日めくりプロ野球3月
【3月29日】1951年(昭26) 開幕なのに試合が棚上げされたカープへの“嫌がらせ”
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広島の初代監督を務めた石本はチームの指揮を執るというより、金策に奔走する毎日だった。その苦労が実り、カープは現在に至るまで歴史を刻んでいる
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2リーグ分裂後、2年目のセ・リーグペナントレースが開幕した。セは前年8球団でスタートしたが、西日本パイレーツが同じ福岡に本拠地を持つ、パリーグの西鉄(現西武)に吸収合併され消滅。7球団でのスタートとなった。
50年新規参入の広島カープは41勝96敗1分で最下位。7位国鉄とは1・5ゲーム差だった。7球団では必ず試合のないチームが1チーム出ることになるが、広島は前年最下位だったことを理由に開幕シリーズに試合が組まれず、4月3日からの巨人3連戦から、つまり第2節が開幕戦となる日程を強いられた。数が奇数なので仕方がないといえばそれまでだが、連盟側の“広島潰し”の一環であることは間違いなかった。
しかも、連盟はこの開幕日に広島に巨人戦と次の阪神戦の試合延期を申し渡した。理由は「広島球団の経済的に不安定な事情では、広島で試合を興行するのは難しい」というもの。広島が加盟保証金600万円の支払いメドが立ち、選手への給料もしっかり支給できるメドがつき、なおかつ戦力的にも整うまで試合は連盟側が預かると決定した。
カープは51年2月時点で球団の運営資金もままならず、選手への給料遅配は当たり前。リーグにも保証金を払えていない状態。おまけに資金難で、選手も大量解雇し20人強しかいない。遅かれ早かれ解散する、という見方が球界では広まっていた。
7球団といういびつな形を6球団にして円滑な日程を組みたい連盟は、以前からここで広島に高圧的だった。解散、あるいは他球団との合併など、とにかく広島の存続を容認しない方針を示したのが3月上旬。当初、広島側は他球団同様オーナー会社を持つことを模索。アサヒビールや日本生命などの大企業に打診したが金のかかるプロ野球にすぐ参入したいという会社はなかった。やむなく選んだのが合併。当時下関に拠点があった大洋(現、横浜)と話を進める準備を始めた。
ところが、この話がマスコミに漏れた。3月14日、NHKラジオの夜のニュースで「広島解散、大洋に吸収合併」と報じられた。このニュースを合宿所でカープナインは石本秀一監督、白石勝巳助監督とともに聞いた。
いつそうなってもおかしくない状況にはあったが、ついにその瞬間がきた。多くの選手は覚悟を決め、涙を流す者さえいた。
しかし「大洋と合併といったって、残れるのは4、5人じゃ」と白石助監督がつぶやくと、リストラされるであろう多くの選手から強い合併反対の声がすぐに上がった。役員会に呼ばれていた石本は、選手の情熱に応えるべく役員会に乗り込みこう言った。「合併はやめましょう。私にすべて任せてくれませんか」。
石本は後援会の結成を思いついた。職場や自治体だけでなく、個人にも出資してもらい、会員には株券を配りそれぞれがカープの“オーナー”になってもらい、球団運営を支えるというものだった。
元新聞記者でもあった石本は地元紙にカープの台所事情を包み隠さず記し、後援会への入会を促した。職場単位、あるいは個人で入会者は後を絶たなかった。皆「おらがチームを潰すな」の純粋な思いで子どもはなけなしの小遣いを、大人は酒代、タバコ代を削って金を出した。
地元紙には細大漏らさず、出資者の名前が掲載されると、さらに会員は増えた。本拠地広島総合球場前での酒樽の中にカンパする「樽募金」も合わせ、51年末までに集まった支援金は440万2930円55銭。カープ主催試合の収入約500万円にほぼ匹敵する額は経営を救い、広島はこの年130万円の黒字を計上。球界のみならず、日本中を驚かせた。
後援会結成により息を吹き返した広島の姿に連盟も折れた。4月2日に棚上げしていた公式戦の開催を正式決定。4月7日、広島総合球場でのカープにとっての開幕戦は、故障のエース長谷川良平投手に代わって先発したルーキー、杉浦竜太郎投手が阪神打線を7安打1点に抑え完投勝利を収めた。監督、選手の熱意とそれ以上に熱かった広島の人々のカープへの思いで、球団は最大の危機を脱した。
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