■「市民球団」を支えた「樽募金」の心、今に
20世紀最後の年である2000年から、足かけ6年にわたってNHK総合テレビで放送された『プロジェクトX~挑戦者たち』。中島みゆきが歌う主題歌がすぐに耳に響く方も多いはずだ。VHSビデオやカープヌードルなどの新製品から黒部ダムや東京タワーといった大規模建造物、さらには大阪万博の警備や美空ひばり復活コンサートの舞台裏……戦後すぐから高度成長期を経て20世紀末に至る、様々な「成功」物語を、物語仕立てで描く全187話のドキュメンタリー番組は、バブル景気の崩壊後、「失われた10年」と呼ばれる90年代を経てなお景気回復の気配に乏しかった2000年代前半に、「かつての成長と成功」を回想することで元気を取り戻させようとしているかに見えた。現実の日本経済は、その後の10年も大きな回復を見せぬまま今日に至っているが、それゆえにこそ、『プロジェクトX』は番組の放送終了後も次々と再放送やビデオ・DVD化され、人気を博したのだった。WEBサイト「NHKオンデマンド」では、今でもすぐに一部の作品を見ることができる。
だが、古いドラマや特撮がしばしばそうであるように、出演者全員の許諾が得られなかったり、不適切とされる内容や表現が後から発見されたり等の事情で、DVD化やオンデマンド放送から漏れてしまった「幻の回」が、『プロジェクトX』にも存在する。プロ野球チーム・広島東洋カープの球団創設期の苦難を描いた「史上最大の集金作戦 広島カープ/市民とナインの熱い日々」も、地元・広島での何年かに一度の再放送を除き、他地域では見ることのできない回のひとつだ。それを文字のかたちで読むことができるのが、今回ご紹介する「プロジェクトX 挑戦者たち 史上最大の集金作戦 広島カープ/市民とナインの熱い日々」である。
太平洋戦争敗戦からの復興の試みのひとつとして、戦前からの八球団に新たに四球団を加えることが構想された、昭和24年の日本プロ野球。このとき参入したなかに、原爆で「根こそぎ破壊された」広島を本拠地としたチームがあった。今日の広島東洋カープに至る市民球団・広島カープだ。「市民球団」成立の理由が理念的なものではなく、「原爆で大きな痛手を受けた地元企業には、どう逆立ちしても」単独で親会社になることができなかったがゆえだという裏話から、本編は始まる。たったひとり、監督だけがいた設立当初。他の新設チームの2割にも満たない予算で始められた選手集め。廃屋同然の寮に住んで銭湯へと通い、移動の夜行列車では三等車の床にざこ寝した、一軍ベンチぎりぎりの30人の選手たち……劣悪な環境と貧しい陣容は当然の悪循環を呼び、勝てないチームは1年目を終えたばかりで身売りと吸収合併の瀬戸際へと至る。
そんなチームを救ったのは、設立時に苦し紛れで名乗った「市民球団」の四文字だった。初代監督であり球団最初のひとりだった石本秀一は、「三つ揃(ぞろ)いの正装で県庁前に立ち、集まった市民と取材陣を前に、組織づくりと募金を訴える声を」あげる。当時の金額で400万円、現在の2億円を、県民からの募金で賄おうというのだ。世に知られる「樽(たる)募金」の始まりである。商店も工場も町内会も、さらには病院も警察も、県民・市民はこぞってカープの存続と発展に力を注ぐ。大人はコーヒーやラーメン、焼酎の一杯を耐えて10円、20円と募金を続け、子どもたちは1年分の小遣いを貯(た)めて樽へと投じ、選手たちは試合や練習の合間に芝居小屋や公民館で舞台に立ち、トークや歌謡ショーをして募金を呼びかける……そんな彼らの力に支えられた雌伏の時を経てカープが初のリーグ優勝を遂げるのは、四半世紀近くたった1975年のことだった。
いったいなぜ今、ドキュメンタリーの放送から約10年、新書として書籍化されてからでも7年が経過したこの作品を紹介するのか。それは、私たちが今日置かれた状況が、当時の彼らのそれとあまりによく似て見えるからだ。
