tokyoescalatorgirl

東京エスカレーターガール

20代の若者は全員阿呆である。それではいけませんか。

イケダハヤトさんについては「この方は何を言われてもけしてぶれることはないのだ」という1点において若干尊敬しているというか畏敬の念を覚えているので、御本人に伝えたいことはもはやありません。ですので、その周辺の方に伝えるつもりで書いておきます。

彼の発言をみていていつも思うことがあって、「そんなにも、自分が阿呆であるということを認めるのがおそろしい、ということを公にしてしまっていいのか」ということです。あらゆる発言において、ひとに自分の欠点をあげられることが極端に苦手で、それはもう苦手というレベルでなく、なにか生命の危機のようなものさえ感じ、そのことを要因として、それらからなるべく離れていられるフリーランス(ブロガー)という道を選んだ、というふうに見受けられます。

20代の若者なんて大半阿呆です。20代の若者で阿呆でないひとを見たことがありません。私は私だけが特別に阿呆でないなどと思っていません。いろいろ至らないことがいっぱいある。当たり前です。それは人格に結びつくものではありません。経験や知識の多寡によるところです。よって、時が解決してくれます。できることが増えていくかもしれないし、よりひとにやさしくなれるかもしれないし、より、自分の阿呆さ加減に気づくことができるかもしれません。そういう可能性に満ち溢れています。若者には可能性がたくさんある。それは、いままだ阿呆だとしても許されていることと、より成長できる部分がたくさんあること、そういう意味です。

と、いうのが普通の考え方だと思います。

彼はしかし、自分が若者であり阿呆である点について指摘されると、自分の人格否定であるというふうにとらえてしまう。あるいは、自分より何十年も先に生きる年長者と自分とを「対等」というふうにとらえてしまう。いつも必ずそうです。

その点が変わらない限り、彼との対話は難しいと思いますし、そこには深いトラウマのようなものが隠れている可能性すらあり、あるいは本当に余計なお世話でなにも隠れていない可能性もありますし、いずれにせよブログのやりとりでこれ以上掘り下げるのは不可能でしょう。イベントはおおいに楽しみに待ちたいと思います。

ところで私がこのエントリを書いているのは、上から目線で悦に入りたいのではなく、「これはまだ誰も言ってないことだ!!」とおもうと嬉しくなってしまうからです。ですから私は「上から目線だ!」と言われても困惑するだけですが、「そんなのおまえ、とっくの昔に誰か言ってたよ」と言われると歯ぎしりして悔しがります。誰でもそういう弱みは持っているものですよね。阿呆であることを認めるのが本当に嫌い、というのはべつにかまわないのですが、その弱みをそんなにも逆説的に主張しつづけるのは、生身の人生としてはやや危険ですし、プロレスとしては全然おもしろくないとおもいます。