1978年フランスのパリに生まれる。
幼児期の大部分をRamat Hacharon(イスラエルのテルアビブ近郊の小さな町)で過ごす。
4才の時に両親とイスラエルへ行き、引っ越先の自分の部屋にピアノがあったことが音楽との最初の出会い。
その後クラシックのピアノの教育を10年間受けたが、父親の影響で12歳の時にビートルズに出会い、以降ポップのフィールドに関心がシフトしていった。
それから作曲を始め、アレサ・フランクリンなどの影響も受け、自らのヴォーカルの才能にも気が付く。
18才の時にはジョニ・ミッチェルに傾倒し、歌詞の世界にも目覚めていった。
音楽は彼女のもとを決して離れず、音楽への好奇心は決して弱まることが無かった。
その後テルアビブのジャズ・クラブで、彼女はウィンストン・マルサリスのミュージシャン達と知り合い、いくつかのライヴを行った。
兵役中の2年間さえ彼女は音楽を続けていた。そして彼女はAnti Collisionと言うバンドを結成し、イスラエル国中のクラブをツアー。
「このころはとても私の音楽世界は混沌としていたわ。クラシック、ポップ、ジャズ、それらの要素をまとめ上げて表現する方法が見つからなかったの。でも、曲を書きたいということは知っていました」と当時のことを彼女は振り返る。
2000年に彼女はパリでのチャリティ・コンサートへ招待され、そしてそこから彼女の周りが急転し始める。
ショーの間に、彼女はあるプロデューサーに見いだされ、4日後に、EMIとの契約にサイン。
またフランスの映画監督エリー・シュラーキーからミュージカル『十戒』でのミリアム役(モーゼの姉妹)を依頼されたり、同監督による映画『Harrison’s Flowers』のサウンドトラックを依頼されたりして彼女の名前は一躍有名に。
「そうした仕事を引き受けたことには後悔はないわ。その2年半とても貴重な体験が出来たから」と彼女は語る。
そんな紆余曲折を経て2001年に当時はYaëlという名義でデビュー・アルバム、『In a Man’s Womb』がリリースされた。
しかし彼女はこのアルバムを失敗だと思っており、非常に落胆したという。音楽に対しすっかり自信を無くしてしまい、これまでの自身の活動の全てに疑問を持つようになった。
2004年、共通の友人を介してDavid Donatienに出会った。
西インド出身のドラマーであるDavidはBernard LavilliersからJunior Jack、Wassis DiopからMaliaまで、本当に様々なジャンルのミュージシャンと15年あまりも活動をしてきた。
どんなジャンルの音楽にも対応できる非常に才能溢れるミュージシャンでありつつ、プロデューサーとしての才能にも溢れており、彼の技術と想像力は、ヤエルの音楽の世界を素晴らしい方向に導き、花を咲かせた。
同時にブライ語で歌うことを勧めたのも彼だった。
1. Come home
2. My dreams
3. She was a boy
4. Go to the river
5. Never change
6. I try hard
7. Today
8. Mystical love
9. Man of another woman
10. Puppet
11. Stupid goal
12. If i lost the best thing
13. Game is over
LE'JITが遂に復活です!!
ソロ作品も発表し、プロデューサーとしても活躍するロイ(aka Chip)と、ファルセッターのクリス、そしてイケメンで縁の下の力持ち、ジョンのルイジアナ州のアンソニー3兄弟から成るLE'JIT。
振り返れば1997年のセルフ・タイトル・アルバム。
玉石混淆の作品の中からまるで宝物を見つけたような、まさにインディソウルの醍醐味とも いうべき秀作で、そのクオリティの高さとソウル愛に溢れた内容(レニー・ウィリアムス「Cause I Love You」の驚愕カバー!)、甘茶ソウルテイストなジャケも含め、 当時のマニアの間で大いに話題を呼びました。
近年のインディR&Bブームよりもずっと前のことです。
1999年には、より洗練されたセカンド『Legitimately Yours』を発表。こちらも現在は廃盤ですが、1stと並ぶ名盤として誉れ高いのは言うまでもないでしょう。
と、このように評価が高い彼らながら、活動ベースは地元中心で、本国の固定ファン相手のライブばかり。
ロイのソロ活動で再び注目されたものの、なかなかグループとしてのアルバムを出すことがなく、なんとこの3枚目のアルバムが出るまで10年以上も経ってしまいました。
しかも本作も一昨年くらい前から噂が出ており( 2010年のロイのインタビューの時も言ってましたしね。
クリスのソロはどうなっちゃったんでしょう・・・→ ロイ・アンソニー・インタビュー(2010年) ) 昨年末に遂に本格的にリリースするとドドーンとアナウンスがあったものの、そこからが長かった!
