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◇◇チョイ色川柳◇◇rss
- 2014/06/26 18:20 更新
個別に川柳の三要素を見てきましたが、これは
伝習的川柳(とくに古川柳)の特性を、うがち・おかしみ・軽みとしたもので
「うがちの句」や「軽みの句」が単独に存在すると考えるのは少し間違っています。
ものの見方としてのうがち、躰としての軽み、結果として引出されるおかしみは
三つにして一つのものであり、良質の古川柳を支える条件となっています。
川柳入門書の中には、川柳の文芸上の規範として記していますが、これは間違った捉え方です。
三要素の原形は、阪井久良伎により明治三六年の「川柳梗概」により提唱され
翌年の『川柳久良岐点』によって明確にされました。
の三要素を作句の指針にしている説明も見受けられるが
これらは、あくまでも作品の結果であり、目的ではありません。
この三つは図1のような平面における集合の要素でなく
うがちをベースに軽みという技術が加わり
おかしみを生むという図2のような立体構造をとっています。
この概念の誤解は、三要素を語るときの大きな問題です。
「うがち」というのは動詞では「穿つ」で、本来は『穴』を開けることです。
表面からは見えにくいものや、人が見落としているような事柄に目を向けて
それを明るみに取り出して見せたり(暴露)、常識的な仮面を剥ぎ取る(価値の引き下げ)など
すこし意地の悪い視線ですが、このものの見方が「笑い」を誘うのは
それが風刺や批評につながるからです。
「世間のアナを言う」とか「ウガったことを言う」というのがそれで
特に短いフレーズで急所をはずさないのが、川柳の特性です。
「サラ川」の中から例句を挙げてみましょう。
無礼講課長は薄目あけている
この行き届いた観察、シンラツな人物描写
うがちとは一種のリアリズムでもあり、読者の中に同じ風景を再現させます。
賞与の日廻らぬすしを食べてみる
賞与の日ぐらいはちょっぴりゼイタクをしてみようという「廻らぬすし」が
回転ずしの侘しさを喚起させ、屈折した笑いを引き出します。
「軽み」というのは、内容より形式にかかわる言い方で、
さりげなくサラリと言ってのけた句体から、
深い奥行きや広がりを感じさせることです。
ゴタゴタと並べ立てて、何もかも言おうとすると、句体が重くなるばかりか
内容的なふくらみもなくなります。
それには、句調のなめらかさやリズムが関係してきますが
応募句には形式にとらわれない良さの反面、無駄な字余りや言い過ぎが目につくのも事実で
「軽み」の点ではなお工夫が必要と思われます。
構成は作句の最終関門で、ここで初めてテクニックが要求されます。
「うがち」や「おかしみ」の例句に挙げた作品が成功している理由も
それぞれの表現に無駄がなく、すっきりと仕上がっているからです。
どんなにいい発想でも、一句のすがたがギクシャクしていたのでは
心に残るような浸透性のある作品は期待できません。
もう一句、挙げておきましょう。
石の上三年経てば次の石
くどくどと言わなくても、これ以上何も補うことはありません。
「石の上にも三年」を下敷きにして、今の石と次の石を上下に配置しただけで
形こそ軽いが、サラリーマン生活の悲哀を彫り上げています。
川柳とはユーモアの文芸であるということが誤解されて、
何でもおもしろおかしいことを言えばいいと考える向きがありますが、
川柳の笑いは結果であって、目的ではありません。
無理やりに卑俗な事柄や言葉で笑わせようとしても、シラけるだけで、
低次元のコトバ遊びもこれに類します。
真実をしっかりとらえれば、人間それ自体が結構おかしい存在なのです。
川柳には、じわりと湧いてくる笑い、自然のユーモアが望ましいので、
くすぐりやジョーク、語呂合わせなどは川柳の「おかしみ」とは本来別なものなのですが、
まだまだそれらが多いのが目立ちます。
入院の部長を見舞うあみだくじ
だれもが自分に当たらないようにと、あみだくじの結果を見つめる
その真剣な表情までが想像されて、自然の笑いを誘うのです。
言外に部長の人柄までがほうふつとしてくるのも、この句のおもしろさです。
単身赴任電話の声が明る過ぎ
赴任先からの電話が落ち込んでいるどころか、明るく弾んでいるとなると
留守宅の妻は逆におだやかならぬ心境になるという機微をとらえて、
ゆっくりとしたおかしみが伝わってくるでしょう。
シアトルのソウル・シンガー・ソングライター、ダリウス・ウィルリッチはソウルとジャズ、そして大都会へのあこがれの感覚的な相互作用をしたたらせる。
ルックスと音、今日的な古き良きソウルの感触をもって、あなたのすべての感覚を魅了するに違いない。
