▲津川原の札所とそこに集う村人たち(画・小林一波)
"津川原"を取り囲んだ農民連合軍は総勢2000人に達していた。
農民たちは津川原の村を幾重にも取り囲み、両者はにらみ合った。津川原の人々は、バリケードを築き、肥え担桶(糞尿などを入れた桶)を黒く塗って、大砲を装って威嚇した。義を感じたのか、この時に津川原に味方した浪人もいたという。しかし、この浪人は農民たちに後に惨殺された。
さて、5月28日午後4時頃、大砲が偽装であることを見破った農民たちは、ついに雄叫びを上げながら津川原への突入を開始した。
手にしたたいまつで、津川原の家々に火を放った。密集した人家からのぼる炎は幾重にも寄り集まり渦となり、標高630mの裏山の頂まで炎の柱が達したという。哀れな村は全戸焼失してしまった。しょせんは多勢に無勢だった。ひとたまりもなかった。
村人は、村を放棄して、裏山から脱出をはかった。中には県境を越えて、鳥取県側まで逃げた者もいたという。しかし、逃げ後れた人々も多数でた。
杉原重平と、妻のろくは、幼い子供二人と物陰にひそんでいたが、逃げる途中に追っ手の農民に見つかった。重平は頭を竹槍で突かれた。ほぼ即死となった。赤ん坊を背負ったろくは、左足を槍で突かれて、200m近い高さの崖から突き落とされた。
74歳の老婆さきは、4~5人の追っ手の男に見つかり、竹槍で全身を突き刺された。そして生きたまま火をつけられ、絶叫。狂い踊りながら火だるまになった。
別の場所では65歳の老婆かたが、農民に捕まった。そして、そのまま燃え盛る野火の中に放り込まれた。衣服が燃え上がって、苦悶に身をよじらせても、周りの農民はじっと見続けるだけだった。しかし、やがてついに見かねた一人の農民が、とうとう途中で手持ちの鍬で、彼女の首を切り落として、絶命させた。
川の上流では、男、赤ん坊、女、少女、老婆の5人組が農民に見つかった。農民たちは、取り囲んで無数の石を延々と投げ続けた。男は苦痛に耐えきれず、自らの着物の下帯をほどき、それを木の枝にかけて、首を吊って死んだ。嬰児や少女、老婆らは、竹槍で胸や喉を貫かれて絶命した。
村の長とその一族も、農民に捕まって、次々と川原まで引き立てられてきた。農民たちは津川原の指導者たちに対し、土下座をしての謝罪を要求。皆、しぶしぶそれに従った。しかし、狂躁状態に支配された農民一揆の指導者たちの要求はどんどんエスカレート。「腹を切って死んで詫びろ!」とつめよった。
津川原の人々が、「それはできぬ」と拒むと、農民の中の誰かが奇声をあげて、竹槍で襲いかかった。すると、堰を切ったように周りの農民たちは無数の竹槍や投石を浴びせた。
ここでは九人が惨殺され、その死体の様子をある史料では「五体実に蜂の巣のごとくなりし」と表現された。
この血税一揆には、実に全農民の二戸に一戸が参加したと言われている。一揆は岡山だけでなく、中国、四国地方に広く拡がったが、村人の皆殺しまで企てられたのは、津川原だけだった。一揆自体は、やがて鎮圧されていき、津川原の虐殺に加わった農民幹部らは、死罪になった。
津川原の人々の側からすると、対等に、普通にふるまっただけなのに、このような世にもむごい仕打ちを受けた。その無念さは世代を経ても消えなかった。
その心の傷は今も癒えていない。
また、襲撃した側の農民たちのほうも、公に語ることはタブーとなった。"津川原"の呼称も、やがて消えていった。
だが...その"村"は今もしっかり、たしかにここに残っている。
津川原の村は急傾斜の山の斜面の陰に、へばりつくように今も残っている。平地の少ない場所に村が置かれたのは、かつての差別の名残りだった。
津川原の村を見下ろせる高台には、血税一揆の襲撃で殺された人たちの慰霊の石碑が静かに残る。その周囲は、きれいに草が刈ってあり、手入れがいきとどいていた。しかし、その石碑の存在を公に語ることさえも、タブー視されているという。
今も地域によっては、深刻な差別が残っているのだという。(実際、僕は岡山の山村の被差別部落で、昭和30年代に米二升で売られ、酷使され亡くなった伯母を持つ人の話を聞いたことがある)
石碑のすぐそばには札所があって、地元の人たちが集まって、お経をあげていた。みな、真剣というか、悲壮感が漂っていた。
「何をしているのですか?」と僕が尋ねると、一人のお年寄りが答えてくれた。
「今も毎月一度、あの時の悲劇を忘れないように。亡くなった人たちの御霊を慰めるために、集まって、お経をあげているんです。石碑や裏の地蔵などを見て、この理不尽な出来事を語り継いでいってください」
札所の裏側の地蔵を見て、驚いた。首がないのだ。
「一揆の襲撃で壊されたものです...」
なんということだ。
この一角は140年前から...時間が停止していた。
▲現在も残る"津川原"の首なし地蔵
都井睦雄が津山事件を起こした頃は、まだ血税一揆の悲劇の記憶は鮮明だったに違いない。加茂谷では、村人を皆殺しにする狂気の存在は、決して睦雄が初めてではない。
睦雄の心のヒダの部分に、血税一揆の記憶はどのような作用をもたらしたのだろうか。拙著『津山三十人殺し 七十六年目の真実』も参照していただけるとありがたい。
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Written Photo by 石川清
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