんだと思いますね。
「平成」という時代にノスタルジアを感じる時代がいつかくるわけですよ。昭和レトロならぬ平成レトロがいつかやってくるんです。そう考えるとね、私は「今」が永遠に続くかのように笑い、「今」を限りあるものだと尊びながら生きていきたいなって思ったりするんですよ。ええ。
「今」がゲシュタルト崩壊してきたのでこのへんでやめますね。
おっぱいがでかいからって社会的地位が向上するわけでもないのになんで人はおっぱいの在り方にこだわるんだろう
— ポンコつっ子 (@ponkotukko) 2014, 7月 2
読んでくださってありがとうございました。
ポンコつっ子