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<  2013年 09月   >この月の画像一覧

  • 世界大恐慌は在日社会をさらなる貧困化に落とし込んだ
    [ 2013-09-30 21:52 ]
  • 関東大震災の朝鮮人虐殺の真相は「大規模暴動も6,000人台虐殺も存在せず」
    [ 2013-09-29 18:39 ]
  • 失業寸前であった朝鮮人日雇い労働者の実態とは?
    [ 2013-09-28 18:23 ]
  • 足立区と荒川区を結ぶ広大な少数点在型のコリアタウン史
    [ 2013-09-27 21:39 ]
  • コリアタウンの源流を追って〜全国に誕生した「朝鮮部落」の夢の跡
    [ 2013-09-26 19:37 ]
  • 大日本帝国時代の朝鮮人労働者の失業率や従事した仕事はどのようなものか
    [ 2013-09-25 20:18 ]
  • 在日の起源!! その背景と理由を探る。それは今日のニューカマーと同じだった
    [ 2013-09-24 20:04 ]
  • 近代大日本帝国を底辺社会で支えた在日韓国朝鮮人
    [ 2013-09-23 16:57 ]
  • 在日とは何者か。ディアスポラとしての在日韓国朝鮮人
    [ 2013-09-22 18:12 ]
  • 韓国建設業界 海外受注不採算、2兆円の損失で会社倒産の事態も
    [ 2013-09-21 19:22 ]

世界大恐慌は在日社会をさらなる貧困化に落とし込んだ

 1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。

 これ以降、日本社会も失業、解雇、工場閉鎖、倒産が相次いだ。日本人労働者も失業に苦しめられたが、在日社会も直撃した。『産業労働時報』によると、1930年9月における失業率は、朝鮮人が13.3%、日本人が5.59%である。朝鮮人労働者は日本人労働者と比較して3倍ほど高い。

 実は朝鮮人の失業率は今日でも高い。その理由は自営業関係の仕事が多く、景気にも左右されやすいからだ。そしてこの当時の朝鮮人の失業者がもとから多かった理由は、日雇いの仕事が多く、かねてから潜在的な失業者とも言われてきた。世界恐慌は、そうした在日社会をさらに困窮に追い込んだのである。

 在日として日本にやってきた彼らの目的は、生活苦や出稼ぎであることは前述した。今の在日中国人社会もそうであるが、出稼ぎは親や親族に送金をすることが多い。在日も送金をしていたが、送金どころではなく、明日への生活がどうなるかということになったというのが世界恐慌の在日における影響であった。

 いずれにせよ、在日の人々を多く抱えている地方公共団体はこれまで朝鮮人の受け入れについては企業側の人手不足の要求に対して、割合に理解を示し、むしろ地方公共団体が率先して朝鮮人の受け入れに動いてきた。しかし、朝鮮人の失業者は地方公共団体にとって世界恐慌に伴い重荷になったことを余儀なくされたのである。

 ここでようやく本格的な在日朝鮮人の抜本的な対策に迫られていたのである。その前に、日本は満州事変を起こし、満州建国を本格化させていく。実を言えば、世界恐慌を脱した最大の理由とは、満州事変にあると考えている。軍事産業が発展することで景気の刺激策を行ったことと同じ効果があったと見るべきだろう。何はともあれ、日本の景気はこれで一息ついた。

 いつかは満州事変について語りたいと思っているのだが、事変は、大日本帝国内部の貧困化をはじめとする矛盾を一気に解決しようという試みでもあった。

 
 そして日本政府の朝鮮人の対策として「朝鮮人移住の件」という形でまとめられ、1934年4月に閣議決定された。この対策は大きく分けると三つほどからなる。

 ①朝鮮に居住する困窮民を向かわせず満州の開拓に従事させることであった。これが後の中国朝鮮族200万人の誕生になるのだが、おおよそこの政策によって朝鮮人が満州を新天地として赴くこととなる。しかし、この政策は別に朝鮮人に限ったことではない。というのも農家の次男坊や三男坊が食い詰めている中、彼らにも仕事を付与する必要があった。だから小作農の人々も喜んで満州へと向かったのである。

 ②朝鮮人の渡航制限である。実は、当時の日本政府は今いる朝鮮人はもはや帰らないだろうと割り切ってみていた。だから少なくとも新たに来る朝鮮人を日本にこさせないようにするのがベストと考えた。この渡航制限によって1934年には17万5千人の渡航者が1935年には、11万2千人に減少した。

 ③日本にいる朝鮮人の性格改善や治安関係の向上。実は、前述したように当時の日本政府は、もはや朝鮮人は帰らないだろうと予測していた。そこで朝鮮人の保護団体の強化・統一、住宅の改善、内地への同化政策を行った。

 おおむねこの当時の政策は悪くなかったと思うがこの政策が後に内鮮一体というスローガンに発展する。内鮮一体とは、内地と朝鮮を差別待遇せず一体とするというスローガンである。よく使われたのは、日本人も朝鮮人も天皇陛下の御前では等しく大日本帝国臣民であるという考えである。

 学問の世界でも金沢庄三郎が著した『日鮮同祖論』が定説となりつつあった時代でもある。日本人と朝鮮人の祖先は同じであるとする論のことであるが、日韓併合の正当性を持たせるイデオロギーでもあったが、戦後この説は否定された。