ここまで待たされると嫌になっちゃうものですが、そこはLE'JIT、外しはありません。
思わず腰がリズムに合わせて動いてしまうセクシー・ステッパーズ「The Best」やルイジアナの教会での結婚式の情景を思い浮かべてしまうラブソング「I Found Love」等、 ロイが作り上げるミディアム~スロウの楽曲の素晴らしさは言わずもがな。
3人兄弟の織り成すヴォーカルのミルフィーユはよりいっそう芳醇さを増し、何よりクリスの超絶ファルセットの健在に思わず涙。
南部らしいウェットで濃厚なブラック・フィーリングとDNAにしっかりと刻まれたソウルミュージックに圧巻。
ただただひれ伏すのみ!
『NEW BEGINNING』
1. Feel Good
2. The Best
3. Honey
4. I Found Love
5. Dance The Night Away
6. Dedicate This 2 My Baby
7. No Woman
8. Farewell
9. It Won't Work
10. Good Woman
11. How Can I
12. Sweet Potato Pie
13. After Party Wit Me
14. Groove Swing (LE'JIT REMIX)
15. Thank You
本名= Taalib Johnson。
フィラデルフィア出身。
「フィリーの伝統を受け継ぐファンクソウルの申し子」と称され、「21世紀のスティーヴィー・ワンダーに一番近い存在」とも評されるニュー・フィリー・ソウルの第一人者。
2000年にOST、『ナッティ・プロフェッサー・‐クランプ家の面々』に収録され、大ヒットとなった「ジャスト・フレンズ」でデビュー。
その「ジャスト・フレンズ」も収録した1stアルバム『アイジャスウォナシング』からは名バラード「ラヴ」も誕生し、第44回グラミー賞の最優秀男性R&Bアーティスト部門にノミネートされ、ソウル・トレイン・アワードではベスト・R&B/ソウル・アルバム賞を受賞、またSOURCE誌のR&Bアーティスト・オブ・ジ・イヤーにも選ばれた。
2002年の2ndアルバム『ジャスリスン』からは「ハーフクレイジー」がヒット、全米アルバム・チャートで初登場1位を記録した他、2作連続のミリオン・セールスを記録。
2003年には3rdアルバム『ソウルスター』をリリース。
「Forthenight」が第46回グラミー賞の最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネート。
翌年の第47回グラミー賞でもジミ・ヘン・トリビュート・アルバム『Power Of Soul: A Tribute To Jimi Hendrix /Various Artists』(Experience Hendrix社から発売)に収録の「Are You Experienced?」が最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネートされるなど、彼の音楽性は高い評価を得ており、数度の来日公演も実施するなど日本でも絶大な支持を集める人気アーティストとなった。
2007年にはデビュー以来の所属レーベル=デフ・ジャムを離れ、アトランティックへ電撃移籍を果たし、3月に移籍第1弾アルバム『ラヴアンミュージック』をリリース。アルバムからはシングル「BUDDY」も大ヒットし、前年発表されたR&B/ソウルの作品では1、2を争う屈指の完成度!と評されるなど、移り変わりの早いこのシーンで確固たる地位を築き上げた。
2008年に入ってもアメリカのブラック系ヒューマン・コメディ映画『TYLER PERRY'S MEET THE BROWNS』のサウンド・トラックにエステルと共演した「ピープル・エヴリディ」(アレステッド・デヴェロップメントの大ヒット曲のカヴァー!)を提供し話題となっている。
オススメの1枚
6th.Album『Musiqinthemagiq』
1. Anything
2. Single
3. Sayido
4. Lovecontract
5. Silver & Gold
6. Waitingstill
7. Backtowhere
8. Dowehaveto
9. Befriends