スティーヴィ・ワンダーにディアンジェロ、ハービー・ハンコックの精神が、ダリウスという音楽のシチュー──スウィート・アーバン・ソウル──に風味を加えている。
鍛錬を積んだジャズ・ピアニストであり、ソウルフルなシンガー、そしてヒップホップに対する愛情を持った知的なソングライターであるダリウス・ウィルリッチは、幅広いスキルから生み出される心地好い音楽を届けてくれる。
そのリリック とメッセージは、抑制なく生き、愛するようにあなたを高揚させ、勇気付けてくれる。
ダリウス・ウィルリッチのサウンドは甘くメロディックで、ハーモニー豊かで伝わりやすいものだ。
そもそも、スティーヴィ・ワンダーやプリンス、ベイビーフェイスの影響を受けたダリウスは、楽しくカラフルでセクシーなスタイルを丹念に作り上げた。
彼は明らかに愛やセックス、ロマンスと人生を十二分に生きるためのサウンドトラックということを一番の重要事項としている。
ジャズ・ピアノの学位と色合いあふれる歌声、そして感受性豊かなソングライティングを備えた彼の楽曲は、あなたを連れ戻すとともに前へと駆り立てる。
ダリウスの演奏者、サイドマン、リーダー 、プロデューサー、そしてレコーディング・アーティストとしての数年間の経験が、彼に暖かい色とテクスチャーを湛えた、豊かで多様な音のパレットを用いてそのソウルを色づけさせている。
含蓄のある考えられた挑発的な歌詞のなかで共鳴している都会的な要素をもって、ダリウスはスウィート・アーバン・ソウルを提示するとともに、さまざまなジャンルをミックスしている。
既に10年近いキャリアを誇り、ネオ・ソウル好きにはその名を知られているDarrius。
スティーヴィ・ワンダーやプリンス、ベイビーフェイス、ディアンジェロ辺りから影響を受けたサウンドは、正にディアンジェロ以降という趣きのネオ・ソウルで、じっくりと聴かせてくれるアダルトなムードのスウィート・ ソウル。
“URBAN LOW END meet JAZZ & SWEET SOUL”という謡い文句に偽りナシ!NE-YOのブレイク以降、「メロディ」重視となっているアーバン・ミュージック・シーンのトレンドにも見事合致!
正にスティーヴィやベイビーフェイスらの影響をうかがわせるメロディ・センスと、ジャズの要素も感じさせるスムースで心地良いメロウネスと歌声は日本のアーバン・ミュージック・ファンにも熱い支持を受けるはず。
「Can't Get Enough」
1.All That I Want
2.Hold on to You - I
3.Promise Me Love
4.Back to You
5.Get It on
6.Whatchagonnado
7.Can't Get Enough
8.Wild in Me
9.Why Fight
10.All the Way Slow
11.Hold on to You - II
12.Desire
13.Where We Are
14.Get Down to This Loving
ニューヨーク/ブルックリン出身。1973年5月23日生まれ。
”MAXWELL”とは本来彼のミドルネームで、父親(”Maximillian”)および名付け親(”Max”)の名前からとったもの。
カリブ海に浮かぶ西インド諸島出身の母親と、プエルトリコ出身の父親の血筋を引く。
3歳のときに父親を飛行機事故で亡くし、そして5歳のときに名付け親(教父)も他界したため、まだ若い母親と祖母の女手ひとつで育てられた。
彼の作品の中に脈打ち続ける究極のフェミニズム、そして現在の“マックスウェル”を形作るパーソナリティすべては、この頃の家庭環境に負うところが大きい。
父親の死をきっかけに、小さい頃から教会で長い時間を過ごし、独学でピアノを弾くようになったためだ。
10代の頃にスライ・ストーンやブーツィ・コリンズ、マーヴィン・ゲイ、チャカ・カーン、スティーヴィー・ワンダー、ジェイムス・ブラウン、アレサ・フランクリンなどの洗礼を浴び、16歳でキーボードを手にしたのをきっかけに本格的に音楽に目覚める。
ソウルに限らず、ピーター・ガブリエルやブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージックやフランク・ザッパなども聴いていた、と当時の影響の幅広さを語る。
アルバイトで稼いだお金の大半を楽器や録音機材に費やし、自作曲を自室で録音。
自分と音楽だけの小さな世界を築く日々が続いた。
高校卒業後、18歳のときにブルックリンからマンハッタンに移り、カフェで8ヶ月間ウェイターとして働く。
このときの経験がもとで「人と話をする術を覚えた」彼は、本格的にプロのミュージシャンを志向するようになる。
ベッドルームでひそかに書きためたオリジナル曲は、19歳の時点でなんと300曲にものぼっていたという。
