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<  2011年 06月   >この月の画像一覧

  • 中国朝鮮族と日本人との恋愛と結婚
    [ 2011-07-03 22:51 ]
  • ナッツの女王
    [ 2011-07-02 20:48 ]
  • フルーツの女王
    [ 2011-07-01 23:01 ]
  • 大変ですが、、、
    [ 2011-06-30 22:51 ]
  • 大学進学者と職人で生活する道で格差があってはならない
    [ 2011-06-29 23:41 ]
  • 底辺高校の教師の悩み~学生たちを通学させること自体難しい
    [ 2011-06-28 23:25 ]
  • 公立高校統廃合問題は将来的に浮上する
    [ 2011-06-27 21:37 ]
  • 「アメノヒボコ」と製鉄の民~古代新羅と倭国の謎めく関係
    [ 2011-06-26 22:15 ]
  • 中国東北女性も遊んでいたメンコ~3国子ども遊びの民俗学~
    [ 2011-06-25 14:45 ]
  • 中国語に存在しない「アルヨ」のルーツはどこか~幻の言語「協和語」~
    [ 2011-06-24 21:09 ]

中国朝鮮族と日本人との恋愛と結婚

 私たち夫婦の友人の中国朝鮮族女性と日本人が交際し始めているという。
 考えてみれば、今、日本在住の中国朝鮮族は7万人いると言われている。普通に日本人と恋愛しても不思議ではない。こうしたケースといえば、昔は極めてまれな話であったが、今となっては結構自然なケースとも言える。
 その中国朝鮮族女性と交際している日本人男性と会ったが、実は結構なイケメンで少々驚いた。礼儀作法もきちんとした人で、普通の恋愛で普通に結婚していくケースが今後増えていくのかなと思えた瞬間でもあった。
 ところで私のサイトに検索している人で時々、「中国朝鮮族との国際結婚」やあるいは「中国朝鮮族との恋愛」で検索する方が少なからずおられる。または、「中国東北人の性格」ということでも検索する人もいる。そうした中で需要に応えて、時々私は執筆しているのだが、面白いことに東北部といっても一口に語れないことだ。
 例えば、「ほおずきの遊び」について、私の嫁と友人の瀋陽の隣市の女性にやらせてみると、すぐにそのやり方を知っていたが、一方、ほかの地方の都会育ちの女性は、その「ほおずきの遊び」を促してみるとかなり戸惑っていた。
 私の嫁は瀋陽市の出身であっても、田舎育ちであったため、様々な遊びや民俗について本当によく知っているが、都会育ちの女性たちは、そうした田舎の遊びについては戸惑っていることについて興味深かった。同じ年代の中国朝鮮族の女性でも育った環境で、知っていることと知らないことがいろいろある。
 こう書くと誤解を生むかも知れないが、私の家はそれほど豊かではないため、贅沢はできない。だから、私がお嫁さんを探していた時には、そうした贅沢な女性を意図的に避けていたのは事実であり、なるべく質素で家庭的で、料理が美味しい女性を探していた。それは、私も贅沢は出来なくてもいいから、一定の生活ができればいいと思っていたのだが、私も出世については限界があること十分分かっていたし、とても光モノやブランドモノをプレゼントする余裕はなかった。
 いつか書いてみたいのだが、平安時代の下級・中級貴族やその周辺の女性たちが物語を執筆した気持ちは何となく分かる。
 それはともかく、中国東北部の女性も中々一口では語れない部分もあり、贅沢好みの女性もいる。
 そうした質素な女性と贅沢好きな女性の違いはどうやって見分けたらいいのかという質問もあろうかと思うが、それは自分自身で見分けこの人は信頼できるかどうかをじっくりと考えれば分かると思う。さらに言えば、その対象者のご両親も観察することである程度、性格を把握できるのではないだろうか。
 本人やご両親の性格が良ければおおむね、その当人の性格も良いと思う。そして親族の人も良ければなおさらいいだろう。いい人の周りにはいい人が集まる。積善の家には積善の家が集まるというのが私の持論だが、いい家庭の周りにはそういう家庭が多いのだ。



まめ(豚の腎臓)炒め

豚の腎臓は日本人があまり口にしない物ですよね?
義父と夫は初めて食べたのですが、
二人とも美味しいと言っていました。

で、ここで豚の腎臓をなぜ「まめ」と言うのか?
それは、デッカイ豆のような形をしているからです!




