「憲法上許されない」と言ってきたことを、これからは「できる」ようにする。

 いま、自民党と公明党が続けている集団的自衛権の議論の本質は、こういうことだ。

 憲法の条文を改めて「できる」ようにするならば、だれにも理解できる。だが、安倍政権はそうしようとはしない。

 憲法の解釈を変えて「集団的自衛権の行使」をできるようにする。いままでとは正反対の結論となるのに、自民党と公明党はきのうの協議で、これは「形式的な変更」であり「憲法の規範性は変わっていない」とわざわざ確認した。

 理解不能。身勝手な正当化だと、言わざるを得ない。

 与党の政治家はこぞってこの理屈を認め、閣議決定を後押しするのか。考え直す時間は、まだ残されている。

 きのう政府が与党に示した閣議決定案の改訂版は、72年の政府見解を根拠としている。

 その論理の組み立ては、憲法前文や「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」への尊重を求めた13条の趣旨を踏まえれば、9条は「必要な自衛の措置」をとることは禁じていないというものだ。

 しかし72年見解は、武力行使が許されるのは日本に対する急迫、不正の侵害に対してであって、他国への武力攻撃を阻止する集団的自衛権は「許されない」と結論づけている。

 その組み立てはそのままに、結論だけ書き直す。そんな都合のいいことは通らない。

 さらに見過ごせないのが、国連決議に基づく集団安全保障の扱いだ。

 安倍首相は、集団安全保障の枠組みでの武力行使は否定していた。ただ、それでは自衛隊によるペルシャ湾などでの機雷除去ができなくなるとみた自民党が、これを認めるよう提案すると、公明党は猛反発。この問題は棚上げされた。

 だから閣議決定案にこのことは明示されていない。ところがきのう明らかになった想定問答には、機雷除去などは「憲法上許容される」と書いてある。その場しのぎのごまかしだ。

 理屈にならない理屈をかざし、多くの国民を理解できない状況に置き去りにして閣議決定になだれ込もうとしている。閣議決定に書き込めないことでも、実はできると説明する。

 日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた。

 あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信である。