ツイッターなどのソーシャルメディアを利用していると、「自分が接する情報は偏っているな」と感じることはないだろうか。自分と異なる意見を持つ人を徐々に遠ざけていく結果、似通った意見の仲間ばかりの環境になってしまうのだ。
では、情報のバイアスをなくすにはどうしたらよいのだろうか? ヒントは「“炎上”させること」と言ったら、あまりにも意外すぎて驚かれるかもしれない。だが、國領二郎教授が紹介してくれたある学生の研究は、炎上することの副次的な効果を示唆している。
「炎上」する政治家のほうが、世論を公平に見渡すことができる!?
慶應義塾常任理事、慶應義塾大学総合政策学部教授。1982年東京大学経済学部卒業。日本電信電話公社入社。1992年ハーバード大学経営学博士。1993年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。2000年同教授。2003年同大学環境情報学部教授。2006年同大学総合政策学部教授。2009年同大学総合政策学部長。2013年慶應義塾常任理事。主な著書に『オープン・ネットワーク経営』(日本経済新聞出版社、1995)、『オープン・アーキテクチャ戦略』(ダイヤモンド社、1999)、『オープン・ソリューション社会の構想』(日本経済新聞出版社、2004)、『ソーシャルな資本主義』(日本経済新聞出版社、2013)がある。
國領 インターネットによって情報の流通が自由になればなるほど、すべてがフラット化していくかというと、実はそうでもないんですよね。グループが形成され、バイアスが逆に増幅されていくような現象も起こっています。
武田 さまざまな情報がまんべんなく入ってくるのではなく、偏った情報ばかりがまわりに溢れ、偏りが助長されるような状態ですね。
國領 はい。私の研究室の修士課程の学生が、いろいろな政治家を取り巻くツイッターのタイムラインがどうなっているのか、メンションとリツイートの関係から分析したんです。つまり、それぞれの政治家がツイッター上で何をよく見ているのか、ということを明らかにしようとした。
武田 政治家が見ている世界は、その政治家の政策に色濃く反映されるはず、というわけですか?
國領 それも、ひとつの仮説ですね。なんと、その研究で出てきたのは、「炎上させたほうがいい」という仮説なんです。
武田 それは興味深いですね。炎上は、できれば避けたいものですから……。
國領 研究の中で、世論の意見の分布に近い情報を得ている政治家と、そうでない政治家がいるのではないかという説が出てきました。おもしろいのは、たとえば、ある政策に対する賛成意見だけ、つまり偏りのある情報がまわりに溢れていると思われる政治家って、わりとソフトタッチのあたりさわりない人なんですよね。
武田 ソフトタッチな人のほうが、偏った情報に触れているということですか?
國領 そう。逆を言うとわかりやすいのですが、むしろ、橋下徹さんみたいによく炎上している人のほうが、賛成意見も反対意見も両方集まってくるので、比較的世論と近しい分布が見えているのではないか、という結果が出てきました。
たとえば、反原発をやんわりと主張している人であれば、タイムラインも反原発を主張する仲間ばかりだし、世の中は反原発の人ばかりに見える。でも、主張の激しい人は反対派のメンションなどもどんどん来るので、意見が分散するんですよね。
武田 炎上しやすいような主張の激しい人のまわりには、市場の分布に近いバランスで、さまざまな意見が集まってくる、ということですね。
國領 まあ、どれだけ科学的に信頼できるかまだわからないのですが、その学生がやった研究ではそういう結論が出てきました。炎上させたほうがいい、というのはおもしろいですよね。
武田 以前、明治学院大学さんの研究をお手伝いした際、こんな実験をしました。AとBというまったく違う価値観を持っている人を集めて、それぞれグループをつくります。そして、ネット上にAだけが集まる部屋、Bだけが集まる部屋、AとBが混在する部屋の3種類のスペースをつくります。その中で、1ヵ月くらい継続して質問を投げかけ、互いの意見が見られる状態で、意見を集め続けました。すると、実験が終わったあと、異なる価値観に対する寛容性がAとBの混在グループだけ明らかに高くなっていたんです。
國領 なるほど。
武田 Aの意見の人がBの意見に変わる、ということはほとんどないんです。でも、相手の言っていることを理解しようという姿勢は生まれる。おそらく、互いの立場の意見に触れることで、相手にもそれなりの理由や理屈があるというコンテクストが見えてくるからではないでしょうか。