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「IS インフィニット・ストラトス ~黒衣の侍~」
銀の福音編
二十九斬 漢なら潔く現実を受け止めるもんだ
地上とは全く違う風が吹きすさぶ空。
そんな空に浮かぶ黒の装甲を纏った人物は、地上よりも強い風が吹く空で微動だにする事なく腕を組み、緩む事のない鋭い瞳は、ただ前を見据えている。
強い意志の宿った鋭い黒の瞳が捉えているのは一つの黒い点……いや、遠すぎて一つの点にしか見えないが、アレは機影若しくは、一人の人物、と呼んだ方がいいのかもしれない。
黒の装甲――黒衣零式と言う名の無骨なフォルムのISを纏った柏木翔は、そう取り留めない事を考えてみる。
ハイパーセンサーによって強化された翔の視覚が捉えているのだから、当然の如く、見えている機影からも翔の姿は捉えられているに違いない。
しかし、翔に慌てる様子はなく、静かに腕を組みながら、宙に漂う様に佇むのみ。
翔の姿を捉えている証拠として、見えている機影は、真っ直ぐに翔目掛けて接近している……が、しかし、翔へと辿り着く迄に、その機影を邪魔する様に、上空から降り注ぐ影が二つ。
明らかに翔へ向けて進路と意識を向けていた人物に、二つの内一つが、光を伴った棒のような物――この場合、剣と言うべき物をその人物へ向けて振り下ろす。
光によって刀身が形成されているそれを振り下ろした人物、織斑一夏や、一夏を運んで来たもう一人の人物――篠ノ之箒は、互いに思った事だろう。
――当たった……。
襲撃のタイミング、剣の軌道、軌道をなぞる剣速。
どれを取っても素晴らしい一撃だった。剣を振り下ろした一夏自身の中でも、今までで最高の一撃だった筈……しかし、その最高の一撃は、一夏が振り下ろした剣の軌道に逆らわない様に機体をその場で一回転させる様にして、正に紙一重と言うべき精度で回避される。
まるで何かの曲芸の様に回避されたその機体を、翔は瞳を細めてその視界に捉える。
そして、先程の一撃を華麗に回避してみせた機体――銀(シルバリオ)の福音(・ゴスペル)は、正しく軍用ISだと言う事実が突きつけられた事になる。
速度、特殊兵装による十二分な火力に加え、複雑でありながらも精密な機動を可能とする機体性能。
どれをとっても、軍用の名に恥じない性能である。だが、そんなISへ向けての一撃を回避された筈だった一夏と箒は、機体を反転、福音へと向けて、自らの機体を向けていく。
福音を挟み、左右に展開して福音へと接近する一夏と箒を鋭い瞳でもって捉えた翔は、厳しく瞳を細め、組んでいた腕を解く。
「何をやっている……」
薄く引き絞っていた唇から出てきた言葉は、咎めるような低く静かな声。
そんな言葉を言い終わらない内に、翔の右手付近に小さな光の粒子が現れ、それが何かの形を成すように集まり、軽く握り込んだ右手付近から、その形を形成していく。
まず現れたのは、無骨で長い柄の様な物が、次々と実体化していく。
軽く握りこんだ右手の中を通るように、光の粒子が実体を持つ柄へと形を変え、次に姿を現したのは、現れた柄をぐっと握りこんだ右手のすぐ上。
刀身と言うにはあまりに巨大な刃が、その根元から次々と形を成し、最終的には長大で、分厚い、無骨な刀身が形成される。
刃の背には、その形に沿うようなスラスターがいくつも並んでいる。
翔の目の前に、正宗零式展開終了、と文字が浮かび上がるが、翔の視線はそれを捉えておらず、向けられるのはその向こうで展開されている戦闘。
全方位へ向けて、福音からの光弾を強引にかわし、箒が福音へ肉薄、一夏は何かに気が付いた様に、自らの機体を海面へ向けた瞬間、零式は既に加速を開始していた。
エネルギー圧縮率108%と言う数値を冷静に見つつも、翔はイメージする事を止める事はない。
只々翔の頭にあるのは、全力で前へ進む、それだけの強固なイメージ。
何故か棒立ちになっている紅椿を纏った箒へと、白式を纏った一夏が全速力で海面から向かっている光景を冷静に捉えながらも、翔は淡々とイメージを描いていく。
一歩を力強く、それでいてしなやかに蹴り出すイメージ。初速で既に最大速度。しかして、それでは届かぬ先へと踏み込むイメージ。
翔が思い描く鮮明で強固なイメージを、零式は正しく汲み取り、それを現実の物とする。
視覚の認識を軽く超えてくる速度の中で、翔が捉えているのは、光弾が迫る箒の姿と、そんな箒の前に立ち塞がろうとする一夏の姿のみ。
そんな中、ちらりと視線を移した鋭い瞳には――エネルギー圧縮率113%という数値だけが映っていた。
明らかにエネルギーが切れた様子の紅椿を見た一夏が、箒に迫る光弾の前へとその身体を滑り込ませ、自らの身を挺して、光弾を受ける瞬間、瞳を閉じた一夏だったが、その衝撃は何時まで経っても来る事がない。
光弾が着弾する刹那の瞬間だった筈が、既に瞳を閉じて1秒は経過している。
「あ、れ?」
呆然と一夏の口から出た声と共に、目を開いた一夏の視界に飛び込んできたのは、金色の光と、黒の装甲。
当然、一夏が知る金色の光に黒の装甲等、一つしかない。
その心当たりがあった人物の名を、一夏が挙げようとした瞬間、その答えは一夏の後ろから聞こえる事になる。
「し、師匠……」
先程の一夏と同じようで呆然と、しかし、何処か恐怖を感じている様な声は、間違いなく一夏が守ろうとした篠ノ之箒の声であり、箒の声が紡いだ人物の名称も、一夏が感じていた心当たりの人物。
肩越しにちらりと振り向き、咎めるような鋭い瞳を向けてくる人物は、確かに、自らの親友、柏木翔の姿で、その背中越しには、正宗零式の物と思わしき柄が、確りと存在していた。
振り向いた時に送られたその鋭い視線に、一夏が身を震わせるのと同時に、一夏の背後でも同じ様に震え上がっている様な気配が感じ取れる。
しかし、一夏と箒に向けられた視線は直ぐ様外される事になり、肩越しに投げ掛けていた視線を、翔は正面へと戻す。
「一夏と箒。お前達は後で説教だ」
「な、何で……」
「本当ならば最初の一撃が回避された時点で、作戦は失敗していた」
「で、ですが師匠!」
「言い訳は後で聞いてやる。今は撤退しろ。俺が殿を務める」
一夏の疑問に軽く答え、それによって飛んでくる箒からの抗議を一蹴し、二人に対して撤退を促す。
その間も、翔の視線は、目の前にいる福音から外れる事はなく、その鋭い瞳でもって、行動の牽制を図っている。
翔からの牽制が上手くいっているのか、福音からのアクションは無い。
盾にしていた正宗零式を、がしゃりと重い音をさせながら肩へと担ぐ翔の後ろ姿を視界に捉えながら、早く行けと言う様にちらりと肩越しに視線を送る。
翔の合図に大人しく従うしかない現状を理解し、一夏はエネルギー切れを起こした箒を支え、翔から少し距離を取る。
「分かった。撤退するよ……俺達じゃ、足を引っ張るのがオチだからな」
「それでいい。お前達が撤退するぐらいの時間は稼いで見せよう」
「頼んだぜ」
「承知」
誰よりも頼れる男の背中を見ながら、短くやり取りを終えた一夏とは違い、支えられている箒の顔色は悪いと言うしかなく、唇も白くなる程に噛み締められていた。
大きな力を持ちながらも、その力の使い方をまたもや間違えそうになった。そんな箒の様子を見ながら、頼みを託すように翔へと振り返る一夏。
視界に収めた背中は、誰よりも頼れる男の背中である事は間違いなく、今回もその発言通り、一夏達が撤退するまでの時間等稼いで見せるだろう。