  現在、韓国では逆「日鮮同祖論」を唱える者が跡を絶たない。韓国人にとっては、逆「日鮮同祖論」は魅力的なものであり、彼らのプライドを満足させる学説でもある。しかし、精査してみれば、実を言えば日本の戦前の学説を流用していることが多いのである。そういう意味で、金沢らの「日鮮同祖論」は日韓の研究に深い影を落としたとも言えるだろう。




「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー9







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by shinwa_2007 | 2013-09-30 21:52 | 在日コリアンシリーズ | Trackback(1) | Comments(2)

関東大震災の朝鮮人虐殺の真相は「大規模暴動も6,000人台虐殺も存在せず」

 関東大震災で朝鮮人が多数虐殺されたという問題が提起されている。事実関係は、wikにより整理されているのでこちらを採用したい。

 韓国政府による1959年の公式発表で「数十万の韓国人が大量虐殺された」と主張するものがある。中間的な数字としては、上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査での6,661人という数字があり、幅が見られる。

内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。

朝鮮人殺害の具体例としては、9月5日から6日に掛けて発生した藤岡事件が挙げられる。群馬県藤岡市の藤岡警察署に保護された砂利会社雇用の在日朝鮮人ら17人が、署内に乱入した自警団や群衆のリンチにより殺害されたことが、当時の死亡通知書・検視調書資料により確認できる。

ところで私自身、様々な資料を見れば見るほど頭を抱える。右の本も左の本も読んだ。何しろ、この手の本で最近の研究成果というと、工藤美代子氏の『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』だが、朝鮮人が幅広く暴動を起こしたというソースについて各地方紙を掘り起こしているが、震災当時のニュースが信用できるかは別問題なのである。

工藤氏に従って本を読んでいくと、ここでも朝鮮人が暴動を起こした、あそこでも強盗を起こした、朝鮮人が集団で多摩川を超えて東京に入ったという様々な記者の目撃情報や伝聞情報があるが、どれが本当でどれが嘘であったのかいまだに、わからないというのが率直な感想である。

結局のところ泰山鳴動してねずみ一匹出なかったというのが本当のところではないかと思う部分がある。最終的な根拠としては、記事差し止め解除となった1923.10.22付の東京時事新報の記事だが、『関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ:放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 』という記事に尽きる。

記事によると、10月21日の時点では、すでに取り調べが終わり起訴された朝鮮人による事件は十数件に上り、その他に治安警察法違反・窃盗・横領で起訴された朝鮮人が23人いたという。
  私は工藤氏が語るような関東大震災における自警団が正当なものであるとも思っていないし、むしろ朝鮮人も暴れたかも知れないが、自警団も行き過ぎたものであったという考えである。

 つまり、朝鮮人が一部暴徒化したことは間違いないが、確認できる情報も少なく、流言飛語によって踊らされた人々も当然いただろう。その一つが自警団だったと考える方が自然ではないかと考えている。

当時、日本側の資料を探っていくと、日本人の証言として、警察官が「朝鮮人を殺してもかまわない」と触れ回った人々も多数いたのである。

このことについて、説明すると、それでは当時、朝鮮人が何か暴れるのではと日本人が思った根拠はあるのかという質問を受けたことがあるがそれはあった。

 このあたりは工藤氏の研究に詳しいが、過激な抗日運動家がいて、それが次々と逮捕され報道ラインで知ることもできた。だから、当時、日本にもし震災のような有事があれば、朝鮮人は、暴れるのではと思わせた下地は十分あった。

 ところで韓国の公式発表は数十万人の朝鮮人が虐殺されたとのことだが、実を言えば当時、関東圏内に居住する朝鮮人は約14,400人。数十万人の朝鮮人は存在しない。そして、独立新聞のソースだが、どういうわけか、在日や左翼の研究家はすべてこれが正しいとし、6,661人という数字が独り歩きしている。

 私は在日の研究家というのは楽だなあと思うことが多い。独立新聞に書いてあれば、「それは信憑性のある数字だと思う」ということで解決しているのだから、当時の資料をあさっても実は分からないことだらけであり、しかも翌年の在日の日本における居住者が22,000人へと増えているのである。

 では何人規模で虐殺されたのかという質問もあるだろう。答えは、分からない。ただし、大規模の虐殺があったと仮定すれば、在日の数はもっと減っていたに違いない。だから、私は6,000人台という数字は空中楼閣であると考える。この内務省の資料が実態に近いかもしれないが、どの朝鮮人が震災で亡くなったかあるいは虐殺で亡くなったか区別しようがないのである。

 実数は分からないものの、朝鮮人の大規模な暴動も存在しなかったことと、もう一つは6,000人台に及ぶ朝鮮人大虐殺のいずれも空中楼閣である。存外真相はこういうところではないかと考えている。




「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー8








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by shinwa_2007 | 2013-09-29 18:39 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(4)

失業寸前であった朝鮮人日雇い労働者の実態とは?

