スポンサー広告
「IS インフィニット・ストラトス ~黒衣の侍~」
IS学園入学編
二十斬 漢ならさりげなく誰かを気遣ってやるもんだ
夏、うだるような暑さにも拘らず、ショッピングモールに居る大勢の男女が、腕を組み、手を繋ぎ、違いの身を寄せ合っていた。
それもその筈、今は夏、つまりは開放的になり、現在の二人の関係を一歩進める大きなきっかけとなるイベントが盛りだくさんの季節。そんな季節をこのショッピングモールに来ている大勢のカップルと呼ばれる男女のペア達が見逃すわけがない。
その証拠に、人が集まりすぎて蒸し風呂のようになっているショッピングモールの通りには、カップルと思われるペアが嫌でも目に付く。時折そんなペアを見ながら、羨望の声や、血涙でも流しそうな勢いの、男子のみ、女子のみのグループを見かけるが、それは比率から言っても少数派で、このショッピングモールは、現在、この夏に勝負をかけるカップルや、相手のいる女性が多くひしめく戦場なのだ。
そんな肉の壁、と言ってもいいような人波の中に、一際美しい金色の髪と紫紺の瞳、陶器のように白い肌を持った、所謂美少女と、黒髪にどちらかと言えば鋭いと言える黒い瞳の、感情を悟らせないような落ち着いた表情をしている男女が、周りと同じ様に腕を組んで歩いていた。
少女の方は、頬を赤くしながらも、瞳は嬉しそうに細められ、その口元も、嬉しさを隠せないように笑みの形をとっている。胸元に抱えた男の腕に時折嬉しそうに頬を擦り付ける仕草は見る者によっては微笑ましさを感じ、羨望の視線を向け、嫉妬に身を焦がすだろう。
男の方は、変わらず表情を変化させないが、自らの腕を、少女の好きにさせ、さり気無く歩調をあわせながら人の波を抜けやすい方へ少女を誘導すると言う荒業をやってのけている。そんな男の誘導に、少女は気がついた様子もなく、男の腕の感触を堪能している。
人が多く集まり、声や足音など雑音が多く混雑し、視界は人の波しか見えない状況の中でも、黒の男と金色の髪を持つ美少女の歩調は、一つも揺るがない。障害など無いように歩みのリズムが乱れない二人組みは目的地へ向かって悠々と歩を進める。
「シャルロット」
「なぁに? 翔」
シャルロットと男に呼ばれた少女は、自身の少し上から落ちてきた低めの声に、いかにも自分は機嫌がいいという事をアピールしているような弾んだ声を返す。
黒の男――翔の問い掛けに、シャルロットは翔へ視線を寄越すように少し上目に翔を見上げるが、翔の視線は進行方向へ向けられたまま、人の波の隙間に視線を投げている。
そんないつもと変わらぬ、感情を悟らせない表情で、前だけを見ている翔に、少しばかり頬を膨らませるシャルロットだったが、今の状況から考えて、翔とシャルロットの両方がよそ見できるような状況ではないと悟ったのか、その可愛らしい頬の膨らみはすぐに沈静化する。
「目的地はこの方向で合っているのか?」
「合ってるよ、ここを真っ直ぐ行って左手にあるこの辺りで一番大きなビルが目的地だよ」
「承知した」
シャルロットの答えに、翔は、そう簡潔に応え、会話が終了。
今の今まで雰囲気や、翔の腕の感触を楽しんでいたシャルロットだったが、こうして会話が始まり、すぐに終わると、雰囲気や感触だけではなく、もっと翔とコミュニケーションが取りたい。そう思ってしまうのも仕方のない事。
今まで普通の生活で満足していたが、数日間だけ贅沢な生活をしてしまった。それ故に、今までの生活では我慢できなくなった。この様な事は良くある話。つまりそれと同じ事が、シャルロットの中で起こっている。
もっともっと、そう思うのは、人間の性であり、人がひしめき合うこのモール街は、ある意味その象徴であると言えなくも無い。
「ねぇ? 翔」
「何だ?」
「翔ってさ、休みの日とかって、何してるの?」
IS学園に在籍している生徒は、その全てがある一定ラインよりも優秀な生徒であるため、休日全てを自らの趣味に費やす生徒と言うのは、実はそう多くない。居たとしても極僅か、シャルロットやセシリア、ラウラ、鈴音の様に、破格の優秀さを持ち、知識や技術面において他の生徒よりも余裕がある代表候補生達がそれに当てはまる。
多くの者は、通常授業やIS関連の授業の予習や復習、ISの操縦技術向上の為に自主練習をしている者が大多数。ISと言う物に関連する学園は伊達や酔狂でどうにかなるレベルではないと言う事。
そんな中、IS学園において、一般生徒よりも優秀で、幾らか余裕のあるシャルロットが気になったのは、翔の休日風景。
シャルロットは休日の度に、翔の姿を探すのだが、未だにその姿を休日見た事が無いのが現状だった。部屋に行けばもぬけの殻、朝早く行ってもそれは変わらず、学園内を探してみれば何処に居るかわからず、そうしている内に一日が終わる。
彼女が聞いた所、セシリアもラウラも翔の姿を休日に見た事はそう多くは無いらしい。シャルロットと同じ様な時期に来たラウラに至ってはシャルロットと同じく一度も翔を休日に捕まえられた事が無いと、シャルロットはラウラ自身から聞いている。
シャルロット達よりも、少しだけ翔と付き合いの長いセシリアは、数回だけ、一夏と一緒に居る所を見かけたらしい。
IS学園の中で二人だけの男子学生として人目を引く二人の内一人だと言うのに、その動向が掴めない翔の休日が、シャルロットには気になった。
「む? 朝の鍛錬をした後は外で本を読んだり、そのまま外で鍛錬をして一日を潰す事もある」
「部屋に居る事は無いの?」
「いや、勿論部屋に居る事はあるが」
多くの人とすれ違う中で、言葉を交わす翔とシャルロットだが、不思議と互いの声ははっきりと聞き取れていた。
その中で、シャルロットの問いに、翔は簡潔に答えていく。
「僕、部屋まで行ってノックした事あるんだけど、返事も無かったから居ないのかと思ってたんだけど……」
シャルロットとしては、翔に居留守を使われたような気分になり、先程の上機嫌は何処へ行ったのか、その気分は下降していくように、発言の調子もそれに比例するように落ちていく。
少し見上げるように翔を見ていたシャルロットの視線が俯きかけた時、不意に翔の顔がシャルロットの方を向き、その瞳は珍しく驚きと少し苦虫を噛み潰したような色を浮かべていた。
「そうだったのか……スマンな、座禅を組んだり、何か一つの事に集中すると周りの音が聞こえなくなる様でな……決して意図的ではなかったのだが……」
本当に悪いと思っている様な声と表情で謝ってくる翔の雰囲気に、思わずシャルロットは安心する。態とではないと言う事が翔の雰囲気で理解出来たから。
それによくよく考えれば、翔はそんな事が出来るほど曲がってはいないし、いつも前を見ている翔がそんな事をするとも思えない。
その考えに至り、謝ってくる翔に、シャルロットは、気にしないで、と笑顔を浮かべ、横に首を振る。
「良いよ、翔らしい理由だしね」
そう言って楽しそうに笑顔を浮かべるシャルロットに、許してもらえたと思ったのか、翔の雰囲気も幾分か柔らかくなる。
「今度から俺に用事がある時は勝手に部屋に入ってきてくれて構わん、部屋に居る時は鍵を開けているからな、すぐにわかるはずだ」
「え? いいの?」
「うむ」
そう言って一つ頷く翔。思わぬ所で翔から、部屋へ入る権利を貰ったシャルロットは、更に笑顔を輝かせ、自身の腕は翔の腕を掴むので忙しいため動かす事は無いが、心の中で小さくガッツポーズを決めていた。
誤解も解けた所で、意気揚々と歩を進めようとするシャルロットだが、彼女の視界に目的の建物が入る。
「あ、翔、あそこだよ」
「む? 承知」