……しかし、一夏はそう思いながらも、何かに耐える様に唇を噛み締める。
――感じている嫌な予感は、止まる事なく広がり続けていた。
背後に感じていた気配が遠ざかるのを確認しながらも、翔は目の前にいる存在から決して目を離す事はない。
いくら発展途上とはいえ、二人掛かりだった一夏と箒を簡単にあしらうその性能は紛れもなく本物であり、油断をしていい相手ではないと確信させるのは十分だった。
それが、福音を纏う人物の実力なのか、福音自体の性能がなせる技なのか、それは知る事が出来ないが、結局どちらにしても……。
「相手にとって不足無し」
静かに目の前のISを睨みつけながら、肩に担いでいた無骨で長大な己の獲物である正宗零式の柄を両手持ちへと切り替え、刀身の腹で大気を殴る様に正眼へと構える。
たったそれだけの行動にも関わらず、翔自身の身長よりも長い刀身は、風を巻き込み鈍い音を発生させる。
しかし、その衝撃にもぶれる事のない身体は、まさに驚異的とさえ言える。
鈍く銀色に光るその刀身と同じく鋭い刃の様なその瞳を、目の前の敵へと全力で注ぐ。
翼の無い零式と、空を飛ぶ事を連想させる翼を持った福音が睨み合い、動く気配の無い翔に習っているのか、それとも迂闊に動けないと判断したのかわからないが、福音も動く気配を見せぬまま数秒。
このまま一夏達が完全に撤退するまで動かなければ、翔の任務も終わりを告げるのだが、事はそううまく運ばないらしく、睨みつけていた福音から、機械的な音声が上がるのを、翔の耳は聞き逃す事はない。
『優先順位を変更、目前の敵機を警戒レベルAと認識し、撃墜行動を開始します』
「そううまく事は運ばんか……」
『<銀(シルバー)の鐘(・ベル)>稼働』
抑揚のない機械音声が翔の耳に捉えられた瞬間、福音の背面にあった翼が全面へと移動し、その瞬間、翔から距離を取るようにして後方へと加速、と同時に翼に存在する砲門が口を開け、そこから幾重もの光の帯が伸びるようにして、光弾が翔へと迫る。
放物線を描くような軌跡を残しながら、一点へと集約する光弾を目の前にしながらも、翔の表情には焦った色はなく、零式のスラスターに金色の粒子が舞い散る。
翔と言う共通の目標へ向かって集約していく光弾の間を、金色の光の線が雷光の様な軌跡を残し駆け巡る。
光弾が集約する前に、その間を抜けた零式の背後で起こる爆発。しかし、それに気を留める事なく、零式のスラスターはエネルギーを圧縮していく。
舞い散る金色の粒子を一つの線に変化させながら、景色をおいていくスローモーションの世界で、翔の瞳はすぐ目の前に迫った福音を捉える。
そこまで来れば、当然する事は只一つ……無心で剣を振り抜く事だけ。
「ぬぅんっ!」
先程の精密な機動を見ていた翔は、剣の軌道を、縦ではなく横へと切り替え、胴を狙う軌道で巨大な質量を持った剣を振り抜く。
並の者ならば、その剣を見極める事なく斬り捨てられる程の一閃を、福音は何事も無かったかの様に、機体を逆さに向ける要領でそれを回避。
無論、攻撃を回避されたからと言って、翔がそれで動きを止めるわけもなく、振り抜いた勢いのままに前進、そして急上昇。
翔の視界に、一瞬蒼穹の空が広がるが、その光景に目を奪われる暇なく両肩のスラスターを稼働させ、機体を反転、翔の視界に、足をこちらへ向けている福音が目に入り、直ぐ様そこへと落ちる様に加速。
「一刀両断!」
気合の入った掛け声と共に、真っ直ぐ福音へと肉薄し、そのまま振り下ろす。
足を向けているその中心、股へと向けて真っ直ぐに正宗は吸い込まれるが、翔の斬撃が吸い込まれるようにして入る直前、福音の身体は、右へ90度ほど回転。
真っ直ぐに振り下ろされた正宗の刃は、福音の前面を紙一重で通り過ぎていき、零式自体も福音の下方へと抜けるようにして通り過ぎる。
しかし、そのまま海面へと加速するわけではなく、零式の背面に伸びているスラスターが並んだ二本の鞘のような部分を前面へと移動、付いているスラスターを最大稼働、同時に両肩に付いている前面のスラスターも稼働させ、後方へ上昇する様にして加速。
「ぐぅ……っ!」
当然その際、シールドが処理しきれなかった分の慣性が、シールドを突き破り、翔の体へと負荷を掛ける。
内臓全てが、翔の身体の前面へと押し付けられる強烈な衝撃にうめき声を漏らしながらも、自らの前に正宗の刀身の腹を掲げる様に持っていく。
そこへ予想した様に光弾が零式を追い越し、零式の前面で集約――爆発。
その爆発の衝撃で、更に身体を持ち上げられた事を利用し、盾の様に使った正宗の刀身を自らの左側に出すように構え、正宗の刃の背に付いたスラスターを全稼働。
背面へと戻った鞘の様な部分についたスラスターは稼動していないのか、正宗のスラスターだけで方向転換する様にして、翔の身体はぐるりと上空を向く。
その瞬間、背面のスラスターを全稼働。
蒼穹の空が一瞬にして近づき、それに伴って福音の姿も既に目の前。
福音の姿を捉えた時には、スラスターを全力稼働させた正宗の刃がまたしても福音の胴へと吸い込まれるようにして、金色の粒子を纏わせながら迫る。
それに対し、己の体を正宗の刃と平行になる様に機体の向きを変え、一夏の一撃を回避した様に、剣の流れに逆らわない様にして一回転。
大質量の剣が空を斬るような剣圧と共に、金属と金属が僅かに接触したような甲高い音が密かに聞こえる。
『推進装置翼部に損傷……被害軽微、戦闘続行に支障なし』
一夏の時の様にはいかなかったのか、正宗零式によって、装甲を少し削られたと言う事実を告げる抑揚のない機械音声が辺りに響く。
既に福音との交差後、機体を反転させていた翔は、その鋭い瞳でもって、被害状況を確認する福音を静かに見据える。
接近格闘が主体の機体と、射撃戦が主体の機体では、技術の差にもよるが常識的に考えて、射撃戦主体の機体の方が有利であるのは間違いない。
射程距離の長さというの絶対的なアドバンテージであり、接近戦が主体の機体は、その射程距離の差をどうにかしてくぐり抜けなければ、相手に決定打を与えられないというリスクを負う。
それにも拘らず、今まで翔が勝ち抜けてきたのは、機体の絶対的な疾さと、翔自身の持つ動体視力による見切りこそが、射程距離というアドバンテージを覆す要因だった。
その要因に付随して、黒衣零式による負荷に耐えうる肉体の強靭さ、判断力の速さ等が、要因として挙げられる。
幾つもの要因が重なっての現状であり、軍用ISである銀(シルバリオ)の福音(・ゴスペル)と対峙して、無傷でありながら、小さくとも損傷を与えると言う奇跡のような事態が成り立っているのだ。
「届かぬ訳ではないか……」
奇跡の様な現実を起こしながらも、淡々と事実のみを確認しているような翔の低めの声と、平坦な口調は、シーソーゲームの様な戦闘による高揚等とは全くの無縁さを感じさせる。
その声すらも、激しい戦闘を一旦落ち着かせている現状からすれば、違和感を更に浮き彫りにさせる声であり、それこそが、柏木翔という人物の異質で異常な所でもあった。
年齢が二桁に届かない頃から、己に課してきた厳しすぎる修練と、ある意味身体を鍛えるよりも辛い、力を無意味に振り翳さない為の精神修行。
その集大成こそが、今こうして剣一本を携え、死の気配がつきまとう実戦で冷静に相手を見据える翔の姿だった。
今現状の任務は、一夏と箒が撤退し、収容されるまでの時間を稼ぐという事が、翔に課された任務であり、その事を正しく認識している翔が下した結論。
幾つかの攻防のやりとりの結果、分かった事があった。
