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「IS インフィニット・ストラトス ~黒衣の侍~」
銀の福音編

二十四斬 漢なら大海原が似合うものだ

 ←二十三斬 漢たる者何時如何なる時にも冷静に振舞え →二十五斬 漢には粋な演出も必要だ
 夏真っ盛りのこの季節。
 何処に居ても熱い太陽の光が降り注ぎ、そのぎらつく強い陽光でもって人の肌を焼く季節。
 そんな季節に臨海学校と言う学校行事で海に訪れていたIS学園一年生の生徒達。
 インフィニット・ストラトス――通称ISと呼ばれるマルチフォームスーツの扱いを学ぶ事の出来る学園であるIS学園は、エリート校であるのと同時に、実質女子校でもあった。
 名称として女子校と言うわけではなく、『実質』女子校と言う、ISが世界中で認識されるまでの世界では、状況的におかしな事である。
 括りとしては女子校と限定されている訳でもない。にも拘らず、IS学園には女子生徒が圧倒的な人数を誇る。と言うより、今までは女子生徒しか居なかった。
 故に、実質女子校となっている。
 それは何故か? 簡単な事、ISと呼ばれる物の扱いを習う為の学園であるという事は、ISを動かせるという事が大前提として必要となってくる資質である。
 そして件のISと言う物は、欠陥品だった。
 端的に言ってしまうならば、人類の半分にしかISを動かす事が出来なかった。つまり、ISと呼ばれる物が反応するのは、女性だけだったという事。
 女性にしかISが動かせない、その事実が、IS学園が女子校と言う括りでもない筈なのに、実質女子校となっている実態だった。
 しかし最近、その実態を崩す事例が現れた。
 つまりそれは、IS学園が、実質女子校と言う現状から抜け出し、本来性別による制限の無い共学と言う面が押し出されたという事で、今年の一年生には、男子生徒が存在した。
 それも、二名と言う少なさではあったが……。
 この事実が、当時世界中で驚愕の嵐が巻き起こり、男性でもISを動かせるのではないか? と議論され、実験されたが、その結果は芳しくなく、その二人以外誰も起動させる事が出来ず、今では落ち着いている。
 そして、世界から一歩抜き出た例外である男性二名の内、一人は、現在砂浜で幼馴染である鈴音を背負い、女子生徒達に追い掛け回されている男子。
 第一回モンド・グロッソ総合優勝者であり、世界最強の座に着いていたブリュンヒルデ、織斑千冬の弟、織斑一夏。
 姉が有名な為、自分もその出来事によって否応無く注目を浴びた男性である。
 ビッグネームと言う箔がついている一夏、そして世界から出た例外は二人である為、当然もう一人例外が存在する。
 そちらは、何の箔もない……いや、とある筋の一部ではこれ以上無い程に有名なのだが、ISと言う物に関しての箔など何も無く、一夏よりも注目度は幾分か低かった男性。
 柏木翔と言う鋭い目付きで、他人に感情を悟らせない表情がデフォルト、いつも冷静で取り乱す事が極端に少ない何処か大人びた雰囲気を感じる男子生徒。
 当時、一夏が隠れ蓑になり、あまり騒がれる事が無く、ISが動かせると知られても比較的平穏な毎日を過ごしていた翔は、現在IS学園の臨海学校にて、釣り道具を背負いながら小さな船が何隻か存在する防波堤を歩きながら、辺りを探るように見渡していた。
 この防波堤を丸裸にする様に分析している目で辺りを見渡し、時折海の中を覗き込むように防波堤の足元に存在する海面にも目を配り、結局防波堤の端まで来て、ふむ……と思案する様に右手で口元を隠す。

「結局端まで来てしまったが……潮通しが良さそうで竿が出しやすそうな場所は他には無い、か」

 翔が立っているのは防波堤の端であり、船が通る為に開かれた海への口が翔の目の前に広がっており、テトラなども存在しない。
 防波堤の湾内側と海側、どちらも竿が出しやすそうな作りになっており、湾内と海側、どちらでも釣りが出来るような防波堤だった。
 湾内と海を繋ぐ境界線にもなっている防波堤の端で、翔は適当に持ってきていた釣具を地面へと下ろし、荷物が無くなった翔は、防波堤の縁に立ち、海面を覗き込み、満足そうに一つ頷く。

「この時期ならば鯵かと中りをつけたが、間違ってはいなかったな」

 翔が覗き込んだ海の中は、鯵と思わしき魚が回遊の為に泳いでいる所だった。
 無論、それを見て翔がその群れを逃す筈も無く、持ってきていたアミエビのパックの内一つを空け、適当に疎の群れが居た所へ向かって多めに撒いていく。
 海の中を強烈な匂いのするアミエビがゆらゆらと揺れながら落ちていく。
 青の中に揺れる無数の赤い点目掛けて、先程回遊していた群れと入れ替わるようにしてやってきた鯵の群れが、アミエビの赤い点目掛けて殺到する。
 どうやら、この海の魚は数が中々に多いらしく、鯵の群れもそれなりの数が居るようだ。
 過ぎて行った群れが戻ってきたわけではない事を見届けて、満足そうに翔は一つ頷き、仕掛けの作成の取り掛かる。
 今回借りた竿は、投げ竿一本と短い短竿を一本で、まずは投げ竿の仕掛けを作る。
 投げ竿を伸ばし、リールから出ているナイロンのラインをガイドに一つ一つ丁寧に通していく。
 徐々に穴が小さくなっていくガイドに、戸惑う事無く緑のラインが通っていき、竿先まで通し終わると、そのままラインの先を手元まで伸ばし、とりあえず竿を地面に置き、ロケット天秤を取り出す。
 竿から出た道糸をロケット天秤へと結び、キスの仕掛けのパックを取り出し、その中から一つ仕掛けを取り出す。
 残った仕掛けは取り出さずにそのまま道具入れの中にしまいこむ。
 そして仕掛けについているスナップ付きサルカンのスナップを外し、それをそのまま天秤の下にある穴に通し、スナップを閉じる。
 これで一応は完成したようで、翔は満足そうな雰囲気を出しながらも、その動きは止まらず、出来た仕掛けをとりあえず置いておき、次に取り出したのはゴカイ。
 プラスチックパックの中にぶちまけられた人工砂の中で、うにょうにょと元気に動き回るミミズにも似たゴカイを一匹取り出し、躊躇する事無くその体を小さくちぎっていき、その中の二つを仕掛けについている二本の針へと刺し、竿を持つ。
 リールのハンドルを軽く回し、竿先の近くまで天秤が近付いた所で、リールのスプールから伸びる緑の道糸を右手の人差し指で取り、左手でベイルを起こし、そのまま左手は竿尻を掴む。
 そして辺りを軽く見渡し、背後に誰も居ない事を確認し、海側に向けて勢い良く振りかぶり、そのまま全力で振り下ろし、その際、取っていた道糸を人差し指から離す。
 ロケット天秤と言う大きな重りの付いた仕掛けは、海側に向けられたベクトルそのままに飛んで行き、約10m前後飛んだ所で着水。
 糸が絡む事無く仕掛けが飛んで行った事を見届けると、翔はそのまま竿を地面へと置き、次は短竿の準備に取り掛かる。
 サビキの仕掛けの入った袋から、サビキの仕掛けを一つ取り出し、アミエビを入れる籠を取り出し、短竿のリールから道糸を伸ばした所で、翔の肩眉の眉尻がピクリと一つ動きを見せる。
 翔の眉が動きを見せるのとほぼ同時に、翔にとってはではあるが、背中に軽い衝撃。
 後に重さ、それを感じると同時に翔の口が開かれる。