酒も煙草もドラッグも、いわゆるティーンエイジャーにとって“誘惑”とされるものには何一つ手を出したことのない彼が、唯一音楽や本、アート以外に興味を持ったのは女の子だった。
ガールフレンドとなった”COFFEE SHOP”のウェイトレスの女の子に自作のテープをプレゼントしたことがきっかけで、彼のデモが一部で評判となり、レーベル争奪戦を巻き起こす。
こうして、“マックスウェル”という名のアーティストが誕生した。
‘93年末の”VIBE”誌の新人紹介コラム”NEXT”で、デビュー前にもかかわらずあのゴードン・チェンバースに”BRIGHTEST HOPE”として紹介され、注目を集める。
’96年春、ようやく完成したセルフ・プロデュースのデビュー・アルバム”MAXWELL’S URBAN HANG SUITE”は、マックスウェルが実際に出会ったひとりの女性との夢のような一夜のラヴ・アフェアをめぐる、きわめて私小説的なコンセプト・アルバム。
ロマンティシズムとフェミニズムに溢れた内容、ジャズのライヴ・フィーリングと‘80年代初期ソウルのスウィング・ビートを融合させた新しいサウンド・アプローチは、彼との共演を強く望んで参加したというスチュアート・マシューマン(シャーデー)、レオン・ウェア(マーヴィン・ゲイ”I Want You”の共作者)、ワー・ワー・ワトソン(g)ら、素晴らしいゲスト陣のサポートもあって高い評価を博し、じわじわと世界に浸透していく。
「’80年代初期には、打ち込みと生楽器の完璧なバランスが保たれていた。それ以降、ヒップホップが台頭してからは、当時のダイナミックさが失われてしまったんだ」
ちょっぴりレトロな感触の、しかし斬新な彼のアプローチは、“ニュー・クラシック・ソウル”あるいは“ソウル・ルネッサンス”などという言葉で評され、ほぼ同時期に登場したディアンジェロ、トニー・リッチ、エリック・ベネイ、エリカ・バドゥらと共にひとつの新しい潮流を形作るようになる。
1st. Album
『Maxwell's Urban Hang Suite』
1. The Urban Theme
2. Welcome
3. Sumthin' Sumthin'
4. Ascension (Don't Ever Wonder)
5. Dancewitme
6. ...Til The Cops Come Knockin'
7. Whenever Wherever Whatever
8. Lonely's The Only Company (I&II)
9. Reunion
10. Suitelady (The Proposal Jam)
11. The Suite Theme
本名= Taalib Johnson。
フィラデルフィア出身。
「フィリーの伝統を受け継ぐファンクソウルの申し子」と称され、「21世紀のスティーヴィー・ワンダーに一番近い存在」とも評されるニュー・フィリー・ソウルの第一人者。
2000年にOST、『ナッティ・プロフェッサー・‐クランプ家の面々』に収録され、大ヒットとなった「ジャスト・フレンズ」でデビュー。
その「ジャスト・フレンズ」も収録した1stアルバム『アイジャスウォナシング』からは名バラード「ラヴ」も誕生し、第44回グラミー賞の最優秀男性R&Bアーティスト部門にノミネートされ、ソウル・トレイン・アワードではベスト・R&B/ソウル・アルバム賞を受賞、またSOURCE誌のR&Bアーティスト・オブ・ジ・イヤーにも選ばれた。
2002年の2ndアルバム『ジャスリスン』からは「ハーフクレイジー」がヒット、全米アルバム・チャートで初登場1位を記録した他、2作連続のミリオン・セールスを記録。
2003年には3rdアルバム『ソウルスター』をリリース。
「Forthenight」が第46回グラミー賞の最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネート。
翌年の第47回グラミー賞でもジミ・ヘン・トリビュート・アルバム『Power Of Soul: A Tribute To Jimi Hendrix /Various Artists』(Experience Hendrix社から発売)に収録の「Are You Experienced?」が最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス部門にノミネートされるなど、彼の音楽性は高い評価を得ており、数度の来日公演も実施するなど日本でも絶大な支持を集める人気アーティストとなった。