まず、相手はどうしても射撃と言うフィールドで、翔を撃墜(お)としに来ているという事が一点。
機動性としては、移動という観点よりも、機体制御――回転、停止等の細やかな動きを精密に行うと言う点を重視しているという事が一点。
火力は光弾が着弾すると爆発すると言う特殊兵装を頼りにしている節が強いと言う点が一点。
その特殊兵装の特性から、精密射撃ではなく、数でもって効果範囲を広げているという点が一点。
試験稼働中だったという事を加味して、特殊兵装以外使っていない事から、それ以外の兵装は無いと思われる事が一点。
それら全ての分析を総合して、翔が出した結論は極単純でありながらも、実現可能な結論。
――後少しの時間稼ぎ位ならば、問題なく遂行可能。軽度の被害を無視すれば、撃墜も実行可能。
『柏木、後数分で織斑と篠ノ之の収容が完了する。完了後空域から離脱しろ」
「承知」
自らにとって何ら無理のない、実現可能な結論を軽く出した所で、千冬からの通信。
千冬が出した結論は、当然の如く時間稼ぎであり、その指令に短く了解の返事を返し、通信が途切れる。
そしてやはり、見据えるのは、先程の攻防の結果、警戒心を高めているのか、動こうとしない鋭角的なフォルムのIS、銀の福音。
沈黙を守るそのISに対し、正宗零式を正眼に構え直し、スッと細めた鋭い瞳でそれに応える翔。
「もうしばし、俺に付き合ってもらおう」
静かにそう言葉を紡いだ瞬間、スラスターからチラチラと漏れ出る金色の粒子の量が増大。
それに伴って、黒衣零式は、金と黒が混じり合う一筋の線となり、それこそ気がついた時には、と言うしかない疾さで、福音の懐へと潜り込み、狙うは福音の右肩口。
大気を切り裂きながら、銀色に鈍く光る刀身が肩口へと吸い込まれる……が、それにさえ対応する為の機動を取ろうと、福音が動くその刹那の瞬間、正宗は無数の光の粒子へと返還され、翔の両腕は空を斬る。
しかし、それにより、既に動き出していた福音は、動きを止められず、機体を既に反転させる状態に入っている。
機体を翔から見て右へ90度程反転させた福音に対し、直ぐ様翔は腕を伸ばし、福音の推進装置の片翼を掴む。
「ふんっ!」
掴んだ瞬間に、己の方へと引き込み、そのまま膝を折り畳みながら福音の右横腹へと膝を叩き込む。
金属と金属がぶつかり合う大きな音を響かせながら、装甲に守られた膝と腹部が接触し、その衝撃で少しばかり上空へと浮かび上がる福音の身体。
直ぐ様掴んでいた片翼を離し、距離が離れるに任せるが、福音もISである為、直ぐに機体の制御を取り戻す。が、それでは遅い。
福音が機体の制御を取り戻し、翔へと注意を払うその短い時間は、零式を纏った柏木翔という人物の前では、致命的な隙以外の何物でもない。
既に正宗を呼び出し終えている黒い雷光が福音のすぐ傍まで迫っている。
翔に対して正面を向いている福音に対し、今度こそ胴体を薙ぎ払う鋭い一閃。風を孕んだ剣風が福音のシールドに迫るも、その剣風は難なく阻まれる。だが、結局は凄まじいまでの剣風等、その後に来る圧倒的質量を伴った衝撃に比べれば、そよ風の様な者と何の変わりもない。
「チェストォ!!」
張り上げた声と共に、今度こそその一閃は福音のシールドを切り裂き、装甲へとその刃が届き――衝撃。
無骨で長大な、大質量の刃が金属の装甲と接触する甲高い音と共に、福音の身体は相応の速度で翔の左側へと真っ直ぐに吹き飛んでいく。
無論、それを逃す翔ではなく、吹き飛んでいく福音に追い縋る様に機体を加速させる。が、福音もそこまでされると、攻撃を避けるよりも迎撃した方が良いと判断したのか、翼部に存在する36の砲門全てを翔へと向ける。
刹那――幾つもの光が、翼部の訪問から射出され、それらは例外なく光の帯を伴いながら翔へと殺到。
翔の前に広がる弾幕の嵐は、少し前の砲撃の様にすり抜ける隙間等存在しない。それ程の密度の光弾が翔へと向かうが、それでも翔の表情に焦りの色はなく、両肩部の前面に付いているスラスターを全力稼働、同時に脚部のスラスターを停止と同時に、背面の鞘のような部分を前面へと移動後、付いているスラスターを全力稼働。
「ぐっ、ぅ……っ!」
それにより機体が急停止すると共に、翔の体にこれ以上ない程の高負荷が掛かるのは当然の話であり、それにより押し出されたような呻き声が翔の口から漏れ出るが、機体の動きはそれで止まる事はない。
停止してもまだスラスターを稼働させ、急速後退、内臓を身体の前面へと押し付けられる感覚を保ったまま、光弾から距離を取り、先程まで翔が居た場所へと、光弾が収束――爆散。
大気を震わせる轟音と共に、発生した黒煙が翔と福音の姿を隠し合い、互いの間には大量の黒煙の壁が広がる。
留まる事を知らない様に、その範囲を広げていく黒煙を目に入れた瞬間、全面のスラスターを停止させると共に、背面のスラスターを全力稼働させ、機体を安定させる。
同時に、進路を黒煙のすぐ下辺りに取り、そこへ向けて全力で駆ける。
「づぁっ!」
先程とは違い、内臓が身体の後ろ側へ押し付けられる感覚に切り替わり、刹那の時間で黒煙の下へ到着し、直ぐ様進路を斜め上へと取り、正宗を右下方へと構える。
広がり続ける黒煙の端に、福音の姿を捉える。
福音は砲門を開いたまま、黒煙の向こう側を見据えているが、翔の姿を捉えると、黒煙の下へと砲門を向ける。
「おそ、いっ!」
声と共に既に急上昇の体制に入っていた零式のスラスターから舞い散る金色の粒子は、更に数を増し、福音へと駆けて行く零式の後ろに広がる光は、既に線ではなく、極太の帯へと変化を遂げている。
青色のキャンパスに極太の筆を押し付けたような帯を引きながら、金と黒の雷光は、目標を捉える事になるのは言うまでもなく、光弾が射出された時には、既にその懐に存在している金と黒。
そして、金と黒の雷光に付随するように着いて来た鈍い銀色が、下から上へと弧を描きながら煌き、その煌きに捉えられたのは、既に光弾を発射した後の砲門。
本体への直接接触こそなかったものの、正宗の刃は、問題なくシールドを切り裂き、幾つもの砲門が存在している翼部へと叩き付けられる。
「とった、ぞっ!」
切り上げられるようにして放たれた斬撃は、見事に翼部の砲門を幾つか削り取りながら、福音の身体を更に上空へと押し上げる。
意思を持っていない人形の様に、上空へと吹き飛んでいく福音を、そのまま加速し、追撃を掛ける。
当然の如くその結論に至った翔の思考は更に加速し、自らのイメージをより強固に、鮮明に描いていく。
それに応える零式は、更に金の粒子を増大させる――。
「っ!?」
事はなく、溢れ出ていた金の粒子は、力を失ったかの様に霧散していき、最後には金の粒子等無かったかのように消え去ってしまう。
光が漏れ出ていたはずのスラスターは、既に応える事なく、その奥には只々黒い空間が存在するのみ。
「保たなかったか……」
起こった事を受け入れる様に静かに呟かれた言葉と共に、翔は視線を動かし、表示されている数値の一点にその視線を固定する。
――エネルギー圧縮率211%
――圧縮装置破損
――特殊兵装<迅雷>使用不可
只そこにある現実のみを表示する文字を、淡々と見据える翔。
『柏木、織斑と篠ノ之の収容が完了した。お前もその空域から離脱しろ』
「…………」
『どうした?』
タイミング良く千冬から通信が入り、サブモニタに千冬の顔が小さく表示されるも、翔はそちらへと目を向けず、只々その瞳は、既に体勢を整えた福音へと静かに向けられる。
様子がおかしい翔に、形の整った眉を歪める千冬。
