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写真: マイナビニュース
●ファッションはコスプレ?
雨宮まみさんの新刊『女の子よ銃を取れ』の発売を記念して、雨宮まみ×少年アヤ トークイベント「他者の視線と、ほんとうの私」がこのほど、青山ブックセンター本店(東京都・表参道)で開催された。二人が外見をめぐったあれこれについて語り合う様子をお届けする。
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『女の子よ銃を取れ』/雨宮まみ(平凡社)
「キレイになりたい! 」と言えないあなたに。他人の視線にびくびくしたくない。でも、どう変わりたいかわからない。顔、スタイル、ファッションをめぐり、他人の視線と自意識の間でゆれ動き、新しい一歩が踏み出せない。そんな悩める女の子の心をやさしくときほぐし、こじらせの壁を撃ち抜くエッセイ集。単行本(ソフトカバー)224ページ、1,512円(税込)。
○自分に執着している
雨宮まみさん(以下、敬称略)「こういう本なので、まずは今日のお衣装のコンセプトから伺おうかなと思うんですが」
少年アヤさん(以下、敬称略)「最近家を出たせいか、なんだか父親も母親も男の子も女の子もどうでもよくなってしまって、とうとう自分に執着しはじめたんです」
まみ「それは全部どうでもよくなって、ただ自分自身に執着してるの?」
アヤ「人とかどうでもいいなって思って。アイドルもどうでもいい」
まみ「他人だから?」
アヤ「そう。だからもう、自撮りした自分がかわいいっていうそれにしか興味がなくなっちゃったんですよ」
まみ「毎日一時間くらい自撮りしてるんでしょ(笑)」
アヤ「二時間ね」
まみ「しかもいいのが撮れるまで」
アヤ「そう、自撮り画像で容量が爆発するくらい。そんなだからおしゃれをしたいって思うようになったんです。でもユニクロとGU以外にどこに服が売ってるかわからない」
まみ「昔はGUに入るのが怖いって日記に書いてましたよね」
アヤ「うん。だから1から始めようということで、まずルミネに行ってみたんです。店員さんとかに『これからちょっと人前に立つ仕事があるんですけど』とか言って」
まみ「なんでそんな小芝居入れなきゃいけないの(笑)」
アヤ「舐められたらおしまいだと思って。え? 作家? 芸人? もしかして個性派俳優? って興味が沸くように、言葉の端々に含みを持たせました。わざと挙動不審に振る舞ったりして。そしたら、なんか変なの出してくるんですよ」
まみ「そりゃそうでしょう。そんなこと言ったら」
アヤ「だよね。作家か芸人か個性派俳優だもん。うろたえつつ、『ここで負けたらいかん』とか思っちゃって、『買います。あ、領収書ください』『宛名どうしますか?』『講談社で』『あ、作家さんですか』みたいな(笑)」
まみ「講談社で仕事してんのかよ! って(笑)」
アヤ「そんなばっかです。で、最近とうとうルミネすらださいんじゃないかと気づき始めちゃって。真っ先に、"これは高円寺だ"と思ったんですよね」
まみ「新宿ルミネから下り方面の電車に乗ってどうするの(笑)」
アヤ「古着だ、オンリーワンだって思ったの。自意識世代の奇病」
まみ「そこ、難しいエリアですよね」
アヤ「正直今まで、仕入れただけの古着を高く売るという根性が疑問だったんです。つくってもいないのになんでこんなに高く売るんだ、お前はブックオフかって。けど、一歩踏み入れたら、やっぱりかわいいものが多くて。でね、ああいうところの古着って奇抜なものも多いんですよ」
まみ「なんかこう、モモンガみたいな服とかよくあるよね」
アヤ「でも買い物中は、自撮りの中の自分のつもりでいるから、どんな服にも勝てる、似合う、行ける、って思っちゃうんですよ。たとえモモンガでも」
まみ「イメージの中では『私、何でも似合っちゃう』っていうことになってるんだよね」
アヤ「もはや、変なのであればあるほど買いたくなるんだよね」
