< 2013年 05月 >この月の画像一覧
- 上州乱破や信州素破は、戦国時代のヤクザモデルか?〜ヤクザの源流を追う[ 2013-05-31 21:34 ]
- やくざの起源を推理する〜アウトローの系譜を追って[ 2013-05-30 23:15 ]
- 歴史民俗学を活用した暴力団・ヤクザ論をはじめるにあたり〜常民としてのヤクザ[ 2013-05-29 21:14 ]
- 急速に浮上した沖縄(琉球)独立論〜しかし実態は独立賛成派は10%もいない[ 2013-05-28 20:35 ]
- 元慰安婦の証言の変遷を探る~身世打鈴こそがキーワード[ 2013-05-27 22:29 ]
- 拉致問題が前進あれば、安倍晋三首相と金正恩第一書記とのトップ会談も[ 2013-05-26 12:11 ]
- 京成電鉄「行商人専用車両廃止」、山形県庄内地方の行商女性「アバ」が消滅危機[ 2013-05-24 19:43 ]
- バーニャカウダ[ 2013-05-22 23:21 ]
- 中国朝鮮族の行商人たち〜中国韓国を往復しつつ稼ぎ出した人々[ 2013-05-21 20:52 ]
- 風呂敷をかつぎの日韓行商人「ポッタリチャンサ」〜在日韓国人ビジネス[ 2013-05-20 20:37 ]
上州乱破や信州素破は、戦国時代のヤクザモデルか?〜ヤクザの源流を追う
戦国時代になると、治安がおおいに乱れたこともあり、やくざは大いに活用されたであろう。しかし、この時代においても「やくざ」という用語はない。本人たちはどう自覚していたかは分からないが、権力者にも十分利用されたことと思われる。その中にはひょっとしたら戦国大名へと成長した者もいたかも知れない。
『本邦侠客の研究』でヤクザ史に詳しい尾形鶴吉は、ヤクザの起源を室町末期から戦国時代と推理している。何しろこの当時は、針売の行商人である豊臣秀吉が天下を治めるほどチャンスはあった。バサラ者の風体は史実によるとこの頃が盛んであると『室町殿物語』などにある。
戦国時代には、上州乱破や信州素破も生まれている。しばしば時代小説には、忍者に例えられるのだが、その実態は野武士のようなもので、武士とも言えず、盗賊ともいえず、忍者ともいえず、複雑な存在であった。記録によると馬盗賊をよくしたという。
いずれにしても戦国時代は盗賊を行い、治安を乱した組織だった存在があった。上州や信州という地名が明記していることから、ここらあたりから地縁を重視したアウトローも誕生しつつあった。いずれにしても戦国時代では無頼者であり、負けた軍を襲ったり、衣服、武器、食料も確保していたのだろう。
高橋留美子氏の漫画に『炎ファイヤートリッパー』という漫画があり、主人公の女性が戦国時代にタイムスリップする話で、その時出会った野武士が、物語の大きな鍵になるが、イメージ的には、このような野武士集団は戦国期には勃興し、いずれにしても暴力を生業としていた。
近世ヤクザの項目で詳しく述べるが、近世ヤクザの活躍の場はやはり、街道筋であり、日光街道・東海道・中山道・甲州街道沿いにビジネスの種を見つけていたものと想像できる。戦国時代のヤクザも同様に、街道沿いでビジネスを行っていたか、野武士のような一団があり、縄張りも確保していたのだろう。
ここでポイントを説明するが野武士集団は、治安も乱す一方、自らの縄張りの部分について治安確保に努めていたのだろう。
しかし、近世と中世ヤクザとの決定的な違いは、近世が貨幣経済が発展し、博徒のような博奕打ちを生業にした点だ。中世社会ではまだまだそこまで成熟していない社会でもあった。
ところが天下統一の機運が高まると、豊臣秀吉の刀狩りや戦国の終結をもって中世ヤクザのような野武士集団はここで断絶する。何よりも戦乱がなくなったことで、戦乱に寄生していた彼らも存在意義を失ったとも言える。
つまり何が言いたいかといえば、こうしたアウトロー集団は時代によって形を変え、変容していくということだ。山口組は進化すると主張したのはほかならぬ司忍組長だが、確かにこれまでの頂上決戦でも暴力団は撲滅できなかった。日本人が考えるヤクザらしいヤクザの登場は近世に入ってからであり、前回と今回の項目では、ヤクザやアウトローの源流を探ってみたが資料がなく、思った以上に大変であった。
近世に入ると、一気に中世とはガラリと変容する。貨幣経済の発展と町人パワーの勃興により、ヤクザも大きく変わり、博徒、土建屋、乞胸(見世物)、香具師等続々とヤクザとゆかりのある職業が発展していくことになる。このあたりから資料も増え、書く作業が楽になるのである。
←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
『本邦侠客の研究』でヤクザ史に詳しい尾形鶴吉は、ヤクザの起源を室町末期から戦国時代と推理している。何しろこの当時は、針売の行商人である豊臣秀吉が天下を治めるほどチャンスはあった。バサラ者の風体は史実によるとこの頃が盛んであると『室町殿物語』などにある。
戦国時代には、上州乱破や信州素破も生まれている。しばしば時代小説には、忍者に例えられるのだが、その実態は野武士のようなもので、武士とも言えず、盗賊ともいえず、忍者ともいえず、複雑な存在であった。記録によると馬盗賊をよくしたという。
いずれにしても戦国時代は盗賊を行い、治安を乱した組織だった存在があった。上州や信州という地名が明記していることから、ここらあたりから地縁を重視したアウトローも誕生しつつあった。いずれにしても戦国時代では無頼者であり、負けた軍を襲ったり、衣服、武器、食料も確保していたのだろう。
高橋留美子氏の漫画に『炎ファイヤートリッパー』という漫画があり、主人公の女性が戦国時代にタイムスリップする話で、その時出会った野武士が、物語の大きな鍵になるが、イメージ的には、このような野武士集団は戦国期には勃興し、いずれにしても暴力を生業としていた。
近世ヤクザの項目で詳しく述べるが、近世ヤクザの活躍の場はやはり、街道筋であり、日光街道・東海道・中山道・甲州街道沿いにビジネスの種を見つけていたものと想像できる。戦国時代のヤクザも同様に、街道沿いでビジネスを行っていたか、野武士のような一団があり、縄張りも確保していたのだろう。
ここでポイントを説明するが野武士集団は、治安も乱す一方、自らの縄張りの部分について治安確保に努めていたのだろう。
しかし、近世と中世ヤクザとの決定的な違いは、近世が貨幣経済が発展し、博徒のような博奕打ちを生業にした点だ。中世社会ではまだまだそこまで成熟していない社会でもあった。
ところが天下統一の機運が高まると、豊臣秀吉の刀狩りや戦国の終結をもって中世ヤクザのような野武士集団はここで断絶する。何よりも戦乱がなくなったことで、戦乱に寄生していた彼らも存在意義を失ったとも言える。
つまり何が言いたいかといえば、こうしたアウトロー集団は時代によって形を変え、変容していくということだ。山口組は進化すると主張したのはほかならぬ司忍組長だが、確かにこれまでの頂上決戦でも暴力団は撲滅できなかった。日本人が考えるヤクザらしいヤクザの登場は近世に入ってからであり、前回と今回の項目では、ヤクザやアウトローの源流を探ってみたが資料がなく、思った以上に大変であった。
近世に入ると、一気に中世とはガラリと変容する。貨幣経済の発展と町人パワーの勃興により、ヤクザも大きく変わり、博徒、土建屋、乞胸(見世物)、香具師等続々とヤクザとゆかりのある職業が発展していくことになる。このあたりから資料も増え、書く作業が楽になるのである。
■
[PR]
やくざの起源を推理する〜アウトローの系譜を追って
ヤクザやアウトローの起源を一体どこから求めたらいいのか。人によっては様々な意見がある。戦国時代のバサラ者とする人もいるし、江戸時代の町奴と旗本奴との対立が生み出したという仮説もある。中には、徳川家康が江戸普請を行った際、多くの口入れ稼業が必要になったことから、そこからヤクザが生まれたという説があるがいずれも推論の域は出ていない。
この推論によるヤクザ起源論は致し方がない側面がある。何しろ、ヤクザで語られるものの多くは講談による話が多く、任侠の世界を辻講釈師が話すことが江戸末期の世情の伝わり、任侠の世界こそがヤクザであるという見方もある。これに輪をかけたのが昭和盛んに放映された任侠シリーズであった。
推論に推論を重ねるというのはやむを得ないことの理由は、たとえば、木地師であれば、「木地屋文書」を残し、惟喬親王からはすべての日本の山々の7合目以上の木々は切り取り勝手という特権を得たという根拠とした。被差別部落関係で言えば、エタ頭である浅草弾左衛門も『弾左衛門由緒書』を幕府に度々提出し、自らは源頼朝より認められた特権を主張し、自らを「エタ」と称さず、「長吏」と名乗り、その支配権を主張し、非人頭である車善七への支配権を認めさせている。
ところでヤクザには、こうした由緒や文書がない。だからこそ、ヤクザ起源論を探ることはやっかいな仕事ではあるが少なくとも想像はできる。今昔物語にもアウトローめいた人物は存在する。袴垂のような盗人も当然いたが、解決できない問題を侠客に頼むことはあったであろう。つまり、都市が完成し、いさかいが起こることによって、ヤクザも存在していたと見て良いだろう。
しかし、こうしたヤクザは決して世襲制のものでもなかった。強いものが取って変わられることもあり、ヤクザ自らが正当性を訴える文書も残さなかったのであろう。そもそも論であれば、平安京や平城京のような巨大都市を建設するにあたっては、口入れ稼業は必要でもあったのだろう。つまり、奈良時代から平安時代にかけて、ヤクザの起源を求めることは容易な推論であるが、それが文書として残っていないことから、誰もそこから筆を起こさないのは当然のことでもあった。
そして同時期の地方も同様であったであろう。というのは、盗賊がいても、平安時代の貴族は平安京の盗賊は捕縛しようと関心は高かったが、地方への関心はせいぜい受領国司になって、任国から搾り取ることであっただろうが、盗賊への取締は街の自治に任せていたのが本当のところではないか。