10. Yes
11. Medicine
12. Likethesun
プロデューサー、ブライス・ウィルソン(Bryce Wilson)とのユニット、グルーヴ・セオリー(Groove Theory)でデ
ビュー、Mary Jane Girlsの定番”All Night Long”を引用し、HIPHOP R&Bの傑作として、90年代を代表する一
曲に数えられる”Tell Me”などでボーカルをとっている女性シンガー。キュートな透明感あふれる声と魅力的な
ルックスもあいまって、独特の世界観を作り出している。
その後ソロ活動を開始、ジャジーなサウンド”Infinite Possibilties”(2000)、”Brave Bird”(2004)、2006年
の”Morning”と安定した活動を続けている。自身名義のほかにも、シャーデー(Sade)のバックバンド、スウィート
バック(Sweetback)に客演した”You Will Rise”や、”Barbershop”サントラに提供したグレン・ルイス(Glenn
Lewis)との共演曲”What’s Come Over Me”などが人気。
再結成の噂は本当だった。‘90年代の音楽シーンの話題を独占した伝説的ユニット“グルーヴ・
セオリー”が遂に復活、ブルーノート東京に出演する! 同ユニットはシンガー・ソングライター
のアメル・ラリューとプロデューサー/ラッパー/俳優のブライス・ウィルソンによって結成さ
れ、’95年に発表されたデビュー・シングル「テル・ミー」はヒット・チャートの5位まで上昇。
2000年にアメールが脱退するまで、R&B~ヒップ・ホップ界を牽引し続けた。今回は6人編成
のバンドによる公演で、往年のヒット曲と共に、数多くの新曲も披露される予定。単なる再結成
の枠を超えた現在進行形のグルーヴ・セオリーの世界を、ステージと一体になって体感したい。
アル・ジャロウ(Alwyn Lopez "Al" Jarreau、1940年3月12日-)はアメリカのジャズ・ボーカリスト。
広い声域に、ソフトかつ伸びやかな歌声と卓越したボーカル・テ
クニックを持ち、中でもスキャットは特技ともいえるほど優れた
個性を確立している。
ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。
アイオワ大学で心理学を学び、数年間はカウンセラーの仕事をしていた
後にロサンゼルスへ渡り、ジャズ・クラブで歌い始める。1975年にワーナー/リプリーズからデビュー。
1978年にLook to the Rainbowが、1979年にAll Fly Homeがグラミー賞の最優秀ジャズ・ボーカル・アルバム賞を受賞した。
1980年からはジェイ・グレイドンやナイル・ロジャース、ナラダ・マイケル・ウォルデンらのプロデュースの下、
AOR/ブラック・コンテンポラリー路線でポップ分野でのヒットも生み、1982年にはBreakin' Awayでグラミー賞の
最優秀男性ポップ・ボーカル賞と"(Round, Round, Round) Blue Rondo A La Turk"で最優秀ジャズ・ボーカル賞
を、1993年にはHeaven and Earthで最優秀R&Bボーカルを受賞した。この功績によりジャズ、ポップ、R&Bの3部
門にまたがってグラミー賞を獲得した、最初の個人となる。
1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリードボーカルをとった。
1999年にワーナー/リプリーズからヴァーヴ傘下のGRPに移籍。ジャズ寄りの作品も発表している。
2006年にはギタリスト兼ヴォーカリストのジョージ・ベンソンとの共作、"Givin' It Up"を発表しており、自己のヒット
ナンバー、"Mornin'"をカバーしている。
2010年7月に公演先のフランスで呼吸障害で倒れ、病院に搬送。「重篤な状態」とも報道されたが、順調に回復
9月には日本で元気な姿で公演も行われた。
We Got By 1975 Reprise
Glow 1976 Warner Bros.
Look to the Rainbow 1977 Warner Bros.
All Fly Home 1978 Warner Bros.