 今、東北の復興で人が足りないということで不調が続出しているが、こんなことは前から分かっていたことじゃないかと指摘していた。だから私は復興を行うにあたっては、膨大な予算と建設職人の確保するための政策を強化しなくてはいけないと語った。

 このことについては大きな反論もあった。ようするに予算がない中で、建設業を優遇するのはいかがなものかということである。だが、時代はようやく、我々建設業界が指摘したことに近づきつつある。別名、「異次元の設計労務単価」と言われることになるのだが、建設職人の給料をあげる施策を取った。

 とはいえ、一気に改善されたわけでもないことから、特に若手が入ってこない。長年にわたる建設業と建設職人叩きは、若手からすっかり業界全体から嫌われ、早期復興は夢のまた夢になってしまったのである。私が東日本大震災発災の懸念の通りになってしまったことは実に遺憾なことであると思う。

 今はまだ建設職人の処遇は良くなったものの、かつての日雇い労働者の処遇はいかなるものであったのか。このあたりについては『日稼哀話』という名著に詳しい。詳しくは同書を読んで欲しいが、何分高い古書だが、建設職人史を調べるには必須な本と言える。

 というのもかつてから元請けや下請けのピンハネの現状について詳しく書いている。これを読むと、当時の設計労務単価が全く建設職人に行き渡っていないことがわかる。

 また、監獄部屋という牢獄に近い部屋に監禁され、屈強な男たちが見張りにつき、建設職人を監視していたことがわかる。食事も酷いもので、ご飯と薄い汁とかそういうものであった。一度、監獄部屋に入ると逃げたくても逃げられない、しかも賃金は支払われないという恐ろしい世界である。

 これを見てふと思い出したのは、『カイジ』という漫画の地下労働編であった。ギャンブルに敗れたカイジたちが連行された先はまさに、地下労働であった。どちらにしても恐ろしい世界であった。

 そしてこういう監獄部屋に監禁された朝鮮人も存在した。私はこの労働者をどうやって樺太や北海道等の鉄道工事に引率したのかと思ったのだが、いろいろ調べていくうちに、もちろん、朝鮮人だけではなく日本人も被害者なのだが、本当にうまい甘言を弄すということが適切な言葉だと思う。

 例えば、東京で仕事があんまりなくて賃金も安い。そして「アブレた朝鮮人」もいただろう。そういう中で日雇い労働者がタバコを吸いながら雑談するのだが、北海道に行けば稼げるとか、樺太に行けば大金がもらえるという話をするのだ。女衒と同じようなものかもしれない。

 1926年の当時存在した中央新聞によると、本所から浅草にかけて1,000人に近い朝鮮人労働者は、地方に行くことを望んで、東京の苦しいところから離れたいと願っている。内地の人のアブレはすぐ仕事を友達が見つけてくれるから、私たちは苦しいから困る。朝鮮人のアブレというのは相当酷い現状だったらしい。ちなみに、「アブレ」というのは仕事にあぶれた人々を指す。

 ところが甘言で騙された地方に行った人々も逃げ出した。『日稼哀話』には、警視庁内鮮係に、「仲間20人の命を助けてください」となきながら訴えたという朝鮮人が登場する。この人物は金氏というが、樺太で仕事をしたが全くの監獄部屋で三度の食事もあてがわらず、給料も一円ももらえず、朝の三時から夜の九時まで牛馬よりも情け容赦ない労働で酷使され、餓死せんばかりに至ったという。

 まあ、私は戦後の朝鮮人が都心部で暴れたことは理解はしないが、炭鉱や監獄部屋で反乱を起こした朝鮮人には理解出来る。そんなはずはない、炭鉱だっていい給料がもらえたはずではというが実際はそれは設計労務単価の話で、元請けや下請けが、ピンハネし、場合によっては全く賃金が払われなかったこともあるのだ。


 監獄部屋について調べてみるとこういう話が多い。それは日本人の日雇い労働者も当然例外ではなく、相当ひどい目にあっている。こういう人々が大日本帝国を支えた側面がある。そしてその影の部分も直視することも同時に日本史を学ぶということでもあるのだ。



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by shinwa_2007 | 2013-09-28 18:23 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(0)

足立区と荒川区を結ぶ広大な少数点在型のコリアタウン史

 コリアタウンについてはすでに多くの先行資料がなされており、いまさら私が語ることもないのだが、整理していくと、前述したように大阪市・生野区のような大規模コリアタウンともう一方は足立区から荒川区に広くまたがる少数点在型のコリアタウンが存在する。

 生野区のコリアタウンについては、大阪と済州島が結ばれる汽船開通によって大量の済州島人が渡来したことも大きい。実際、女性たちの仕事では圧倒的に紡績工場かゴム工場かさらには、ガラス工場に従事したことが大きい。

 その名残として生野区のコリアタウンが生まれたのだが、その後、大阪から荒川区三河島に転居し、さらにその人々が足立区に転居して、下町の少数点在型のコリアタウンが形成されることに至ったのである。

 だから興味深いことに、荒川区日暮里から足立区西新井までの広大に広がる少数点在型のコリアタウンルートを歩いてみると、共通していることは一本の道路で結ばれていることがわかる。一本の道路とは尾竹橋通りであり、これから足立区西新井から、千住桜木町を抜け、三河島周辺、さらには日暮里までを結ぶ。

 何故、広大な少数点在型のコリアタウンが生まれた理由は、後に言及するが、皮革産業などとの関連性が強いためである。戦前から高度成長時代と脈々と受け継がれてきた産業の跡地でもある。

 少数点在型のコリアタウンについて言及されることはほとんどない。東上野や三河島などについての大規模コリアタウンについては数多くの先行資料がありつつも、少数点在型コリアタウンについては目新しい研究成果にならないと考える人が多いのだろう。

 そこで今回、あまり多く語られていない足立区と荒川区のコリアタウン史について言及したい。というのも他の大規模コリアタウンについては先行資料が多く、私の出る幕でもないと考えているからだ。

