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「IS インフィニット・ストラトス ~黒衣の侍~」
銀の福音編
二十七斬 漢だからこそ厳しい事も言う
夏の厳しい日差しが照りつける広い砂浜。
日差しによる熱を蓄えすぎた砂浜には、ゆらりと揺れる陽炎が立ち上がっている。
一言で表すなら、炎天下。そう表していい程の環境の砂浜に、臨海学校に来ているIS学園の1年生ほぼ全員が集まっており、その身は漏れることなくISを動かす際に着る専用のスーツに身を包まれていた。
無論その状況下で汗を掻かない者等、そうそういる訳もなく、多くの生徒達は額に汗を浮かべている。
その中で、目立って汗を掻いていない生徒が2人。
1人は現在、IS学園1年生の担任である千冬の前に立たされ、ISのコア・ネットワークと呼ばれる、ISに積まれているコア自身が持つデータ通信ネットワークについての簡単な概要を説明させられている生徒、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
左目を覆う無骨さを感じさせる眼帯が目を引くが、よくよく見れば、小柄な身体に銀色の長く豊かな髪、眉と合わせて鋭い瞳は透き通るような赤色。輪郭も女性にしてはかなりシャープな部類の顔立ち、千冬の前でかなり緊張しているのか、小さな唇は目一杯への字に引き絞られている。
そんな、有り体に言ってしまえば、美少女と言っていいラウラは、特に目立って汗をかいていない。
額に一筋の汗が見えるが、おそらくその汗の原因は暑さではないだろう。
今でこそラウラは、IS学園ドイツの代表候補生という肩書きを持っているが、同時にドイツ軍にある一つの部隊の隊長としての肩書きも持っている。
軍上がりのラウラには、当然の事ながらどのような環境でも耐え抜く訓練というものも経験しており、今更この程度で音を上げるような要因は一つとしてない。
ラウラがコア・ネットワークについての説明をしている間にも、他の学園生は汗の量をどんどんと増やしていくが、その中でも、もともと目立って汗を掻いていなかったもう1人の人物。
IS学園1年1組に在籍する2人の『男子』学生の1人、柏木翔と呼ばれる人物は、未だに目立った汗を掻いておらず、背筋を伸ばし、しっかりと地に足を付け、休めの体勢でラウラが説明するコア・ネットワークの話に耳を傾けている。
静かに、姿勢を崩す事なくじっと立っている翔の隣には、同じく1年1組に在籍するもう1人の男子学生、織斑一夏が若干疲れた様子で、重心を左右に動かしながら立っている。
「なぁ、翔……暑くないのか?」
「無論暑いに決まっているだろう?」
小さく揺れる黒の髪を揺らしながら、一夏が小声で隣に立つ翔へ声をかける。
問われた翔は、視線は正面にむいたまま、同じく小声で一夏に答えを返すが、どうにも一夏はその答えが気に入らなかったのか、僅かに顔を顰める。
と言うよりも、呆れていると表現した方が近いのかもしれない。
「どう見ても暑いと感じてる様には見えねーよ……」
「慣れているだけだ、こう言った環境の下で鍛練する事も多いからな」
特に気にした様子もなく、慣れていると涼しげに答えた翔に、一夏は、うへぇ……と如何にも想像したくないと言う様に疲れたような表情を見せる。
「流石に優秀だな。遅刻の件はこれで勘弁してやろう」
コア・ネットワークに関する説明は終了したのか、千冬からラウラへ許しの言葉が落とされる。
その瞬間、ラウラが安堵した様に息を吐き出すのを翔の目ははっきりと捉えており、少しばかり可笑しそうに、フッと小さな笑みが浮かぶ。
どうやらその様子は一夏も見ていたらしく、翔とは違い、少し引きつったような、そんな微妙な笑み。
昔から千冬を怒らせる事も多々あった一夏からすれば、他人事ではないのだろう。
「さて、それでは各班ごとに振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。全員、迅速に行なえ」
千冬の凛とした声に、その場にいた学生達は揃って返事をし行動を開始するが、その動きはどうにも鈍さを感じさせる。
並んでいる人数が人数故に、動きがどうしても鈍くなるというのもあるのだろう。
IS試験用の切り立った崖で四方を囲まれたドーム状のビーチと言う、普通のビーチと比べれば、比較的狭い場所だという事もその要因かもしれない。
専用機を持っていない生徒達は、打鉄の装備を運んだりと、学園で使われる共有ISを準備する為にぞろぞろと動いていく。
逆に、専用機持ちである、翔、一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラの6人は、搬入された新装備のコンテナへと足を向ける。
そうなると、当然専用機持ちの6人は必然的に固まって移動する事となる。
コンテナへと向かう道すがら、当然の様に6人は集合し、追加される新装備の事へ話はシフトする。
「皆の追加武装ってどんなのなんだ?」
「私の新装備は強襲用高機動パッケージですわ。これがあれば、翔さんの零式にも追いつく事が可能ですわ」
「それって、結構凄い事だと思うけど……」
「私はそれよりも、ボスの零式に付く新装備が何なのかが気になります」
「あ、それ、アタシも気になるわ。どんな装備なのよ?」
ラウラの一言で鈴音も興味を引かれたのか、その猫のような瞳を翔へと注ぐ。
会話に軽く混ざる事なく、腕を組み黙々と歩いていた翔に視線が集まり、全員が一旦足を止める。
普通ならば、新装備が専用機持ちに送られてくる際、その新装備の内容、パッケージ装備後の仮想スペック等など、多くの情報が操縦者に知らされる。
となれば、今でさえ反則的なスペックを叩き出し、圧倒的な強さを誇る翔が持つ、零式の装備が気になるのも仕方の無い事だとも言える。
瞳に期待の色と興味を混在させた、セシリア、シャルロット、ラウラ、鈴音、一夏の視線が翔に突き刺さり、足を止め、組んだ腕を解かないままに、翔は軽く瞳を伏せる。
そして何かを少し考えるような間を置いた後に、静かに出てきた翔の言葉は……。
「恐らく、追加装備はない。何も聞かされていないからな」
5人の期待をブチ壊す静かな一言だった。
翔の一言に、セシリアとシャルロットは苦笑を、鈴音は猫のような瞳を疲れたように伏せ、ため息を吐き、ラウラは余程期待していたのか、肩をがっくりと落としている。
一夏はその4人の反応とこの空気のフォローはできないものかと思案する様に、シャープな顎に右手を当てて考えている。
そんな一夏の視界と耳に、千冬が、打鉄の装備を運んでいた箒に声を掛けた姿と声が入ってくる。
箒は専用機を持っておらず、打鉄の装備を準備するはずなのだが、それを態々引き止めているように感じる。
「何で態々箒を?」
「どーかしたのー? 一夏ー」
感じた疑問をぼそりと口に出した一夏に反応したのは鈴音で、彼女は後頭部付近で両手を組みながら、一夏の隣へ立ち、一夏の見ている方へ自らも視線を配る。
その2人に釣られて、他のメンバーも一夏へと集まり、一様に同じ方向へ視線を送る。
「気になるなら行ってみればいい」
一夏が見た光景と同じものを見た者達を代表する様に、翔から静かに言葉が投げられ、それに一夏達が頷きかけた瞬間、地鳴り、と言うか、それに近い音が辺りに響き渡る。
狭いビーチの中で響き渡る地鳴りの様な音と共に、一夏達が視線を注いでいる千冬と箒の向こう側から、もくもくと立ち上る砂煙が目に入る。
そして砂煙の先頭をひた走る物……いや、者。
それはどこからどう見ても人間であり、なにやらどこかで見た事のあるようなメイド服に似たような服に、特徴的な機械のうさみみ。
間違えるまでもなく、ISと言う規格外の物を開発した鬼才・篠ノ之束。その人だった。
このIS試験用の狭いビーチは間違いなく関係者以外立ち入り禁止の筈だが、結局、鬼才・篠ノ之束にとっては、セキュリティなどあってないような物なのだろう。
何が嬉しいのか、満面の笑みで砂煙を立ち上らせながら長い髪を靡かせて、ビーチを爆走する束から大きく声が上がる。
「やあやあ! 会いたかったよ、ちーちゃん! さぁ、ハグハグしよう! 愛をたs……」
そこまで言って大きく張り上げていた声は止まり、目標としていた千冬から、その奥に存在する人物へと、束の瞳が移動する。
「しょーくん! しょーくん! 愛しい愛しい束さんが参上したよー! ハグとは言わずくんずほぐれず愛を確かめ合おう! 束さんはしょーくんに I love y……」
千冬の奥に一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラと共に立っている翔を瞳に捉えた途端、その目標は即座に変更されたのか、次は翔へ向けて大きく声を張り上げながら千冬と箒の間を通り抜ける瞬間、束の前進は伸びてきた腕によって頭を掴まれ、強制的に停止させられる。
「させるか!」
「ぐえぇぇ!」
束に向かって伸びてきた手は、千冬の物であり、その手は見事に千冬と箒の間をくぐり抜けようとした束の後頭部を捉えている。
千冬の手によって後頭部を掴まれた束の頭からは、何かが軋む様な、そんな聞こえてはいけない音が聞こえている。
無論、そんな派手な登場をして、そのインパクトに辺りの作業は止まり、その光景に呆然となっている者が多いが、そんな事は関係ないとばかりに、束と千冬は状況を動かしていく。
「今、何かとてつもなく不愉快な事をしようとしたな?」
「うぐぐ……全く、ちーちゃんはしょーくんの事になると本当に容赦がないね」
「べ、別にそういう訳ではない……大体、私がお前に容赦した事等ないだろう」
「えっへへ~、それもそうだねぇ」
辺りの者達が呆然としている中、千冬と束の2人は、マイペースにやり取りを繰り返していく。
片や笑顔、片や凛々しく引き締まった表情と、微妙に差異があったが、そのような事を気にする者は、この場にそう多くない。
中々に衝撃的な目の前の光景を気にしない者の、数少ない一人である、柏木翔と言う男子学生は、目の前の光景に動きを見せない者達の背中を軽く叩いていく。
「行くぞ」
「お、おう」
「……分かりましたわ」
「わ、わかってるって、今行こうとしてた所だってば」
「う、うん」
「……了解しました」
翔の働きかけでようやく再起動した、一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラの5人は、翔の言葉に従って、それぞれ足を動かし、温められた砂浜の上を歩き出す。
コンテナへ向けていた進路を、千冬と束、そして箒が固まっているそこへと進路を変更する。
翔達と千冬達の距離はそれほど離れているわけではなく、距離にして精々50mと言った所。
それほどの距離等、案外とすぐ埋まるものだが、その間にも千冬達のやりとりは進んでいく、何やら箒に束が話しかけ、箒の日本刀の鞘で頭をぶっ叩かれている束が視界に入る。
叩かれた束は涙目になり、殴打された箇所を手で押さえながら箒に抗議しているが、箒はそれに応えるつもりはないらしく、束を厳しい瞳で睨みつけるばかり。
箒と束、そして千冬のやりとりに、呆然としていた一同から、ようやく復帰を果たした者が現れる。
復帰を果たした人物、山田真耶と言う名前の教師が束へ話しかけた時には、翔達はその近くまで来ており、その足を止めて、目の前のやり取りを静観する。
「あ、あのー……篠ノ之博士、出来れば自己紹介を……」
「んっ? 君は誰だっけ? 見た事無い顔だね?」
「ひ、酷い……一度会ってるのに……」
既に束の事を知っている真耶は、当然の事ながら、関係者以外は……等と的外れな事を言う事はなく、呆然としている生徒達へ向けて自己紹介を願うが、あまりにも素の表情で誰かと問われた為に、そのショックで涙目になり、いじけるようにして座り込んでしまう。
相変わらずの束の様子に、千冬は1つため息を零すが、直ぐ様表情を引き締め直し、厳しい目で束を見据える。
「おい、束。自己紹介くらいしろ。うちの生徒達が困っている」
「え~、めんどうだよぉ~」