This Time 1980 Warner Bros.
Breakin Away 1981 Warner Bros.
Jarreau 1984 Warner Bros.
High Crime 1984 Warner Bros.
Live in London 1985 Warner Bros.
L Is for Lover 1986 Warner Bros.
Heart's Horizon 1988 Warner Bros.
Heaven and Earth 1992 Warner Bros.
Tenderness 1994 Warner Bros.
Best of Al Jarreau 1996 Warner Bros.
Tomorrow Today 2000 GRP
All I Got 2002 GRP
Accentuate the Positive 2004 GRP
Givin' It Up with George Benson 2006 Concord
Love Songs (ベスト版) 2008 Rhino
Christmas 2008 Rhino
エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse、本名:Amy Jade Winehouse(エイミー・ジェイド・ワインハウス)、1983年9月14日 - 2011年7月23日)は、イギリスのソウルミュージック、ジャズ、R&Bのシンガーソングライター。
キャリア[編集]
2003年にアルバム『フランク』をリリースしてデビュー。
英国内で67万枚を超えるヒットとなり、一躍トップスターの一人となる。
1960年代の初期ソウルミュージックを思わせる生演奏のバンドを従え、ビリー・ホリデイのようなハスキーな歌唱が持ち味である。
2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』も高い評価を受け、全英で1位(全米では7位)を記録した。
ブリット・アウォーズでは、最優秀女性ソロ・アーティストに輝いた。
その後もヒットを続け、翌2007年に全英で最も売れたアルバムとなった。
薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな人物でもあり、2007年8月に夫と共に飲酒・薬物のリハビリ施設に入所、2008年1月24日には再びリハビリ施設に入所[2]。
グラミー賞を受賞した「リハブ」はリハビリ施設へ入所した自身の体験を元にしている。
2008年の第50回グラミー賞ではカニエ・ウェストの8部門に次ぐ主要4部門を含む6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞。
当初は授賞式への参加を表明していたが、アメリカに入国する為に必要なビザ発行を拒否され、授賞式に出席できないことが同年2月7日に担当広報から明かされた[3]。
そのため、イギリスからの衛星中継で出演した。
グラミー賞後、『バック・トゥ・ブラック』が大反響からか全米2位まで上昇した。
その後もリハビリ施設への入退院などを繰り返しキャリアは停滞したものの、マーク・ロンソンらと共に3作目のアルバムを完成させたと言われる[4]。
2011年6月、本格的な復帰を目指してヨーロッパ・ツアーを開始。
しかし18日、セルビアのベオグラードで開催された約2万人の聴衆を集めた野外コンサートで、開始時間を大幅に遅れて、泥酔しまともに歌うこともできない状態で登場した。
歌を途中で何度も中断するなどしたため、観客からブーイングを浴び、地元紙にも「ディザスター(災厄)」「史上最悪のコンサート」などと扱き下ろされた。
45ユーロ(約5000円)という、セルビア市民にとっては安くないコンサートチケットの価格も、観客の怒りに拍車をかけたと推測される。
直近の2公演の中止が直ちに発表され[5]、その後全日程が中止となった。
関係筋によれば、治療に専念するため無期限の活動停止となることが示唆された[6]。
2011年7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体で発見された[7]。
死去直前にドラッグとアルコールを過剰摂取していたという証言はあったが[8]、死後数日の時点で警察から死因の発表はなく、正式な死因は不明のままである。
2013年1月8日、当初の検視官に資格の問題があったために、再度行われた検死の結果が発表された。
死因はアルコール中毒で、一般に致死量とされる程度の量を摂取していた。遺体が発見された寝室の床の上には2本の空のウォッカの瓶があり、本人自ら飲んだもので事件性はないという[9]。