まみ「挑戦意欲がわいてくる」
アヤ「そうそう、かかってこいや! みたいな」
まみ「この服を着こなせる私! って」
アヤ「そんなこんなで今、ちょうどファッションと自意識について考えてる最中だったので、まみさんの本がより沁みて。むずかしいよね、なにをどう着るか。まみさんは今日は?」
○"自分がある人"のコスプレ
まみ「私は気合いを入れて頭をツーブロックにしてきたんですよ。普段はあまりこういう格好じゃなくて、わりとフェミニンな格好をしてるんですけど、自分の好きな服を着たほうがいいなと思って。それで、今まで着てない服に挑戦してみようって考えて服を買って髪を切ってきたんですけど、なんかやってるとこれって"自分がある人"っぽいコスプレかなっていう気がして……」
アヤ「たしかに、なんかCLAMP感ある。レリーズ!」
まみ「あるでしょ? なんかアバンギャルドな服を着てると、自分がある人に見える。もちろん好きで、気に入って買ってるんだけど、やっぱり見られ方を意識してる」
アヤ「『音楽と人』の表紙とかぶっこめそうな気も」
まみ「アヤちゃんがルミネの店員さんに『一般人と思われたら困るんでちょっと服用意してください』って言うのと、私がやってることって変わらないなって思った。ただ、講談社とかウソついてないだけで(笑)」
アヤ「そうかもしんない」
まみ「今日着てる服は、友達の友達のデザイナーの方が作ってる服なんですけど、今シーズンのニットにひらがなで『わたしはいない』って書いてあるのがあったんですよ。私は"私がある人"のコスプレをしているんじゃないか、じゃあ本当の私って何って思った時に、『わたしはいない』っていう言葉を思い出して、『あれだ、あれを買えばよかったんだ』って。
今シーズンのコンセプトがいろいろあって、すごくいい話が書いてあったんですよ。"みんなが自分のことが嫌いで、自分の身体がきらいだから、それは、fashion君が一番大好きな餌です。あなたがあなたのことが、きらい、ということ、その自虐的な部分をどこまで抱きしめられるか、そんなことを考えながら今回は新作を作りました"(『TETSURO KATO』より)」
アヤ「たしかに、服の個性に人格をのっとられちゃってる人っているよね」
まみ「奇抜な格好をすることで威嚇できることもあるし、その場に合う格好をすればなんとなくそういう人っていうことになったり。服で自分を飾るというより、自分の本質をごまかせる」
アヤ「すごい言葉ですね」
まみ「"わたしはいないと彼女は言ってうずくまる、わたしはブスですと彼女は笑う美しい笑顔で、嫌いなままきれいになれる"というコンセプトでつくっていらっしゃる。嫌いなままきれいになれるっていうのはすごく新鮮でした。『嫌いでいいんだ!』って」
●ファッションがこわかった
まみ「東京に来たときは(ファッションが)本当にこわかったです」
アヤ「まだプチプラとかもないですよね」
まみ「ないない。ユニクロは一応あったけど、今みたいに使える服がある店ではなかったし、まずマルイに入るのにすごい勇気が要った。雑誌でしか見たことないから『これがマルイだ!』『これがラフォーレ原宿だ!』っていちいち全部が都会の象徴に見えて。ルミネとか、そんなものがあるってことすら知らなかったからね。
当時は何が流行ってたんだろう……まだラフォーレに威力があったかな。ラフォーレはちょっと変わった服が好きな子にとっては聖地みたいな場所で、あとはやっぱり下北沢。下北沢の古着屋さんに入って買わずに出てくるってことができなかった」
アヤ「店員もそういう空気出してくるんだよね」
まみ「その威圧感に田舎者は負けるんですよ」
アヤ「俺のとこで買うの? 買わないの? みたいな」
まみ「買わないのに入ってきたんだー、え、買えないの? そうだよね、キミに似合う服なんてうちにはないよね、みたいな被害妄想トークが頭の中で聞こえてくる」
アヤ「想像しただけで泣きそう……」