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by shinwa_2007 | 2011-07-03 22:51 | 朝鮮族関連 | Trackback | Comments(0)

ナッツの女王


昨日の「フルーツの女王」の引き続き
今日は「ナッツの女王」を
皆様にご紹介したいと思います。
私の大好物です!

ピスタチオ



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by shinwa_2007 | 2011-07-02 20:48 | Trackback | Comments(2)

フルーツの女王


マンゴスチン

このフルーツを初めて口にしたのは
6年か7年前に里帰りしたときです。
姉が皮を剥いてから果実を私の口に運びながら
「これ、すごく美味しいのよ、あ~」
「お姉ちゃん、これすごく美味しい!なんと言う名前なの?」
「山竹shan1zhu2と言うんだよ、高いけど美味しいよね」
「うん、すごく美味しい!ありがとう!」

日本に帰ってきてからはスーパーなどで見かけることができなかったです。
夫と結婚してから、一緒に里帰りしたときに
夫に食べさせたら、夫にも大好評でした。
都内のスーパーでは滅多に見かけませんが、
あったら必ず買います!
みなさんも見かけたら是非一度ご賞味ください!
少しだけ酸味があってとても甘いフルーツなんです!







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by shinwa_2007 | 2011-07-01 23:01 | Trackback | Comments(7)

大変ですが、、、


最近本当に熱いですね
節電も大事だけど
決して無理をしないように!
いろいろ工夫をして夏を乗り切りましょう!

肘折温泉に行ったときに見かけた風景ですが
とても懐かしく感じました!
小さいときに西瓜もトマトも
よく水の中に入れて冷やしてたな~

2007年8月 肘折温泉にて



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by shinwa_2007 | 2011-06-30 22:51 | Trackback | Comments(12)

大学進学者と職人で生活する道で格差があってはならない

 今の教育問題で一番懸念されることは、1つは学生のやる気の問題ともう1つはお金というシビアな課題である。
 学生のやる気は、個々の家庭や個人、そして学校教師の資質などによって異なるのだが、勉強ができない学生もある日突然、ドラゴン桜みたいな教師に出会い、偏差値40代前半の成績から、中堅大学に行くことは十分可能である。ここで言う中堅大学とは、日東駒専からマーチあたりを指すが、努力次第で何とかなるものである。もちろん、ある意味、勉強が出来る環境も必要で、例えば足立区内で一番偏差値が低かった「足立学園高校」は今や、足立区で最も難易度の高い高校に変身し、今年は東京大学入学者も生み出したのである。
 この高校は実際、他にも偏差値を高めた裏事情もあるのだが、偏差値40からの中堅大学の挑戦ということはかなり現実的なのである。実際、私はそういう学生を見てきたし、本人のやる気と集中によって、成績はどうにでもなる。そこで学校教師と親御さんが悩むのは、どうすれば学生にやる気を出させるかと言うことだが、これは1回、勉強の面白さにはまると、問題を解いていく事自体楽しくなる。
 そんな方法があれば是非、教えて欲しいというご家庭や先生もいることは分かるのだが、こうした方法を説明するのが非常に難しい。しかし、お金の問題がなければ、大学に行けるというのは非常に幸福だと思う。ハッキリ言えば勉強さえすれば、大学に行けるのだ。私から言えばこんないいことはない。
 昭和40年代生まれの人たちが貧困家庭に育った学生にとって大学に行くということは非常にハードルが高かったのだ。だからあの当時、大学に行ける学力がありながら、断念した学生は多かったと思う。
 私は、国立大学に行ける頭脳はなかったため、三流私立に行くしかなかった。それでもかなり学費が安い私立大学に行く道でしかなかったのだが、大学に通わせたことに対してはものすごく親に感謝している。ひょっとしたら東京都内で当時最も学費の安い大学だったかも知れないが、それでも有り難いと思った。
 ここまで書いているとみんなが大学に行けばハッピーになれるかと言えば、それも私は違うと思う。人にはそれぞれの道があるし、合った道もある。みんなが大学に行くべきというのは現実的ではない。
 しかし、大学に行ける能力がありながら家庭の事情で行けない人はゴマンといる。こうした問題を放置していいのかという課題が日本にはある。私は文科省の政策には自分の仕事とあまり関係していないので詳しくはないのだが、もう少し貧困家庭の大学進学のあり方は検討してもいいと思う。
 以前にも書いたが、外国人留学生の所得税は免除されていることについて、私はいまだに明確な回答を出していないが、こうした外国人留学生が一部優遇されているのであれば、当然、日本人学生に対してはそれ以上の優遇政策をすべきと考える。そもそも論で言えば、日本には貧困があることは厳然たる事実であり、それによって大学に通えないというのであれば、文科省は真剣になるべきだ。
 あの当時から思っていたことは大学に行きたい人は必死に勉強すればいいし、地元で仕事をしたいという人はそういう生き方で十分だと思う。進学に行く人と手に職をつける人の生き方の違いはあってもそれぞれの人生を歩むべきだということだった。
 我々の世代で希望があったのは勉強しても手に職を付けるにしてもいずれの方法でも食って行けたのだ。そして大卒者と職業高校卒業者の給料は若干違ってはいても、それほど乖離があったわけではなかった。無職でなければ、職人の腕一本で食べていく道を確立すれば尊敬すらされた。
 わたしはいくつか、建設職人を擁護する文章を書いているのだが、この理由は、こんなことも分からないのかと少々荒っぽい言い方で叱られつつも建設現場の実地で働いている人たちから非常に多くのことを教えてくれたからだ。だからこそ、建設職人の人々が幸せなになるためにはどうすればいいのかということを日々考えているのだが、問題は職人の生活が成り立たなくなっていることに私自身激しい憤りを持っている。
 日本には様々な問題がある。大学に行きたくて能力がありながら諸般の事情で行けない人、職人の給料があまりにも低すぎること等、本当に解決しなくてはいけないことは山積みなのである。
 日本は先進国と言われている国でありながら、大事なことを放置していることについて目を背けてはいけないのだ。