有馬哲夫『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書)や武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ――増補版「核」論』(中公新書ラクレ)などが語るように、日本の戦後政策とアメリカ合衆国のそれとは密接に関係してきた。なかでも原子力政策とメディア支配はそれぞれ柱となるものであり、中心を担ったひとりが「プロ野球の父」「テレビの父」そして「原子力の父」と呼ばれる正力松太郎だったという。
日本プロ野球が長らく読売巨人軍を中心に動いてきたのは誰もが知る事実だ。つい最近まで、巨人戦のテレビ放映権料が(とりわけセ・リーグ所属の)他チームの収益を支えてきたことも周知のことだ。「市民球団」としてあったはずの広島カープも、高度成長期を経て80年代に山本浩二・衣笠祥雄の二大スターを擁して黄金期を迎えるに至る期間、そうした力と無縁であろうはずはなかった。「巨人なくしては存続できない」――その構図とそれに対する諦念(ていねん)あるいは積極的意思は、「原子力の父」による電力で「テレビの父」が達成した全国ネットのテレビ中継が日々行われていた時代から、今に至るまで続いている。そのことに抗(あらが)う手段など、少なくとも90年代までのプロ野球には、あろうはずもなかった。
けれども、時代は変わる。巨人人気と放映権をあてにして始まったはずのセ・パ交流戦は、いつしかパ・リーグの独壇場となった(上位6球団をついにパ・リーグのチームが独占したのは2010年のこと。2011年も中日以外のセ・リーグ5球団は負け越している)。地上波のテレビが巨人戦をゴールデンタイムに放送する日もほとんどなくなった。巨人・阪神そして広島以外の9球団は赤字に苦しんではいるが、それでいて北海道に定着した日本ハムや千葉のロッテ、福岡のソフトバンクなどは、地元の熱烈なファンに支えられている。むろんカープもそのひとつだ。球場帰りに広島の町を歩けば「兄ちゃん、今日カープどうだった?」と必ず誰かに声をかけられる――それほどまでに日常的に愛されている球団を僕は他に知らない。
巨人が強くないとプロ野球はつまらない――長年繰り返されたそんな定型にも、むろん一片の真理と、それ以上にかつての長嶋・王時代の麗しい記憶がありはする。だが、「巨人がなければプロ野球は成り立たない」と信じるひとが、いまやどれだけいるだろうか。揺るぎなく思えた基幹システムも、なくて成り立つ可能性が見え、自身の利益をそれに頼っていた者たちも、気付けばそれなしでも歩き始めねばならぬ状況に周囲を取り巻かれている。少なくとも、かつて「プロ野球の父」にも「テレビの父」にも頼らず球団を存続させた記憶を持つ球団と「市民」たちには、もう一度それをすることが可能なはずだ。絶望的に見える「400万円」の前に立ちすくむことなく、ひとりひとりが10円、20円を投じれば、いつか樽はいっぱいに満ちるのだ。
そのことが何のメタファー(暗喩)であるか、これ以上書くのは野暮(やぼ)だろう。ここ最近の新聞記事には、次世代エネルギーに向かう途にかんして「年三兆円」とか「ひとり二万円」といった数字が踊る。総額は気の遠くなる数字だし、ひとりあたりの額とて決して安くはない。だが、子どもたちが自ら小遣いを投じることは微笑(ほほえ)ましくとも、その健康や未来まで投じさせるくらいなら、かつて広島の市民たちがそうしたように、コーヒーやラーメン、焼酎のもう一杯を控えることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)がいるだろう。
8月6日を前に本書を読めば、そんなことまで思いを馳(は)せることができる。本書は樽募金から二十余年後の、カープの涙の初優勝で閉じられる。二十年かかって私たちが手にできるものは、それに勝るとも劣らないはずだ。