正宗を構えながらも、棒立ちで、動こうとしない零式を放置する福音でないのは当然で、微動だにしない零式へ、生き残っている砲門を向ける。
『おいっ! 何をやっている柏木! 迅速にその空域から離脱を……』
「そうもいかなくなりました。離脱するのは不可能なようです」
『な、何を言っている……』
「現状を報告します。スラスターの全てが破損。エネルギーとPICが生きている事により何とか浮いてはいますが、福音を振り切れる速度を出せません」
『な、に……?』
零式のPICは、勿論移動する事が可能なのだが、その速度は、現在存在する第三世代型ISとあまり変わりがない。
高性能と言っても、現状存在する以上の性能を持つPICと言う訳ではない。
そんな零式が尋常ではない疾さを得ていたのは、特殊兵装である<迅雷>の恩恵が大きく、PICとは別枠で爆発的な推進力を保有する事が出来る兵装、それが<迅雷>である。
速度の要である<迅雷>が破損。この事実は、どういう事かと言われれば、現在の零式に、福音から逃げ切れる程の速度はない、と言う事に他ならない。
その事実を淡々と受け入れている翔は、ぐっと正宗を握り込み、砲門を開いている福音を見据える。
現状を打開する為の策等ない。ならば、如何に上手く、死なない様に撃墜(お)ちるか、それこそが翔の中で最重要事項としてシフトしていた。
『待て、今増援を……』
「……向こうは待ってはくれないようです」
心なしか慌てている様子の千冬に、翔が静かにそう告げると共に、無情にも福音が開いた砲門が幾つも煌き、光弾が射出される。
幾つか潰したとはいえ、未だに20は残っている砲門全てから伸びた光弾は、直ぐ様翔へと殺到する。が、ゆらりと、先程までの動きとは全く違う、緩やかな動きでもって、光弾から少しばかり後退する様に、零式を操作。
雨の様に迫る光弾を前にして、ゆらりゆらりと何かを待つように後退を続け、ある一定の距離まで光弾が迫った瞬間、右手に持っていた正宗を一閃。
切っ先に当たった一つの光弾が爆散し、そのまま連鎖的に収束していた光弾が、次々と爆散を続け、後には振り抜いた正宗を肩に担いだ無傷の零式と、もくもくと立ち上る黒煙だけが存在していた。
光弾の数が減った事により、量を減らした黒煙を挟み、静かに福音を見据える翔。
黒煙を纏うように存在するその姿は、危機的状況にも関わらず、圧倒的な存在感を感じさせる。
千冬が通信を繋いだ事から、先程の光景もモニターされているのは間違いなく、この光景を見た者は、当然の如く驚愕の表情を浮かべざるを得ない。
押されているにも拘らず、威風堂々と立つその姿には、危機を感じさせない余裕すら感じる。
「そう簡単に撃墜(お)ちてやる訳にはいかん」
静かに言い放たれた台詞と共に、鋭い瞳で福音を見据える翔は、正しく何時も通りの翔だった。
結論から言うと、福音を前にして、特殊兵装である<迅雷>を使えなくなった翔は、まだ健在だった。
しかし、まだ健在、と言うだけであり、無傷かと言われれば、そのような事はなく、肩のパーツは無くなり、鞘の様な形で背面に伸びている棒の片方は半ばから折れて破壊されている。
脚部の装甲も、所々ひび割れ、中の脚が見えている所も存在し、碗部の装甲も、残っている所はそう多くはない。
右の瞳は閉じられ、その上を赤い川が一筋流れ、それは顎の方まで伝っている。
頼みの綱である正宗零式にも、所々ヒビが入っており、その硬さに綻びが生じている。
一言で言うなら満身創痍。
しかし、未だ開かれている左の瞳は、刃の様な鋭さを失っておらず、静かな色を宿し、苛烈なまでの光弾の嵐を見据えており、その瞳でもって、今までのクリーンヒットをなんとか免れている。
相対する相手が、意思を持つ人物ならば、その技量に驚愕や感嘆の声を漏らしていただろう。
踏み込みの疾さを生かした先程までの戦い方とは一転、急な加速をする事なく、ゆらりゆらりと流れる様に動き、的を絞らせてから、攻撃が来る場所を割り出し、それに対処する。
今の翔は、そう言った戦い方へとシフトしている。
剣を振る技量ではなく、全身を使った技量と、観察眼、分析力、そういった物を前面に押し出した高度な戦い。
これはそういった物であるが、本来零式はそう言う類の機体ではないという事も作用し、無傷と言う訳にはいかない。
機動力を無くし、思い通りに動かぬ機体では、正直な所、撃墜(お)ちていないのが不思議なくらいなのである。
今まで幾度も見てきた千冬の、武に通ずる流れるような足運び、それをトレースしているからこその今の結果だった。
「すぅ……はぁ……」
殊更呼吸を意識するように息を整え、迫り来る光弾を視界に入れる。
危機的状況の現在ですら、鋭く開かれた左の瞳は、冷静に状況を捉え、顔色にも焦ったような色はない。
迫っている光弾は数にして11、翔と言う点へ向け、円を描くようにして集約する光弾を見据え、すぐ目の前まで迫った瞬間、ゆらりと後退しながら、正宗を盾の様に前面へと翳す。
爆散後、大気を揺るがす振動と衝撃を受け止めた正宗により、機体を更に後方へと押しやられるが、それに逆らうようにまたしても、ゆらりと機体を左右に振り、前進。
黒煙を貫くように殺到した光弾の間に、機体を滑り込ませ、躊躇なく正宗を背面へと移動させ、それによって爆発の衝撃を受け止め、更に前進させる。
PICによる移動と、爆発の衝撃を正宗で受けたことにより、それなりの速度で福音との距離を詰める事に成功する。
「18……」
『柏木! 今オルコットに準備させている! それまで撃墜(お)ちるな!』
「……確約は出来ません」
『それでもだ!』
「……承知」
千冬とのやり取りを終えながらも、その瞳は福音へと向けられ、射出される光弾の数に注目している。
その数は4、翔から見て左方向に移動しながら、順番に打ち出された光弾は、翔の正面から左へ向けて一定のズレを生じさせて射出されている。
一発目の光弾が翔へと迫った瞬間、やはり機体を揺らめかせ、紙一重で左側に滑り込み、直ぐ様正宗を翻し、わざとその光弾を斬り裂き、誘発させる。
衝撃でもって速度の乗った機体は、二発目の光弾へと近づくが、やはりそれも流れに任せる様に左側へと滑り込み、光弾を斬りその衝撃で機体を加速させる。
残りの二発も同じ様に対処し、光弾をくぐり抜け、爆発の衝撃で加速した機体で福音の姿を眼前に捉える。
鋭角的なフォルムの軍用ISを、正宗の間合いに捉え、衝撃の加速と、ゆらりとした速度で追い縋りながら正宗を振りかぶり――
「賭けには……負けたか」
静かに呟かれた翔の言葉と共に、幾つか砲門を削り取られた翼部に存在する、損害なく閉じていた砲門の一つが口を開ける。
もう既に福音は眼前まで迫り、正宗は振り下ろされる直前、残った一つの砲門が口を開け、そこから射出される光弾は……当然の如く翔の姿を捉え、それを狙い――射出。
刹那の時間で翔の懐に着弾――衝撃。
「がっ、ぁっ!」
轟音にかき消された苦悶の声を上げる翔の体に、爆発の衝撃や熱が一気に襲いかかり、全身から煙を上げながら、翔の身体は海面へと落ちていく。
展開されていた零式の装甲も、全てが粒子へと姿を変え、翔の握りこまれている右手に待機状態へと姿を変えて収まる。
蒼穹の空が翔の視界から遠ざかっていく中、自らの右手に存在する零式を目の前に掲げる。
「よく……俺に、付き合ってくれた。感謝、するぞ……俺は、まだ未熟、という事か」
その台詞を最後に、翔の意識は闇に飲み込まれ、身体は海の中へと飲み込まれる。
