岸氏は条約発効の翌日、「蓋棺事定(がいかんじてい=死んで棺のふたを閉めた後に評価される)」という言葉を残し、首相職を去った。87年に棺のふたを閉めた岸氏を最も高く評価している政治家こそ、孫の安倍現首相だ。安倍首相は1日の記者会見でも「(日米安保条約)当時、日本は戦争に巻き込まれるという批判が強かったが、これによる日米同盟の強化は(戦争)抑止力として作用し、日本の平和に大きく寄与した」と主張している。
だが、祖父・岸元首相は日本社会の反発で日米安保条約の「双方性」を未完の課題として残した。新安保条約第5条は日米が共に武力行使できる範囲を「日本国の施政の下にある領域」と限定、条約前文が定めた集団的自衛権を死文化したのだ。「国際紛争の手段としての武力行使を放棄する」という日本国憲法第9条との矛盾を避けるため、日本政府は72年、「集団的自衛権を保有しているが、憲法に基づき行使できない」という解釈を公にした。日本の武力は国内に限定され、集団的自衛権を通じた影響力拡大は祖父の「遺業」として残った。
岸氏は首相辞任後も交戦権放棄条項を外す憲法改正により、「完全な双方性」を実現させることに執念を見せたがかなわなかった。祖父の遺志を引き継いだ安倍首相は、憲法改正ではなく「閣議決定」という遠回りの方法で遺志を実現させた。安倍首相は2006-07年の第一次政権時も祖父が果たせなかった「教育基本法改正」に成功、愛国心教育を盛り込んだ。今、安倍氏が祖父から継いだ遺志で果たせていないのは憲法改正だけだ。
■集団的自衛権とは
密接な関係にある国が攻撃を受けた時、武力介入できる権利。1945年に発効した国連憲章第51条では、すべての国が持つ固有の権利として認めている。