そう考えると、地方での治安は後に執筆するが江戸の町奴のような自治的な要素が強かったのだろう。そこで登場したのは、アウトローではなかったのか。そしてこうしたアウトローは社会外の人間である。法と秩序を乱しながらも一方では、街の自治も行う要素が強い。この点については、近世から近代にかけてのヤクザ系譜を調べるとかなり、一貫しており、戦後史においても60年安保闘争までは街の治安の維持管理という一点に絞って言えば、社会から必要とされてきたことも事実なのである。
さらに推論をすれば、ヤクザの発生は恐らく、大都市と街道筋であったのだろう。というのは後世といっても近世なのだが、ヤクザの登場を詳しく書くつもりだが、いずれにしても街道筋が多かった。だからこそ、古代ヤクザの登場もそう考えている。
ここで考えてみたいのは武士団の登場である。平安時代後半から、鎌倉時代、南北朝時代を中心に室町時代までの武士の集団を指す。武士団とヤクザは非常に共通点がある。武士団には固い血脈と地脈で結ばれ、その地方を支配した。一方、ヤクザも親分との関係があり、地方の自治や治安も担当していただろう。中にはこうしたヤクザが武士団へと成長したケースがあるのではないか。ただし、多くのヤクザは武士団へと成長せず、次のヤクザ集団へとバトンタッチされたと思われる。
ヤクザの問題を語る上で重要なことはヤクザ組織が延々と続かず常に刹那的な存在であったということだ。今日のようなヤクザ組織のように議事録も残していないだろうし、明日の飯が山ほど食えれば満足であったのだろう。
これが奈良時代〜平安時代あたりにかけてのヤクザの起源であると私は考える。このあたりは資料はあまりないことから書く作業もかなり辛いのだが、おおよそ古代ヤクザの登場はこのようなものだと考えているのだがいかがであろうか。
←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
この推論によるヤクザ起源論は致し方がない側面がある。何しろ、ヤクザで語られるものの多くは講談による話が多く、任侠の世界を辻講釈師が話すことが江戸末期の世情の伝わり、任侠の世界こそがヤクザであるという見方もある。これに輪をかけたのが昭和盛んに放映された任侠シリーズであった。
推論に推論を重ねるというのはやむを得ないことの理由は、たとえば、木地師であれば、「木地屋文書」を残し、惟喬親王からはすべての日本の山々の7合目以上の木々は切り取り勝手という特権を得たという根拠とした。被差別部落関係で言えば、エタ頭である浅草弾左衛門も『弾左衛門由緒書』を幕府に度々提出し、自らは源頼朝より認められた特権を主張し、自らを「エタ」と称さず、「長吏」と名乗り、その支配権を主張し、非人頭である車善七への支配権を認めさせている。
ところでヤクザには、こうした由緒や文書がない。だからこそ、ヤクザ起源論を探ることはやっかいな仕事ではあるが少なくとも想像はできる。今昔物語にもアウトローめいた人物は存在する。袴垂のような盗人も当然いたが、解決できない問題を侠客に頼むことはあったであろう。つまり、都市が完成し、いさかいが起こることによって、ヤクザも存在していたと見て良いだろう。
しかし、こうしたヤクザは決して世襲制のものでもなかった。強いものが取って変わられることもあり、ヤクザ自らが正当性を訴える文書も残さなかったのであろう。そもそも論であれば、平安京や平城京のような巨大都市を建設するにあたっては、口入れ稼業は必要でもあったのだろう。つまり、奈良時代から平安時代にかけて、ヤクザの起源を求めることは容易な推論であるが、それが文書として残っていないことから、誰もそこから筆を起こさないのは当然のことでもあった。
そして同時期の地方も同様であったであろう。というのは、盗賊がいても、平安時代の貴族は平安京の盗賊は捕縛しようと関心は高かったが、地方への関心はせいぜい受領国司になって、任国から搾り取ることであっただろうが、盗賊への取締は街の自治に任せていたのが本当のところではないか。
そう考えると、地方での治安は後に執筆するが江戸の町奴のような自治的な要素が強かったのだろう。そこで登場したのは、アウトローではなかったのか。そしてこうしたアウトローは社会外の人間である。法と秩序を乱しながらも一方では、街の自治も行う要素が強い。この点については、近世から近代にかけてのヤクザ系譜を調べるとかなり、一貫しており、戦後史においても60年安保闘争までは街の治安の維持管理という一点に絞って言えば、社会から必要とされてきたことも事実なのである。
さらに推論をすれば、ヤクザの発生は恐らく、大都市と街道筋であったのだろう。というのは後世といっても近世なのだが、ヤクザの登場を詳しく書くつもりだが、いずれにしても街道筋が多かった。だからこそ、古代ヤクザの登場もそう考えている。
ここで考えてみたいのは武士団の登場である。平安時代後半から、鎌倉時代、南北朝時代を中心に室町時代までの武士の集団を指す。武士団とヤクザは非常に共通点がある。武士団には固い血脈と地脈で結ばれ、その地方を支配した。一方、ヤクザも親分との関係があり、地方の自治や治安も担当していただろう。中にはこうしたヤクザが武士団へと成長したケースがあるのではないか。ただし、多くのヤクザは武士団へと成長せず、次のヤクザ集団へとバトンタッチされたと思われる。
ヤクザの問題を語る上で重要なことはヤクザ組織が延々と続かず常に刹那的な存在であったということだ。今日のようなヤクザ組織のように議事録も残していないだろうし、明日の飯が山ほど食えれば満足であったのだろう。
これが奈良時代〜平安時代あたりにかけてのヤクザの起源であると私は考える。このあたりは資料はあまりないことから書く作業もかなり辛いのだが、おおよそ古代ヤクザの登場はこのようなものだと考えているのだがいかがであろうか。
■
[PR]
歴史民俗学を活用した暴力団・ヤクザ論をはじめるにあたり〜常民としてのヤクザ
名無し梵天さんより、「歴史民俗学を活用した行商人シリーズ」を執筆していた際に、「是非、ヤクザ論をやってもらいたい」という提起があった。これまでも、ヤクザ・アウトロー・暴力団については散逸的に執筆してきたが、まとめたものは書いてこなかった。ただし、以前、書いた「司忍(篠田建市)山口組6代目組長産経新聞インタビュー記事に思う(2011年10月2日付)」という記事はいまだに多くの人から読まれており、実際、暴力団関係者も読んでいるのではないかと思わせるほどである。
そこで私は、あえて暴力団・ヤクザ・アウトローの存在を常民として考えて見て、彼らがどのような行動様式で生活し、何を考え、何故、社会はこうした暴力団を生み出したか再考をしてみたい。
こんなシリーズやれば危ないのではないかという意見が嫁さんから寄せられたが、山口組組長について執筆しても特段、問題がなかったことから、ここはやはり、アウトローの系譜を自分なりにも追跡してみたかったこともあり、ヤクザがどこからきて、どこへ向かっていくのか探ってみたいという思いもある。
報道では、ヤクザについて語るときはほとんどが何らかの抗争ネタだ。ヤクザについて知るには、ヤクザ専門雑誌「実話時代」「実話時報」「実話ナックルズ」を読み、ヤクザ論について述べた専門書、さらにはヤクザライターが執筆する本を読み、できるだけその生態に迫るほかがないというのも実情である。
もし、彼らの生態を自分自身の目で確かめたいというのであれば、鈴木智彦氏のようなヤクザライターとなり、ヤクザを取材する他ない。あるいは、暴力団の部屋住みを何日か経験する方法もある。しかし、いずれにしても一般人からすれば不可能な話であり、いくら好奇心が強く、ヤクザの生態を知りたいからといって、ヤクザと友人になることも不可能であり、部屋住みを経験することも無理である。
そうした意味で、今回、ヤクザ論を行うに当たり、フィールドワークを行うことは難しいこともあり、そこに限界なりを感じる部分がある。しかし、江戸時代から平成のヤクザの系譜や変遷を探ろうとすると、ものすごく大変な作業であることが分かった。
一つのことを確認しようとすると数冊を読まなくてはならず、新たな事実がわかるとさらに、別の本も読み、確認作業を続けなければならない。ヤクザ論は決して一方に偏った論の立て方では公平性が書く事から、ここ何週間では、膨大なヤクザ関係の書籍を読んでいた。
そういうことで今、家にはところ狭しにヤクザ関係の本や資料がある。嫁さんは、いつも夢中になるとその本しか買わないよねというが、買う本がすべてヤクザ関係なのだ。実を言えば、今なお、自分の中で確固たるヤクザ論がまとまっていない。しかし、いつまでも確認作業ばかりやっていると、文章が書けないことから、見切り発車で行うこととした。
ちなみに、暴力団などのアウトローは何故発生したかといえば、司忍山口組組長の産経新聞インタビューでの発言が最も当を得ていると思う。以前の文章を再掲する。
「山口組は3万とも4万ともいえる組員が存在し、その家族を含めると50万人や60万人いるとされている。気になることは、インタビューの中で、「ほこりは風が吹けば隅に集まるのと一緒で、必ずどんな世界でも落後者というと語弊があるが、落ちこぼれ、世間になじめない人間もいる。われわれの組織はそういう人のよりどころになっている」と語っていることは興味深い。そして山口組を解散すれば今よりもうんと治安が悪くなるだろうと主張している。」
半ば脅しとも取れる発言ではあるが、いつの時代でも社会に適合しない人物は存在する。実は、司忍組長の発言だけが特別な考え方ではない。谷川康太郎(本名・康 東華)という柳川組二代目組長も同様なことを考えていた。フリージャーナリストである猪野 健治氏は、『やくざと日本人』(ちくま文庫)という名著があり、谷川語録を収録している。
在日韓国・朝鮮人であった谷川は生前このような言葉を残している。
「ヤクザは哀愁の結合体。そこにあるのは、権力、圧力、貧困におびえる姿だけ」
「ヤクザは前科とか国籍とか出身とかの経歴を一切問わない。ただ、一つの集団だ。だから、社会の底辺で差別に苦しんできた人間にとって、“組”は憩いの場となり、逃避の場となり、連帯の場となる」
「社会からはじき出され、何かをして生きねばならぬ無数の人間がいる。やがてその中からグループが生まれ、グループの核ができ、組が形成される。組ははじめからあるものではなく、つくろうとしてできるものではない」
猪野氏のやくざ研究は注目に値すべきものであり、『やくざと日本人』は古典的名著であるが、柳川組二代目の時代から少なくともヤクザ自身がこのような思考を持っていたことを紹介していることは興味深い。