翔が意識を失う直前、待機状態にあった零式が、鈍く光っていた事に等、気がつく者はそこに存在してはいなかった……。
そんな空に浮かぶ黒の装甲を纏った人物は、地上よりも強い風が吹く空で微動だにする事なく腕を組み、緩む事のない鋭い瞳は、ただ前を見据えている。
強い意志の宿った鋭い黒の瞳が捉えているのは一つの黒い点……いや、遠すぎて一つの点にしか見えないが、アレは機影若しくは、一人の人物、と呼んだ方がいいのかもしれない。
黒の装甲――黒衣零式と言う名の無骨なフォルムのISを纏った柏木翔は、そう取り留めない事を考えてみる。
ハイパーセンサーによって強化された翔の視覚が捉えているのだから、当然の如く、見えている機影からも翔の姿は捉えられているに違いない。
しかし、翔に慌てる様子はなく、静かに腕を組みながら、宙に漂う様に佇むのみ。
翔の姿を捉えている証拠として、見えている機影は、真っ直ぐに翔目掛けて接近している……が、しかし、翔へと辿り着く迄に、その機影を邪魔する様に、上空から降り注ぐ影が二つ。
明らかに翔へ向けて進路と意識を向けていた人物に、二つの内一つが、光を伴った棒のような物――この場合、剣と言うべき物をその人物へ向けて振り下ろす。
光によって刀身が形成されているそれを振り下ろした人物、織斑一夏や、一夏を運んで来たもう一人の人物――篠ノ之箒は、互いに思った事だろう。
――当たった……。
襲撃のタイミング、剣の軌道、軌道をなぞる剣速。
どれを取っても素晴らしい一撃だった。剣を振り下ろした一夏自身の中でも、今までで最高の一撃だった筈……しかし、その最高の一撃は、一夏が振り下ろした剣の軌道に逆らわない様に機体をその場で一回転させる様にして、正に紙一重と言うべき精度で回避される。
まるで何かの曲芸の様に回避されたその機体を、翔は瞳を細めてその視界に捉える。
そして、先程の一撃を華麗に回避してみせた機体――銀(シルバリオ)の福音(・ゴスペル)は、正しく軍用ISだと言う事実が突きつけられた事になる。
速度、特殊兵装による十二分な火力に加え、複雑でありながらも精密な機動を可能とする機体性能。
どれをとっても、軍用の名に恥じない性能である。だが、そんなISへ向けての一撃を回避された筈だった一夏と箒は、機体を反転、福音へと向けて、自らの機体を向けていく。
福音を挟み、左右に展開して福音へと接近する一夏と箒を鋭い瞳でもって捉えた翔は、厳しく瞳を細め、組んでいた腕を解く。
「何をやっている……」
薄く引き絞っていた唇から出てきた言葉は、咎めるような低く静かな声。
そんな言葉を言い終わらない内に、翔の右手付近に小さな光の粒子が現れ、それが何かの形を成すように集まり、軽く握り込んだ右手付近から、その形を形成していく。
まず現れたのは、無骨で長い柄の様な物が、次々と実体化していく。
軽く握りこんだ右手の中を通るように、光の粒子が実体を持つ柄へと形を変え、次に姿を現したのは、現れた柄をぐっと握りこんだ右手のすぐ上。
刀身と言うにはあまりに巨大な刃が、その根元から次々と形を成し、最終的には長大で、分厚い、無骨な刀身が形成される。
刃の背には、その形に沿うようなスラスターがいくつも並んでいる。
翔の目の前に、正宗零式展開終了、と文字が浮かび上がるが、翔の視線はそれを捉えておらず、向けられるのはその向こうで展開されている戦闘。
全方位へ向けて、福音からの光弾を強引にかわし、箒が福音へ肉薄、一夏は何かに気が付いた様に、自らの機体を海面へ向けた瞬間、零式は既に加速を開始していた。
エネルギー圧縮率108%と言う数値を冷静に見つつも、翔はイメージする事を止める事はない。
只々翔の頭にあるのは、全力で前へ進む、それだけの強固なイメージ。
何故か棒立ちになっている紅椿を纏った箒へと、白式を纏った一夏が全速力で海面から向かっている光景を冷静に捉えながらも、翔は淡々とイメージを描いていく。
一歩を力強く、それでいてしなやかに蹴り出すイメージ。初速で既に最大速度。しかして、それでは届かぬ先へと踏み込むイメージ。
翔が思い描く鮮明で強固なイメージを、零式は正しく汲み取り、それを現実の物とする。
視覚の認識を軽く超えてくる速度の中で、翔が捉えているのは、光弾が迫る箒の姿と、そんな箒の前に立ち塞がろうとする一夏の姿のみ。
そんな中、ちらりと視線を移した鋭い瞳には――エネルギー圧縮率113%という数値だけが映っていた。
明らかにエネルギーが切れた様子の紅椿を見た一夏が、箒に迫る光弾の前へとその身体を滑り込ませ、自らの身を挺して、光弾を受ける瞬間、瞳を閉じた一夏だったが、その衝撃は何時まで経っても来る事がない。
光弾が着弾する刹那の瞬間だった筈が、既に瞳を閉じて1秒は経過している。
「あ、れ?」
呆然と一夏の口から出た声と共に、目を開いた一夏の視界に飛び込んできたのは、金色の光と、黒の装甲。
当然、一夏が知る金色の光に黒の装甲等、一つしかない。
その心当たりがあった人物の名を、一夏が挙げようとした瞬間、その答えは一夏の後ろから聞こえる事になる。
「し、師匠……」
先程の一夏と同じようで呆然と、しかし、何処か恐怖を感じている様な声は、間違いなく一夏が守ろうとした篠ノ之箒の声であり、箒の声が紡いだ人物の名称も、一夏が感じていた心当たりの人物。
肩越しにちらりと振り向き、咎めるような鋭い瞳を向けてくる人物は、確かに、自らの親友、柏木翔の姿で、その背中越しには、正宗零式の物と思わしき柄が、確りと存在していた。
振り向いた時に送られたその鋭い視線に、一夏が身を震わせるのと同時に、一夏の背後でも同じ様に震え上がっている様な気配が感じ取れる。
しかし、一夏と箒に向けられた視線は直ぐ様外される事になり、肩越しに投げ掛けていた視線を、翔は正面へと戻す。
「一夏と箒。お前達は後で説教だ」
「な、何で……」
「本当ならば最初の一撃が回避された時点で、作戦は失敗していた」
「で、ですが師匠!」
「言い訳は後で聞いてやる。今は撤退しろ。俺が殿を務める」
一夏の疑問に軽く答え、それによって飛んでくる箒からの抗議を一蹴し、二人に対して撤退を促す。
その間も、翔の視線は、目の前にいる福音から外れる事はなく、その鋭い瞳でもって、行動の牽制を図っている。
翔からの牽制が上手くいっているのか、福音からのアクションは無い。
盾にしていた正宗零式を、がしゃりと重い音をさせながら肩へと担ぐ翔の後ろ姿を視界に捉えながら、早く行けと言う様にちらりと肩越しに視線を送る。
翔の合図に大人しく従うしかない現状を理解し、一夏はエネルギー切れを起こした箒を支え、翔から少し距離を取る。
「分かった。撤退するよ……俺達じゃ、足を引っ張るのがオチだからな」
「それでいい。お前達が撤退するぐらいの時間は稼いで見せよう」
「頼んだぜ」
「承知」
誰よりも頼れる男の背中を見ながら、短くやり取りを終えた一夏とは違い、支えられている箒の顔色は悪いと言うしかなく、唇も白くなる程に噛み締められていた。
大きな力を持ちながらも、その力の使い方をまたもや間違えそうになった。そんな箒の様子を見ながら、頼みを託すように翔へと振り返る一夏。
視界に収めた背中は、誰よりも頼れる男の背中である事は間違いなく、今回もその発言通り、一夏達が撤退するまでの時間等稼いで見せるだろう。
……しかし、一夏はそう思いながらも、何かに耐える様に唇を噛み締める。
――感じている嫌な予感は、止まる事なく広がり続けていた。
背後に感じていた気配が遠ざかるのを確認しながらも、翔は目の前にいる存在から決して目を離す事はない。