「束か」
「やっほやっほ、束さんが飛び掛る寸前で束さんだって気付いてた感じのしょーくんに絶賛驚愕中の束さんだよー!」

 特に驚いた様子も無く、冷静に束の名前を呼び、そのまま仕掛けを作る手を止めないままに、背中から翔の首に齧りつく様にして左の肩口から出された顔は確かに束の顔。
 にっこにっこと言った音が良く合いそうなほどに満面の笑顔を浮かべる束は、驚愕中などと言いながらも、嬉しそうなもので、女性らしい身体つきをしている身体を翔の背中にこれでもかと言うほどぐいぐいと押し付ける。
 成人後の女性と言うカテゴリーの中でも、明らかに圧倒的な大きさを誇る女性の象徴が、翔の筋肉とパーカーで覆われた固い背中に押しつぶされ、その形をふにゃりと柔らかそうに変えている。
 服越しとはいえ、青少年には毒な感触が背中にあるにも拘らず、翔の顔色は変わる事無く、その視線は現在仕掛けを作っている手元へと向けられている。

「ふむ、箒の件か?」
「むっふっふー、しょーくんは束さんの考えてる事が分かるんだねー! これはもうアレかな? アレしかないよね? そう以心伝心、愛しの束さんの考えてる事なんてお見通しって訳だね!?」
「相変わらず楽しそうで何よりだが、俺にISを渡しておいて、自分の大切な妹である箒にISを渡さないと言う事は無いと思っただけだ」
「そっかー、それもそうだね。束さんってば身内びいきの身内万歳な女の子だからね! 贔屓万歳これからもどんどん贔屓するよー、いっくんとかね! 別格なのは箒ちゃんとしょーくん、それにちーちゃんはとことんなまでに贔屓の対象だから!」

 これ以上無い程に楽しそうな表情で、身内を贔屓しまくると宣言した可愛らしい顔立ちの天才に、翔は思わず苦笑を浮かべ、出来上がった仕掛けにアミエビを詰め込み、続きでアミエビを海に撒いた後で、仕掛けを海の中に投入。
 束は何が楽しいのか、この熱い季節の中、未だに翔の背中に身体を密着させながら楽しそうな表情で翔の手元をじっと観察している。

「そうか……束に贔屓されていると言う事は、相応に大切に思われていると言う事か、それは嬉しい事だな」

 苦笑しながらも少し嬉しそうに、それで居て静かな口調で発せられた翔の言葉に、束の表情は笑顔から、珍しい事に驚いた表情へと変化し、次に起きた変化は、首下から徐々に顔色が赤くなっていくと言う変化。
 翔がぷるぷると震えている短竿の先に視線を集中させている内に、束は驚いたように瞳を軽く見開いたような表情から、嬉しそうな笑顔へと表情を正す。
 最も、その頃には耳まで顔を赤くさせ、暫くは元に戻りそうに無い。

「あ、あはは、しょーくんは束さんに大切に思われてると、う、嬉しいんだ?」
「当然だろう」
「そ、そそそっかぁ! 当然かぁ! い、いやぁ、束さん参っちゃうなぁ」
「お前が俺を大切に思うなら、俺はお前を篠ノ之束として大切に思うまでだ」
「あっ、うぅ……」

 束の言葉に、翔はいつもの他人に感情を悟らせないような表情のまま、そんな台詞。
 自らのトレードマークになりつつある機械のうさみみを僅かに揺らしながら、束は言葉に詰まり、更に頬を紅潮させ、その赤みは紅葉にも似たような色になりつつある。
 この男からすれば、家族の様な者として、そして友人として大切に思う、そう言った気持ちで言われた言葉に違いない。
 翔から言われる台詞回しを一々勘違いしていては身が持たない事を、束は千冬と一緒になって昔からそう思ってはいるのだが、どうしても情熱的な台詞に聞えてしまうのは仕方が無い。
 そしてその台詞に一々歓喜してしまう自分を抑えきれないのも仕方無い。
 少なくとも束はそう思っているし、何より、感情を自らの理性によってコントロール出来ない、少なくとも翔の事柄に関しては。
 逆に、束の台詞に対して動揺を見せずに切り返してくる翔はずるい、そう思う度に、結局最後はそんな事どうでも良くなっている。

(惚れた弱み……ってやつだよねぇ~でへへ)

 内心ですらも少し恥かしそうに笑い声を上げる束。
 惚れた弱み、束は先程翔の事を贔屓すると恥かしげも無く宣言したが、この決定を束自身、何の疑問も抱いてはいない。
 翔にも、欠点が無い訳ではない。
 才能の塊であったり、それなりには顔の造形も整っていたり、誠実さも持ち合わせていたりするが、欠点はある。
 友人を大事にしすぎて女性として見られる機会が少ないとか、今の所恋をする気が無い所だとか、少し固すぎる所だったり、目標が見えると脇目も振らずに邁進し過ぎたり……。
 そう言った様に、翔にも欠点はある。
 しかし、それでも束はその欠点も一緒に包めて翔を贔屓する。
 つまりは、欠点すら欠点でないように自分の頭の中で置き換える。
 そうしてしまう事こそが、束の翔に対する贔屓の程度であり、惚れた弱みを具体化した意見なのだ。
 微妙に蕩けつつある頭で、自己分析を終えた束の視線の先では、ぷるぷると震えながらも上げなかった竿を翔が漸く上げ、その先には仕掛けに付いている全ての針に余す事無く鯵が付いていた。
 仕掛けの針全てに魚が付く事を全点掛けと言う。

「い、今思えば束さんとしょーくん、よく仲良くなれたよねー? 今でも束さんはその事が不思議でならないよ」
「そうか? 俺はそうは思わない」
「えー? どう見ても束さんとしょーくんは噛み合わない気がするんだよ、現実主義者で天才のしょーくんと鬼才天才の束さん、現実主義者と奇想天外はそりが合わないものなんだけどねぇ」
「俺が天才と言うのは持ち上げ過ぎのような気もするがな」

 束からの評価に、仕掛けに掛かっている鯵を、小さいものは海水の入ったバケツに、少し大きめのものはクーラーボックスにと選別しながら苦笑を刻む。
 そんな翔の苦笑に、束は翔の首の前に腕を回し、更に身体を密着させて右手で左手の二の腕を掴むように腕を固定。
 空いている左手の人差し指を翔の顔の前に立て、ちっちっち、と指を振る。
 そんな束の表情は、不敵と言うか、悪戯っぽい雰囲気を感じるというか、にやにやと言うか、そんな笑みを浮かべていた。

「わかってないなーしょーくんは、天才って言うのはやれば何処までも伸び代がある人間の事を言うんだよ? 後成長速度がすっごく速い人間とかね? どっちもしょーくんの事じゃん?」
「では束は天才ではないのか?」
「束さんは天才じゃなくて、鬼才天才、わかるかなー?」
「なるほどな、理解した」

 今一要領を得ない束の言葉に、翔は特に戸惑う事もなく納得の表情。
 素早い理解力と翔の切り返しに、束も満足そうに笑みを浮かべて、うむうむ、と何処か偉そうに何度も頷く。
 サビキに掛かった鯵を全て外し終え、次のサビキ投入の為にカゴにアミエビを詰め込み、さて投入と言う時、翔は何かに気がついた様に投げた仕掛けの方へ視線を向け、徐に背中に乗っている束の太ももをスカートごと抱え上げ、苦もなくそのまま立ち上がる。

「あわわ、凄いねしょーくん、束さん重くないかい?」
「いや、むしろ軽すぎてちゃんと食事を取っているのか心配になる位だ」
「えっへへへぇ~そっか」

 特に考える事もなく、軽いと返事を寄越した翔に、束は何処か嬉しげに笑う。
 古今東西女性に対して体重の話はタブーとされているが、軽いと言われて喜ぶ束の様子からして、他人にあまり興味の無い彼女にとっても、自身の体重の話にはどうも気を使っているようだ。
 軽い、と言う言葉に嘘は無いが、束の女性としての象徴はかなりの大きさを誇る。
 それでも軽いと思われる秘密は、全体的にメリハリのある身体のラインであるからであろう。
 胸はこの上なく豊かではあるが、腰は細く、手足も細い。
 女性からすれば、これ以上無い程に羨ましさを感じる身体のラインを、束は見事に維持していた。