司組長や谷川発言をまとめていると、時代時代において、社会に適合しない人間や底辺で苦しむ人間が存在する。そのよりどころが、アウトローであったということであるということを言いたかったのだろうと思う。別の言い方をすれば、ヤクザや無法者はいつでも存在するという厳しい現実をつきつけたとも言える。ヤクザの誕生の動機はそこにあったのだろう。
任侠とかヤクザとかアウトローとか様々な用語はあるものの、彼らのような無法者の誕生はいつであったのか、それを探っていくと、ヤクザは、決して同じような形で血脈のような連続性を持って存在したわけではない。これは推測だが、確信をもって言えることは、ヤクザ業界に厳しい義理事や盃事は、そんなに昔から存在したわけではない。近世ヤクザと近代ヤクザはとってみても明らかに断絶性を感じるし、近代と戦後ヤクザ史も明らかに異なる。
そう考えるとヤクザは時代とともに、その形態を変化し、場合によっては進化していくことが分かる。この「シリーズ・ヤクザ論」では、日本のアウトローの源流から現代までに至るまでの系譜とその生態を探っていくことに目的としてあるが、率直に言えば今までで一番難しいシリーズものである。
私はだいたい執筆した時にシリーズの着地点を見つけているが、この「シリーズ・ヤクザ論」ではいまだに見つかっていない。どういう完結を目指すか書いている私にもわからないのだ。
ハイビスカス

←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
そこで私は、あえて暴力団・ヤクザ・アウトローの存在を常民として考えて見て、彼らがどのような行動様式で生活し、何を考え、何故、社会はこうした暴力団を生み出したか再考をしてみたい。
こんなシリーズやれば危ないのではないかという意見が嫁さんから寄せられたが、山口組組長について執筆しても特段、問題がなかったことから、ここはやはり、アウトローの系譜を自分なりにも追跡してみたかったこともあり、ヤクザがどこからきて、どこへ向かっていくのか探ってみたいという思いもある。
報道では、ヤクザについて語るときはほとんどが何らかの抗争ネタだ。ヤクザについて知るには、ヤクザ専門雑誌「実話時代」「実話時報」「実話ナックルズ」を読み、ヤクザ論について述べた専門書、さらにはヤクザライターが執筆する本を読み、できるだけその生態に迫るほかがないというのも実情である。
もし、彼らの生態を自分自身の目で確かめたいというのであれば、鈴木智彦氏のようなヤクザライターとなり、ヤクザを取材する他ない。あるいは、暴力団の部屋住みを何日か経験する方法もある。しかし、いずれにしても一般人からすれば不可能な話であり、いくら好奇心が強く、ヤクザの生態を知りたいからといって、ヤクザと友人になることも不可能であり、部屋住みを経験することも無理である。
そうした意味で、今回、ヤクザ論を行うに当たり、フィールドワークを行うことは難しいこともあり、そこに限界なりを感じる部分がある。しかし、江戸時代から平成のヤクザの系譜や変遷を探ろうとすると、ものすごく大変な作業であることが分かった。
一つのことを確認しようとすると数冊を読まなくてはならず、新たな事実がわかるとさらに、別の本も読み、確認作業を続けなければならない。ヤクザ論は決して一方に偏った論の立て方では公平性が書く事から、ここ何週間では、膨大なヤクザ関係の書籍を読んでいた。
そういうことで今、家にはところ狭しにヤクザ関係の本や資料がある。嫁さんは、いつも夢中になるとその本しか買わないよねというが、買う本がすべてヤクザ関係なのだ。実を言えば、今なお、自分の中で確固たるヤクザ論がまとまっていない。しかし、いつまでも確認作業ばかりやっていると、文章が書けないことから、見切り発車で行うこととした。
ちなみに、暴力団などのアウトローは何故発生したかといえば、司忍山口組組長の産経新聞インタビューでの発言が最も当を得ていると思う。以前の文章を再掲する。
「山口組は3万とも4万ともいえる組員が存在し、その家族を含めると50万人や60万人いるとされている。気になることは、インタビューの中で、「ほこりは風が吹けば隅に集まるのと一緒で、必ずどんな世界でも落後者というと語弊があるが、落ちこぼれ、世間になじめない人間もいる。われわれの組織はそういう人のよりどころになっている」と語っていることは興味深い。そして山口組を解散すれば今よりもうんと治安が悪くなるだろうと主張している。」
半ば脅しとも取れる発言ではあるが、いつの時代でも社会に適合しない人物は存在する。実は、司忍組長の発言だけが特別な考え方ではない。谷川康太郎(本名・康 東華)という柳川組二代目組長も同様なことを考えていた。フリージャーナリストである猪野 健治氏は、『やくざと日本人』(ちくま文庫)という名著があり、谷川語録を収録している。
在日韓国・朝鮮人であった谷川は生前このような言葉を残している。
「ヤクザは哀愁の結合体。そこにあるのは、権力、圧力、貧困におびえる姿だけ」
「ヤクザは前科とか国籍とか出身とかの経歴を一切問わない。ただ、一つの集団だ。だから、社会の底辺で差別に苦しんできた人間にとって、“組”は憩いの場となり、逃避の場となり、連帯の場となる」
「社会からはじき出され、何かをして生きねばならぬ無数の人間がいる。やがてその中からグループが生まれ、グループの核ができ、組が形成される。組ははじめからあるものではなく、つくろうとしてできるものではない」
猪野氏のやくざ研究は注目に値すべきものであり、『やくざと日本人』は古典的名著であるが、柳川組二代目の時代から少なくともヤクザ自身がこのような思考を持っていたことを紹介していることは興味深い。
司組長や谷川発言をまとめていると、時代時代において、社会に適合しない人間や底辺で苦しむ人間が存在する。そのよりどころが、アウトローであったということであるということを言いたかったのだろうと思う。別の言い方をすれば、ヤクザや無法者はいつでも存在するという厳しい現実をつきつけたとも言える。ヤクザの誕生の動機はそこにあったのだろう。
任侠とかヤクザとかアウトローとか様々な用語はあるものの、彼らのような無法者の誕生はいつであったのか、それを探っていくと、ヤクザは、決して同じような形で血脈のような連続性を持って存在したわけではない。これは推測だが、確信をもって言えることは、ヤクザ業界に厳しい義理事や盃事は、そんなに昔から存在したわけではない。近世ヤクザと近代ヤクザはとってみても明らかに断絶性を感じるし、近代と戦後ヤクザ史も明らかに異なる。
そう考えるとヤクザは時代とともに、その形態を変化し、場合によっては進化していくことが分かる。この「シリーズ・ヤクザ論」では、日本のアウトローの源流から現代までに至るまでの系譜とその生態を探っていくことに目的としてあるが、率直に言えば今までで一番難しいシリーズものである。
私はだいたい執筆した時にシリーズの着地点を見つけているが、この「シリーズ・ヤクザ論」ではいまだに見つかっていない。どういう完結を目指すか書いている私にもわからないのだ。
ハイビスカス
■
[PR]
急速に浮上した沖縄(琉球)独立論〜しかし実態は独立賛成派は10%もいない
衆院沖縄2区選出の社民党の照屋寛徳(てるや・かんとく)国対委員長が自身のブログで『沖縄、ついにヤマトから独立へ』と題した文書を公表した。照屋氏は、研究学会の設立を伝える4月1日の地元メディアの報道に対して、同日付のブログで「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ(沖縄出身者)は日本国民として扱われていない」との認識を表明。沖縄の本土復帰から41年を迎える15日、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立された。
また、中国共産党機関紙の人民日報が「琉球問題は未解決」と 主張する論文を掲載し、中国に沖縄の領有権があるとの立場を示唆した。
「行商人シリーズ」のため、一連の中国韓国関係の記事は遅れて申し訳ないが、私は独立は不可能であると考えている。ただし、沖縄人という琉球人というか一定数、独立賛成派がいることは正しい。
沖縄では独立論が交わされても居酒屋議論にとどまり、別名、居酒屋保守にたとえ、居酒屋独立論と言われている。それと沖縄では様々な貿易で発展し、善隣外交を行った歴史的経緯もあり、その善隣外交が琉球王国を栄えさせた時代もあり、その時代に対する郷愁もあるのだろう。
では沖縄独立論について真剣に議論されているかといえばそうではない。前に「シリーズ沖縄」で書いたように、琉球新報が毎年、発表している沖縄人のアンケートがある。今年のアンケートでは、今後の日本における沖縄の立場(状況)について「現行通り日本の一地域(県)」が61・8%、「特別区(自治州など)」が15・3%、「独立」が4・7%。ウチナーンチュや沖縄文化への「誇り」は10年前、5年前と同様、依然高く約9割を占めた。
沖縄で独立を訴えている政党としては、「かりゆしクラブ」のみで地方議員も存在していない泡沫政党である。ハッキリ言うとネタ政党である。もし、実現可能であれば将来本格的に議論されるかも知れない「沖縄州」かも知れないが、それが独立に結びつくとは思えない。
日本人が本気で沖縄県民が独立を検討していると考えればそれはかなりミスリードした議論となる。実際、独立賛成論は4.7%というのはかなり実態に即したデータであろう。この一年間だけではなく、琉球新報のアンケートでは似たような結果になる。政治的なアンケートを除けば実態はこのようなものであると言える。
東京や沖縄の報道を見るとまるで明日にでも沖縄県民の総意として独立論が喧伝されているイメージがあるが、実態とはかけ離れているのが現状だ。ただし基地問題については複雑であり、琉球新報でのアンケート調査でも、「沖縄の米軍基地は「縮小」「撤去」を望むのが65・9%を占めた」とあるように沖縄にとって基地問題は重い課題となっているのが実情だ。そうかといって沖縄県民が日本国民を嫌っているというのも早計で、沖縄経済の本土との依存度も強く、また出稼ぎも多いことから、本土と沖縄の結びつきは年々強くなっているのが実情だ。