毛越寺



浄土庭園

出島石組と池中立石


常行堂







本堂




毛越寺伽藍復元図

2008年8月 岩手県平泉にて
Canon IXY DIGITAL 1000


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by shinwa_2007 | 2011-06-29 23:41 | 社会 | Trackback | Comments(20)

底辺高校の教師の悩み~学生たちを通学させること自体難しい

 私は、先日、今は中堅高校と言われている学校であり、30年前底辺高校といわれていた高校教師と話したことがあった。
 当時の底辺高校の経営方針は、次のようなものであった。一クラス40人くらいしか入れなかったところをどんどん入学させて、何と60人入学させたものであった。何故、そうしたことを取ったのかと言えば、学生が辞めていくからだという。そして3年の終わりになる頃には40人くらいになるから丁度良かったと言っていた。
 そして当時のカラクリとして、単願で試験を受ける人には、簡単に合格を出し、併願で受ける人にはよほどの成績が良くなければ、「補欠合格」を出した。何故、「補欠合格」にしたのかという裏の事情を説明すると、「補欠合格者」は、早めに入学金を払わなければならないシステムにして、都立試験前に、入学金を払うことになり、その分、儲かるからだという。
 このあたり、単願と併願というシステムに説明しておきたい。単願というのは、その学校のみしか受けない学生を指し、併願は他の学校も受ける学生を言う。単願はそのままその学校に入学するから問題はないのだが、併願だと都立高校なども受けるため、他の学校に行く可能性もある。せめて、入学金くらいは確保したいという狙いが当時の底辺高校にはあった。
 しかし、このままではダメだと思った私立底辺高校は、特進クラスを設け、躍進したのが先日述べたとおりだが、問題は、都立底辺高の将来がどうなるのかという不安がある。何しろ、かつて私立底辺高校の悩みは、学生が続々と辞めていくことだが、今、同じ事が底辺都立高校で起こっている。
 勉強が出来ないという苦しみ、学校が面白くないということについて、多分、頭のいい人には理解してもらえないと思う。そのあたり、底辺高校の教師たちは必死に努力している。教師という職業は割合に楽と思われるのだが、実際は中々厳しい。何でこんなことが分からないのだろうかと思う人も世の中にはいるのだが、分からないのだから仕方がない。
 だから、せめて毎日、学校に通って欲しいという願いは親も教師も共通したものなのだが、それが難しい学生はゴマンといるのだ。そしてそうした受け皿が底辺高校になっているのだが、これは高校無償化することで解決する問題ではない。
 ハッキリ言うが、「学校に通うこと自体」が立派だと賞賛される学生も存在するのだ。
 さらに悩ましいのは、引きこもり学生の存在だ。頭のいい悪いは別として、「引きこもり学生」は、30年前から存在していて、その際一切登校しなくなった学生もいた。そうした引きこもり学生の存在も教師にとっては悩ましい存在なのだ。
 私は今でもそうだが、当時から変わり者で、好きな勉強はするが嫌いな勉強は一切無視し、数学の時間に好きな勉強をしていたため、相当数学教師から嫌われていた。やはり自分の教えている学科を無視して、別のことをしている学生は、まるで聞いていない学生よりも嫌いだったらしい。
 それはともかく、世の中には学校に通学させること自体難しい学生たちは少なくないのだ。そういう学生を甘やかせず、退学処分にすればいいという意見もあるかも知れないが、そう簡単でもない。
 やはり、一種そういう学生たちのうまく導いていかないと治安が悪くなることも否定できない。いまさら、中卒で仕事を探すのも大変である。
 学校の統廃合問題は避けられない一方で、底辺高校のあり方をどのようにするか悩ましいところであり、一定数は残せざるを得ないのだと思う。




