政治・行政

集団的自衛権閣議決定 横浜の元日本兵・飯田さん警鐘「互いに憎悪膨らむ」

 閣議決定により集団的自衛権の行使が認められ、日本が他国の戦争に参加する道が開けた。太平洋戦争の激戦地、ニューギニア(インドネシア)で従軍した横浜市磯子区の飯田進さん(91)は「集団的自衛権を限定的に行使する」と強調する安倍晋三首相の言葉に首をかしげる。「やらなければやられるのが戦争。一度始めてしまえば戦争は拡大していくだけだ」 

 1944年11月、ジャングルの小さな空き地で現地住民の男性を取り囲み、銃剣を突き付けていた。男性は日本兵を惨殺した現地武装集団のリーダーとみられていた。

 上官から命令が下る。

 「目標前面の敵、突けえ」

 名前を呼ばれた一番若い兵隊が真っ青な顔で銃剣を構えた。2、3回突いたが、腰が引け、致命傷を与えられない。

 血を流しながら、男性は飯田さんの前によろめいてきた。腰の日本刀を抜き、斜めに振り下ろした。鈍い手応え。21歳の経験を振り返る声が震え、言いよどんだ。「上官の命令は絶対。仲間を殺された憎しみだけが体を支配していた」。人を切ったのは最初で最後だった。

 飯田さんは19歳で志願兵となった。「アジアを植民地支配から解放したい」。インドネシア語を学び、ニューギニア民政府に配属された。

 現実は違った。「何のために戦っているのか、考えている兵などいなかった」。やがて飢えや熱病、敵の攻撃でほとんどの日本兵が死んでいった。

 敗戦から40年たち、飯田さんは慰霊と謝罪のため現地を再訪した。あのとき切り付けた男性が日本兵殺害に関わっていなかったことを知り、衝撃を受ける。「戦いの中のことであっても、責任は自分にある。正義だと思ったことが不正義になってしまった」

 戦後、BC級戦犯として重労働20年の刑を受け、1956年に仮釈放。自らの戦争犯罪を著書に記し、その罪と向き合ってきた。

 飯田さんは安倍首相が集団的自衛権を「限定的に行使する」「必要最小限度にする」と繰り返すことに違和感を覚えている。

 ニューギニアの戦闘地域は次第に拡大し、戦闘は激化していった。戦場はあらゆるものが敵に見え、現地の女性や子どもが引く荷車に銃や爆弾があるのではないかと疑った。風が吹き、密林で物音がすると敵襲と勘違いし、身構えた。

 「相手も同じだった。仲間を殺された憎しみを抱え、戦闘は激化していった」。上官の命令、憎しみ、飢え、恐怖。道徳心や倫理観は打ち砕かれ、自分が正しいことをしているのか、判断する力はなくなってしまう。

 「やらなければ、やられる。この気持ちは戦場に立った人にしか分からない。必要最小限度と言っても、戦争は一度始めてしまったら戻れない」。飯田さんはかすれ声を振り絞るように言った。「まずは歴史に向き合い、教訓を得なければならない。集団的自衛権の行使容認は、それが欠けた勇ましい掛け声に聞こえる。かつて歩んだ戦争への道を一歩進んでしまった」

【神奈川新聞】