ひどいめ育児日記

乳幼児の香りのする生活

オチンチンを讃えよ!石原慎太郎の教育書を読む

ひ孫がいてもおかしくない年齢の石原慎太郎の新党名称が「次世代の党」となったことが話題になっています。数多くの暴言履歴を振り返るまでもなく、広範囲に反感を抱かれながらも、何をやっても話題になる人気者。

政治家としての慎ちゃんしか知らない世代にとってはこの長期に続く人気が少し不思議でもあったのですが、文壇デビュー当時の活躍だけをちょっと振り返ってみても、小説に評論に詩に翻訳にシナリオに映画主演にスポーツにと、文化系体育会系の垣根の無い活動っぷり。そりゃあ、人気にもなりますよね。ただの暴言の多い後期高齢者ではなく、紛れもなく国民的アイドルにして時代の寵児だったわけです。最近では「石原慎太郎を読んでみた(栗原裕一郎豊崎由美)」を読んで「全然知らなかったけれども作家としての石原慎太郎は、かなりすごい」と感じた人も多かったはず。

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そんな石原慎太郎は教育書も書いています。出版当時70万部の大ベストセラーとなった教育書「スパルタ教育」です。自決前年の三島由紀夫が推薦文を書いた、慎ちゃんの教育書。「スパルタ教育」という言葉が今日、ボキャブラリーとして定着しているのは、この本の影響です。強い子供を育てるための100か条が書かれたこの本の「子供を殴ることを恐れるな」との煽りによって殴られまくった子供も多かったと思います(ちなみに慎太郎、自分の子供は殴らないで育てたらしいですよ)。

46 子どもの不良性の芽をつむな

 子どもに不良性があるということと、子どもが不良であるということとは、まったく違う。それを見きわめるのが親の義務であり、子どものほんとうの理解につながる。 (中略)

 子どもの不良性は、単に、それが反道徳ということで終わることもあるが、しかし同時に道徳をこえた既成の秩序、既成の価値への反逆をはぐくみ、従来の文明文化の要素をくつがえして変える大きな仕事を、将来子どもがするための素地にもなる。 (中略)
 子どもの不良性を、親がけしかけて育てる必要はないが、しかし、単にそれらを既成の道徳を踏まえて恐れ、根元からその芽をつみ取ることは、子どもだけではなく、人間の社会における大きな可能性を、愚かに殺すことでしかない。

53 遊びを親が与えるな
 最近、子供のためのオモチャが、さまざまに粋を凝らし、数多く作り出され、親も半分見栄で、それを争って子供に買い与えるが、オモチャの複雑な機能を考えれば考えれるほど、子どもたちの遊戯の本能にマッチしないものが多いのに驚かされる。
 だから、子どもはすぐにその遊びを軽蔑してほうり出す。どんな精巧なオモチャ、たとえば本物の電話まがいのインターホーンだとか、トランシーバーだとかよりも、なんとなくカッコのいい一本の棒のほうが、子どもにとって、どれだけ遊戯の創造力を刺激し、彼らが単純なその素材をもとに、巧緻をきわめた複雑な遊びを考え出すかを親は知るべきである。(中略)
 最近つぎつぎにつくり出される手のこんだオモチャを見ると、それが子どものためよりも、むしろ子どもより創造力の劣るおとなのためのものでしかないという気がしてならない。
 子どもたちの遊びに、親が唯一与えるべきものは、ただ、時間と空間だけである。


慎ちゃん、いいこと言ってるじゃん。他民族蔑視、男尊女卑、表現規制、現憲法破棄、同性愛者差別などなど「わかりやすい保守」として扱われることも多い石原慎太郎ですが、実のところリベラルな面もあります。

5 母親は、家庭以外のことに興味があることを示すべきだ
 母親もまた一人の人間であり、一人のおとなである以上、夫や子ども、家庭の経営以外に家庭という場における彼女自身の人生を持っていいはずである。母親は、子どもたちが口ぐせに「ちょっと来て、ママ。」と言うたびに、いちいち微笑をもってふり返るかわりに、そのことを子どもたちに教える必要がある。(中略)
 たとえばあるとき、母親がほんとうに必要としている趣味、あるいは娯楽でもいい、そのために帰宅がおくれ、夫や子どもたちが食事をおくらせて待つ。あるいはそのために父と子だけが母を除いて、自分たちの夕餉をつくらざるをえない、というふうなことがあってしかるべきではないか。(中略)
 このようにすることによって、母親は、夫や子どもを離れた一人の女としての人格を、家庭生活の中で持てるはずであり、そして、それこそが子どもたちにも、親を離れて独立への自覚を与えるに違いない。そしてまた母親としてだけではなく、一人の人生の先輩としての敬意を母親に抱かせるに違いない。


母親の自己犠牲的子育てを称揚する、母性幻想どっぷりな「なんちゃって保守」とは一線を画しています。実際に典子夫人は子育て中に慶應義塾大学法学部で学び、卒業。「いまどき女だって仕事をしたり趣味に邁進したりしても良いと思いますよ、うちの女房は子供が好きだからそんなことしないけど~」とか言っちゃう年配男性に悩まされてきた身には、魅力的に見えてくる慎ちゃんの教育書。しかし、やっぱり男尊女卑っぽい香りは強い。