「そう言えば、先程の俺と仲良くなれるとは思わなかったと言う話だが……」
「んー?」

 束を背中にぺったりと張り付かせながら、先程仕掛けをぶん投げた竿を持ち、きゅっと軽く手前に一度引き寄せ、リールのハンドルをくるくると軽く回していく。
 巻き取られていく糸と、手に伝わる振動を感じながら、背中に張り付いている束に向けて、翔は口を開き、束はそんな翔の言葉に、先を促す意図を込めた疑問系。
 首を軽く傾げながら不思議そうに瞳を軽く見開くその姿は、この上なく可愛らしく映るが、束の興味は現在翔の言葉の先に込められていた。
 しかし、その様に愛らしい姿の束を見る事無く、翔の視線の先は巻き取られていくラインへと向けられている。

「俺はそうは思っていなかった」
「えー? そりゃまた何でさ?」

 そうは思っていなかった。
 つまり、翔自身は束と仲良くなれると、ある程度の確信を持っていたと言う事であり、先程の束の言葉を真っ向から否定する言葉が出てきた。
 しかし、束は自身の言葉を否定されたにも拘らず、この上なく嬉しそうな満面の笑顔。
 自らの想い人から、仲良くなれると確信していたなど、言われて嬉しくない訳が無いのは当然の事であろう。
 結局、問い詰めるような束からの言葉も、ある種の建前と言うか、ただの形式でしかない。
 自分の考えが否定されたから、とりあえず理由を聞いてみる。
 今の嬉しそうな束の表情からすれば、その程度の意味合いしかないのが丸分かりの表情。

「束も道は違うが前へ進んでいた、それが理由だ」
「って言うと……どゆことさー?」
「常に前へ進む事を考えている俺。自ら決めた道をひたすらに前へ進み続ける束。進む道は違えど前へ進む事の重要さを知っている俺と束が相性が悪いと言う事などありえない」
「そ、そっか……そーだよねー! 束さんとしょーくんってば相性ばっちりだもんねー!」

 相性が悪くないと真面目に言い切られた事に、自分の意思とは無関係に頬が紅潮していく事実を誤魔化す様に、若干声を大きくして翔の意見に同意する束。
 その表情は嬉しさや恥かしさなど、色々な感情が混ざり、中々すごい事になっている。
 今だけは翔が束に顔を向けない事を感謝した。
 若干大きな声を上げて翔の意見に同意するような束の言葉に、翔は満足そうに、うむ、と一つ頷き、手元までやってきたラインを手に掴み、海面から引きずり出す。
 やがて出てきた魚影は、体長約15cm程の白くつやつやした細身の魚。

「それは……?」
「キスだ」
「…………あ、あぁ……ビックリした。キスね、キス、シロギスって呼ばれる魚だね」
「む? 何故いきなりそんな説明口調なのだ?」
「い、いやぁ……ちょっと」
「そうか」

 何を考えたのか、頬を更に紅潮させながら上がってきた魚の解説を始める束に、翔は首を傾げるが、まぁいいと口元に掛かっている針を手早く抜き取り、2匹のシロギスをクーラーボックスの中へ放り込む。
 そして見事に餌のなくなった針に、先程適当な長さに切ったゴカイを二本の針に手早く刺し、後ろに張り付いている束に、その鋭い視線を向ける。

「え、えっと、何かな?」
「今から投げる。じっとしていろ」
「う、うん、わかった!」

 少し上から目線のように言われた翔の言葉に、何かクるものがあったのか、束は瞳をキラキラと輝かせながら翔の言葉に大人しく従う。
 妙に素直な束の様子に首を傾げる翔だが、結局、大人しく言う事を聞いてくれるならばそれで良いかと思いなおし、人差し指で緑のラインを取り、ベイルを起こす。
 竿尻の辺りを左手で持ち、鋭い視線は白い雲と青い海の交わる遠くの一本線へと向けられる。
 そしてまず、束の両腕が通っている肩の筋肉が収縮する様子が束の腕に伝わり、その動きによって、束の両腕がゆっくりと持ち上がり。
 次に束の持つ、人目を惹かざるを得ない大きな山を潰している肩甲骨を覆う筋肉が躍動し、それに連動するような形で背筋にもギチギチと力が加わっていく。
 そして筋肉に蓄えられた力を一気に伸ばすと同時に、手首、肘、肩、腰等の間接が連動して回り、それらによって生まれた力のベクトルに従い、仕掛けは雲と海の境界線へと向けて真っ直ぐに進む。
 仕掛けの着水をその鋭い瞳で見届けた翔は、ラインのたるみをある程度取るようにハンドルを回し、持っていた竿を静かに置く。

(こ、こんな力強い肉体でなんて……いやぁ~ん! 束さんもしかしたら壊れちゃうかも!)

 翔の首に腕を回し、完全に束の両足が地面から浮き上がっている状態ですら、特に苦もなく自分の肉体を動かしていた翔に、何を考えたのか束は、でへへ~とだらしない笑い声を上げつつ、その可愛らしい顔立ちをだらしなく崩していた。
 追加で言うならば若干口の端に涎すら垂れているようにも見える。
 耳元から聞えてくる束の笑い声に、はて? と首を傾げる翔だが、特に気にする事無く、アミエビを既に詰め終えていた仕掛けを海の中に投入する。
 数分か十数分なのか判断が付かないが、暫くの間、妙な笑い声を上げながら翔の背中に張り付く束と、怒涛の勢いで鯵を上げ、さっさとクーラーボックス行きとバケツ行きを選定する翔の姿があった。
 そして何か思い当たったのか、束の意識が戻り、それにあわせて顔色も戻ってくる。

「そう言えばしょーくん」
「む?」

 束の意識が帰還を果たして直ぐ、翔に声を掛け、翔は束に応える。
 視線を向けた先にある束の表情は、何処となくバツが悪そうな表情でありながらも、何か確信が持てない様な、そんな複雑な表情をしていた。

「零式、どう?」
「調子は悪くない」
「そっか……でも、一応後で見せてね?」
「ふむ、承知」

 少し不安そうな声音で翔に提案する束に、一も二もなく頷き、了承する翔。
 即座に返答した翔に満足したのか、漸く束は腕を解き、自らの足で地面へと立つ。
 そんな束に特に疑問もなく、翔は束を見上げ、その表情を伺うが、いつもの笑顔のまま佇む束。
 いつものテンションの高さと、束の笑顔は、ある種のポーカーフェイスでもあると翔は思っている。
 勿論、自分の大切な者と触れ合えると言う嬉しさからの笑顔と言うのが無いわけではないが、いつもの笑顔を浮かべる束の感情は読み取りにくい。
 そう言う意味では、束の笑顔と翔の感情を悟らせないいつもの表情は似通っていると言える。

「『どんな道だろうと前へ進みたいのなら躊躇するな。自分の進みたい道に誇りと自信を持て』覚えてる?」
「俺がお前に言った言葉だろう、忘れるべくも無い」

 いつもの笑顔のまま、それは嬉しそうに、だが唐突に一つの言葉を吐き出す束に、その答えを即答する翔。
 未だ群れが散る事無く上がり続けている鯵を選定しつつ、束に向けられた視線が捉えたのは、満足そうで嬉しそうな笑顔を浮かべる束だった。
 その大きな胸を張りながら、自信に溢れたような笑顔を翔に向けている。

「そう、しょーくんが私に、束さんに言ってくれた言葉。束さんはね、しょーくんのその言葉で今まで見てた世界が、ドーンッ! って変わった気がしたんだ~」
「ふむ……」
「それと同時に、私自身を肯定してくれたみたいに感じたんだ~、何の根拠もなくて、でも自信に溢れていて、束さんが行こうとしてる道は間違って無いんだよって言われたみたいに思っちゃったんだ~」
「例えどんな道であれ、前へ進むのはどんな人物にも必要な事だ。俺は一度もお前を肯定した覚えは無い」
「知ってるよ~」

