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klimの独り言

2014-07-03 (木)

絶対的古参相対的古参

 どのコミュニティでも「誰が古参か」とか、「それが古参扱いはおかしい」とか、「俺が古参だ」「いや俺が古参だ」「いやいや俺が古参だ」「「どうぞどうぞ」」とかのようなやり取りが行われていると思う。そういうやり取りを見かける度に、「古参」に含まれる意味合いが人によって差があるなーと思ってしまう。


 例えばとあるウェブサービス2004年ローンチしたとして、その直後にアカウントを取得して今でも利活用し続けている人は紛うことなき「古参」だろう(直後にアカウント取得したものの途中離脱した人をどう扱うかは人によるだろうけど)。これを 絶対的古参 とでも名づけてみようか。

 一方で、サービスがローンチした直後にはアカウント取得してはいなかったものの、期間だけ見れば長時間サービスを利用している人も「古参」扱いはされる。上の例になぞらえると2008年から2014年現在まで利用している人は、人によってはこのタイプを「古参」と感じるだろう。でも、上記の絶対的古参から見れば、このタイプを「古参」とは感じにくいかもしれない。このタイプを 相対的古参 と言ってみることにしおう。

 新参者から見れば上記の2タイプはどちらも同様に「古参」に見えるのだけれども、当の「古参」本人らから見たらグラデーションが違うよね。


 「俺が古参だ」「それが古参扱いはおかしい」とか言うような話題を見る度に、「その古参って絶対的古参と相対的古参のどっちのお話なのよ」という意見脳内に浮かんでくる。

 もっとも、古参を古参たらしめる要素はコミットした時期や期間だけじゃなくてコミットの仕方や関わり方だって絡んでくるし、一概に言えないことだとは分かっているのだけれどね。



 …というようなことを下記リンク先や一部ブコメを見てなんとなく思った。これを見て思ったというよりかは、前々から思っていたことをこれらの記事やブコメを見て再び思い出したというのが正確なところだけど。

 こうして見ると、古参という単語よりかは先住民という単語の方が解釈のブレは少なそう。

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