第103回 木崎 賢治 氏
5. 吉川晃司の成功、そして名曲『そして僕は途方に暮れる』の誕生
−−その後、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司と数々のアーティストのプロデューサーとしてお仕事されるわけですが、アーティストを連れてくるというよりは、渡辺プロにそういうアーティストがいて、その担当者としてお仕事をされていたということになるんですか?
木崎:大体そうでしたね。最初、アイドルみたいなのもやっていましたけど「もうアイドルは嫌だな…」と思って、それで大澤とか始めたんですね。そして吉川は、社長が「木崎やれ!」って言うのを最初は断っていたんですが(笑)、「とにかくやれ!」と言われてやらざるを得なくなっちゃったんです。それで社長に「じゃあ、吉川が売れたらご褒美くれます?」って訊いたら「くれる」って言ったんです(笑)。
−−(笑)。
木崎:吉川について私は「歌手じゃないと思う」とかって言ったんですよね。だから「ドラマに出させてほしい。例えば、探偵モノで」と言いました。「ショーケンとか根津甚八が探偵だとすると、そのアシスタントで、本当はバンドで成功したくてバンド練習もしている。そんな役で」と。
−−ちゃんと役柄も作っていたんですね(笑)。
木崎:そう(笑)。それで「リハーサルスタジオとかで練習しているシーンで曲がかかって、主題歌でも挿入歌でも入れてもらったら、売れるかもしれないですけど」って言いました。すると社長が「テレビドラマは相手があって難しいから映画を作ろう」って言ったんです。それで、大森一樹監督で吉川主演の映画を作ったんです。
そうしたら、大澤が売れないで、吉川が先に売れちゃったんですよ。大澤は2枚目のアルバムを作るときにビクターから新しい部長が入ってきて、一枚目でお金がかかり過ぎちゃったから、「2枚目のレコーディングは駄目だ」と言われて、レコーディングができなくて、レポートを書いて何とかレコーディングにこぎ着けるような有様で。でも、そのときに資生堂から「夏のキャンペーンソングを大澤で」と電話がかかってきて、「やった」と思いました。
−−指名の電話がかかってきたんですか。
木崎:ええ。でも、それがキャンペーンソングなのにベストテンに入らない曲になっちゃって…。そんな状況なのに「3枚目のアルバムはニューヨークでレコーディングしたい」とスタッフのみんなが言って、スタジオとか押さえちゃったりしたら、今度は「ニューヨークレコーディングは駄目だ」と。それで困って社長のところへ行って、「吉川で売れたらご褒美くれると言ったの憶えています?」って訊いたら「憶えている」とおっしゃったので、「大澤をニューヨークでレコーディングしたいんだけど駄目だと言われているんです。行かせて下さい」とお願いしたんです。
−−ご褒美をそこで使われたんですね。
木崎:それでニューヨークに行って、『そして僕は途方に暮れる』という曲ができました。それが日清カップヌードルのCMソングになって、大澤はようやく売れたんです。
−−『そして僕は途方に暮れる』は本当に素晴らしい曲ですよね。
木崎:この曲の作詞は銀色夏生さんなんですが、エピックの小坂さんが「まだ歌詞を作ったことがない人なんですけど」って紹介してくれた人なんです。大澤はレイモンド・チャンドラーとかのハードボイルドな世界をやりたいと思っていたんですが、銀色さんのすごく独特な詞の世界を気に入っちゃって、結局、全部銀色さんの詞になってしまいました。そのときに銀色さんが「僕は途方に暮れる」とメモしていて、「やっぱりハードボイルドだったら”そして”でしょう」と思って、「そして僕は途方に暮れる」というタイトルで詞を作ってもらったんですが、大澤がうまく曲を作れないまま保留になっていたんですよ。
−−詞先だったんですね。
木崎:そうです。でもタイトルはすごく気に入っていたので、ずっと気になっていた詞なんです。それで3枚目のときに大澤は曲作りに行き詰まっていたので、「人にあげて返された曲とかないの?」と訊いたら、「ある」って聴かせてくれたのが「凍てついたラリー」という詞がついた曲で、この曲を聴いたときに「これ、最後の部分に”そして僕は途方に暮れる”ってそのまま入らない?」って言ったんですよ。
−−そのフレーズがピッタリはまったんですか?