難しい表情で束に自己紹介を促す千冬に、束は拗ねたような表情で右頬を膨らませながらぶーたれる。
らしいといえばらしい束の行動に頭が痛くなったのか、千冬は右手の人差し指でもって、米神を揉みほぐすように指を動かし、眉根を寄せる。
こうなった時の束は、基本的に何を言っても無駄な場合が多いが、1つだけ例外的に、この束を動かす手がある。
その手段を持っている人物に、千冬の視線は自然と移動する。
移動した視線の先には、一夏やセシリア達と共にいる翔が存在し、一緒に視界に入った一夏も、この状況を動かせるのは翔だけだと、長年の経験で分かっているのだろう、千冬と同じように翔へ視線へ送っている姿が見える。
姉弟揃って同じ考えに至った事に、今まで積み重なった経験を感じ、妙に感慨深い気分になったが、それはさておく。
ある意味、束に対しての最終兵器とも言える男に、織斑姉弟の視線が集中している事に、当然ながら翔は気が付いているし、その視線が求めている行動も理解している。
2人からの視線を集めている翔は、ふむ……と特に意味のない言葉を零しながらも、その足は未だ面倒臭い、とぶーたれている束へと向けられ、その傍らに立つと、束の頭に軽く手を乗せる。
「束。皆が困っている。自己紹介をしろ」
「お、おぉぉぉぅ……しょーくんのなでなでだよ……うん、束さんは感動したよー! しょーくんのなでなでに免じて全力で自己紹介してあげるよ!」
「いや、全力である必要はないが……」
翔が行動を起こした途端に、束は何やら驚いたように瞳と口を丸々と見開き、その後直ぐに、にへらっと笑みを浮かべて、翔の言葉を了承する。
何とか場が丸く収まりそうな流れに、千冬はため息を零し、一夏も疲れた様に肩を落とす。
へらっとした笑みを浮かべたまま、束は未だ動きを止めている生徒達に向き直る。
「はろー。私が天才の篠ノ之束さんだよー、IS作ったあの束さん。わぁ凄い。束さんってば天才だねぇ」
そう言ってその場で、くるりと一回転してみせる。
ふわりと長い髪とスカートが軽く浮かび上がり、きゅっと回転を止めると髪とスカートも重力に従って力なく元の形に戻る。
へらっとした笑みはそのまま、生徒達に向けていた身体を反転し、翔の方を向き、何も言う事はないが、期待を込めたような瞳を翔へと送っている束。
ちゃんと出来たよ? えらい? という様な意図を込めた束の視線に、苦笑を浮かべながら、翔は一つ頷く。
翔の反応に、わはー。と嬉しそうに表情を笑顔に彩る束だが、束が案外と普通に自己紹介をした為、辺りの生徒達が騒ぎ始めるのは当然の結果と言えた。
こう言った状況になった場合、真っ先に声が飛んでくる人物がいるのだが……何故かその人物は表情を強ばらせ、全身をわなわなと震わせている。
そしてよく見てみれば、全身を震わせている人物、織斑千冬の弟である一夏も様子がおかしく、絶望したように膝を折り、砂浜の砂を握りしめて、ちくしょう、ちくしょう……と繰り返し、目尻には何やら煌めく透明の雫が浮かんでいる。
様子がおかしいのは織斑姉弟だけではなく、先程生徒達へ自己紹介をした束の妹である篠ノ之箒の様子も、明らかと言っていい程におかしい。
私は、一体何の為に生まれてきたのだろうか……? 等と何か大きな悟りが開けそうな台詞を口にし、しかして、瞳は何かを逃避する様に海の向こう側へと送られている。
「馬鹿な……いくら柏木からの働きかけとはいえ、束がまともに自己紹介をする等……」
「ちくしょう……ちくしょう! きっと明日世界は滅びるんだ! だったら最後に翔の家の料理食べとくんだった!」
「ははっ……そうか、私の人生は15年と言う訳か……それでもいい、私は私の生きた証が残せるなら……」
驚愕に目を見開く千冬、何やら絶望の淵にいる一夏、あまりの出来事に思わず悟りきってしまった箒。
束の自己紹介だけで、あまりに失礼な反応をする3人に翔はため息を吐き、束は特に気にした様子もなく、翔の周りではしゃぎ回る様にまとわりついている。
見てくれは完全に美人で可愛い大人の女性といった容姿の束が、子供の様に翔へじゃれつく光景は違和感がありつつも、妙な一体感というか、そういうものがあった。
その光景だけ見れば違和感があるが、昔からそうやってきた様な、月日が積み重なる事によって出来た雰囲気という物が違和感を打ち消している。とでも言えばいいだろうか。
周りからすれば違和感を感じ、翔からすれば昔から変わっていない束の行動を見つつも、翔は辺りを確認する。
どんどんと広がっていくざわめきを止める最終兵器、織斑千冬は未だ驚愕の渦の中、次点で騒ぎを収められそうな真耶も、ショックを引きずっている。
軍の一部隊の隊長だったラウラはどうかと、視線を巡らせてみるが、ラウラを含めた4人の興味は、翔の周りではしゃぎ回る束に向けられているようで、あれが篠ノ之博士……。ISを作った人なんだよね? 天才だとお聞きしていますわ。等といった会話が聞こえてくる。
代表候補生なら或いは……等と思ったが、あの様子では他の生徒とそう変わらないため、事態を収めるには最適ではない。
仕方がないか……と覚悟を決め、翔は、自らの周りではしゃぎ回る束の行動を一旦止め、掌を大きく2回打ち鳴らす。
1人の人に視線が集中していた所に、人の声ではない乾いた衝撃音が響いた事によって、視線は一瞬、束から翔へと一斉に移動し、そのタイミングを見届けた翔が、そのタイミングを逃すわけもなく、間髪入れず声を張り上げる。
「束に興味があるのも分かるが、各自各々に与えられた仕事をしろ! でなければ何時まで経っても今日は終わらんぞ!」
千冬に勝るとも劣らない……いや、気迫を加味すれば、翔の方が若干上とも思える威圧感、声量、眼光によって、今まで動きを止めていた生徒達が慌ただしくも一斉に動き出す。
中には、微妙に涙目になっている生徒もチラホラと見える。余程怖かったらしい。
先程の翔から出た厳しい声で、姿勢を正しているのは、何も生徒達だけではなく、驚愕の真っ只中にいた千冬。絶望に打ち拉がれていた一夏。悟りを開けそうになっていた箒。そして似た様な厳しい声を聞いた事のあるラウラ。この4人が、自らの居た位置で、直立不動の姿勢をとっている。
千冬からすれば、翔は自らの師匠であるし、一夏と箒は剣や心構えを習っている時に何度も翔に怒られた経験がある。
ラウラは、翔に怒られた経験はないものの、翔譲りの喝の入れ方を受け継いだ千冬に何度も同じような声を受けた経験がある。
つまりこの4人の反応は、最早条件反射と言ってもよかった。
他の生徒達が翔の声で動き回るのを確認した翔は、うむ、と一つ頷き、砂浜の砂をざっと蹴る様にして、並んで直立不動の体勢をとっている3人に向き直る。
3人の正面から厳しい瞳を叩きつける。翔からの視線が突き刺さる度に、千冬、一夏、箒の3人の額には冷や汗が流れ落ちていく。
先程まで翔の周りではしゃいでいた束は、先程までのはしゃぎようは何だったのかと言うほどに静かになり、翔の後ろでにんまりと笑みを浮かべている。
思えば昔からこの構図は変わっていないと、唐突に3人は同じ事を思う。
昔から頭がよく、要領の良い束は、何故かいつも翔からの叱責を免れ、今立っている翔の後ろに立ち、一夏と千冬、箒の3人を今の様なにんまりとした笑みで見ていたのだ。
(そうだ、いつも私が怒られる……こんな事が積み重なってくるから、私は姉さんが嫌いなんだ!)
箒が束を嫌う理由は、束の都合による転校で一夏と離れ離れになった。という理由もあるが、それと同時に、小さな頃から要領の良かった束に、いつの間にか怒られる原因を束自身から箒へとすり替えられると言う事が何度もあった。
それ故に、箒が怒られそうになった事が何度もあったのだ。幸いにも、その罪の元凶のすり替えは、翔が怒る時だったため、毎回そのすり替えを見抜かれて束が怒られていた。
しかし、想い人に悪い印象を抱かれたくないために、妹に罪を擦り付けるような行動はどうだろうか……と今まで納得のいかなかった思いが積りに積もって、束を嫌いだという箒が出来上がっていた。
子供っぽい理由であると言えばそうだが、積み重なった恨みは消える事はない。だから多分、禍根が無くなったとしても、箒はきっと束の事が気に入らないだろう。
等と自分の感情を再確認している間にも、箒を置いて状況は動いていく。
「さて、千冬」
「はいっ」
「今のお前は何だ?」
「IS学園の教師です」
「ならば、生徒達を統率する義務がある。そうだな?」
「そうです」
「公私の区別は付ける。これが公人としてのあるべき姿、違うか?」
「違いません」
淡々と質問を繰り返していく翔に、冷や汗をいくつも浮かべた千冬が答えていく。
自らの生徒に説教を受けている故に恥ずかしい。等とそんな事を感じている表情では到底なく、戦々恐々とした千冬の表情は、明らかに先生に怒られる時の生徒の様な表情。
今の千冬と翔の関係は、教師と生徒ではなく、正しく弟子と師匠であり、精神が甘かった昔、千冬は幾度もこうして翔から叱られていた。
鋭い瞳が千冬を睨みつけるようにして突き刺さり、それに戦々恐々と表情を強ばらせる千冬に、その状況を翔の後ろでにんまりと笑いながら楽しんでいる束。
昔の1シーンが正しくここに再現されていた。千冬が精神的に強くなり、束が世界を飛び回るようになってからは見られなくなった光景の一つだ。
そしてこの1シーンも変わった所がある。昔ならば、この説教はまだ続くのだが……。
「それが分かっている自覚があるならば良し。同じ間違いを繰り返すほど子供でもあるまい?」
「はい、師匠」
フッとクールに笑みを浮かべながら、説教を直ぐに切り上げるのも昔とは違う所で、千冬が精神的に強くなり、翔に認められている事の証である。
説教と翔から放たれる威圧感を受けるのは、千冬としても勘弁願いたい所ではあるのだが、この瞬間は気に入っている。
届かないと思っていた師に認められている。そう感じるこの一瞬が、千冬は好きだった。
一旦厳しい状況から抜け出した千冬の動きは迅速で、いじけている真耶を正気に戻し、生徒達に激を飛ばしていく、そんないつもの教師然とした千冬を見届けると、クールに浮かべていた笑みを戻し、未だに直立不動を続ける箒と一夏、そして距離はあるがラウラへ視線を向ける。
そして不思議そうに軽く首を傾げる。
「何をやっているんだ? お前達」
「お前の所為だよ! もう条件反射で怒られるかもしれないと強ばってんだよ!」
翔に物申せないラウラと箒を差し置いて、今の今までずっと一緒で、付き合いならば箒よりも圧倒的に翔と付き合いが長い一夏から突っ込みが入る。
目の前で何とも言えない顔をして翔に突っ込みを入れる一夏を見ても、やはり翔は首を傾げるばかり。
「別に悪い事をした訳ではない。怯える事はないはずだが……」
「いや、だから……ってもういい、このまま行っても多分平行線だ」
理解出来ないと言わんばかりの翔に、一夏がため息と共に呆れた所で、千冬から箒にお呼が掛かり、箒が千冬達の元へと走っていく。
気が付けば、セシリア達も近くにおらず、恐らくは自らの新装備が積まれているコンテナへ足を向けたのだろう。
千冬が激を飛ばしているのだ、自らの本分に戻れとでも言ったのだろう。
ふむ……と考えるように右手で口元を覆う寸前、俺達はどうする? と言う意図を込めた一夏の視線に気がついた。
「織斑教諭達の元へ行くか、束に零式を見せろと言われているしな」
「了解だ」
新装備の追加が知らされていない一夏と翔は、結局何か指示があるまで千冬と同じ所に居る方が賢明だという結論に至ったのか、柔らかい砂の上を踏みしめるようにして足を動かしていく。
辺りを包み込む夏の熱気を感じない様に歩く翔に、一夏は少しでも暑さを誤魔化すために、声を掛ける。
「なぁ? 態々箒が呼ばれる理由って、何だと思う?」
「ふむ……恐らく」
後頭部で手を組みながら歩き、翔に軽く疑問を投げかける一夏に対して、翔は若干の思案の表情を見せるが、その表情は原因は分かりながらも話していいものかどうか、それを悩んでいるような表情。
しかし結局は、話しても問題ないと結論づけたのか、口を開こうとした瞬間、翔と一夏の耳に、何とも嬉しそうな束の声が聞こえる。
――大空をご覧あれ!