いくら発展途上とはいえ、二人掛かりだった一夏と箒を簡単にあしらうその性能は紛れもなく本物であり、油断をしていい相手ではないと確信させるのは十分だった。
それが、福音を纏う人物の実力なのか、福音自体の性能がなせる技なのか、それは知る事が出来ないが、結局どちらにしても……。
「相手にとって不足無し」
静かに目の前のISを睨みつけながら、肩に担いでいた無骨で長大な己の獲物である正宗零式の柄を両手持ちへと切り替え、刀身の腹で大気を殴る様に正眼へと構える。
たったそれだけの行動にも関わらず、翔自身の身長よりも長い刀身は、風を巻き込み鈍い音を発生させる。
しかし、その衝撃にもぶれる事のない身体は、まさに驚異的とさえ言える。
鈍く銀色に光るその刀身と同じく鋭い刃の様なその瞳を、目の前の敵へと全力で注ぐ。
翼の無い零式と、空を飛ぶ事を連想させる翼を持った福音が睨み合い、動く気配の無い翔に習っているのか、それとも迂闊に動けないと判断したのかわからないが、福音も動く気配を見せぬまま数秒。
このまま一夏達が完全に撤退するまで動かなければ、翔の任務も終わりを告げるのだが、事はそううまく運ばないらしく、睨みつけていた福音から、機械的な音声が上がるのを、翔の耳は聞き逃す事はない。
『優先順位を変更、目前の敵機を警戒レベルAと認識し、撃墜行動を開始します』
「そううまく事は運ばんか……」
『<銀(シルバー)の鐘(・ベル)>稼働』
抑揚のない機械音声が翔の耳に捉えられた瞬間、福音の背面にあった翼が全面へと移動し、その瞬間、翔から距離を取るようにして後方へと加速、と同時に翼に存在する砲門が口を開け、そこから幾重もの光の帯が伸びるようにして、光弾が翔へと迫る。
放物線を描くような軌跡を残しながら、一点へと集約する光弾を目の前にしながらも、翔の表情には焦った色はなく、零式のスラスターに金色の粒子が舞い散る。
翔と言う共通の目標へ向かって集約していく光弾の間を、金色の光の線が雷光の様な軌跡を残し駆け巡る。
光弾が集約する前に、その間を抜けた零式の背後で起こる爆発。しかし、それに気を留める事なく、零式のスラスターはエネルギーを圧縮していく。
舞い散る金色の粒子を一つの線に変化させながら、景色をおいていくスローモーションの世界で、翔の瞳はすぐ目の前に迫った福音を捉える。
そこまで来れば、当然する事は只一つ……無心で剣を振り抜く事だけ。
「ぬぅんっ!」
先程の精密な機動を見ていた翔は、剣の軌道を、縦ではなく横へと切り替え、胴を狙う軌道で巨大な質量を持った剣を振り抜く。
並の者ならば、その剣を見極める事なく斬り捨てられる程の一閃を、福音は何事も無かったかの様に、機体を逆さに向ける要領でそれを回避。
無論、攻撃を回避されたからと言って、翔がそれで動きを止めるわけもなく、振り抜いた勢いのままに前進、そして急上昇。
翔の視界に、一瞬蒼穹の空が広がるが、その光景に目を奪われる暇なく両肩のスラスターを稼働させ、機体を反転、翔の視界に、足をこちらへ向けている福音が目に入り、直ぐ様そこへと落ちる様に加速。
「一刀両断!」
気合の入った掛け声と共に、真っ直ぐ福音へと肉薄し、そのまま振り下ろす。
足を向けているその中心、股へと向けて真っ直ぐに正宗は吸い込まれるが、翔の斬撃が吸い込まれるようにして入る直前、福音の身体は、右へ90度ほど回転。
真っ直ぐに振り下ろされた正宗の刃は、福音の前面を紙一重で通り過ぎていき、零式自体も福音の下方へと抜けるようにして通り過ぎる。
しかし、そのまま海面へと加速するわけではなく、零式の背面に伸びているスラスターが並んだ二本の鞘のような部分を前面へと移動、付いているスラスターを最大稼働、同時に両肩に付いている前面のスラスターも稼働させ、後方へ上昇する様にして加速。
「ぐぅ……っ!」
当然その際、シールドが処理しきれなかった分の慣性が、シールドを突き破り、翔の体へと負荷を掛ける。
内臓全てが、翔の身体の前面へと押し付けられる強烈な衝撃にうめき声を漏らしながらも、自らの前に正宗の刀身の腹を掲げる様に持っていく。
そこへ予想した様に光弾が零式を追い越し、零式の前面で集約――爆発。
その爆発の衝撃で、更に身体を持ち上げられた事を利用し、盾の様に使った正宗の刀身を自らの左側に出すように構え、正宗の刃の背に付いたスラスターを全稼働。
背面へと戻った鞘の様な部分についたスラスターは稼動していないのか、正宗のスラスターだけで方向転換する様にして、翔の身体はぐるりと上空を向く。
その瞬間、背面のスラスターを全稼働。
蒼穹の空が一瞬にして近づき、それに伴って福音の姿も既に目の前。
福音の姿を捉えた時には、スラスターを全力稼働させた正宗の刃がまたしても福音の胴へと吸い込まれるようにして、金色の粒子を纏わせながら迫る。
それに対し、己の体を正宗の刃と平行になる様に機体の向きを変え、一夏の一撃を回避した様に、剣の流れに逆らわない様にして一回転。
大質量の剣が空を斬るような剣圧と共に、金属と金属が僅かに接触したような甲高い音が密かに聞こえる。
『推進装置翼部に損傷……被害軽微、戦闘続行に支障なし』
一夏の時の様にはいかなかったのか、正宗零式によって、装甲を少し削られたと言う事実を告げる抑揚のない機械音声が辺りに響く。
既に福音との交差後、機体を反転させていた翔は、その鋭い瞳でもって、被害状況を確認する福音を静かに見据える。
接近格闘が主体の機体と、射撃戦が主体の機体では、技術の差にもよるが常識的に考えて、射撃戦主体の機体の方が有利であるのは間違いない。
射程距離の長さというの絶対的なアドバンテージであり、接近戦が主体の機体は、その射程距離の差をどうにかしてくぐり抜けなければ、相手に決定打を与えられないというリスクを負う。
それにも拘らず、今まで翔が勝ち抜けてきたのは、機体の絶対的な疾さと、翔自身の持つ動体視力による見切りこそが、射程距離というアドバンテージを覆す要因だった。
その要因に付随して、黒衣零式による負荷に耐えうる肉体の強靭さ、判断力の速さ等が、要因として挙げられる。
幾つもの要因が重なっての現状であり、軍用ISである銀(シルバリオ)の福音(・ゴスペル)と対峙して、無傷でありながら、小さくとも損傷を与えると言う奇跡のような事態が成り立っているのだ。
「届かぬ訳ではないか……」
奇跡の様な現実を起こしながらも、淡々と事実のみを確認しているような翔の低めの声と、平坦な口調は、シーソーゲームの様な戦闘による高揚等とは全くの無縁さを感じさせる。
その声すらも、激しい戦闘を一旦落ち着かせている現状からすれば、違和感を更に浮き彫りにさせる声であり、それこそが、柏木翔という人物の異質で異常な所でもあった。
年齢が二桁に届かない頃から、己に課してきた厳しすぎる修練と、ある意味身体を鍛えるよりも辛い、力を無意味に振り翳さない為の精神修行。
その集大成こそが、今こうして剣一本を携え、死の気配がつきまとう実戦で冷静に相手を見据える翔の姿だった。
今現状の任務は、一夏と箒が撤退し、収容されるまでの時間を稼ぐという事が、翔に課された任務であり、その事を正しく認識している翔が下した結論。
幾つかの攻防のやりとりの結果、分かった事があった。
まず、相手はどうしても射撃と言うフィールドで、翔を撃墜(お)としに来ているという事が一点。
機動性としては、移動という観点よりも、機体制御――回転、停止等の細やかな動きを精密に行うと言う点を重視しているという事が一点。
