そうか、あれから10年が経ったか。あの時はショックに打ちのめされて、しばらく作文をサボったっけな。それで、とうとう「フィリップ総決算」を書かなかったのを思い出した。
やはり、それはいけない。講釈を垂れないなんて、自分の存在意義を否定するものだ。全くやる気にならないが、少し作文するか。
サンフレッチェ広島関係者の皆様おめでとうございます。
このサンフレッチェのリーグ制覇は、前身の東洋工業が1970年シーズンにJSLを制覇して以来だから、実に42年振りとなる。ここまで長い間リーグタイトルから遠ざかっていたクラブは、当然ながら過去なかった。これも歴史の蓄積と言えよう。
ちなみに、JSL開幕の1965年シーズン68年シーズンまで、東洋工業はJSLを4連覇している。69年に三菱が優勝し、70年に東洋が再び優勝。以降、東洋-マツダ-サンフレッチェは、リーグの覇権から遠ざかっていた。そもそも、日本のサッカー史において、リーグ戦を4連覇したのは、この東洋工業と、JSL最後の2シーズンと、Jリーグ最初の2シーズンを制した読売-ヴェルディのみである。これに続くのが、2007年から09年までのアントラーズの3連覇になる。だいたい、4期連続でトップフォームを維持するだけでも格段の偉業。しかも、当時は山陽新幹線がなく、関東に遠征するのだけでも大変だったはずだが、中国地方唯一のクラブが幾度もリーグを制覇したのだからすごい。
また今回の優勝で、東洋工業-マツダ-サンフレッチェのリーグ制覇はつごう6回となった。これは住金-アントラーズ、読売-ヴェルディの7回に続く回数となり、三菱-レッズ、日産-マリノスの5回を上回る。大したものだ。
JSLの4連覇当時の監督、下村幸夫氏は後に、コーチの石井義信(4連覇時の中核選手でもあった)と共に藤和不動産(後のフジターベルマーレ)に移り、70年代後半から80年代半ばにかけて日本のトップとなるクラブの礎を作ってもいる(2人とも、後年日本代表監督を務めている)。当時の中心選手は何と言っても、メキシコ五輪の中核でもあった小城得達。当時の日本人としては大柄で、精度の高いボールが蹴れ、守備力も強い選手だった。現在有名なのは、松本育夫と今西和男。この2人を輩出しただけでも、このクラブの偉大さを、若い方でも理解してくれるだろう。個人的には、ファイトあふれるゴールキーパの船本幸路が好きだったな。
また、これらの選手のほとんどが、広島出身だった。当時、広島は、埼玉、静岡と並んで、サッカー御三家と呼ばれていたが、地元出身の好選手が東洋工業と言うスポンサが作ったクラブに集まり、日本一を連続して獲得したと言う事になる。
しかし、70年代に入り、三菱、ヤンマー、日立、古河と言ったクラブに強力なタレントが集まるようになり、東洋は中々リーグでも勝てなくなる。それでも70年代は中位を維持、78-79年シーズンの天皇杯は決勝進出している(決勝で三菱に敗れたが)。当時のタレントとしては、強烈なロングキックを得意としていた古田篤良、豊富な運動量を誇った渡辺由一、中盤からドリブルで抜け出すのがうまかった河内勝幸などが代表で活躍している。
けれども、ついに83年シーズン2部落ちしてしまう。ちなみに、この83年は、読売が初優勝、日産が2位になったシーズン、プロフェッショナリズムを積極的に導入したこの新興2クラブの台頭と、名門マツダ(1981年に社名が変更)の2部陥落は、対比的に採り上げられる「事件」だった。加えて、地元出身の金田喜稔、木村和司が大学卒業後広島に帰らず、日産に加入したのは、広島サッカー界には大変ショッキングな事件だったと、よく言われている。
84年総監督に就任した今西和男氏は、これらの苦境を考慮し、大胆な強化手段を採る。ヤマハの特別コーチとして日本で実績を挙げていたハンス・オフト氏を監督待遇で招聘したのだ。氏に率いられたマツダは必ずしもメンバに恵まれたとは言い難いが、87-88年シーズン、天皇杯決勝など相応の成績を挙げた。ゴールキーパのディド・ハーフナーは、欧州の一流選手が来日したと言う意味では初めての事例で、このポジションの重要性を国内に知らしめるものだった。守備対応力が高い信藤健仁、堅実で丁寧なプレイをする織田秀和、抑揚のあるいやらしいドリブルで攻め込む高橋真一郎などが、当時の中心選手。その他に、今日の有名どころとしては、小林伸二、松田浩あたりが活躍していた。