 きっぱりと束自身を肯定してなどいないと言い切る翔、だがそれにも拘らず、束は嬉しそうな笑顔を崩す事は無い。

「これは束さんがしょーくんの言葉を勝手に解釈しちゃった束さんの感情の話。私はその時嬉しかったんだよーって言う、ただそれだけの話」
「『世界を変えたい』そう思った原動力が何であるかなど、俺にはどうでも良い事だが……世界を変えるその道を真っ直ぐ前へ進む束に責めるべき所など無い。そしてその結果、世界は確かに変わった。人の意識も、それは世界にとって良いか悪いかと言う評価とは別に、とても素晴らしいことだ。お前は確かに前へ進んでいる」
「んっふっふっふ~しょーくんは変わらず、自分の道を前へ進む人間が好きだねぇ~」
「自分の道をただ前へ進む人間はそれだけで素晴らしい。先にある結果が大きい小さいなど関係ない。理想の先にある自分にたどり着こうとしている人は、その姿こそが美しいものだ」
「でもそう言うしょーくんの言葉はとっても心地良く聞えるんだ~、例え、前へ進む過程で多くの人が危ない目に合うってわかっている道でも、進んでみようって気持ちにさせられるんだよ」

 間接的に、自分の進んでいる道の先に待つものが、必ず明るい物だとは限らない。そう言っている束は、揺らぐ事無く穏やかな笑顔だった。
 そんな束の表情を、相変わらず視線に入れる事無く、翔の視線は、未だ鯵を捉えて離さない仕掛けに通じるラインへ向けられていた。
 海の奏でる波の音と、穏やかな潮風が吹き抜ける中、特に気負った様子もなく、ただ静かに翔の口が開かれる。

「例えそうだったとしても……前へ進む姿は素晴らしいものだ」
「そっか……」
「だが……」
「?」

 翔らしい答えに、束は苦笑を浮かべるが、続きがあると言うような翔の言葉に、束は不思議そうに首を傾げる。

「お前にとって良くない未来が待っているなら、俺が……いや、俺達がお前を救う。その所為でお前の道が絶たれようともだ、それが俺の進む道だ。お前が世界から疎まれる未来を黙って受け入れるほど俺は人間が出来ていないのでな」

 束は人間があまり好きではないし、他人に興味も無い。
 そして、自らの考えを否定し見下げ、邪魔してくる人間は最も嫌う女性だった。
 翔が言った言葉は、まさしく彼女の邪魔をするという言葉であるはずだが、やはり、翔を嫌うと言う事は出来そうにも無い。
 前へ進む人間が好きで、どんな道でも自らが進みたい道を進んでいる人間は尊敬に値すると言って憚らない翔。
 だが、そんな翔が言ったのだ、束は束の道を進んでいるにも拘らず、その道の先に束が不幸になる未来があるのなら、その道を邪魔してまで束を不幸にする未来から救うと。
 その言葉は束にとって、ある種の救いであり、彼女自身の道に立ちはだかる大きな壁だった。
 壁であるにも拘らず、彼女が翔を嫌えない理由。
 それは、柏木翔と言う、前へ進む事を何より大事にしている彼から、その道を曲げてまで束が大切だと言われたのとほぼ同義だからであろう。
 いつの間にか束に寄越されている翔の表情は何時もの表情なれど、その視線は真剣で冗談の欠片もなく、翔の言葉が本心である事を如実に語っていた。
 己の道を曲げて進む道も、己の意思で曲げたならばまた自らの道。
 そう語っている翔の瞳に、やはり束は嬉しそうに笑う。

「じゃあ、束さんが世界から嫌われちゃったら。せめてしょーくんだけは傍に居てくれる?」
「俺だけではなく箒も千冬も一夏も傍に居るだろうが……まぁ、承知した」
「うん! 何だか束さん元気が出てきたよ!」
「そうか、それは何よりだ」
「じゃ~束さんはもう行くね? 色々と用意しなければならない事があるのだよ! うはは!」
「ふっ、承知した」

 何処か安心したような、そして吹っ切れたような束の表情に、翔はふっと笑みを浮かべ束を見送る。
 軽い足取りで防波堤を歩いていく束を見送りながら、翔は少し大きめの鯵をクーラーボックスへ放り込んだ。



 束が翔夜の下を去ってから約二時間。
 あれから翔は、海の穏やかな波をじっと見据え、心地の良い潮風を肌に感じながら釣りに興じ、クーラーボックスの中には、大量の鯵とキス。
 キスの群れにうまい具合に当たったのか、その数はかなりの物で、鯵の方も群れがひっきりなしに回遊してくる為、数えるのが億劫になる程の数になっている。
 クーラーボックスの中身を、ふむ……と思案する様に見詰め、クーラーボックスから視線を外し、鯵を釣っていた短竿を引き上げ、流れる様な手つきで仕掛けを解体し、ビニール袋の中に仕掛けを放り込み、短竿を短く仕舞う。
 短竿の片づけが終わった翔夜は、次に投げていた投げ竿を手に取り軽く手前に引き、リールのハンドルを回す。

「む? 付いてるな」

 手に伝わるふるふるとした感触と、小刻みに引っ張られているような動きを見せる竿先に、魚が仕掛けに掛かっている事を悟る。
 手前まで仕掛けを巻き、引き上げる。

「ほぅ、キス釣りを最後にしようと思っていた所に一荷とは、後が良いようだな」

 一荷とは、一度に二匹釣れる事を指す。
 それにサイズも中々のもので、キス釣りに見切りを付けるには丁度良い頃合だと翔は判断。
 仕掛けに掛かったキスを針から外し、二匹ともクーラーボックスの中へとご招待。
 そして道糸を右手で握り、左手に持っていた竿を地面へと置くついでに、自らも胡坐を掻いて地面へと座り込み、仕掛けの交換に取り掛かる。
 道糸に付けられている天秤を外し、仕掛けごとビニール袋の中へと放り込み、変わりに道具袋の中からウキを取り出し、ウキゴムを外してそれを道糸に通す。
 道糸に通したウキゴムを滑らせるようにして上に上げ、適当な場所でウキゴムにウキを刺し、固定。
 次に道具袋から取り出したのはスズキ用の仕掛け、その中から一つ仕掛けを取り出し、それを地面に置きスナップ付きサルカンを取り出し道糸の端に結びつける。
 結びつけたスナップ付きサルカンのスナップと、仕掛けについているスナップ付きサルカンのスナップを外し互いに連結させてスナップを閉じる。
 そこまでして、一旦仕掛けを地面へと置き、もう一度道具袋を漁って、取り出したのは適当な大きさの球体の鉛、所謂ガン玉と言うやつである。
 取り出したガン玉をハリスの適当な位置に固定し、取り敢えずの仕掛けは完成。

「簡単な仕掛けだが……まぁ、大丈夫か」

 幸いにもキスと鯵は多く釣れたからな……と自分を納得させる様に一つ呟き、海水と生きた小さめの鯵達が入ったバケツを自分の近くへと置き、その中から一匹の鯵を取り出す。
 地面へと置いた仕掛けをつまみ上げ、針を手に持って、それを丁度鯵の鼻辺りに引っ掛けるように針を通す。
 そして餌も付け終わった仕掛けを青く広がる海へ向かって投げる。
 着水し、ウキが海面に立つのを見届けて、竿を地面へと置き、自らも地面に胡坐を掻き、じっと遠くにあるウキを見詰める。
 絶えずゆらりゆらりと動き回るウキを見据えながら、翔は波の音や遠くから聞える人の声に耳を傾ける。
 相も変わらず照り付ける日差しは厳しいが、夏に鍛錬など毎年の事だった翔にとって、じっとウキを見ながら潮風を感じる事の出来るこの状況は特に苦ではない。
 ただ単に暑い中じっとしていれば良いだけなのだ、水分補給はクーラーボックスの中に入れてきていたペットボトルのスポーツドリンクで事足りる。
 夏を感じながら旬の魚を釣り上げ、束の間の休日を楽しむ。
 人に言えば、爺臭いだの何だの言われるが、翔はそんな事一度も気にした事はなく、休日は自分のやりたい様に過ごしてきた。
 人の意見に流されず、自分の意志を貫く翔が、小学や中学の時密かな憧れを集めていたと言う事など、彼自身は知る由も無い事であるが……。

