これまでの放送
NHKが入手した警察の未公開写真。
茶色の液体は、猛毒の化学兵器「サリン」です。
20年前、このサリンを使って、オウム真理教が世界で初めての化学テロを引き起こしました。
平成6年6月に起きた松本サリン事件。
死者8人、負傷者は140人を超えました。
被害者
「妙な煙があるのに気付いた。
すごいめまいがした、立っていられないような状態。」
被害者
「体が覚えている。
ぱっとね、前のそういう状態になって気持ちが悪くなる。」
社会が初めて直面したサリンの脅威。
しかし、このとき得られていたサリンに関する情報が生かされなかったことが、今回の取材で新たに分かってきました。
松本サリンの9か月後、オウムが日本の中枢を狙った地下鉄サリン事件。
サリンに関する情報が十分に伝わらず、被害の拡大を招いていたのです。
長野県警幹部(当時)
「第2の(サリン)事件が起きた。
じくじたる思いがでてくる。」
初めての化学テロに警察や専門家はどう対応したのか。
20年たって、初めて明らかになる真実です。
オウム真理教が日本の中枢を狙って引き起こした化学テロ。
「ちょっと外出て外、外、外!
危ない、ガス出てるから!」
地下鉄サリン事件。
死者13人、負傷者6,300人を超えました。
NHKが入手した警察の未公開写真です。
地下鉄でまかれた、猛毒のサリン。
不純物が混じっているため茶色く濁っています。
この9か月前、長野県松本市で、これよりもはるかに純度が高いサリンがまかれていました。
しかし、その経験は地下鉄サリンの被害の拡大を食い止めることにはつながりませんでした。
元陸上自衛隊化学学校 校長 山里洋介さん
「被害を受けなくてすんだ人が、大量にいたと思うんです。
松本の犠牲が教訓にならなかったということですよね。」
平成6年6月27日に起きた松本サリン事件。
近くに住む大学生や会社員などが、無差別に命を奪われました。
死者8人、負傷者は140人を超えました。
オウムが松本市の住宅街でまいたサリン。
500メートル先まで被害が広がりました。
遺族の1人、小林房枝さんです。
20年たった今も事件を忘れることはありません。
当時、東京から仕事で出張中だった息子の豊さんを失いました。
小林房枝さん
「ただ悔しいという思いですね。
想像できるような事件じゃないですからね。
誰も思わなかったですよね、あのようなサリンという薬物で。」
世界で初めてのサリンによる化学テロ。
警察や専門家はどのように対応したのか。
発生直後、警察がまだ原因を特定していない中で、サリンだと突き止めた研究機関があったことが今回の取材で新たに分かりました。
水質や大気の汚染など環境調査を行っている、県の研究機関。
当時、原因物質の分析に当たった佐々木一敏さんです。
現場の池から採取した水にメダカを入れると、1時間で全滅。
背骨が曲がるほどの強い毒性が残っていました。
分析結果を国内外の膨大な研究データと照らし合わせると、一致したのがサリンでした。
事件から僅か2日後のことでした。
研究員 佐々木一敏さん
「こういう形でサリンという、確かそれが毒ガスの一種であると。
一瞬、えっ?って思ったんですね。
そんな物あるわけないだろう、おかしいんじゃないかと思ったんですけど。」
第2次世界大戦中、ナチスドイツが開発したとされる化学兵器サリン。
青酸カリの500倍もの毒性があります。
サリンの製造は、高度な知識に加えて、密閉した空間で作業できる特殊な設備が不可欠です。
しかし松本の事件では、「サリンは素人でも作れる」という誤った認識が広まっていきました。
疑いの目が向けられたのは、第一通報者の河野義行さん。
長野県警は、河野さんが家に保管していた農薬など数十種類の薬品を押収しました。
みずからもサリンの被害に遭っただけでなく、妻をサリンによって奪われた河野さん。
自分への疑惑を深めたのは、サリンに対する間違った認識だったと感じています。
河野義行さん
「大体、毒ガス兵器なんて会社員が作るわけないじゃないかってことで、もうこれで自分の疑惑とかそういうものは、これで全部晴れたと思ってたんですよね。
これ分かれ目かもしれないね、ある意味でね。
疑惑を引きずっていくという。」
事件から僅か2日でサリンだと突き止めていたにもかかわらず、なぜこのような事態を招いたのか。
NHKが入手した捜査報告書。
サリンから犯人をたどるために11人の専門家に聞き取りをしていました。
私たちは、その専門家たちに取材。
7人から話を聞くことができました。
中には、サリンの構造を詳しく知らなかった専門家もいました。
話:製薬会社 研究所長(当時)
「サリンって名前は知ってたんですけど、調べて、その時初めてサリンの構造式を知りました。」
