非モテ界隈の皆様おはようございます☆
私は今日もせっせと保湿クリームを、塗るのではなく、塗り込んでおります。
美容については、「目的」であるうちが一番楽しい。
お気に入りの化粧品で手入れをし、整えた顔を鏡で確認する。化粧をする前よりも元気になったのが分かる。服を着て、家を出る瞬間が一番美しい。
その後、男の人と会い、その人が私の顔に魅入った時、つまり目的が「手段」となった瞬間、先ほどまでの行為がなんだか不気味なものに変わる。
え?気に入ってもらえなかった時?そりゃあ、もう、これからは水アカで濁って意味をなさない浴室の鏡しか見られない、という気持ちだ。
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10代、20代の頃。つまり絶対的に若かった頃、私はあまり「若さ」や「美しさ」を自覚していなかった。
百貨店に化粧品を買いに行く楽しさを覚えてから、まだ一年ちょっとだ。
アルビオンというブランドを長いこと愛用していたものの、百貨店のコスメカウンターが苦手で、“町のお化粧品屋さん”みたいなところで、小ぎれいなおばさまから、ささっと買って帰ることを覚えた。
百貨店だと、いつもと同じものを買って帰るだけなのに、待たされたり、メイク直しを勧められべっとりと口紅まで塗られるのが苦痛だった。
“町のお化粧品屋さん”では、そういう煩わしさが無く、シンプルに買いものが出来る。
しかし、そこにも時々、メイクアドバイザーのような方がいて、私はあれよあれよとカウンセリングをしてもらうことになった。「あなたは目がチャームポイントだから、目を美しく見せるメイクが良いわね」「あら、うまく眉を作れているじゃない。自分のこと分かっているわね」などなど。
興奮気味に彼女は言った、「せっかく良い素材を持っているのだから、勿体無いわよ。もっとお肌のお手入れやメイクに力を入れて、背筋を伸ばして。そうしたら素敵な男性とめぐり合えて、玉の輿も夢じゃないのよ」と。
私は、うふふと笑いながら、“美しくなければ目もくれないような男、ごめんだわ”と思った。
彼女の言っている“素敵な男性”が“お金を沢山持っている男性”のことだというのも、なんだか気に入らなかった。そういう人と一緒になることが女の幸せだという意味がこもっていることも全て。(当時の私は、フリーターと交際していた。そうして婚期を逃し今に至る)
家に帰って鏡を見て、褒められた眉を見た。目を引き立たせるように作った眉。見透かされたようで、なんだか恥ずかしくなった。
あれは26歳の時だっただろうか。
10代の頃は「男性と対等でいたい」という負けん気ゆえに容姿についてあれこれ言われることが不快だったけれど、その頃には「私は女性として、同性と勝負することも出来る。けれど、そこはいばらの道だ」ということから目を反らしたかったのだと思う。
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「綺麗じゃなくなったら、きっとみんな私から離れてく」というのは、映画『ヘルタースケルター』の主人公の台詞だ。
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映画しか観ていないけれど、可笑しくもつらくもある作品。あれは沢尻エリカだから出来た演技だよねーといった陳腐な感想しか言えないけれども。
「若さ」が相対的なものとなった頃に、ようやく私は女として生きていく方法、つまり「美しさ」で飯が食えるということを覚えた。
転職活動に行き詰っていた頃、「会社員が無理でも、お前ならホステスだって出来るさ」「きっと誰かに養ってもらえるよ」と励まされたのがきっかけだった。
以前なら“男に媚びを売って生きるなんて嫌だ”と腹を立てていたかもしれない言葉に、「そうか、女である限り、食うに困ることはないのかもしれない」と安堵した。それだけ私は追い詰められていた。
高い化粧品を使って丁寧に手入れをしていくうちに、少しずつ自分が女であることを受け入れられるようになった。20代の終わりに。(本当に若かった頃に、美容の楽しさを知っていたらどんなに楽しかっただろうと思う)
容姿を褒められても「そんなことないよ」と謙遜し、ご馳走されることが嫌で意地でも割り勘にしていた私が、今では、容姿を褒められれば「ありがとう」「知っているわ」と笑い、ご馳走するよと言われればお礼を言って受け入れる。過不足なく。TOPに合わせ、財布すら出さないこともある。
美容にお金をかけているからご馳走してもらって当然、というのとはちょっと違う。素直に厚意を受け入れられるようになったのだ。もっとも、ほとんど売春婦のような心もちの時もあるけれど。
こんなことがあった。
男の子から「冷静に考えると、遊ばれてるなあと思うのだけど、その顔を見ると許しちゃうんだ。ずるいよ」と言われた。
私は満場一致の美人ではないけれど、人それぞれ好みがあるようで、そういう風に言ってもらえることもある。
「ありがとう。整形して良かったわ」と言ったら、彼がぎょっとした顔をしたので、「嘘よ。もしそうだったら嫌いになる?」と笑った。
「綺麗じゃなくなったら、きっとみんな私から離れてく」
女であることを受け入れるうちに、そういう風にしか男の人と接することが出来なくなってきた。不調な時は会えない人ばかりだ。それは相手のせいではなく、自分の気の持ちようのせいだと分かってはいるのだけれど。
何の努力もせず、年相応に老け卑屈になった女の内面など、誰が見たがるものかと思う。幸いなことに、私は「容姿じゃなく内面を見て欲しい」なんて一度も思ったことがない。内面の醜悪さがまだ容姿に出ていない、と日々安堵する。終わりが近づいていることを知り始めているからだろうか。
男性器を持って生まれただけで、女性の「若さ」や「美しさ」を当然の権利ようにジャッジする男への恨みから早く解放されたいと思う。42kgの身体でも、素手で殺されるかもしれないような男性を失神させてやれるような醜い言葉なんていくらでも思いつく。物理的に弱いだけじゃ守られないことも全て悲しい。
そうして私は今日も化粧をし、何も知らないふりをして笑う。