「あの、翔さん」
「む?」

 そんな夏を翔としては満喫している一時の時間に、またしても翔に声が掛かる。
 今年の夏は誰かから声を掛けられる事が多い……等と思いながらも、それは勿論の事嫌な事ではなく、後ろから声を掛けてきた人物――セシリア・オルコットへ顔と視線を向けながら反応する。
 後姿と纏う雰囲気だけで声を掛けたのか、翔が振り向き、何時もの感情を悟らせない表情を見た途端、自らの胸に手を置いて少しホッとした様な表情のセシリア。
 振り向いた人物が翔だと確認が取れたセシリアは、粗い作りのコンクリートで作られた防波堤の上を歩き、躊躇もなく翔へと近付く。
 陽光に反射する金色の髪が、軽く掛けられたロール状のもみ上げと共に揺れる。

「ご一緒しても宜しいですか?」
「俺は構わんが……皆と共に居なくても良いのか?」
「はい、翔さんとご一緒に今日の休日を過ごしたい、と思っていますわ」

 軽く翔からの了解を取ったセシリアは、翔の隣に位置取り、何の躊躇もなくそこへ座り込もうとするが、その行動を、翔の軽く翳した手に止められる。
 一緒に居ても良いと許可を取った筈だが、セシリアの行動を止める翔に、軽く首を傾げる。
 セシリアが座ろうと動いた行動を止め、首を傾げるセシリアを見て、翔は来ていたパーカーに手を掛けると共に己の口を動かす。

「そのまま座ると尻が辛いだろう」

 何の気負いもなしにそう発せられた言葉と共に、翔は着ていた簡素な黒のパーカーを軽く折り畳んで自らの隣に敷く。
 軽く一回折る事により、少しばかり厚みの増したパーカーを視線で指しながら、座ると良い。と軽く言う翔に、セシリアは少し申し訳無さそうな表情を浮かべて翔を見る。
 そこには特に気にした様子も無く、何時もの感情を悟らせないような表情を浮かべた静かな翔が、胡坐を掻いてそこに座っている。

「良いのですか? 翔さんのパーカーが汚れてしまいますわ?」
「構わん。パーカー一枚でセシリアの痛みが無くなるならば安い物だ」
「そ、そうですか……で、では、失礼しますわ」
「うむ」

 セシリアの言葉に、ふっ、と軽く笑みを浮かべて言われた翔の台詞に特に他意はない。
 ただ単に、固いコンクリートに腰を下ろすと身体が辛いのを知っているため、それがパーカー一枚でどうにかなるなら安い。
 本当にそれだけの意味で翔は言っているのだが、どうにもその台詞回しが直球過ぎて、ある種の情熱的なまでの口説き文句に聞えたセシリアは、さっと頬赤らめ、この行動と台詞に他意はない、と自らに言い聞かせつつ、おずおずと翔のパーカーの上に腰を下ろし、体育座りの体勢で軽く自らの腕に足を抱え込む。
 翔の隣に腰を落ち着けたセシリアを見届け、うむ、と一つ頷き、翔の視線はまたウキへと戻る。

「……」
「……」

 そして場を支配するのはまたしても波の音と穏やかな潮風、厳しい陽光。
 遠くに浮かぶウキは変化なくゆらりゆらりと自由に動き回っている。
 元々そう軽く喋る方ではない翔と、喋りはするが、先程のやり取りがまだ少し尾を引いているセシリアでは、楽に会話が弾むと言うわけにもいかない。
 かといって、両者にとってこの空気が悪い物かと問われるならば、そうでもないと言うのが本当の所。
 翔にとっては友と過ごす穏やかな時間であり、セシリアにとっては想い人と過ごすゆったりとした時間。
 会話が弾まなくともお互いにとって心地の良い時間である事もまた事実なのだ。
 胡坐を掻いて、ウキを見詰める翔と、足を抱えた両手の指を絡ませたり、何処か落ち着かないような、それでいて嬉しそうなセシリア。
 そんな二人にとって、青い海を並んで見ながら、青空の下でゆったりと過ごす時間と言うのは、ロケーション的に見ても最高の物と言えよう。

「翔さんは……」
「む?」

 心地の良い沈黙を破ったのは、やはりと言うか、先程の出来事から立ち直ったセシリア。
 セシリアからの呼びかけに翔は、軽く言葉と視線を寄越し、ぼぅっと海を見詰める青い瞳が印象的な美少女の横顔を視界に収める。
 金色の髪を陽光に反射させ、潮風に軽く靡く髪を右手で軽く押さえながら、それでもこの時を楽しむように、深く感じ入るように青い瞳は海から視線を外さない。

「どうやってISを動かせるようになりましたの?」
「ふむ、どうやって……か……。正確にはどうやってISを動かせると知ったのか、では無いのか?」
「ふふっ、そうですわね、その聞き方が正しいのかもしれませんわね」

 セシリアからの疑問に、翔も海へと視線を直しながら、その疑問を少し訂正。
 訂正された疑問の内容に、セシリアは軽く笑顔を浮かべている。
 出来の悪い言葉遊びをしているような感覚がどうにも可笑しかったのか、それとも、未だに穏やかに流れるこの時間が嬉しく、安心したからなのかは、彼女にしかわからない。
 だが、それでも彼女はこれ以上無い程に楽しそうに、それでいて穏やかに、静かに笑みを浮かべていた。
 海に浮かぶウキを視界に捉えながら、ウキの動きを鋭い瞳でゆらりゆらりと追いながら、翔は特に考える暇もなく口を開く。

「大げさな理由など無いんだがな……一夏がISを動かせると発覚した少し後ぐらいか、声が聞こえた」
「声、ですか?」
「あぁ、声が聞こえた。何時もの夜の鍛錬でロードワークに出ていた俺はその声に従ってコースを決めた」
「それで? どうしたのです?」
「ロードワーク中、しきりに聞える声を辿って着いたのは一つの建物……いや、これはおかしいな、廃……そう、廃病院だった」

 何かを懐かしむように、ゆらゆらと動いているウキを目で追いながら、思い出すようにして饒舌に翔はその時の事を語る。
 廃病院といえば、恐怖を煽るスポットとして有名な逸話がいくつもあり、ある意味夏と言う季節にはもってこいの場所ではある。
 その様な話をセシリアは聞いたことがあるのか、その表情は、先程までの穏やかな時間を楽しむ余裕のある表情ではなく、何処かしら強張ったような固い表情だった。
 心なしか何かを我慢するように生唾を飲み込むような仕草も見受けられる。
 ISを動かす事になった切欠の話であり、怪談話では無いと自覚しながらも、夜と廃病院と言うキーワードがセシリアの頭の中にこびり付いて離れない。
 この話の語り部である翔も、表情を変えず淡々と話す事もあって、明るい昼間であると言うのに、セシリアの背筋には薄ら寒い何かが駆け巡る。

「街の中は街灯がある。それ故に俺は明かりとなる物がなかったが、夜目は効く方なのでな、そのまま中に入った」
「こ、ここ怖くなかったんですの?」
「む? いや、特には、街からそれほど離れてもいなかったしな、辺りが見えないわけではないからな、特に危険はなかった」

 あっけらかんとそう語る翔に、セシリアは表情を更に固くしながらも、少し呆れたように、そう言う事ではないのですけれど……と溜め息を一つ溢す。
 セシリアが何に対して呆れているのか理解出来なかった翔は、一度軽く首を傾げるが、特に気にしないように続きを話すため、口を開く。
 翔の見詰める先にあるウキの動きは、先程までのゆらりゆらりと海を自由に満喫するような動きから、段々と変化を見せていた。
 そのウキの動きに、翔は軽くその鋭い瞳を細める。