そして改めて、シャルロットの歩調は意気揚々とした歩調を取り戻し、翔は黙ってそれに合わせるようにして、目的地の中へと入っていた。
湿気と熱気が充満していたモール街の通りとは違い、建物内は空調が効き、この季節には過ごしやすい環境が整っていた。
今建物に入ってきた翔とシャルロットだが、シャルロットの方は、流石に外は暑かったのか、持って来たハンカチで額を拭っている。
対して、今までシャルロットと外を歩いていたはずの翔には汗の気配があまり感じられず、本人も涼しい顔をしている。
「翔ってば凄いね、暑くないの?」
「暑くないとは言わないが、慣れだろう、外で鍛錬をする事など日常茶飯事だ」
涼しい顔をしてそう返す翔に、シャルロットは思わず苦笑を浮かべる。この年齢で自分の身体をそこまで苛め抜いている人物もそう居ない。
事実、IS学園で比較的優良な生徒であるシャルロットもそこまで訓練したかと言われれば、勿論NOだ、ISの適正者と言うものは、大体がISを纏っての訓練であるため、大きな怪我をするという事はあまり無い。
肉体を鍛える訓練も勿論あるが、そこまで無茶苦茶なものは無いのが事実である。何故なら、ISの操縦者がその訓練で怪我をしてしまっては元も子もないから、と言う理由が大きい。
故に、ISを纏って訓練をした方が、データも取れ、操縦者のIS運用の技術も上がり、安全性もそれなりには考慮されているなど、色々と効率がいいのだ。
少なくともシャルロットやセシリア、鈴音もそうだったに違いない、ラウラは軍人上がりの為、シャルロット達のような訓練ばかりではなかったのだろうが……。
そう言う意味では、ラウラが翔の訓練体系と一番近いのかも知れない。
だが、そんなラウラすらも軽く受け流す翔の訓練の密度や時間、内容は、それこそ類を見ないほどの内容なのだろう。
「凄いよね、僕なんかもう汗が止まらないよ」
「まぁ、鍛錬中に暑さなど気にしていられん、最低限の水分補給さえ行っていれば問題ない」
「へぇ~……」
「? どうした?」
翔の言葉に相槌を打ちながら、シャルロットが不意に、翔の腕を離し、すすっと翔から少し距離をとる。そんなシャルロットの行動に、翔は疑問を浮かべるが。問われたシャルロットは少し恥ずかしそうに何かを気にしている様に、ぽそっと小さな声で呟く。
「僕、汗臭く……ないかな? って」
「む? いや、そんな事は無いが」
「そ、そう?」
「あぁ、シャルロットの匂いしかしない」
「っ!? 翔って、時々凄いよね……」
「む?」
翔自身は何の事だかよく分かっておらず、本人は汗の臭いはせず、普段のシャルロットと変わらないと純粋にそれだけを言ったつもりだったのだが、言われたシャルロット本人はその事が分かっていながらも、それだけでは無いように聞こえたのだが、頬を赤く染め、何の事か分かっていない翔に、う~、う~、と声を上げながら、翔の腕をもう一度掴み、行き場の無い感情をぶつけるかのように身体全体で翔の身体を押しながら、顔を隠すように翔の肩辺りへ自らの顔を押し付ける。
そんなシャルロットの金色の髪から覗く耳はこれ以上無いほどに赤く染まっていた。
勿論、シャルロットの力では翔の身体はびくともせず、翔は、ふむ……と呟き、彼女の行動が理解出来ずとも、シャルロットの落ち着くまで好きにさせる事にしたのか、身体を無意味に押されながらも、それを阻害する事なくそこに立っている。
そんな二人だが、ここはデパート内、当然そんなやり取りを行っていれば注目を浴びるのは避けられず、当然のように視線を集めているのだが、シャルロットは自分のやり場の無い感情を翔にぶつけるのに忙しく、翔自体は元々そのような事を気にする事の無い性格である為、現在の二人に他人の視線を気にすると言う考えは無い。
注目を集めてから暫くして、シャルロットの方から、う~う~、と唸る声が聞こえなくなり、その様子を理解した翔は、シャルロットへ声を投げかける。
「落ち着いたか?」
「うん……なんとかね」
まだ赤みの抜けきらない頬をしているが、言葉の雰囲気としては、動揺の色は無く、落ち着いたと判断した翔は軽くシャルロットを促す。
「ならば行くぞ」
「あ、うん」
翔にしては珍しく、シャルロットを急かす様に、つかまれた右腕を軽く動かす。
基本的に翔が誰かを急かすと言うのは滅多に無く、特に問題が無い場合、文句も無く他人の好きにさせて、問題があった場合のみそのペースを握ると言うスタンスを取っている。
そんなスタンスの翔が、シャルロットを急かすような行動を取ったのが珍しく、シャルロットは翔をチラリチラリと見つつも、デパート内を歩く。
(失態に注目を浴びていた、と言うのは誰しも恥ずかしいものだ)
翔はシャルロットを急かしながらもそう思う。
人の視線に晒される事に、翔自身は何も思っていなくとも、シャルロットがその事実を知った時、どう思うかはわからない、故に、この場から早く離れた方がシャルロットの為。
そう思っての行動だった。翔の思惑は成功し、シャルロットは周りの視線に気がつく事無く、二人はその場を後にして目的の水着を販売している場所へと足を向ける。
シャルロットの水着を選ぶ為に、女性用に水着売り場へ、翔とシャルロットの二人が到着した時、翔は既に自らの水着を購入した後だった。
男性用の水着の売ってあるエリアに着き、そこですぐさまシャルロットの視線を釘付けにし、自信満々の表情でシャルロットが翔に差し出した水着は、黒地のバミューダで、左下の裾辺りに金字で、極、と書かれたシンプルな水着だった。
シャルロットが選んだ水着ならば、間違いはあるまい、と試着せずにサイズだけざっと確認し、即購入、と言う流れを経てここまで来ていた。
そして現在、翔は、水着を選んでくると言ってその場を離れたシャルロットを、試着室の傍で待っている所だ。
女性用の水着売り場で、男が一人突っ立っていると言う構図は、かなりの違和感で、女性客からかなりの注目を集めているが、翔本人は気にした様子もなく、腕を組み、指定された試着室の傍で静かに佇んでいる。
「ちょっと貴方」
「俺の事か?」
「そうよ、これ、なおしておいて貰える?」
明らかに高圧的と取れる態度で、翔に話し掛けてきた女性は、ハンガーに掛けられた水着を翔に突きつけながら、命令をする様に言葉を投げかける。
軽くウェーブが掛かった長めの髪を揺らしながら、少しつり気味の目で、翔を見下したような視線を向けながら命令する女性。女尊男卑の風潮が広がっている近年、こう言う態度をあからさまに出してくる女性も、多いというわけではないが、少ないとも言えない数が存在している。
ISを使えるのが女性のみ、そして今や権力者も女性が多く居るこの社会では、女性の方が有能で男性よりも優れていると考える者も多い。女性を優遇するような国の体制、制度、その全てが、こう言う態度を助長させる原因とも言えるが、男性の方にも問題が無いわけではなく、この風潮が広まった辺りから、女性に対してへりくだった態度で接する男性も増えたのも事実だ。
そう言う事が重なり、男性を奴隷の様に扱う女性も少なからず居るのが現状で、その立場に対して文句の一つも言えないような男性が増えているのも確かな事実。
翔の目の前にいる女性は、まさにその風潮の体言と言ったような女性で、美人ではある様だが、人を見下したようなその視線から、どうしてもいい女性とは思えない。
その様な女性を目の前にしても、感情を悟らせないようないつもの静かな表情を崩さない翔。腕を組んだまま、静かに女性を見返す。
「聞こえなかったのかしら、なおしておいて貰える?」
「聞こえてはいるが、貴女の命令を聴く気は無い」