問題はネットで見られるように、本土の人間が沖縄人を一段軽く見ては非常にまずい。実際、以前、書いたように、京浜工業地帯や阪神工業地帯を建設するにあたっては、沖縄の人々の力なくしては難しかったことをよく知るべきであるし、昔は言葉がなまっていると小馬鹿に傾向にあったが、そのようなことがないような接し方が我々には必要なのだろう。
そして何よりも沖縄人は、実を言えば中国を嫌っている。昔のような善隣外交には戻れないこともよく知っている。歴史的に関係が深い中国について沖縄県が去年初めて行った県民の意識調査で、中国に「よくない」印象を持っている人が9割にのぼっている。この調査は最近、沖縄県が県民の中国に対する意識調査を行ったもので、何故悪いという結果が出たかといえば、漁業関係などで最も中国から被害を受けているのはほかならぬ沖縄だからである。
さらに、中国とアメリカでどちらに親近感を覚えるか聞いたところ、「中国」が4.2%、「アメリカ」が53.9%、「どちらにも感じる」が9.2%「どちらにも感じない」が25.8%となっている。
ただ、今回衝撃的であったのは、人民日報の報道と歩調を合わせて社民党の代議士・沖縄二区の照屋寛徳衆議院が独立論のアドバルーンをあげたことである。照屋議員は、やや変わり者だが、昔の革新県政や革新系の流れで、実は共産党も民主党もここでは候補を立てず、革新統一候補の最後の砦である。
人民日報傘下の国際情報紙・環球時報が5月11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案し、国際問題に発展していたが、照屋の行動は中国共産党に歩調を合わせるものだった。恐らく、タイミング的には、社民党と中国の関係が深いことから、それなりに中国の意向を組んでのことだろう。ただし、沖縄県民からは「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっているが、以上のアンケートから見ても当然のことである。
←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
また、中国共産党機関紙の人民日報が「琉球問題は未解決」と 主張する論文を掲載し、中国に沖縄の領有権があるとの立場を示唆した。
「行商人シリーズ」のため、一連の中国韓国関係の記事は遅れて申し訳ないが、私は独立は不可能であると考えている。ただし、沖縄人という琉球人というか一定数、独立賛成派がいることは正しい。
沖縄では独立論が交わされても居酒屋議論にとどまり、別名、居酒屋保守にたとえ、居酒屋独立論と言われている。それと沖縄では様々な貿易で発展し、善隣外交を行った歴史的経緯もあり、その善隣外交が琉球王国を栄えさせた時代もあり、その時代に対する郷愁もあるのだろう。
では沖縄独立論について真剣に議論されているかといえばそうではない。前に「シリーズ沖縄」で書いたように、琉球新報が毎年、発表している沖縄人のアンケートがある。今年のアンケートでは、今後の日本における沖縄の立場(状況)について「現行通り日本の一地域(県)」が61・8%、「特別区(自治州など)」が15・3%、「独立」が4・7%。ウチナーンチュや沖縄文化への「誇り」は10年前、5年前と同様、依然高く約9割を占めた。
沖縄で独立を訴えている政党としては、「かりゆしクラブ」のみで地方議員も存在していない泡沫政党である。ハッキリ言うとネタ政党である。もし、実現可能であれば将来本格的に議論されるかも知れない「沖縄州」かも知れないが、それが独立に結びつくとは思えない。
日本人が本気で沖縄県民が独立を検討していると考えればそれはかなりミスリードした議論となる。実際、独立賛成論は4.7%というのはかなり実態に即したデータであろう。この一年間だけではなく、琉球新報のアンケートでは似たような結果になる。政治的なアンケートを除けば実態はこのようなものであると言える。
東京や沖縄の報道を見るとまるで明日にでも沖縄県民の総意として独立論が喧伝されているイメージがあるが、実態とはかけ離れているのが現状だ。ただし基地問題については複雑であり、琉球新報でのアンケート調査でも、「沖縄の米軍基地は「縮小」「撤去」を望むのが65・9%を占めた」とあるように沖縄にとって基地問題は重い課題となっているのが実情だ。そうかといって沖縄県民が日本国民を嫌っているというのも早計で、沖縄経済の本土との依存度も強く、また出稼ぎも多いことから、本土と沖縄の結びつきは年々強くなっているのが実情だ。
問題はネットで見られるように、本土の人間が沖縄人を一段軽く見ては非常にまずい。実際、以前、書いたように、京浜工業地帯や阪神工業地帯を建設するにあたっては、沖縄の人々の力なくしては難しかったことをよく知るべきであるし、昔は言葉がなまっていると小馬鹿に傾向にあったが、そのようなことがないような接し方が我々には必要なのだろう。
そして何よりも沖縄人は、実を言えば中国を嫌っている。昔のような善隣外交には戻れないこともよく知っている。歴史的に関係が深い中国について沖縄県が去年初めて行った県民の意識調査で、中国に「よくない」印象を持っている人が9割にのぼっている。この調査は最近、沖縄県が県民の中国に対する意識調査を行ったもので、何故悪いという結果が出たかといえば、漁業関係などで最も中国から被害を受けているのはほかならぬ沖縄だからである。
さらに、中国とアメリカでどちらに親近感を覚えるか聞いたところ、「中国」が4.2%、「アメリカ」が53.9%、「どちらにも感じる」が9.2%「どちらにも感じない」が25.8%となっている。
ただ、今回衝撃的であったのは、人民日報の報道と歩調を合わせて社民党の代議士・沖縄二区の照屋寛徳衆議院が独立論のアドバルーンをあげたことである。照屋議員は、やや変わり者だが、昔の革新県政や革新系の流れで、実は共産党も民主党もここでは候補を立てず、革新統一候補の最後の砦である。
人民日報傘下の国際情報紙・環球時報が5月11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」などと中国政府に提案し、国際問題に発展していたが、照屋の行動は中国共産党に歩調を合わせるものだった。恐らく、タイミング的には、社民党と中国の関係が深いことから、それなりに中国の意向を組んでのことだろう。ただし、沖縄県民からは「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声があがっているが、以上のアンケートから見ても当然のことである。
■
[PR]
元慰安婦の証言の変遷を探る~身世打鈴こそがキーワード
私としては、歴史学というのは客観性を持つべき学問であり、日本やあるいは韓国のいずれかが有利になるべき学問ではあってはならないと思う。淡々と学びその中で事実や真実はどこにあったのかを探っていくことが肝要である。
そういう中で元慰安婦の証言を探っていくと困ったことにコロコロ内容が変わっている。こういう証言では少なくとも史学の人間の側からすれば使い物にならないというのが本音である。考えてみて欲しいのは、民俗学や歴史学ではフィールドワークは重要なファクターであるのだが、ある重要なカギを握る証言者の話す内容が変遷していけば、その証言者の信ぴょう性というものが全くないか相当薄れているというのがまっとうな史学を学ぶ人間のありようであり、それでも元慰安婦の証言を信じるというのであれば、それは史学という学問ではもはやありえず、慰安婦という宗教学や心理学の範疇に属するというのが本当のところではないだろうか。
だから、私は慰安婦問題を扱うことは宗教的か心理的な考え方は避けて通れないと思う。しかしながら、旧日本軍が完全に正義であり、皇軍のように礼節に富み、各国からおおいに歓迎されたというのも一面的な考え方であり、部隊によっては略奪や暴力が何よりも楽しみであったとする旧軍の証言者も数多くあり、軍隊には様々な裏面史が存在する。
それでも韓国の慰安婦たちの証言を私が「使い物にならない」と切って捨てる理由は、証言の内容に真摯さがないからである。元慰安婦たちの証言が何故、変遷していったのかは史学の範疇ではなく、心理学や宗教学の問題であると思う。
そして彼女たちの当初の発言が何故、変わっていったのかを考えると韓国の老人問題に突き当たる。率直に言うが、韓国の老人はかなり淋しい人生を送っている。相手にしてくれない老人も多く、また自分の親族が金銭面で面倒を見るかといえばそれも経済的に困窮している若者にとっては難しく、かなり狭い家に住んでいる。だから、韓国の公園に行くと所在無さげな老人が多いのはそのためである。
そして私は元慰安婦であると名乗り出ている彼女たちの多くは身寄りがない。そして名のり出ると韓国では英雄にされる。講演にも引っ張りだこである。そして講演の内容が変遷する理由は、聞き手の反応とリンクすることが多い。
韓国人の聞き手が求めているのは、旧日本軍や日帝がいかに悪辣で悪い奴らだったというストーリーである。私は日本の朝鮮統治についてはそれでも悪いものではなく、良かった面も悪かった面もある。しかし、良かった面を語っても韓国人は喜ばないのである。だからこそ自分の人生が悲惨で悪い日本人によって人生が狂わされたかを語ることによって韓国人の涙を誘う。悲しい身の上話を語る言葉として、朝鮮語では、シンセタリョン(身世打鈴)という言葉がある。
朝鮮人や韓国人はとても身の上話が好きである。サクセスストーリーを語る上でも自分がいかに苦労してこうして成功したかについて延々と語る。慰安婦問題で重要なfactorを考えるとまさに、この身世打鈴なくしては語れないのである。
逆に苦労話で自分の人生が苦労の連続だったと語る人も多い。この苦労した人生について成功することがなかったことから、いつまでも「恨」が解けないとも言う。実を言えば、嘘をイデオロギーがなければ、韓国人の身世打鈴の話を聞くことは実に貴重な経験であると思う。日本人も聞いて損はない。話し好きの在日韓国・朝鮮人の知り合いがいれば是非、聞いてみると学ぶところもあるだろう。