火力は光弾が着弾すると爆発すると言う特殊兵装を頼りにしている節が強いと言う点が一点。
その特殊兵装の特性から、精密射撃ではなく、数でもって効果範囲を広げているという点が一点。
試験稼働中だったという事を加味して、特殊兵装以外使っていない事から、それ以外の兵装は無いと思われる事が一点。
それら全ての分析を総合して、翔が出した結論は極単純でありながらも、実現可能な結論。
――後少しの時間稼ぎ位ならば、問題なく遂行可能。軽度の被害を無視すれば、撃墜も実行可能。
『柏木、後数分で織斑と篠ノ之の収容が完了する。完了後空域から離脱しろ」
「承知」
自らにとって何ら無理のない、実現可能な結論を軽く出した所で、千冬からの通信。
千冬が出した結論は、当然の如く時間稼ぎであり、その指令に短く了解の返事を返し、通信が途切れる。
そしてやはり、見据えるのは、先程の攻防の結果、警戒心を高めているのか、動こうとしない鋭角的なフォルムのIS、銀の福音。
沈黙を守るそのISに対し、正宗零式を正眼に構え直し、スッと細めた鋭い瞳でそれに応える翔。
「もうしばし、俺に付き合ってもらおう」
静かにそう言葉を紡いだ瞬間、スラスターからチラチラと漏れ出る金色の粒子の量が増大。
それに伴って、黒衣零式は、金と黒が混じり合う一筋の線となり、それこそ気がついた時には、と言うしかない疾さで、福音の懐へと潜り込み、狙うは福音の右肩口。
大気を切り裂きながら、銀色に鈍く光る刀身が肩口へと吸い込まれる……が、それにさえ対応する為の機動を取ろうと、福音が動くその刹那の瞬間、正宗は無数の光の粒子へと返還され、翔の両腕は空を斬る。
しかし、それにより、既に動き出していた福音は、動きを止められず、機体を既に反転させる状態に入っている。
機体を翔から見て右へ90度程反転させた福音に対し、直ぐ様翔は腕を伸ばし、福音の推進装置の片翼を掴む。
「ふんっ!」
掴んだ瞬間に、己の方へと引き込み、そのまま膝を折り畳みながら福音の右横腹へと膝を叩き込む。
金属と金属がぶつかり合う大きな音を響かせながら、装甲に守られた膝と腹部が接触し、その衝撃で少しばかり上空へと浮かび上がる福音の身体。
直ぐ様掴んでいた片翼を離し、距離が離れるに任せるが、福音もISである為、直ぐに機体の制御を取り戻す。が、それでは遅い。
福音が機体の制御を取り戻し、翔へと注意を払うその短い時間は、零式を纏った柏木翔という人物の前では、致命的な隙以外の何物でもない。
既に正宗を呼び出し終えている黒い雷光が福音のすぐ傍まで迫っている。
翔に対して正面を向いている福音に対し、今度こそ胴体を薙ぎ払う鋭い一閃。風を孕んだ剣風が福音のシールドに迫るも、その剣風は難なく阻まれる。だが、結局は凄まじいまでの剣風等、その後に来る圧倒的質量を伴った衝撃に比べれば、そよ風の様な者と何の変わりもない。
「チェストォ!!」
張り上げた声と共に、今度こそその一閃は福音のシールドを切り裂き、装甲へとその刃が届き――衝撃。
無骨で長大な、大質量の刃が金属の装甲と接触する甲高い音と共に、福音の身体は相応の速度で翔の左側へと真っ直ぐに吹き飛んでいく。
無論、それを逃す翔ではなく、吹き飛んでいく福音に追い縋る様に機体を加速させる。が、福音もそこまでされると、攻撃を避けるよりも迎撃した方が良いと判断したのか、翼部に存在する36の砲門全てを翔へと向ける。
刹那――幾つもの光が、翼部の訪問から射出され、それらは例外なく光の帯を伴いながら翔へと殺到。
翔の前に広がる弾幕の嵐は、少し前の砲撃の様にすり抜ける隙間等存在しない。それ程の密度の光弾が翔へと向かうが、それでも翔の表情に焦りの色はなく、両肩部の前面に付いているスラスターを全力稼働、同時に脚部のスラスターを停止と同時に、背面の鞘のような部分を前面へと移動後、付いているスラスターを全力稼働。
「ぐっ、ぅ……っ!」
それにより機体が急停止すると共に、翔の体にこれ以上ない程の高負荷が掛かるのは当然の話であり、それにより押し出されたような呻き声が翔の口から漏れ出るが、機体の動きはそれで止まる事はない。
停止してもまだスラスターを稼働させ、急速後退、内臓を身体の前面へと押し付けられる感覚を保ったまま、光弾から距離を取り、先程まで翔が居た場所へと、光弾が収束――爆散。
大気を震わせる轟音と共に、発生した黒煙が翔と福音の姿を隠し合い、互いの間には大量の黒煙の壁が広がる。
留まる事を知らない様に、その範囲を広げていく黒煙を目に入れた瞬間、全面のスラスターを停止させると共に、背面のスラスターを全力稼働させ、機体を安定させる。
同時に、進路を黒煙のすぐ下辺りに取り、そこへ向けて全力で駆ける。
「づぁっ!」
先程とは違い、内臓が身体の後ろ側へ押し付けられる感覚に切り替わり、刹那の時間で黒煙の下へ到着し、直ぐ様進路を斜め上へと取り、正宗を右下方へと構える。
広がり続ける黒煙の端に、福音の姿を捉える。
福音は砲門を開いたまま、黒煙の向こう側を見据えているが、翔の姿を捉えると、黒煙の下へと砲門を向ける。
「おそ、いっ!」
声と共に既に急上昇の体制に入っていた零式のスラスターから舞い散る金色の粒子は、更に数を増し、福音へと駆けて行く零式の後ろに広がる光は、既に線ではなく、極太の帯へと変化を遂げている。
青色のキャンパスに極太の筆を押し付けたような帯を引きながら、金と黒の雷光は、目標を捉える事になるのは言うまでもなく、光弾が射出された時には、既にその懐に存在している金と黒。
そして、金と黒の雷光に付随するように着いて来た鈍い銀色が、下から上へと弧を描きながら煌き、その煌きに捉えられたのは、既に光弾を発射した後の砲門。
本体への直接接触こそなかったものの、正宗の刃は、問題なくシールドを切り裂き、幾つもの砲門が存在している翼部へと叩き付けられる。
「とった、ぞっ!」
切り上げられるようにして放たれた斬撃は、見事に翼部の砲門を幾つか削り取りながら、福音の身体を更に上空へと押し上げる。
意思を持っていない人形の様に、上空へと吹き飛んでいく福音を、そのまま加速し、追撃を掛ける。
当然の如くその結論に至った翔の思考は更に加速し、自らのイメージをより強固に、鮮明に描いていく。
それに応える零式は、更に金の粒子を増大させる――。
「っ!?」
事はなく、溢れ出ていた金の粒子は、力を失ったかの様に霧散していき、最後には金の粒子等無かったかのように消え去ってしまう。
光が漏れ出ていたはずのスラスターは、既に応える事なく、その奥には只々黒い空間が存在するのみ。
「保たなかったか……」
起こった事を受け入れる様に静かに呟かれた言葉と共に、翔は視線を動かし、表示されている数値の一点にその視線を固定する。
――エネルギー圧縮率211%
――圧縮装置破損
――特殊兵装<迅雷>使用不可
只そこにある現実のみを表示する文字を、淡々と見据える翔。
『柏木、織斑と篠ノ之の収容が完了した。お前もその空域から離脱しろ』
「…………」
『どうした?』
タイミング良く千冬から通信が入り、サブモニタに千冬の顔が小さく表示されるも、翔はそちらへと目を向けず、只々その瞳は、既に体勢を整えた福音へと静かに向けられる。
様子がおかしい翔に、形の整った眉を歪める千冬。
正宗を構えながらも、棒立ちで、動こうとしない零式を放置する福音でないのは当然で、微動だにしない零式へ、生き残っている砲門を向ける。
『おいっ! 何をやっている柏木! 迅速にその空域から離脱を……』
