刑事事件の容疑者や被告が共犯者について話したら、自らの処分が軽くなる。そんな司法取引を採り入れることが現実味を帯びてきた。

 いわば、容疑者に利益を与えて供述を引き出す手法を正当化するしくみだ。

 無関係の人が罪を着せられたり、実際の関与より重い責任を問われたりするおそれがある。きわめて慎重に扱うべきだ。

 自らの罪を認めたり、他人の犯罪について捜査協力したりしたら、処分が軽くなる司法取引は欧米で広く行われているが、日本は導入に慎重だった。

 それがいま、刑事手続きを改革する法制審議会の部会で前向きに検討されている。

 取り調べの録音・録画の制度化に伴い、供述を得るのが難しくなると心配する捜査当局が司法取引の導入を望んでいる。

 検討されている対象は、汚職や詐欺、薬物・銃器犯罪など。共犯者など他人の行為について話す見返りに、不起訴、軽い求刑などの利益が与えられる。検察官と容疑者ら、弁護人が合意し、書面化するという。

 容疑者を利益誘導するやり方は捜査現場で現にあり、いっそ制度化すべきだという指摘もある。複数がからむ事件で主犯者を確実に罰するため、指示に従っただけの人に口を開いてもらう効果はあるかもしれない。

 そんな利点をふまえてもなお、懸念は残る。米国では、容疑者らの供述が、無関係の人を事件に引き込むことが少なくないと言われている。

 その対策としてウソの供述を犯罪とする検討もされているが、十分だろうか。利益が確約されるなら、他人を悪く言って自分の罪を軽くしようとしたり、取調官が言う筋立てに迎合したりしても不思議でない。

 取引で得た供述でかえって捜査が誤った方向に導かれる可能性もありうる。捜査当局も「新たな武器」と喜んでばかりはいられないはずだ。

 乱用を防ぐには、取引の前後で供述がどのように変わったかを検証可能にすることだろう。この部分の取り調べの録画・録音は、逮捕されていようが在宅だろうが不可欠だ。

 取り調べを適正にする改革で、逆に冤罪(えんざい)のきっかけを生んでは元も子もない。

 導入されれば、裁判所の責任は重みを増す。取引で得た供述の信用性を、より厳しい目で吟味するのは当然のことだ。

 取引をした被告に対して検察が求刑を軽くしても、きちんとふさわしい刑の重さを決める。それが裁判所の役割だ。