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Windows隆興の礎を作った伝説の日本人。マイクロソフトを支えた天才プログラマー 中島聡  前編 2/4

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植えつけられた価値観。天才プログラマーがホリエモンに語った「人生を選択するということ」。

堀江 マイクロソフトと提携切った後どうなったんですか?そのマイクロソフトチームにいったんでしたっけ?

中島 私は1回、NTTに行ったんですよ。それも変な話で。僕、院まで行ったんですよ、修士まで。

堀江 大学も行ったんですか?

中島 行ったんですよ。ドロップアウトしてないんです。アスキーとは高校から付き合って、大学時代にCANDYっていうCADのソフト出したんですけど。

堀江 CANDY、めちゃくちゃ売れたんですよね。

中島 売れましたね。その辺でおいしい目にあって。

堀江 それからNTTに就職されたんですか?

中島 そうですね。その時は親だったり先生から植えつけられた価値観があったんですよ。せっかく大学に行ったんだから、大きな企業に、名の通った大企業に行かなくちゃいけないって、ガッツリ疑問にすら思わず囚われていたわけですよ。アスキーでアルバイトして小銭も稼いで、みんなにちやほやされていたにも関わらず「俺は早稲田も行っていたエリートだから、一流大企業に行くのが当然だ」みたいな感じに行ったんですよ。すごい嫌ですよね、今考えてみると。でも、それに完全に囚われていましたね。

堀江 あんな面白い会社にいたのに。

中島 あれは泡沫の夢だったみたいな。それは親とか、先生とかから洗脳されていたせいで、そう思いこんだのかもしれない。それで「俺はNTTに行くんだ」って思ってNTTの研究所に行ったんです。でも、1年経たずに間違いに気がつきましたね。

堀江 それはどうしてですか?

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Photograph Text/Edit/=柚木大介 Transcription=logo-01