プレッシャーを掛けるように、更に高圧的に翔へ言葉を投げかける女性に、翔は何の気負いも無く、さらりと拒否の声を上げる。
そんな翔の態度に、女性の眉根は寄せられ、不機嫌そうに歪んでいく。
「警備員を呼ぶわよ?」
「どうぞ御自由に」
脅しとも取れる女性の言葉に、さらりと受け流すように、ポーズを崩さないままクールな態度を崩さない翔。
「私が警備員を呼べば男である貴方なんか終わりよ? それでもいいわけ?」
「何と言われようと、貴方の命令には従わない、男だからと相手を見下すような未熟者に従う義理など無い」
「未熟者ですって?」
更に不機嫌そうに表情を歪めていく女性に、周りの雰囲気も悪くなっていくが、そんな事気にした事ではないと言う様に、翔は淡々と言葉を続ける。
「未熟者だ、男だ女だとそう言う前に、一人の存在すら確かなものとして扱う事が出来きないような人間は大事な何かが掛けている証拠」
「言うわね、今や男と女は対等ではないのよ?」
「だからと言って見下す理由にはならない、人の価値は対等かどうかなどではない、前へ進む人間は例外なく素晴らしい人間だ」
「……」
恥ずかしげも無く、自信満々にそう言い切る翔に、女性は機嫌が悪そうな表情を直す事は無かったが、何かを思うように瞳を細めて、翔を見返す。
「何が貴女の歩みを止める事になったのか、知ろうとも思わないが、もし、貴女が前へ進むならその姿は美しいと思わせるはずだと言うのに……残念だ」
「っ!? 変な男ね……新手の口説き文句なの?」
「何の話だ?」
翔の言葉に、さっと頬を朱に染めて、憎々しげに翔を少し睨みつけるような視線は、少しばかり険が和らいだような雰囲気を感じる。
そんな女性の口から発せられた台詞に、翔は何もわかっていない様に疑問を浮かべるが、そんな翔の姿に、女性は、染まった頬の赤みを誤魔化す様に、舌打ちを一つ鳴らす。
そして、付き合いきれないと思ったのか、くるりと踵を返し、数歩進み、立ち止まる。
「……貴方、名前は?」
「柏木翔」
「そう、私は桐谷風音……さっきの話、考えてみるわ」
「縁あれば、美しい姿が見れる事を期待している」
「っ!? 一々恥ずかしい奴ね……」
背中に流れる、ふわりとした長い髪を靡かせながら、桐谷風音と名乗った女性は、翔の前から姿を消し、一人その場に残った翔は満足そうに一つ頷き、そこで、翔へ近付いてくる足音。
その足音に視線を向けてみれば、シャルロットが一つの水着を手に、翔へ近付いてきていた。
「中々、決められなくて、ごめんね? 待たせちゃって」
「いや、構わない」
「何かいい事あった?」
「少し、な」
シャルロットの問いに、満足そうに、だが短く簡潔に言葉を返す翔に、そっか、と何やら嬉しそうにシャルロットは笑顔を返す。
(翔が嬉しそうで、何か僕も嬉しいな)
満足げな雰囲気の翔と、可憐な笑みを浮かべるシャルロット。
傍目から見れば、仲睦まじい様子に見える二人。その内に目的を思い出したシャルロットが声を上げる。
「あ、そだ、水着選んできたんだ、着てみるから感想が欲しいな?」
「承知した。だが、まともな感想など言えんが……」
「いいよー、似合ってるかそうじゃないか、翔にはそれだけ言って貰えればいいから」
「承知」
短くそうやり取りして、嬉しそうに試着室に入る、その直前、何かに気がついたように、翔の傍に戻ってくると、何を思ったのか、翔の手を掴み、試着室に向けて翔を引っ張るが、翔自身がその力のベクトルに抵抗した為、シャルロットの行動は失敗に終わる。
「いきなり何をする」
「い、いいから!」
「いや、良くは無いだろう」
何か焦っているように翔の腕を必死に引っ張るシャルロットだが、当然翔の身体は動く事は無い。
シャルロットの突然の暴挙に疑問を浮かべる翔だが、その翔の肩眉が、ぴくりと動いた瞬間、シャルロットと翔の二人に声が掛かった。
「ボス……」
「む、ラウラか、ようやく声を掛けたか、何をしているのかと思ったが」
二人に声を掛けてきた人物、それは、銀髪に赤い瞳、眼帯が特徴的な少女、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。
デパートに入ってから暫くして、ラウラの尾行に気がついていた翔とシャルロットだが、翔はそのラウラの行動に疑問を浮かべ、シャルロットは邪魔されなければ気にしないと思っていたのだが、ラウラが動いた事で、シャルロットは暴挙を起こした。
それに翔が逆らっている内に、ラウラが到着。
そうして二人に声を、正確には翔に声を掛けたラウラだったが、何やら少し呆然とした様子。
「私は……か、可愛い水着を着た方が良いのでしょうか!?」
「いや……知らんが、着ればいいのではないか?」
突如そう問われた言葉に、疑問符を浮かべ、簡潔にそう返した翔の言葉に、何を勘違いしたのか、あわあわと慌て、頬を少し赤く染めながら、ラウラの瞳は翔の手を引いているシャルロットを捉えて、シャルロットへ詰め寄る。
「シャルロット! わ、私の水着を選んでくれ!」
少し涙目になりながら、頬を赤く染めて詰め寄ってきたラウラにシャルロットはたじろぐ。
僕の邪魔をしないで! と突き放せるほどシャルロットは厳しくも無いし、自分の事を考えているわけでもない。それになにより……。
(ラウラってば、可愛い……)
そう言う事、小柄で、赤い瞳に涙を溜め、恥ずかしそうだが、頼るものが少ないラウラはルームメイトであるシャルロットに頼るしかない、そんな彼女がシャルロットへ必死に頼み込む姿は、シャルロットから見て、非常に可愛らしく映った。
そんな愛らしい彼女を突き放す事など、シャルロットには出来なかった。
それに、好いている男の目に可愛らしく映りたい、そう見られたい、そう願うラウラの気持ちは、同じ男に惹かれているシャルロットにも痛いほどわかった。
そう言う事もあり、ラウラを突き放す事など出来ないシャルロットだが、翔とのデートを中断させられたのも事実、それはシャルロットとしても残念な事だ、なので、折半案を出す。
「わかったよ、だけど、僕が翔に水着の感想聞いてからでも良い?」
「わかった!」
思い人とのデート、せめてこれ位の特典が無いと、シャルロットとしては、何となく納得がいかない。
シャルロットの出した案に、うんうん、と頷き、ラウラは力強くその案を呑む。そんな必死な姿も非常に可愛らしい、と思いつつも、翔に水着を見てもらう為に、シャルロットは試着室に足を向ける。
「ふむ、上手く纏まったようで安心したぞ」
「と、取り乱して済みませんでした、ボス」
「気にしなくて良い」
「はい」
試着室に向かったシャルロットを見送りながら、翔とラウラはそんな会話を交わす。
身長の差もありその会話内容も相まって、横並びに試着室へ視線を送るラウラと翔はまるで、上官と下士官の様にも映る。
翔はゆったりと腕を組み、静かに佇み、そんな翔の横で、ラウラは、所謂、休め、の体勢で立ち、翔と同じく、試着室の方を見つめる。
異様な光景である事は確かだが、態々それに突っ込みを入れる人など居るわけも無く、試着室の中から聞こえる布擦れの音が聞こえ、暫くしてそれが止まった所で、試着室のカーテンがしゃっと開き、中から水着に着替えたシャルロットが姿を見せる。
彼女の性格にしては、少し大胆なセパレートの黄色を基調とした色の水着。その水着は、金色の髪を持つシャルロットによく似合い、彼女の可憐さを更に引き上げていた。
そんな彼女が、ビーチに立つ事を思うだけで、大抵の男は幸せな表情を見せるだろう。
「ど、どう、かな?」