「廃病院の中は薄暗かったが、街から近いのでな、そこからの光が少し入ってきていて先に進むのに特に障害はなかった。途中、ばら撒かれたカルテや、何かに殴られたようにへこんだアルミの手術室の扉、どう見ても不自然な廊下に飛び散る血痕らしきものがあったが、特に気にするほどの物でもなかったのでな、無視した」
「どう考えても気にするほどの物ですわよ!?」
「む? そうか? 担架で運ばれる患者が余程出血が酷かったのかもしれんし、緊急の手術で慌てて何かを扉にぶつけてしまったのかもしれん」
「あぁ……そこまで考える余裕がその時おありなのでしたら、特に怖くはなかったのですわね……」

 右手で顔を軽く覆いながら、この人は本当に……とでも言うように溜め息をつくセシリアに、ふむ? と不思議そうな瞳を向ける翔。
 だが、そんなセシリアを気にしていると、彼女自身から、続きをどうぞ、と言う促しが入った為、すぐさまそれを流し、次の話に入る。
 セシリアに向けていた視線を、もう一度海に浮かぶウキへ向ける。
 ウキは明らかに動きに変化を見せ、最早誰から見ても激しく動き回っていると分かる動きへと変わっていた。

「廃病院に入った時から声は途切れていた為、仕方が無いので俺は病院の中をしらみつぶしに探す事にした」
「その躊躇の無い決断力には、最早呆れを通り越して、ある種の憧れを感じますわ……」
「ふむ? まぁいいか……文字通り廃病院の全てを見回った。各階の病室やトイレ、手術室、診察室、談話室、待合所、ナースセンターの中、ありとあらゆる所を見て回ったが、手術室や診察室で妙な物音が聞えたりカルテが飛んできたり、談話室にあった朽ちた絵本が一人でに崩れたり、トイレの扉が急に閉まったり、病室のカーテンが何やら動き回っていたが、特に問題はなかった」
「大有りですわ!?」
「む? あるのか?」
「何でそこまでの事があって翔さんは冷静に当時の事を躊躇なく思い出せるのかが不思議でたまりませんわ!? 普通はトラウマものですわよ!?」

 思わず、といった風に声を荒げて翔に突っ込みを入れるセシリアに、何に対して突っ込みを入れられているのかが理解出来ないと言う様に、翔は首を軽く傾げる。
 翔への突っ込みに、興奮しすぎたのか、セシリアは翔へと詰め寄るように状態を翔へと近づけ、体育座りだった状態は膝立ちへ移行している。
 我慢できないと言う様に頭を抱えたり、著しく筋肉が発達している翔の鋼の肉体へ向かって、バシバシとアグレッシブな突っ込みを入れる激しい動きに、布一枚で支えられている豊かな胸がふるふると震える。
 普通の男ならば当然の如くその一部分に視線が釘付けになること請け合い、しかも、セシリアほどの美少女であるならば尚更、である筈だが、翔の視線は激しく動き回るウキから外れる事は無い。
 段々とヒートアップしていくセシリアの様子はさておき、翔はとりあえず、今の話を終わらせてしまう事に決めたのか、右の肩や二の腕に襲い掛かる軽い衝撃を無視して口を開く。

「まぁ、特に問題はなかった」
「完全に言い切りましたわ!?」
「……そして廃病院の全ての部屋を回りきったが何も見つからなかった」
「更にスルーですわ!?」
「それでも廃病院から声が聞こえてきたことは確かだった。そこで思い当たった線を辿って、目的の物を探して歩き回って、見つけたのは……」
「見つけたのは……なんですの?」

 先程までヒートアップし、翔に引っ切り無しに突っ込みを入れていたセシリアは、話の佳境に入ったのを理解したのか、ごくり、と喉を鳴らしながら、話の続きを促す。
 最早この話が何の話だったのか忘れているのか、その表情は固く強張り、ISを動かせる事を知った切欠の話を聞く表情ではなくなっている。

「地下への階段だ」
「そ、そそれは流石に……見たら確実にトラウマになる部屋がある所ではありませんか?」
「確実にトラウマになるかどうかは分からんが……れいあ……」
「そ、それ以上はいいですから! 部屋についてどうしたんですの!?」
「む? 当然見つけた」
「な、何を……ですの?」

 その部屋が何の部屋だったのかを、軽く説明しようとした翔の言葉を遮り、続きを促すが、妙な所で翔が言葉を切るので、セシリアはすっかりその雰囲気とタイミングに怯えてしまっているかのように身を小さく縮めている。
 翔は相変わらず、その視線を激しく動き回っているウキへと注ぎ、セシリアが今現在どんな状況なのか見る事は無い。
 だが、何を見つけたのか? と問うセシリアに、一つ首を傾げることは忘れない。

「何を? 決まっているだろう……っ!?」

 翔の口から何を見つけたのかいよいよ語られる、となった瞬間に、翔が勢い良くその場で立ち上がり、それに驚いたセシリアは、はしたなく甲高い悲鳴を上げる。
 視線の先にあり、激しく動き回っていたはずのウキは、海面の何処にも見当たらなかった。

「ひゃわわわわっ!」

 気が抜けるような悲鳴を上げるセシリアに、視線を向けながらも、翔は迅速に身を動かし、地面に置いてあった竿を勢い良く取り上げ、ぐっと一度大きく手元に引き寄せる。
 そして、竿をしゃんと立てて、手元から離さないように翔が持つ竿の先は、勢い良く、そして大きくしなりを見せ、その先についているのが先程つけた鯵の様な小さな魚で無い事を如実に語っていた。
 勢い良く海の中を走り回る魚と格闘するように竿をしっかりと立てるように持ち、リールから出ているラインを緩ませないように注意する。

「そこで見つけたのだ、ISを」
「へっ? IS?」
「何を驚いている? ISを動かせると知った時の話だったはずだが?」
「あっ、あぁ……そうでしたわね、あのタイミングは一番無いタイミングでしたわ……」

 海の中にいる魚と格闘しながらも、涼しい顔をして、この話の趣旨である所の目的物を翔は口にする。
 それにより、セシリアはこの話が何の話であったかを思い出し、少しげんなりしたような表情で肩を落とす。
 疲れ切った、若しくは拍子抜けした、そういった感情が表に出ているセシリアの表情に軽く疑問を抱きながらも、勢い良く海の中を走り続ける魚に対して、翔はリールの糸が巻かれている部分――スプールの上部にあるつまみを、カリカリと音を鳴らしながら回す。
 一定まで回した所で、スプールが糸を引っ張られるベクトルに逆らう事無く回り、ラインの張りを保ったまま糸をゆっくりと出していく。
 どうやら無理矢理手元に引き寄せるのは拙いと思ったのか、ドラグを緩めて走らせ、魚が疲れるのを待つ作戦に切替えたようだ。

「とにかく、見つけたISに触り、それが起動した事が切欠だ」
「なるほど……そうでしたの」
「うむ」

 魚が左右に走れば、竿を軽く倒して魚の動きをコントロールし、ラインを決して緩めずに魚を泳がせる。
 ただひたすらにそれを繰り返しながら、セシリアの話に答えていく。
 そうして翔がISを起動させられると知った切欠である出来事を聞いたセシリアは、ふむふむと軽く頷いている。

「ではどうやってIS学園へ? あの時は確か試験は終わっていた筈ですわ……」
「ふむ、俺も他の高校の受験を終わらせていたのだが、その事を千冬に報告した所、すぐさま特別にIS学園の試験を受けさせられてな。今に至る、と言うわけだ」
「……身内だから、でしょうか?」

 翔がIS学園へと来た経緯を話し終え、それに対しての千冬の行動にセシリアは疑問を持つ。
 それも当然の話で、千冬は自らの仕事に私情を挟まない事はそれなりに有名で、実の弟にも教師としての自分を意識させている事からしてもその事実は間違いの無い事実。
 それが何故、既に試験の終わっていたIS学園に、翔を入れようとしたのか、その頃既に千冬との繋がりがあった翔にそんな事をすれば、私情と見られてもおかしくない。
 両膝に自らの口元を当てつつ、セシリアは思案するが、その疑問に対する確信に近い答えは、彼女自身の直ぐ上から降ってきた。