まみ「こっちも緊張して挙動不審だから、挙動不審なうえに買わないってどう思われるのか不安でしょうがないんですよ。おしゃれな友達は堂々としてるんですよ、これ試着していいですか、みたいな。私は言えない……。試着して買わないっていうのを言えるようになるまで、すごい長い年数がかかりましたね。
あと、私は伊勢丹に足を踏み入れるまでにすごく時間がかかったんだけど、アヤちゃんみたいに、自分が何者かであるようなフリをして、そういう気持ちで入れば、もっと早く入れたのかなって思った」
アヤ「コスプレですよね」
まみ「編集者なんですよ~って言えば」
アヤ「タレントぶったりして」
まみ「そうやって、いけてる人ぶればいいってことですかね。
でも、こういうの意外とみんなありますよね。傍から見てて大丈夫でしょっていう人が、『どうしてもこれができない』っていうの。つけまつげをつけられないとか、スカートをはけないとか、ヒールをはいちゃいけないと思ってるとか。
試着の時点でもう、『こんなやつがこんなもの着て』って思われたらどうしよう、とかね。なんか感じるんですよね。あれってなんなんだろうなって思うんですけど。人目をまったく気にせずに生きることってできないじゃないですか。どっかの時点で自分に対する評価って必ず感じてしまう。
私は、学校っていうのがやっぱり強烈だったなと思います。学校っていけてるグループにしか許されていない行動ってあるでしょ。ロッカーの上に座るとか、流行ってるディズニーキャラをつけるとか。私の学生時代は制服のスカートを短くするのが流行り始めた頃だったんだけど、やっぱり短くするのはいけてる女の子だから、私はだっさい丈でいたわけですよ。自分にはそれは許されていないって、やっぱり思ってた」
アヤ「私も中学生のころ、みんなに合わせてネクタイをすこしだけ緩めてみたら、すぐさま笑われて、自分のいるべき場所みたいなものをすごく意識させられたな」
まみ「最初の一歩を踏み出す時が一番言われるからね。それまでファンデーション塗ってなかったのに塗ったとか。ほんとは自分でも不安なわけですよ。『これって厚塗りになってないかな、どうしたらムラなく塗れるんだろう』とか思ってるんだけど、それが聞ける人間だったらそんなことで悩まない。『どう、これ大丈夫?』って言えたらよかったんだけど、それが言えるようになるまで10年ぐらいかかった気がする」
○「自撮りの国の自分」と「素の自分」
アヤ「もし無人島に行くことになったら、ぜったいiPhone5を持っていこうって最近思う」
まみ「無人島で撮るの? 自分を」
アヤ「しかも、画質のきれいなiPhone5で」
まみ「見たいんだ? どうしても」
アヤ「見たい」
まみ「自分で、いい角度の自分を見てても、人に変だって言われたら変な気がして揺れない? 『私は私』って言えなくないですか」
アヤ「やっぱり自分の容姿って、鏡とか、道具を使わないと見れないってことが大きいんじゃないかな。どうしても人に評価を委ねるしかない部分がある。だから笑われていても、褒められていても、自分には見えないから、どっちにしろ不安」
まみ「テレビとか出れば、普段見ない角度の自分が見えてしまうんだろうけど」
アヤ「そうそう、こないだテレビの収録に行ったときに何してたかっていうと、モニターに映る自分をずっと見てたんです」
まみ「『かわいい』って思ってたの?」
アヤ「美醜じゃない。『痩せたな』って。すごい痩せたんですよ。1カ月で12キロくらい絞ったんです。玄米クッキーとトマ美以外食べないっていう、暴力的な方法で。けどぜったいリバウンドするから、今のうちに細い自分を見ておきたいと。たとえSMAPの前でも」
まみ「それは、自分を好きになったってことなのかな」
アヤ「それが難しいところで、やっぱり自撮りの国の自分を好きになればなるほど、素の自分を嫌いになっていくんですよね」
まみ「ちゃんと撮れてない時の自分?」
アヤ「不意に鏡見て、見慣れてない角度から見たりすると」
まみ「見たくない角度ってありますよね。自分で意識してない顔を意識してない角度から見ると、『うわあ』ってなります」