 足立区に高度成長時代に多くの工場が建設されたのは、荒川・隅田川・綾瀬川・中川等の河川に囲まれている。工場立地には水が不可分なのだ。この水は役に立つこともあるが、一度台風が来れば土地が沈むという欠点もあった。

 足立区に朝鮮人が定住するようになったのは1923年あたり。軍事関連の皮革産業、繊維工場等各種産業が発展していた時代である。ちなみに、1927年には荒川放水路以北の本木に、屑物業者は国の方針として移住させられることが余儀なくされた。屑物業者の仕事は在日も行っていたことから、1927年には、500人に増加している。

 明治初期には三河島や木下川地域に皮革産業が形成されていたが、土地の拡大を行い、足立に移転することになった。それによって足立区千住の皮革産業も大きく発展することになる。第一次世界大戦により、日本は軍靴の生産を行うがそれでもノルマに間に合わないほどの忙しさだという。この時期に投入した労働者が朝鮮人であったのだ。

 今日、足立区本木町や興野町でその名残を見ることができる。例えば、足立区関原商店街では、キムチ販売や韓国料理屋を見ることもできるが、在日が経営する喫茶店や飲み屋、スナックも多く、コリアンのイベントを紹介するポスターもある。現在は朝鮮総連足立支部や、東京朝鮮第4初中級学校などがある。

 そして足立区本木・興野・西新井から尾竹橋通りを走り、西新井橋をわたり、千住桜木町から、さらに、隅田川の尾竹橋を渡り、町屋から日暮里に至るまでの広大に広がる少数点在型のコリアタウンの主役はやはり済州島人であった。戦後、共産党のシンパが多かったのも実は、済州島人であった。

  戦後の高度成長時代においては、関原・本木の朝鮮人集落では、スリッパやサンダルなどの部品を家内工業で製造するゴム製品製造業が賑わったこともある。私はしばらくして、本木のあるカバン屋の人と話していたが、その人も在日であった。本木にはあまり目立たないが、在日の町工場がひっそりとして生産している。足立区の在日は大規模に固まって居住することはないが、意外なことに一時的ではあるが23区で最も在日が多く居住していた区である。今は新宿区に抜かれた。三番目が荒川区である。

 


「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー7


藤子・F・不二雄展を前回で最終回にしたのですが
夫に「せっかく写真もたくさん撮ったし見たくても行けない人もいるだろうからもったいないよ」って
言われたので続けてアップしたいと思います。
興味の無い方は申し訳ないですが、もうしばらくお付き合い願います。


上げ下げくり 

予定を自由にくり上げたり、くり下げたりすることができる道具。
ただし、一度変えた予定は、二度と動かすことができない。





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by shinwa_2007 | 2013-09-27 21:39 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(4)

コリアタウンの源流を追って〜全国に誕生した「朝鮮部落」の夢の跡

 こうした在日の人々がどのような場所に居住したかという点は、興味深くコリアタウン史の源流にもつながるのである。近代における大日本帝国は多くの低廉な労働力を求め、時には東北から、時には沖縄から、そして時には朝鮮から多数の人々がやってきた。神奈川県・鶴見市や大阪府大正区の「沖縄タウン」、そして全国に点在する「コリアタウン」の源流を探っていけば大日本帝国時代まで遡るのである。

 我々日本人はこうした朝鮮人が多数居住する場所をやや蔑称を込めて、「朝鮮部落」と呼んでいた。私の母は、朝鮮人が嫌いだったため、朝鮮人が多数居住するところを指して、あそこは「朝鮮部落」だから近づいたらダメよと平気で言っていた。

 だいたい80代や90代の日本人高齢者の感覚はこんなものではないかと思う。ただし、私は思うのだが、母の差別感情はともかくとして、在日の人々にとっては、コリアタウンの源流とも言える「朝鮮部落」は、拠り所だったのだろう。コリアタウンとなっている場所は実は、土地がやや安い。新大久保のように人工的に作られた韓流の街と宣伝されたコリアタウンは例外である。

 ではその起源はどこにあるかと言えば、大阪である。大阪市東成区東小橋界隈であり、今日でも多数の在日の人々が住んでいる。昭和3年に大阪市調査課が作成した『鶴橋・中本方面における朝鮮人の生活概況』によると、「明治42年に朝鮮町が建設された」とあることからかなり前から朝鮮町や朝鮮部落が建設されたと考えられる。

 そして関東での朝鮮部落は時代を経て、三ノ輪、千住、世田谷、巣鴨等にあったという。しかしなんといっても有名なのは、江東区枝川であろう。この枝川コリアタウン成立史は、幻の東京五輪と重なっている。

 当時、朝鮮人は隣接する深川区塩崎町や深川区浜園町に居住していた。現在は江東区塩浜に名前を変えている。ちなみに、塩浜は、塩崎の塩と浜園の浜から取った合成地名である。こうした合成地名は各地にある。例えば、足立区梅島は、同区梅田と島根の間にあることから採用された合成地名である。
 
 実は、塩崎町も「幻の東京五輪」の開催地となったため、彼らをどこかに集める必要があった。そこで選ばれたのが、江東区枝川であった。こういってはなんだが、五輪の開催地でバラックが立ち並ぶ姿を外国人に見せるのは具合も悪かった。そこで朝鮮総督府と東京都が共同で出資し、枝川の街に集めたというのが真相である。