試着室のカーテンの裾を握り締め、頬を赤く染め、もじもじと身体を捩りながら、チラチラと翔へ視線を送るシャルロット。
スタイルの良い身体を露出面の多い水着に身を包み、身体を捩るその姿は、可憐さを感じつつも、柔らかそうな彼女の白い肌が艶かしい雰囲気を演出しており、男性ならば、視線を釘付けにするほどの破壊力があった。
そんな彼女の水着姿に、ラウラは同じ女性なので、冷静に見る事が出来るのは当然だが、同じくシャルロットの水着姿を視界に納めている翔の表情にも動揺は見られず、冷静に、ふむ、と声を漏らし、組んだ腕の右手で顎を擦り、冷静に言葉を返す。
「水着の事はよく分からんが、シャルロットによく似合っているとは思うが」
「ほ、ホント!?」
「あぁ、よく似合っている」
念を押すようなシャルロットの言葉に、翔は短く返答を返し、その翔の言葉に、シャルロットは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
嬉しそうに、そして幸せそうに笑顔を浮かべるシャルロットを、ラウラは羨ましそうに見つめる。
「じゃ、じゃあ、これにするね!」
「あぁ」
嬉しそうに満面の笑みを翔に向けながら、シャルロットはもう一度試着室のカーテンを引き、着替えに入り、またもや布擦れの音が聞こえてくる。
シャルロットの着替えが終わるまで、待つ態勢に入った翔とラウラだが、そんな二人に、またもや声が掛けられる。
「翔とラウラじゃねぇか」
「む?」
後ろから掛けられた声に聞き覚えがあった翔は、振り向き、その人物の姿を脳裏に描きながらも確認する。
黒髪に整った顔立ち、高めの身長に長い手足、その整った顔立ちには少し疲れが見えるが、間違いなく翔が脳裏に描いた人物。
「一夏か」
「何だ、織斑弟か……」
翔とラウラは一夏の姿を確認すると、それぞれに一夏の名前を呼ぶ。
一夏の姿をまず認め、翔はそのまま一夏の後方へ視線を向けると、ため息をついている箒と鈴音の姿も同じく認め、事情を察した翔は、珍しくその表情に苦笑を浮かべていた。
(苦労しているな、箒も鈴音も)
事情を察し、箒と鈴音に同情の念を抱くも、一夏に応えてしまったからには対応しないわけにもいかない。
笑みを浮かべて近付いてくる一夏は、そんな箒と鈴音に気がついた様子はない。
「何やってんだ? 二人してこんな所で」
そう問うて来る一夏に応えようと、翔が口を開いた所で、翔の後ろで試着室のカーテンが開く音がする。
「どうしたの? 翔……って、何か増えてない?」
試着室から出てきたシャルロットは笑顔を浮かべていたが、何やら人数が増えている現状を見て、その笑顔も口元がひくっと引きつり、増えた人を見回す。
そして、シャルロットは悟る。
(あぁ……僕の翔とのデート、短かったなぁ……)
人知れず心で涙するシャルロットは、まさに、顔で笑い心で泣くを地で行っていた。
そうして半分諦めの境地に達したシャルロットは、水着を手に持ち、翔へ近付き、ラウラとは逆の場所へと収まる。
試着室から出てきたシャルロットと、先程からいたラウラが、翔を挟むようにして立ち、そんな二人を交互に見つめる一夏。
「どういう状況だ?」
「それはな……」
疑問を浮かべる一夏に、翔は今までに至る経緯を説明する。
「じゃあ、これから皆で何かするか?」
翔から状況を聞き、納得した一夏から、遊びの提案が出た瞬間に、箒、鈴音、シャルロットの三人は、何かを諦めたようにため息を吐き、ラウラは
「ボスがいるなら、何処でもいい」
と、自らの水着を購入するのは後日でも構わないと思ったのか、一夏の誘いに否定はしない。
翔としても特に異存は無い様で、特に否定する雰囲気も無く、話が纏まりそうになった六人だが、そこでまた、六人に声が掛かる。
「お前達、こんな所で何をやっている?」
掛けられたのは低めの女性の声で、その声に反応して、六人全員がそちらの方へ視線を向けると、全員が脳裏に描いていた人物がそこに立っていた。
「ちふ……織斑先生」
一夏がポツリとその人物の名前を呟いたその人物は、間違いなく織斑一夏の実姉、織斑千冬の姿であり、彼女は学校で見るスーツ姿とは少し違うが、それでもかっちりとしたサマースーツを着こなし、胸の下で軽く手を組み、一夏達を見据えながら立っていた。
そんな千冬の姿がある後方から、ぱたぱたと掛けてくる人影が見え、緑のショートカットと丸めがねが特徴的な人物が全員の目に入り、その人物が誰なのか、千冬の姿とセットで、全員の脳裏に浮かんでいた。
「速いですよぉ~織斑先生……って、あら? 皆さん偶然ですねぇ」
そう言って、ほやぁ、と笑顔を浮かべる人物は、当然の事ながら、山田真耶、IS学園一年一組副担任の姿であった。
何をしていると千冬は六人に問いかけたが、箒と鈴音、それに、翔からすれば、千冬がこんな所にいる事の方が余程疑問だった。
一夏は何の為に千冬がここにいるかなど、ある程度予測できているし、ラウラとシャルロットもある種の予感で千冬が何の用事があるのか察していた。
「織斑教諭」
「今は学園内ではないからな、普通に呼んでくれないか?」
翔が千冬に話し掛けた所で、千冬から静止が入り、同時に提案も入る。
千冬からの提案に一つ頷き、翔は千冬への接し方をプライベートへ戻す。
「千冬こそ、こんな所で何をしている」
「それは、だな……み、水着を、買いに来たに決まっているだろう……」
翔の問い掛けに、頬を薄く朱に染め、尻すぼみになりながらも千冬は答える。
普段クールな彼女が頬を染めるのは普段とは違い、ギャップがあるが、その姿は違和感が無く、可憐とも言える雰囲気であった。
そんな雰囲気で、チラチラと翔を見る彼女に、箒と鈴音は何となく事情を察し、翔は、それもそうか……と普通に納得しながら一つ頷いていた。
頬を薄く朱に染め、意味ありげに翔へ視線を寄越す千冬に対する翔の様子を見た箒と鈴音は小声で一夏へ話し掛ける。
「ちょっと一夏、翔ってもしかして、鈍い?」
「アレだけアピールされれば嫌でも気がつくと思うのだが……」
箒と鈴音から小声で問われた内容に、一夏は簡潔に、且つ小声で答える。
「鈍いとかそう言うもんじゃねぇ……翔は恋愛情緒が小学生よりも幼いんだよ、異性として女性を好きになった事が無いから、その好きって違いがわからないんだ、これは本人から聞いたから間違いない、だから女性からの好意に鈍い様に見えるんだ、実際はそれ所じゃない」
一夏から言われた、箒と鈴音からすれば驚くべき新事実に、二人は顔を見合わせて驚き、少し同情的な視線を、ラウラとシャルロット、そして千冬へ向ける。
「大変ってもんじゃないわね……」
「あぁ、同じ女として、応援する気持ちしかない……」
今ここに居る、シャルロット、ラウラ、千冬、そしてここに居ないセシリア、鈴音は更に、一夏と翔の共通の友人である弾の妹である蘭、翔に惹かれている代表的な四人あるいは五人を思うと、箒と鈴音は同じ女性として、ほろりと涙を零しそうな気分に襲われ、一夏からもたらされた事実を知らない四人を全力で応援したい衝動にも駆られた。
さしづめ、箒と鈴音の気分は、一大ドキュメントを見ているような気分だった。
恐らく一夏も同じ様な気持ちで、箒、一夏、鈴音の三人は、自分達以外の四人を暖かい目線で見守る事を決めた。
そして、人知れず、今回の翔とのデートで主役だったはずのシャルロットは一人心の中で涙していた。
(うぅ……僕と翔のデートだったのに……僕って運無いのかなぁ)
人知れず、今日のヒロインであった筈のシャルロットは、小さくため息を吐いていた。