「恐らく、身の安全の為だろう。男がISを動かせるなど前代未聞だからな……危険に晒さない為には全寮制のIS学園に入れてしまった方が何かあった時に対処がしやすいという事なのだろう」
「なるほど……」

 IS学園の生徒ならば専用のISを持っていても不思議ではないからな、と締めくくり、また魚との格闘に戻る翔。
 翔や一夏にとって、専用のISと言うのは、つまりは防衛手段なのだろう。
 世界から見て、例外である二人には何時危険が迫るかわかった物ではない。
 いくら翔が強いといっても、生身で熟練のIS乗りに襲われればその結果は分からない。
 それに対抗する為の力であり、そうさせない為の防衛線であるIS学園。と言う事なのであろう。
 翔から告げられた答えは、限り無く千冬自身が持っている答えと限り無く近い推測である事は間違いないであろうが、それに付け加えて、セシリアは思うことが一つだけあった……。

(考えていないのでしょうが……恐らく、少しは私情もあったと思いますわ。翔さん)

 冷静にそう考え、ひたすらに魚と格闘する精悍で凛々しさの際立つ翔の横顔に視線を送る。
 未だにその表情は、感情を悟らせない何時もの涼しい顔つきだったが、今戦っている海の中の魚との駆け引きを目一杯楽しんでいるように感じられた。
 その横顔を見ていると、セシリアは、翔がどうやってIS学園に来たか、と言う小さな事はどうでも良く思えてくる。
 結局、結果として柏木翔はIS学園に在籍し、専用のISを持ち、その力でもってセシリアを負かし、前へ進む事の大事さを教えられ、そんな何時でも前へ進む翔の強さに惹かれ、実情としてセシリアの中で最強を誇る翔が居る。
 そして、日々の生活の中で翔に惹かれる気持ちはどんどんと大きくなり、今自分と翔はここに立って海を楽しんでいる。
 その事実が重要で、大切なのだと、セシリアはそう思いなおし、自分の中で出た結論に対して嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「ふむ、そろそろか……」

 竿のしなりが段々と勢いをなくしてきた所で、翔はそう小さく呟き、ここで初めてリールのハンドルに手を当てて回し始める。
 ゆっくりと巻かれるハンドルにベイルが連動して動き、ラインを巻き取る動きを見せる。
 その動きは翔が回すハンドルの速度に合わせて、ラインが巻き取られる速度も非常に緩やかで、無駄なテンションをラインに与えないようにとの配慮なのだろう。
 海面から出ている緑色のラインは、ゆっくりと、だが確実に翔の手元にあるリールへと収まってきている。
 自らの中で、今のこの現状がこの上なく幸せな事なのだという結果が出たセシリアは、何処となく体がウズウズするような感覚を覚える。
 その感覚に逆らえず、気がつけばセシリアは立ち上がり、翔の直ぐ隣に寄り添うようにして立っていた。

「今釣っているのは、どんな魚ですの?」
「スズキと言う魚だ。大きければ刺身でもいける。白身でこれが中々に淡白で美味い」
「どんな感じですの? 大きそうですの?」
「あぁ、これは大きいな……恐らく手元まで来ても現状では上げられんだろう」

 冷静にそう言う翔に、セシリアは急に慌てだし、翔に対して対処方法を聞くように口を開く。

「で、では、どうしますの?」

 慌てた様に翔へ問い掛けるセシリアだが、そんな彼女自身、慌てつつもこの状況を、この雰囲気を楽しんでいるような空気が感じられる。
 何かを吹っ切ったように、普通の少女のように、純粋に海に来ていると言うこの現状を楽しんでいる事が分かるセシリアの生き生きとした表情に、思わず翔は口元を緩める。
 緩やかに、ふっとクールな、そして満足そうな笑みを浮かべる翔に、自らが慌てているのを笑われたと思ったのか、セシリアの顔に羞恥の色が混ざる。

「……お、お恥かしい所を……」
「いや、スマンな、お前の慌てっぷりを笑って訳ではない」
「そうですか……そうでしたらよろしいのですが……」
「俺の言った事を実践出来ているようでな、少しばかり嬉しく思っただけだ」
「翔さんの言った事……」

 そう告げられた言葉に、セシリアは思い出すように右手の人差し指を顎に当てながら、その青い瞳を空中へ彷徨わせるように動かす。
 一見無防備そうな表情を、金色の髪を持ち気品溢れる雰囲気の美少女、それも水着姿が非常に眩しい人物がしていると、非常に絵になる。
 一見気が強そうに見え、上品な雰囲気を纏うセシリアが翔と居る時にふと見せる無防備な表情は、世の男性にとって目の保養であり、同時に目の毒。
 そう思われてもおかしく無い程に、彼女のそう言った生き生きした表情は魅力に溢れていた。
 そんな無防備な表情、翔にとっては、今を楽しんでいるような生きたセシリアの表情に、やはり満足そうに、ふっと笑みを浮かべるだけ。
 やがてセシリアは、浜辺で翔に言われた事を思い出したのか、漸く魚の魚影が見えてきた事に、瞳を細めている翔に嬉しそうな笑顔を向ける。

「普段自分がしないような事をしてみろ、ですか」

 答えにたどり着き、彼女にそう言った翔へ笑顔を向けて、セシリアは声を弾ませて翔へと答えを披露する。
 セシリアから披露されたその答えに、翔は満足そうに一つ頷く。

「そうだ、普段通りのお前ならば、海の景色は浜辺から見た海の景色だっただろう。だが、普段しないような行動をしたお前は、人の釣りを見て、防波堤からの海を見ている。そんな小さな楽しみが、大事だと思わんか?」

 そうセシリアに問いながら、翔は、ニッと笑みを浮かべる。
 何時もと違う自分の行動、何時もの自分なら見る事の無い景色、そう言う小さな違い、小さな好奇心を大事にする事は、とても大切な事。
 翔自身からそういわれた事で、セシリア自身が感じていた、身体がウズウズする様な感覚が何なのか、漸くはっきりと理解出来た。
 それはほんの小さな好奇心、何時もと違う景色を見て、何時もの自分ならしない行動をして、何時もの自分なら知る事のなかった釣りと言う行為を知り。
 そんな積もった小さな好奇心が、何となく彼女自身の心を落ち着かせないような、ワクワクするようなそんな気持ちを感じさせていたのだ。
 心が落ち着かない、身体がウズウズする。
 でも不快な感情ではない……そんな気持ちは確かに……。

(とても心地良く、楽しいもの、ですわね)

 見た事の無い世界が見たい、知らなかった事を知りたい、した事の無かった事をしてみたい。
 そんな小さな好奇心、冒険心が、セシリアを落ち着かなくさせていた物の正体であり、その感情を彼女自身とても悪くないと、楽しいものだと感じていた。
 そう感じたセシリアの表情には、自然と穏やかな笑みが宿る。

「そしてお前は、ここで自分のした事のなかった事をする事になる」
「えっ!?」

 自分の感じた感情を悪くない、楽しい、と感じた所に、翔から静かに、だが唐突に声が掛かる。
 手元まで魚が来ているのを見て、魚の顔を海面から出させ息を吸わせていた翔は、握っていたリールのハンドルから左手を離し、離した左手でもって、投げ竿を握る。
 そうしてフリーになった右手で、彼の隣に静かに寄り添っているセシリアの手を握り、そのまま自らの元へ引き寄せるようにして引っ張り、そのまま腕の中へ閉じ込めてしまう。
 二秒も掛からずその体勢になったため、セシリアには暫く何が起こったのか理解出来ないように呆けていたが、彼女は現在、翔に背を預けるようにして翔の腕の中に閉じ込められている。
 簡潔に言ってしまうならば、セシリアは後ろから翔に抱きしめられる格好になっていた。
 女性特有の細い肩をすっぽり覆う逞しい腕に、露出面積の広い水着と言う格好、当然素肌と素肌が触れ合い、互いの体温を感じられるような状態。
 水着と言う物に仕切られてはいるが、所詮薄い生地、はっきり言って身体のどこからでも互いの体温を感じることが出来る。
 そうしてセシリアに伝わる翔のリアルな体温を自覚した瞬間、彼女は自らの状態を自覚し、頬がメルトダウンを起こしたように、一瞬で赤く染まる。