その束の声が耳に入った瞬間、太陽の光に反射する銀色の大きな鉄の塊が飛来し、数秒の内に砂浜へ着地。
落下してきた金属の塊は砂塵を巻き上げ、砂浜に堂々と鎮座する。
砂塵が落ち着き、落下してきた金属の塊がハッキリと認識出来る様になった時、その塊の正体は、まごう事なきコンテナであり、その中身は何と無く分かりそうなものである。
もう既に、千冬達との距離は目と鼻の先まで来ていた翔と一夏。
その2人の内、一夏は驚きに目を見開き、翔は砂浜に堂々と鎮座するコンテナへ向けて親指を向けて、冷静に一夏の疑問に答える。
「アレだ」
自分の数歩前を歩き、半身になって後ろを振り返りながら、左手の親指でコンテナを指し、その瞬間、謀った様にコンテナの正面がバタリと開き、中から紅い装甲をしたISが鎮座しているのが見える。
その自分の目の前の絵に、一夏は、何このハードボイルドな感じ、映画? 等と微妙に現実逃避に走っていた。
空から銀色のコンテナが降ってきてから、少し経ち、現在箒は、コンテナの中に存在していたIS、紅椿へと搭乗し、フィッティングとパーソナライズを行なっている所。
とは言っても、コンテナが空から降ってきてから、まだそれほど経ってはおらず、時間にして5分と言った所。
その間にも、千冬は紅椿の設定を束に任せ、自らは真耶と同じく生徒達のフォローに回って、相変わらず激を飛ばしている。
故に、他の生徒達も箒の事が気になっているが、そちらへ目を向ける事が出来ないでいる。
翔と一夏はと言うと、束がキーボードを滑らかに、そして軽やかに叩いていく様をじっと見ているだけ、と言うのも、今やってもらうべき事は無いと千冬から言われたため、こうしていても特にお叱りはない。
空中投影のディスプレイが束の周りに6枚ほど浮かび上がり、処理を終えたり、新しい処理を始める度に、その枚数は増減を繰り返す。
しかし、そのキーボードを叩くリズムには淀みがなく、迷いもない。
膨大なデータ量だが、その全てに目を配り、最適な処理を導き出し、一つ一つの処理を最短で終わらせていく。
その様は、正しく天才、鬼才の篠ノ之束としての姿だった。
「近接戦闘を基礎にして、万能型に調整してあるから、直ぐに馴染むと思うよ。あとは自動支援装備もつけておいたからね! 他ならぬこのお姉ちゃんが!」
「それは、どうも」
テンション高く、胸を張って妹の為に自分が作ったと、その豊かな胸を張る束に対し、箒はやはり昔の恨みや、転校のタイミングが尾を引いているのか、酷く素っ気ない。
そんな箒の態度を、気にする事なく束は、へらりと笑っており、納得出来ない様な表情を浮かばせながらも、一夏は口を開く事はない。
普通ならば、そう言った発言を見逃さない翔も、今は黙って目を瞑り、腕を組んで作業が終わるのをじっと待っている。
「ん~、ふ、ふふ~♪ 箒ちゃん、また剣の腕前があがったねぇ。筋肉の付き方をみればわかるよ。やあやあ、お姉ちゃんは鼻が高いなぁ」
「………………」
「えへへ、無視されちった。――はい、フィッティング終了~。超速いね。流石私」
挫ける事なく箒に向かって笑いかけながら話をするも、今度は無視され、それでも束はへらりと笑ってのける。
話を続けながらも、束はフィッティングを終了させる。
へらりと笑いながら、キーボードを打ち続けている束の目の前で、いくつものディスプレイが増減を繰り返し、膨大な処理を一つ一つ、そして丁寧なまでに終わらせていく。
その光景を見ていた2人の内、1人から、静かに声が上がる。
「箒。お前も何時までも子供ではない。姉を嫌うのは勝手だが、拗ねるのはそこまでにしろ、見苦しいぞ。嫌うならそれなりの理由を明確にしてから徹底的に嫌え。中途半端に姉に頼るな」
「っ!? す、すみません、でした。姉さん」
「えへへ、別に気にする程の事じゃないからいいよ~。でも箒ちゃんが態々私に謝ってくれるなんて、いやいやぁ、いい日になりそうだねぇ」
鋭い眼光に射竦められた箒は、言い返そうとするも、黙るしかなくなる。
姉を嫌うなと言っているわけではなく、結局嫌うなら嫌うで、徹底的に嫌って、ISを態々作らせる等という中途半端に姉に頼るような、そんな中途半端は認められないと言っているだけである。
嫌いになって姉の手を振り払ったのなら、もうその手は握らず、己の力で一夏の隣に立って見せろ。それが筋と言う物。
つまりはそういう意図が込められての翔の言葉だ、バツが悪くなった箒は、翔から視線を逸らし、束に謝るという選択肢しか残されていなかった。
一気に険悪というか、落ち着かない雰囲気になった場に、一夏は右往左往するばかりだが、結局、別に翔が怒った訳ではないと言う事に気がつき、特に何をする事もなく、また束の作業の観察へと戻る。
そして一夏の視線は、束から、IS紅椿へと移る。
一夏の隣に静かに立つ翔は、やはり腕を組んだままだが、今度は鋭い瞳を開いたまま、一夏と同じ様に紅椿へと視線を送っている。
そうして紅椿の観察を続けていると、作業をしていた生徒達の中から、こんな声が聞こえてくる。
「あの専用機って篠ノ之さんがもらえるの……? 身内ってだけで」
「だよねぇ。なんだかずるいよねぇ」
ある種の悪意が篭った声に、束が反応し、口を開きかけるが、後ろからその口元を手で覆われ、何も声を発する事が出来なくなる。
「翔……?」
束からは、彼女の口を押さえたのが誰かは見えないが、その光景を見ていた第三者、一夏から彼女の口元を押さえた人物の名が呟かれる。
呟かれた名前に、口元にある手が翔の手だと思うと、妙な興奮が湧き上がってくる束だが、それを感じるよりも先に、彼女のすぐ上から、先程の悪意の込められた言葉を発した誰かに向かって、静かだがよく通る声が聞こえる。
「誰が言ったか、あえて追求はしないが、他人を僻む暇があったら自分を磨け。それが出来ない者は底が知れるぞ?」
静かに、そして窘める様な口調で発せられた言葉に、女子の集団から声は聞こえなくなり、後には気まずげに作業に戻る生徒達がいた。
無論、翔はそんな事を気にする質ではないし、翔が発言している間、束の手も止まる事なく動き続けていた。
困ったものだ……と肩を竦める翔だが、未だ束の口元に添えられた手が外れる事はない。
何故ならば、他人に興味のない筈の束が、自ら態々発言しようとしたのだ。今手を外せば何を言うかわかったものではない。
と、束の動かしていた手が止まり、同時に次々と展開されていた空中投影ディスプレイが閉じていく。
それと同時に、翔は自らの手に何やら水気で湿った柔らかい物が、ぬめりっと当たり、忙しなくそれが動いている感触を自覚する。
その感触が伝わっているのは、束の口元を押さえている右手の掌であり、そうなれば当然それは束がやっている事に間違いはない。
束の行動が示す意図を汲み取った翔は、束の口元から手を外す。
「態々伝えるのにこの方法はどうかと思うが……」
「んっふっふ~。良いじゃあないかい。しょーくんの手、美味しかったよ?」
「ふむ、よくわからんな」
やはり、へらっと笑いながら、小さな舌を出し、レロレロ~と上下に動かしてみせる束に、翔は首を傾げて、自分の手をじっと見るが、結局はよくわからんと、そのまま放置しておく。
「まぁ、何にしても、あとは自動処理に任せておけばパーソナライズも終わるね。あ、しょーくん、約束の零式見せて。いっくんも白式見せてね。束さんは興味津々なのだよ」
「承知」
「え、あ。はい」
興味深そうで楽しそうな束の声に、一夏と翔は短く答え、一夏は自らの手首に巻いてあるリストバンド状態の白式に手を触れ、瞳を閉じる。
翔も小さな黒のネクタイピンの様な零式を取り出し、瞳を開いたまま手に乗っているピンへと意識を集中させる。
一夏がリストバンドに触れた頃には、既に零式の展開は始まっており、白式の展開が始まる白の光が溢れ出す時には、翔の体は黒の光で構成されたいくつものリングに、手足、胴体を覆われ、黒の光が弾け飛んだ瞬間には、翔の肉体は黒の装甲に覆われていた。
零式の展開から遅れる事2秒、翔の隣で白の光が弾け飛び、同じく白の装甲に覆われた一夏の姿があった。
白と黒と言う対照的な装甲を纏う一夏と翔。比べてみれば、フォルム的にも白式と零式はかなりの違いが見受けられる。
白式はどちらかと言えば鋭角的でシャープな印象を感じるフォルム、背面から飛び出している翼のような部位が見受けられるが、パッと見た感じではスラスターらしきものは見当たらない。
対して零式は、指の部分が尖っておらず、あくまで人間の指を模したような形になっており、全体的なフォルムも直線的でゴツゴツとした印象を受ける。
そして、一般的なISとは明らかに違う部位としては、翼のような浮遊している部位がなく、背面に詰め込まれたスラスターの多さと、それ以外にも肩の部位や肘の部位にも、バーニアを連想させるエネルギー出力機関が見受けられる事。
見た目のわかりやすさは明らかに零式の方がわかりやすく、どの部位のスラスターを動かせば、どういった動きをするのかが直感的にわかりやすい形になっている。
だが、実際は、直感的にどういう動きが出来るか理解していても、実際にそれを実現可能かというのは別問題であり、今の所それを可能としてのけるのは、現状、柏木翔を置いて他にはいない。
他の人間ではダメなのだ、シールドを突き破ってまで影響してくる重力加速度や慣性、零式の可能な限界速度域でも物を追える動体視力。
それこそ人間離れしているような肉体スペックがなければ操れない。そのような代物なのだ、黒衣零式と呼ばれるISは。
「やっぱ思ったんだけど、白式より厳ついよな、零式……」
「む? そうか?」
「あぁ、指の部分とか、拳ぶつけたら白式は装甲落ちそうな気がするんだよな」
「そこは別に問題無いだろう」
武器がある。と特に気にした様子のない翔は、白式と零式を見比べる一夏を放置しながら、手を開閉させながら、その様子をじっと見据える。
零式を観察する翔の瞳から何も感じ取ることはできないが、何かを考えている。一夏はそう感じた。
そんな一夏と翔を遮るように束の声がそこに割り込む。
「データ見せてね~。うりゃ、ぶすっとな」
2つのコードを持った束が、一夏と翔に割り込みを掛け、白式と零式の装甲にコードを差し込む。
その束の行動に連動するようにして、いくつかディスプレイが浮かび上がり。
白式のデータが表示されているディスプレイから、束は目を通していき、やはり、へらっと笑みを浮かべて、表示されたデータの数値と道筋のような物が記載された図を見比べる。
そして、興味深そうにいくつか頷く。
「ん~……不思議なフラグメントマップを構築してるね。なんだろ? 見たことのないパターン。いっくんが男の子だからかな?」
フラグメントマップと呼ばれるそれは、各ISがパーソナライズによって独自に発展していくその道筋の事で、ISの成長性の記録のようなものだと思ってもらえればいい。
それが、束も見た事のないパターンを示し、その原因が、一夏が男だからではないかと推測する。
そうなると気になってくる点がもう1つ出てくる。
一夏と同じ男でISの操縦者となった翔の事だ。先ほどから、目して語らずといった様にISを装着したまま腕を組んでいる翔に一夏の視線が動く。
「じゃあ、翔も似たようなマップを構築してる、って事ですか?」
「ん~、ちょっと待ってね……ありゃ?」
他にも表示されていた幾つもの空中投影ディスプレイの内、2つほどを覗き込み、束は疑問の声を上げる。
その表情は本当に不思議そうで、束と言えども理解しかねる。そのような表情を浮かべていた。
「しょーくんのもまたおかしな感じのフラグメントマップだねぇ。まぁでも、パターンを構築するにはデータが足りなさすぎるね」
翔のデータを見る事で、自らが何故ISを動かせるかという理由の糸口が掴めるかもとも思った一夏の希望は、短い時間で儚く散っていく。
しかし、フラグメントマップがおかしな構築をしていると言いつつも、束の視線は、マップを見ておらず、零式の別のディスプレイ、数値がびっしりと表示されているそれに、束の視線は注目されていた。
そのディスプレイには、赤色で表示された数値が、決して少なくない数存在していた。
同じ様な表示がしてある白式のディスプレイには、赤色の数値等、1つも存在していなかった。
一夏が、ISを操縦できる原因にたどり着けなかった事に肩を落としている間、束の表情は、凡そ見た事のない厳しい表情でそのディスプレイを睨んでいた。
その事は、鋭い瞳を軽く閉じている翔には見えなかったが、雰囲気で何となく察しており、敢えてそれに追求する事はなく、一夏が落としていた肩を直し、伏せていた顔を上げた時には、束は既にいつものへらりとした緩い笑みを浮かべており、束の雰囲気の変化を知る翔は言うつもりがないらしく、ただ黙ってそこに立ち続けるだけ。
こうして、1つの小さな事実は、誰にも知られることなく闇へと葬られた。
「まぁ、それはそれとして、後付装備ができないのは何でですか?」
「そりゃ、私がそう設定したからだよん」
「え……えぇっ!? 白式って束さんが作ったんですか!?」
「うん、そーだよ。って言っても欠陥機としてポイされてたのをもらって動くようにいじっただけだけどねー。でもそのおかげで第一形態から単一仕様能力が使えるでしょ? 超便利、やったぜブイ。でねー、なんかねー、元々そう言う機体らしいよ? 日本が開発してたは」
「馬鹿たれ。機密事項をべらべらバラすな」
長々と嬉しそうに一夏に重要事項を軽く話す束から、唐突に聞こえる打撃音。
明らかに大きな音を立てている様に聞こえた打撃音は、凡そ手加減というものが考えられていないような音だった。
無論、この場で束にそんな事が出来る人物等限られている。
束の妹である箒が、まず第一に上がるが、箒は未だパーソナライズが終わっていないため、先程の場所から動く事が出来ない。
2人目に一夏の隣で静かに立っている翔が上がるが、一夏の隣から一歩も動いていないため、翔ではない。それに翔は無闇矢鱈に人を殴る事はしないと言う、厳しい態度や見た目の割に穏やかな人物なのだ。
