(英エコノミスト誌 2014年6月28日号)
友好庭園を造成しようとする11年間の奮闘がソフトパワーについて物語ること
アジア文化をよく知る人にとっては、20年前にヒューストンに造成された落ち着いた日本庭園は回遊式の大名庭園だ。情緒に欠ける経済史家は、日本の台頭がパニックのようなものを呼び覚ました時に、狼狽した超大国・米国に差し出された和解のための贈り物を見て取る。
現在、その庭園は木陰の多い憩いの場となっていて、週末には、鯉がいっぱい泳ぐ池の横で写真を撮るヒスパニックの家族で混雑している。
ソフトパワーを誇示した日本の庭園外交
だが、庭園造成の発端は、1990年にヒューストンで開催された先進7カ国(G7)による緊迫した経済サミットと絡んでいる。日本の首相は会議の最中に、貴重な茶室を贈呈すると発表した。その翌年に造園工事が始まった。それから間もなくして、日本企業はロックフェラーセンターとペブルビーチのゴルフコースを買収した。
どちらも結局、悲惨な投資となったが、当時は多くの人がそれを日本が米国を追い抜いている証拠と見なした(1993年公開の映画「ライジング・サン」が日本恐怖症のピークを告げていた。セックスと殺人に少しばかりの自信喪失を織り交ぜた映画の中で、日本の悪者を追跡する米国人警察官が「キャッチアップ」は我々のお家芸だとつぶやくシーンがある)。
日本が庭園外交を行ったのはヒューストンが初めてではない。1970年代に貿易摩擦が起きると、日本の当局はミズーリ州に立派な庭園を造成する後押しをした。
また、1976年には米国の独立200周年を記念して、値段が付けられないほど高価な盆栽の数々を、ワシントンにある公園兼研究施設の米国立樹木園に贈った。この贈り物は、寛容さと日本の長い歴史を思い出させる材料と微妙なジャブを巧みに組み合わせていた(盆栽の中には、広島で原爆を生き延びた樹齢400年の松の木が含まれていた)。
盆栽はメディアに好意的に取り上げられた。それは初期のソフトパワーの誇示だった。力を使うことなく他国を魅了し、影響を与える国の能力を称するソフトパワーという言葉は、ハーバード大学のジョセフ・ナイ氏が作ったものだ。
中国がぶち上げた壮大なプロジェクト
今度は中国の番だ。ここ15年の間に中国の伝統的な庭園が、ニューヨークのスタテンアイランド、セントルイス、シアトル、カリフォルニア州サンマリノ、そしてオレゴン州ポートランドに、多くの場合は中国当局の支援を受けてオープンした。だが、中国の庭園外交の物語は、日本のそれとは異なる様相を呈している。
中国が台頭するにつれ、同国の当局者はいよいよ壮大なプロジェクトを推進するようになり、ついには米国立樹木園内に12エーカーにおよぶ清朝式の庭園を造成することを申し出た。この「ナショナル・チャイナ・ガーデン」は、湖、2階建ての茶室、石庭、展示館、竹林、美術展示場、そして楊州の白塔に敬意を表す建造物を備えることになっている。