 また、荒川区三河島にも在日が多い。これは、大阪と済州島が1922年に船の運行が開始されることから始まる。今でも大阪府生野区が在日の人々が最も多く居住している理由は、ここにある。そしてそれから各地に伝播していった。

 そのうちのひとりが荒川区三河島の皮革工場に従事することになった。荒川区は、隅田川を抱え、皮革には便利であった。実は、荒川区三河島、日暮里、足立区千住桜木、本木、関原にかけて広大な小数点在型のコリアタウンを形成している。その理由はこのあたりに皮革工場やゴム工場を建設するには都合が良かったからである。

 そして実を言えばこうした在日の人々を悩ました問題のうちに、労働問題だけではなく、居住問題があった。そのため、河川敷や人の住まないところの不法占拠ということもしばしば起こった。

 あるいは親戚のつてをたどって下宿に間借りするケースも多かった。そのつてをたどっていくと、ここなら住めるという話が伝わって朝鮮部落が形成されたというのが概ねのコリアタウン史の源流である。だから上記にあげた土地はだいたい下町が多い。そして当時は、下水道もあまり完備されていなかったことから、大雨が降ると土地が沈んでしまうような場所であった。

 今でこそ上記にあげた土地は、下水道も完備され、台風が来ても、沈むことはないが当時はそういうことであったのだ。はっきり言うと日本人が敬遠した土地でもあって、借り手が少なかったことから在日の人々に家を貸していったということなのだ。

 



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by shinwa_2007 | 2013-09-26 19:37 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(0)

大日本帝国時代の朝鮮人労働者の失業率や従事した仕事はどのようなものか

 世界的に大恐慌になる前の在日の人々の職業は労働者が圧倒的に多いことは前述したが、それでは労働者の内訳をもう少し詳しく見ることにする。1928年時点では、土木労務者57.1%、職工26.8%、一般使用人5.8%、鉱山労働者7.9などから構成する。さらに、職工を見てみるとゴム工場やガラス工場で働く人が多かった。

 だから今日の在日社会でもゴム関連会社に従事するか自営業をする在日の人々も多い。そのうち彼らも独立して、ゴム会社を設立し、側面から大日本帝国から今日に至るまでのゴム関連業務を支えることになる。

 もう少し付け加えると皮革関係の仕事も多かった。部落問題にもかかわってくるが、江戸時代においては皮革関係の仕事は事実上、弾左衛門の独占であったが、その後、独占から離れ、様々な人々が従事することになる。

 特に軍関連で必要とされた皮革業務は、大量の人々を必要とし、例えば、荒川区三河島にはそうした工場が存在した。そして済州島から多くの労働者を招き入れた結果、荒川区に多数の在日が居住することになった経緯もある。

 その後、荒川区の土地が高くなり、移転した人々が向かった先は足立区本木や関原周辺である。このあたりにも在日の人々が点在して住み、ミニコリアタウンが点在しているのはそうした事情がある。このあたりの事情については、別項で取り上げたい。

 土木労務者をもう少し詳しく見てみよう。今でもそうだが、土木関連業務は、雨が降ると仕事が中止になる。日雇い業務は建設関連の仕事が中心だ。毎日仕事にありつけられるかは別問題であり、ひと月のうち15日間が業務になる。

昔から言われる言葉に、「職人殺すのに刃物はいらぬ。雨が三日降れば良い」という言葉があるように、日雇い労働者は潜在的な失業者でもあった。在日おける日雇い労働者の失業率は、東京市20.2%、神戸市26.97%、大阪市12.93%などであり、日雇い労働者の失業率が想像以上に高いことがわかる。日本に来て一旗あげようと考えていたが、日本にいても失業者になるという現実が彼らに待ち受けていた。

 確かに、日本も第一次世界大戦の好況で多くの成金を生んだが、世界大戦が終わり、アメリカも不況になると一気に不況の波が押し寄せ、日本もその影響を受けることは余儀なくされた。

 京浜工業地帯や阪神工業地帯などの開発もあったが、それだけでは朝鮮人の失業者をまかなうまでには至らず、日本にいても朝鮮にいても失業者であるという状況が生じたのである。

 差別賃金は存在したかという質問したかということについてはあったと思う。だいたい、日本人の賃金の4/5と若干低い傾向にあった。今でこそ差別賃金は存在しないが、当時は外地と内地の違いというのは厳然と存在したと言える。

 1928年の大阪では、土方の賃金は日本人が最高2.8円、最低2円、そして朝鮮人が最高2円、最低1.7円である。様々な賃金表を見ると若干、日本人よりも朝鮮人が低かったことは理解出来る。

 当時の市の当局者、ここでは大阪市社会部『朝鮮人労働者問題』から引用するが、朝鮮人労働者の生活状況は、吾人の眼に映ずるところ、まことに悲惨そのものである。殊に食物の点では、よくあれで生存するに必要な栄養素を摂取できるものかと、疑わざるを得ない。彼らは、飯と塩と野菜で生きている」と語っている。

 こうして書くと、朝鮮人はその当時、ずいぶんひどい生活をしているのだなあと考える人も多いかもしれないが、当時の大日本帝国の細民社会は多少ましであっても似たり寄ったりだった。『日稼哀話』という細民社会について詳しく記述した本にはそういう内容が満載している。『日稼哀話』は高い思いをして購入した本であるが、大日本帝国の影の部分を知るためには良書である。