そして最後に、一夏の姉である千冬。束から聞こえてきた打撃音と共に聞こえた声は間違いなく千冬の物であり、千冬は束に容赦などしない。
以上の結論から導き出される光景が、一夏の前に広がっている。
そこには、いつ頃来たのか、千冬が束の頭を後ろから叩いたであろうと予想されるような光景だった。
頭を押さえて束が振り向いた先には、当然ながら千冬の姿があり、その姿を見た瞬間、白式と零式のコードを束は引っこ抜き、へらっと笑みを浮かべる。
「いたた。は~、ちーちゃんの愛情表現は今も昔も過激だね」
「やかましい」
相変わらず笑みを浮かべたまま余計なことを言う束に、もう一発手加減なしの拳が飛来し、見事に命中。
聞く者が聞けば、何かを誤魔化そうというような感じにも聞こえる束の言葉にも、千冬は、気が付かなかった。
そこで、一夏が気になった疑問を束に向けて投げかける。
「えー、零式も束さんが作ったんですよね? じゃあなんで零式は後付装備が出来るんですか?」
一夏の疑問は最もで、零式は後付装備を装備する事が可能だ。
虚鉄はまさにその一夏の言う所の後付装備であり、一夏の白式が雪片一本しか無いのに対して、零式は後から装備を登録する事が可能。
そして、渡された時期に殆ど誤差がない事から、白式の仕様を零式に適用しないのは、どうも違和感の残る話である。
純粋な一夏の疑問を受けた束は、途端に笑みから、無表情へと表情を変化させる。
「零式は、正確に言うと私が作ったんじゃない。私は仕上げただけ。まぁ、武器は私が付けたけどね~」
「え? あれ? 違うんですか?」
「織斑、私は言ったはずだぞ? 柏木が使うに値する仕様に『仕上げてきた』んだろうな? とな」
束と千冬からの言葉に、一夏は考え込む。
確かに、束が作ったとは一言も言っていない。
そうなると、浮かんでくる疑問がある。
一体誰がこの零式を作ったのか? という疑問。
つまりは、製作者不明のISを翔は現在纏っているという事になる。が、しかし、一夏の隣で零式を纏って静かに佇む翔は、そのような事を気にした素振りはない。
私が作りたかったのに~、と半ばむくれている束が、じたじたと子供の様に悔しがり、長いスカートの裾がひらひらと揺れるが、既に零式のマスターとして翔が登録されている今、悔やんでも仕方ない。
子供の様に駄々を捏ねる束に、千冬がため息を吐いた所で、今まで静かに佇んでいた翔が組んでいた腕を解き、黒の光を纏い、それを霧散させた後には、零式の展開を解いた翔が砂浜の砂を踏みしめて立っていた。
「まぁ、今更言っても詮無き事だ。製作者が誰であろうと気にすることはない。今零式が俺の力になってくれている事実に変わりはない」
黒のネクタイピンを拳の中に握り込み、その中にある待機状態の零式を見透かすように、自らの拳へ翔は視線を注ぐ。
その翔の表情は何時もの感情を悟らせないような表情な為、何を考えているのか、何を思っているのかという事は読めないが、ほんの一瞬、翔を見た束の表情が複雑そうに歪むが、結局何を言うこともなく、表情を戻す。
一瞬で戻したため、束の表情は誰にも見られる事なく、この場は進み、翔に視線を注いでいるもう1人の人物は、翔自身にではなく、翔の拳……もっと正確に言うならば、翔の拳の中にあるものに向けて、何とも厳しい視線を送ってる人物がいた。
その人物とは、一夏の姉、織斑千冬であり、その視線の意図を理解できるのは、この場においては弟の一夏のみであった。
そして、千冬の視線の意図を理解した一夏は、呆れたようにため息と共に肩も落としながら、白式の展開を解く。
白い光が霧散し、白い装甲の見えなくなった一夏も、柔らかい砂を踏みしめるが、やはり呆れたような表情と落ちた肩は戻っていない。
(千冬姉……ISにまで対抗心燃やさなくても……)
無論、思っていても声には出さない。
何故か? 後が怖いからに決まっている。
ISを纏っていても、纏っていなくても、変わらない暑さにうんざりしながら、一夏は自らの姉に呆れる他ない。
とそこで何かを思い出したかの様に、束がくるりんと身体を回転させ、にんまりとした笑みで一夏に向き直る。
その束の表情を見た瞬間、一夏の額に一筋のきらめく汗が流れる。
経験則として一夏は知っている。束がこう言う表情をした時は、何かしら一夏にとって良くなない何かを考えている時だと、一夏は知っているのだ。
「いっくんさー、白式改造してあげようか?」
「何だか嫌な予感がするので別に要りません」
「ぶーぶー。束さんのアイデアも聞かずに却下するなんて、おーぼーだねいっくん」
「じゃあ、聞きますけど……どんな改造するんですか?」
「うむ、よくぞ聞いてくれたよ、いっくん。執事の格好になるとかどうかね。いっくんには前々から燕尾服が似合うと思っていたんだよ。あるいはメイド服」
束の言う所の『アイデア』なるものを渋々聞く一夏に、つらつらと改造内容を語っていく束。
その表情は非常に満足そうな笑みを浮かべながら、何度も頷いている。
あるいは、という言葉から先は、どう考えてもこの夏の熱気に頭がやられたとしか思えないアイディアであるが、真面目にその内容を考えている束は、決して頭がおかしくなったわけでも、気が触れたわけでもない。
最初から真面目なのだ。だからこそ質が悪いとは、専ら身内からの意見ではあるが……。
秘密のビーチ然とした砂浜の真ん中で、このようなやりとりをしている自分を思わず第三者的に見てしまった一夏は、思わず燦々と照りつける太陽に手を翳しながら、その姿を仰ぎ見る。
「……いいです」
「いいです! おぉ、許可が下りたよ! じゃあ早速――」
「だあっ! わざと意味を間違えないでください! ノーです、ノー! ノーサンキュー!」
「む! じゃあ私はノーザンライツだ!」
「束。その張り合いは完全に理解不能なのだが……」
「ノンノン、細かいことは気にしちゃダメだよ。しょーくん。偉い人も言ってたよ? こまけぇこたぁいいんだよ! って」
「違う、束さん、それ絶対違う……」
ため息と共に呆れた様な声を上げる翔に、束は、むーっと眉根を寄せて腰に手を当て、翔の目の前で右手の人差し指を左右に振って自信満々に答えを返す。
そんな束に、何やら戦々恐々とした一夏が束の発言に突っ込みを入れるが、勿論そんな事を聞いてくれる束であるはずがない。
基本的に篠ノ之束と言う鬼才の女性は、天上天下唯我独尊、他人からの意見なんて基本的に顧みない。と言うのが基本性格としてある。
そんな女性が、一夏のいう事を一々気にするわけもなく。
一夏の突っ込みを無視して、またしてもくるりと一夏に向き直った束は、やはり、へらっとした緩い笑みを浮かべている。
「じゃあじゃあ、女の子の姿になるってどうかな! いっくんが!」
「なんなんですか、それは!」
「ん? 最近読んだマンガにそういうのがあったんだよ!」
「マンガの話を俺で試そうとしないでください!」
「ちえー。いっくんいけずー」
「あー……ごほんごほん」
傍から見ていればボケとツッコミの応酬としか思えない光景を作り出している一夏と束。
次々と出てくるアイディアを却下する一夏に、束がぶーぶーと声を上げた所で、先程からパーソナライズの処理待ちで待機していた箒からの咳払いが入り込む。
それにより一時中断となり、不思議ワールドから解放された一夏は、恨みがましい視線を、翔と千冬へと向ける。
一夏から飛んできた恨みがましい視線を受け、千冬はあからさまに視線を逸らし、生徒達の指示へと戻っていく、翔は相変わらず腕を組んで瞳を軽く閉じている。
あまりにも優しい2人の反応に、一夏は思わず涙が出てきそうになったが、これはきっと夏の暑さから来る汗だと思い込むことにした。
「こっちはまだ終わらないのですか?」
「んー、もう終わるよー。はいおしまい」
箒からの不満気な声に、束はきっちりと反応し、パーソナライズが終わった事を伝え、箒へと向き直る。
フィッティングもパーソナライズも終了といった束の言葉に、箒は息を一つ吐く。
しかし、箒には休憩という言葉はなく、束から間髪入れず、次の工程へ移行する指示が飛んでくる。
「んじゃ、試運転もかねて飛んでみてよ。箒ちゃんのイメージ通りに動くはずだよ」
「えぇ、それでは試してみます」
束から次の工程の試運転という名目を箒が了承した瞬間、軽くエアーが抜ける音が幾つも響いた瞬間に、紅椿に繋がれていたケーブル類が次々と外れていく。
繋がれたケーブルが全て外れ、自由になった紅椿を確かめるように箒は、自らのISを見渡し、もう何も付いていない事を確認すると、飛翔の為に、瞳を閉じ、意識を集中させる。
その瞬間、腕を組み、一夏の隣で腕を組み瞳を軽く閉じていた翔の瞳が、右側だけ開き、その瞳は真っ直ぐに紅椿を捉えている。
翔の開かれた右の瞳が紅椿の姿を捉えた瞬間、紅椿の周りの砂が爆発した様に舞い上がる。
「おわっ!? な、何だ!? って、箒は?」
「あそこだ」
紅椿が急加速によって起こした衝撃波で舞い上がった砂に、一夏が驚き、次いで一瞬にして視界から消え去ったようにしか見えなかった箒の姿を探すが、その居場所は、隣にいる翔から聞こえてくる。
今の加速が見えていたのか、翔の右目は、紅椿の周りの砂が衝撃波によって舞い上がった瞬間、上空へと確かに動いており、高速で飛翔する紅椿の姿を、確かに映していた。
一夏は翔の右目が捉えている位置を追いかけ、暫く視線を彷徨い、ようやっと高速で飛翔する紅椿の姿を発見する。
「おー、ホントだ。すげぇな、ハイパーセンサーも無くてよく追えるよな」
「動体視力には自信があるのでな」
「まぁ、でなきゃ零式なんて乗れねぇか」
「そういう事だ」
余談だが、直線軌道ならば零式の加速は、ISに搭乗していても一瞬見失うほどの加速であり、相手から見ても見失う程の速度域という事は、自分自身もかなり性能のいい動体視力を持っていなければならない。
でなければ自分自身も相手を見失う事になるからである。
それだけ性能のいい動体視力を持っている翔は、難なく、とは言わないまでも、少し速い程度の意識で追う事が出来ていた。
それと言うのも、零式と言う確実にピーキーな機体に搭乗しているからに他ならず、ハイパーセンサを以てしてもまだ疾いと感じる機体に、常日頃搭乗している翔の動体視力は、ここに来て更なる成長を遂げていた。
「どうどう? 箒ちゃんが思った以上に動くでしょ?」
束は何やら箒に話しかけているような言葉を発する。
ISを装着しているのか、それともコア・ネットワークに割り込む事の出来る通信機を持っているのか、現段階では予想がつかないが、会話は成り立っているようで、束は嬉しそうに笑みを浮かべ、何度も満足そうに頷く。
そして試運転は次の段階に移行するのか、束からの指示が、箒へと飛ぶ。
「じゃあ刀使ってみてよー。右のが『雨月(あまづき)』で左のが『空裂(からわれ)』ね。武器特性のデータを送るよん」
台詞と共に、束が空中に人差し指を踊らせる。
恐らく今ので武器データのやり取りが行われたのだろう。
そう当たりをつけた瞬間に、紅椿が二本の日本刀型のブレードを抜く様が、翔の瞳にはハッキリと映っていた。
未だ瞳は右側しかその黒を覗かせてはいないが、それでもハッキリと見えており、その鋭い瞳から見た箒の身のこなしは、翔から見て及第点は文句なしにあげられるほどの身のこなしだった。
翔と一夏が箒へと注目している様に、今現在、この砂浜に存在する人物は、皆一様に空に浮かぶ箒の姿――いや、箒の纏う紅椿へと視線は集まっている。
加速だけでも、常人から見れば、翔の零式に勝るとも劣らない性能だったように思える。
その事実から、かなりの性能を持っていると予想できる。
恐らく、その速度域でも問題ない様に、かなりの性能を誇るハイパーセンサーに、最新型で高性能PICを積んでいる事も予想される。
鬼才・篠ノ之束自身が手を掛けたのだから、当然と言えるだろう。
しかし、そうなると零式の仕様は、些か時代錯誤と言える。
篠ノ之束が存在しているこの世界で、一応は束が仕上げた機体、にも拘らず、ハイパーセンサーは同世代のISと性能は変わらず、PICもそれ同様。
だが、実際の速度域で考えるならば、直線での加速は、最新型IS紅椿よりも若干疾い。ISの技能の内の一つである瞬間加速を使えばさらに疾い。
それほどの速度、だというのに積んでいるセンサー類は紅椿程に最新と呼べる者ではない。これでは搭乗者のスペックに頼る他ない。
ある意味零式は、白式よりも酷い欠陥品なのだ。
それほどの欠陥品を翔に渡した束の意図は掴む事は出来ないが、今は紅椿の姿に、皆一様に目を奪われている。
色々な推測を交えながらではあるが、翔も確かにその中の一人だった。
「懇切丁寧な束おねーちゃんの解説つき~♪ 雨月は対単一仕様の武装で打突に合わせて刃部分からエネルギー刃を放出、連続して敵を蜂の巣に! する武器だよ~。射程距離は、まぁアサルトライフルくらいだね。スナイパーライフルの間合いでは届かないけど、紅椿の機動性なら大丈夫」
束の解説が終わると同時に、箒は右手に持つ雨月を持ち上げ、右腕を左肩まで持って行き、構えを取る。
守勢に重きを置きつつも、刀を受ける力で肩の軸を動かし、攻勢に転じる事も可能という、その型の名を、翔は知っていた。
「篠ノ之剣術流二刀型・盾刃の構え……」
鋭い形を作る右の瞳で箒の構えを捉え、その型の名を呟いた瞬間、箒の腕から打突が放たれる。
腕が伸びきり、鋭い突きの形をとった瞬間、刀の刃周辺から幾つもの球体の光弾が出現、その数瞬後には幾重にも光の軌跡を残し、刃の弾丸となり、漂っていた雲にいくつも穴を開け、光弾は霧散していく。
雲を穴だらけにする数の光弾が一突きで出現し、それら全てが高速で敵に迫る。
光弾出現から攻撃までのタイムラグ等、ほぼ無いに等しい上に、火力は雲を穴だらけにし、その形を完全に崩すほどにある。
この一本の武装だけでも、デタラメとさえ思えるほどの性能を保持している。