アヤ「どういう『うわあ』ですか」
まみ「こんな顔してたんだって。鏡を化粧するときしか見てないと、正面のキメ顔しか見てないんですよ。無防備な横顔とか、見たことないから免疫がないんですよね。
自分の外見が気に入るようになってから、内面的な変化ってあった?」
アヤ「自分いいじゃん! っていう自分と自分ブスじゃんっていう自分がどんどん乖離していくんですよ。スッパリと自分の容姿が嫌いだった頃は、まだ楽だった……」
●『アナと雪の女王』から考えた自己肯定感
まみ「そうそう、『アナと雪の女王』観たんですよね」
アヤ「神田さやか天才だったね」
まみ「あれ、私は号泣したんです。長女の置かれる環境っていうのがあまりにもリアルで、見てて初めてわかったことがすごくたくさんあって。私の場合は弟がいたんだけど、子どもで3、4歳違うってすごい体格差があるんだよね。体力も違うし。
私がちょっとしたいたずらのつもりでしたことで、弟がけがしちゃうってことがあったんですよね。打ち所が悪ければ大けがになってた。それで怒られたことがあったんですよ。
そのことを映画を見ててはっと思い出したの。私はその時から、何も考えずに、危ないことを予想せずに、無邪気な子供の遊び方をすることができなくなった」
アヤ「子供のとき?」
まみ「子供のとき。画用紙からはみ出すような絵を描くような子どもがいるけど、私はあんなことできないし、しようとも思ったことない」
アヤ「弟さんはどうしてるんですか」
まみ「弟は覚えてないと思いますよ。そう、覚えてないんだよね。大したことじゃないの。
でも、自分のほうは覚えてる。傷つけてしまったし、これ以上傷つけちゃいけないって思ってるから、それで自分を抑圧しちゃうんだよね。自分が何かすると悪いことが起きるから、してはいけないって。解放されるのはひとりの国だけ。上京して、家族と関係ない部屋を持ってから、やっと好きにできたんですよ。実家にいると、変な服を着たときの風当たりがすごかったからね。『なんで牛の柄着てるんだ!』って怒られたり」
アヤ「牛って言われると(笑)」
まみ「『せめてホルスタイン柄って言って!』みたいなね(笑)。
田舎だから保守的なんですよ。私はそのときビジュアル系のバンドにはまってて、ホットパンツとかはいてたんですけど、親が怒るんですよ。学校でXファンの友達と『なんで網タイツはいただけでお父さんって怒るんだろうねー』って愚痴り合ったりしてて」
アヤ「かわいいね」
○おしゃれな人になりたかった
まみ「家では、そういうのがほんと鬱陶しかったです」
アヤ「才能を持て余したエルサだったんだ」
まみ「持て余してるのは牛柄だけだけどね(笑)。
そのときは親に負けたくない気持ちが強かったし、それがありのままの自分になりたいっていうことだったかというと、少し違ってた気がする。『おしゃれな人になりたい』って思ってた。ストリートスナップに載るような」
アヤ「東京出てきてから?」
まみ「東京出てきたら、叶ったの。CUTiEのストリートスナップに載ったんですよ」
アヤ「国会図書館に見に行こうかな」
まみ「すごい写真なの。ドラゴンの刺繍が入った黄色のベロアのTシャツに、赤いパンツはいてる」
アヤ「それ晒しじゃない?」
まみ「うわあって感じなんだけど、そのときは自分でかっこいいと思ってた」
アヤ「はじめて他者に、しかもおしゃれ媒体に、自分のファッション性を承認されたんだ」
まみ「それが私のエルサ状態だった。レリゴ~♪って。すごい迷走してましたね。変だってわかってるんだけど、変わってるってことで目立つ以外に、おしゃれな人に対抗する手段がわからないの。で、女っぽいことに抵抗があって、お化粧とかはできてないから、バランス悪いんですよ。すっぴんでドラゴンの刺繍って、どう考えても顔が負けるでしょ」
アヤ「惨敗だよね。それ見たい」
