ボードゲームソムリエ Naoki です(^-^)/
今回は、世に流行っているボードゲーム「人狼」について、ふと思ったので書いていきたいと思います。
はじめに言っておきますと、
僕は人狼が大嫌い
です。
それをふまえてお話を進めていきますね。
ちなみに僕は、人狼に関しては、学生時代からクラスのみんなで授業中にSkype連動して人狼をプレイしたり、人狼の亜種「ルプスブルク」を買っちゃうくらいだったり、レジスタンスも超人気が出て再販が追いつかなくなる前から既に購入してプレイしたり、いろんな人狼のイベントに参加したことがある人間です。
人狼勢と呼ばれる人たちほど、人狼をプレイしてはいませんが、それなりにいろんなものを見てきたうえで話します。
正確にいいますと、僕は人狼のシステムはボードゲーム界にはなかなかない素晴らしいものだと思います。
プレイヤーがあっけなく脱落するからこその緊張感とか、Skypeだからこそ盛り上がるデジタル人狼の楽しさも十分知っています。
じゃ、何で大嫌いなのか。
人狼は人に扮したオオカミを殺すという設定ですが、プレイするのは人。つまり、人を殺す(というテーマの)ゲームです。
そして、ウソをつくゲームです。ブラフゲームとははったりをするレベルが違います。はったりを論理的に最後まで演じて、突き通す必要があります。
まあはっきり言えば、根拠のない状態からウソを交えた印象操作を促し、プレイヤーを論理的に叩きのめしてリンチして殺して、殺したプレイヤーに自分たちの勇姿を黙視という条件をつきつけながら、見せつけるゲームです(笑)
エンターテイナーとして、そのようなゲームを僕は提供できません。
こう思うようになったのは、ある人狼イベントでのことでした。
※本当に今思い出しても胸くそ悪いですが、自分のボードゲームに対する心構えが変わったこともある重要な場面だったので、久々に思い返します。
僕はその盛り上がりはじめの人狼に参加したことがなかったので、人狼がどんなものとか、ある程度知っていましたが、一参加者としてお金を払い、参加しました。
まぁ、最初に殺されて後はずっと黙っていたりとか、常連が上から目線でくるのはお決まりなので、これはしゃーないと思いつつ、ラストの4回目にはいったときです。
このとき、僕は最後まで生き残っていました。残り3人。人狼は1人で村人は2人。僕は村人でした。
僕以外に村人は初めてイベントに参加した女性、もう1人は常連さんぽかった人で人狼でした。
僕が人狼をリンチするべき相手として指名、人狼が僕をリンチするべき相手として指名し、残りは初参加の女性の選択となりました。
今までの流れから、人狼の人はみんなわかっていました。選ぶ彼女を除いては。
僕は今までの過程から説明して、人狼はあの人だからあの人を選ぶべきだとここぞとばかりに発言。
選べば勝ち。そう思っていた僕は熱くなっていました。
もちろん、人狼側も「もう無理」とは思っていても、論理こそめちゃくちゃでしたが、反撃してきました。
選択権のある彼女はそのような場面に驚いたのでしょう。あわあわと取り乱して、なぜか僕を殺す側として選択。
参加していたメンバー全員が「えっ?」となり、殺された僕が村人と公開された瞬間、静まり返る空間・・・そして泣き出す女性。
それでイベントは幕引きとなりました。
これがあってから、僕は人狼が大嫌いになりました。
なぜ、ボードゲームをして、論理的に勝ちになるプレイをして、ボードゲームの楽しみを知りにきた女性を泣かせることになってしまったのか・・・。しかも金を払って。
こんなゲームしなきゃよかった・・・。
そのときに僕は、ボードゲームは一緒にプレイする人全員が楽しめるものでなくてはならないと感じました。
他の人間が負けたショックを1人の人間が勝つことで独占するゲームを僕はキライになりました。
人狼は初めて参加した人が最初にリンチされてただただ何もしゃべらずに見ている状況をつくりだす数少ないゲームです。
100歩ゆずって、何でも言い合える昔ながらの仲間でやるのは大いにいいと思います。
学生時代の僕もそうでしたから。
ただ、自分が人狼で勝ちを狙いたいとか、戦略に酔いしれたいとかで、他人にウソをつく、殺す、時間を奪う。
人に感動を与えるエンターテイナーとして、僕は絶対に人狼はプレイできません。
「人狼は最高」とか言う人は自分が楽しむことしか考えていない人でしょう。
「最初死んでも見ていれば楽しい」とかいうのであれば、100回連続最初に死にましょう。
ボードゲームを一緒にプレイして、そこに生まれる感動。
一緒にプレイしてくれる人がいることに感謝。
その人たちに楽しんでもらいたい。
そう思いながら僕は1200人以上にボードゲームを提供してきましたが、本当にそう思っているのであれば、人狼なんてプレイするはずがない。
僕は、人狼を誰でもいいからプレイしたいという人間は、自分が楽しみたいという欲望に負けて、1人の頭枠として人を巻き込み、時間を奪い、ウソをつきながら印象操作で論理的に叩きのめして、自分の戦略や勝利に酔いしれる人間だと思っています。
大切なふれあう時間を大好きなボードゲームで僕はぶちこわしたくない。
そんなこんなあって、僕はある1つの思いが決まります。
「感動を分かち合う空間を創る」
僕はこれを信念として、これからもたくさんの人にボードゲームを提供します。
世の中に、ボードゲームは2種類しかありません。
感動を奪い合うゲームと感動を分かち合うゲームだ。
僕はこれからも後者でたくさんの人に感動を届けます。
by som...
テーマ:コラム
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