みなさん~
置き引きに
気を付けてください!
今日やられました(TωT)



暗いニュースが多い中で、嬉しいニュースがありますね。
それは小笠原諸島と中尊寺と毛越寺が世界遺産に登録されたことです!
★☆オメデト☆★ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ★☆オメデト☆★

平泉は3年前に行ってきました。
中尊寺の金色堂はすごかったな~!


中尊寺 金色堂


平泉に行ったらこれを食べなきゃ!
平泉名物 椀子蕎麦


2008年8月 岩手県平泉にて
Canon IXY DIGITAL 1000


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by shinwa_2007 | 2011-06-28 23:25 | 社会 | Trackback | Comments(23)

公立高校統廃合問題は将来的に浮上する

 先日、都立高校の凋落、私立高校の勃興について書いた。
 都立高校ではないが、ある県の公立高校の教師と話したのだが、今、地方公立高校の教師の仕事で結構な割合を占めるのが、就職の斡旋なのである。高卒内定率は今であれば90%を越えているものの、問題はその後である。
 就職して3年持ってくれれば有り難いと高校教師は言う。しかし、実際は、下手すると1ヶ月も持たないケースもあり、そうすると次の就職を頼むのが難しくなると言う。実際、今の高卒就職率が比較的高い水準を保っているのも、そうした高校教師の必死な努力の賜なのである。
 ただこうした地方公立高校も二極化し、凋落が止まらない高校のレベルは下がり続けている。そして、当然のことながら競争率も下がり、果たしてこうした公立高校を維持する必要があるのかという声もある。
 昭和の時代であれば、オラが町や村にも高校を作って欲しいという声が強く、地方公共団体もその要望に応えてきた。しかし、今の地方公立高校のレベルを見てみると本当に、びっくりすることがある。もちろん、単にレベルの高低のみで学校存続を議論することは拙速であるにしても、努力不足だったことは否定できないのではないか。
 今都内でも地方でも公立高校は今後、間違いなく、統廃合問題が浮上することは確実ではないだろうか。すでに、少子化が止まらないため、小中学校では統廃合を決定しているところが多い。統廃合して廃校となった学校について再利用を検討し、また実現しているところも多い。
 公立高校を作ろうという動きが出たのはまさに昭和の時代であり、昭和の時代には多くの公立高校がどんどん建設された。実際、足立区にも公立高校は多い。果たしてこれだけの公立高校が本当に必要なのかと思うこともしばしば。同じ区内でも似たようなレベルの高校は少なくない。30年くらい前であれば、都立足立高校や江北高校はあこがれの的だった。もっと言えば、都立足立東高校、都立淵江高校、都立新田高校、都立青井高校の卒業生が今のレベルを見ると卒倒すると思う。ハッキリ言えば、都立高校の先生方の責任だけとはいえないが、経営の努力不足は否めない。
 30年前に、これらの足立区区内の都立高校を卒業した学生たちから見れば、今の高校の体たらくを見れば腹が立つ気持ちも非常に理解できるのである。
 私の想像の範囲内だが、こことここを一緒にすれば、合理性があるのではと考えることもある。
 しかし、一方、公立学校に合理性を求めることはいかがなものかという意見もあることも十分承知している。ただし、これだけ足立区内の都立高校のレベルが下がった以上、いずれ統合問題は避けられないのではないか。統合問題は地域との兼ね合いもあり、簡単に議論できないかも知れないが、最終的に、都立高校も地方公立高校も続々と統合問題が議論される時代が来るのではないかと思うのである。




