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 我が子への遺訓、戦火に断たれた妻への思い……。太平洋戦争中の死と隣りあわせの状況で、大切なメッセージが手紙に遺(のこ)された。戦後69年。遺族が亡き人をしのぶよすがは、平和の意味を今に問いかけている。

■特攻隊の父「オホキクナッタナレバ スキナミチニ」

 《オトウサンハ マサノリ、キヨコノ オウマニハ ナレマセンケレドモ フタリナカヨクシナサイヨ》

 カタカナが並ぶ遺書が、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)にある。1945年5月、特攻隊「義烈空挺(くうてい)隊」の一員として沖縄で戦死した久野正信さん(当時29)が、幼い2人の子のためにやさしい言葉づかいで書いた。

 「お馬になってもらった記憶はないんですよね」。当時5歳だった長男、正憲さん(74)=愛知県東郷町=は苦笑いする。玄関で脱いだ軍靴のにおい、がっちりした後ろ姿。父の記憶はあいまいだ。

 初めて遺書に目を通したのは小学生の頃。当時、特別なものを感じた覚えはなく、その後も遺書が入った箱を開けることはほとんどなかった。母が遺書の写しを知覧特攻平和会館に提供したのは30年ほど前だ。

 正憲さんの心をとらえている一文がある。

 《オホキクナッタナレバ ヂブンノスキナミチニ スヽミ リッパナニッポンヂンニナルコトデス》

 「親の言いつけを守るのが当然の時代。自由に生きろ、とは心の広い人だったんだなと思います」