2007年にはデビュー以来の所属レーベル=デフ・ジャムを離れ、アトランティックへ電撃移籍を果たし、3月に移籍第1弾アルバム『ラヴアンミュージック』をリリース。アルバムからはシングル「BUDDY」も大ヒットし、前年発表されたR&B/ソウルの作品では1、2を争う屈指の完成度!と評されるなど、移り変わりの早いこのシーンで確固たる地位を築き上げた。
2008年に入ってもアメリカのブラック系ヒューマン・コメディ映画『TYLER PERRY'S MEET THE BROWNS』のサウンド・トラックにエステルと共演した「ピープル・エヴリディ」(アレステッド・デヴェロップメントの大ヒット曲のカヴァー!)を提供し話題となっている。
オススメの1枚
6th.Album『Musiqinthemagiq』
1. Anything
2. Single
3. Sayido
4. Lovecontract
5. Silver & Gold
6. Waitingstill
7. Backtowhere
8. Dowehaveto
9. Befriends
10. Yes
11. Medicine
12. Likethesun
本名、アンジェラ・B・ウィリアムス。
ノース・カロライナ州コロンビア生まれ。
父親がゴスペル・グループに所属していたため幼い頃から家庭は教会音楽に満たされ、学校に上がる時には自らも教会で歌い初めていた。
アレサ・フランクリンやスモーキー・ロビンソン、ダニー・ハサウェイなど影響を受け地元の音楽コンテストに優勝するなど活躍。
バスケットボールにおいても優れた才能を見せ、幾つかの大学から声が掛かるほどであった。
しかし、音楽の道に進む事を決意していた彼女は高校を卒業すると作詞などに打ち込み女性3人によるラップ・グループ、シークエンスを結成しデモ・テープを作成。
80年にはメジャー・デビューを果たし「Funk You Up」などヒット曲を送り込む。
その後解散するが87年にはバーチカル・ホールドというグループを結成。
ヒットこそ恵まれなかったが2枚のアルバムを残し作詞作曲やドラムスなど自身の音楽の幅を広げたくさんのアーティストと共演を果たす。
そのうち公私を越えた付き合いとなるディアンジェロと出会い、彼のデビュー作『Brown Sugar』にソングライトなどで参加。
これを機に彼女の評価も高まりプロデュース業などでも力を発揮。
信頼も固めて行ったうえで99年、『Black Diamond』で本格的にソロ・デビュー。
「No More Rain」や「Every Day」などのヒットを生み、クラシック・ソウルのテイストと彼女の才能を存分に発揮したソングライティングでリスペクトを集め一気にニュー・ソウル・クイーンの座に着いた。
01年にはセカンドアルバム『Mahogany Soul』をリリース。
モービーやラファエル・サデュークなどのレコーディングに参加したり、映画やテレビなどで役者としても活躍し多方面で人気を集める。
本格派女性ソウル / R&B シンガーとして 3 度のグラミー受賞、リリースしたアルバムがすべてミリオン・セラーを獲得している ANGIE STONE。
最新作は STAX を離れレーベルを移籍しての通算 6TH アルバム、「Rich Girl」。
「Rich Girl」
1. Intro: Real Music
2. Do What U Gotta Do
3. Backup Plan
4. Proud Of Me
5. First Time
6. Guilty
7. Interlude - By Malcolm-Jamal Warner
8. Alright
9. Livin' It Up
10. Rich Girl
11. Right In Front Of Me
12. I Can't Take it
13. Push 'N' Pull
14. U Lit My Fire
15. Sisters
アレサ・フランクリン(Aretha Franklin、1942年3月25日 - )[1]は、アメリカ合衆国の女性ソウル歌手。
ソウル・ミュージック歌手の中でも、サム・クックと共に一際ゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており
クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つ。血液型 は B型。
1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。
1987年、女性アーティスト初のロックの殿堂入りを果たした
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれている
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第9位に選ばれている。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位
