集団的自衛権行使容認の閣議決定は、結論・筋書きありの歌舞伎
90年代当時、クリントン米大統領は“日本訪問は筋書きが決まっていた演技をするようなもの”、と側近に語った事がある。全て出来あいの日程をこなすだけの日本訪問に積極的意義を見いだせなかったのだ。
自民党と公明党の安倍連立政権が連日のように与党協議を繰り返した末に、国民多数が反対するのを無視して憲法解釈を変更、限定的な集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。
決定内容は省くが、国の安全保障の基本方針変更という大事。先ず当然のことながら“憲法論議”が必要になるが、憲法改正の“是非を国民に問う”ことはしない。 各党揃って“国会で論戦”するのでもない。 圧倒的多数の「与党幹部だけで、期間も限られた議論」だけして一方的に閣議決定をしている。
議論の進め方が真逆で、民主主義国家とは言えない異常な行為であるのに、これも“着地点と筋書きが決まっている歌舞伎”のような展開だった。
その歌舞伎を連日茶の間に見せて国民の頭脳を洗い続けたのが安倍政権の広報機関と化した大メディア(記者クラブメディア)だ。彼らの果たした“無責任”ぶりについて振り返ってみる。
7月1日、閣議決定後は例によって安倍晋三“総理の緊急記者会見”。いつも通り、記者クラブメディアからは事前打ち合わせの質問だけで鋭く本質に迫る質問が無い。 如何にも、国民の生命・安全を真剣に考えていますよ、と印象づける“総理会見”という名のワンマンショー(大メディア利用の一方的な宣伝)を演じる。 これでは安倍総理でなくても誰でもやりたくなる。
(今年のG7サミットでのドイツ・メルケル首相の記者会見はドイツ・メディアから“何故スノーデン氏が暴露したNSA盗聴問題を取り上げなかったのか!?など鋭い質問が相次ぎ、メルケル首相は取り繕いに真剣だった。 ドイツだけではないが、マトモナ民主主義国家であるならば政権幹部や政治家とメディアの間には日本とは異なり、常にある種の緊張感がある)
1日のNHK夕方と夜のニュースは、閣議決定に抗議し首相官邸前に押し寄せた人たちを取材報道した。 しかし、抗議活動の全体像を空からの映像で一応紹介し申し合わせ程度報じただけ。また前日(30日)の抗議デモは一切報じていない。 (決定後の後の祭りで、形だけ整えただけだ。それでも幾つかの民放と比較しても物足りない) テレビ朝日の報道ステーションはもっと分厚く報じていた。参加者の数にも両者に相当の開きがあった。
1日の夜9時のNHKニュースは、各国反応で政府首脳や報道官ではなく、アメリカ太平洋軍司令官の歓迎する声を紹介している。 しかし、彼は軍人(防衛官僚)に過ぎず、防衛現場のトップとしての見解を言っているだけだ。アメリカ政府を代表する立場にない。 またワシントン支局で保守派のシンクタンク、ヘリテージ財団の研究員にインタビューして、将来集団的自衛権行使の範囲を拡大するべきだとの声を紹介している。
彼らは早速将来の可能性拡大を期待している。 限定した集団的自衛権行使の容認と言う安倍総理や山口公明党代表の言っているのとは反対だ。
ヘリテージ財団は数ある多くのシンクタンクの一つに過ぎず、それもオバマ政権に直接影響を及ぼす民主党系のシンクタンクでは無い。
それをアメリカ政府やアメリカ国民を代表する反応として紹介するのも間違いであり、視聴者を欺くものだ。
集団的自衛権の行使容認という日本の戦後安全保障方針の大転換につながりかねない大きな問題。当然国民各界各層を巻き込む議論が重ねられなければならない。
しかし、NHKは国民各界の声をきちんと伝えることはなかった。 また、国民の負託を受けた国会各党の見解や声をその都度ニュースで紹介することはなかった。 ただただ連立与党の自民党と公明党の幹部による連日の動きを、ただただ追って茶の間や職場に垂れ流し、人々の思考を慣れさせ頭脳を洗い続ける報道を続けた。
6月中旬以降の夜9時のニュースは自民、公明両党の幹部を交互にスタジオに招き、キャスターがおざなりの質問。 “国民の理解を得るべく真摯に協議している”と言わんばかりの両党幹部の一方的な見解を報じた。 典型的な政府広報機関と化した。広く視聴者の受信料で成り立つ公共放送の在り方では無い。
既に結論と筋書きが書かれていた歌舞伎同様、両党の役者が連日一場面一場面を演じつつ、次はどうなるか、と国民の目を引き付けた。クリントン元大統領の言葉を思い出してしまう展開だった。