鎌倉の旅 最終編

古い倉やお土産屋さんが立ち並ぶ通り
外国人の方が何か真剣に見ております


「お弁当を食べるときにトビに注意」と書いてある看板を見かけます。
街を歩くとトビの鳴き声も聞こえるんですよ
山が近いからかな?


鎌倉ものがたりサイダー
鎌倉限定
「鎌倉物語」面白かったな~


鳩サブレー
豊島屋本店


鎌倉駅


2011年6月 鎌倉市にて


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by shinwa_2007 | 2011-06-27 21:37 | 社会 | Trackback | Comments(8)

「アメノヒボコ」と製鉄の民~古代新羅と倭国の謎めく関係

 古代史は、日本と韓国に限って言えば、推理小説で言う「迷宮入り」「お宮入り」になってしまったように思える。日本の学会通説に従えば、「古事記」「日本書紀」における「6世紀以前の記述はあてにならない」という。そのため、日本の教科書も6世紀以前についてはかなり慎重に扱い、人物らしい人物として初登場するのが聖徳太子等だが、この聖徳太子に対する扱いも最近では微妙になり、「厩戸皇子」と記述するところがでできた。
 倭の五王にしても、諸説が入り乱れており、仁徳天皇陵と習った古墳も今は大仙古墳と記述するところも多いため、6世紀以前に対する日本史の教科書は、とてつもなく面白くないものになってしまったのである。
 そういうことでかつて、歴史教科書に登場していた神功皇后、武内宿禰も一切登場しなくなった。
 そういう歴史教科書事情を話したときに、割合に考え方が右よりの人からは、「古事記」「日本書紀」をそのまんまアレンジして記述すればいいのではと聞かれたが、両資料によっても異なる事実があり、何分複雑で、矛盾が多くあり、そのまま記述するのは事実上不可能なのである。
 一方、韓国でも本来であれば日本とあまり事情は変わらず、韓国の歴史教科書は、古代三韓正史である「三国史記」や日本の古代正史である「日本書紀」等の都合のいい部分を摘んでいるのだが、韓国の教科書は自国を有利にしようとするために、相当な無理な記述をしているように思える。
 どの国にもいわゆる「お国自慢」というものがあり、そしてそれは当然のことながら日本にもあり、例えば日本の「邪馬台国」論争で言えば京都大学系の学者は邪馬台国を畿内説とし、東京大学や九州系の大学は、九州説を採る傾向が今なお続いている。
 しかし、韓国の場合、そのお国自慢の度が行きすぎていると感じる事だが、日本古代史と朝鮮古代史の正解は、意外と伝説や史実として扱えなかった人物が鍵を握っているのではないかと思うことがある。
 「三国史記」には、4代目新羅王で「脱解王」が登場するのだが、この人物の登場は東明伝説に近く、倭国付近から来たという伝説の持ち主である。私は当時、鉄を求めて朝鮮半島南部に居住したと思うのだが、「脱解王」もそのうちの1人だったのではないだろうか。そして、もう1人謎めいた人物が「三国史記」には登場する。
 倭人である「瓠公」だが二代から四代の新羅王に宰相として仕えていたのだが、この時代の新羅史には倭人の影が見え隠れしているのだ。
 ここで大上段に、新羅国は日本人が作ったという考えを昔は示したことがあるのだが、考えてみれば当時の新羅は6世紀頃の新羅と異なり、領土も狭く、権限と言えばはるかに狭かったのだろう。むしろ、倭国から一旗あげようとして新羅にやってきた製鉄民の一団が「脱解王」や「瓠公」に投影として見るべきではないだろうか。