生前最後に発表された作品は、2010年11月に発売されたクインシー・ジョーンズのトリビュート・アルバム『Q: Soul Bossa Nostra』に収録の「It's My Party」であった。
また、トニー・ベネットのアルバム『Duets II』にも参加し、ジャズのスタンダード・ナンバー「Body and Soul」をデュエットしている。
アルバム[編集]
フランク Frank (2003年) ※日本盤は2007年12月発売
バック・トゥ・ブラック Back to Black (2006年)
ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ Lioness:Hidden Treasures(2011年)…追悼コンピレーション
シングル[編集]
Stronger Than Me (2003年)
Take the Box (2004年)
In My Bed / You Sent Me Flying (2004年)
Pumps / Help Yourself (2004年)
Rehab (2006年)
You Know I'm No Good (2007年)
Back to Black (2007年)
Tears Dry on Their Own (2007年)
アニー・レノックス(Annie Lennox, 1954年12月25日 - )は、イギリスのミュージシャン。
ユーリズミックスのボーカリストとして知られる。
スコットランドのアバディーン出身。音楽活動と平行して、フェミニズムやAIDS撲滅などの社会運動にも取り組んでいる。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第93位
父はボイラー設備技士でありひとりっ子
幼少時、彼女はその優秀な能力から特殊児童教育校に入学した。
彼女は古典音楽の教育を受け、17歳の時にロンドンの王立音楽アカデミーに入学。
フルートを学んだが、学校の雰囲気に馴染めず最終試験の直前で中退してしまう
その後、レストランでウェイトレスをしながらフォークやソウルのシンガーとして活動していた。
やがて両親からの説得によりアバディーンへの帰郷を決意をするが
その矢先にレストランに客としてやって来たデイヴ・スチュワートとピート・クームスと意気投合
2人のデュオにボーカリストとして加入し、ザ・キャッチを結成。
後にデイヴとは恋仲となり同棲生活を始めている
ザ・キャッチは後にベーシストとドラマーを加え、1979年にはザ・ツーリスツへと改名。
メジャーデビューを果たしヒット曲も生まれたが、1980年12月にツアー先のオーストラリアにてバンドが分裂
デイヴと共にユーリズミックスを結成。
この際、創作活動のためにデイヴとの男女関係を解消している。
アルバム
1992年 Diva
1995年 Medusa
2003年 Bare
2007年 Songs Of Mass Destruction
2009年 The Annie Lennox Collection
2010年 A Christmas Cornucopia
大胆かつエレガント。
奔放でいて気高い。
扇情的で、誰よりも個性的。。
1920年代のジャズ・エイジに魅せられた
アリス・フランシスが遂にデビュー!
オランダ出身のカロ・エメラルドの成功を受けて、ブームが広がりつつあるヨーロッパ産のモダン・ヴィンテージサウンド!
エレガントな魅力溢れるAlice Francis (アリス・フランシス)がデビュー!!
ポーランド生まれのアリス。
デビュー・アルバム『St. James Ballroom』は、時代を超えた傑作!
トラディショナルなアカペラとドゥーワップ、ヴァイオリンやバンジョーの音色にディープなベースが絡むアレンジ、 さらにはアリスのラップまでもが融合したサウンドは時代とジャンルの枠を軽く飛び越える。
もしもソルトン・ペパや TLC、アン・ヴォーグらR&Bグループが禁酒法の時代に活躍していたとすれば、まさにこんな作品になったのでは!?
ポップにラテン、ヒップホップにエレクトロを1920年代のフレイヴァーで彩ったアリス流のサウンドは、ネオ・チャールストンとも呼ばれるほど。
ヴィンテージ・サウンドに新たな息吹を吹き込み、21世紀のダンス・ミュージックとして昇華しているアリス。
誰も聴いたことのないディープで大胆なサウンドと、明るく美しい彼女の歌声が合わさった 『St. James Ballroom』は、まるでアリスの旅行記のようなアルバム!!!
「St.James Ballroom」
収録曲
1.On The Rivers Of Mississippi (Intro)
2.St. James Ballroom OA PUSH!!
3.Don’t Shoot Me (Interlude)
4.Shoot Him Down! OA PUSH!!