「そうもいかなくなりました。離脱するのは不可能なようです」
『な、何を言っている……』
「現状を報告します。スラスターの全てが破損。エネルギーとPICが生きている事により何とか浮いてはいますが、福音を振り切れる速度を出せません」
『な、に……?』
零式のPICは、勿論移動する事が可能なのだが、その速度は、現在存在する第三世代型ISとあまり変わりがない。
高性能と言っても、現状存在する以上の性能を持つPICと言う訳ではない。
そんな零式が尋常ではない疾さを得ていたのは、特殊兵装である<迅雷>の恩恵が大きく、PICとは別枠で爆発的な推進力を保有する事が出来る兵装、それが<迅雷>である。
速度の要である<迅雷>が破損。この事実は、どういう事かと言われれば、現在の零式に、福音から逃げ切れる程の速度はない、と言う事に他ならない。
その事実を淡々と受け入れている翔は、ぐっと正宗を握り込み、砲門を開いている福音を見据える。
現状を打開する為の策等ない。ならば、如何に上手く、死なない様に撃墜(お)ちるか、それこそが翔の中で最重要事項としてシフトしていた。
『待て、今増援を……』
「……向こうは待ってはくれないようです」
心なしか慌てている様子の千冬に、翔が静かにそう告げると共に、無情にも福音が開いた砲門が幾つも煌き、光弾が射出される。
幾つか潰したとはいえ、未だに20は残っている砲門全てから伸びた光弾は、直ぐ様翔へと殺到する。が、ゆらりと、先程までの動きとは全く違う、緩やかな動きでもって、光弾から少しばかり後退する様に、零式を操作。
雨の様に迫る光弾を前にして、ゆらりゆらりと何かを待つように後退を続け、ある一定の距離まで光弾が迫った瞬間、右手に持っていた正宗を一閃。
切っ先に当たった一つの光弾が爆散し、そのまま連鎖的に収束していた光弾が、次々と爆散を続け、後には振り抜いた正宗を肩に担いだ無傷の零式と、もくもくと立ち上る黒煙だけが存在していた。
光弾の数が減った事により、量を減らした黒煙を挟み、静かに福音を見据える翔。
黒煙を纏うように存在するその姿は、危機的状況にも関わらず、圧倒的な存在感を感じさせる。
千冬が通信を繋いだ事から、先程の光景もモニターされているのは間違いなく、この光景を見た者は、当然の如く驚愕の表情を浮かべざるを得ない。
押されているにも拘らず、威風堂々と立つその姿には、危機を感じさせない余裕すら感じる。
「そう簡単に撃墜(お)ちてやる訳にはいかん」
静かに言い放たれた台詞と共に、鋭い瞳で福音を見据える翔は、正しく何時も通りの翔だった。
結論から言うと、福音を前にして、特殊兵装である<迅雷>を使えなくなった翔は、まだ健在だった。
しかし、まだ健在、と言うだけであり、無傷かと言われれば、そのような事はなく、肩のパーツは無くなり、鞘の様な形で背面に伸びている棒の片方は半ばから折れて破壊されている。
脚部の装甲も、所々ひび割れ、中の脚が見えている所も存在し、碗部の装甲も、残っている所はそう多くはない。
右の瞳は閉じられ、その上を赤い川が一筋流れ、それは顎の方まで伝っている。
頼みの綱である正宗零式にも、所々ヒビが入っており、その硬さに綻びが生じている。
一言で言うなら満身創痍。
しかし、未だ開かれている左の瞳は、刃の様な鋭さを失っておらず、静かな色を宿し、苛烈なまでの光弾の嵐を見据えており、その瞳でもって、今までのクリーンヒットをなんとか免れている。
相対する相手が、意思を持つ人物ならば、その技量に驚愕や感嘆の声を漏らしていただろう。
踏み込みの疾さを生かした先程までの戦い方とは一転、急な加速をする事なく、ゆらりゆらりと流れる様に動き、的を絞らせてから、攻撃が来る場所を割り出し、それに対処する。
今の翔は、そう言った戦い方へとシフトしている。
剣を振る技量ではなく、全身を使った技量と、観察眼、分析力、そういった物を前面に押し出した高度な戦い。
これはそういった物であるが、本来零式はそう言う類の機体ではないという事も作用し、無傷と言う訳にはいかない。
機動力を無くし、思い通りに動かぬ機体では、正直な所、撃墜(お)ちていないのが不思議なくらいなのである。
今まで幾度も見てきた千冬の、武に通ずる流れるような足運び、それをトレースしているからこその今の結果だった。
「すぅ……はぁ……」
殊更呼吸を意識するように息を整え、迫り来る光弾を視界に入れる。
危機的状況の現在ですら、鋭く開かれた左の瞳は、冷静に状況を捉え、顔色にも焦ったような色はない。
迫っている光弾は数にして11、翔と言う点へ向け、円を描くようにして集約する光弾を見据え、すぐ目の前まで迫った瞬間、ゆらりと後退しながら、正宗を盾の様に前面へと翳す。
爆散後、大気を揺るがす振動と衝撃を受け止めた正宗により、機体を更に後方へと押しやられるが、それに逆らうようにまたしても、ゆらりと機体を左右に振り、前進。
黒煙を貫くように殺到した光弾の間に、機体を滑り込ませ、躊躇なく正宗を背面へと移動させ、それによって爆発の衝撃を受け止め、更に前進させる。
PICによる移動と、爆発の衝撃を正宗で受けたことにより、それなりの速度で福音との距離を詰める事に成功する。
「18……」
『柏木! 今オルコットに準備させている! それまで撃墜(お)ちるな!』
「……確約は出来ません」
『それでもだ!』
「……承知」
千冬とのやり取りを終えながらも、その瞳は福音へと向けられ、射出される光弾の数に注目している。
その数は4、翔から見て左方向に移動しながら、順番に打ち出された光弾は、翔の正面から左へ向けて一定のズレを生じさせて射出されている。
一発目の光弾が翔へと迫った瞬間、やはり機体を揺らめかせ、紙一重で左側に滑り込み、直ぐ様正宗を翻し、わざとその光弾を斬り裂き、誘発させる。
衝撃でもって速度の乗った機体は、二発目の光弾へと近づくが、やはりそれも流れに任せる様に左側へと滑り込み、光弾を斬りその衝撃で機体を加速させる。
残りの二発も同じ様に対処し、光弾をくぐり抜け、爆発の衝撃で加速した機体で福音の姿を眼前に捉える。
鋭角的なフォルムの軍用ISを、正宗の間合いに捉え、衝撃の加速と、ゆらりとした速度で追い縋りながら正宗を振りかぶり――
「賭けには……負けたか」
静かに呟かれた翔の言葉と共に、幾つか砲門を削り取られた翼部に存在する、損害なく閉じていた砲門の一つが口を開ける。
もう既に福音は眼前まで迫り、正宗は振り下ろされる直前、残った一つの砲門が口を開け、そこから射出される光弾は……当然の如く翔の姿を捉え、それを狙い――射出。
刹那の時間で翔の懐に着弾――衝撃。
「がっ、ぁっ!」
轟音にかき消された苦悶の声を上げる翔の体に、爆発の衝撃や熱が一気に襲いかかり、全身から煙を上げながら、翔の身体は海面へと落ちていく。
展開されていた零式の装甲も、全てが粒子へと姿を変え、翔の握りこまれている右手に待機状態へと姿を変えて収まる。
蒼穹の空が翔の視界から遠ざかっていく中、自らの右手に存在する零式を目の前に掲げる。
「よく……俺に、付き合ってくれた。感謝、するぞ……俺は、まだ未熟、という事か」
その台詞を最後に、翔の意識は闇に飲み込まれ、身体は海の中へと飲み込まれる。
翔が意識を失う直前、待機状態にあった零式が、鈍く光っていた事に等、気がつく者はそこに存在してはいなかった……。
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