それもその筈、今は夏、つまりは開放的になり、現在の二人の関係を一歩進める大きなきっかけとなるイベントが盛りだくさんの季節。そんな季節をこのショッピングモールに来ている大勢のカップルと呼ばれる男女のペア達が見逃すわけがない。
その証拠に、人が集まりすぎて蒸し風呂のようになっているショッピングモールの通りには、カップルと思われるペアが嫌でも目に付く。時折そんなペアを見ながら、羨望の声や、血涙でも流しそうな勢いの、男子のみ、女子のみのグループを見かけるが、それは比率から言っても少数派で、このショッピングモールは、現在、この夏に勝負をかけるカップルや、相手のいる女性が多くひしめく戦場なのだ。
そんな肉の壁、と言ってもいいような人波の中に、一際美しい金色の髪と紫紺の瞳、陶器のように白い肌を持った、所謂美少女と、黒髪にどちらかと言えば鋭いと言える黒い瞳の、感情を悟らせないような落ち着いた表情をしている男女が、周りと同じ様に腕を組んで歩いていた。
少女の方は、頬を赤くしながらも、瞳は嬉しそうに細められ、その口元も、嬉しさを隠せないように笑みの形をとっている。胸元に抱えた男の腕に時折嬉しそうに頬を擦り付ける仕草は見る者によっては微笑ましさを感じ、羨望の視線を向け、嫉妬に身を焦がすだろう。
男の方は、変わらず表情を変化させないが、自らの腕を、少女の好きにさせ、さり気無く歩調をあわせながら人の波を抜けやすい方へ少女を誘導すると言う荒業をやってのけている。そんな男の誘導に、少女は気がついた様子もなく、男の腕の感触を堪能している。
人が多く集まり、声や足音など雑音が多く混雑し、視界は人の波しか見えない状況の中でも、黒の男と金色の髪を持つ美少女の歩調は、一つも揺るがない。障害など無いように歩みのリズムが乱れない二人組みは目的地へ向かって悠々と歩を進める。
「シャルロット」
「なぁに? 翔」
シャルロットと男に呼ばれた少女は、自身の少し上から落ちてきた低めの声に、いかにも自分は機嫌がいいという事をアピールしているような弾んだ声を返す。
黒の男――翔の問い掛けに、シャルロットは翔へ視線を寄越すように少し上目に翔を見上げるが、翔の視線は進行方向へ向けられたまま、人の波の隙間に視線を投げている。
そんないつもと変わらぬ、感情を悟らせない表情で、前だけを見ている翔に、少しばかり頬を膨らませるシャルロットだったが、今の状況から考えて、翔とシャルロットの両方がよそ見できるような状況ではないと悟ったのか、その可愛らしい頬の膨らみはすぐに沈静化する。
「目的地はこの方向で合っているのか?」
「合ってるよ、ここを真っ直ぐ行って左手にあるこの辺りで一番大きなビルが目的地だよ」
「承知した」
シャルロットの答えに、翔は、そう簡潔に応え、会話が終了。
今の今まで雰囲気や、翔の腕の感触を楽しんでいたシャルロットだったが、こうして会話が始まり、すぐに終わると、雰囲気や感触だけではなく、もっと翔とコミュニケーションが取りたい。そう思ってしまうのも仕方のない事。
今まで普通の生活で満足していたが、数日間だけ贅沢な生活をしてしまった。それ故に、今までの生活では我慢できなくなった。この様な事は良くある話。つまりそれと同じ事が、シャルロットの中で起こっている。
もっともっと、そう思うのは、人間の性であり、人がひしめき合うこのモール街は、ある意味その象徴であると言えなくも無い。
「ねぇ? 翔」
「何だ?」
「翔ってさ、休みの日とかって、何してるの?」
IS学園に在籍している生徒は、その全てがある一定ラインよりも優秀な生徒であるため、休日全てを自らの趣味に費やす生徒と言うのは、実はそう多くない。居たとしても極僅か、シャルロットやセシリア、ラウラ、鈴音の様に、破格の優秀さを持ち、知識や技術面において他の生徒よりも余裕がある代表候補生達がそれに当てはまる。
多くの者は、通常授業やIS関連の授業の予習や復習、ISの操縦技術向上の為に自主練習をしている者が大多数。ISと言う物に関連する学園は伊達や酔狂でどうにかなるレベルではないと言う事。
そんな中、IS学園において、一般生徒よりも優秀で、幾らか余裕のあるシャルロットが気になったのは、翔の休日風景。
シャルロットは休日の度に、翔の姿を探すのだが、未だにその姿を休日見た事が無いのが現状だった。部屋に行けばもぬけの殻、朝早く行ってもそれは変わらず、学園内を探してみれば何処に居るかわからず、そうしている内に一日が終わる。
彼女が聞いた所、セシリアもラウラも翔の姿を休日に見た事はそう多くは無いらしい。シャルロットと同じ様な時期に来たラウラに至ってはシャルロットと同じく一度も翔を休日に捕まえられた事が無いと、シャルロットはラウラ自身から聞いている。
シャルロット達よりも、少しだけ翔と付き合いの長いセシリアは、数回だけ、一夏と一緒に居る所を見かけたらしい。
IS学園の中で二人だけの男子学生として人目を引く二人の内一人だと言うのに、その動向が掴めない翔の休日が、シャルロットには気になった。
「む? 朝の鍛錬をした後は外で本を読んだり、そのまま外で鍛錬をして一日を潰す事もある」
「部屋に居る事は無いの?」
「いや、勿論部屋に居る事はあるが」
多くの人とすれ違う中で、言葉を交わす翔とシャルロットだが、不思議と互いの声ははっきりと聞き取れていた。
その中で、シャルロットの問いに、翔は簡潔に答えていく。
「僕、部屋まで行ってノックした事あるんだけど、返事も無かったから居ないのかと思ってたんだけど……」
シャルロットとしては、翔に居留守を使われたような気分になり、先程の上機嫌は何処へ行ったのか、その気分は下降していくように、発言の調子もそれに比例するように落ちていく。
少し見上げるように翔を見ていたシャルロットの視線が俯きかけた時、不意に翔の顔がシャルロットの方を向き、その瞳は珍しく驚きと少し苦虫を噛み潰したような色を浮かべていた。
「そうだったのか……スマンな、座禅を組んだり、何か一つの事に集中すると周りの音が聞こえなくなる様でな……決して意図的ではなかったのだが……」
本当に悪いと思っている様な声と表情で謝ってくる翔の雰囲気に、思わずシャルロットは安心する。態とではないと言う事が翔の雰囲気で理解出来たから。
それによくよく考えれば、翔はそんな事が出来るほど曲がってはいないし、いつも前を見ている翔がそんな事をするとも思えない。
その考えに至り、謝ってくる翔に、シャルロットは、気にしないで、と笑顔を浮かべ、横に首を振る。
「良いよ、翔らしい理由だしね」
そう言って楽しそうに笑顔を浮かべるシャルロットに、許してもらえたと思ったのか、翔の雰囲気も幾分か柔らかくなる。
「今度から俺に用事がある時は勝手に部屋に入ってきてくれて構わん、部屋に居る時は鍵を開けているからな、すぐにわかるはずだ」
「え? いいの?」
「うむ」
そう言って一つ頷く翔。思わぬ所で翔から、部屋へ入る権利を貰ったシャルロットは、更に笑顔を輝かせ、自身の腕は翔の腕を掴むので忙しいため動かす事は無いが、心の中で小さくガッツポーズを決めていた。
誤解も解けた所で、意気揚々と歩を進めようとするシャルロットだが、彼女の視界に目的の建物が入る。
「あ、翔、あそこだよ」
「む? 承知」
そして改めて、シャルロットの歩調は意気揚々とした歩調を取り戻し、翔は黙ってそれに合わせるようにして、目的地の中へと入っていた。
湿気と熱気が充満していたモール街の通りとは違い、建物内は空調が効き、この季節には過ごしやすい環境が整っていた。
今建物に入ってきた翔とシャルロットだが、シャルロットの方は、流石に外は暑かったのか、持って来たハンカチで額を拭っている。