だからこそ、彼女たちもサービス精神が旺盛に有り、悪辣な旧日本軍について語りだすと韓国人としては自分たちが聞きたかった物語であることから、同意もするし、身世打鈴の内容について感動もする。慰安婦の証言は聞き手が感動する話はだんだん講演する度にわかってくる。そこで、嘘もチョイスする。その証言がまた好評を博す。その繰り返しをしていくことによって証言が大幅に変わってくる。
だから慰安婦の老婆たちが紡ぎ出す物語は、韓国人が聞きたかったストーリーを具現化してくれる貴重な存在である。だからこそ彼女たちは英雄として遇され、ますます彼女たちは韓国人の望むストーリーを語っていくのである。慰安婦たちの証言が例外なく大きく変遷していく理由はこうしたところにあると考えるのが自然であると思う。
←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
そういう中で元慰安婦の証言を探っていくと困ったことにコロコロ内容が変わっている。こういう証言では少なくとも史学の人間の側からすれば使い物にならないというのが本音である。考えてみて欲しいのは、民俗学や歴史学ではフィールドワークは重要なファクターであるのだが、ある重要なカギを握る証言者の話す内容が変遷していけば、その証言者の信ぴょう性というものが全くないか相当薄れているというのがまっとうな史学を学ぶ人間のありようであり、それでも元慰安婦の証言を信じるというのであれば、それは史学という学問ではもはやありえず、慰安婦という宗教学や心理学の範疇に属するというのが本当のところではないだろうか。
だから、私は慰安婦問題を扱うことは宗教的か心理的な考え方は避けて通れないと思う。しかしながら、旧日本軍が完全に正義であり、皇軍のように礼節に富み、各国からおおいに歓迎されたというのも一面的な考え方であり、部隊によっては略奪や暴力が何よりも楽しみであったとする旧軍の証言者も数多くあり、軍隊には様々な裏面史が存在する。
それでも韓国の慰安婦たちの証言を私が「使い物にならない」と切って捨てる理由は、証言の内容に真摯さがないからである。元慰安婦たちの証言が何故、変遷していったのかは史学の範疇ではなく、心理学や宗教学の問題であると思う。
そして彼女たちの当初の発言が何故、変わっていったのかを考えると韓国の老人問題に突き当たる。率直に言うが、韓国の老人はかなり淋しい人生を送っている。相手にしてくれない老人も多く、また自分の親族が金銭面で面倒を見るかといえばそれも経済的に困窮している若者にとっては難しく、かなり狭い家に住んでいる。だから、韓国の公園に行くと所在無さげな老人が多いのはそのためである。
そして私は元慰安婦であると名乗り出ている彼女たちの多くは身寄りがない。そして名のり出ると韓国では英雄にされる。講演にも引っ張りだこである。そして講演の内容が変遷する理由は、聞き手の反応とリンクすることが多い。
韓国人の聞き手が求めているのは、旧日本軍や日帝がいかに悪辣で悪い奴らだったというストーリーである。私は日本の朝鮮統治についてはそれでも悪いものではなく、良かった面も悪かった面もある。しかし、良かった面を語っても韓国人は喜ばないのである。だからこそ自分の人生が悲惨で悪い日本人によって人生が狂わされたかを語ることによって韓国人の涙を誘う。悲しい身の上話を語る言葉として、朝鮮語では、シンセタリョン(身世打鈴)という言葉がある。
朝鮮人や韓国人はとても身の上話が好きである。サクセスストーリーを語る上でも自分がいかに苦労してこうして成功したかについて延々と語る。慰安婦問題で重要なfactorを考えるとまさに、この身世打鈴なくしては語れないのである。
逆に苦労話で自分の人生が苦労の連続だったと語る人も多い。この苦労した人生について成功することがなかったことから、いつまでも「恨」が解けないとも言う。実を言えば、嘘をイデオロギーがなければ、韓国人の身世打鈴の話を聞くことは実に貴重な経験であると思う。日本人も聞いて損はない。話し好きの在日韓国・朝鮮人の知り合いがいれば是非、聞いてみると学ぶところもあるだろう。
だからこそ、彼女たちもサービス精神が旺盛に有り、悪辣な旧日本軍について語りだすと韓国人としては自分たちが聞きたかった物語であることから、同意もするし、身世打鈴の内容について感動もする。慰安婦の証言は聞き手が感動する話はだんだん講演する度にわかってくる。そこで、嘘もチョイスする。その証言がまた好評を博す。その繰り返しをしていくことによって証言が大幅に変わってくる。
だから慰安婦の老婆たちが紡ぎ出す物語は、韓国人が聞きたかったストーリーを具現化してくれる貴重な存在である。だからこそ彼女たちは英雄として遇され、ますます彼女たちは韓国人の望むストーリーを語っていくのである。慰安婦たちの証言が例外なく大きく変遷していく理由はこうしたところにあると考えるのが自然であると思う。
■
[PR]
拉致問題が前進あれば、安倍晋三首相と金正恩第一書記とのトップ会談も
北朝鮮問題において、現在のところ、核にしても拉致にしても解決する方法は見当たらないというのが現状である。そうした中で降って湧いたような、飯島勲内閣参与の訪朝である。金永南最高人民会議常任委員会委員長で実質、党の序列ではナンバー2である。
日本としては、平壌宣言の履行と拉致問題の解決などに重点を置いた解決策を提起したようであるが、当の飯島参与がどのような取材でも応じることはないと明言していることから、ほとんどのことについては推測するしかない。
飯島参与の訪朝について北朝鮮は、金永南委員長を出したことで理解できるのは、日本に対して重要な国であるというメッセージである。これは理解はできる。
一方の韓国側だが、菅義偉官房長官は16日午後の記者会見で、飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問に関し、韓国政府が日本側に「日米韓の協調にプラスにならない」との懸念を伝えたとの韓国外務省報道官の説明について「言っている意味がよく分からない」と不快感を示した。
アメリカは、訪日中のグリン・デービース米政府特別代表(北朝鮮担当)は18日、「北朝鮮が我々を分断するため、挑発から対話に戦略転換することは予測していた」と述べ、飯島勲内閣官房参与の訪朝で、北朝鮮が日米韓の連携に亀裂を入れようとしたとの見方を示した。
中国は、中国外務省の洪磊(こう・らい)報道官は16日の定例記者会見で、飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問について、「(北朝鮮との)接触が現在の朝鮮半島の緊張した情勢の緩和や、地域の平和と安定の維持に役立つことを希望する」と述べた。
日本側としては、少なくとも拉致問題に何らかの前進がなければ交渉する必要性がないし、実際、北朝鮮からはリアクションは欲しいところである。逆に、日本側にも当然何らかのお土産も要求したことも想像できる。巷間言われていることは、朝鮮総連の本部の維持と言われている。
仮に、日本が朝鮮総連の維持に手を貸した場合、それなりのお土産があるかどうかである。現在のところ、全く不透明である。 しかし、交渉すること自体悪いことではないと思う。私は交渉には賛成である。
それにしても今回一番役に立たなかったのは韓国である。韓国は日本よりも拉致被害者を抱え、本来であれば日韓が連携して拉致問題解決に前進すべきであるが、朴クネ政権は、逆に、「日中韓」の枠組みではなく、「米中韓」の枠組みで北朝鮮問題を解決したいと表明している。韓国があてにならないことが分かったことから、日本としては独自外交をしても不思議ではないが、韓国は不都合があると、「日米韓」の枠組みをいうものであるからこそ、菅官房長官が「言っていることがよくわからない」とコメントしたのも自然の道理でもあるのだろう。
しかも、不可思議であるのは、キング北朝鮮人権問題特使は19日、同日に予定していた韓国訪問を急きょ取りやめた。複数の外交筋が伝えた。取りやめの理由は明らかにしていないという。キング特使は同日から23日まで滞在期間中、林聖男(イム・ソンナム)外交部朝鮮半島平和交渉本部長ら韓国政府関係者と会談し、北朝鮮の人権問題や政策をテーマに開かれる会議に出席する予定だった。
そしてキング特使が日本に訪問するというニュースも飛び込んできた。米国務省は17日、キング北朝鮮人権担当特使が24日に訪日すると発表した。古屋圭司拉致問題担当相や外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長らと会談し、北朝鮮の人権状況などについて意見交換する。
アメリカは事前に通告を聞いてとコメントしていたが、これは明らかに嘘だろう。そして北朝鮮訪問の際に、中国を通過しなくてはならないから、日本側も中国に通告したのだろう。教えていないのは韓国だけなのだろう。
韓国側が米中と連携して、日本外しを行おうとした行動を移したが、日本側がいつの間にか飯島訪朝をという大技組んで逆に、今、米中の関心は飯島情報に移り、韓国の日本外しは失敗したと見るべきだろう。
もしもの話だが、北朝鮮が拉致問題に真剣の取り組み、拉致被害者返還に動き出した場合、安倍晋三総理と金正恩第一書記との首脳会談もありうる。実際、安倍総理は、拉致問題などの懸案が解決されるのであれば、その可能性について言及している。
本来、北朝鮮の問題は韓国が当事者である。その当事者である韓国が解決能力はないし、今の朴クネ政権は日本も巻き込んで解決のステージを行うべきだが、意図的に日本外しをやった結果、今日の状態を招いている。開城工業団地撤退にしても韓国の現政権は無策である。
日朝関係は新たなステージに入ったのかもしれない。
紫陽花


←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
日本としては、平壌宣言の履行と拉致問題の解決などに重点を置いた解決策を提起したようであるが、当の飯島参与がどのような取材でも応じることはないと明言していることから、ほとんどのことについては推測するしかない。
飯島参与の訪朝について北朝鮮は、金永南委員長を出したことで理解できるのは、日本に対して重要な国であるというメッセージである。これは理解はできる。
一方の韓国側だが、菅義偉官房長官は16日午後の記者会見で、飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問に関し、韓国政府が日本側に「日米韓の協調にプラスにならない」との懸念を伝えたとの韓国外務省報道官の説明について「言っている意味がよく分からない」と不快感を示した。