42 男の子に家事に参加させて、小さい人間にするな
 わたくしはかねてから、最大の親孝行は親に迷惑をかけることである、と信じているが、家事に関して親の負担にならぬ子どもなど、かわいいものではない。(中略)
 ふつうの勤め人の家庭で、親が子どもに前掛けさせ、子どもを家事に精通した、家事のペットに仕立てることは、たぶんに親の趣味的なものであって、子どもを小さく育てることになりかねない。親と同じみそ汁を作り、同じオムレツを作り、同じ世才しか持たぬ子どもほど、意味のないものはない。
 もし子どもの手をどうしても借りなければ家事がまかなえないならば、それは親が家事に関しての能力がないのだといわざるをえない。

男の子に家事をさせると小さい人間になってしまうという独自の教育論。
そしてある一定世代の脳裏にこびりついているであろう謎の提案もあります。

32 母親は、子どものオチンチンの成長を讃えよ
 男の子どもたちがだんだん成長し、思春期にかかり、性器が幼年から少年、少年から青年に形を変えてくると、おおかたの母親は、わたくしの家もそうだが、妙にテレ、気持ち悪がって、父親にもたれて、そのテレくささをごまかそうとするが、これは意味のない羞恥でしかない。
 自分の生んだ子どもが、たとえ性が異なろうと、成熟していく過程を、母親もまたその手で、たくましさを増していく子どもの部分に触れて確かめ、その成長を讃えてやるべきである。

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どう見てもトンデモ本です、本当にありがとうございました。実際に「トンデモ本の世界R」で植木不等式にとりあげられている。石原良純は「石原家の人びと」の中で、このオチンチンを讃えよ論のために中学時代にからかわれたという被害報告をしています。

リベラルな教育書なのかトンデモ本なのか、体制主義者なのか無政府主義者なのか、封建的家父長なのか反抗的青少年なのか、保守なのかリベラルなのか、わからなくなってきました。
非実在青少年規制で有名になった都条例問題では、有害なマンガを子供の目に触れさせないようにしようと躍起になっていたのに、この本では「ヌード画を隠すな」「本を、読んでよいものとわるいものに分けるな」と書いている。ゴリゴリの男尊女卑主義者に見えて、広島県湯崎英彦知事が育児休暇を取得すると発表した際には「結構なことじゃないか。私は女房に預けっぱなしだったけども。知事といえども人の子の親だから。がたがた言うやつは誰だ。そんなことはたいした問題じゃない。自分で決めればいい。」と寛容。


人気の秘密はこの一貫性のなさなのだろうか、この本は矛盾だらけの教育書なのだろうか…と思いかけたのですが、実は石原慎太郎は「オチンチンを讃えよ」という一点において長年一切ぶれていないのです。

45 一人しか子どもをつくらないなら、子どもをつくるな
 一人っ子の家庭が非常にふえている。わたくしは、子どもを一人しかつくらないなら、むしろ、まったくつくらないほうが、なにより子どものためによいと思う。
 画一化された生活様式のなかで、各家庭に自動車一台、子ども一人というのは、子どもそのものの意味が、親にとって自動車なみの、せいぜいペットの意味しか持たないような気がしてならない。もちろん、親は一人っ子であるがゆえに、いっそう愛情を感じているのではあろうが、しかし、子に対する愛情を、ほんとうに子どものためになる形で注ごうとするならば、一人っ子になんとしても、きょうだいを与えなくてはならない。(中略)
親が、子どもにきょうだいを与えぬことは、一人も子どもをつくらないと同じほどの、人間としての怠慢、義務不履行といえる。(中略)
きょうだいというものは、親が決して与えることができぬものを、互いに与え合うということを、親は知らなくてはならない。


数々の暴言の中で石原慎太郎の差別対象にされたのは、同性愛者、障碍者、ババア、漫画アニメオタク(「ヌード画を隠すな」でOKとされているのは生身の女性のヌード写真と美術作品。「本を、読んでいいものとわるいものに分けるな」の本は活字本)、一人っ子の親。つまり産めよ増やせよに寄与しない人間を選んで暴言の対象にしているのです。オチンチンを讃えて強く立派な子供をどんどん増やすことこそが、石原慎太郎の理想。「次世代の党」という名称、実は繁殖第一の慎ちゃんにとっては当然のチョイスなのかもしれません。

表紙がフルチンヌードな教育書「スパルタ教育」は現在絶版ですが、ベストセラー本なので図書館や古本屋はもちろんのこと、帰省の際に実家の本棚を探せば出てくるかもしれません。奇書としての色合いも強くなってきた教育書ですが、1969年の大ヒット教育書として、石原慎太郎の暴言を紐解くヒントとして、非常に面白く読めます。

なお、「スパルタ教育」の100項目は「父親は夭折することが理想である」というもの。子供が強くなるためには父親は早く死ななければならないと説いています。石原慎太郎は81歳になりました。