正確に知識を伝えたつもりだが、言葉の一部を誤って受け取られたかもしれないと語る専門家もいました。
国立環境研究所 化学環境部長(当時) 森田昌敏さん
「ミスリードがあるとすると、『普通の人でも作れますよ』という言葉が非常に外側を(ひとり)歩きしてしまっている感じはありますね。
限定的に表現したつもりなんですけども。」
当時、警察には科学的な知識を持つ捜査員はごく僅か。
サリンについて知る者は皆無でした。
未知の化学テロに直面したときに、どう対処すればいいのか。
捜査全体を指揮した淺岡俊安さん。
事件が大きな課題を突きつけたと考えています。
長野県警 捜査一課長(当時) 淺岡俊安さん
「前代未聞の犯罪。
見たことも聞いたこともないような物質に対応する犯罪。
そういうようなものについて対応できる捜査体制とか操作の知識、そういうものが急務だなっていう意味では、警察捜査全体に与えた影響というか、インパクトはあった。」
サリンを巡る初動捜査の混乱が影響し、結果的に長野県警はオウムの強制捜査にたどりつくことができませんでした。
そして、2度目のサリン事件が東京で引き起こされたのです。
大きな被害が出た地下鉄サリン事件。
サリンに対する知識がなかったため、救助活動に当たった人々にも2次被害が広がりました。
サリンを直接取り除こうとした地下鉄の駅員2人が犠牲になりました。
救助に駆けつけた消防隊員。
十分な装備もなく、被害を受けた人は135人に上りました。
松本サリン事件の経験を生かすことはできなかったのか。
今回の取材で、サリンの被害を防ぐための取り組みが当時進んでいたことが明らかになってきました。
20年前、サリンの調査に携わった那須民江さんです。
今回取材に応じたのは、3年前の原発事故をきっかけに、専門家が正しい情報や知識を伝えることが重要だと考えたからです。
信州大学医学部 講師(当時) 那須民江さん
「事件事故が起こったときに、きちんと学術的に検証しておかないと、いろいろな次のことに結びついていかないだろうなと。」
那須さんは当時、現場近くの住民1,700人への詳細な聞き取り調査を行いました。
手足のしびれや目の異常などサリンの自覚症状をいつ感じたか聞いたところ、思いもよらない結果が出ました。
被害者が自覚症状を感じた時間が集中したのは、サリンがまかれた直後です。
ところが、7時間後に再び自覚症状を訴える人のピークが表れていました。
なぜ、このような結果になったのか。
詳しく調べたところ、サリン特有の性質が関係していることが分かりました。
サリンは空気中を漂った後、土壌や衣服に付着します。
しかし分解されるまでの間、気温の上昇や風向きの変化などをきっかけに、再び空気中に漂う性質を持っていました。
自覚症状を感じる人が時間を置いて再び現れたのは、サリンの特性によるものと見られています。
那須さんが、この調査結果を報告する機会を得たのは、松本サリン事件から8か月後。
医療や警察の関係者を集めて東京で開かれた極秘の会議。
ここで、サリンの性質や有効な治療法を伝えました。
“現場に残留したサリンにより自覚症状は再び増加”
“農薬被害の治療薬の投与により症状は改善”
この報告を、衝撃を持って受け止めた人がいます。
当時、警視庁科学捜査研究所の幹部だった安藤皓章さんです。
科学的な知識が豊富だった安藤さんですが、サリンについては、この会議で初めて知ったといいます。
事件の教訓を伝えたいと、脳梗塞の後遺症を押して取材に応じました。
警視庁科学捜査研究所 第二化学科長(当時)
安藤皓章さん
「サリンという物質が(東京に)まかれたら、どうすんだろうなと思ったよ。
わかるにつれて、これはいけないと思った。」
安藤さんは、東京でサリンがまかれた場合に備え、防毒マスクなどの装備を増やすよう進言しました。
サリンの知識を全国で共有するために、極秘会議の報告書をまとめ、全国の病院や消防などに配布することも決まりました。
報告書の発行日は3月20日。
「下がってください!」
しかし、まさにその日、地下鉄サリン事件が発生。
情報の共有は間に合いませんでした。
装備も解毒剤も不足する中、救助に当たった人たちにも被害が及びました。
時間差で再び空気中に漂うサリンの特性は、認識されていませんでした。
警察、消防、医療関係者など、サリンの2次被害を受けた人は690人に上りました。
信州大学医学部 講師(当時) 那須民江さん
「どういうタイミングで国民に伝えていくか。
(サリンの)データの開示ということになりますと、やっぱりちょっと遅かった部分もありますし。」
警視庁科学捜査研究所 第二化学科長(当時) 安藤皓章さん
「警察内部ではできるだけ多くの資料を提供できればいいなと思ったんだけど、結局間に合わなかった。」
●科学的知見が共有されれば被害は軽減できた?
