「分裂」と「統一」のジレンマを克服する――野党勢の「オープン・プライマリ」という選択

安倍自民党の「一強」体制が続く。これは高い政権支持率だけでなく、野党勢力に勢いがないのも影響している。民主党は支持率が低迷したまま、どのような対立軸を作るのか見えず、維新の会は「結いの党」との合併が視野に入ったものの、旧「太陽の党」との軋轢が絶えない。自民党政権に秋波を送ったみんなの党の代表は辞任に追い込まれ、小沢一郎の生活の党は様子見を決め込んでいる(本稿は5月15日に脱稿しました)。

 

つまり、それぞれの党が自党の利益を勝手に追求していることで、自民党を結果的に利してしまっているのが現状だ。民主政治では各党が政権の座をめぐって激しく競争することは大事なことだが、そのような状況にはほど遠い。ではどのようなブレークスルーがあるのか――本稿は複数の野党が共同で実施し、統一候補を一般有権者の手によって選出する「オープン・プライマリ」が有効ではないかと提案する。

 

 

野党分裂は政権交代の不可能性を意味する

 

2012年の総選挙で自民党は294議席(議席総数の61%)を獲得して与党に返り咲き、下野した民主党が獲得したのは57議席(同12%)に過ぎなかった。反対に、2009年の政権交代選挙で民主党の議席は308議席(同64%)、自民党は119議席(25%)である。

 

この数字から確認できるのは、2012年に野党となった民主党は、09年に野党であった自民党よりも議席シェアを失い、それらが「維新の会」や「みんなの党」、「未来の党」へと流れた事実だ。換言すれば、野党勢力が獲得できる潜在的な得票率は3割程度であり、その中のパイを喰い合っていては政権交代は不可能になる。

 

実際の選挙区でみてみる。例えば埼玉一区では当選者(自民・村井英樹氏)が獲得した票数は9万6000票。もし次点の民主党候補者(武正公一氏・比例区当選)の得票数(7万6000)とみんなの党候補者(日色隆善氏・維新の会推薦)の得票数(4万2000)の票が合算していれば、非自民候補が当選していた計算になる。このように非自民ブロックの票が割れてしまったがゆえに議席を失った選挙区はかなりの数にのぼる。

 

 

ヘゲモニーゆえの成功と失敗

 

つまり、もし政権交代を今後も継続して日本で実現していきたいのであれば、野党勢力が何らかの形で協力関係を構築するしかない。少なくとも一連の世論調査では、政権交代そのものが良いことだとする意見は多数を占めている。

 

日本では93年以降、政治的不満や無党派層がほぼ一貫して増加している。その理由のひとつは日本新党、さきがけ、新生党、自由党など、非自民ブロック内が細かくクラスター化していたからでもある。こうした中これらクラスターをかき集め、野党ブロック内でヘゲモニーを勝ち取って政権交代を実現したのが民主党であった。同党が総選挙に際して社民党や共産党との実質的な選挙協力を実現できたことが政権交代に寄与した。

 

こうみると「維新の会」と「結いの党」との間で模索されているように、野党が統一的な勢力を形作ろうとすることは理に適っているといえる。もっとも、民主党のように政権交代の実現を目標に政党組織を形成してしまえば、権力を獲得した後に内部分裂や権力闘争が再燃する可能性が高い。高い授業料を払ってその事実を学んだのが民主党政権だった。組織内部の軋みがすでにみえている他党が同じ轍を踏まないとも限らない。

 

野党勢が分裂していては政権交代は実現しない。しかし無理に統一しては政権は続かない――このジレンマはどのように克服されるのか。具体的な提案をする前に、まず野党とはどのような存在であるのかを予習しておこう。

 

 

「政治の批判を政治そのものにする」

 

野党のことを英語では「オポジション(opposition)」と呼ぶ。ジャーナリストだったウォルター・バジョットは「『陛下の野党』という言葉を発明した(略)イギリスは、政治の批判を政治そのものにするとともに、政治体制の一部にした最初の国家である」と、その有名な『イギリス憲政論』(1867年)で述べている。バジョットが観察した19世紀のイギリスでは、選挙法改正が実現し、議会ではトーリー(保守党)とホイッグ(自由党)との間の競争が本格化していった時期にあたる。それは両党を分け隔てていた宗教問題が解決し、民主政治におけるフェアプレーが可能になった時代でもあった。その結果、議会を舞台に、健全な政党間競争が生まれていったのである。

 

イギリスの野党は通常、大文字(Opposition)で称され、財源を含め制度上の優遇措置が野党に優先的に割り当てられている。それというのも、バジョットのいうように「政治を批判すること」が、民主政の維持と発展のために不可欠だと理解されているからである。つまり、対案や代替案がなければ野党の名に値しないと捉えるのは間違いであって、様々な形で与党を攻撃すること自体が野党の果たすべき第一の役割なのである。

 

野党研究を先駆けた政治学者のロバート・ダールは、野党とはある期間内に統治の任を担う主体Aの統治に反対する主体Bのことだと定義した。野党の姿は国によって大きく異なるが、概ね以下の4つに分類することができる。

 

 

(1)イギリスのような組織的凝集性の高い二大政党間の循環的な政権交代を前提とした野党

(2)アメリカのような組織的凝集性の低い二大政党間の循環的な政権交代を前提とした野党

(3)オランダのような組織的凝集性の高い多党制と連立政治を前提とした野党

(4)イタリアのように組織的凝集性の低い多党制と連立政治を前提とした野党

 

 

このうち日本は、若干の留保はあるものの、(4)に分類できるだろう。

 

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