アメリカは、訪日中のグリン・デービース米政府特別代表(北朝鮮担当)は18日、「北朝鮮が我々を分断するため、挑発から対話に戦略転換することは予測していた」と述べ、飯島勲内閣官房参与の訪朝で、北朝鮮が日米韓の連携に亀裂を入れようとしたとの見方を示した。
中国は、中国外務省の洪磊(こう・らい)報道官は16日の定例記者会見で、飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問について、「(北朝鮮との)接触が現在の朝鮮半島の緊張した情勢の緩和や、地域の平和と安定の維持に役立つことを希望する」と述べた。
日本側としては、少なくとも拉致問題に何らかの前進がなければ交渉する必要性がないし、実際、北朝鮮からはリアクションは欲しいところである。逆に、日本側にも当然何らかのお土産も要求したことも想像できる。巷間言われていることは、朝鮮総連の本部の維持と言われている。
仮に、日本が朝鮮総連の維持に手を貸した場合、それなりのお土産があるかどうかである。現在のところ、全く不透明である。 しかし、交渉すること自体悪いことではないと思う。私は交渉には賛成である。
それにしても今回一番役に立たなかったのは韓国である。韓国は日本よりも拉致被害者を抱え、本来であれば日韓が連携して拉致問題解決に前進すべきであるが、朴クネ政権は、逆に、「日中韓」の枠組みではなく、「米中韓」の枠組みで北朝鮮問題を解決したいと表明している。韓国があてにならないことが分かったことから、日本としては独自外交をしても不思議ではないが、韓国は不都合があると、「日米韓」の枠組みをいうものであるからこそ、菅官房長官が「言っていることがよくわからない」とコメントしたのも自然の道理でもあるのだろう。
しかも、不可思議であるのは、キング北朝鮮人権問題特使は19日、同日に予定していた韓国訪問を急きょ取りやめた。複数の外交筋が伝えた。取りやめの理由は明らかにしていないという。キング特使は同日から23日まで滞在期間中、林聖男(イム・ソンナム)外交部朝鮮半島平和交渉本部長ら韓国政府関係者と会談し、北朝鮮の人権問題や政策をテーマに開かれる会議に出席する予定だった。
そしてキング特使が日本に訪問するというニュースも飛び込んできた。米国務省は17日、キング北朝鮮人権担当特使が24日に訪日すると発表した。古屋圭司拉致問題担当相や外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長らと会談し、北朝鮮の人権状況などについて意見交換する。
アメリカは事前に通告を聞いてとコメントしていたが、これは明らかに嘘だろう。そして北朝鮮訪問の際に、中国を通過しなくてはならないから、日本側も中国に通告したのだろう。教えていないのは韓国だけなのだろう。
韓国側が米中と連携して、日本外しを行おうとした行動を移したが、日本側がいつの間にか飯島訪朝をという大技組んで逆に、今、米中の関心は飯島情報に移り、韓国の日本外しは失敗したと見るべきだろう。
もしもの話だが、北朝鮮が拉致問題に真剣の取り組み、拉致被害者返還に動き出した場合、安倍晋三総理と金正恩第一書記との首脳会談もありうる。実際、安倍総理は、拉致問題などの懸案が解決されるのであれば、その可能性について言及している。
本来、北朝鮮の問題は韓国が当事者である。その当事者である韓国が解決能力はないし、今の朴クネ政権は日本も巻き込んで解決のステージを行うべきだが、意図的に日本外しをやった結果、今日の状態を招いている。開城工業団地撤退にしても韓国の現政権は無策である。
日朝関係は新たなステージに入ったのかもしれない。
紫陽花
■
[PR]
京成電鉄「行商人専用車両廃止」、山形県庄内地方の行商女性「アバ」が消滅危機
時の流れは本当に止められないと思う。百代過客を思うが、日本を支えた行商する女性たちが次々と現役を去るニュースが流れている。一抹のさみしさを感じるが、これも致し方がないことであろう。一言で言えば、これも「ご時世」なのだろう。
まずは、京成電鉄の話だが、京成電鉄の「行商専用車両」は3月末をもって完全に終了した。前述したが、京成電鉄の「行商専用車両」は別名、「なっぱ電車」とか「なっぱ車両」と呼ばれ、戦後の混乱期では、東京や都会に野菜を供給するための車両であった。
辞めた理由は明らかだ。「行商人」が高齢化のため、年々利用者数が少なかったからだ。 千葉で獲れた新鮮な農産物を、都心の得意客に届ける「行商」に向かう人々のための車両で、1935(昭和10)年に始まった。1メートルをゆうに超える高さの荷物を背負う行商の人々がスムーズに乗り降りできるよう、他の乗客は別の車両に乗るように案内されていた。
京成電鉄は、廃止の理由について「最近は多くても1日20人程度にとどまっていた」「該当するお客様が減少したため」とコメントしている。
そしてもう一方は、リヤカーを引いて魚などを売り歩く山形県庄内地方の行商女性「アバ」が、消滅の危機に立たされている。読売新聞では、アバが商売の拠点としてきた「田川地方行商協同組合」(鶴岡市末広町)が、3月31日付で解散したためだ。昔ながらの行商を最後まで続けてきた6人のうち、大半は解散を機に、商売をたたむ。時代の変化の波にさらされ、庄内を代表する日常風景が、また一つ消えようとしていると報じられている。
「アバ」とは、庄内弁で「母親」の意味。行商する女性は「浜のアバ」と呼ばれ、庄内地方を題材にした文学作品にもたびたび登場する。芥川賞作家・森敦の「鳥海山」では、酒田駅からの発車が遅れた列車の車内で、家に帰ろうとしていたアバが車掌と会話する場面があり、鶴岡市出身の直木賞作家・藤沢周平の作品にも、アバとみられる行商の姿が描かれている。
同組合は1956年に設立された。最盛期には800人以上の組合員を抱え、物流網が不十分だった戦後間もない時代から、庄内地方の食卓を支えてきたが、スーパーマーケットの出店や流通の発達とともに、次第に衰退。数年前からは、アバの高齢化などを背景に組合存続の是非が検討されるようになり、2012年度末で解散することが昨年5月、決定した。
アバたちにとって、組合は商売道具のリヤカーを借り受け、得意先へ届ける新鮮な海産物を仕入れる商売上の拠点だ。組合では、最後まで残った6人のうち、3人の廃業を把握している。その一人、五十嵐さんは、「体力には自信があるし、続けたい気持ちは強いが、組合がなくなるなら、辞めるしかない」と話す。
これまでいろいろな情報をもとに、日本・中国・韓国・在日の行商人たちの姿を追い、「シリーズ行商人」の特集を続けてきた。実は、こうした特集は本ブログの中でもほとんど読まれないことが多い。「シリーズ公共事業」「シリーズ外国人研修生・実習生」にしても全く読まれていない。
では何故、こうした「シリーズモノ」をやるかといえば、日本が修正すべきことや、日本文化の中に哀愁を感じることが多い。とりわけ、行商人が次々と消え去っていくニュースに触れるに及び、一度は書き残しておいておきたいという思いがあるからだ。
そして私は「つげ義春」さんの漫画が好きだが、彼の漫画には哀愁を帯びた行商人や商人宿が登場する。だから一度はこうしたテーマをもとにして書いておきたかった。特に、上記の京成電車で、「行商人車両廃止」「行商女性「アバ」が消滅危機」のニュースを見て、早いうちに書きたかった。何はともあれ、今まで日本を支えてくれた行商人の人々には、「本当にありがとう」という気持ちを持って、同時に「お疲れ様でした」というねぎらいの言葉を投げかけておきたい。それがこの「シリーズ行商人」の執筆の動機に繋がったのだ。
←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
まずは、京成電鉄の話だが、京成電鉄の「行商専用車両」は3月末をもって完全に終了した。前述したが、京成電鉄の「行商専用車両」は別名、「なっぱ電車」とか「なっぱ車両」と呼ばれ、戦後の混乱期では、東京や都会に野菜を供給するための車両であった。
辞めた理由は明らかだ。「行商人」が高齢化のため、年々利用者数が少なかったからだ。 千葉で獲れた新鮮な農産物を、都心の得意客に届ける「行商」に向かう人々のための車両で、1935(昭和10)年に始まった。1メートルをゆうに超える高さの荷物を背負う行商の人々がスムーズに乗り降りできるよう、他の乗客は別の車両に乗るように案内されていた。
京成電鉄は、廃止の理由について「最近は多くても1日20人程度にとどまっていた」「該当するお客様が減少したため」とコメントしている。
そしてもう一方は、リヤカーを引いて魚などを売り歩く山形県庄内地方の行商女性「アバ」が、消滅の危機に立たされている。読売新聞では、アバが商売の拠点としてきた「田川地方行商協同組合」(鶴岡市末広町)が、3月31日付で解散したためだ。昔ながらの行商を最後まで続けてきた6人のうち、大半は解散を機に、商売をたたむ。時代の変化の波にさらされ、庄内を代表する日常風景が、また一つ消えようとしていると報じられている。
「アバ」とは、庄内弁で「母親」の意味。行商する女性は「浜のアバ」と呼ばれ、庄内地方を題材にした文学作品にもたびたび登場する。芥川賞作家・森敦の「鳥海山」では、酒田駅からの発車が遅れた列車の車内で、家に帰ろうとしていたアバが車掌と会話する場面があり、鶴岡市出身の直木賞作家・藤沢周平の作品にも、アバとみられる行商の姿が描かれている。
同組合は1956年に設立された。最盛期には800人以上の組合員を抱え、物流網が不十分だった戦後間もない時代から、庄内地方の食卓を支えてきたが、スーパーマーケットの出店や流通の発達とともに、次第に衰退。数年前からは、アバの高齢化などを背景に組合存続の是非が検討されるようになり、2012年度末で解散することが昨年5月、決定した。
アバたちにとって、組合は商売道具のリヤカーを借り受け、得意先へ届ける新鮮な海産物を仕入れる商売上の拠点だ。組合では、最後まで残った6人のうち、3人の廃業を把握している。その一人、五十嵐さんは、「体力には自信があるし、続けたい気持ちは強いが、組合がなくなるなら、辞めるしかない」と話す。