対して、今までシャルロットと外を歩いていたはずの翔には汗の気配があまり感じられず、本人も涼しい顔をしている。
「翔ってば凄いね、暑くないの?」
「暑くないとは言わないが、慣れだろう、外で鍛錬をする事など日常茶飯事だ」
涼しい顔をしてそう返す翔に、シャルロットは思わず苦笑を浮かべる。この年齢で自分の身体をそこまで苛め抜いている人物もそう居ない。
事実、IS学園で比較的優良な生徒であるシャルロットもそこまで訓練したかと言われれば、勿論NOだ、ISの適正者と言うものは、大体がISを纏っての訓練であるため、大きな怪我をするという事はあまり無い。
肉体を鍛える訓練も勿論あるが、そこまで無茶苦茶なものは無いのが事実である。何故なら、ISの操縦者がその訓練で怪我をしてしまっては元も子もないから、と言う理由が大きい。
故に、ISを纏って訓練をした方が、データも取れ、操縦者のIS運用の技術も上がり、安全性もそれなりには考慮されているなど、色々と効率がいいのだ。
少なくともシャルロットやセシリア、鈴音もそうだったに違いない、ラウラは軍人上がりの為、シャルロット達のような訓練ばかりではなかったのだろうが……。
そう言う意味では、ラウラが翔の訓練体系と一番近いのかも知れない。
だが、そんなラウラすらも軽く受け流す翔の訓練の密度や時間、内容は、それこそ類を見ないほどの内容なのだろう。
「凄いよね、僕なんかもう汗が止まらないよ」
「まぁ、鍛錬中に暑さなど気にしていられん、最低限の水分補給さえ行っていれば問題ない」
「へぇ~……」
「? どうした?」
翔の言葉に相槌を打ちながら、シャルロットが不意に、翔の腕を離し、すすっと翔から少し距離をとる。そんなシャルロットの行動に、翔は疑問を浮かべるが。問われたシャルロットは少し恥ずかしそうに何かを気にしている様に、ぽそっと小さな声で呟く。
「僕、汗臭く……ないかな? って」
「む? いや、そんな事は無いが」
「そ、そう?」
「あぁ、シャルロットの匂いしかしない」
「っ!? 翔って、時々凄いよね……」
「む?」
翔自身は何の事だかよく分かっておらず、本人は汗の臭いはせず、普段のシャルロットと変わらないと純粋にそれだけを言ったつもりだったのだが、言われたシャルロット本人はその事が分かっていながらも、それだけでは無いように聞こえたのだが、頬を赤く染め、何の事か分かっていない翔に、う~、う~、と声を上げながら、翔の腕をもう一度掴み、行き場の無い感情をぶつけるかのように身体全体で翔の身体を押しながら、顔を隠すように翔の肩辺りへ自らの顔を押し付ける。
そんなシャルロットの金色の髪から覗く耳はこれ以上無いほどに赤く染まっていた。
勿論、シャルロットの力では翔の身体はびくともせず、翔は、ふむ……と呟き、彼女の行動が理解出来ずとも、シャルロットの落ち着くまで好きにさせる事にしたのか、身体を無意味に押されながらも、それを阻害する事なくそこに立っている。
そんな二人だが、ここはデパート内、当然そんなやり取りを行っていれば注目を浴びるのは避けられず、当然のように視線を集めているのだが、シャルロットは自分のやり場の無い感情を翔にぶつけるのに忙しく、翔自体は元々そのような事を気にする事の無い性格である為、現在の二人に他人の視線を気にすると言う考えは無い。
注目を集めてから暫くして、シャルロットの方から、う~う~、と唸る声が聞こえなくなり、その様子を理解した翔は、シャルロットへ声を投げかける。
「落ち着いたか?」
「うん……なんとかね」
まだ赤みの抜けきらない頬をしているが、言葉の雰囲気としては、動揺の色は無く、落ち着いたと判断した翔は軽くシャルロットを促す。
「ならば行くぞ」
「あ、うん」
翔にしては珍しく、シャルロットを急かす様に、つかまれた右腕を軽く動かす。
基本的に翔が誰かを急かすと言うのは滅多に無く、特に問題が無い場合、文句も無く他人の好きにさせて、問題があった場合のみそのペースを握ると言うスタンスを取っている。
そんなスタンスの翔が、シャルロットを急かすような行動を取ったのが珍しく、シャルロットは翔をチラリチラリと見つつも、デパート内を歩く。
(失態に注目を浴びていた、と言うのは誰しも恥ずかしいものだ)
翔はシャルロットを急かしながらもそう思う。
人の視線に晒される事に、翔自身は何も思っていなくとも、シャルロットがその事実を知った時、どう思うかはわからない、故に、この場から早く離れた方がシャルロットの為。
そう思っての行動だった。翔の思惑は成功し、シャルロットは周りの視線に気がつく事無く、二人はその場を後にして目的の水着を販売している場所へと足を向ける。
シャルロットの水着を選ぶ為に、女性用に水着売り場へ、翔とシャルロットの二人が到着した時、翔は既に自らの水着を購入した後だった。
男性用の水着の売ってあるエリアに着き、そこですぐさまシャルロットの視線を釘付けにし、自信満々の表情でシャルロットが翔に差し出した水着は、黒地のバミューダで、左下の裾辺りに金字で、極、と書かれたシンプルな水着だった。
シャルロットが選んだ水着ならば、間違いはあるまい、と試着せずにサイズだけざっと確認し、即購入、と言う流れを経てここまで来ていた。
そして現在、翔は、水着を選んでくると言ってその場を離れたシャルロットを、試着室の傍で待っている所だ。
女性用の水着売り場で、男が一人突っ立っていると言う構図は、かなりの違和感で、女性客からかなりの注目を集めているが、翔本人は気にした様子もなく、腕を組み、指定された試着室の傍で静かに佇んでいる。
「ちょっと貴方」
「俺の事か?」
「そうよ、これ、なおしておいて貰える?」
明らかに高圧的と取れる態度で、翔に話し掛けてきた女性は、ハンガーに掛けられた水着を翔に突きつけながら、命令をする様に言葉を投げかける。
軽くウェーブが掛かった長めの髪を揺らしながら、少しつり気味の目で、翔を見下したような視線を向けながら命令する女性。女尊男卑の風潮が広がっている近年、こう言う態度をあからさまに出してくる女性も、多いというわけではないが、少ないとも言えない数が存在している。
ISを使えるのが女性のみ、そして今や権力者も女性が多く居るこの社会では、女性の方が有能で男性よりも優れていると考える者も多い。女性を優遇するような国の体制、制度、その全てが、こう言う態度を助長させる原因とも言えるが、男性の方にも問題が無いわけではなく、この風潮が広まった辺りから、女性に対してへりくだった態度で接する男性も増えたのも事実だ。
そう言う事が重なり、男性を奴隷の様に扱う女性も少なからず居るのが現状で、その立場に対して文句の一つも言えないような男性が増えているのも確かな事実。
翔の目の前にいる女性は、まさにその風潮の体言と言ったような女性で、美人ではある様だが、人を見下したようなその視線から、どうしてもいい女性とは思えない。
その様な女性を目の前にしても、感情を悟らせないようないつもの静かな表情を崩さない翔。腕を組んだまま、静かに女性を見返す。
「聞こえなかったのかしら、なおしておいて貰える?」
「聞こえてはいるが、貴女の命令を聴く気は無い」
プレッシャーを掛けるように、更に高圧的に翔へ言葉を投げかける女性に、翔は何の気負いも無く、さらりと拒否の声を上げる。
そんな翔の態度に、女性の眉根は寄せられ、不機嫌そうに歪んでいく。
「警備員を呼ぶわよ?」
「どうぞ御自由に」
脅しとも取れる女性の言葉に、さらりと受け流すように、ポーズを崩さないままクールな態度を崩さない翔。
