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熊さんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年 6月27日(金)18時02分24秒
  貴方は雑用を神経症を治す手段にしている。
するとその雑用が神経症を悪化させてしまい、これだから
100万人の神経症者の中で、わずか斎藤と数人だけが脱出に
成功した。
答えは「無」でありゼロである。それが分からないから
私の禅の話も上の空で終わってしまう。
 

雑念

 投稿者:  投稿日:2014年 6月27日(金)15時15分47秒
  鬱状態で精神科に通院していましたが、最近主治医から病名は「抑うつ神経症」と言われました。神経症から来る鬱状態でした。自分は神経症者です。これがわかるまでに7年間かかりました。雑用を開始するまでに決心が要りますし、実行に移すまでに時間がかかります。いざ雑用に入りますと雑念が湧きます。それを振り払うとだんだんと動き出し、いつの間にか集中しています。決断できるようになります。無心の状態です。気持ちが良いです。雑用がはかどった夜は、心が弾みます。子供の心です。神経症の症状を抑えるには、雑用を続けて動ける脳に切り替えるしかないと思います。経営のトップの人達は、出勤の2時間前から起き、運動等で体を動かし、出勤してすぐに脳がフル回転できるようにしているそうです。神経症の自分とはえらい違いです。  

無為療法は行動療法ではない。

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年 6月27日(金)13時11分10秒
  行動療法とは動けば治ると信じて訓練する療法です。
例えば高所恐怖症では2階から慣れて行き5階、10階へと
レベルを上げて訓練をする。
こんなもの何も行動療法と偉そうな名前を付けなくても誰でも
やっているではないですか。訓練して次第に慣れると信じて。

神経症とは訓練すれば最後には治ると強迫的
に信じて、行動療法を生涯する人たちと言える。

斎藤はその無駄を今後一切しないと決意したのが今から22年
前であった。治ろうが治るまいが、訓練を止めたのであるから、
後は生活をするだけだ。生活をするとは動く事なりです。
犬だって猫だって動いているではないか。
動くのが嫌だというなら、他の大きな動物に食い殺されるまでだ。
 

アルバイトでもなんでも構わない

 投稿者:ミカン  投稿日:2014年 6月27日(金)10時02分0秒
  神経症か治れば、精神病が治ればバイターでも
なんでも構わないですよ。それだけで革命ですから。そして斎藤先生はそれに成功しています。
勉強をいくら続けても治りませんよ。勉強が出来るようになるだけで、神経症とは関係ありません。。私がそうだったので分かります。精神病なのに無理して大学に入ったせいで無残な結果になりましたから。
 

(無題)

 投稿者:モハメッド  投稿日:2014年 6月26日(木)21時10分0秒
  無為療法のホームページは興味深く、ついつい見てしまう。雑用主体の行動治療とも限らない。何もしないのだから、成功有無も存在しない。この連続で自然治癒を呼び寄せ、脳を正常にします。しかし、多くの人は強迫観念で諦めます゜  

「苦しくてもやるべきことをやる」 は間違い

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年 6月26日(木)07時09分59秒
  健康な人にはその言葉がない。苦しくてもやるべきをやると力んだら、
やるべきこともできなくなる。恐らく森田の日常生活はかなり困難を
極めていたのではないか。
それが証拠に、森田は神経症者には崇められていても、それ以外で森田
を聞くことはほとんどない。大体慈恵医大でも今から45年前に、すでに
精神科では忘れ去られていた。

私は今ほとんど健康世界に生きていますが、体は自然と動き、何かするのに
困難を感じることはゼロですね。これだら健康な人生は楽しい。
しかも判断力、決断力の質が高いから生活の質が目立って向上する。
 

追伸

 投稿者:一休さん  投稿日:2014年 6月25日(水)21時06分18秒
  雑用、動きを少づつですが行っています。  

神経症者の人生のプラスになることの停止について

 投稿者:一休さん  投稿日:2014年 6月25日(水)20時59分11秒
  先生の本を繰り返し拝読しています。

自分は神経症になってから、常に人生のプラスになると思われることにしがみ付いて来ました。
いわゆる向上心の達成です。

まずは、森田理論の勉強であり、症状を治すには「苦しくてもやるべきことをやる」が結論でした。

学生だったので第一優先として勉学に励めでありました。
勉強不能にも拘わらず、机にしがみついて頭に入れようとしていましたが、強迫観念のためまったく頭に入りませんでした。
そんな無駄を結局10年間毎日行って来ました。

本の中のうさぎと亀の話で、猛烈な疑い、あせり、不安を持ちながらも勉強(人が当然やっていることですが)にしがみ付くことを放棄するという勇気を持つべきであったと今、本を読んでいて思います。

そのまま学校を何とか卒業し、民間企業の営業で入社しました。
これも対人恐怖を治すには、対人関係を避けていては治らないという森田の教えでした。
これも向上心の達成という強迫観念であり、治そう病です。

会社に行くのが毎日恐怖と憂鬱でしたが、森田の教えで会社だけは辞めるなを14年間貫きましたが、最後はギブアップでした。
仕事のていになっていませんでした。

或る程度進行してしまった神経症者がやれることはストレスの多い正社員ではなく、アルバイトぐらいしか無いと思いますし、それが逆に遠回りに思えても結果的には健康な向上心の達成になると思います。

会社を辞めた後、アルバイトをしていましたが、そんな人生では終わりたくないとのことで資格の勉強を平行して行って来ました。
やはり何かにしがみ付いていなければ不安でならなかったのです。

結局、向上心の達成という強迫観念をやっているうちは、頭が興奮状態となってしまい、日常の簡単な雑用すら出来なくなってしまうのではないかと思います。

今は簡単なアルバイトしかしていません。
 

ミカンさんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年 6月25日(水)17時03分0秒
  決して悪くはない程度です。
だってこの無為療法は神経症を治すために開発された療法だから
統合失調症を治せは無理な話です。
ただ全般的に心の病では妄想状態になっていて動きが停止している
から、自然な動きを追求して悪いはずはない。
 

二度目の投稿&引用失礼します

 投稿者:ミカン  投稿日:2014年 6月25日(水)14時29分58秒
  >無為療法の「無」で動くはおそらく全ての心の病気に対して
有効でしょう。

本当ですか?!以前に治らないという意見を
みたので諦めていました、、

「興味を失くした」
確かにそうです!そういう感じを持っています。
対人恐怖もどんな感じだったか思い出すのも
めんどくさい。


ここには本物の救いがあると思っています。。

 

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