メンフィスの生まれ、デトロイト育ち。父C・L・フランクリンは説教
者として有名な教会の牧師であり、母バーバラ・シガーズ・フラ
ンクリンは優れたゴスペル歌手であった。両親は、アレサが幼
い頃から別居していたが、アレサは父のもとで育てられ、父の
教会でゴスペルを歌っていた。
1961年にはコロムビア・レコードからデビューするが、同社は彼
女をポピュラー・シンガーとして売り出し、ゴスペル・フィーリング
を前面に出さなかった。このためか、当時のアレサのレコードは
世間に大きなインパクトを与えるに至らなかった。
1967年に、アトランティック・レコードに移籍。同社のプロデュー
サーであるジェリー・ウェクスラーは、彼女のゴスペル・フィーリ
ングを前面に押し出す方針を採り、レコーディングを同社の本
拠地であるニューヨークではなく、アラバマ州マッスル・ショール
ズのフェイム・スタジオで行った。
本名:Joseph Lewis Thomas、米南部のジョージア州カスバート生まれ。
聖職者だった両親の影響で、自然にゴスペル・ミュージックを耳にする環境で育ち、聖歌隊で歌うことを学んだ。
高校卒業後、ニュージャージーに移り住み、レコード・ショップなどで働きながら音楽活動を続けるなか、プロデューサーのヴィンセント・ハーバートに才能を認められ、マーキュリー・レコードと契約。
1993年にリリースされた記念すべき1stアルバム『Everything』からは全米R&Bチャートでトップ10入りを果たした「I’m In Luv」をはじめ、いくつかのスマッシュ・ヒットが生まれたが、その後新たにJIVEレーベルに移籍。
ここからジョーの本格的なサクセス・ストーリーが幕を開けた。
JIVE移籍後に発表された2作目『All That I Am』からのシングル「All The Things」が世界的にブレイク、3作目『My Name Is Joe』ではさらなる成功を収め、米だけで300万枚以上のアルバム・セールスを記録。
最終的にはゴールド・ディスクを獲得し、全米アルバムチャートにはなんと80週以上もチャート・インしている。
また『My Name~』からは「I Wanna Know」他、数多くのヒットが生まれ、特にレーベルメイト=ミスティカルをフィーチャーした「Stutter (Double Take Remix)」は全米シングル・チャート、R&B/ヒップホップ・シングルチャートの両方で1位を獲得。
翌年のグラミー賞では最優秀R&Bアルバム、最優秀男性R&Bパフォーマンス他計4部門にノミネートされ、名実ともにスーパースターの仲間入りを果たした。
2001年12月にはJIVE第3弾、通算4作目となる『Better Days』を発表。
2002年春には来日も果たし、MTV Video Music Awardsにて圧倒的なパフォーマンスを披露。
平井堅と「I Wanna Know」をデュエットという夢の共演も実現し、大きな話題となった。
2002年12月にはダラス・オースティン監修のOST『DRUMLINE』にジェイダキッスをフィーチャリングしたニュー・シングル「I Want A Girl Like You」を提供。
またアンジー・ストーンとのデュエット作品「More Than A Woman」で第45回グラミー賞に再びノミネートされた(Best R&B Performance by A Duo or Group with Vocal)。
03年12月にはスマッシュ・ヒット「More & More」「Ride Wit U featuring 50 Cent」等を収録した5作目「And Then…」、さらに07年には6作目『Ain’t Nothin’ Like Me』をリリース。
『Ain’t~』はシングル「If I Was Your Man」の他にも「My Love」「Feel For You」「Life of The Party」など秀逸な楽曲を数多く収録。
ジョー自身が「自分のすべての力を出し切って歌った」と語った力作はファン、メディアに高く評価され、全米アルバム・チャート初登場2位、日本でもオリコン洋楽チャート初登場5位を記録する大ヒットとなった。
以前から熱心なジョー・ファンが多い日本では1年~1年半に1回のペースで来日公演を実現し、シンガーとしての圧倒的な実力を見せつける正統派R&Bショウを披露。
毎回ほぼ全公演をソールドアウトさせるライヴ集客力は衰え知らずだ。
最前列を陣取る女性ファンが会場にバラを1輪持参し、バラード・タイムを狙って一斉にジョーに手渡すという定番シーンやショー終盤やアンコールで必ず歌ってくれる代表ヒット「I Wanna Know」の歌詞を完全に暗記したファン達の大合唱といった洋楽アーティストのライヴではなかなか観られない光景も圧巻だ。