木崎:ちょうど入るんですよ。それでこの曲に合わせてもう一度銀色さんに詞を作り直してもらって、プラス大サビのメロディーも作ってできたのが『そして僕は途方に暮れる』です。この曲をエピックの会議室みたいな部屋で、大澤がアコースティックギター一本で歌ってくれたときにジーンときたのをよく憶えています。
−−それは素敵なエピソードですね。
木崎:実は、元の曲はフォークソングみたいで、あんなに格好良くはなかったんですよ。それをあの頃ちょっと流行っていたポリスの『見つめていたい』とか、トンプソン・ツインズの『ホールド・ミー・ナウ』とか、コードが変わっても上の音の積み重ねがあまり動かない感じというか、そういったアレンジに大村(雅朗)さんがしてくれたら、すごく格好良い曲になってね。それとカップヌードルのCMの映像も良かったですしね。でも、こんな良心的な曲はシングルでは売れないよな…とも思っていたんですが、売れたときに「やっぱり良い曲は売れるんだな」と再認識しました。
−−でも、埋もれていた曲を蘇らせたのは木崎さんですからね。
木崎:どうなんですかね。その頃「人に作ったんだけど返されて、自分で歌ったらヒットした曲」を色々と聴かされていて、やはり人に作った方が気取らずに書けるんだなと思っていてね。自分が歌うとなるとどこか格好つけて、気取った感じになってしまうことも多いんですよね。
−−力が入りすぎてしまうと。
木崎:「良いところを見せよう」と思ってしまうと言いますかね。人に作るときは自分が歌うわけじゃないから、リラックスして作れるんでしょうね。そこに本音が見えるんですよね。
木崎:大体そうでしたね。最初、アイドルみたいなのもやっていましたけど「もうアイドルは嫌だな…」と思って、それで大澤とか始めたんですね。そして吉川は、社長が「木崎やれ!」って言うのを最初は断っていたんですが(笑)、「とにかくやれ!」と言われてやらざるを得なくなっちゃったんです。それで社長に「じゃあ、吉川が売れたらご褒美くれます?」って訊いたら「くれる」って言ったんです(笑)。
−−(笑)。
木崎:吉川について私は「歌手じゃないと思う」とかって言ったんですよね。だから「ドラマに出させてほしい。例えば、探偵モノで」と言いました。「ショーケンとか根津甚八が探偵だとすると、そのアシスタントで、本当はバンドで成功したくてバンド練習もしている。そんな役で」と。
−−ちゃんと役柄も作っていたんですね(笑)。
木崎:そう(笑)。それで「リハーサルスタジオとかで練習しているシーンで曲がかかって、主題歌でも挿入歌でも入れてもらったら、売れるかもしれないですけど」って言いました。すると社長が「テレビドラマは相手があって難しいから映画を作ろう」って言ったんです。それで、大森一樹監督で吉川主演の映画を作ったんです。
そうしたら、大澤が売れないで、吉川が先に売れちゃったんですよ。大澤は2枚目のアルバムを作るときにビクターから新しい部長が入ってきて、一枚目でお金がかかり過ぎちゃったから、「2枚目のレコーディングは駄目だ」と言われて、レコーディングができなくて、レポートを書いて何とかレコーディングにこぎ着けるような有様で。でも、そのときに資生堂から「夏のキャンペーンソングを大澤で」と電話がかかってきて、「やった」と思いました。
−−指名の電話がかかってきたんですか。
木崎:ええ。でも、それがキャンペーンソングなのにベストテンに入らない曲になっちゃって…。そんな状況なのに「3枚目のアルバムはニューヨークでレコーディングしたい」とスタッフのみんなが言って、スタジオとか押さえちゃったりしたら、今度は「ニューヨークレコーディングは駄目だ」と。それで困って社長のところへ行って、「吉川で売れたらご褒美くれると言ったの憶えています?」って訊いたら「憶えている」とおっしゃったので、「大澤をニューヨークでレコーディングしたいんだけど駄目だと言われているんです。行かせて下さい」とお願いしたんです。
−−ご褒美をそこで使われたんですね。
木崎:それでニューヨークに行って、『そして僕は途方に暮れる』という曲ができました。それが日清カップヌードルのCMソングになって、大澤はようやく売れたんです。
−−『そして僕は途方に暮れる』は本当に素晴らしい曲ですよね。
木崎:この曲の作詞は銀色夏生さんなんですが、エピックの小坂さんが「まだ歌詞を作ったことがない人なんですけど」って紹介してくれた人なんです。大澤はレイモンド・チャンドラーとかのハードボイルドな世界をやりたいと思っていたんですが、銀色さんのすごく独特な詞の世界を気に入っちゃって、結局、全部銀色さんの詞になってしまいました。そのときに銀色さんが「僕は途方に暮れる」とメモしていて、「やっぱりハードボイルドだったら”そして”でしょう」と思って、「そして僕は途方に暮れる」というタイトルで詞を作ってもらったんですが、大澤がうまく曲を作れないまま保留になっていたんですよ。
−−詞先だったんですね。
木崎:そうです。でもタイトルはすごく気に入っていたので、ずっと気になっていた詞なんです。それで3枚目のときに大澤は曲作りに行き詰まっていたので、「人にあげて返された曲とかないの?」と訊いたら、「ある」って聴かせてくれたのが「凍てついたラリー」という詞がついた曲で、この曲を聴いたときに「これ、最後の部分に”そして僕は途方に暮れる”ってそのまま入らない?」って言ったんですよ。
−−そのフレーズがピッタリはまったんですか?
木崎:ちょうど入るんですよ。それでこの曲に合わせてもう一度銀色さんに詞を作り直してもらって、プラス大サビのメロディーも作ってできたのが『そして僕は途方に暮れる』です。この曲をエピックの会議室みたいな部屋で、大澤がアコースティックギター一本で歌ってくれたときにジーンときたのをよく憶えています。
−−それは素敵なエピソードですね。
木崎:実は、元の曲はフォークソングみたいで、あんなに格好良くはなかったんですよ。それをあの頃ちょっと流行っていたポリスの『見つめていたい』とか、トンプソン・ツインズの『ホールド・ミー・ナウ』とか、コードが変わっても上の音の積み重ねがあまり動かない感じというか、そういったアレンジに大村(雅朗)さんがしてくれたら、すごく格好良い曲になってね。それとカップヌードルのCMの映像も良かったですしね。でも、こんな良心的な曲はシングルでは売れないよな…とも思っていたんですが、売れたときに「やっぱり良い曲は売れるんだな」と再認識しました。
−−でも、埋もれていた曲を蘇らせたのは木崎さんですからね。
木崎:どうなんですかね。その頃「人に作ったんだけど返されて、自分で歌ったらヒットした曲」を色々と聴かされていて、やはり人に作った方が気取らずに書けるんだなと思っていてね。自分が歌うとなるとどこか格好つけて、気取った感じになってしまうことも多いんですよね。
−−力が入りすぎてしまうと。
木崎:「良いところを見せよう」と思ってしまうと言いますかね。人に作るときは自分が歌うわけじゃないから、リラックスして作れるんでしょうね。そこに本音が見えるんですよね。
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