「私が警備員を呼べば男である貴方なんか終わりよ? それでもいいわけ?」
「何と言われようと、貴方の命令には従わない、男だからと相手を見下すような未熟者に従う義理など無い」
「未熟者ですって?」
更に不機嫌そうに表情を歪めていく女性に、周りの雰囲気も悪くなっていくが、そんな事気にした事ではないと言う様に、翔は淡々と言葉を続ける。
「未熟者だ、男だ女だとそう言う前に、一人の存在すら確かなものとして扱う事が出来きないような人間は大事な何かが掛けている証拠」
「言うわね、今や男と女は対等ではないのよ?」
「だからと言って見下す理由にはならない、人の価値は対等かどうかなどではない、前へ進む人間は例外なく素晴らしい人間だ」
「……」
恥ずかしげも無く、自信満々にそう言い切る翔に、女性は機嫌が悪そうな表情を直す事は無かったが、何かを思うように瞳を細めて、翔を見返す。
「何が貴女の歩みを止める事になったのか、知ろうとも思わないが、もし、貴女が前へ進むならその姿は美しいと思わせるはずだと言うのに……残念だ」
「っ!? 変な男ね……新手の口説き文句なの?」
「何の話だ?」
翔の言葉に、さっと頬を朱に染めて、憎々しげに翔を少し睨みつけるような視線は、少しばかり険が和らいだような雰囲気を感じる。
そんな女性の口から発せられた台詞に、翔は何もわかっていない様に疑問を浮かべるが、そんな翔の姿に、女性は、染まった頬の赤みを誤魔化す様に、舌打ちを一つ鳴らす。
そして、付き合いきれないと思ったのか、くるりと踵を返し、数歩進み、立ち止まる。
「……貴方、名前は?」
「柏木翔」
「そう、私は桐谷風音……さっきの話、考えてみるわ」
「縁あれば、美しい姿が見れる事を期待している」
「っ!? 一々恥ずかしい奴ね……」
背中に流れる、ふわりとした長い髪を靡かせながら、桐谷風音と名乗った女性は、翔の前から姿を消し、一人その場に残った翔は満足そうに一つ頷き、そこで、翔へ近付いてくる足音。
その足音に視線を向けてみれば、シャルロットが一つの水着を手に、翔へ近付いてきていた。
「中々、決められなくて、ごめんね? 待たせちゃって」
「いや、構わない」
「何かいい事あった?」
「少し、な」
シャルロットの問いに、満足そうに、だが短く簡潔に言葉を返す翔に、そっか、と何やら嬉しそうにシャルロットは笑顔を返す。
(翔が嬉しそうで、何か僕も嬉しいな)
満足げな雰囲気の翔と、可憐な笑みを浮かべるシャルロット。
傍目から見れば、仲睦まじい様子に見える二人。その内に目的を思い出したシャルロットが声を上げる。
「あ、そだ、水着選んできたんだ、着てみるから感想が欲しいな?」
「承知した。だが、まともな感想など言えんが……」
「いいよー、似合ってるかそうじゃないか、翔にはそれだけ言って貰えればいいから」
「承知」
短くそうやり取りして、嬉しそうに試着室に入る、その直前、何かに気がついたように、翔の傍に戻ってくると、何を思ったのか、翔の手を掴み、試着室に向けて翔を引っ張るが、翔自身がその力のベクトルに抵抗した為、シャルロットの行動は失敗に終わる。
「いきなり何をする」
「い、いいから!」
「いや、良くは無いだろう」
何か焦っているように翔の腕を必死に引っ張るシャルロットだが、当然翔の身体は動く事は無い。
シャルロットの突然の暴挙に疑問を浮かべる翔だが、その翔の肩眉が、ぴくりと動いた瞬間、シャルロットと翔の二人に声が掛かった。
「ボス……」
「む、ラウラか、ようやく声を掛けたか、何をしているのかと思ったが」
二人に声を掛けてきた人物、それは、銀髪に赤い瞳、眼帯が特徴的な少女、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。
デパートに入ってから暫くして、ラウラの尾行に気がついていた翔とシャルロットだが、翔はそのラウラの行動に疑問を浮かべ、シャルロットは邪魔されなければ気にしないと思っていたのだが、ラウラが動いた事で、シャルロットは暴挙を起こした。
それに翔が逆らっている内に、ラウラが到着。
そうして二人に声を、正確には翔に声を掛けたラウラだったが、何やら少し呆然とした様子。
「私は……か、可愛い水着を着た方が良いのでしょうか!?」
「いや……知らんが、着ればいいのではないか?」
突如そう問われた言葉に、疑問符を浮かべ、簡潔にそう返した翔の言葉に、何を勘違いしたのか、あわあわと慌て、頬を少し赤く染めながら、ラウラの瞳は翔の手を引いているシャルロットを捉えて、シャルロットへ詰め寄る。
「シャルロット! わ、私の水着を選んでくれ!」
少し涙目になりながら、頬を赤く染めて詰め寄ってきたラウラにシャルロットはたじろぐ。
僕の邪魔をしないで! と突き放せるほどシャルロットは厳しくも無いし、自分の事を考えているわけでもない。それになにより……。
(ラウラってば、可愛い……)
そう言う事、小柄で、赤い瞳に涙を溜め、恥ずかしそうだが、頼るものが少ないラウラはルームメイトであるシャルロットに頼るしかない、そんな彼女がシャルロットへ必死に頼み込む姿は、シャルロットから見て、非常に可愛らしく映った。
そんな愛らしい彼女を突き放す事など、シャルロットには出来なかった。
それに、好いている男の目に可愛らしく映りたい、そう見られたい、そう願うラウラの気持ちは、同じ男に惹かれているシャルロットにも痛いほどわかった。
そう言う事もあり、ラウラを突き放す事など出来ないシャルロットだが、翔とのデートを中断させられたのも事実、それはシャルロットとしても残念な事だ、なので、折半案を出す。
「わかったよ、だけど、僕が翔に水着の感想聞いてからでも良い?」
「わかった!」
思い人とのデート、せめてこれ位の特典が無いと、シャルロットとしては、何となく納得がいかない。
シャルロットの出した案に、うんうん、と頷き、ラウラは力強くその案を呑む。そんな必死な姿も非常に可愛らしい、と思いつつも、翔に水着を見てもらう為に、シャルロットは試着室に足を向ける。
「ふむ、上手く纏まったようで安心したぞ」
「と、取り乱して済みませんでした、ボス」
「気にしなくて良い」
「はい」
試着室に向かったシャルロットを見送りながら、翔とラウラはそんな会話を交わす。
身長の差もありその会話内容も相まって、横並びに試着室へ視線を送るラウラと翔はまるで、上官と下士官の様にも映る。
翔はゆったりと腕を組み、静かに佇み、そんな翔の横で、ラウラは、所謂、休め、の体勢で立ち、翔と同じく、試着室の方を見つめる。
異様な光景である事は確かだが、態々それに突っ込みを入れる人など居るわけも無く、試着室の中から聞こえる布擦れの音が聞こえ、暫くしてそれが止まった所で、試着室のカーテンがしゃっと開き、中から水着に着替えたシャルロットが姿を見せる。
彼女の性格にしては、少し大胆なセパレートの黄色を基調とした色の水着。その水着は、金色の髪を持つシャルロットによく似合い、彼女の可憐さを更に引き上げていた。
そんな彼女が、ビーチに立つ事を思うだけで、大抵の男は幸せな表情を見せるだろう。
「ど、どう、かな?」
試着室のカーテンの裾を握り締め、頬を赤く染め、もじもじと身体を捩りながら、チラチラと翔へ視線を送るシャルロット。
スタイルの良い身体を露出面の多い水着に身を包み、身体を捩るその姿は、可憐さを感じつつも、柔らかそうな彼女の白い肌が艶かしい雰囲気を演出しており、男性ならば、視線を釘付けにするほどの破壊力があった。