 だからこそ当時の下層社会問題を取り上げることは様々な文献にあたり、総合的に網羅した考えで在日問題を語ることがベストであるが、その中で在日の人々がどう生きたかということにも触れたいと思う。

 そういうことで労働社会問題についておおむねこのような環境であったことは間違いないが、それは別に朝鮮人に限らず、資本主義社会における負の部分が労働者に押し付けられていたことは事実であり、さらにその末端の部分にしわ寄せが来たとも言える。その象徴とも言える存在が在日の労働者であった。

 だからといって日本人労働者も楽ではない。時代は大正バブルから昭和恐慌へと向かい、太平洋戦争に至る。しかし、その前に彼らの居住問題にも触れておきたい。




「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー最終回

写真はもっともっとたくさん撮りましたが
自分で脚を運んで見たほうがもっと感動すると思うので
今日で最終回にさせていただきます。
この展示会は東京タワーの4階で10月6日まで開催されます。
今度は川崎にあるミュージアムに行ってみたいな~



アイスどら焼き美味しかったです。





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by shinwa_2007 | 2013-09-25 20:18 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(0)

在日の起源!! その背景と理由を探る。それは今日のニューカマーと同じだった

 大日本帝国における資本主義社会の進展により、一気に近代化を果たし、第一次世界大戦後は、世界5大強国の一つと称されるまでに至った。しかし、近代化の波は当然影ももたらす。影の部分を描いた本としてオススメしたいのは、『最暗黒の東京』『日本の下層社会』『日稼哀話』等当時の資本主義の負の部分を描いたものを読んで是非バランスを取って欲しい。

 韓国人にも中国人にも同じことが言え、さも自分の国の歴史をすべて誇らしげに語ることが愛国だと勘違いしているが、歴史学はもっと淡々とした記述で十分なのである。常に、私が言ってきた言葉、「歴史を政治から解放したい」という思いである。

 日韓併合が一概に悪と語られるのも正義と語られることにも抵抗がある。とりわけ、韓国は大日本帝国に必死に抵抗して頑張った歴史というフィクションをもとに建国したという神話から歴史を教えている。だから抵抗の歴史を韓国歴史教科書の分量の半分を占めているが、このような教科書では生徒は退屈だろうなと思う。

 しかし、いずれにしても日韓併合を断行した。李朝時代から食っていくのが大変であったことから、もし李朝がもっと昔から開国していれば、そして日本も朝鮮に向けて人の往来も自由であれば、江戸時代から在日が生まれていただろう。歴史にifはないものの、生活苦で来る韓国人が日本にやってくることは現在もあとを絶たないことから十分想像できるifでもある。

 そこで在日が何故、日本に来たかと簡単に言えば、生活苦である。1928年、東京府(現在の東京都)が実施した調査では、在日の世帯主400人にアンケートを取ったが、上位から上げていくと生活難(53.3%)、労働20.8%、金儲け18.8%、勉学7.3%でほかはその他である。

 しかしこのことは当然、日本人労働者との対立も生み出す。確かに大日本帝国下で近代化を進展させていて仕事もそれなりにあるがそれでも限界がある。当時の在日問題は、失業を輸入した側面も否めないと私は、分析もしているが、政府もそう考えていたのだろう、朝鮮からの日本への渡航を制限するに至ったのである。22年には、自由渡航を認めていたが、押し寄せる朝鮮人労働者の波に制限を加えるようになった。

 ちなみに第一次世界大戦による好況時代は、日本にとって極端な人手不足も生み出した。今でも復旧・復興工事により、建設業界は同様に人手不足であり、東北地方だけではなく、日本全国に不調が拡大している。ちなみに、不調とは工事を引き受ける建設会社が存在しないということで、価格面、資材不足、建設職人不足なども相まって、建設業は深刻な問題を引き起こしている。

 こうした仕事を引き受ける日本人が好況時代には足りなかったということもあり、朝鮮人が流入したことは日本の資本家にとっては歓迎すべきことであった。当時の新聞では、「人員不足を朝鮮人で補おう。総督府の斡旋である」などとキャンペーンを張ったところが多かった。

 ただし日本人が敬遠する仕事を請け負っていたから、仕事内容は厳しかったであろう。当時の日本社会は、現在のように成熟しておらず、差別することも多かった。だからこそ、一世の人々の回顧録や思い出話を見ると、みな仕事や差別で苦労した話が掲載されている。

 昨今流行りの言葉で、「ブラック企業」があるが、近代化を進展するにあたり、今よりももっと酷かった時代であった。芥川龍之介が世界恐慌を目の当たりにしてぼんやりした不安を持ちつつ、自殺したが、時代は、プロレタリア文学の台頭もあり、文芸的な文学から、貧困や社会の問題点とどう向き合うかというように変化していった。

 ちなみに在日は、1928年の調査では労働者が71.8%で無職が18.4%であるが、1934年になると、労働者が48.2%、無職が35.2%に跳ね上がるのである。そういうことから世界恐慌が在日社会にとっても深刻な影響を及ぼしていたことが理解できる。




「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー6







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by shinwa_2007 | 2013-09-24 20:04 | 在日コリアンシリーズ | Trackback(1) | Comments(4)