Sony Music Entertainment より引用
My favorite Album
8th Album『Signature』
1.Majic
2.Sex Girl
3.Very Special Friend
4.Friends Don't Let Friends
5.Worst Case Scenario
6.Wanna Be Your Lover
7.Miss My Baby
8.Come Get To This
9.Metaphor
10.Love's Greatest Episode
11.Sensitive Lover
12.Change
ディアンジェロ(D'Angelo 本名:Michael Eugene Archer 1974年2月11日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州リッチモンド出身の歌手である。
リッチモンド南部で宣教師の息子として生まれ、幼少の頃から歌い始めた。
ヴォーカルだけでなく、ピアノ、ギター、そして作詞作曲といったプロダクション作業までこなすマルチな才能を持つ。
影響を受けたアーティストにマーヴィン・ゲイ、プリンスの名を挙げているが、ディアンジェロ自身多くのアーティストに多大な影響を与えているいわゆるミュージシャンズ・ミュージシャンである。
1995年にファーストアルバム「Brown Sugar」でデビューし、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの時代のソウル感覚とヒップホップ世代の感性を見事に融合させたニュークラシック・ソウル/ネオ・ソウルという一つのムーブメントを作り出し、数々のフォロワーを生み出した。
そして2000年にセカンドアルバムである「Voodoo」を発表し、名実共にネオソウルを代表するアーティストとなった。
尊敬するプリンスとは異なり寡作であり、自身のオリジナルアルバムは未だ2枚しか発表していないもの、客演やカバー、楽曲提供は数多くこなしている。
インタビューで「自分のことをR&Bシンガーだと思ったことはない、いつだってR&Bなんてくだらないと思っていた」と答えており、初めて作った曲もヒップホップで、常日頃からラップもしているとのこと。
「Brown Sugar」
1. Brown Sugar
2. Alright
3. Jonz In My Bonz
4. Me And Those Dreamin' Eyes Of Mine
5. Shit, Damn, Motherfucker
6. Smooth
7. Crusin'
8. When We Get By
9. Lady
10. Higher
「VooDoo」
1. Playa Playa
2. Devil's Pie
3. The Line
4. Send It On
5. Chicken Grease
6. One Mo' Gin
7. The Root
8. Spanish Joint
9. Feel Like Makin' Love
10. Greatdayindamornin' / Booty
11. Untitled (How Does It Feel)
12. Africa
★カバーした楽曲
Feel like Makin' Love / ロバータ・フラック
Can't Hide Love / アース・ウインド&ファイヤー
Everybody Loves The Sunshine / ロイ・エアーズ
プリンス / She's Always In My Hair
Sing A Simple Song / スライ&ザ・ファミリー・ストーン
Girl You Need A Change Of Mind / エディ・ケンドリックス
Sweet Sticky Thing / オハイオ・プレイヤーズ
Heaven Must Be Like This / オハイオ・プレイヤーズ
I'm So Glad You're Mine / アル・グリーン
Water Get No Enemy / フェラ・クティ
I'll Stay / ファンカデリック
Your Precious Love / マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル
Crusin' / スモーキー・ロビンソン
Superman Lover / ジョニー・ギター・ワトソン
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