その光景に、多数の生徒達が驚愕に目を見開いているが、紅椿の武装はそれだけではない。
それを証明するために、束から次の指示が箒へと飛ぶ。その表情は、やはりへらっとした緩い笑みだった。
「次は空裂ねー。こっちは対集団仕様の武器だよん。斬撃に合わせて帯状の攻性エネルギーをぶつけるんだよー。振った範囲に自動で展開するから超便利。そいじゃこれ撃ち落としてみてね、ほーいっと」
軽い調子の解説が終わった瞬間、束は空中投影のキーボードを軽やかに叩き、十六連装ミサイルポッドを呼び出し、大型のポッドが光の粒子と共に束の隣に出現した瞬間、束は迷う事なくキーボードを叩く。
その瞬間、ミサイルポッドの射出口が開き、幾つも噴射煙を立ち上らせながら、標的である紅椿へと殺到していく。
刹那の瞬間、思わずと言ったような風で、翔の隣にいた一夏から切羽詰ったような声が上がる。
「箒!」
「問題無い、見ていろ」
焦ったような一夏に、翔は静かに声を掛ける。
開かれた右の瞳は、箒が左手に持つ空裂を右脇下に構えるのを捉えていた。
幾つものミサイルが紅椿に殺到していくが、全てのミサイルの射角がある程度狭まる所までミサイルを引きつけ、大体空裂の刀身の長さよりも少し長い位の幅まで狭まった瞬間に、身体を一回転する要領で、構えた空裂を一気に振り抜く。
その瞬間、横一閃に振り抜かれた直線上を辿る様にして刃が出現、そのまま突き進み、ミサイルポッドから射出された十六発のミサイルを迎撃し、空には静寂が戻る。
試運転を終えた紅椿を纏う箒は、振り抜いた空裂を下げ、残心。
あまりと言えばあまりの火力とスペックに、翔の隣に居る一夏から言葉が漏れ出てくる。
「すげぇ……」
空を満たす静寂と共に、視界も爆煙が収まり、青い空が戻ってくる。
圧倒的なまでの性能を見せた箒と、真紅のIS紅椿は、威風堂々とした姿で宙に浮かんでいる。
その姿に、生徒達は言葉を失ったように、只々紅椿とそのマスター、篠ノ之箒を見上げる事しかできない。
満足そうに頷く束も、他の人物とは心境は違えども、紅椿を見上げていた。
その中で、紅椿ではなく、別のものに視線を集中させている人物が1人……いや、2人。
「…………」
感情を悟らせない冷静な表情で、紅椿とは違う別のものを見る翔の視線。
その視線を一夏はつっと追っていく。
「…………」
翔の視線の先には、厳しい表情で束を見ている……いや、最早睨んでいると言ってもいい視線を送っている千冬が居た。
その事実に疑問を感じると同時に、一夏は、何とも言い表せない不安を感じる。
そしてその不安を何とか解消させようと、翔へと視線を戻した瞬間、一夏の背中に、冷水を掛けられたような悪寒が這い回る。
同時に、焦ったような真耶の声が一夏の耳に飛び込んでくる。
「お、おお、織斑先生! たっ、大変です!」
尋常な焦り様ではない真耶の様子を見て、一夏の嫌な予感は更に広がり、翔を見て感じた悪寒は未だ拭えていない。
「どうした?」
「こ、こっ、これを……」
真耶から渡された端末を覗き込んだ千冬の表情が、珍しくあからさまに形を変える。
苦々しく、そして険しく曇る千冬の表情、それだけでただ事ではないと感じる。
「特命任務レベルA、現時刻より対策をはじめられたし……」
画面の内容を表面上は冷静に読み上げた千冬の声に、一夏の不安は収まらなくなり、悪寒も未だまとわりついてくる。
「大丈夫だ、何とかなる」
一夏の隣から聞こえてくる、翔の声に、何時もならば晴れる不安は全く晴れてくれず、夏だというのに背中を撫でる悪寒は消えてくれない。
それ所か、翔の姿を視界に収める度に、その悪寒はより酷くなっているような気がした。
一夏や箒、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラ、そして千冬や束にとって、忘れる事の出来ない夏の事件は、もう目の前まで迫っていた……。
日差しによる熱を蓄えすぎた砂浜には、ゆらりと揺れる陽炎が立ち上がっている。
一言で表すなら、炎天下。そう表していい程の環境の砂浜に、臨海学校に来ているIS学園の1年生ほぼ全員が集まっており、その身は漏れることなくISを動かす際に着る専用のスーツに身を包まれていた。
無論その状況下で汗を掻かない者等、そうそういる訳もなく、多くの生徒達は額に汗を浮かべている。
その中で、目立って汗を掻いていない生徒が2人。
1人は現在、IS学園1年生の担任である千冬の前に立たされ、ISのコア・ネットワークと呼ばれる、ISに積まれているコア自身が持つデータ通信ネットワークについての簡単な概要を説明させられている生徒、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
左目を覆う無骨さを感じさせる眼帯が目を引くが、よくよく見れば、小柄な身体に銀色の長く豊かな髪、眉と合わせて鋭い瞳は透き通るような赤色。輪郭も女性にしてはかなりシャープな部類の顔立ち、千冬の前でかなり緊張しているのか、小さな唇は目一杯への字に引き絞られている。
そんな、有り体に言ってしまえば、美少女と言っていいラウラは、特に目立って汗をかいていない。
額に一筋の汗が見えるが、おそらくその汗の原因は暑さではないだろう。
今でこそラウラは、IS学園ドイツの代表候補生という肩書きを持っているが、同時にドイツ軍にある一つの部隊の隊長としての肩書きも持っている。
軍上がりのラウラには、当然の事ながらどのような環境でも耐え抜く訓練というものも経験しており、今更この程度で音を上げるような要因は一つとしてない。
ラウラがコア・ネットワークについての説明をしている間にも、他の学園生は汗の量をどんどんと増やしていくが、その中でも、もともと目立って汗を掻いていなかったもう1人の人物。
IS学園1年1組に在籍する2人の『男子』学生の1人、柏木翔と呼ばれる人物は、未だに目立った汗を掻いておらず、背筋を伸ばし、しっかりと地に足を付け、休めの体勢でラウラが説明するコア・ネットワークの話に耳を傾けている。
静かに、姿勢を崩す事なくじっと立っている翔の隣には、同じく1年1組に在籍するもう1人の男子学生、織斑一夏が若干疲れた様子で、重心を左右に動かしながら立っている。
「なぁ、翔……暑くないのか?」
「無論暑いに決まっているだろう?」
小さく揺れる黒の髪を揺らしながら、一夏が小声で隣に立つ翔へ声をかける。
問われた翔は、視線は正面にむいたまま、同じく小声で一夏に答えを返すが、どうにも一夏はその答えが気に入らなかったのか、僅かに顔を顰める。
と言うよりも、呆れていると表現した方が近いのかもしれない。
「どう見ても暑いと感じてる様には見えねーよ……」
「慣れているだけだ、こう言った環境の下で鍛練する事も多いからな」
特に気にした様子もなく、慣れていると涼しげに答えた翔に、一夏は、うへぇ……と如何にも想像したくないと言う様に疲れたような表情を見せる。
「流石に優秀だな。遅刻の件はこれで勘弁してやろう」
コア・ネットワークに関する説明は終了したのか、千冬からラウラへ許しの言葉が落とされる。
その瞬間、ラウラが安堵した様に息を吐き出すのを翔の目ははっきりと捉えており、少しばかり可笑しそうに、フッと小さな笑みが浮かぶ。
どうやらその様子は一夏も見ていたらしく、翔とは違い、少し引きつったような、そんな微妙な笑み。
昔から千冬を怒らせる事も多々あった一夏からすれば、他人事ではないのだろう。
「さて、それでは各班ごとに振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。全員、迅速に行なえ」
千冬の凛とした声に、その場にいた学生達は揃って返事をし行動を開始するが、その動きはどうにも鈍さを感じさせる。
並んでいる人数が人数故に、動きがどうしても鈍くなるというのもあるのだろう。
IS試験用の切り立った崖で四方を囲まれたドーム状のビーチと言う、普通のビーチと比べれば、比較的狭い場所だという事もその要因かもしれない。
専用機を持っていない生徒達は、打鉄の装備を運んだりと、学園で使われる共有ISを準備する為にぞろぞろと動いていく。
逆に、専用機持ちである、翔、一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラの6人は、搬入された新装備のコンテナへと足を向ける。
そうなると、当然専用機持ちの6人は必然的に固まって移動する事となる。
コンテナへと向かう道すがら、当然の様に6人は集合し、追加される新装備の事へ話はシフトする。
「皆の追加武装ってどんなのなんだ?」
「私の新装備は強襲用高機動パッケージですわ。これがあれば、翔さんの零式にも追いつく事が可能ですわ」
「それって、結構凄い事だと思うけど……」
「私はそれよりも、ボスの零式に付く新装備が何なのかが気になります」
「あ、それ、アタシも気になるわ。どんな装備なのよ?」
ラウラの一言で鈴音も興味を引かれたのか、その猫のような瞳を翔へと注ぐ。
会話に軽く混ざる事なく、腕を組み黙々と歩いていた翔に視線が集まり、全員が一旦足を止める。
普通ならば、新装備が専用機持ちに送られてくる際、その新装備の内容、パッケージ装備後の仮想スペック等など、多くの情報が操縦者に知らされる。
となれば、今でさえ反則的なスペックを叩き出し、圧倒的な強さを誇る翔が持つ、零式の装備が気になるのも仕方の無い事だとも言える。
瞳に期待の色と興味を混在させた、セシリア、シャルロット、ラウラ、鈴音、一夏の視線が翔に突き刺さり、足を止め、組んだ腕を解かないままに、翔は軽く瞳を伏せる。
そして何かを少し考えるような間を置いた後に、静かに出てきた翔の言葉は……。
「恐らく、追加装備はない。何も聞かされていないからな」
5人の期待をブチ壊す静かな一言だった。
翔の一言に、セシリアとシャルロットは苦笑を、鈴音は猫のような瞳を疲れたように伏せ、ため息を吐き、ラウラは余程期待していたのか、肩をがっくりと落としている。
一夏はその4人の反応とこの空気のフォローはできないものかと思案する様に、シャープな顎に右手を当てて考えている。
そんな一夏の視界と耳に、千冬が、打鉄の装備を運んでいた箒に声を掛けた姿と声が入ってくる。
箒は専用機を持っておらず、打鉄の装備を準備するはずなのだが、それを態々引き止めているように感じる。
「何で態々箒を?」
「どーかしたのー? 一夏ー」
感じた疑問をぼそりと口に出した一夏に反応したのは鈴音で、彼女は後頭部付近で両手を組みながら、一夏の隣へ立ち、一夏の見ている方へ自らも視線を配る。
その2人に釣られて、他のメンバーも一夏へと集まり、一様に同じ方向へ視線を送る。
「気になるなら行ってみればいい」
一夏が見た光景と同じものを見た者達を代表する様に、翔から静かに言葉が投げられ、それに一夏達が頷きかけた瞬間、地鳴り、と言うか、それに近い音が辺りに響き渡る。
狭いビーチの中で響き渡る地鳴りの様な音と共に、一夏達が視線を注いでいる千冬と箒の向こう側から、もくもくと立ち上る砂煙が目に入る。
そして砂煙の先頭をひた走る物……いや、者。
それはどこからどう見ても人間であり、なにやらどこかで見た事のあるようなメイド服に似たような服に、特徴的な機械のうさみみ。
間違えるまでもなく、ISと言う規格外の物を開発した鬼才・篠ノ之束。その人だった。
このIS試験用の狭いビーチは間違いなく関係者以外立ち入り禁止の筈だが、結局、鬼才・篠ノ之束にとっては、セキュリティなどあってないような物なのだろう。
何が嬉しいのか、満面の笑みで砂煙を立ち上らせながら長い髪を靡かせて、ビーチを爆走する束から大きく声が上がる。
「やあやあ! 会いたかったよ、ちーちゃん! さぁ、ハグハグしよう! 愛をたs……」
そこまで言って大きく張り上げていた声は止まり、目標としていた千冬から、その奥に存在する人物へと、束の瞳が移動する。
「しょーくん! しょーくん! 愛しい愛しい束さんが参上したよー! ハグとは言わずくんずほぐれず愛を確かめ合おう! 束さんはしょーくんに I love y……」
千冬の奥に一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラと共に立っている翔を瞳に捉えた途端、その目標は即座に変更されたのか、次は翔へ向けて大きく声を張り上げながら千冬と箒の間を通り抜ける瞬間、束の前進は伸びてきた腕によって頭を掴まれ、強制的に停止させられる。
「させるか!」
「ぐえぇぇ!」
束に向かって伸びてきた手は、千冬の物であり、その手は見事に千冬と箒の間をくぐり抜けようとした束の後頭部を捉えている。
千冬の手によって後頭部を掴まれた束の頭からは、何かが軋む様な、そんな聞こえてはいけない音が聞こえている。
無論、そんな派手な登場をして、そのインパクトに辺りの作業は止まり、その光景に呆然となっている者が多いが、そんな事は関係ないとばかりに、束と千冬は状況を動かしていく。
「今、何かとてつもなく不愉快な事をしようとしたな?」
「うぐぐ……全く、ちーちゃんはしょーくんの事になると本当に容赦がないね」
「べ、別にそういう訳ではない……大体、私がお前に容赦した事等ないだろう」
「えっへへ~、それもそうだねぇ」
辺りの者達が呆然としている中、千冬と束の2人は、マイペースにやり取りを繰り返していく。
片や笑顔、片や凛々しく引き締まった表情と、微妙に差異があったが、そのような事を気にする者は、この場にそう多くない。
中々に衝撃的な目の前の光景を気にしない者の、数少ない一人である、柏木翔と言う男子学生は、目の前の光景に動きを見せない者達の背中を軽く叩いていく。
「行くぞ」
「お、おう」
「……分かりましたわ」
「わ、わかってるって、今行こうとしてた所だってば」
「う、うん」
「……了解しました」