近代大日本帝国を底辺社会で支えた在日韓国朝鮮人

 最初に断っておくことであったが、ここで言う在日とはニューカマーではなく、オールドカマーの存在である。特別永住者の在日韓国朝鮮人を対象としている。そういう意味で昨今話題の新大久保で商売をしているニューカマーの韓国人は除外をしている。

一般の朝鮮人が日本に到来した時代は、1890年代である。それが大日本帝国崩壊に至るまでは、約200万人までに膨れ上がる時代が来るとは想像もつかなかっただろう。当時、大量の朝鮮人が日本にやってきた土壌はあった。日本が近代化していくためには、低廉で若く力のある労働力を求めていた。

 もちろん底辺で支えたのは、朝鮮人だけではない。あの当時、次男坊や三男坊は、口減らしに厄介払いもされ、都市に向かった。いや都市に向かわざるを得なかった。何しろ、当時の家督制度では、長男がすべて跡を継いで、次男や三男は、後継になれず、田畑を分けてもらえなかった。

 大日本帝国における近代とは、朝鮮人も含めた多くの日本人の低廉労働者の犠牲と汗と血によって成立したことを思い起こして欲しい。私はだからといって、大日本帝国における近代とはくだらないものだと言うつもりはない。日本だけではなく世界が近代化に向かっていたし、取り残されれば外国からの植民地にされる危険性もあった。

 ロシアの南下政策により、日本の独立の危なかった。日露戦争は韓国の権益を巡ったものであった。よく併合しない道もあったのではという人もいるが、私は、当時の脅威であったロシアから日本を守るためには、朝鮮を日本の防衛ラインとしなくてはならず、戦略的にも誰がやっても日韓併合の道を選んでいただろう。

 併合後の日本は朝鮮統治では武断政治を断行したが、それは禍根を残すものであった。この武断政治が3.1事件を引き起こすことになるのだが、朝鮮統治には光と影があったことがあることは否めない。その後、3.1事件の反省のもとに、後に首相になった斎藤実が朝鮮人の話に耳を傾けて文治の斎藤政治を実現する。

 そういう時代背景があり、困窮した朝鮮社会から一旗を上げに日本にやってくるというのは時代の必然でもあった。彼らの仕事は、炭鉱、土木、繊維、ゴム、ガラス工場が多かった。

 炭鉱は常に死と隣あわせであるし、土木業務は今でも危険業種である。当時はもっと危険であっただろう。近代の大日本帝国における資本主義の発展が日本側の事情であり、朝鮮側の事情は社会の困窮にあった。

 ところで日本側は朝鮮のインフラは整備したが誰しもがその恩恵によくすることは不可能であった。それは日本も同じである。財閥集中型の現代の韓国経済を見れば、戦前の日本の格差問題も見えてくるはずだ。

そして土地調査事業によって所有権も大幅に変動した。もともとかつての日本もそうであったが朝鮮も土地所有の概念が曖昧であった。もっといえばきっちりとした線引きもなかった。土地調査事業は日本側の悪意があったと語られることも多いが、実は根本的な問題として李朝時代の土地所有の概念が曖昧だった事情も加味しなくていけない。しかし、朝鮮総督府の土地調査事業によって、没落農民も生まれたのは事実であろう。

 そうした事情もあり、朝鮮半島の南側の人々は新たに新天地を求めた。それが日本であった。第一時期の在日は日韓双方の事情から誕生したのである。





「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー5


テストのときはこれが欲しかったな~w




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by shinwa_2007 | 2013-09-23 16:57 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(6)

在日とは何者か。ディアスポラとしての在日韓国朝鮮人

 そもそも在日韓国朝鮮人とは何者であるのか。この問い、私はいつの時代にも問うてきた。朝鮮韓国そして日本の文化を受容しつつ、生きてきた彼らは、韓国人でもなければ日本人でもない。結局のところ、私が常に言ってきたように、在日コリアンという存在であるということだ。
 
 私は在日韓国朝鮮人というのは日本で誕生した一時代を駆け抜けた民族として後世伝えられるだろうと予測している。在日問題はこれまで述べてきたようにいつかは消滅するだろう。こう書くと一世や二世の世代からすれば納得できないこともあるだろうが、最終的には日本人化していく。

 ディアスポラという用語は、「離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ」を指す。本人たちは一部を除いて韓国や北朝鮮に帰国する意志もない。中国朝鮮族との違いは、朝鮮民族が選択した先として、片方は中国へ、片方は日本へ向かった。

 以前も書いたように中国朝鮮族もディアスポラである。そういう中で中国朝鮮族は、朝鮮文化を基礎としつつも中国文化の受容も貪欲である。私の嫁さんは、中国朝鮮族であるのだが、在日中国朝鮮族として生きて見て幸せだと言う。

 時として嫁さんは、中国人でもあり、朝鮮人でもあり、そして日本人でもあるように映る。というのも嫁さんはこの三国の文化をよく吸収し、優れた文物を取り入れることに長けているからだ。どうもこの傾向は、他の中国朝鮮族についても言え、異文化吸収には本当に貪欲なのだ。

 ところで在日韓国朝鮮人だが、私は一世や二世が執筆したものを読むと、「自分は朝鮮人なのだ」という意識が強すぎると感じることが多い。私は白頭山(中国名・長白山)を中国側から登り、雨に降られつつも、その絶景を堪能したが、その時の感想は、朝鮮民族の聖山である白頭山の素晴らしさは率直に評価している。

