http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/06/26/post_664/index2.php の記事から書きます。
インテンシティはザッケローニのオリジナルな単語ではない。
インテンシティは少なくとも僕の知っているスペインとポルトガルでは、 サッカー指導者がごく一般的に— 少なくとも珍しくはありません— 用いる語彙で、 ザッケローニのオリジナルではありません。
ただ、例えば学問のような場で「全ての人が全く同一の意味で用いる語彙」として明確に定義されているわけではありません。 日常語の延長として用いられているもので、話者によってその定義に多少のブレは存在します。
また、インテンシティという語彙を用いていなくても、例えば「機能的質」とか、「組織としてのクオリティー」などの、 他の類義語を用いる人もいます(このあたりは好みやポリシーの問題だったりします)。 しかし、以下のようなことはさしあたり共通して言えることと考えられます。
インテンシティの意味は「総合的な質」。
インテンシティの訳語としては、「強度」が直訳ではありますが、意味を想像し易いのは「密度」とか「濃度」、 さらには「総合的質」だと思います。
つまり、一つのプレーをとっても、状況判断・身体能力・技術・決断力(ここには直観も含まれる)が、 全て高いレベルで自チームのスタイル等を含めた状況全体に応じたかたちで、 濃縮されているプレーの状態のことを指します。
例えば、今野がPKを取られたシーンを挙げてみましょう。 確かにあのプレー、この記事が言うような「激しい」プレーに相当するかもしれませんが、 ゴールに背を向けている相手の体勢という要素を考慮できなかった点、 さらに届かないタックルしか出来なかったという身体的観点、 およびタックルに関わる技術的特徴の観点等々からして、インテンシティが高いプレーとは呼べません。
確かに、日本が主導権を握りかけていたあの時間帯では勇気をもってボールを奪いに行くことは必要だったであるでしょうし、 素早く取り返したかった気持ちも分かりますし、そう身体が衝動的に動いてしまったのかもしれません。 さらには育成年代からの長い経験のなかで染み付いたプレーの傾向性なのかもしれませんが、 それについてはここでは措くとして、以上のような点では「激しい」プレーかもしれませんが、 「高いインテンシティ」をもったプレーではなかったといえるかと思います。
インテンシティとは、プレーの総合的な質とほぼ等価です。
インテンスなプレーとは、 状況(ここには相手の戦術、味方の状態・位置、試合の流れ、試合のもつ意味など全てのものが含まれます)に対して、 プレーがどれほど対応しているかを表現する、そのプレーの質のことです。
「スピード」「激しさ」=インテンシティな訳ではない。
先述の記事の小宮氏いわく、 「インテンシティ(強度、激しさ)がなければ、スピードも、テクニックも、組織力でさえも試合の中では無意味だ」といいますが、 これは完全な誤解です。
むしろ逆に、スピード、テクニック、組織力などそれらを全て総合した時のプレーの質が「インテンシティ」です。 実際、ザッケローニはJFAのウェブサイトの手記(本年5月23日)にて、 「卓越した技術、戦術、健康なメンタルも伴って初めてクオリティーの高い、 インテンシティあふれるサッカーが可能にな」ると、書いています(http://www.jfa.jp/news/00000829/)。
少なくともこの箇所からも、「インテンシティ」は、これらの諸条件を総合したところのプレーの質と言えるはずです。
インテンシティへのアプローチは多種多様である。
ただし、その「インテンシティあふれる」サッカーを実現するためのアプローチは、実に多種多様です。 技術を優先する指導者、メンタルを重視する指導者・・・など。
インテンシティが高いとき、それは以上のような諸条件のほとんどがきちんと整っているときに実現される傾向がありますが、 一方でそれら諸条件のどれか一つが欠けていたり、深刻な問題があったりする場合、一気にインテンシティが落ちるということがあり得ます。
これは可能性の話ですが、メンタルが落ちているならば、思い切って休ませることも一つの手ですし、 あるいはフィジカルに問題があるならばやはり休ませることも一つの手かもしれませんし、 逆に体を軽く動かすことで回復することもありえます。
もちろん、これらの諸条件を切り離して考えることなどできないから常にグローバルにトレーニングしよう、というのも考え方の一つです。
これらの条件のどれが重要であると考えるか/あるいはその総合的な質のみに着目するかは、 指導者によって、方法論によって、またその直面している事態によって、様々です。
実際、「休ませる」という同じアプローチをとったとしても、その背景にある原因認識は多様であるでしょう。 それは、インテンシティの低さの原因となった諸条件のうち、どの条件に着目しているかが、異なるからです。
