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松本サリン事件20年 河野さん心境語る
6月27日 5時46分

松本サリン事件20年 河野さん心境語る
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オウム真理教によって猛毒のサリンがまかれ、8人が死亡した「松本サリン事件」から、27日で20年です。
事件直後、疑いの目を向けられ、妻もサリンの犠牲になった河野義行さんが取材に応じ、「事件の風化を食い止めるのは難しいが、それぞれが事件で学んだことを教訓として生かしてほしい」と述べました。

平成6年6月27日の夜、オウム真理教の麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚の指示で、長野県松本市の住宅街に改造した車が持ち込まれ、猛毒の化学兵器、サリンがまかれた「松本サリン事件」では、8人が死亡し、140人以上が被害を受けました。
当時、松本市にあった教団支部の土地の明け渡しを求め、住民が教団と裁判で争っていて、それを妨害するねらいがあったとされています。
現場の近くに住み、事件直後、疑いの目を向けられた河野義行さん。
6年前には、サリンによる被害で脳に重い障害を抱え、寝たきりの状態だった妻の澄子さんを60歳で亡くしました。
事件から20年にあたり、現在、鹿児島に移り住んだ河野さんがNHKの取材に応じました。
この中で河野さんは、教団について「神秘体験や超能力などに興味のあった若者が集まり、反社会的なことも組織の中では正義で、それをやることが大事なことのようになり、暴走して歯止めがかからなくなってしまったと思います」と語りました。
事件直後、警察の事情聴取を受けていた河野さんは、当時の心境について「やっていないのは自分がいちばんよく分かっているから、仮に間違って罪に問われ、死刑になっても、落ち度がないのだから向こうが反省すればいいと思い、心のバランスを取っていました」と振り返りました。
そして事件の教訓については、「それぞれの仕事のプロがプロの仕事をしていなかった。風化を食い止めるのは難しいが、事件で学んだことを教訓として生かしてほしい」と述べました。

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