5.French Affair
6.The Funeral (Interlude)
7.Gangsterlove
8.Sista
9.Cakes & Applepies
10.Get A Wiggle On
11.My Dedication (Interlude)
12.I Pimp You
13.Chillin’ With Niegl (Interlude)
14.A Flapper’s Diary
15.Kiss My Ass
16.Please, Love Me Too
17.Sandman
<国内盤ボーナストラック>
18.GANGSTERLOVE (Caravan Palace Remix)
19.SHOOT HIM DOWN! (Egokind Remix)
20.ST. JAMES BALLROOM (Sepalot Remix)
Kanye Westのプロダクション・チームの一員からいつの間にか名づけられたニック・ネームの「レジェンド=伝説 / 伝説的人物」。
ただのアーティストであれば名前負け確実なところだが、ジョン・スティーヴンスにはジョン・「レジェンド」を名乗るにふさわしい「伝説」を作り続けていた…。
★「勝ち組モテ男」伝説
地元のオハイオ州スプリングスフィールドでは天才児+人気者として広く知られていたジョン・レジェンド。
通っていたスプリングスフィールド・ノース高校をわずか16歳で次席として卒業し、日本で言う「ミスター○○高校」にあたる「プロム・キング」に選ばれる勝ち組+モテ男だった。
高校卒業後、ハーバード大にも合格していたものの、良い奨学金制度があり、積極的に入学を勧誘してきたペンシルヴェニア大学へ入学を決めた。
さらに大学卒業後も一流コンサルティング会社へ就職し、デビュー後もGAPのキャンペーン・キャラクター、米エスクワイア誌の「最もオシャレな男性」に選ばれるなど、一貫して「勝ち組モテ男」人生を送っている。
★「ローリン・ヒルも目をつけた、天才ミュージシャン」伝説
幼少時からゴスペルやピアノで音楽的素養を身につけてきたジョン・レジェンド。
大学時代に全米トップの学生アカペラ・グループ “Counterparts” のメンバー兼ミュージカル・ディレクターを務めながら、在学中の98年にはローリン・ヒルの傑作アルバム『ミスエデュケーション』にセッション・ピアニス トとして参加するなど、まだ10代のジョン・レジェンドではあるが、その才能は既に頭角を現していた。
さらにKanye Westを通じて全米に名が知られる前の2002年に既に作曲家としての素質が認められ、BMI(著作権団体)の選ぶただ一人の “Songwriter’s Hall Of Fame” 奨学生に抜擢されている。
★「Kanye Westと運命の出会い」伝説
大学時代のルームメートからいとこの新進気鋭ミュージシャンを紹介される。
それがカニエ・ウェストだった。
カニエのプロダクション・スキルにジョンの音楽的才能が加わって、二人の快進撃が開始 ~ 2003年のアリシア・キーズ「ユー・ドント・ノウ・マイ・ ネーム」、ジェイ・Z『ザ・ブラック・アルバム』、2004年のジャネット・ジャクソン「アイ・ウォント・ユー」ら大ヒット曲を連発。
トップ・アーティストから続々と曲を依頼されるヒット・メイカーになった。
その後カニエもデビュー・アルバム『ザ・カレッジ・ドロップアウト』を大ヒット(ジョンももちろん参加)させ、レーベル「G.O.O.D. (Getting Out Our Dreams)」を設立し、第1弾アーティストとしてジョン・レジェンドを契約。
カニエとの出会いを通じ、ジョン・レジェンドの才能は全世界規模で認められ、ソロ・アーティストとしてのデビューへと一気に発展していった。
★「グラミー賞常連」伝説
2004年12月にデビュー・アルバム『ゲット・リフテッド』を発売(日本では2005年1月のリリース)。
最高位4位、全世界で売り上げ400万枚を記録し、06年の第48回グラミー賞ではマライア・キャリー、カニエ・ウェストと肩を並べる同年最多8部門でノミネートされ、最優秀新人賞を含む3部門を受賞!