「しししし翔さん!? あ、あのあの! こ、これは!?」

 互いに水着と言う露出面積の広い格好で、思い人の腕の中に抱かれていると自覚したセシリアの口調は、この上なく怪しいが、翔は特に気にした様子も無くセシリアの手を取り、投げ竿のリール付近を掴ませる。
 セシリアの右手がしっかりと握られている事を確認した後、左手も同じ様に掴ませて、自分が手を離しても彼女が離さないように自らもぐっと握りこむ。
 その際、肩を絞るように握りこみ、セシリアの身体を固定する様な体勢になったため、自ずとセシリアの肩も連動して絞られ、彼女自身の二の腕で、豊かな双子山が、ふにゃりと左右から潰される格好になる。
 正面からのアングルは非常に目の毒……いや、実際の所、セシリアよりも背の高い翔から見下ろす目線の角度が一番目の毒だが、肝心の翔の視線はセシリアの悩ましい谷間ではなく、海面から顔を出す銀色の魚にその視線は注がれていた。

「落ち着け」
「は、はひ……」
「暫くこれをこの状態のまま持っていろ」
「わ、わかりましたにゃっ!?」

 セシリアから返って来た了解の返事に、にゃ? 等と不思議そうな表情で首を傾げる翔だが、結局、まぁいいか、と言う結論に落ち着いた。
 こんな状態にありながらも、意識は魚に向けられている翔とは対照的に、セシリアは色々とギリギリだった。
 見た目からは想像もつかない程に力強い腕に、絞り込まれた筋肉で少し固く感じる胸板の感触を自らの背中に感じ、逃がさないようにと閉じられている腕に安心感を感じ、伝わる体温がその安心感を落ち着かなさに変えていく。
 そして彼女の耳の上から落ちてくる低めの声は、何時もより距離が近いぶん吐息すらも感じさせる。
 何でもない言葉、用件だけをセシリアに伝えているだけの言葉のはずなのに、その声が聞こえるたびに心音のリズムはこれ以上無い程に跳ね上がる。

「このままではこのサイズのスズキは上げられんのでな、他の釣り人からタモを借りて来る」
「い、いってらっしゃいませ!?」

 ほんの少しばかり落ち着いたのか、セシリアの語尾が漸く安定する。
 そんなテンパった様子のセシリアに、タモとは何なのか? このまま自分を放っておくのか? 等と言った疑問など、浮かぶ筈もなかった。
 送り出しの言葉をセシリアから貰った翔は、うむ、と一つ頷き、セシリアが握った投げ竿を放さないようにゆっくりと身体を離し、手を離してもラインが緩まぬように体制を保ち続けるセシリアを見て満足げに頷いて、踵を返し、他の釣り人の元へ向かう。
 翔の支えのなくなった投げ竿を持ち続けるセシリアだけが場に残り、その時になって漸く自分の持っている物の重量に気がつく。

「お、重たい、ですわ……」

 セシリアが思わず呟く感想も当然の事で、投げ竿と言うのは仕掛けを遠く飛ばすために長く作られており、魚の動きを受け止める為にしなやかにしなるようにも作られている。
 そして、地球には重力と言うものがあり、風と言うものも存在している。
 重力は物体を地へと縫い付ける下へ働くベクトルの事で、竿先に行けば行くほど竿と言うのはその先を地面へとしならせる。
 それはつまり竿と言う道具が長ければ長いほど、重力の影響を受けるという事と同義。
 そして風。
 風は高い所にあるものほど影響を受けやすい、高いビルの屋上で受ける風とビルの下で受ける風、どちらが強いかなど感じてみればすぐにわかるもの。
 その事を踏まえて話は戻る、投げ竿は長い物。
 それはつまり、風の影響を受けやすいという事であり、同時にしなる物である投げ竿はその影響を受けて当然しなる。
 止めに竿先から出ているラインの先についている大きな銀色の魚は、大きな口をあけて海面から顔を出しているが、息絶えたわけではなくきちんと生きており、抵抗をやめたわけではない。
 未だにぶるぶると振動が伝わる投げ竿をしっかりと握りこみながら、その重さに耐える。
 訓練の賜物か、セシリアのしなやかな身体はその重量に何とか耐え切っているが、釣竿を持つ事に慣れていない所為か、その身体はぷるぷると震えている。
 その影響を受けて、IS学園の女子生徒の中でも発育の良い彼女の身体はあらゆる所が柔らかそうにふるふると震える。
 非常に目の毒である。

「済まない、待たせたな。もう少しばかりそのままで居てくれ」

 漸くセシリアの下へ帰ってきた翔から告げられたのは、拷問のような一言だった。
 そんな台詞を躊躇なく発する翔の右手には大きな網が握られており、どうやらそれは長く伸びるものなのか、掬い上げる様な使い方を意識した形の網をぐんぐんと伸ばしていく。
 そして限界まで伸ばされた網を、防波堤の下に居る海面から顔を出した銀色の魚の尻尾側から網を近づけ、一気に掬う。
 網の中にきっちりと目的に魚が納まった光景を目に入れて翔は、うむ、と一つ頷き、未だにふるふると震えているセシリアへ視線を送る。

「もう問題ない。竿を下ろしても良いぞ」
「お、重かったですわ……」

 翔から出た解放の言葉に、大きく息を付きながら、持っていた投げ竿をゆっくりと地面へと置く。
 そして、網を短くしながら手元へと魚を引き寄せる翔をじっと視界に捉えて、行動を見守る。
 漸く手元まで引き上げた網の中に収まっていたのは、銀色の鱗が目を引く大きなスズキだった。
 うむ、と満足そうにそのスズキの姿を見て、翔は一つ頷き、躊躇もなくスズキの口の中に親指を潜り込ませ、しっかりと下顎を握りこみ、上顎に刺さった針を抜き、網の中から一気に持ち上げる。

「ふむ……70cm前後といった所か、鱗も綺麗だ。居付ではないな、回遊してきた固体か。大物だな」
「魚臭さが尋常ではありませんけど……確かに綺麗な色ですわね」

 陽光を反射するほどに光る銀色の鱗に、70cmを越えるか越えないかと言う大きな体。
 紛れもなく大物のスズキに、翔は珍しく満足そうな笑みを浮かべて、セシリアへ視線を送る。

「どうだ? 普段と違う事をした感想は?」
「そうですわね……慣れない事をした所為か、少し疲れましたけど……ワクワクしましたわ」
「そうか」

 大きく溜め息をつきながらも、その後直ぐに、向日葵が咲いたような華やかな笑顔を咲かせるセシリアに、翔も、ふっ、と笑みを浮かべて、笑みを交し合う。
 日差しの強い陽光と、爽やかな潮風に吹かれながら、陽光を反射する金色の艶やかな髪と、光を吸収するような黒の髪を持つセシリアと翔は、銀色が眩しい魚を挟んで笑みを浮かべる。
 そんな夏を満喫しているような状況の中で、翔の脳内には、あの時聞こえた声が反芻していた。

『私を使ってください……』

 ある種の切実さを孕んだその声に、あの時翔はどうしても応えてやらねばならない気がしたのだ。
 その声に応えた結果、今セシリアと穏やかな夏の一時を過ごせていると思うと、それも悪くない。純粋にそう思えた。
 眩しい太陽を見上げながらそう思う翔の心の声に答えるようにして、翔の水着のポケットの中にある黒いピンが淡く光ったのだが……当然そんな事は、翔もセシリアも知る事はなかった。
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