「後三年合戦絵詞」の武将に新説 青山学院大・藤原教授
平安時代後期、現在の秋田県横手市で起きた戦乱を絵と文章で記録した「後三年合戦絵詞(えことば)」に、奥州藤原氏の初代清衡(1056〜1128年)の姿が描かれているとする新説を青山学院大の藤原良章教授(中世史)が発表した。「奥州の覇者となる行く末を暗示するように、清衡をすっきりとした表情で描いている」と指摘し、研究者の注目を集めている。
<一人だけ区別>
藤原教授は、編著者として3月に発行した「中世人の軌跡を歩く」(高志書院)の中に、「後三年合戦絵詞の世界」と題する論文を収めた。
論文では、柵に立てこもった清原家衡・武衡と源義家の軍が向かい合う場面と、敗れた家衡側の家臣が処刑される場面に出てくる人物に着目。かぶとをかぶった義家たちと区別するように、一人だけかさをかぶっている武将がいる。
いずれも義家の軍勢が集結した場面であり、よろいの色がそっくりで、すましたような表情で義家の後ろに控えている点が共通するため、藤原教授は同一人物だと推定した。
<消去法で結論>
かさの人物について絵詞の文章は何も触れていない。だが、絵巻の中で特定されていない、義家に近い重要人物が清衡だけであることから、藤原教授は消去法で清衡が描かれたと結論づけた。「絵師は、平泉の平和を象徴する人物として描いたのだろう」と自説を展開する。
研究者らは「かさをかぶった人物については盲点だった」と驚く。文章だけの写本を含め、絵詞の写本を数多く調査した岩手大の樋口知志教授(古代史)は「絵詞の文章は清衡が1120年ごろに作らせ、絵は半世紀たってから描かれたと思われる。冷酷な合戦と向き合う清衡の切ない表情が印象的だ」と話す。
奥州藤原氏に詳しい八重樫忠郎・岩手大客員准教授(中世考古学)は「絵詞を描いた絵師は、後に奥州平泉を築いた清衡の立場を正当化しようとした」と推測する。
<後三年合戦絵詞>前九年合戦の後に北東北を支配した清原氏を、内紛に乗じて介入した源義家が滅亡させた後三年合戦(1083〜87年)を記録した絵巻。平安時代後期の文法が使われ、勝った義家を称賛しない文章で終わるため、後に奥州の盟主になった清衡が関与して作られたとみられる。現存する最古の絵詞(東京国立博物館所蔵)は南北朝時代に制作され、6巻のうち後半の3巻だけ残っている。横手市の文人・戎谷(えびすや)南山作をはじめ、多数の写本がある。
◎国重要文化財の最古の絵詞公開/横手・10〜11月
後三年合戦の主戦場となった秋田県横手市の秋田県立近代美術館で10月4日〜11月3日、東京国立博物館が所蔵する最古の後三年合戦絵詞(国重要文化財)が公開される。同市で公開されるのは初めて。市主催の「後三年合戦絵詞の世界展」の中で、現存する後半3巻のうち2巻を展示。戎谷南山が昭和初期に完成させた写本の下巻も並べる。10月19日、合戦の歴史的な意義や遺跡調査に関する講演会やパネル討論が行われる予定。
2014年06月05日木曜日