まみ「私も、当時H&Mや伊勢丹に一緒に行ってくれる友達がいてくれたらよかったな。そういう変わった服も、店の雰囲気に押されて買ってるんですよね。どの服が好きとかじゃなくて、『ここの服を買えばおしゃれになれる』と思って、その『おしゃれになれる代』を払ってた。ブランド名で買ってたんだよね。アーペーセー(A.P.C.)の服を買ってればおしゃれになれるって」
アヤ「アーペーセーってわかってないかも」
まみ「世代が違うからかな? 私が学生時代はおしゃれだったの、アーペーセー。エーピーシーで書くんだよ。それを『アーペーセー』って読めるだけで、もうおしゃれ特権階級って感じがした」
アヤ「あっ、あれアーペーセーって読むんだ!」
まみ「そう、フランス語読み」
アヤ「へんなの」
まみ「アーペーセーの店に来てる人たちはみんな堂々としてるし、これを着れば私も仲間入りできるって思ってて」
アヤ「その堂々ってほんとに堂々なのかな。それとも私たちみたいに内心実は虚勢張って頑張ってんのかな。店員が堂々としてんのはそもそもなんなんだろう」
まみ「店員さんは着慣れてるからかな」
アヤ「そっか」
まみ「自分の店では、モデルを兼ねてるようなものだから、堂々としていられるんじゃない?」
アヤ「おしゃれってほんとにどこまでいけばいいんだろうね……」
まみ「まず自信を持ちなさいってことをすごく言われるじゃないですか。でも、持ちようがなくないですか」
アヤ「自己肯定なんか無理なのかな」
●ファッションに「分人」という発想
○「分人」をつくればいい
まみ「当に自分の求めてる服とか姿って何なのか、はっきり言える? 私はこの服が似合うようになりたいとか、こういう服が自分には合ってるとか」
アヤ「わかんない」
まみ「ないよね。わたしもわかんないんですよ。本当の自分とか自分らしい服って何なんだろうって考えてたんですけど。
平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』っていう本があって。"分人主義"っていうのをわかりやすく書いてるの。
分人って何かっていうと、友達と接してるときの自分と、親と接してるときの自分って違うし、同じ友達でも、地元の同級生と会うときと、最近知り合った友達と会うときの自分って全然違うじゃないですか。話すことも違うし、態度も違うし、場合によっては着るものも違う。その中で『本当の自分とは何か』って考え始めるからおかしくなるんだって言ってて。全部本当だし、全部自分なんだ、と捉えて、全部"多面体の自分"として存在していると受け入れてみるといいんじゃないかっていう提案なんです。
たとえば自分が嫌で死にたいってなったときは、その死にたい自分っていうのはどの自分かを考える。たとえば仕事をしている時間がつらくて死にたくなるんだとしたら、その分人である時間を減らせばいい」
アヤ「ややこしいけど納得してる」
まみ「自撮りしてる自分が好きだったら、その時間を増やした方がいい……のかな」
アヤ「ガチで増やすぞ」
まみ「分人って、基本的に対人関係での話だからね」
アヤ「そうかもしれない。見てくれてる人がいるからだと思うんですけど……」
まみ「そう。『自分はこうだ』というのから抜け出せないから、スカートがはけないとか、おしゃれができないとか、GUに行けないとかいうのがあるんだと思うんですよ。一回その『自分はこうだ』と思い込んでいる自分から逃れられると、するっといけたりするんでしょうね」
アヤ「思ってる自分じゃない自分を発見、みたいな」
まみ「自分で意識して、『なんで自分はこれをできないんだろう』『誰に対して恥ずかしいと思ってるんだろう』『何に対してやっちゃいけないと思ってるんだろう』って考えてみると、意外と大したことじゃなかった、って気づけるんじゃないかな。
私は、『これが自分のスタイルです』っていうのが決まってる人のほうがかっこいい気がしてて、自分がバラバラなタイプの服を着てるのが恥ずかしいことだと思ってたけど、そのときに応じて好きな自分になっていいんですよね。すごい派手にしたいときはそうすればいいし、地味にしたい時はすればいいし。統一性がなくても、それはそれぞれの分人だからいいのかなって」