 私は後日、日本の富士山も素晴らしいが、白頭山も負けずと絶景であると語っている。しかし、一世や二世の人々が書くものを見ると、何が何でも朝鮮の山が一番であるということを言わなくては気がすまないらしい。こういう文章を見ると当時の在日社会は息苦しかっただろうなと想像している。

 実際、息苦しかったのは事実であり、一世や二世が結婚相手は息子や娘に同胞であると語っても、70年代から次第に在日の結婚相手は日本人が増えた。今やその割合は8割ほどである。ある在日三世の逸話によると、「日本人と結婚して何が悪いの?」と親に逆襲した話が残っている。

 その一世や二世も高齢である。いくらこの世代が「我が民族は」と言っても、三世四世はついていくこともなくなった。在日社会がどこから来て、どこへ向かうのか。明治時代から今日に至るまでの在日韓国朝鮮人社会をコンパクトにまとめていきたい。「シリーズ在日韓国朝鮮人」である。




「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー4


タケコプターを頭に乗せてあっちこっちに行けたらいいな~





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by shinwa_2007 | 2013-09-22 18:12 | 在日コリアンシリーズ | Trackback | Comments(2)

韓国建設業界 海外受注不採算、2兆円の損失で会社倒産の事態も

 よく質問を受けることは、韓国は何故、無理して海外案件を受注するかということである。これは日本ゼネコン勢が日本だけでもなんとか食っていけることで日本ゼネコンはそれほど無理して受注しない。その日本ゼネコンにおいても海外案件はリスキーだという認識は変わらない。赤字になると判明する工事は海外案件が多く、実を言えば日本ゼネコンにとっても海外案件は鬼門であると言える。

 実は内需の冷え込みというのは、かねてからあるが、特に酷くなったのは、李明博執権末期から起こった現象であり、資産価値の下落が続く場合、生活苦に陥った「ハウスプア」が子どもの塾通いや外食、各種ショッピングの費用などを減らし、 深刻な内需不況の泥沼にはまり込むという懸念も出ている。

 資金難に耐えられず、倒産する建設会社も続出している。大韓建設協会によると、施工能力評価額基準で上位100社に挙げられる建設業者のうち、現在23社が企業改善作業(ワークアウト。経営再建)や企業回生手続き(法的管理。会社更生)を進めている。

このような情勢で朴クネ政権は何ら手立てを打っていない。本来であれば公共工事の増加という手法もあるのだろうが、その資金もない。そのため韓国国内では建設業界は食べていけない状況が生まれた。

 先週では、韓国の海外建設協会が13日に発表した今年韓国企業の海外建設受注額は前年比で7%増の 計398億9000万ドル(約4兆円)に達した。最近GS建設がベトナムから受注した橋梁プロジェクト(約2億ドル)などは含まれておらず、2008年から6年連続で400億 ドルを超えたとみられるというニュースもあり、海外工事は韓国にとってバラ色の未来を約束しているように思えた。

 昔、熊谷組が海外案件を次々と受注し、受注額では二位に躍り出たこともあった。熊谷組において海外組は出世コースでもあったのだ。ところがその海外案件はほとんど赤字を余儀なくされ、熊谷組は衰退し、一時期は大手5社ではなく、熊谷組を加えて6社だと鼻息が高かった時代も今や昔である。鹿島や飛島建設などと合併を模索したが、すべて失敗し、退潮傾向は止まらない。

 今回の朝鮮日報の記事では、過去4-5年にわたり、海外の工事入札現場では、韓国の建設会社同士が過当競争を繰り広げ、「ダンピング受注」が相次いだ。その後遺症が今年に入り表れ始めた格好で、事態は今後さらに悪化する可能性がある。

 20年以上にわたり、海外のプラント建設現場で勤務した大手建設会社の役員は「後発企業であればあるほど、実績を上げなければならず、安値で受注するケースが多かった。業界では安値で受注すれば損失が避けられなくても、安値で受注競争を展開することが多かった」と指摘した。

 問題は海外工事をめぐり暗い見通しが示されていることだ。韓国建設産業研究院は11日に開かれた討論会で、来年に完成する海外建設工事が契約額ベースで過去最高の740億ドル(約7兆3900億円)となり、40億700万-195億6000万ドル(約4000億-1兆9540億円)の損失が発生するとの試算を明らかにした。

 同院はまた、海外での建設工事完成が来年に集中し、安値受注による損失、工事遅延による遅延補償金の支払いが持ちこたえられないほど深刻化することがあり得ると指摘した上で、「一部建設会社は1980年代初めの海外建設危機当時のように海外工事の損失で倒産する可能性がある」と警告した。

 実は日本のゼネコン勢、とりわけ日本の海外建設協会のメンバーたちはこうした予測では十分になされていた。というよりも冷ややかに韓国ゼネコン勢の受注を見守っていた。あの工事でこの金額ではどうやっても赤字になることが見込まれていたからだ。

 結論的に何が言えるかといえば韓国の建設会社は多いことから淘汰される傾向が続く。また財閥傘下にある10大建設会社も合併などで淘汰する必要がある。そうしなければダンピングは続くからだ。国の関与で建設業界が構造改革を行えるか否かが今後の韓国建設業界の焦点になるだろう。
 



「生誕80周年記念藤子・F・不二雄展」ー3


ドラえもんは後ろ姿も可愛い~


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by shinwa_2007 | 2013-09-21 19:22 | 公共事業関連 | Trackback | Comments(0)


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