適切に機能したプレーはインテンスなプレーである。
さて、再び例をあげましょう。 例えば、ちょっと2m横にズレてコースを消してハメス・ロドリゲスのドリブルを止める山口蛍のプレーがあったとして、 そのプレーはインテンスであると言えます。
インテンシティは、「総合的なプレーの質・密度」ではあるけど、特に戦術的組織や自チームのスタイル、プレーモデル、 もっと平たく言えば、その試合のプランとの兼ね合いで定義されます。
というのも、戦術的組織は、今大会で試合中にガラリとプレーのモードを変えるチームが目立つように、 22人の選手の状況を考慮した中で構築され改変され続け得るものです。
つまり、戦術的組織の中で、もし適切に機能したプレーがあるとすれば、それはインテンスなプレーと呼び得るわけです。
インテンシティは、ただ単にプレス時に相手に激しくぶつかること「だけ」でもなく、 スペースへのフリーランニングのスピード「だけ」でもなく、 それら全てを含めた、諸々の状況の中でそのプレーがどれほど適切であるかの程度・質のことです。
判断、あるいは、ある種の戦術的直観がここで重視されるのは、 22人の選手の相互作用を認知し、その状況を把握し、 困難なものを好ましい方向に操作していくようなある種の直観がこのインテンシティの肝になるとされるからです。
速いだけでも強いでもなく、「いつ速く」「いつ強く」「いつのらりくらりと」プレーするのか。
それをさらに、トレーニングの中で積んできた自チームのスタイルとの関係の中で、いかに最大11人で連動させるのか。
これがきちっとハマったプレーこそが、「インテンシティが高い」と表現され、 さらに複数人が絡んで連動していくほど「インテンシティが高くなる」と呼び得ます。
結果的に、インテンシティは組織的な連動性と状況への適切性も表現し、かつ連動的なプレーの難易度にも関わるわけです。
インテンシティの内容はチームのプレーモデルに依存する。
それゆえ、一口に「インテンシティ」と言っても、その内容はチームによって異なることがありえます。 自チームのスタイルが仮にボールを保持して主導権を握って、スピード感をもってアグレッシヴに攻めることにあるとするなら、 そのスタイルを含めた状況全体の中でハマったプレーは、「アグレッシヴ」で「スピーディー」かもしれません。
しかし、「インテンシティ」は、「アグレッシヴ」で「スピーディー」そのものを常に指示しているわけでありません。
スプリントしなくとも、パスがゆっくりでもインテンシティが高いと言えるプレーも存在する。
例えば、バルサがやや自陣深くでボールを奪い返し、 後ろ向きでチャビがボールをもらい、そのあとに見せるさりげない彼のターンや、何気ない彼のパスを想像して下さい。
それが相手のブロックを動かしてスペースを作り、さらにそこに様々な選手が入り込む。
そして、さらにその流れの中でできたスペースにチャビ自身が入り、やがて例えばアレクシスが入ってシュートまで行けたならば、 たとえチャビ自身がスプリントしなくとも、またパス自体がそれほど速くなかったとしても、 チャビの一連のプレーは極めてインテンシティの高いものと呼べるでしょう。
彼は、バルサのプレーモデルと、相手の兼ね合いの中で、かなりの回数プレーがそれらのなかにハマり続けることができる。
一見のらくらして見えるインサイドキックのパスも「インテンシティが高い」と呼びうるのは、 <11対11>のなかでの問題においてこそ、です。
同様に、さきほどの山口蛍の2mの移動は「たった2m」であったとしても、 あるいは2mの移動に必要なフィジカル能力の要求度がそれほど高くなくとも、 ハメスという相手の核の選手を止め、コロンビアに傾いていた流れを再び日本に(いったんは)戻したという点で、インテンスなのです。
インテンシティは必ずしもアグレッシブさでも激しさでもない。
インテンシティは、必ずしもアグレッシヴさでも激しさでもありません。 試合によって、チームによって、あるいは指導者によって、その具体的な内容が変化する、抽象概念なのです。
インテンシティとは、あるプレーの総合的な質、密度、濃度、試合の中でのそのプレーの包括的なクオリティーのことで、 スピノザ哲学風に言えば、「十全性」のことと言ってもいいかもしれません。
そうした定義をもった語彙を、欧州の指導者(僕の知っている限りではスペイン、ポルトガル、そして少なくともザッケローニ)は、 明確な定義へと言語化できるかどうかは人それぞれですが、決して珍しくなく用いています。
ただ、繰り返すように、インテンシティの具体的な内容は自チームのスタイルを含めた試合の中での総合的な状況によって変化する、 ある意味で文脈に依存しています。
加えて、「インテンシティ」という語彙を用いずに、別の表現を好んで用いる人もいます。 ザッケローニは、そうした総合的なプレーの質を表現するために、「インテンシティ」という語彙を用いた、ということなのでしょう。
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