アヤ「服の系統とかでもいえそうですね」
まみ「お金はかかりますけどね。それぞれ揃えるのは金額的に大変だから、着回しコーデができるように自分のスタイルを決めましょう、っていうのが今の時代の空気なんじゃないかな。お金も、置いておくスペースもないじゃん。そういう背景もあって、一つの軸を決めて買ったほうが賢く服をやりくりできますよ、っていう提案が受け入れられてるんじゃないかな。本当は、いろんなものが好きだったら毎日違う自分になってもいいんじゃない?」
アヤ「そこまで行くの大変そうだな」
まみ「そこまで自由になる道のりは険しそう」
アヤ「険しそう」
まみ「理想の服ってありますか?」
アヤ「自撮りに映える服……」
○「分人」同士が戦う
アヤ「分人かあ」
まみ「アヤちゃんの分人は?」
アヤ「わかんない」
まみ「この本は人間関係についての本なんですけど、したいファッションができないっていうのは、自分自身の問題というよりは対人関係の問題かなと思うんですよ。人に対して恥ずかしいとか怖いっていうのが大きいのかもって。
私はツーブロックで刈り上げてもらうとき、けっこうこわかったの」
アヤ「こわいでしょうね」
まみ「えっ、こわい?」
アヤ「勇気が要るなあって」
まみ「ツーブロックって、別に変じゃないじゃん、大したことないじゃんって思う自分もいるのに、男性とちょっといい雰囲気になったとして、こうやって髪の毛をかき上げたら高校球児みたいなのが見えるって考えると、男ウケっていうものを捨てる覚悟をしなきゃいけないのかも……って、すごい不安になって」
アヤ「出家みたいな」
まみ「荒野に自分が一人で立ってる姿が浮かんだんですよね。ツーブロックにしたかったんですけど、私が自分を貫くと、誰もいないところに一人で立ってるしかなくなるんじゃないかって。髪切るだけのことが、こんなにこわいものなのかって思ったんですよ」
アヤ「似合ってますよ」
まみ「ありがとうございます。
髪の毛なんか生えてくるし、頑張ってのばしてたって彼氏できなかったんだから関係ねえじゃんって思うんですけど、こんなにこわいのかって自分でもびっくりして。普段どれだけ自分が"男ウケ"ってこと意識してるのかってことを実感しましたね」
アヤ「そういうこわさでいったら今日表参道歩くのもすごいこわかった」
まみ「ファッションメインストリートですからね。もう路面店しかない。ルミネとかは複合ビルだから、なんとなくついでに寄りました、みたいな感じで服見れるけど、路面店ってドアを開けてそのブランドの服しかないところに入って行くんだよ」
アヤ「ああこわい」
まみ「いい店たくさんあるんですけど、一回一回の心の重圧が大きすぎて……」
アヤ「めちゃめちゃ汗かきそうだよね」
まみ「分割で、とか言えないムードがある」
アヤ「今日会場まで来られなかったらどうしようって思って、フェイスブックに『参道の覇者』とかいって自撮りをアップしまくって自分を鼓舞しながらここへきました」
まみ「分人同士が自分の中で対峙するときってない? 私はあって、おしゃれな人に見られたい分人と、モテたい分人は別なの」
アヤ「いっしょのようで全然違いますね」
まみ「その二人が戦ってるときある。
分人が別の分人を抑圧してて、これをやらなきゃいけない、あれができないってことが生まれることがあるよね」
アヤ「極端になっちゃったりとか」
まみ「そう、ほんとは何でも着てみて、失敗したらその分人消せばいいだけなんだよね。私、あの頃の黄色い変なベロアの服着てた分人、抹殺してるよ(笑)」
アヤ「そんなトンチキな人が、そんな簡単に死ぬかな? まだいるんじゃないの、というか今そうなんじゃないの?」
まみ「やめてー! たまに復活しそうになるから。『これ着こなせるんじゃないか』って。ヤバそうな服見たときに(笑)」
(山口晴子)
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