桂米朝、絹子夫人急死に通夜で悲しみの対面
人間国宝の落語家、桂米朝(88)=本名・中川清=の妻、中川絹子(なかがわ・きぬこ)さんが27日、心不全のため兵庫県西宮市の病院で死去した。88歳。1958年に結婚した絹子さんは3人の息子を育て、米朝一門の「おかみさん」としても枝雀さん、ざこばら多くの弟子を支えた。同日夜には尼崎市内で通夜が営まれ、米朝は涙を見せず気丈に振る舞ったが、長男の米団治(55)は「そりゃ、(父は)悲しいですよ」と胸中を思いやった。
悲しすぎる別れとなった。絹子さんは約3年ほど入院生活を送っていたが、26日に容体が急変。連絡を受けた米団治ら3人の息子が病室へ駆け付け、最期を看取った。米朝が妻の死を知らされたのは、この日になってから。車いす姿で斎場へと入った米朝は、そこで初めて遺体と対面した。
各地で高座に上がっていたころは離ればなれの生活だったが、心の奥底でつながっていた二人。最近は1~2週間に一度のペースで見舞いに訪れ、互いの顔を見つめ合うなどして穏やかな時間を過ごしていた。関係者によると米朝はこの日、涙は見せなかったというが、心労のため報道陣には対応しなかった。
そんな父の姿に、喪主を務めた米団治は「そりゃ(父は)悲しいですよ。ずっともう…」と声を詰まらせた。母との別れ際には「思わず『ありがとう!』って言葉が出ました。ここまで育ててくれてありがとう、ちゃーちゃん(米朝の愛称)を支えてくれてありがとうって」と、立ち会えなかった父の分まで感謝の言葉をかけた。
大阪市出身の絹子さんは1940年に大阪松竹少女歌劇団(現OSK日本歌劇団)に入団し、「駒ひかる」の芸名で活躍。58年に結婚してからは多くの落語家を抱えた米朝一門を切り盛りしてきたが、70歳を過ぎたころにパーキンソン病と診断され、以降は闘病生活を送っていたという。
通夜には桂ざこば(66)、桂南光(62)ら約210人が参列。15歳で米朝の自宅に住み込む内弟子となったざこばは「米団治が15の時に、(絹子さんが)『あんたが(内弟子に)来たのはこの子の時やねんな。ようやったな』って言ってくれて。うれしかったですね」と目を潤ませた。
訃報・おくやみ