これまでいろいろな情報をもとに、日本・中国・韓国・在日の行商人たちの姿を追い、「シリーズ行商人」の特集を続けてきた。実は、こうした特集は本ブログの中でもほとんど読まれないことが多い。「シリーズ公共事業」「シリーズ外国人研修生・実習生」にしても全く読まれていない。
では何故、こうした「シリーズモノ」をやるかといえば、日本が修正すべきことや、日本文化の中に哀愁を感じることが多い。とりわけ、行商人が次々と消え去っていくニュースに触れるに及び、一度は書き残しておいておきたいという思いがあるからだ。
そして私は「つげ義春」さんの漫画が好きだが、彼の漫画には哀愁を帯びた行商人や商人宿が登場する。だから一度はこうしたテーマをもとにして書いておきたかった。特に、上記の京成電車で、「行商人車両廃止」「行商女性「アバ」が消滅危機」のニュースを見て、早いうちに書きたかった。何はともあれ、今まで日本を支えてくれた行商人の人々には、「本当にありがとう」という気持ちを持って、同時に「お疲れ様でした」というねぎらいの言葉を投げかけておきたい。それがこの「シリーズ行商人」の執筆の動機に繋がったのだ。
■
[PR]
バーニャカウダ
中国朝鮮族の行商人たち〜中国韓国を往復しつつ稼ぎ出した人々
在日韓国・朝鮮人の行商人たちの活動は在日ビジネスの一端でもあった。しかし、苦労した在日の人々がこのお金で軍資金を貯め、子供を学校にも通わせる環境を作った。こうした在日一世か二世の人々のかけめぐった情報も当時のコリアウォッチャーの関心の的でもあった。
また、今でこそ在日と日本人の通婚率は80%から90%の間だが、当時、一世が元気だった時代には、嫁が日本人などとはとんでもない。嫁は同胞に限るという声が高かった。何しろこうした声は80年代前半まで続き、在日同人誌には、「キムチもつけられない日本人の嫁は絶対反対」というコラムが乗り、当時の私は目が点になっていた。その在日韓国・朝鮮女性も果たしてキムチがつけられるか疑問ではある。韓国本国だって同じだろう。その際、在日同士の出会いというよりも、在日行商人たちのネットワークと情報網が生き、韓国からのお嫁さん情報も在日社会にはかけめぐり、お見合いもした話もあった。
今では在日の行商人である「ポッタリチャンサ」もめっきりといなくなり、出会いも日本人との結婚も増加していくのは自然の流れであったのだろう。「ポッタリチャンサ」も日本の行商人とともに、引退時期に入っている。
それでは韓国人を取り上げたのだから、中国朝鮮族の「ポッタリチャンサ」も取り上げなければ不公平になろう。結局、韓国・中国かと言われそうだが、様々な国や視点から見ることは重要だと思う。
ちなみに、中国朝鮮族にとってもやはり「ポッタリチャンサ」(風呂敷を使う商売人)という。つまり、風呂敷を使うことから、「ポッタリチャンサ」は在日から中国朝鮮族まで自然としっくりくる言葉で広まったとも言える。
私の嫁さんが、中学生くらいにかけて、「ポッタリチャンサ」がよく来ていたという。当時、中韓国交が樹立し、中国朝鮮族が出稼ぎに韓国に行くことがブームであった。しばらくすると、今度は韓国や日本留学がブームになり、そのひとりが私の嫁さんになるのだが、いずれにしても、中国朝鮮族が服を韓国で仕入れて、それを別の中国朝鮮族に売るという商売を誰かが考えついたのだろう。
当時の中国の服よりも韓国の服の方が品質はよく、またデザインも中国朝鮮族にとってはしっくりくるものがあった。そのため、私の義母も「ポッタリチャンサ」から娘たちに買い与えていた話もある。ところでこの「ポッタリチャンサ」だが、朝鮮民族はやはり、背負うように風呂敷を持つのではなく、当時、頭で抱える風習があった。この習慣は、在日社会、韓国、中国朝鮮族でも当時は見られたが、最近はめっきり見なくなったと感じる。
中国朝鮮族は東北部に集中していることから、行商もやりやすかったと思われる。その東北にしても中国朝鮮族がどこに居住しているかは、だいたい分かっている。様々なルートで韓国へ嫁いだ人の中には、こうした「ポッタリチャンサ」からの尽力があったと思われる。この頃は95年ごろ。ちょうど韓国への結婚ブームとも重なる。
実は、この時代あたりから私は中国の吉林市の延辺朝鮮族自治州を歩くことになる。だから、私は延吉空港でよく、「ポッタリチャンサ」を見ていた。彼らは、本当に花札やカードゲームが好きで、空港の待ち時間の間、しばらく、「ポッタリチャンサ」同士がカードで遊んでいた風景をよく見ていたのである。
この当時の「ポッタリチャンサ」の主役は地の利を生かした延辺朝鮮族だったと思われる。北京からあるいは瀋陽から延辺に行く際は、「ポッタリチャンサ」の荷物で溢れかえり、人よりも荷物の方が多いではと思わせた。
「ポッタリチャンサ」の中国朝鮮族は最近、商売替えしたのかあまり見ることがなくなりつつある。理由は韓国の服はどこでも手に入ることができることと、正規品と価格が変わらなくなったことが理由としてあげられる。
刀削麺
美味しい〜

←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
また、今でこそ在日と日本人の通婚率は80%から90%の間だが、当時、一世が元気だった時代には、嫁が日本人などとはとんでもない。嫁は同胞に限るという声が高かった。何しろこうした声は80年代前半まで続き、在日同人誌には、「キムチもつけられない日本人の嫁は絶対反対」というコラムが乗り、当時の私は目が点になっていた。その在日韓国・朝鮮女性も果たしてキムチがつけられるか疑問ではある。韓国本国だって同じだろう。その際、在日同士の出会いというよりも、在日行商人たちのネットワークと情報網が生き、韓国からのお嫁さん情報も在日社会にはかけめぐり、お見合いもした話もあった。
今では在日の行商人である「ポッタリチャンサ」もめっきりといなくなり、出会いも日本人との結婚も増加していくのは自然の流れであったのだろう。「ポッタリチャンサ」も日本の行商人とともに、引退時期に入っている。
それでは韓国人を取り上げたのだから、中国朝鮮族の「ポッタリチャンサ」も取り上げなければ不公平になろう。結局、韓国・中国かと言われそうだが、様々な国や視点から見ることは重要だと思う。
ちなみに、中国朝鮮族にとってもやはり「ポッタリチャンサ」(風呂敷を使う商売人)という。つまり、風呂敷を使うことから、「ポッタリチャンサ」は在日から中国朝鮮族まで自然としっくりくる言葉で広まったとも言える。
私の嫁さんが、中学生くらいにかけて、「ポッタリチャンサ」がよく来ていたという。当時、中韓国交が樹立し、中国朝鮮族が出稼ぎに韓国に行くことがブームであった。しばらくすると、今度は韓国や日本留学がブームになり、そのひとりが私の嫁さんになるのだが、いずれにしても、中国朝鮮族が服を韓国で仕入れて、それを別の中国朝鮮族に売るという商売を誰かが考えついたのだろう。
当時の中国の服よりも韓国の服の方が品質はよく、またデザインも中国朝鮮族にとってはしっくりくるものがあった。そのため、私の義母も「ポッタリチャンサ」から娘たちに買い与えていた話もある。ところでこの「ポッタリチャンサ」だが、朝鮮民族はやはり、背負うように風呂敷を持つのではなく、当時、頭で抱える風習があった。この習慣は、在日社会、韓国、中国朝鮮族でも当時は見られたが、最近はめっきり見なくなったと感じる。
中国朝鮮族は東北部に集中していることから、行商もやりやすかったと思われる。その東北にしても中国朝鮮族がどこに居住しているかは、だいたい分かっている。様々なルートで韓国へ嫁いだ人の中には、こうした「ポッタリチャンサ」からの尽力があったと思われる。この頃は95年ごろ。ちょうど韓国への結婚ブームとも重なる。
実は、この時代あたりから私は中国の吉林市の延辺朝鮮族自治州を歩くことになる。だから、私は延吉空港でよく、「ポッタリチャンサ」を見ていた。彼らは、本当に花札やカードゲームが好きで、空港の待ち時間の間、しばらく、「ポッタリチャンサ」同士がカードで遊んでいた風景をよく見ていたのである。
この当時の「ポッタリチャンサ」の主役は地の利を生かした延辺朝鮮族だったと思われる。北京からあるいは瀋陽から延辺に行く際は、「ポッタリチャンサ」の荷物で溢れかえり、人よりも荷物の方が多いではと思わせた。
「ポッタリチャンサ」の中国朝鮮族は最近、商売替えしたのかあまり見ることがなくなりつつある。理由は韓国の服はどこでも手に入ることができることと、正規品と価格が変わらなくなったことが理由としてあげられる。
刀削麺
美味しい〜
■
[PR]
風呂敷をかつぎの日韓行商人「ポッタリチャンサ」〜在日韓国人ビジネス
昔のコリアタウンには、重い荷物を運んで日韓を往復していた女性たちがいた。在日韓国・朝鮮人の人々は行商人をやっていたが、その多くは女性たちであった。下関市に在日韓国・朝鮮人が多いというのは、ちょうど釜山とフェリーで結ばれており、ビジネスするにはちょうどよかったのだろう。
朝鮮人は一般的に風呂敷が好きである。日本の行商人がダンボールを多用するのに対して、朝鮮人の行商人は、風呂敷を使う。昔のコリアタウンでよく見た光景は、風呂敷を頭に掲げる光景であった。もちろん、日本人でもその習慣はあるが、圧倒的に朝鮮人が多かった。
昔の映像を見ると大量の荷物を運んで下関に降り立つ女性がいたので、日韓行商人はそれなりに存在していたのだろう。例えば、日本の服を韓国に売れば高く売れるとか、日本の健康食品は売り物になるとか、国境を超えたビジネスはかなり当時、儲かったと思われる。
そして、こうした行商人のことを指して、「ポッタリチャンサ」と呼ぶ。直訳すれば、「風呂敷の商売人」だ。もちろん、こうした商売は、日韓両国の言葉ができないと無理なわけで、総じて在日韓国・朝鮮人が行った。後に日本語のできる韓国人も参入し、「ポッタリチャンサ」は活況を呈した。日韓行商活動の青の時代である。
私は、「ポッタリチャンサ」と会話したことはない。ただ見たことはある。もし、私が今やりたいことは、昭和40年世代にタイムスリップして、この人々に話を聞いてみたいのである。というのも、この「ポッタリチャンサ」はもう高齢化しているし、また逆に言うと、日韓をまたいで商売をする旨みはない。正規品とあまり値段は変わらないし、関釜フェリーを使って、日韓行商人をやるメリットがないからだ。