 そして、「瓠公」は長命の人物であり、とても実在した人物とも思えない。しかし、倭国にも共通した人物がいる。それが神功皇后や六代の天皇に仕えた武内宿禰にそっくりなのである。
 しかし、鉄の原材料が尽きたのと同時に、製鉄民の集団が、新羅から去り、倭国へ戻ってきたのが「アメノヒボコ」ではなかったか。あるいは新羅での勢力関係で破れ、失脚したのかもしれない。
 「アメノヒボコ」は、相当な軍事力を持ちつつも、注目すべきはヤマトが求めていた製鉄技術を保有していたということだ。
 「播磨風土記」によると、「アメノヒボコ」は8,000人の兵士を保有していたとの記録がある。8,000は、多くのという意味合いもあり、必ずしもその数の軍事力を持っていたとは言いがたいものの、「アメノヒボコ」が相当広範囲な軍事力を持っていたことは確からしいのである。特に、兵庫県豊岡市出石町が、「アメノヒボコ」の根拠地であり、非常に多くの伝説を残している。当時、8000人を動員できる勢力はかなり少ないのだが、もう一方の「アメノヒボコ」の功績は鉄をもたらしたことではないだろうか。
 つまりこういうことではなかったか。鉄を巡り、日朝を相互に行き来しつつ、軍事的性格を帯びた製鉄軍団がある時は、新羅王となり、ある時は倭国で、相当な権限を持っていたことに注目したい。自分たちは特に倭人とも新羅人とも特別意識していなかったのではないか。鉄があるところに我々もいるという意識ではなかったか。
 そして、「アメノヒボコ」伝説を見て、倭国は新羅が作ったと大上段に構えるから話がおかしくなるのであり、当時、倭国が最も求めていた鉄と製鉄の技術をもたらしたことで、ヤマトは大いに栄えることになったのではないか。そうしたことで、ヤマトの繁栄をもたらしたと言うことで、「アメノヒボコ」と称えたではなかったのか。
 そもそも、「アメノヒボコ」は漢字で書けば、天日槍もしくは天之日矛であり、これ以上、古代史で尊い名前はない。だからこそ、古代史で、「アメノヒボコ」は重要な参考人物であるのは間違いないのだが、学界通説ではほとんど、「アメノヒボコ」については神功皇后と同様に無視している。ちなみに、「アメノヒボコ」の子孫には、神功皇后もいるのだが、神功皇后は三韓征伐を行っている伝説がある。
 古代文献では、アメノヒボコについての記述も豊富で、西日本には多くの伝説がある。また、「アメノヒボコ」の末裔に、三宅氏がいるが、名字ランキングで見ると、やはり兵庫県が多い。
 太平記で有名な児島高徳が、この「アメノヒボコ」の末裔としているのだが、その「アメノヒボコ」は様々な影響を古代には影響力をもたらしてきたのだろう。
 しかし、何故か、こうした「アメノヒボコ」に連なる一族や古代名族とされていた渡来人の動向がある一定の期間から突然、明記されなくなる。その事自体謎ではあるのだが、意外と古代史は推理小説や謎解きみたいで本当は面白いモノなのである。
 ただ、今の歴史教科書を見て日本人、韓国人、中国人と共通して古代史好きな人が多くなるとも思えないのである。実際、嫁は歴史が大嫌いなのである。




鎌倉鶴岡八幡宮編Ⅱ






袴の色が白、青、紫、赤
赤は巫女さんですが、残りは?
どなたが一番偉いかな?




入り口の鳥居の前から眺める風景


2011年6月 鎌倉市にて


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by shinwa_2007 | 2011-06-26 22:15 | 歴史・民俗 | Trackback | Comments(2)