2006年10月にセカンド・アルバム『ワンス・アゲイン』を発表すると、全米初登場3位、セールスも300万枚に達する。
2007年のグラミー賞でも3部門ノミネートで2部門受賞し、デビューわずか2作でグラミー賞計11部門ノミネート、5部門受賞と、「グラミー賞常連」として認められている。
The Latest Album
『Love in the Future』
1. Love In The Future (Intro)
2. The Beginning...
3. Open Your Eyes
4. Made to Love
5. Who Do We Think We Are
6. All of Me
7. Hold On Longer
8. Save The Night
9. Tomorrow
10. What If I Told You? (Interlude)
11. Dreams
12. Wanna Be Loved
13. Angel (Interlude)
14. You & I (Nobody In The World)
15. Asylum
16. Caught Up
(アディーナ・ハワード)は1974年にMichigan州南西部の都市の大都市(グランド・ラピッツ)で生まれる。
そして、Adinaがアリゾナに住んでいた頃、彼女の美貌とスター性がプロデューサーRay Hunter & Ron Keelの目に止まった。
Raymond & RonはAdinaをシンガーでプロデューサーのLivio Harrisに紹介!・・・レコード会社との契約が進んだ・・・ (*Livio Harris:1993年デビューのNJS/「ニュー・ジャック・スイング」の新星Four Sureの「We Can Swing It 」をプロデュースした人物)
そして1995年にデビューアルバム「 Do You Wanna Ride? 」はElektra Records(Mecca Don Records )からリリース
シングル「Freak Like Me」は全米Billboard HOT100で突然2位(UKでは33位)R&Bチャートで 2位をマークする
その他のシングル「My Up and Down」はHOT100で68位(UKでは33位)R&Bチャートで32位
「It's All About You」はR&Bチャート58位に止まったが、流行のG-FUNK サウンド
HIP-HOP/R&Bで構成されアルバムは世界中で130万枚以上売上げるヒットとなる
1996年にはジャッキーチェンの主演映画「Supercop 2 」のサントラ(Supercop )でWarren G との
Recordsからリリース!されたが、で宣伝費が控えられ十分な宣伝が出来ず、アルバムからのリードシング
ル「Nasty Grind」も早朝のケーブルTVの黒人向け番組BET(Black Entertainment Television)の
早朝にVIDEOを流す程度のコスト削減で、R&Bチャートでギリギリのランクイン95位に終った
当初は2004年のアルバム「Second Coming」のリミックス版を2005年に発売予定だったようですが新
譜を盛り込み4枚目のアルバム「Private Show 」を2007年にリリースし、アメリカとヨーロッパでアルバ
ムのプロモートの為にステージに立っている!
また、Adinaは2008年の映画「Poke the Sleeping Bear」(役名:Rolanda )に登場
Do You Wanna Ride
1. You Got Me Humpin'
2. Freak Like Me
3. If We Make Love Tonight
4. I Wants Ta Eat
5. You Can Be My Nigga
6. It's All About You
7. Let's Go To Da Sugar Shack
8. Do You Wanna Ride?
9. You Don't Have To Cry
10. My Up And Down
11. Horny For Your Love
12. Coolin' In The Studio
13. Baby Come Over
今までフェイス・エバンスのアルバム等,バッドボーイレーベルの裏方として活躍してきた彼女だが
あのアリを排出したアイランドブラックから御大ロナルド・アイズリーのバックアップの 元デビューとなった。
ほぼ全面に渡ってセルフプロデュースした本作は,超一級のボーカルアルバムに仕上がっている。
何といっても彼女のフェイス・エバンスをも上回らんばかりのパワフル高レンジボーカルは, ただただ感嘆するのみである。
しかし,スロー,ミディアムを中心とした楽曲における彼女の歌いぷりは
決して歌を聴き手に押し付ける強引なものではなく,ハスキーさが際立つ押さえた節回などを織り交ぜ
メリハリをつけることで聴き手に決して満腹感を与えない秀逸なものである。
Soul Of A Woman
01. Don't Go Away (Interlude)
02. Friend Of Mine
03. Secret Love
04. Don't Say Goodbye
05. Kiss Test
06. Soul Of A Woman
07. You Complete Me
08. Soul Of A Woman (Interlude)
09. Her
10. Your Love
11. Take Me To A Dream
12. Lord Of All
13. Friend Of Mine (Remix)
