2014年06月26日
番組作りが「シナリオありき」だということは、いい悪いの問題ではなく常識として周知されるべきだし、取材される人は自衛するべきだと思う
こんな記事を読みました。
TBS番組「噂の!東京マガジン」に苦言を呈す
乱暴に要約すると、トレイルランニングを愛好している方が、トレイルランニングについての取材を受けたところ、トレイルランニングを反社会的とレッテリングする、シナリオありきの作為的な内容であった為憤りを感じている、という内容になるかと思います。
先に断っておかないといけないのですが、私は、「噂の!東京マガジン」という番組を見たことがなく、当然当該回も見ていません。その為、番組内容がここに記載されている通りのものだったのか判断することが出来ませんし、どの程度作為的な内容になっていたのかも判断できません。
その為、以下の議論は、出版や報道に多少の観測範囲がある人間からの、単なる一般論として読んで頂ければ、と思います。
まず最初に。これはテレビだろうと新聞だろうと、雑誌だろうと同じだと思うんですが、番組や特集の作りが「シナリオありき」であることは、端的に言って当然の前提と考えた方がいいです。
何故かと言うと。何らかの番組なり、特集なりを組む時、企画段階である程度「シナリオ」「方向性」を明示しないと、そもそもその企画が通らないからです。
ここに、番組制作の企画担当者が一人いたとしましょう。彼、ないし彼女が、何かのドキュメンタリーを作成することになったとしましょう。その内容を決める時、彼、ないし彼女はどうするでしょうか?
勿論、その担当者の立ち位置や、会社のやり方によっても若干変わってきますが、担当者は普通、独断で番組内容の全てを決めることは出来ません。企画会議なり、マネージャー会議なりで、担当者は企画の内容を、決定権がある人達に説明して、企画や番組内容の承認を受けなければいけません。コンプライアンス的な点でも、これは必須事項です。
で。この時、「こういうこと調べます。どう着地させるかはまだ未定ですが、取材してからその内容見て決めます」って言ったら、多分その企画、通りません。予算おりません。
決定権がある人達は、勿論色んなことを検討して企画を承認します。その内容は視聴者に受けるか?どれだけの人に観て/読んでもらえるか?予算はいくらで、期待される収益/視聴率はどの程度か?
当たり前ですが、それを判断する為には、企画や番組の全容が必要です。その為、仮だろうが何だろうが、報道内容の全容や方向性が決まっていないと企画は承認されないし、その為には着地点もある程度決まってないといけないんです。
念の為断っておきますが、これ、ドキュメンタリーとか報道企画の話ですよ。料理記事とかクイズ番組とか、そういうものがどんな感じで企画されるのかは私知らないんで何とも言えませんし、どんな制作会社でもこういう企画の通し方をしている、と言うつもりもありません。会社によってやり方はいろいろあると思います。
ただし、「最初にある程度方向性や着地点が決まっている」というのは、多分大体の記事、特集、企画、番組で同じだと思いますし、ここまでは「一般的な前提」と言ってしまっていいと思います。
で、話はここからな訳です。
方向性や着地点が決まっていれば、担当者は当然、「その為の材料集め」を始めます。これが取材です。仮説を立てて、その証拠を集める、という点では、化学や物理の実験にも近いかも知れません。
問題になってくるのは、この取材の際のスタンスです。要は、「方向性を決めて取材してるんだけど、もし当初の方向性と異なる材料がわんさか出てきた時、その企画どうすんの?」という話ですね。この時、化学や物理の実験であれば「仮説が間違っていた」とするべきなんですが、報道の場合もうちょっと内容がファジーなだけに、色々面倒な話になります。
これ勿論、担当者さんによっても、会社によっても、責任者によっても変わってくると思うんです。ただ、私が観測している限りは、「余程重要で議論の余地がない材料が出てきた時以外は、基本、番組や企画の方向性に合致した材料しか使わない」ということの方が多いようなんです。
繰り返しになりますけど、会社や担当や、企画の性格にもよりますよ。企画段階である程度柔軟な部分を残しておいて、取材した材料で方向性を微調整する、という場合もあるでしょう。時には、番組の方向性自体を修正にしたり、番組をお蔵入りにする、というケースもあるのかも知れません。
ただし、「出来れば一度決まったことはあんまり動かしたくない」というのは、コスト意識があるどんな会社でも同じだと思いますし、走り出したものを止める手間を考えれば、「内容にそぐわない多少の材料は気にせず当初の方向性で進める」という方に倒れやすいんじゃないか、と考えられるわけです。
それでいい、そういうもんなんだからしょうがない、ってことじゃありませんよ。
結果的に、「番組が方向性通りに進んだせいで、取材内容が作為的にゆがめられた」と、取材された側が思うことは多分結構多いです。これは問題です。制作する側は、誠意をもって、取材対象が理不尽感を感じないで済むよう意を払わなくてはいけないですし、それを怠った場合は批判されるべきです。
といっても、批判したからといって、すぐに改善するものでもありません。
理想を言えば、「あらゆる報道機関が全ての取材内容を真剣に受け止め、全ての取材対象が納得出来る番組/特集を作る」というのが目指すべきゴールなのでしょう。ただし、上記の「制作側の事情」を置いて考えたとしても、あらゆる事実を矛盾なく取り上げることは難しいですし、あらゆる人が満足いくような内容にすることも大変な難事ではあります。
とすると、少なくとも「取材される側」としても、下記のようなことは認識しておいた方が無難ではないかなあ、と思うわけです。
1.自分が取材されていることは、番組制作者から見れば飽くまで「材料」「素材」である、ということ。
2.番組の方向性は基本的には事前に決まっており、担当はそれに基づいて材料探しをするものだ、ということ。
3.方向性に沿わない材料が見つかった時、それを受けて方向性を修正するかどうかは会社や担当者次第だということ。
上記から考えれば、「番組の方向性は可能な限り確認する」「方向性が少しでも意に沿わない/おかしいと思ったら、そもそも取材を受けない」「納得して取材を受けた上で、明らかに言われたことと違う番組になったとしたら、それはきっちり、声を大にして批判する」というのが、取材される側にとって一番望ましいあり方なんじゃないかなあ、と私は思います。
「ちゃんと確認して、納得出来なかったら断りましょう」って一言で言ってしまうと当たり前のことですよね。
まあ、今の時代、「テレビに出られたらうれしい」という無邪気な方ももう少ないと思いますし、取材というもの自体単なるリスクとして捉える向きの方が強いんじゃないかなあ、とも思いますけどね。何はともあれ、理不尽な思いはなるべくしない様に済ませたいものではあります。
長くなりましたが、今日書きたいことは以上です。
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