翔の働きかけでようやく再起動した、一夏、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラの5人は、翔の言葉に従って、それぞれ足を動かし、温められた砂浜の上を歩き出す。
コンテナへ向けていた進路を、千冬と束、そして箒が固まっているそこへと進路を変更する。
翔達と千冬達の距離はそれほど離れているわけではなく、距離にして精々50mと言った所。
それほどの距離等、案外とすぐ埋まるものだが、その間にも千冬達のやりとりは進んでいく、何やら箒に束が話しかけ、箒の日本刀の鞘で頭をぶっ叩かれている束が視界に入る。
叩かれた束は涙目になり、殴打された箇所を手で押さえながら箒に抗議しているが、箒はそれに応えるつもりはないらしく、束を厳しい瞳で睨みつけるばかり。
箒と束、そして千冬のやりとりに、呆然としていた一同から、ようやく復帰を果たした者が現れる。
復帰を果たした人物、山田真耶と言う名前の教師が束へ話しかけた時には、翔達はその近くまで来ており、その足を止めて、目の前のやり取りを静観する。
「あ、あのー……篠ノ之博士、出来れば自己紹介を……」
「んっ? 君は誰だっけ? 見た事無い顔だね?」
「ひ、酷い……一度会ってるのに……」
既に束の事を知っている真耶は、当然の事ながら、関係者以外は……等と的外れな事を言う事はなく、呆然としている生徒達へ向けて自己紹介を願うが、あまりにも素の表情で誰かと問われた為に、そのショックで涙目になり、いじけるようにして座り込んでしまう。
相変わらずの束の様子に、千冬は1つため息を零すが、直ぐ様表情を引き締め直し、厳しい目で束を見据える。
「おい、束。自己紹介くらいしろ。うちの生徒達が困っている」
「え~、めんどうだよぉ~」
難しい表情で束に自己紹介を促す千冬に、束は拗ねたような表情で右頬を膨らませながらぶーたれる。
らしいといえばらしい束の行動に頭が痛くなったのか、千冬は右手の人差し指でもって、米神を揉みほぐすように指を動かし、眉根を寄せる。
こうなった時の束は、基本的に何を言っても無駄な場合が多いが、1つだけ例外的に、この束を動かす手がある。
その手段を持っている人物に、千冬の視線は自然と移動する。
移動した視線の先には、一夏やセシリア達と共にいる翔が存在し、一緒に視界に入った一夏も、この状況を動かせるのは翔だけだと、長年の経験で分かっているのだろう、千冬と同じように翔へ視線へ送っている姿が見える。
姉弟揃って同じ考えに至った事に、今まで積み重なった経験を感じ、妙に感慨深い気分になったが、それはさておく。
ある意味、束に対しての最終兵器とも言える男に、織斑姉弟の視線が集中している事に、当然ながら翔は気が付いているし、その視線が求めている行動も理解している。
2人からの視線を集めている翔は、ふむ……と特に意味のない言葉を零しながらも、その足は未だ面倒臭い、とぶーたれている束へと向けられ、その傍らに立つと、束の頭に軽く手を乗せる。
「束。皆が困っている。自己紹介をしろ」
「お、おぉぉぉぅ……しょーくんのなでなでだよ……うん、束さんは感動したよー! しょーくんのなでなでに免じて全力で自己紹介してあげるよ!」
「いや、全力である必要はないが……」
翔が行動を起こした途端に、束は何やら驚いたように瞳と口を丸々と見開き、その後直ぐに、にへらっと笑みを浮かべて、翔の言葉を了承する。
何とか場が丸く収まりそうな流れに、千冬はため息を零し、一夏も疲れた様に肩を落とす。
へらっとした笑みを浮かべたまま、束は未だ動きを止めている生徒達に向き直る。
「はろー。私が天才の篠ノ之束さんだよー、IS作ったあの束さん。わぁ凄い。束さんってば天才だねぇ」
そう言ってその場で、くるりと一回転してみせる。
ふわりと長い髪とスカートが軽く浮かび上がり、きゅっと回転を止めると髪とスカートも重力に従って力なく元の形に戻る。
へらっとした笑みはそのまま、生徒達に向けていた身体を反転し、翔の方を向き、何も言う事はないが、期待を込めたような瞳を翔へと送っている束。
ちゃんと出来たよ? えらい? という様な意図を込めた束の視線に、苦笑を浮かべながら、翔は一つ頷く。
翔の反応に、わはー。と嬉しそうに表情を笑顔に彩る束だが、束が案外と普通に自己紹介をした為、辺りの生徒達が騒ぎ始めるのは当然の結果と言えた。
こう言った状況になった場合、真っ先に声が飛んでくる人物がいるのだが……何故かその人物は表情を強ばらせ、全身をわなわなと震わせている。
そしてよく見てみれば、全身を震わせている人物、織斑千冬の弟である一夏も様子がおかしく、絶望したように膝を折り、砂浜の砂を握りしめて、ちくしょう、ちくしょう……と繰り返し、目尻には何やら煌めく透明の雫が浮かんでいる。
様子がおかしいのは織斑姉弟だけではなく、先程生徒達へ自己紹介をした束の妹である篠ノ之箒の様子も、明らかと言っていい程におかしい。
私は、一体何の為に生まれてきたのだろうか……? 等と何か大きな悟りが開けそうな台詞を口にし、しかして、瞳は何かを逃避する様に海の向こう側へと送られている。
「馬鹿な……いくら柏木からの働きかけとはいえ、束がまともに自己紹介をする等……」
「ちくしょう……ちくしょう! きっと明日世界は滅びるんだ! だったら最後に翔の家の料理食べとくんだった!」
「ははっ……そうか、私の人生は15年と言う訳か……それでもいい、私は私の生きた証が残せるなら……」
驚愕に目を見開く千冬、何やら絶望の淵にいる一夏、あまりの出来事に思わず悟りきってしまった箒。
束の自己紹介だけで、あまりに失礼な反応をする3人に翔はため息を吐き、束は特に気にした様子もなく、翔の周りではしゃぎ回る様にまとわりついている。
見てくれは完全に美人で可愛い大人の女性といった容姿の束が、子供の様に翔へじゃれつく光景は違和感がありつつも、妙な一体感というか、そういうものがあった。
その光景だけ見れば違和感があるが、昔からそうやってきた様な、月日が積み重なる事によって出来た雰囲気という物が違和感を打ち消している。とでも言えばいいだろうか。
周りからすれば違和感を感じ、翔からすれば昔から変わっていない束の行動を見つつも、翔は辺りを確認する。
どんどんと広がっていくざわめきを止める最終兵器、織斑千冬は未だ驚愕の渦の中、次点で騒ぎを収められそうな真耶も、ショックを引きずっている。
軍の一部隊の隊長だったラウラはどうかと、視線を巡らせてみるが、ラウラを含めた4人の興味は、翔の周りではしゃぎ回る束に向けられているようで、あれが篠ノ之博士……。ISを作った人なんだよね? 天才だとお聞きしていますわ。等といった会話が聞こえてくる。
代表候補生なら或いは……等と思ったが、あの様子では他の生徒とそう変わらないため、事態を収めるには最適ではない。
仕方がないか……と覚悟を決め、翔は、自らの周りではしゃぎ回る束の行動を一旦止め、掌を大きく2回打ち鳴らす。
1人の人に視線が集中していた所に、人の声ではない乾いた衝撃音が響いた事によって、視線は一瞬、束から翔へと一斉に移動し、そのタイミングを見届けた翔が、そのタイミングを逃すわけもなく、間髪入れず声を張り上げる。
「束に興味があるのも分かるが、各自各々に与えられた仕事をしろ! でなければ何時まで経っても今日は終わらんぞ!」
千冬に勝るとも劣らない……いや、気迫を加味すれば、翔の方が若干上とも思える威圧感、声量、眼光によって、今まで動きを止めていた生徒達が慌ただしくも一斉に動き出す。
中には、微妙に涙目になっている生徒もチラホラと見える。余程怖かったらしい。
先程の翔から出た厳しい声で、姿勢を正しているのは、何も生徒達だけではなく、驚愕の真っ只中にいた千冬。絶望に打ち拉がれていた一夏。悟りを開けそうになっていた箒。そして似た様な厳しい声を聞いた事のあるラウラ。この4人が、自らの居た位置で、直立不動の姿勢をとっている。
千冬からすれば、翔は自らの師匠であるし、一夏と箒は剣や心構えを習っている時に何度も翔に怒られた経験がある。
ラウラは、翔に怒られた経験はないものの、翔譲りの喝の入れ方を受け継いだ千冬に何度も同じような声を受けた経験がある。
つまりこの4人の反応は、最早条件反射と言ってもよかった。
他の生徒達が翔の声で動き回るのを確認した翔は、うむ、と一つ頷き、砂浜の砂をざっと蹴る様にして、並んで直立不動の体勢をとっている3人に向き直る。
3人の正面から厳しい瞳を叩きつける。翔からの視線が突き刺さる度に、千冬、一夏、箒の3人の額には冷や汗が流れ落ちていく。
先程まで翔の周りではしゃいでいた束は、先程までのはしゃぎようは何だったのかと言うほどに静かになり、翔の後ろでにんまりと笑みを浮かべている。
思えば昔からこの構図は変わっていないと、唐突に3人は同じ事を思う。
昔から頭がよく、要領の良い束は、何故かいつも翔からの叱責を免れ、今立っている翔の後ろに立ち、一夏と千冬、箒の3人を今の様なにんまりとした笑みで見ていたのだ。
(そうだ、いつも私が怒られる……こんな事が積み重なってくるから、私は姉さんが嫌いなんだ!)
箒が束を嫌う理由は、束の都合による転校で一夏と離れ離れになった。という理由もあるが、それと同時に、小さな頃から要領の良かった束に、いつの間にか怒られる原因を束自身から箒へとすり替えられると言う事が何度もあった。
それ故に、箒が怒られそうになった事が何度もあったのだ。幸いにも、その罪の元凶のすり替えは、翔が怒る時だったため、毎回そのすり替えを見抜かれて束が怒られていた。
しかし、想い人に悪い印象を抱かれたくないために、妹に罪を擦り付けるような行動はどうだろうか……と今まで納得のいかなかった思いが積りに積もって、束を嫌いだという箒が出来上がっていた。
子供っぽい理由であると言えばそうだが、積み重なった恨みは消える事はない。だから多分、禍根が無くなったとしても、箒はきっと束の事が気に入らないだろう。
等と自分の感情を再確認している間にも、箒を置いて状況は動いていく。
「さて、千冬」
「はいっ」
「今のお前は何だ?」
「IS学園の教師です」
「ならば、生徒達を統率する義務がある。そうだな?」
「そうです」
「公私の区別は付ける。これが公人としてのあるべき姿、違うか?」
「違いません」
淡々と質問を繰り返していく翔に、冷や汗をいくつも浮かべた千冬が答えていく。
自らの生徒に説教を受けている故に恥ずかしい。等とそんな事を感じている表情では到底なく、戦々恐々とした千冬の表情は、明らかに先生に怒られる時の生徒の様な表情。
今の千冬と翔の関係は、教師と生徒ではなく、正しく弟子と師匠であり、精神が甘かった昔、千冬は幾度もこうして翔から叱られていた。
鋭い瞳が千冬を睨みつけるようにして突き刺さり、それに戦々恐々と表情を強ばらせる千冬に、その状況を翔の後ろでにんまりと笑いながら楽しんでいる束。
昔の1シーンが正しくここに再現されていた。千冬が精神的に強くなり、束が世界を飛び回るようになってからは見られなくなった光景の一つだ。
そしてこの1シーンも変わった所がある。昔ならば、この説教はまだ続くのだが……。
「それが分かっている自覚があるならば良し。同じ間違いを繰り返すほど子供でもあるまい?」
「はい、師匠」
フッとクールに笑みを浮かべながら、説教を直ぐに切り上げるのも昔とは違う所で、千冬が精神的に強くなり、翔に認められている事の証である。
説教と翔から放たれる威圧感を受けるのは、千冬としても勘弁願いたい所ではあるのだが、この瞬間は気に入っている。
届かないと思っていた師に認められている。そう感じるこの一瞬が、千冬は好きだった。
一旦厳しい状況から抜け出した千冬の動きは迅速で、いじけている真耶を正気に戻し、生徒達に激を飛ばしていく、そんないつもの教師然とした千冬を見届けると、クールに浮かべていた笑みを戻し、未だに直立不動を続ける箒と一夏、そして距離はあるがラウラへ視線を向ける。
そして不思議そうに軽く首を傾げる。
「何をやっているんだ? お前達」
「お前の所為だよ! もう条件反射で怒られるかもしれないと強ばってんだよ!」
翔に物申せないラウラと箒を差し置いて、今の今までずっと一緒で、付き合いならば箒よりも圧倒的に翔と付き合いが長い一夏から突っ込みが入る。
目の前で何とも言えない顔をして翔に突っ込みを入れる一夏を見ても、やはり翔は首を傾げるばかり。
「別に悪い事をした訳ではない。怯える事はないはずだが……」
「いや、だから……ってもういい、このまま行っても多分平行線だ」
理解出来ないと言わんばかりの翔に、一夏がため息と共に呆れた所で、千冬から箒にお呼が掛かり、箒が千冬達の元へと走っていく。
気が付けば、セシリア達も近くにおらず、恐らくは自らの新装備が積まれているコンテナへ足を向けたのだろう。
千冬が激を飛ばしているのだ、自らの本分に戻れとでも言ったのだろう。
ふむ……と考えるように右手で口元を覆う寸前、俺達はどうする? と言う意図を込めた一夏の視線に気がついた。
「織斑教諭達の元へ行くか、束に零式を見せろと言われているしな」
「了解だ」
新装備の追加が知らされていない一夏と翔は、結局何か指示があるまで千冬と同じ所に居る方が賢明だという結論に至ったのか、柔らかい砂の上を踏みしめるようにして足を動かしていく。
辺りを包み込む夏の熱気を感じない様に歩く翔に、一夏は少しでも暑さを誤魔化すために、声を掛ける。
「なぁ? 態々箒が呼ばれる理由って、何だと思う?」
「ふむ……恐らく」
後頭部で手を組みながら歩き、翔に軽く疑問を投げかける一夏に対して、翔は若干の思案の表情を見せるが、その表情は原因は分かりながらも話していいものかどうか、それを悩んでいるような表情。
しかし結局は、話しても問題ないと結論づけたのか、口を開こうとした瞬間、翔と一夏の耳に、何とも嬉しそうな束の声が聞こえる。
――大空をご覧あれ!