裏方での見事な経歴を引き下げ表舞台へ彗星のごとく登場し
聴くものを圧倒するそのアレサばりのド迫力ヴォーカルで ブラックミュージック
シーンを震撼させた前作からわずか2年。"She Is Back!"彼女が帰ってきた。
テディーライリーが手掛けたレーベルメイト"ドゥルーヒル"らとの共演(16)で
その健在振りをアピールし,"流石"と思わせられたところ,息をつく間も無く本作である。
Mirorr, Mirorr
01. Mirror Mirror (Interlude)
02. Good Love
03. You Should've Told Me
04. At Least (The Little Things)
05. National Anthem (Interlude)
06. She Wants You
07. 3 Strikes
08. Mirror Mirror
09. Can't Run Away
10. The Lullaby
11. Married Man
12. Like You Do
13. All I Want Is You
14. As We Lay
15. I Know Who Holds Tomorrow
16. Love Sets You Free
メアリー・J. ブライジ(Mary Jane Blige、1971年1月11日 - )は、アメリカ合衆国の女性R&B歌手。
クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称される。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第100位
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第78位
ジャズミュージシャンの父トーマスと学校教師の母コラの間に生まれる。
メアリーが4歳のときに両親は離婚し、母と姉と三人で暮らす。
7歳の頃から教会の聖歌隊で歌い始め、母の影響でオーティス・レディング
グラディス・ナイト、アル・グリーンなどの60年代-70年代ソウルを聞いて育つ。
高校のタレント・ショウでは歌も披露していたが、気晴らしのために麻薬を使用したりして、結局落第する。
地方のショッピング・モールの録音ブースでアニタ・ベイカーの1986年のヒット・ナンバー
「コート・アップ・イン・ザ・ラプチャー」を歌ったデモ・テープを、継父が当時のアップタウン・レコードの
社長だったアンドレ・ハレルに渡し、アップタウン・レコード社にとって最年少で初の女性アーティスト契約を結ぶことになる。
1990年ファーザーMCの「I'll Do For You」にフィーチャリング参加した後、映画『Strictly Business』の
サウンドトラック収録曲、「You Remind Me」でソロデビューする。
アルバム
ホワッツ・ザ・411? - What's The 411 (1992年)
ホワッツ・ザ・411? リミックス - What's The 411? Remix (1993年)
マイ・ライフ - My Life (1994年)
シェア・マイ・ワールド - Share My World (1997年)
ツアー - The Tour (1998年)
メアリー - Mary (1999年)
バラッズ - Ballads (2000年)
ノー・モア・ドラマ - No More Drama (2001年)
ラヴ & ライフ - Love & Life (2003年)
ザ・ブレイクスルー - The Breakthrough (2005年)
リフレクションズ 〜ア・レトロスペクティブ - Reflections (2006年)
グロウイング・ペインズ - Growing Pains(2007年)
ストロンガー・ウィズ・イーチ・ティア - Stronger With Each Tear(2009年)
マイ・ライフII...ザ・ジャーニー・コンティニューズ(アクト1)- My Life II... The Journey Continues (Act 1)(2011年)
ア・メアリー・クリスマス - A Mary Christmas(2013年)
Monica(モニカ、本名:モニカ・デニス・アーノルド、Monica Denise Arnold、1980年10月24日 - )は
アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のR&B歌手、女優。
1990年代に一躍大スターとなり、ブランディとのデュエットで話題になった
「The Boy Is Mine」(Billboard Hot 100で13週連続1位、259万枚以上を売り上げた[2])でグラミー賞を受賞した。
アルバム
1995年 Miss Thang
1998年 The Boy Is Mine
2002年 All Eyez on Me (日本のみ発売)
2003年 After the Storm
2006年 The Makings of Me
2010年 Still Standing
2012年 New Life
日本公演
1995年10月11日 - 中野サンプラザ。モンテル・ジョーダンとのジョイントライブ
1999年 - 3月15日、16日 赤坂BLITZ、17日 横浜ベイホール、20日 沖縄・宜野湾海浜公園屋外劇場
1999年8月24日 - 日本武道館Natural Breeze Concert
2010年11月22日、NBA選手のシャノン・ブラウンと結婚した
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