そして在日韓国・朝鮮人といっても世代が変われば、韓国語を話せない人も多い。親が行商人をやるが娘にさせるかといえばそうではなく、娘には立派な大学に通わせ、資産家に嫁がせたいというのはそれなりの夢である。
それはともかく、日韓行商人が商売をする相手は、個人ではなく、零細店舗に販売することが多かった。韓国から持ち込む時も在日韓国・朝鮮人の零細事業店に販売し、日本から持ち込む時も同じである。実際、この時代の在日韓国・朝鮮人の業務は、サラリーマンは少なく、自営業が多かった。
そして当時インターネットのない時代においては、「ポッタリチャンサ」が運んだものは、単にモノだけではなかった。韓国や日本で何が流行っているか、あるいは韓国女性でこういういい女性がいるから、在日の誰々さんと見合いをさせたらどうだろうかなど様々な情報がもたらされた。このあたり、日本の行商人と共通している。「ポッタリチャンサ」が運んだものは生きた情報でもあったのだ。
しかし、こうした在日韓国・朝鮮人が主導で行った「ポッタリチャンサ」は高齢化とともに衰退した。それはグローバル時代を迎え、「ポッタリチャンサ」を行う必要性がなくなったからである。今はネットでなんでも注文できる時代である。日韓をまたにかけた、在日韓国・朝鮮人のおばちゃんたちもそろそろ引退を迎える時期なのである。
はじめて家でたこ焼きを作ってみました。
鉄製のたこ焼き機だったので火加減の調整が難しくて
最初は熱過ぎて焦がしてしまったけど
何度か挑戦してなんとか出来上がりました。
結構難しかったですf^_^;

←夫ちゃんに励みの一票よろしくお願いしますヾ(^-^;)
←私にも励みの一票よろしくお願いします☆^(o≧▽゚)o
朝鮮人は一般的に風呂敷が好きである。日本の行商人がダンボールを多用するのに対して、朝鮮人の行商人は、風呂敷を使う。昔のコリアタウンでよく見た光景は、風呂敷を頭に掲げる光景であった。もちろん、日本人でもその習慣はあるが、圧倒的に朝鮮人が多かった。
昔の映像を見ると大量の荷物を運んで下関に降り立つ女性がいたので、日韓行商人はそれなりに存在していたのだろう。例えば、日本の服を韓国に売れば高く売れるとか、日本の健康食品は売り物になるとか、国境を超えたビジネスはかなり当時、儲かったと思われる。
そして、こうした行商人のことを指して、「ポッタリチャンサ」と呼ぶ。直訳すれば、「風呂敷の商売人」だ。もちろん、こうした商売は、日韓両国の言葉ができないと無理なわけで、総じて在日韓国・朝鮮人が行った。後に日本語のできる韓国人も参入し、「ポッタリチャンサ」は活況を呈した。日韓行商活動の青の時代である。
私は、「ポッタリチャンサ」と会話したことはない。ただ見たことはある。もし、私が今やりたいことは、昭和40年世代にタイムスリップして、この人々に話を聞いてみたいのである。というのも、この「ポッタリチャンサ」はもう高齢化しているし、また逆に言うと、日韓をまたいで商売をする旨みはない。正規品とあまり値段は変わらないし、関釜フェリーを使って、日韓行商人をやるメリットがないからだ。
そして在日韓国・朝鮮人といっても世代が変われば、韓国語を話せない人も多い。親が行商人をやるが娘にさせるかといえばそうではなく、娘には立派な大学に通わせ、資産家に嫁がせたいというのはそれなりの夢である。
それはともかく、日韓行商人が商売をする相手は、個人ではなく、零細店舗に販売することが多かった。韓国から持ち込む時も在日韓国・朝鮮人の零細事業店に販売し、日本から持ち込む時も同じである。実際、この時代の在日韓国・朝鮮人の業務は、サラリーマンは少なく、自営業が多かった。
そして当時インターネットのない時代においては、「ポッタリチャンサ」が運んだものは、単にモノだけではなかった。韓国や日本で何が流行っているか、あるいは韓国女性でこういういい女性がいるから、在日の誰々さんと見合いをさせたらどうだろうかなど様々な情報がもたらされた。このあたり、日本の行商人と共通している。「ポッタリチャンサ」が運んだものは生きた情報でもあったのだ。
しかし、こうした在日韓国・朝鮮人が主導で行った「ポッタリチャンサ」は高齢化とともに衰退した。それはグローバル時代を迎え、「ポッタリチャンサ」を行う必要性がなくなったからである。今はネットでなんでも注文できる時代である。日韓をまたにかけた、在日韓国・朝鮮人のおばちゃんたちもそろそろ引退を迎える時期なのである。
はじめて家でたこ焼きを作ってみました。
鉄製のたこ焼き機だったので火加減の調整が難しくて
最初は熱過ぎて焦がしてしまったけど
何度か挑戦してなんとか出来上がりました。
結構難しかったですf^_^;
■
[PR]
< 前のページ次のページ >
朝鮮族嫁が日常写真を公開し、私が中国朝鮮問題などの社会問題を執筆する日中コラボレーションブログです。※※迷惑コメントなどお断りいたします※※
by shinwa_2007
メニュー
ブログランキングに参加中~♪
一日一回よろしくお願いします。
アンケート
☆彡あなたの年齢層は?
バナーをクリックして募金に参加している企業のHPからワンクリックでNPO団体に1円募金されます。塵もたまれば山になる!
2010年8月31日23時から
2010年9月3日17時から
携帯でご覧になる方
★天気予報★
日本 東京
中国 瀋陽
韓国 ソウル
リンク
国際結婚
☆(旧)第三の隣人中国朝鮮族
☆中国嫁日記
☆外国人奥さんが書く「私の国際結婚」
☆The Future Is Bright
☆気付いたら国際結婚してました。
☆羊の独り言
☆なんちゃって年の差婚
〜国際結婚奮闘記〜
中国関連
☆りゅうけいみの延辺日記
韓国関連
☆ソウル情報局
カメラ関連
☆カメラ女子「きょん♪」の簡単ステキ写真術
☆カメラと一緒にパリでお散歩
☆日本の原風景
カテゴリ
全体ご挨拶
社会
二人の話
歴史・民俗
朝鮮族とは?
朝鮮族関連
公共事業関連
東日本大震災害
TPP関連シリーズ
ヤクザシリーズ
在日コリアンシリーズ
中国
韓国
北朝鮮
電子書籍
未分類
タグ
中国(256)韓国(215)
政治(188)
関東地方(155)
経済(144)
花(142)
料理(112)
マンホール(77)
寺社(70)
朝鮮族(69)
グルメ(66)
北陸地方(62)
在日(56)
北海道(56)
植物(53)
地震(53)
九州地方(51)
東北地方(51)
乗り物(39)
漫画(39)
最新の記事
| 柏市のマンホールー1 |
| at 2014-05-31 23:21 |
| 柏の葉公園のマンホール |
| at 2014-05-29 22:36 |
| クレマチス |
| at 2014-05-25 21:48 |
| 柿の花 |
| at 2014-05-24 23:16 |
| 東京消防庁のマンホール |
| at 2014-05-23 22:01 |
| 東京都下水道のマンホール |
| at 2014-05-22 22:33 |
| 栃木県足利市のマンホール |
| at 2014-05-21 23:47 |
| 大藤 |
| at 2014-05-20 23:41 |
| 足利フラワーパークの旅 |
| at 2014-05-19 23:42 |
| すいません。色々ありまして文.. |
| at 2014-05-18 18:13 |
最新のコメント
| Treating th.. |
| by StanleyMaW at 18:43 |
| 永住者、特別永住者と外国.. |
| by 普通の永住者 at 13:17 |
| 朝鮮国じたいが親日だった.. |
| by tt at 23:28 |
| >まほろばですさん そ.. |
| by shinwa_2007 at 17:28 |
| 柏市だからかしわの葉っぱ.. |
| by まほろばです at 08:59 |
| >まほろばですさん 私.. |
| by shinwa_2007 at 18:44 |
| こうやって見るとマンホー.. |
| by まほろばです at 20:54 |
| >大和は国のまぼろばさん.. |
| by shinwa_2007 at 23:55 |
| フジの花がきれいですね・.. |
| by 大和は国のまほろば at 20:30 |
| >はなげさん ご訪問&.. |
| by shinwa_2007 at 10:12 |
| 藩主の井伊直弼は病気にな.. |
| by 根保孝栄・石塚邦男 at 01:15 |
| いや、文章かいてるやーん.. |
| by はなげ at 00:24 |
| >coffeeさん 確.. |
| by shinwa_2007 at 23:54 |
| >fさん ありがと.. |
| by shinwa_2007 at 23:52 |
| 当方の地元の近くにも割と.. |
| by coffee at 22:01 |
| 非常に驚いております。 .. |
| by f at 23:53 |
| あらまあ残念 さような.. |
| by 名無し at 18:07 |
| 中国政府の強硬姿勢が日本.. |
| by バランスボール at 13:06 |
| 中国は日中戦争を具体的に.. |
| by ななし at 09:17 |
| 最近の動き、私には共産党.. |
| by 天山路 at 22:11 |
以前の記事
2014年 05月2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
記事ランキング
1 896自治体が「消滅..
2 ク・ヘソンの反日発言..
3 神隠しは何故起こるの..
4 新大久保バブルは韓流..
5 「通名」が使えない?..
6 テレ東 未来世紀ジバ..
7 司忍(篠田建市)山口..
8 コリアタウンの源流を..
9 戦後焼け跡の闇市を仕..
10 中国東北女性の生態学
2 ク・ヘソンの反日発言..
3 神隠しは何故起こるの..
4 新大久保バブルは韓流..
5 「通名」が使えない?..
6 テレ東 未来世紀ジバ..
7 司忍(篠田建市)山口..
8 コリアタウンの源流を..
9 戦後焼け跡の闇市を仕..
10 中国東北女性の生態学