中国東北女性も遊んでいたメンコ~3国子ども遊びの民俗学~

 うちの嫁さんは、70年代生まれだが、いろいろと観察していると、面白い。アニメの話をすれば、「一休さん」「花の子ルンルン」「聖闘士星矢」が、遊びの話をすると、「メンコ」「縄跳び」「お手玉」や「ほおずき遊び」がそれぞれ登場する。
 日本固有の遊びと信じていたモノが次々と中国東北部等にも拡大している実態が明らかになりつつあるのだが、嫁の世代は、日本では男性がやっていた「メンコ」もしていたという。
 私が育った昭和40年代では当時流行っていた「仮面ライダー」「ウルトラマン」等のメンコを欲しがり、貧乏だった母にお小遣いをねだり、カードを買っていた記憶が今でもある。レアカードというものも当時から存在し、友達の誰それが持っているカードを欲しがったモノだが、そうしたカードを持っている子は私の家よりも裕福で進学先も立派な大学に進んでいた。
 そして子ども時代は、まさにそのメンコに興じていたものだが、小学4年生頃から次第に興味を失い、5年生に上がる頃にはメンコは流行から外れていた。その後、私の後の世代も少しメンコが続けられていたが、今は町中を見てもめっきりメンコで遊ぶ子は見なくなって久しい。
 しかし、私も知らなかったことだが、しばらくの間、中国東北部で「メンコ」が流行っていたらしい。メンコといえば、男性が遊んでいたモノだが、嫁も男性に混じって遊んでいたと言う。
 しかし、嫁がどのようにして遊んでいたかを見ていると、紙をいくつか重ねて分厚いメンコを作っていた。もちろん日本とお馴染みの丸いメンコも売っていたと言う。紙にそれほどの強度があるのかと思っていたのだが、私の目の前で嫁が作った紙のメンコで実演した姿を見ると自分が想像した以上に、強度があることを確認した。
 メンコをwikで確認すると日本固有ということだが、果たしてどうか。
 朝鮮でもメンコに似た遊びがあり、딱지(タクチー)と言われた。嫁の遊び方を見るとこのタクチーに近い。恐らく、このタクチーの遊び方が中国朝鮮族の子ども社会に伝わったと想像できるが、タクチーの起源は定かではない。日本のメンコの遊びは江戸時代から続いていたとかなりはっきりとした文献はあるものの、中国のメンコは定かではない。
 私の父の世代は、嫁が遊んでいた紙メンコ、つまりタクチーに近い。祖父も同様だったと父がいっているのだろうから、日本人家族が朝鮮や満州を開拓する途中で、このメンコも伝播したのではないだろうか。
 こうして書いていても朝鮮や満州にもメンコの原型があったことはむろん、否定しない。あったかも知れないし、なかったのかも知れない。ただ、当時、日本人、朝鮮人や中国人の子どもたちが遊びで交流していたこともよくあった話であり、多くの日本人がそうした証言をしている。私の恩師のご母堂は朝鮮に渡来し、日本語教師として、活躍したが、その際、日本人と朝鮮人との子どもたちの交流について必ずしも否定的な言葉ではない意味で語っている。
 日本、中国、朝鮮の3国の子どもたちがどのように相互交流し、遊びについても単に独立した形で行ったわけではなく、お互いにこの遊び方がいいよ、いやこのやり方だよというそれぞれの子どもたちが語った歴史もあるのではないか。むしろ、そうした歴史の方が多かったと考えるというのが自然ではないだろうか。
 そうした遊びについての証言を拾うことは今となっては非常に難しくなってきてはいるものの、朝鮮や満州での子どもたちの交流がどのようなものであったか、またはどのように進められていたのか、それを想像するのは実に楽しい作業なのである。


鎌倉鶴岡八幡宮編Ⅰ

まず大きな鳥居が私たちを迎えてくれます



まずこちらでお清めを!


東日本大震災被災地復興への祈り旗


奉献
お酒の樽がずらりと




鶴岡八幡宮の樹齢1000年の「大銀杏」
ご神木が昨年3月10日倒れたので
今は根本から出た新芽を大事に育てています




2011年6月 鎌倉市にて


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by shinwa_2007 | 2011-06-25 14:45 | 歴史・民俗 | Trackback | Comments(2)