その束の声が耳に入った瞬間、太陽の光に反射する銀色の大きな鉄の塊が飛来し、数秒の内に砂浜へ着地。
落下してきた金属の塊は砂塵を巻き上げ、砂浜に堂々と鎮座する。
砂塵が落ち着き、落下してきた金属の塊がハッキリと認識出来る様になった時、その塊の正体は、まごう事なきコンテナであり、その中身は何と無く分かりそうなものである。
もう既に、千冬達との距離は目と鼻の先まで来ていた翔と一夏。
その2人の内、一夏は驚きに目を見開き、翔は砂浜に堂々と鎮座するコンテナへ向けて親指を向けて、冷静に一夏の疑問に答える。
「アレだ」
自分の数歩前を歩き、半身になって後ろを振り返りながら、左手の親指でコンテナを指し、その瞬間、謀った様にコンテナの正面がバタリと開き、中から紅い装甲をしたISが鎮座しているのが見える。
その自分の目の前の絵に、一夏は、何このハードボイルドな感じ、映画? 等と微妙に現実逃避に走っていた。
空から銀色のコンテナが降ってきてから、少し経ち、現在箒は、コンテナの中に存在していたIS、紅椿へと搭乗し、フィッティングとパーソナライズを行なっている所。
とは言っても、コンテナが空から降ってきてから、まだそれほど経ってはおらず、時間にして5分と言った所。
その間にも、千冬は紅椿の設定を束に任せ、自らは真耶と同じく生徒達のフォローに回って、相変わらず激を飛ばしている。
故に、他の生徒達も箒の事が気になっているが、そちらへ目を向ける事が出来ないでいる。
翔と一夏はと言うと、束がキーボードを滑らかに、そして軽やかに叩いていく様をじっと見ているだけ、と言うのも、今やってもらうべき事は無いと千冬から言われたため、こうしていても特にお叱りはない。
空中投影のディスプレイが束の周りに6枚ほど浮かび上がり、処理を終えたり、新しい処理を始める度に、その枚数は増減を繰り返す。
しかし、そのキーボードを叩くリズムには淀みがなく、迷いもない。
膨大なデータ量だが、その全てに目を配り、最適な処理を導き出し、一つ一つの処理を最短で終わらせていく。
その様は、正しく天才、鬼才の篠ノ之束としての姿だった。
「近接戦闘を基礎にして、万能型に調整してあるから、直ぐに馴染むと思うよ。あとは自動支援装備もつけておいたからね! 他ならぬこのお姉ちゃんが!」
「それは、どうも」
テンション高く、胸を張って妹の為に自分が作ったと、その豊かな胸を張る束に対し、箒はやはり昔の恨みや、転校のタイミングが尾を引いているのか、酷く素っ気ない。
そんな箒の態度を、気にする事なく束は、へらりと笑っており、納得出来ない様な表情を浮かばせながらも、一夏は口を開く事はない。
普通ならば、そう言った発言を見逃さない翔も、今は黙って目を瞑り、腕を組んで作業が終わるのをじっと待っている。
「ん~、ふ、ふふ~♪ 箒ちゃん、また剣の腕前があがったねぇ。筋肉の付き方をみればわかるよ。やあやあ、お姉ちゃんは鼻が高いなぁ」
「………………」
「えへへ、無視されちった。――はい、フィッティング終了~。超速いね。流石私」
挫ける事なく箒に向かって笑いかけながら話をするも、今度は無視され、それでも束はへらりと笑ってのける。
話を続けながらも、束はフィッティングを終了させる。
へらりと笑いながら、キーボードを打ち続けている束の目の前で、いくつものディスプレイが増減を繰り返し、膨大な処理を一つ一つ、そして丁寧なまでに終わらせていく。
その光景を見ていた2人の内、1人から、静かに声が上がる。
「箒。お前も何時までも子供ではない。姉を嫌うのは勝手だが、拗ねるのはそこまでにしろ、見苦しいぞ。嫌うならそれなりの理由を明確にしてから徹底的に嫌え。中途半端に姉に頼るな」
「っ!? す、すみません、でした。姉さん」
「えへへ、別に気にする程の事じゃないからいいよ~。でも箒ちゃんが態々私に謝ってくれるなんて、いやいやぁ、いい日になりそうだねぇ」
鋭い眼光に射竦められた箒は、言い返そうとするも、黙るしかなくなる。
姉を嫌うなと言っているわけではなく、結局嫌うなら嫌うで、徹底的に嫌って、ISを態々作らせる等という中途半端に姉に頼るような、そんな中途半端は認められないと言っているだけである。
嫌いになって姉の手を振り払ったのなら、もうその手は握らず、己の力で一夏の隣に立って見せろ。それが筋と言う物。
つまりはそういう意図が込められての翔の言葉だ、バツが悪くなった箒は、翔から視線を逸らし、束に謝るという選択肢しか残されていなかった。
一気に険悪というか、落ち着かない雰囲気になった場に、一夏は右往左往するばかりだが、結局、別に翔が怒った訳ではないと言う事に気がつき、特に何をする事もなく、また束の作業の観察へと戻る。
そして一夏の視線は、束から、IS紅椿へと移る。
一夏の隣に静かに立つ翔は、やはり腕を組んだままだが、今度は鋭い瞳を開いたまま、一夏と同じ様に紅椿へと視線を送っている。
そうして紅椿の観察を続けていると、作業をしていた生徒達の中から、こんな声が聞こえてくる。
「あの専用機って篠ノ之さんがもらえるの……? 身内ってだけで」
「だよねぇ。なんだかずるいよねぇ」
ある種の悪意が篭った声に、束が反応し、口を開きかけるが、後ろからその口元を手で覆われ、何も声を発する事が出来なくなる。
「翔……?」
束からは、彼女の口を押さえたのが誰かは見えないが、その光景を見ていた第三者、一夏から彼女の口元を押さえた人物の名が呟かれる。
呟かれた名前に、口元にある手が翔の手だと思うと、妙な興奮が湧き上がってくる束だが、それを感じるよりも先に、彼女のすぐ上から、先程の悪意の込められた言葉を発した誰かに向かって、静かだがよく通る声が聞こえる。
「誰が言ったか、あえて追求はしないが、他人を僻む暇があったら自分を磨け。それが出来ない者は底が知れるぞ?」
静かに、そして窘める様な口調で発せられた言葉に、女子の集団から声は聞こえなくなり、後には気まずげに作業に戻る生徒達がいた。
無論、翔はそんな事を気にする質ではないし、翔が発言している間、束の手も止まる事なく動き続けていた。
困ったものだ……と肩を竦める翔だが、未だ束の口元に添えられた手が外れる事はない。
何故ならば、他人に興味のない筈の束が、自ら態々発言しようとしたのだ。今手を外せば何を言うかわかったものではない。
と、束の動かしていた手が止まり、同時に次々と展開されていた空中投影ディスプレイが閉じていく。
それと同時に、翔は自らの手に何やら水気で湿った柔らかい物が、ぬめりっと当たり、忙しなくそれが動いている感触を自覚する。
その感触が伝わっているのは、束の口元を押さえている右手の掌であり、そうなれば当然それは束がやっている事に間違いはない。
束の行動が示す意図を汲み取った翔は、束の口元から手を外す。
「態々伝えるのにこの方法はどうかと思うが……」
「んっふっふ~。良いじゃあないかい。しょーくんの手、美味しかったよ?」
「ふむ、よくわからんな」
やはり、へらっと笑いながら、小さな舌を出し、レロレロ~と上下に動かしてみせる束に、翔は首を傾げて、自分の手をじっと見るが、結局はよくわからんと、そのまま放置しておく。
「まぁ、何にしても、あとは自動処理に任せておけばパーソナライズも終わるね。あ、しょーくん、約束の零式見せて。いっくんも白式見せてね。束さんは興味津々なのだよ」
「承知」
「え、あ。はい」
興味深そうで楽しそうな束の声に、一夏と翔は短く答え、一夏は自らの手首に巻いてあるリストバンド状態の白式に手を触れ、瞳を閉じる。
翔も小さな黒のネクタイピンの様な零式を取り出し、瞳を開いたまま手に乗っているピンへと意識を集中させる。
一夏がリストバンドに触れた頃には、既に零式の展開は始まっており、白式の展開が始まる白の光が溢れ出す時には、翔の体は黒の光で構成されたいくつものリングに、手足、胴体を覆われ、黒の光が弾け飛んだ瞬間には、翔の肉体は黒の装甲に覆われていた。
零式の展開から遅れる事2秒、翔の隣で白の光が弾け飛び、同じく白の装甲に覆われた一夏の姿があった。
白と黒と言う対照的な装甲を纏う一夏と翔。比べてみれば、フォルム的にも白式と零式はかなりの違いが見受けられる。
白式はどちらかと言えば鋭角的でシャープな印象を感じるフォルム、背面から飛び出している翼のような部位が見受けられるが、パッと見た感じではスラスターらしきものは見当たらない。
対して零式は、指の部分が尖っておらず、あくまで人間の指を模したような形になっており、全体的なフォルムも直線的でゴツゴツとした印象を受ける。
そして、一般的なISとは明らかに違う部位としては、翼のような浮遊している部位がなく、背面に詰め込まれたスラスターの多さと、それ以外にも肩の部位や肘の部位にも、バーニアを連想させるエネルギー出力機関が見受けられる事。
見た目のわかりやすさは明らかに零式の方がわかりやすく、どの部位のスラスターを動かせば、どういった動きをするのかが直感的にわかりやすい形になっている。
だが、実際は、直感的にどういう動きが出来るか理解していても、実際にそれを実現可能かというのは別問題であり、今の所それを可能としてのけるのは、現状、柏木翔を置いて他にはいない。
他の人間ではダメなのだ、シールドを突き破ってまで影響してくる重力加速度や慣性、零式の可能な限界速度域でも物を追える動体視力。
それこそ人間離れしているような肉体スペックがなければ操れない。そのような代物なのだ、黒衣零式と呼ばれるISは。
「やっぱ思ったんだけど、白式より厳ついよな、零式……」
「む? そうか?」
「あぁ、指の部分とか、拳ぶつけたら白式は装甲落ちそうな気がするんだよな」
「そこは別に問題無いだろう」
武器がある。と特に気にした様子のない翔は、白式と零式を見比べる一夏を放置しながら、手を開閉させながら、その様子をじっと見据える。
零式を観察する翔の瞳から何も感じ取ることはできないが、何かを考えている。一夏はそう感じた。
そんな一夏と翔を遮るように束の声がそこに割り込む。
「データ見せてね~。うりゃ、ぶすっとな」
2つのコードを持った束が、一夏と翔に割り込みを掛け、白式と零式の装甲にコードを差し込む。
その束の行動に連動するようにして、いくつかディスプレイが浮かび上がり。
白式のデータが表示されているディスプレイから、束は目を通していき、やはり、へらっと笑みを浮かべて、表示されたデータの数値と道筋のような物が記載された図を見比べる。
そして、興味深そうにいくつか頷く。
「ん~……不思議なフラグメントマップを構築してるね。なんだろ? 見たことのないパターン。いっくんが男の子だからかな?」
フラグメントマップと呼ばれるそれは、各ISがパーソナライズによって独自に発展していくその道筋の事で、ISの成長性の記録のようなものだと思ってもらえればいい。
それが、束も見た事のないパターンを示し、その原因が、一夏が男だからではないかと推測する。
そうなると気になってくる点がもう1つ出てくる。
一夏と同じ男でISの操縦者となった翔の事だ。先ほどから、目して語らずといった様にISを装着したまま腕を組んでいる翔に一夏の視線が動く。
「じゃあ、翔も似たようなマップを構築してる、って事ですか?」
「ん~、ちょっと待ってね……ありゃ?」
他にも表示されていた幾つもの空中投影ディスプレイの内、2つほどを覗き込み、束は疑問の声を上げる。
その表情は本当に不思議そうで、束と言えども理解しかねる。そのような表情を浮かべていた。
「しょーくんのもまたおかしな感じのフラグメントマップだねぇ。まぁでも、パターンを構築するにはデータが足りなさすぎるね」
翔のデータを見る事で、自らが何故ISを動かせるかという理由の糸口が掴めるかもとも思った一夏の希望は、短い時間で儚く散っていく。
しかし、フラグメントマップがおかしな構築をしていると言いつつも、束の視線は、マップを見ておらず、零式の別のディスプレイ、数値がびっしりと表示されているそれに、束の視線は注目されていた。
そのディスプレイには、赤色で表示された数値が、決して少なくない数存在していた。
同じ様な表示がしてある白式のディスプレイには、赤色の数値等、1つも存在していなかった。
一夏が、ISを操縦できる原因にたどり着けなかった事に肩を落としている間、束の表情は、凡そ見た事のない厳しい表情でそのディスプレイを睨んでいた。
その事は、鋭い瞳を軽く閉じている翔には見えなかったが、雰囲気で何となく察しており、敢えてそれに追求する事はなく、一夏が落としていた肩を直し、伏せていた顔を上げた時には、束は既にいつものへらりとした緩い笑みを浮かべており、束の雰囲気の変化を知る翔は言うつもりがないらしく、ただ黙ってそこに立ち続けるだけ。
こうして、1つの小さな事実は、誰にも知られることなく闇へと葬られた。
「まぁ、それはそれとして、後付装備ができないのは何でですか?」
「そりゃ、私がそう設定したからだよん」
「え……えぇっ!? 白式って束さんが作ったんですか!?」
「うん、そーだよ。って言っても欠陥機としてポイされてたのをもらって動くようにいじっただけだけどねー。でもそのおかげで第一形態から単一仕様能力が使えるでしょ? 超便利、やったぜブイ。でねー、なんかねー、元々そう言う機体らしいよ? 日本が開発してたは」
「馬鹿たれ。機密事項をべらべらバラすな」
長々と嬉しそうに一夏に重要事項を軽く話す束から、唐突に聞こえる打撃音。
明らかに大きな音を立てている様に聞こえた打撃音は、凡そ手加減というものが考えられていないような音だった。
無論、この場で束にそんな事が出来る人物等限られている。
束の妹である箒が、まず第一に上がるが、箒は未だパーソナライズが終わっていないため、先程の場所から動く事が出来ない。
2人目に一夏の隣で静かに立っている翔が上がるが、一夏の隣から一歩も動いていないため、翔ではない。それに翔は無闇矢鱈に人を殴る事はしないと言う、厳しい態度や見た目の割に穏やかな人物なのだ。
そして最後に、一夏の姉である千冬。束から聞こえてきた打撃音と共に聞こえた声は間違いなく千冬の物であり、千冬は束に容赦などしない。
以上の結論から導き出される光景が、一夏の前に広がっている。
そこには、いつ頃来たのか、千冬が束の頭を後ろから叩いたであろうと予想されるような光景だった。
頭を押さえて束が振り向いた先には、当然ながら千冬の姿があり、その姿を見た瞬間、白式と零式のコードを束は引っこ抜き、へらっと笑みを浮かべる。
「いたた。は~、ちーちゃんの愛情表現は今も昔も過激だね」
「やかましい」
相変わらず笑みを浮かべたまま余計なことを言う束に、もう一発手加減なしの拳が飛来し、見事に命中。
聞く者が聞けば、何かを誤魔化そうというような感じにも聞こえる束の言葉にも、千冬は、気が付かなかった。
そこで、一夏が気になった疑問を束に向けて投げかける。
「えー、零式も束さんが作ったんですよね? じゃあなんで零式は後付装備が出来るんですか?」
一夏の疑問は最もで、零式は後付装備を装備する事が可能だ。
虚鉄はまさにその一夏の言う所の後付装備であり、一夏の白式が雪片一本しか無いのに対して、零式は後から装備を登録する事が可能。
そして、渡された時期に殆ど誤差がない事から、白式の仕様を零式に適用しないのは、どうも違和感の残る話である。
純粋な一夏の疑問を受けた束は、途端に笑みから、無表情へと表情を変化させる。
「零式は、正確に言うと私が作ったんじゃない。私は仕上げただけ。まぁ、武器は私が付けたけどね~」
「え? あれ? 違うんですか?」
「織斑、私は言ったはずだぞ? 柏木が使うに値する仕様に『仕上げてきた』んだろうな? とな」
束と千冬からの言葉に、一夏は考え込む。
確かに、束が作ったとは一言も言っていない。
そうなると、浮かんでくる疑問がある。
一体誰がこの零式を作ったのか? という疑問。