その可能性は実際に大きかったと思います。
専門家の方に話を聞きますと、そもそもサリンが散布された場所は、閉鎖して立ち入り禁止にすべきだったと言うんですね。
さらに、医療機関に対してもあらかじめ情報が伝えられていれば、サリンが付着した服を着替えさせたり、換気が悪い部屋については診療を行わない、それから解毒剤を準備する、こういった対策があらかじめ取れていたはずだというふうに話していました。
●素人でも作れるという誤った解釈がひとり歩きしたのはなぜ?
私たちもそこを取材をしていました。
見えてきたのは、専門家、警察、それから報道機関、それぞれに課題があったということだと思うんですね。
まず専門家は、この化学兵器を使った住宅地でのテロというのは初めてでしたので、サリンについての知識も十分でない人たちが多かったわけです。
また警察も、科学知識が十分でありません。
ある専門家の1人は、警察から詳しく説明したんだけれども、結局サリンについて十分理解してもらえなかったというふうに話していました。
また別の専門家は、サリンの原材料を購入する際には、研究施設などであれば購入も可能だと話したところ、誰でもサリンの原料は買えるというふうに受け止められたようだというふうに話をしていました。
こうした誤った解釈が、河野さんに対する疑いを捨てきれないということに、つながったのではないかと思います。
また、私たち報道機関についても、専門家などに話を聞く際に、できるだけ分かりやすくとか、単純にということを、どうしても考えてしまう。
こういった点が課題だと思います。
河野さんに対する誤った報道については、私たちも報道機関も、十分反省すべきだと思います。
●疑惑が続いたことでオウム真理教に対する捜査が遅れた?
それは遅れたことの影響というのは大きかったと思います。
というのは、後に裁判などで明らかになるんですが、オウム真理教は、松本サリン事件が自分たちの犯行であることが露呈しなかったために、これが成功したというふうに判断したんですね。
そして、70トンに及ぶサリンの生成に突き進んでいったわけなんです。
ただ一方で、長野県警も、オウムとサリンの関係に着目して捜査は進めていたんですが、サリンを散布したのが誰なのか、その実行犯の特定がなかなかできずに捜査が行き詰まっていたんです。
ほかの各地の警察も、オウムの関連については捜査はしていたんですが、十分な連携ができずに、地下鉄サリン事件を食い止めることはできなかったということなんですね。
●同じようなテロ事件が起きた場合、対応できる体制はできている?
地下鉄サリン事件を教訓に、警視庁など、全国の9つの警察本部に、テロ対策の専門の部隊が作られています。
サリン事件や、生物化学兵器などのテロの際には、これまでよりも迅速な対応を取ることができると思います。
一方で、化学兵器の専門家であるアメリカのアンソニー・トゥー名誉教授は、NHKの取材に対して、今後も日本で化学兵器を使ったテロが起こる可能性はあるというふうに話をしています。
トゥー名誉教授は、オウム真理教のような一宗教団体が、猛毒の神経ガス、サリンを作り出したことで、テロ組織が化学兵器を作ることが可能な時代になったと指摘しています。
●福島第一原発事故でも、被災者に必要とされる情報が届かなかったが?
実は今回、取材に応じてくださった研究者の那須さんも、全く同じことを言っていたんですね。
那須さんは、最新の科学知識を大きな事態が起きたときに、迅速に国民に伝えられなかったという意味では、松本サリン事件と同じ教訓があるというふうに話しています。
サリン事件だけでなくて、大規模な災害や、想定していなかった事故、こういったときにどういうふうに対応していくかというのは、やはり課題だと思います。
●松本サリン事件を振り返って、何が一番求められている?
やはり問題はこれまでも見てきたとおり、何か想定できなかった事態が起きたときに、捜査機関が新しい情報を迅速に集めることができたかどうか、それだけではなくて、それをさらにほかの機関と共有して、そして一般に伝えることができたかどうかということだと思うんですね。
そして、これが20年となる松本サリン事件の今日に続く課題だというふうに思います。