結局マツダは80年代に2回2部落ちを経験し、2回とも無事1部に復帰し、91ー92年シーズンの最後のJSL1部にもキッチリと参加、広島をホームタウンとするJリーグにも加入に成功した。ちなみに、Jリーグ以降のサンフレッチェと合わせると、都合4回の降格、昇格を経験している事になるが、これは東芝-コンサドーレと並んで最多となる(ただし、今期のコンサドーレ降格で、降格回数はコンサドーレが上回る)。これはこれで、このクラブの歴史の偉大さを物語っている。
Jリーグ黎明期には、高木琢也、風間八宏、森保一、柳本啓成、森山佳郎と言った日本代表経験者に、イワン・ハシェック、盧廷潤らを加えて、94年シーズンの前期を制覇したのは、皆さんご記憶の通りである。
サンフレッチェのチーム作りで重要なのは、若手育成のうまさだろう。現在森山氏が監督を務めるユースチームは、全員を1つの高校に通わせて強化するなど、斬新な強化策で名手を多数生み出している(ここ最近、かつて程はタレントが出てこないのを悩んでいるとの話を聞くが、贅沢な悩みだな)。また、青山や清水らに代表される高校チーム出身人材の獲得や育成のうまさも相当。さらにトレードの適切さも相当なレベル。駒野(やはりこの選手が、このクラブのユースの最高傑作だ)、柏木、槙野と言った自前選手を失う事で「取られるつらさ」を語られる事が多いが、獲得のうまさも際立つ。寿人、水本、西川の代表クラスのみならず、石原、千葉、さらに今期途中の塩谷など、補強ポイントを押さえた獲得は、さすがとしか言い様がない。
今期監督に就任した森保氏は、このクラブの象徴的存在、最近の流行り言葉で言えばレジェンド、の1人だ。ペトロビッチ氏が積み上げて来たチームを、よいタイミングで引き継ぎ、粘り強い守備と、寿人のよさを最大限に活かす速攻を、昨期まで以上に磨き込むのに成功。堂々たるJ1制覇を見せてくれた。往々にして、貴重なレジェンドを、難しい状況で監督に就任させ、せっかくのレジェンドの無駄遣いと下位低迷をするクラブが多い中で、サンフレッチェフロントの手腕は際立つ。また、往々にして日本人の優秀な若手監督は、どうしても経営規模の小さいクラブの監督に就任する事が多く「負けない事」、「順位を1つでも上げる事」のみしかできず、中々「強いチームを勝たせる」と言う経験を積めない傾向がある。そう言う視点からも、今回森保氏が、そこそこよいチームをさらに向上させてチャンピオンに仕立てたと言う事は、日本サッカー界にとっても、かなり重要な事なのではないか。
60年代まで精強を誇ったクラブ(あるいは広島と言う地域)が、再度の日本一を目指し起動修正を図ったのが80年代半ば。30年来の積み上げが、42年振りのリーグ制覇奪還につながったと言う事だろう。
恐れ入りました。繰り返します。おめでとうございました。
敵を称えれば称えるほど、大魚を逸した悔しさが増して来た。書かなきゃよかった。はあ...
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武藤さんにはため息は似合わない、武藤節こそが全てです。
明日の最終戦、楽しみじゃないですか、これぞニッポンで第2位のチームなんだという戦いを見せてもらいましょう。
来年はACLに加えてレディースもトップリーグで奮戦するのですから、サポーターとして幸せを感じます。
お金を貯めつつ、タフな移動に耐えられる体力もつけないといけませんね。
岡田康宏はその辺を分かってなかったのだろう(笑)
高校野球、プロ野球、バレーボール、駅伝
それぞれに古豪、名門と言われるチームがあり
全国制覇をしている。
たしかに大企業のスポンサーもあるけれど
都市の規模としては上の下と言うか中の上というか。
大都市とも適度に離れて都市間交流も無い。
地元チームだけじゃなく、よその地域にも名選手を
排出している。
なんでこんなにもスポーツ偏差値が高いんでしょうか?
なんかテレビタレントとかでも広島出身は「喧嘩強そう」な
イメージがありますし。
重箱の隅をつつくような指摘ですみません。
原爆が投下され、それでも広島に残る人たち、そしてUターンしてくる人たち、みんなで復興に励みました。
戦争が終わると、その方々はそのまま広島で職に就き、子を育てていきました。
この経緯が色々な分野での"広島ブランド"に起因しているのではないかと。
スポーツの分野もその恩恵を受けているのではと思います。
サッカーも例外なく、古豪、名門、偉人、と排出しています。
またこんな歴史があるから広島は地元愛が強いのではと思っています。
ただ、サッカーに関しては広島市の沿岸地帯というきわめて狭いエリアで発展したことは面白い点だと思います。