そんな彼女の水着姿に、ラウラは同じ女性なので、冷静に見る事が出来るのは当然だが、同じくシャルロットの水着姿を視界に納めている翔の表情にも動揺は見られず、冷静に、ふむ、と声を漏らし、組んだ腕の右手で顎を擦り、冷静に言葉を返す。
「水着の事はよく分からんが、シャルロットによく似合っているとは思うが」
「ほ、ホント!?」
「あぁ、よく似合っている」
念を押すようなシャルロットの言葉に、翔は短く返答を返し、その翔の言葉に、シャルロットは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
嬉しそうに、そして幸せそうに笑顔を浮かべるシャルロットを、ラウラは羨ましそうに見つめる。
「じゃ、じゃあ、これにするね!」
「あぁ」
嬉しそうに満面の笑みを翔に向けながら、シャルロットはもう一度試着室のカーテンを引き、着替えに入り、またもや布擦れの音が聞こえてくる。
シャルロットの着替えが終わるまで、待つ態勢に入った翔とラウラだが、そんな二人に、またもや声が掛けられる。
「翔とラウラじゃねぇか」
「む?」
後ろから掛けられた声に聞き覚えがあった翔は、振り向き、その人物の姿を脳裏に描きながらも確認する。
黒髪に整った顔立ち、高めの身長に長い手足、その整った顔立ちには少し疲れが見えるが、間違いなく翔が脳裏に描いた人物。
「一夏か」
「何だ、織斑弟か……」
翔とラウラは一夏の姿を確認すると、それぞれに一夏の名前を呼ぶ。
一夏の姿をまず認め、翔はそのまま一夏の後方へ視線を向けると、ため息をついている箒と鈴音の姿も同じく認め、事情を察した翔は、珍しくその表情に苦笑を浮かべていた。
(苦労しているな、箒も鈴音も)
事情を察し、箒と鈴音に同情の念を抱くも、一夏に応えてしまったからには対応しないわけにもいかない。
笑みを浮かべて近付いてくる一夏は、そんな箒と鈴音に気がついた様子はない。
「何やってんだ? 二人してこんな所で」
そう問うて来る一夏に応えようと、翔が口を開いた所で、翔の後ろで試着室のカーテンが開く音がする。
「どうしたの? 翔……って、何か増えてない?」
試着室から出てきたシャルロットは笑顔を浮かべていたが、何やら人数が増えている現状を見て、その笑顔も口元がひくっと引きつり、増えた人を見回す。
そして、シャルロットは悟る。
(あぁ……僕の翔とのデート、短かったなぁ……)
人知れず心で涙するシャルロットは、まさに、顔で笑い心で泣くを地で行っていた。
そうして半分諦めの境地に達したシャルロットは、水着を手に持ち、翔へ近付き、ラウラとは逆の場所へと収まる。
試着室から出てきたシャルロットと、先程からいたラウラが、翔を挟むようにして立ち、そんな二人を交互に見つめる一夏。
「どういう状況だ?」
「それはな……」
疑問を浮かべる一夏に、翔は今までに至る経緯を説明する。
「じゃあ、これから皆で何かするか?」
翔から状況を聞き、納得した一夏から、遊びの提案が出た瞬間に、箒、鈴音、シャルロットの三人は、何かを諦めたようにため息を吐き、ラウラは
「ボスがいるなら、何処でもいい」
と、自らの水着を購入するのは後日でも構わないと思ったのか、一夏の誘いに否定はしない。
翔としても特に異存は無い様で、特に否定する雰囲気も無く、話が纏まりそうになった六人だが、そこでまた、六人に声が掛かる。
「お前達、こんな所で何をやっている?」
掛けられたのは低めの女性の声で、その声に反応して、六人全員がそちらの方へ視線を向けると、全員が脳裏に描いていた人物がそこに立っていた。
「ちふ……織斑先生」
一夏がポツリとその人物の名前を呟いたその人物は、間違いなく織斑一夏の実姉、織斑千冬の姿であり、彼女は学校で見るスーツ姿とは少し違うが、それでもかっちりとしたサマースーツを着こなし、胸の下で軽く手を組み、一夏達を見据えながら立っていた。
そんな千冬の姿がある後方から、ぱたぱたと掛けてくる人影が見え、緑のショートカットと丸めがねが特徴的な人物が全員の目に入り、その人物が誰なのか、千冬の姿とセットで、全員の脳裏に浮かんでいた。
「速いですよぉ~織斑先生……って、あら? 皆さん偶然ですねぇ」
そう言って、ほやぁ、と笑顔を浮かべる人物は、当然の事ながら、山田真耶、IS学園一年一組副担任の姿であった。
何をしていると千冬は六人に問いかけたが、箒と鈴音、それに、翔からすれば、千冬がこんな所にいる事の方が余程疑問だった。
一夏は何の為に千冬がここにいるかなど、ある程度予測できているし、ラウラとシャルロットもある種の予感で千冬が何の用事があるのか察していた。
「織斑教諭」
「今は学園内ではないからな、普通に呼んでくれないか?」
翔が千冬に話し掛けた所で、千冬から静止が入り、同時に提案も入る。
千冬からの提案に一つ頷き、翔は千冬への接し方をプライベートへ戻す。
「千冬こそ、こんな所で何をしている」
「それは、だな……み、水着を、買いに来たに決まっているだろう……」
翔の問い掛けに、頬を薄く朱に染め、尻すぼみになりながらも千冬は答える。
普段クールな彼女が頬を染めるのは普段とは違い、ギャップがあるが、その姿は違和感が無く、可憐とも言える雰囲気であった。
そんな雰囲気で、チラチラと翔を見る彼女に、箒と鈴音は何となく事情を察し、翔は、それもそうか……と普通に納得しながら一つ頷いていた。
頬を薄く朱に染め、意味ありげに翔へ視線を寄越す千冬に対する翔の様子を見た箒と鈴音は小声で一夏へ話し掛ける。
「ちょっと一夏、翔ってもしかして、鈍い?」
「アレだけアピールされれば嫌でも気がつくと思うのだが……」
箒と鈴音から小声で問われた内容に、一夏は簡潔に、且つ小声で答える。
「鈍いとかそう言うもんじゃねぇ……翔は恋愛情緒が小学生よりも幼いんだよ、異性として女性を好きになった事が無いから、その好きって違いがわからないんだ、これは本人から聞いたから間違いない、だから女性からの好意に鈍い様に見えるんだ、実際はそれ所じゃない」
一夏から言われた、箒と鈴音からすれば驚くべき新事実に、二人は顔を見合わせて驚き、少し同情的な視線を、ラウラとシャルロット、そして千冬へ向ける。
「大変ってもんじゃないわね……」
「あぁ、同じ女として、応援する気持ちしかない……」
今ここに居る、シャルロット、ラウラ、千冬、そしてここに居ないセシリア、鈴音は更に、一夏と翔の共通の友人である弾の妹である蘭、翔に惹かれている代表的な四人あるいは五人を思うと、箒と鈴音は同じ女性として、ほろりと涙を零しそうな気分に襲われ、一夏からもたらされた事実を知らない四人を全力で応援したい衝動にも駆られた。
さしづめ、箒と鈴音の気分は、一大ドキュメントを見ているような気分だった。
恐らく一夏も同じ様な気持ちで、箒、一夏、鈴音の三人は、自分達以外の四人を暖かい目線で見守る事を決めた。
そして、人知れず、今回の翔とのデートで主役だったはずのシャルロットは一人心の中で涙していた。
(うぅ……僕と翔のデートだったのに……僕って運無いのかなぁ)
人知れず、今日のヒロインであった筈のシャルロットは、小さくため息を吐いていた。
- 関連記事
- 二十一斬 漢ってのは行きつけの隠れ名店を知ってるもんだ
- 二十斬 漢ならさりげなく誰かを気遣ってやるもんだ
- 十九斬 漢なら黙って相手に合わせる器量が必要だ
~ Trackback ~
卜ラックバックURL
⇒
⇒この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
~ Comment ~