つまりは、製作者不明のISを翔は現在纏っているという事になる。が、しかし、一夏の隣で零式を纏って静かに佇む翔は、そのような事を気にした素振りはない。
私が作りたかったのに~、と半ばむくれている束が、じたじたと子供の様に悔しがり、長いスカートの裾がひらひらと揺れるが、既に零式のマスターとして翔が登録されている今、悔やんでも仕方ない。
子供の様に駄々を捏ねる束に、千冬がため息を吐いた所で、今まで静かに佇んでいた翔が組んでいた腕を解き、黒の光を纏い、それを霧散させた後には、零式の展開を解いた翔が砂浜の砂を踏みしめて立っていた。
「まぁ、今更言っても詮無き事だ。製作者が誰であろうと気にすることはない。今零式が俺の力になってくれている事実に変わりはない」
黒のネクタイピンを拳の中に握り込み、その中にある待機状態の零式を見透かすように、自らの拳へ翔は視線を注ぐ。
その翔の表情は何時もの感情を悟らせないような表情な為、何を考えているのか、何を思っているのかという事は読めないが、ほんの一瞬、翔を見た束の表情が複雑そうに歪むが、結局何を言うこともなく、表情を戻す。
一瞬で戻したため、束の表情は誰にも見られる事なく、この場は進み、翔に視線を注いでいるもう1人の人物は、翔自身にではなく、翔の拳……もっと正確に言うならば、翔の拳の中にあるものに向けて、何とも厳しい視線を送ってる人物がいた。
その人物とは、一夏の姉、織斑千冬であり、その視線の意図を理解できるのは、この場においては弟の一夏のみであった。
そして、千冬の視線の意図を理解した一夏は、呆れたようにため息と共に肩も落としながら、白式の展開を解く。
白い光が霧散し、白い装甲の見えなくなった一夏も、柔らかい砂を踏みしめるが、やはり呆れたような表情と落ちた肩は戻っていない。
(千冬姉……ISにまで対抗心燃やさなくても……)
無論、思っていても声には出さない。
何故か? 後が怖いからに決まっている。
ISを纏っていても、纏っていなくても、変わらない暑さにうんざりしながら、一夏は自らの姉に呆れる他ない。
とそこで何かを思い出したかの様に、束がくるりんと身体を回転させ、にんまりとした笑みで一夏に向き直る。
その束の表情を見た瞬間、一夏の額に一筋のきらめく汗が流れる。
経験則として一夏は知っている。束がこう言う表情をした時は、何かしら一夏にとって良くなない何かを考えている時だと、一夏は知っているのだ。
「いっくんさー、白式改造してあげようか?」
「何だか嫌な予感がするので別に要りません」
「ぶーぶー。束さんのアイデアも聞かずに却下するなんて、おーぼーだねいっくん」
「じゃあ、聞きますけど……どんな改造するんですか?」
「うむ、よくぞ聞いてくれたよ、いっくん。執事の格好になるとかどうかね。いっくんには前々から燕尾服が似合うと思っていたんだよ。あるいはメイド服」
束の言う所の『アイデア』なるものを渋々聞く一夏に、つらつらと改造内容を語っていく束。
その表情は非常に満足そうな笑みを浮かべながら、何度も頷いている。
あるいは、という言葉から先は、どう考えてもこの夏の熱気に頭がやられたとしか思えないアイディアであるが、真面目にその内容を考えている束は、決して頭がおかしくなったわけでも、気が触れたわけでもない。
最初から真面目なのだ。だからこそ質が悪いとは、専ら身内からの意見ではあるが……。
秘密のビーチ然とした砂浜の真ん中で、このようなやりとりをしている自分を思わず第三者的に見てしまった一夏は、思わず燦々と照りつける太陽に手を翳しながら、その姿を仰ぎ見る。
「……いいです」
「いいです! おぉ、許可が下りたよ! じゃあ早速――」
「だあっ! わざと意味を間違えないでください! ノーです、ノー! ノーサンキュー!」
「む! じゃあ私はノーザンライツだ!」
「束。その張り合いは完全に理解不能なのだが……」
「ノンノン、細かいことは気にしちゃダメだよ。しょーくん。偉い人も言ってたよ? こまけぇこたぁいいんだよ! って」
「違う、束さん、それ絶対違う……」
ため息と共に呆れた様な声を上げる翔に、束は、むーっと眉根を寄せて腰に手を当て、翔の目の前で右手の人差し指を左右に振って自信満々に答えを返す。
そんな束に、何やら戦々恐々とした一夏が束の発言に突っ込みを入れるが、勿論そんな事を聞いてくれる束であるはずがない。
基本的に篠ノ之束と言う鬼才の女性は、天上天下唯我独尊、他人からの意見なんて基本的に顧みない。と言うのが基本性格としてある。
そんな女性が、一夏のいう事を一々気にするわけもなく。
一夏の突っ込みを無視して、またしてもくるりと一夏に向き直った束は、やはり、へらっとした緩い笑みを浮かべている。
「じゃあじゃあ、女の子の姿になるってどうかな! いっくんが!」
「なんなんですか、それは!」
「ん? 最近読んだマンガにそういうのがあったんだよ!」
「マンガの話を俺で試そうとしないでください!」
「ちえー。いっくんいけずー」
「あー……ごほんごほん」
傍から見ていればボケとツッコミの応酬としか思えない光景を作り出している一夏と束。
次々と出てくるアイディアを却下する一夏に、束がぶーぶーと声を上げた所で、先程からパーソナライズの処理待ちで待機していた箒からの咳払いが入り込む。
それにより一時中断となり、不思議ワールドから解放された一夏は、恨みがましい視線を、翔と千冬へと向ける。
一夏から飛んできた恨みがましい視線を受け、千冬はあからさまに視線を逸らし、生徒達の指示へと戻っていく、翔は相変わらず腕を組んで瞳を軽く閉じている。
あまりにも優しい2人の反応に、一夏は思わず涙が出てきそうになったが、これはきっと夏の暑さから来る汗だと思い込むことにした。
「こっちはまだ終わらないのですか?」
「んー、もう終わるよー。はいおしまい」
箒からの不満気な声に、束はきっちりと反応し、パーソナライズが終わった事を伝え、箒へと向き直る。
フィッティングもパーソナライズも終了といった束の言葉に、箒は息を一つ吐く。
しかし、箒には休憩という言葉はなく、束から間髪入れず、次の工程へ移行する指示が飛んでくる。
「んじゃ、試運転もかねて飛んでみてよ。箒ちゃんのイメージ通りに動くはずだよ」
「えぇ、それでは試してみます」
束から次の工程の試運転という名目を箒が了承した瞬間、軽くエアーが抜ける音が幾つも響いた瞬間に、紅椿に繋がれていたケーブル類が次々と外れていく。
繋がれたケーブルが全て外れ、自由になった紅椿を確かめるように箒は、自らのISを見渡し、もう何も付いていない事を確認すると、飛翔の為に、瞳を閉じ、意識を集中させる。
その瞬間、腕を組み、一夏の隣で腕を組み瞳を軽く閉じていた翔の瞳が、右側だけ開き、その瞳は真っ直ぐに紅椿を捉えている。
翔の開かれた右の瞳が紅椿の姿を捉えた瞬間、紅椿の周りの砂が爆発した様に舞い上がる。
「おわっ!? な、何だ!? って、箒は?」
「あそこだ」
紅椿が急加速によって起こした衝撃波で舞い上がった砂に、一夏が驚き、次いで一瞬にして視界から消え去ったようにしか見えなかった箒の姿を探すが、その居場所は、隣にいる翔から聞こえてくる。
今の加速が見えていたのか、翔の右目は、紅椿の周りの砂が衝撃波によって舞い上がった瞬間、上空へと確かに動いており、高速で飛翔する紅椿の姿を、確かに映していた。
一夏は翔の右目が捉えている位置を追いかけ、暫く視線を彷徨い、ようやっと高速で飛翔する紅椿の姿を発見する。
「おー、ホントだ。すげぇな、ハイパーセンサーも無くてよく追えるよな」
「動体視力には自信があるのでな」
「まぁ、でなきゃ零式なんて乗れねぇか」
「そういう事だ」
余談だが、直線軌道ならば零式の加速は、ISに搭乗していても一瞬見失うほどの加速であり、相手から見ても見失う程の速度域という事は、自分自身もかなり性能のいい動体視力を持っていなければならない。
でなければ自分自身も相手を見失う事になるからである。
それだけ性能のいい動体視力を持っている翔は、難なく、とは言わないまでも、少し速い程度の意識で追う事が出来ていた。
それと言うのも、零式と言う確実にピーキーな機体に搭乗しているからに他ならず、ハイパーセンサを以てしてもまだ疾いと感じる機体に、常日頃搭乗している翔の動体視力は、ここに来て更なる成長を遂げていた。
「どうどう? 箒ちゃんが思った以上に動くでしょ?」
束は何やら箒に話しかけているような言葉を発する。
ISを装着しているのか、それともコア・ネットワークに割り込む事の出来る通信機を持っているのか、現段階では予想がつかないが、会話は成り立っているようで、束は嬉しそうに笑みを浮かべ、何度も満足そうに頷く。
そして試運転は次の段階に移行するのか、束からの指示が、箒へと飛ぶ。
「じゃあ刀使ってみてよー。右のが『雨月(あまづき)』で左のが『空裂(からわれ)』ね。武器特性のデータを送るよん」
台詞と共に、束が空中に人差し指を踊らせる。
恐らく今ので武器データのやり取りが行われたのだろう。
そう当たりをつけた瞬間に、紅椿が二本の日本刀型のブレードを抜く様が、翔の瞳にはハッキリと映っていた。
未だ瞳は右側しかその黒を覗かせてはいないが、それでもハッキリと見えており、その鋭い瞳から見た箒の身のこなしは、翔から見て及第点は文句なしにあげられるほどの身のこなしだった。
翔と一夏が箒へと注目している様に、今現在、この砂浜に存在する人物は、皆一様に空に浮かぶ箒の姿――いや、箒の纏う紅椿へと視線は集まっている。
加速だけでも、常人から見れば、翔の零式に勝るとも劣らない性能だったように思える。
その事実から、かなりの性能を持っていると予想できる。
恐らく、その速度域でも問題ない様に、かなりの性能を誇るハイパーセンサーに、最新型で高性能PICを積んでいる事も予想される。
鬼才・篠ノ之束自身が手を掛けたのだから、当然と言えるだろう。
しかし、そうなると零式の仕様は、些か時代錯誤と言える。
篠ノ之束が存在しているこの世界で、一応は束が仕上げた機体、にも拘らず、ハイパーセンサーは同世代のISと性能は変わらず、PICもそれ同様。
だが、実際の速度域で考えるならば、直線での加速は、最新型IS紅椿よりも若干疾い。ISの技能の内の一つである瞬間加速を使えばさらに疾い。
それほどの速度、だというのに積んでいるセンサー類は紅椿程に最新と呼べる者ではない。これでは搭乗者のスペックに頼る他ない。
ある意味零式は、白式よりも酷い欠陥品なのだ。
それほどの欠陥品を翔に渡した束の意図は掴む事は出来ないが、今は紅椿の姿に、皆一様に目を奪われている。
色々な推測を交えながらではあるが、翔も確かにその中の一人だった。
「懇切丁寧な束おねーちゃんの解説つき~♪ 雨月は対単一仕様の武装で打突に合わせて刃部分からエネルギー刃を放出、連続して敵を蜂の巣に! する武器だよ~。射程距離は、まぁアサルトライフルくらいだね。スナイパーライフルの間合いでは届かないけど、紅椿の機動性なら大丈夫」
束の解説が終わると同時に、箒は右手に持つ雨月を持ち上げ、右腕を左肩まで持って行き、構えを取る。
守勢に重きを置きつつも、刀を受ける力で肩の軸を動かし、攻勢に転じる事も可能という、その型の名を、翔は知っていた。
「篠ノ之剣術流二刀型・盾刃の構え……」
鋭い形を作る右の瞳で箒の構えを捉え、その型の名を呟いた瞬間、箒の腕から打突が放たれる。
腕が伸びきり、鋭い突きの形をとった瞬間、刀の刃周辺から幾つもの球体の光弾が出現、その数瞬後には幾重にも光の軌跡を残し、刃の弾丸となり、漂っていた雲にいくつも穴を開け、光弾は霧散していく。
雲を穴だらけにする数の光弾が一突きで出現し、それら全てが高速で敵に迫る。
光弾出現から攻撃までのタイムラグ等、ほぼ無いに等しい上に、火力は雲を穴だらけにし、その形を完全に崩すほどにある。
この一本の武装だけでも、デタラメとさえ思えるほどの性能を保持している。
その光景に、多数の生徒達が驚愕に目を見開いているが、紅椿の武装はそれだけではない。
それを証明するために、束から次の指示が箒へと飛ぶ。その表情は、やはりへらっとした緩い笑みだった。
「次は空裂ねー。こっちは対集団仕様の武器だよん。斬撃に合わせて帯状の攻性エネルギーをぶつけるんだよー。振った範囲に自動で展開するから超便利。そいじゃこれ撃ち落としてみてね、ほーいっと」
軽い調子の解説が終わった瞬間、束は空中投影のキーボードを軽やかに叩き、十六連装ミサイルポッドを呼び出し、大型のポッドが光の粒子と共に束の隣に出現した瞬間、束は迷う事なくキーボードを叩く。
その瞬間、ミサイルポッドの射出口が開き、幾つも噴射煙を立ち上らせながら、標的である紅椿へと殺到していく。
刹那の瞬間、思わずと言ったような風で、翔の隣にいた一夏から切羽詰ったような声が上がる。
「箒!」
「問題無い、見ていろ」
焦ったような一夏に、翔は静かに声を掛ける。
開かれた右の瞳は、箒が左手に持つ空裂を右脇下に構えるのを捉えていた。
幾つものミサイルが紅椿に殺到していくが、全てのミサイルの射角がある程度狭まる所までミサイルを引きつけ、大体空裂の刀身の長さよりも少し長い位の幅まで狭まった瞬間に、身体を一回転する要領で、構えた空裂を一気に振り抜く。
その瞬間、横一閃に振り抜かれた直線上を辿る様にして刃が出現、そのまま突き進み、ミサイルポッドから射出された十六発のミサイルを迎撃し、空には静寂が戻る。
試運転を終えた紅椿を纏う箒は、振り抜いた空裂を下げ、残心。
あまりと言えばあまりの火力とスペックに、翔の隣に居る一夏から言葉が漏れ出てくる。
「すげぇ……」
空を満たす静寂と共に、視界も爆煙が収まり、青い空が戻ってくる。
圧倒的なまでの性能を見せた箒と、真紅のIS紅椿は、威風堂々とした姿で宙に浮かんでいる。
その姿に、生徒達は言葉を失ったように、只々紅椿とそのマスター、篠ノ之箒を見上げる事しかできない。
満足そうに頷く束も、他の人物とは心境は違えども、紅椿を見上げていた。
その中で、紅椿ではなく、別のものに視線を集中させている人物が1人……いや、2人。
「…………」
感情を悟らせない冷静な表情で、紅椿とは違う別のものを見る翔の視線。
その視線を一夏はつっと追っていく。
「…………」
翔の視線の先には、厳しい表情で束を見ている……いや、最早睨んでいると言ってもいい視線を送っている千冬が居た。
その事実に疑問を感じると同時に、一夏は、何とも言い表せない不安を感じる。
そしてその不安を何とか解消させようと、翔へと視線を戻した瞬間、一夏の背中に、冷水を掛けられたような悪寒が這い回る。
同時に、焦ったような真耶の声が一夏の耳に飛び込んでくる。
「お、おお、織斑先生! たっ、大変です!」
尋常な焦り様ではない真耶の様子を見て、一夏の嫌な予感は更に広がり、翔を見て感じた悪寒は未だ拭えていない。
「どうした?」
「こ、こっ、これを……」
真耶から渡された端末を覗き込んだ千冬の表情が、珍しくあからさまに形を変える。
苦々しく、そして険しく曇る千冬の表情、それだけでただ事ではないと感じる。
「特命任務レベルA、現時刻より対策をはじめられたし……」
画面の内容を表面上は冷静に読み上げた千冬の声に、一夏の不安は収まらなくなり、悪寒も未だまとわりついてくる。
「大丈夫だ、何とかなる」
一夏の隣から聞こえてくる、翔の声に、何時もならば晴れる不安は全く晴れてくれず、夏だというのに背中を撫でる悪寒は消えてくれない。
それ所か、翔の姿を視界に収める度に、その悪寒はより酷くなっているような気がした。
一夏や箒、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラ、そして千冬や束にとって、忘れる事の出来ない夏の事件は、もう目の前まで迫っていた……。
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