中国語に存在しない「アルヨ」のルーツはどこか~幻の言語「協和語」~

 私の育った昭和40年代と言えば、多くのアニメや漫画に囲まれていたのだが、中国人が登場すると必ず、「~アルヨ」と言う台詞があった。最初に見た漫画上の中国人と言えば記憶を辿れば、サイボーグ009に登場する006である。何しろ、子どもの時の知識はほぼ100%漫画である。漫画で描いてあることはほとんど正しいと強く思い込んでいたため、中国人は、「何々アルヨ」と言えば、中国語として通用するモノだと思っていた。
 しかし、その後、多くの中国人に出会い、大学でも教養課程で中国語を勉強したが、「~アルヨ」がでで来ない。あの漫画に登場する中国語はウソだったのかと気がついた。
 そして中国人に、「~アルヨ」と言うかと聴いてみたが、誰も知らなかった。「~アルヨ」を話す中国人はいないものかと思い、必死に探したが、誰もいない。
 一体この「アルヨ」の元となったのは一体何だろうか。そして何故、日本人は、中国人が話す際、「アルヨ」と話すと思い込んでいたのだろうか。何しろ、「アルヨ」は今でも現役で、今でも漫画やアニメ、映画その他で見られる。父は中国語が、サッパリだが、今でも中国語は、「アルヨ」を使うモノだと思い込んでいたのだから何かのきっかけがあって、使われたのだろうと確信していたが、調べて見ると、そのルーツは意外と新しい。
 満州が建国された際、日本人、中国人等の5族が協和する必要性があった。この「5族協和」が満州国の理念であるが、この5族がそれぞれ言語で話すといろいろと不便だった。そのため、5族が話す簡易日本語としての言語を作ることとなり、その言語が協和語と呼ばれた。
 そしてその協和語に、「アルヨ」が存在したというのだ。助詞を省いた言語なのだが、今は手品師のゼンジー北京氏が使っている。
 例えば、「私は中国人です」というのは、協和語では「私中国人アル」になる。または、「お嬢さんは綺麗ですね」は「クーニャンキレイアルネ」などである。ちなみに、父が知っている中国語に「クーニャン」があるが、今は中国では「クーニャン」は古い言葉であまり使われていないらしい。
 ところが、この協和語が実際に存在したのは確からしいのだが、嫁の長老親族に聞いても、あまり知らないし、若い親族は全く知らない。今の中国東北部の人に、「協和語を知っていますか」と聞いても、「なんですかそれ」という回答が多い。というか、協和語使いや協和語の存在を知っている中国人に出会ったことがない。
むしろ、日本人が何故、中国人に対して、「アルヨ」のイメージ持っているのかが不思議に思う。調査してみないと分からないのだが、協和語がどこまで普及していたのか実に心許ないのだ。協和語というものが存在していれば当然、テキストが残っていても不思議ではないのだが、何しろ専門書も見当たらないし、調査のしようがない。ウィキによると、協和語は反対が多く、最終的に消滅されたとのことなのだが、協和語が存在してテキストが残っていないと言うことがあるのだろうかという疑問もある。
 そして実際は、協和語を使うよりも嫁の親族である朝鮮族は日本語を使っていた。嫁の長老親族が満州鉄道に乗る際、「一、私たちは、大日本帝国の臣民であります」「二、私たちは人工鍛錬して、日本の強い臣民であります」「三、天皇陛下の臣民としてお仕えします」を駅の窓口で誓いの言葉を述べないと切符を売ってくれなかったそうだが、この時に使った言語は協和語ではなく、日本語であった。
 当時の朝鮮族は日本語を普通に話せていたので、協和語を話す必要性がなかったと言うこともある。
 今となっては協和語の実態に迫ることはかなり難しくなっている。ところでヒントになることとして、日本人が中国人をイメージする時は、「アルヨ」になるということは繰り返し語ってきたのだが、逆に中国人が日本人をイメージする単語がある。そしてそれが協和語である可能性もあるのではないか。例えば、中国映画に登場する日本軍にいくつかステレオタイプの日本語として、「突撃」「諸君」「黄君huan2gjun1」「馬鹿野郎」「花クーニャン」「便所」などがあるのだが、中国映画で登場した日本語は、協和語として使用頻度が高いものではなかったか。


鎌倉 小町通り


トトロの森があるんですよ
かわいい~=^_^=


左折すると銭洗辨財天ですが
あまり時間がなかったので行きませんでした。

看板の隣では人力車の若いお兄さんが
一生懸命観光客に声をかけていました!


おせんべい屋さんです
明るい色で目立ちますね


素敵なおそば屋さん!



ひもの山安

この店には入りませんでしたが
甲冑をきた二人がいたので写真だけ撮りました(^_^;)


鶴岡天満宮の前にあるお土産屋さんですが
その隣に設置してある自動販売機をご覧ください!
町並みの景観を壊さないために
自動販売機の色もシンプルな白です。

2011年6月 鎌倉市にて


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by shinwa_2007 | 2011-06-24 21:09 | 歴史・民俗 | Trackback | Comments(12)


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